ドラゴンの日々

猫たちに囲まれて日々なんとなく生きている毎日のなんてことはない日記

ご法話

2012-02-28 14:16:04 | Weblog

私の大好きな話です

長倉 伯博氏(ながくら のりひろ)鹿児島県日置郡松元町福山(鹿児島大学非常勤講師)の 病床にて法に遇(あ)う を紹介します
夫と妻
 「お二人は、ご結婚何年ですか」とたずねると、奥さんは堰切ったように泣き出しました。
 「ごめんなさい」を誰に言うともなく繰り返した後、
 「十三年になります。その前に一年ほど交際の期間がありましたから、出会って十四年になります」
と言い終えて、共に過ごした日々が甦(よみがえ)ってきたのか、声を押さえるようにハンカチを口元に当てました。
 「今まで、どんなご主人でしたか」とうかがうと、ベッドの夫を見つめながら、
 「こんないい人はいません。私はおしゃべりで、そのうえ愚痴ばかりこぼすのに、なんでも黙って聞いてくれて……。主人がいらいらして、私に大声をあげたことが一回あったかどうか、記憶にないぐらいです」
 そう話す妻を見ながら、夫は少し顔を赤らめて照れたように微笑んでいます。
 「ところで、ご主人から見たら、奥さんはどんな方ですか」
と、夫に話を向けると、
 「ほんとに、おまえはおしゃべりだったなあ」
と言って、いたずらっぽく笑います。それを見て、妻は半べそをかきます。
 夫はそんな妻をじっと見つめて、今度は真顔になって、
 「おれは何にも後悔してないよ。君と一緒になって良かったよ」
 「逆に子どもはまだ小さいのに、こんなことになって本当にすまないと思っている」
 見つめ合うお二人の横顔は優しさにあふれています。ふと気が付くと、私の後ろで記録を取っている看護婦さんの目元が赤くなり、鉛筆を持つ手が少し震えています。
 この日、医療チームから私に与えられた課題の一つが、夫と妻の心を解きほぐすということでした。余後一週間ほどの命と告知された厳しい状況で、「解きほぐす」などという自信もなにも私にはありませんが、お二人で歩いてきた道程を再確認することは、今置かれている現実を直視するうえで大切なことと考えていました。
 過去、未来、現在―お経の中でしばしば説かれます。過去の積み重ねのうえに今の私があります。それは、思い返すと嬉しくもあり、時として辛くもあるのですが、実は阿弥陀さまの大悲に照らされていた日々であったと気付かされたときに空しさは消えてゆきます。
 
父と子
 「小学三年になる息子のことで、相談したいのですが…」
と、妻とうなずき合いながら、夫が話し始めました。続けて、
 「息子は、病気だとはわかっていますが、私の先が短いことを知りません。話しておくべきかどうか、話したらショックを受けるでしょうし、話さずにいたとしても、間もなくしたら、その日がきて泣くでしょうし…どうしたらいいかわかりません」
 私は、こう答えました。
 「本当に辛いですね。ただ、ショックを受けた息子さんを今なら抱きしめることはできますよ」
 父は次の日、息子にこう話しました。
 「お父さんはお前が大好きだ。お父さんは死にたくない。お前と一緒にいたいが、もうすぐそれができなくなる。お父さんは死んでもお前とお母さんのことをいつも思っている。お父さんは、最後まで頑張るから見ていてくれよ」
一人いて喜びなば
 小さい頃から聞かせていただいた、「ご臨末のご書」を思い出します。親鸞聖人のご往生に際して詠(よ)まれたと伝えられ、「報恩講の歌」にも歌われています。
一人いてしも 喜びなば
二人と思え
二人にして 喜ぶおりは
三人(みたり)なるぞ
その一人こそ 親鸞なれ
 姿は見えなくとも、仏となった私はあなたと共に、あなたの念仏の中に生きていますよ、という叫びが、親鸞さまのお声に、この少年の父の声と重なって聞こえてきます。
 この日から、病室に畳二枚を入れて、親子三人で残された日々を過ごすことになりました。看護記録で振り返ると、病室から笑い声や冗談を言い合う様子が記述されています。
 限られた中で大切な時間を本当に大切な時間として生きる、無常なるいのちの生き方を教えてくれた症例だったと病棟で話し合っています。
 臨終数時間前に、お腹の血管が破れて吐血されました。その状態で、死の三十分前に、トイレに行かれました。
 「お父さん、そんな無理するから血が出るんだよ。頑張ってるの、よくわかったから、もう無理しなくていいよ」
 臨終を医師が告げたとき、すぐにこの少年は、お父さんありがとうと胸に花を置きました。
 坊さんもいつかは死ぬんですね、今日は本当にありがとう、いずれおあいしましょう― が私のいただいた別れの言葉でした