りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

Do They Know It's Christmas?

2010-12-24 | Weblog
あれはもう、今から26年も前の事だ。

僕は15歳。中学3年生。
翌年に、高校受験を控えていた。
生まれて初めての“人生の選択”を目前に控えて、それまでのヤンチャな
自分を封印して、周りの同級生たちと同じように僕は勉強机に向かっていた。

1984年12月24日。

その夜、僕は塾にいた。
英語や数学や古文や世界史の教科書や問題集と何時間もにらめっこ。
授業が終わった時、時計の針は午後9時をとっくに過ぎていた。
建物の外へ出ると、年末の乾いた寒さが全身に染み込んだ。

自転車置き場で自分の自転車に鍵を差し込み、両手に手袋をつける。
寒風と暗闇の中、これから片道2kmほどの距離を、自宅に向かって自転車で
帰らなければいけない。
僕は手袋をつけた両手をスタジャンのポケットに突っ込んだまま、真っ暗な
夜空を見上げた後、ため息をひとつ、落とした。
吐き出した白い息が、漆黒の闇に溶けてゆく。

「俺、何やってるんだろう・・・?」

クリスマスも冬休みもへったくれもなかった15歳の少年の僕は、その時初めて
“虚しさ”というものを感じたのかもしれない。

自転車のスタンドを蹴り上げて、最後の力を振り絞るようにハンドルを押し
出したその瞬間だった。

誰かが僕の名を、呼んだ。

しかし周りには誰もいなかった。僕だけだった。
一緒に塾で勉強していた同級生たちは、授業が終わると同時に、どこにそんな
余力が残っていたのか?と呆れてしまうほどの信じられないスピードで家路に
ついていた。
僕はもう一度、周囲を見回した。
空耳か?
15歳なりにクタクタに疲れながらそう思っていると、5mほど先、道を挟んで
反対側にある自動販売機の前で、僕の視線は止まった。

誰か、いた。

その誰かが、僕をみつめていた。
僕も、その誰かをみつめた。

不審そうに僕がしばらくその誰かを凝視していると、その誰かが胸の辺りで
小さく手を振った。
僕はまだ半信半疑のまま、それでも自転車のスタンドをもう一度戻し、自動
販売機の前にたたずむ誰かの元へ、吸い寄せられるようにゆっくりと近づいた。

顔は、見えない。
その誰かは、暗闇に光る自動販売機の逆光を背に受けて、その輪郭だけを夜の
とばりの中に、ぼんやりと浮かび上がらせていた。
しかしその輪郭だけで、あることが分かった。
華奢な身体つきと緩やかに膝下まで広がったスカート。
首の辺りが大きく膨らんでいるのは、たぶんマフラーを巻いているからだろう。

その誰かは、明らかに、女の子だった。

自動販売機から1mほど、指呼の距離まで近づいた。
その時、その女の子が誰なのか、やっと僕には分かった。

「K・・・か?」

僕は、女の子の前に立つと、おそるおそる彼女の名字を口にした。
女の子は、僕の言葉にコクリと頷いた。

Kは、同じ中学の同級生だった。
しかも、同じ塾に通っていた。
しかし僕や彼女が通っていたその塾は、男女が別々に勉強するという、ちょっと
変則的な塾だった。男子が月・水・金、女子は、火・木・土、というスケジュールで、
冬休みに入って受験シーズンが目前になると、女子は毎日午前から昼過ぎまで、男子は
毎日夕方から夜まで、という強行的なスケジュールになっていた。
だから同じ塾に通っていたといっても、自動販売機の前に立っている同級生の彼女は、
今日も昼間に塾で勉強していたはずで、男子が勉強するこの時間帯にはいるはずが
なかったし、実際に僕が勉強していた時、塾の教室にもいなかった。

「どうしたんな?・・・塾、もう終わったで」

僕も気が動転していたのだろう。
Kに向かって当たり前のことを口にすることしかできなかった。
それでもKは、僕のありきたりの言葉にまたコクリと頷いた。
僕を呼び止めた誰かが顔見知りの同級生だったことに、僕は少し安堵したのかも
しれない。そんなぎこちないやり取りをしている間にも、少しずつ、僕とKの間に
流れていた奇妙な緊張感をともなった空気が和らぎはじめていたことを、僕は感じ
ていた。
少し落ちつきを取り戻した僕は、あらためてKの顔に目を向けた。
暗闇に浮かぶKの顔は、戸惑いと照れと緊張が微妙に入り混じった何とも形容しが
たい表情をしていた。見ようによっては、今にも泣き出しそうにも見えた。
長い睫毛が並ぶ両目は細かい瞬きを繰り返し、口からは浅い呼吸をするたびに、
白い吐息がこぼれている。そして、小さな鼻の先は少し赤みを帯びていた。
・・・ずっと、ここに居たのだろうか。

「ごめんね」

突然、Kがそう言った。少し声がかすれていた。
僕は、何が「ごめんね」なのか、合点がいかなかった。

「何な?」

だから、そんな間抜けな返事しかできなかった。
再び、僕とKの間に奇妙な緊張感が戻ってきた。
何なんだ?どうすればいいんだ??何でなんだ・・・???
その場を上手く取り繕う言動なんて、15歳の僕の脳みそをどこまで掘り下げても
見つかりなんてしなかった。
短時間のうちに、奇妙な緊張感はどんどんその重力を増していった。
その時だった。

「あの・・・これ」

Kが独り言のように呟きながら、片手に持っていたバッグの中から何かを取り出し、
僕に向かって差し出した。
それは、手のひらに乗るほどの小さな箱だった。
自動販売機の灯りに照らされたその箱は、淡いクリーム色の包装紙に包まれていて、
その上に赤いリボンがチョコンと遠慮がちに付けられていた。
僕は、まるで催眠術にかかったように、何も躊躇することなく、無意識のうちに、
その小さな箱を受け取った。
それでも、何も言葉が出てこなかった。
相変わらず、頭の中では“何なんだ?どうすればいいんだ??何でなんだ???”
という疑問符だけが、誰も乗っていないメリー・ゴー・ラウンドのようにクルクル
クルクルと空周りするだけだったのだ。

「あ、それと・・・これも」

Kはバッグの中を焦ったようにゴソゴソと探ると、一枚の袋を取り出し、また僕に
差し出した。
目に焼きつくような赤と黒のコントラストが印象的なビニール製の袋。
それは、尾道に暮らす人なら誰でも知っているレコード屋の袋だった。
その中身がレコードだということは、さすがの僕にも察することができた。

「え、これ・・・?」

なんとか脳みそを振り絞って出した僕の言葉を、少し早口気味のKの言葉が遮った。

「もしかしたら、もう持ってるかも知れんけど・・・ごめんね」
「え?あ・・・うん」
「あ、あと、さっきの箱は、美味しくなかったら食べんでええけぇね」
「う、うん・・・」
「ごめんね・・・早く帰りたいのに・・・ごめんね」
「うん・・・いや・・・うん」

まるでKの一方的な誘導尋問のような会話がひと通り終わると、僕はいそいそと、
再び自分の自転車に向かった。
スタンドを上げて、サドルに股がって、自宅の方向へ自転車を向けた。
そしてペダルを漕ぐ前に、僕は振り返って、もう一度自動販売機の方を見た。
すると、そこには、まだ、Kがいた。
Kは僕が振り返ったことに気づくと、最初の時のように、胸元で小さく手を振った。
僕はKに向かって、片手を上げた。
それがその時の僕にできた、精一杯の行動だった。

家に帰って、箱を開いた。

そこには、明らかに手作りのクッキーと、小さな手紙が入っていた。
そしてレコード屋の袋の中には、とあるシングルレコードが入っていた。

BAND AIDの「Do They Know It's Christmas?」

その年の晩秋、音楽好きの僕にビッグニュースが飛び込んできた。
当時アフリカで起こっていた未曾有の飢餓で苦しむ子どもたちを助けるために、
イギリスのミュージシャンたちがチャリティーの歌を作った、というニュースだった。
そのレコーディング風景を放送していたテレビ番組を、僕は偶然視た。
ポール・ヤング、ボーイ・ジョージ、スティング、U2、デュランデュラン・・・etc.
80年代を代表する錚々たるUKのミュージシャンたちが、レコーディングスタジオに
設置されたひとつのマイクの前で一緒に歌っていた。
僕は、テレビの前で発狂寸前になった。
翌日、学校に行った僕は、クラスのみんなに、まるで自分がその場にいたような
口調で自慢気に吹聴した。
当時はインターネットも携帯電話も、まだドラえもんの道具のような時代である。
情報の伝達速度は、今の数倍も遅かった。
だから、こんなとてつもない特ダネを握っている同級生は誰一人いなかった。
僕の話を聞いた同級生たちの反応は様々だった。
あるヤツは僕のウィルスが感染したように興奮し、あるヤツは、“そんな夢のような
ことが、実現するわけがない”と、ハナから疑ってかかった。
しかし、それは本当だった。
その年の12月、ラジオから繰り返し繰り返し“夢のような歌”は流れ続けた。

僕は、レコードプレーヤーにKからもらったレコードを置き、そしてKからもらった
手作りのクッキーを食べながら、何度も何度もターンテーブルを廻して、BAND AIDの
「Do They Know It's Christmas?」を聴き続けた。

レコードを聴きながら、思った。
たぶん、おそらく、きっと、僕が教室で「夢のような歌が出る!!」と大騒ぎしていた姿を、
Kは教室の片隅から静かに見ていたのだろう。
僕はKからの手紙を読み返した。
小さな手紙には、こんな一文が書かれていた。

「りきる君が言っていた“夢のような歌”、本当だったね。りきる君の夢も叶うといいね・・・」

翌年の春、僕は志望校に合格した。
尾道でもちょっとした進学校だった。僕の夢が叶ったわけだ。

ボブ・ゲルドフという、ほぼ無名に近かった一人のミュージシャンの発案がきっかけで誕生
したBAND AIDは、その後、一種の社会現象となり、その波はイギリスからアメリカに伝播し、
翌年の1985年にはあの「USA for AFRICA」を産むことになった。そして、同じ年の夏には、
アメリカとイギリスを舞台にした伝説的なライブ「LIVE AID」へとつながっていった。
たった一人の人間の妄想のような夢が、世界のロックシーンを動かしてしまったのだ。

あれから。

志望校に進学した僕は、3年間の高校生活を経て、大学生となり、実家を出て一人暮らしを
はじめた。そして高校時代に芽生え、僕の新しい“夢”としてずっと暖め続けた“広告業界への
就職”を、大学卒業と同時に実現させ、それから20年近い年月が過ぎた今も、日々悩み、迷い、
葛藤を繰り返しながらも、どうにか生き残って、その世界で生きている。

Kからもらったレコードは、もう20年以上、目にしていない。
おそらく、実家のかつて僕の部屋だった押し入れの段ボールの中で、あの頃格闘していた
教科書や問題集たちと一緒に、今も静かに眠っているはずだ。
しかし「Do They Know It's Christmas?」を、僕は忘れてしまったわけではない。
あの頃、黒い塩化ビニールのレコード盤だった「Do They Know It's Christmas?」は、
今ではデジタル信号にその姿を変え、何百曲とインストールされた、昔と比べて100円
ライターのように小さくなったウォークマンの中の1曲として、いつも僕のそばにある。

Kは、僕とは別の高校へ進学した。
おとなしく静かで目立たない女の子だったKが、今、どこで何をしているのか、分からない。
旧友たちに消息を尋ねても、誰一人、彼女の近況を知っているヤツはいなかった。
でも・・・と、僕は思う。
でも、彼女のことだから、きっとどこかで素敵な男性と巡りあって、幸せな家庭を築いているに
違いない。
少なからず、僕はそう信じたい。

そして、いつか。

もしもKと再会できる日がくるならば、その時には、今度こそ、ちゃんと彼女の目をみつめて
「あの時はごめん。本当にありがとう」とお詫びとお礼を言い、そしてちょっとキザだけど、
自信を持って、僕はこう言うだろう。


「夢は、必ず叶う。そして、つながってゆく。 BAND AIDが、そうだったように」


Dreams come true & I wish you a merry christmas.



BAND AID 「Do They Know It's Christmas?」
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