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言霊ブログ

ライン卿の日記
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原爆についての発言

2007-06-30 23:21:04 | 経済と政治

原爆で終戦早まる、「しょうがないな」と久間防衛相(読売新聞) - goo ニュース

 

今日は朝早くから病院に行ったり、午後は午後で久々に美容院にいったりしてちょっぴり疲れました。

夕方、マッサージチェアに座ってTVをつけながら半分うたた寝しながらこのニュースを耳にしました。

「あ・・・こりゃまた野党や左派思想、反安倍派の連中が大騒ぎするな・・・」

連日の大臣達のスキャンダルに安倍総理はいつも悩まされていてたいへんでしょうに・・・一抹の同情を感じます(笑)

毎度の事ながらマスコミは「ネタになりそうな」部分のみをピックアップして面白おかしく報道する悪行をしているワケですから、鵜呑みにするのは如何なものかと。

久間氏の講演を最初から最後までちゃんと聞いていれば、おそらく安易な失言ではなかったのかもしれません。

故に「現職大臣が軽率ではないか!」とぎゃーぴー騒ぐのはそれこそ軽率でしょう。

もっとも野党は「チャンスだ!」と思って真意が何であろうが内閣攻撃のネタにするでしょうけど(笑)

 

原爆について私見を申し上げれば、あれは間違いなく国際法違反ですし、アメリカの人種差別意識に基づいた非人道的行為なのは明白です。

核の使用は人道として許されざる行為ですし、被爆国の日本人としての立場から申せば、原爆の使用を容認したトルーマン大統領とアメリカ軍部、および政治的指導者たちを許せるワケがありません。

罪のない同胞たちが無残に生きたまま焼かれたわけです。

特に広島や長崎の地に住む人たちの怒りは当然だと思います。

 

ですが・・・あくまで現代人の感覚での結果論ではありますが、原爆の被害によって日本の戦争継続意思が弱まって終戦に近づいた・・・という利点もあると思います。

もし仮に日本が本土決戦を実施したとして、連合国のオリンピック作戦(九州上陸作戦)なりコロネット作戦(東京攻略作戦)が実施されていたら、日本人に尋常ならざる被害がでていたはずです。

おそらく北海道はソ連に占領され、日本は旧ドイツのように連合国による分割統治されて、後に北と南(東と西?)の分断国家となっていたかもしれません。

国家に大きな傷を残し、今日の繁栄はなかったと思います。

 

武に奢り、戦争終結どころの目処も立てずに戦争を開始した無能なる旧軍指導部や天皇の側近たち(たしかにあの時代は戦争以外に道はなかったとしても、必ず戦争終結を考えた上で開戦するのは国家の指導者として絶対条件である!)。

もはや敗北以外の道しか残されていないのに本土決戦を主張していた現実感覚が欠落した無知な軍人達。

それら阿呆どもを黙らせて、終戦工作を行っていた人たちに原爆被害は有利にはたらいたという面もあったと思います。

結果としてソ連に北海道を占領される前に終戦にこぎつける事ができたのは幸運といえるのではないでしょうか。

(事実、日本の領土である北方領土は戦争が終結して半世紀が経過した今でも返還されていない!!!)

 

久間氏の発言も「現代人としての結果論的な感覚」として考えれば、理解できなくもありません。

あくまで結果論ですけどね・・・

 

最近、大東亜戦争の終戦工作を行っていた人たちの事をちょくちょく調べていて、当時の人たちの苦労と苦悩の片鱗を垣間見ていましたから、久間氏の発言もマスコミが主張するように否定的なものには感じませんでした。


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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (Unknown)
2007-07-02 06:18:39
原爆を投下しなくても、ソ連が参戦しなくても、米軍の本土上陸作戦が計画ないし検討されなくても、日本は1945年12月31日以前、「あらゆる可能性を考えに入れても1945年11月1日までに」無条件降伏していただろう―広島、長崎への原爆投下について1946年7月、米戦略爆撃調査団がトルーマン大統領に提出した総括報告はこう述べている。
ならばなぜ、トルーマンは原爆投下を決定したのか。欧州支配の野望を抱くソ連に、衝撃を与えるためのデモンストレーションであったとみる歴史学者がいる。そうした政治的要因にくわえて、ロナルド・タカキ米カリフォルニア大教授は、子供のころ「いくじなし」といわれたトルーマンの性格と人種差別主義に起因していると指摘する(草思社刊『アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか』)。

本書(原爆を投下するまで日本を降伏させるな)も原爆投下決定の裏に働くトルーマンの劣等意識に鋭い目を向けている。ルーズベルトの急死で、はからずも大統領になった「小物」が、権力と原子爆弾という史上最も恐ろしい遺産を手にしてしまった。ルーズベルトが「日本派」のジョセフ・グルー元駐日大使とともに進めようとしていた対日政策は、トルーマンと彼の唯ひとりの相談相手ジェームズ・バーンズに忘れ去られる。日本が和平の仲介を期待するソ連は、米英との密約に基づき対日参戦の準備を進め、トルーマンはソ連の参戦を原爆投下の後に誘導することにのみ腐心していた。
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