レンタロウの日記 ~さようなら、少年の日々よ~

自分と読む人が表現し合う場にできたらいいです。

複雑なあれこれ。

2012-04-18 23:33:14 | メランコリックな記事
久しぶりです。

今日は今までたまっていた内側の事を書きたいと思います。

何から書こうかな。

最近は何をしていたかというとひたすらゲームをしていました。

ドラクエシリーズを1、2、3を除いて全部やりました。
そしてゼルダシリーズを何個かクリアしました。

そしてその次はポケモンをやりはじめました。

アニメもみだして、このアニメ実は10数年続いていて700話くらいあるんですが、それを2周もみました。
10数年続いてるアニメを二ヶ月で二周みたわけですね。

今は3周めの途中で止まっていますけどね。

そしてそれからは映画を30個くらいみました。最近見たのでよかったのは「ダニーダーコ」「時計じかけのオレンジ」でした。
デビルマンの漫画もみました。

まずは過去をふりかえりたいと思います。
こういううのを書くのはなんだかとても恥ずかしいし体力がいります。

実は僕、外の音が怖いんです。

なので春休みごろからずっとイヤフォンをしてすごしてきました。

最初は2年の夏休みごろだったかな?

スズムシの鳴き声が怖かったです。
そして飛行機の音、犬の鳴き声、電車、車の通る音、風の音。

でも前は怖かったりむかついたりしてもイヤフォンはしてませんでした。

2年の夏休みは部門別の事が気になりながらも銀河鉄道999を全話みおえました。
ガキ使をみていたのもちょうど見ていたのもこの時ですかね。

ガキ使はさよなら山崎邦正という一年に一回しかやらない企画がとても面白くて好きでした。
YOUTUBEにある動画をほとんどすべて見ました。

そして奄美旅行にいきます。

この頃は細かすぎる部分は思い出せませんが、複雑な葛藤があったのを覚えています。

そして学校がはじまって、ある日警察官の人から学校に行ってる途中注意されました。

一年の頃からかかさず行きも帰りも毎日ききつづけていたアイポッドを聞くなと言われたのです。
とてもショックでした。

そして次は生活体験発表という学校の行事がありました。

その次の日から学校を休み始めたのです。

一日だけ、一日だけとずるずるとなっていって、ついに二週間がたってやっと自分の足で学校に行きました。

そしてその日先生も母さんに電話していたのです。

放課後、先生と3人で話しました。

母さんは以外に怒ってなくて安心したのをおぼえてます。

だけどまた一週間くらいたつとエネルギーがきれます。

そこで母さんに自分の中のもやもやした自分にしか分からないような部分を打ち明けたのです。

自然と繋がっているみたいな感じや、自尊心のことやら、僕はいいセンスをしているということや、芸能人などにとても憧れがあるなどを。

言葉に変換するとなんというか、この感覚がなくなってしまうんです。
これもそうです。

意味が分かりませんかもしれませんが…。

まぁようは言葉ではうまくあらわせないということです。

そして母さんに喝を入れてもらうと、次の日から行けるようになった訳です。

今僕はまた心の壁にぶちあたっているんです。
だからこういう風に人に話せば楽になるのではと思った訳です。

そういえば夏休みごろからドラムの練習を全くしなくなりました。

どんな曲でもアドリブで即興で叩けるようになって、曲をコピーするっていうままでいいのかと思い始めたわけです。
そして序所にドラムをしていないことが悩みみたいになってたのを覚えています。

そう、母さんに喝をいれてもらって行けるようになったときからゲームの時期がはじまったのです。

僕は常に色んな事を考えていた。

孤独について、努力について、優しさについて、感受性、センス、とにかく色んな事を。

ひとつきになったら知恵袋というサイトでそのキーワードを検索して何時間もそれに没頭するのです。

何に力を一番入れたらとかいうのも考えていた。

無意識に、潜在意識みたいな所になんかこう不思議なエネルギーがある。

常に僕は何かに引き寄せられて生きて来た。
何かにはまってない時期は多分無い。

次はこれ、そして次はこれと何かに依存している感じが悩みみたいな感じがあった。

そうだ2年の夏休みの時には自分に運命なものをもとめていた。
芸能人にとても憧れがあった。

そう、すごい人には伝説みたいな出来事があるものである。
ウィキペディアにかいてある事です。

だから自分にもそういうのを無意識にもとめていた。

いつからか若者が葛藤する青春映画や感動する壮大なファンンタジーを追い求めていた。
ポケモンにはまったのは僕の求めていたその要素をもっていたからだと思います。

そういえば、ポケモンを一周みおわったときとても空虚でした。

春休み、僕はなんと清掃の皆勤賞に選ばれたのです!
まさか自分が選ばれるとは思っていなかったのでびっくりしながらステージに上がりました。

もちろん皆勤賞の人は僕だけじゃなくて他にもいっぱいいましたよ。

中にエネルギーを取り入れるときと出すときがあるんです。

思えばはじめは気分の浮き沈みに気がつくとこからはじまったようなきがする。

どーんとしずんでまたいい気分になる。
この繰り返しになんというか疑問というか、これでいいのかというか満足しなくなった?気がする。

ためていると、急に発散したい衝動になるんです。

そしてドラムキットの前に座るけど、途中で発散するのが怖くなってやめる。


そしてそれをどんどん繰り返します。

一年の頃なんかは普通に気軽にドラムで色んな曲をやっていたのに。

そして春休みのある日急に耳のことが怖くなった。
それから1~3日つけづに過ごした。

だけどそれは苦痛でしかなかった。

音楽の世界の中で僕は僕のその浮き沈みのリズムをつくるからです。
そしていっそひらきなおってまたつけたのです。

せっかく充電したものがときはなたれるのが怖かったし嫌だった。
それの犬の鳴き声やポルターガイストの恐怖が加わるからとても辛かったと思う。

このように僕は充電を繰り返して、そのつどドラムをしたいだのの衝動にかられて、ほとんどの場合それに逆らえずにやってしまってまた機嫌しながらを繰り返しているのである。

そしてそれによって充電がどんどん薄くなっているのに気がつきながらも心のどこかでそれを肯定している自分がいる。

本当は解き放ってないのでは?とか、本気をだしてないだけなのでは?とか。


学校に行くと毎日のように車や自転車にぶつかりそうになるんです。
いつの日からか。

これは単に僕の不注意だけのせいじゃないですよ。
まぁあとで説明します。

ポルターガイストがするんです。
僕はこうよんでいます。

よく冷蔵庫から音がしたりしますよね?

それです、それが頻繁になるんです。

いや、頻繁にきこえるといったほうがいいでしょうか。
それは普通に生活できてる人には聞こえないでしょう。

視線が気になる、気にならないみたいなのと同じ感じです。

他の家でもどの家でも実はなっていて、なっているけど聞こえないだけ、みたいな感じです。

それは僕が「忘れている」からなんです。

僕はある日からあまり犬の鳴き声やポルターガイストが怖くなくなりました。

ある時僕は自然の流れに気がついたんです。

2つのエネルギーの流れに。

僕がポケモンをみたりしてるとき学校でポケモンの話題がでたり、ドラクエを時期にドラクエの話題がでるんです。

その他にも同じ言葉を連続で目にするんです。

例えば「松本人志」という言葉を目にすると、連続でその言葉を目や耳で聞いたりするのです。
これを潜在意識がどうちゃらで済ませることは簡単ですが、これが本当に何回もおこるわけだから簡単にそうは言えない訳です。

ある日からブログのランキングが気になりだしたのです。
そしてその日から人がたくさん来てくれるようになって一位になったんです。

僕にはいつも言葉を心のなかでとなえながら力をためていきます。

その言葉は常に変化していって、ある時は「だれが受け入れるか」だったり「そういうのはないから。」とか。

僕は力をためるのを儀式とよんでいます。それいがいにどうよんだらいいか分かりません。
その儀式を一年の後半らへんぐらいから無意識にやっていた気がします。

儀式のさいは様々な言葉を心の中でしゃべりながらします。
その言葉はどんどん変化していくものです。

でもいつからかその言葉が変わる事にたいして「言葉が変わるのが腹立つんだよー。」という言葉が加わりました。

僕はいつ頃からかこの試練をのりこえてもまた次があるんじゃ意味がないという考えになっていました。

だから、僕はいつからか成長を無意識にとめていたのかもしれません。
だから言葉がかわることが機嫌感になるのかもしれません。

言葉がいきなりやってくるんです。
そういう風には思ってないから、という言葉が浮かんでくるんです。

そして必ずと言っていいほど犬やポルターガイストが反応するんです。

だから僕はそれに対して、だれが油断するかと言うようになったわけです。
だって油断したところに反応してきてそれによっってムカつく事になるわけですから。

ようは僕に関係あるように音がでるから腹がたつわけです。

だから僕はずっと春休みの時心の中で「僕と関係あるように音を出さないでくれー、」「犬やポルターガイストが僕と関係がないっていう保障をくれよ!」と叫び続けていました。

だけどある日こらえていたものが急にくずれはじめたというかこぼれだしました。

僕が犬やポルターガイスト、外の音に腹が立っているのは、自然の力をとりいれてるからではないのか。

僕が儀式でとりいれている力はこの自然のエネルギーなのだろうか?

僕は中学校の時 息が苦しくなった。
そしてその時から音楽をよく聞くようになった。

それは2つのエネルギーの調和をとるための訓練だったのだろうか?

物がよくこわれだしたのは予兆だったのかな?

あぁ、春休みの途中くらいから動きがとまるようになった。
というのは力をためようとするとその作業にきりがなくなって、身動きがとれなくなるんです。

そしてそれが嫌になった。
めんどくさくなった。

それは=もう力をためれなくなるほどためたということなのだろうか?

=もう極めるとこまで極めたのだろうか。
という思いがでてきた。

なんというかある時僕がいままで拒んでいた片一方のエネルギーが、僕に入りたがっているのではという思うようになったわけです。

僕はそれを受け入れると犬やポルターガイストがむかつくようになるわけだし、ん?もう訳がわかりませんね。

忘れている、というのはこういうことです。

つまり、例えば僕は学校にいってるときは外の音はあまり気になりません。

じゃぁなぜ音が怖いのだろう。
それは外の人が僕をむかつかせようと音をだしていない何よりの証明ではないか。

だけど片一方のエネルギーをとりいれるときはそれ自体忘れているのです。

外の風の音がはげしい夜の日に、風に「そういうのはないから」と同意をもとめると返事をして来た事もありました。

だけどそれも忘れているのです。

なんというか、むかついている瞬間、ぶつかりそうになる瞬間は忘れている瞬間なんです。
もう方一方のエネルギーを。

あぁこれもあったんでした。
僕はここ最近ほとんど鏡を見ていませんでした。

つまりこれも忘れているわけです。

あと自分をほめるというのも忘れていました。

前は僕はよく頑張っているとか、ほめていたのは覚えています。
ガキ使をみてるころくらいでしょうか。

そして身動きがとれなくなったころあたりから「もっと楽になりたいんだ!」という思いがでてきました。
僕が思う事は下のことです。

・もっと僕は力をたくわえていたい。
・それをやめさせようとされるのがうざい
・気がつくと身動きが取りにくくなっていた。普通にいままで通りイヤフォンなしで生活したりドラムをしたりしたいわけである。
・ポケモンをみたい
・テニスがしたい。
・絵がうまくなりたい
・犬やポルターガイストが僕に関係なくなっているという証明がほしい
・ブログを更新したい

ポケモンも3周目の70話くらいまでは見たんですが、途中で集中力がきれたのです。
というのもパソコンの音をイヤフォンで聞くとプチッとかいうとぎれる音がありますよね。

それが気になりだしたからです。
これもふたつのエネルギーと関係あるのかもしれません。

音楽に例えると自分とは反対のエネルギーをとりいれて、通常では反対じゃないエネルギーを反対にしているのではないだろうか。

だから犬の鳴き声やポルターガイストが怖いのではないだろうか。

それをやめさせようとさせられるというのは、うまく説明出来ません。

でも充電がとけて色んなものが変わるのが怖いのです。

例えばポケモンに飽きるのが怖いんです。

昔からどっちの自分がいいのだろうか?
どっちの方の自分がいいのだろうかという思いがあった。

根底には人に認められたいという思いがあるのではないか?

どっちの、というのはもうとっくに忘れたけれど。

確かにそんなことを考えていた。

そう、テニスがしたいという思いがでてきたのです!
前もいつだったかわすれたかテニスがしたいという思いがあったけど結局やらずに終わった。

テニスをすれば外にいる時間も増えるし、ということはイヤフォンする時間も減る訳です。
なにより僕はテニスが好きなんだ!ということにきがついた。

まぁいいたい事は結構いったかな。
奄美の記事も更新したいんだ!!

もう気付けば3年ですよ、3年。

昨日も先生に進路を聞かれました。
今すぐにという訳じゃないですけどね。

一番いいのは充電もして発散もして…みたいな感じでしょうか。

今日更新したのも、今日学校で耳の検査があって怖くなって、そしてまた発散したい衝動に襲われたからです。
発散したい衝動っていうのはヤバい方の衝動じゃありませんからね、別に。

それではっ