韓リフの過疎日記

経済学者田中秀臣のサブカルチャー、備忘録のための日記。韓リフとは「韓流好きなリフレ派」の略称。

増田悦佐のアメコミ経済学

2008-09-13 05:57:23 | Weblog
 休刊の決まった『m9』第三号に寄稿したものの元原稿(掲載されてるのとかなり違うもの)をここに。ちなみに「サブカルチャーの経済学」のほとんどはいま書いている新刊に大幅加筆で再録予定。

以下の文章の前提にはhttp://blog.goo.ne.jp/reflation2008/e/36e210025f2b95ad5feea7a705f786d5のコウェン本の書評がある。

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 増田といっても「はてな匿名ダイヤリー」のことではない。匿名さんではなくて、ちゃんとした有名エコノミスト増田悦佐のことだ。増田は大胆な経済論で知られていて、私も熱心な読者のひとりである。例えば日本の高度経済成長が終焉したのはなぜか。田中角栄型の都会から地方に公共事業などの形で資源をより配分する“社会主義型革命”が、日本で起きたためである。日本が高度経済成長を再び成し遂げるためには、国土の均等な発展という幻想を壊して、都市部に資源を集中させる“反革命”が必要である、などと彼は書いている。最近では、東京圏の鉄道網を話題にして、これが東京の活性化につながることを熱心に説いている。“反革命”の素材が“テツ”というのも、それもまた増田のかわいい論調として愛されている。
 ところで「かわいい」といえば日本のポップカルチャーの形容詞のひとつだろう。このクールジャパン(死語)をめぐって、増田は二年ほど前に『日本型ヒーローが世界を救う!』(宝島社)というひとによっては快著、別な人には怪著を出版したことがある。論旨は、日本のアニメやマンガはアメリカやヨーロッパに比べて文明的に優れたものである、ということを400頁近くにわたって論証した大作である。
 僕はこの増田本について経済雑誌に好意的な書評を書いた。特に彼が日本のアニメやマンガを振興するために政府がわざわざ音頭をとって産業政策的なものを採用する必要はない(ほっとけば十分であり、官僚がしゃしゃりでてくること自体が税金の無駄)、また日本のマンガ・アニメが世界中にかなりのシェアを占めているのは、規制の結果でもなんでもなく、ただ単に比較優位を持っているからにすぎない、という主張に魅かれたわけである。ここで比較優位を持つ、いうのは簡単にいうと同じような作品を制作する際の機会費用が低いということである。
例えば、僕に相沢紗世似の美人秘書がいたとしよう(脳内仮定)。彼女も優秀などのだが、僕の方がエクセルのデータ入力すぐれていて、また経済学の研究にも少しだけすぐれているとしよう。そうなると相沢紗世似の秘書は解雇して、データ入力も研究も両方、田中がやったほうがいいように思える。しかし僕はデータを入力すること(機会費用が田中には高い)を秘書にやらせて、その時間を研究すること(機会費用が田中には低い)に打ち込んだほうがいいわけである。
 一読しただけでは、増田の主張は、なんだか日本のマンガ・アニメが欧米よりもすぐれているから日本文明サイコー! と叫んでいるかのように誤読されそうだが、彼の基本認識には、どかんと経済的な視点が座っている(と思う)。そのため同じように国策としてのジャパニメーション(これも死語)を批判している大塚英志らの議論に賛成しながらも、他方で大塚らがアメリカ追従型であるとそのイデオロギーを一刀両断するのも、実は日本文明サイコーというイデオロギーからくるのではなく、比較優位的観点から導き出されるのである。新刊のタイトルが『日本文明・世界最強の秘密』などと格闘技世界一決定戦みたいになつていても実は経済学の原理に基づいているのである。
 さて、そんな感じで増田本を好意的に書評したら、あろうことか増田に徹底的に貶められた(?)アメリカンコミックの専門家の一部が、僕のブログ上に登場し、粗し同然の書き込みを展開した。そのためブログを引越しせざるをえない仕業となり、大迷惑だったわけだが、それはまあいまはどうでもいい。
 この騒動は結果的に、山本弘ら「と学会」に目をつけられる結果になったことが戦線の拡大を招いた(笑)。彼らの「と学会」でこの増田本は日本トンデモ本大賞の候補作になるわ、僕自身も目出度くも増田本の支持者として彼らの『トンデモ本の世界U』に登場したのは、まったく名誉なこと‥‥なわけはないが(笑)、正直、面白い現象とあいなった。
 ところで最近、この増田本関係で気になる動きがあった。それは「と学会」による新刊『トンデモマンガの世界』(楽工社)である。
 この本は、山本弘と唐沢俊一による「トンデモ」アメリカン・コミックの紹介が掲載されている。これを読んだジャーナリストで、アメコミ研究家でもある小田切博の名言を借りれば「山本弘流のクールジャパン」論が展開されたものである。確かに、山本は日本のマンガやアニメのアメリカにおける影響をわりとオーソドックスに書いているだけだ。ある意味、増田本と対照させるかのような論陣でもあろう。いわば「トンデモじゃない増田本」とでもいうべき山本の書きっぷりである。ただどこが「トンデモ」なのかまったく理解できず、アメコミのファンなら既知な内容を退屈に書いているだけの代物である。この程度でアメコミを語れるならば、その理解は底は浅いといわざをえない。
唐沢に至っては、いまだにコミックコード(アメコミの過激な内容を取り締まる規制)が50年代半ば以降のアメコミ産業を壊滅させたというよくある凡庸な俗説を採用している。これは(増田本から刺激をうけた私の)最近の研究では、コードの設定よりも、むしろ自主規制を盾に一部の出版社が「カルテル」を形成したための競争市場の崩壊の結果である、と考えるのが自然である。こういったおよそ「通」でも専門的にも未熟な人たちが「トンデモ」ブランドだけに依存して、凡庸な視点からアメコミの紹介をすることは本当に不幸なことであろう。
 ところで増田本のマンガやアニメ産業への経済論的視点はもっと重要視されていいだろう。例えば、名著として名高い中野晴行の『マンガ産業論』(筑摩書房)や、中村伊知哉の『日本のポップパワー』(日本経済新聞社)などには、高付加価値産業の育成の必要が説かれている。これらの両者は非常に参考になるのだが、残念ながら高付加価値をもつ産業を目指すことが、必ずしも他国に比較して日本のマンガやアニメ産業を育成することには繋がらない。なぜならば高付加価値産業の典型は重厚長大な造船や鉄鋼業などであり、そういった産業がもつ性格を目指すことは、どう考えてもトンデモな発想に思えるからである。
 いま一度、「と学会」の評価はさておき、増田本を再評価することは日本のサブカルチャーを豊かにするだろう。


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