韓リフの過疎日記

経済学者田中秀臣のサブカルチャー、備忘録のための日記。韓リフとは「韓流好きなリフレ派」の略称。

宇野常寛『ゼロ年代の想像力』と山形・稲葉の新教養主義

2008-08-27 03:26:52 | Weblog
 何度もアマゾンのおすすめに出てきたのでたまたま書店で手に取る。毎回思うが、「時代」を語る上で必修である経済問題に対する想像力というか理解というか知識というかが、この種の論者には決定的に不足していることだ。

 それは単純に不勉強だからだろう。どんなに取り繕ってもこの不勉強は今後この若い論者の可能性の足枷になる。本人が「時代」と格闘しようとすればするだけこの取り繕いが彼の論説の限界を設定していく。それは高原基彰氏にも感じたことだ。それは残念なことだ。いや、むしろ僕はその不勉強ぶりを少し怒ってもいる。

 例えば、その想像力、理解、知識の不足をなんとか補っても、話はよくあるパターン(小泉政権がもたらした構造なんとかのなんとか変化というベタなストーリー)に落ち込むのがせきのやまだろう。

 以下に引用するように、「想像力、理解、知識の不足」は、例えば本書の基本的な認識を奇妙なものにするのに十分である。

「この「一九九五年前後」の変化はふたつの意味において性格づけられる。それは「政治」の問題(平成不況の長期化)と、「文学」の問題(地下鉄サリン事件に象徴される社会の流動化)だ。前者は、この時期がバブル経済崩壊を発端とする「平成不況」の長期化が決定的になり、戦後日本という空間を下支えしてきた経済成長という神話が崩壊したことを意味する。つまり「がんばれば、豊かになれる」世の中から「がんばっても豊かになれない」世の中への移行である」(本書14頁)。

 そしてもうひとつの変化は、著者によれば、地下鉄サリン事件に象徴される社会不安だそうである。

 また同時に、この95年は想像力でも注目すべき年であった。なぜなら、古い想像力を代表する、エヴァンゲリオン(95~96)が放映されたからである。『エヴァ』に展開された「引きこもり/心理主義」=「世の中が不透明で間違っているから何もしないで引きこもるである」という態度が、そのような「古い想像力」の内実であった。

 それが2001年前後、このエヴァ的想像力は解除されていった、と著者は指摘している。

 「世の中のしくみ、つまり「政治」の問題としては、小泉構造改革以降の国内社会に「世の中が不透明で間違っているから何もしないで引きこもる」という態度で臨んでいたら、生き残ることはできない。自己責任で格差社会の敗北者を選択したと見做されてしまう」(本書18頁)

 したがってこの生き残りを賭けた不可避なゲームに否応なしにわれわれは参加しなくてはいけない、という日本のバトルロワイヤル化とでもいうべき意識が芽生えた。そしてこのゲームに生き残るという意味でのサヴァイヴ感が生んだ新しい想像力が誕生した。

「世の中が「正しい価値」や「生きる意味」を示してくれないのは当たり前のこと=「前提」であり、そんな「前提」にいじけて引きこもったら生き残れないーーだから「現代の想像力」は生きていくために、まず自分で考え、行動するという態度を選択する」(本書、21頁)

 さて著者が、95年に注目したのは、日本の経済(本書ではなぜか「政治」の問題に還元されている)を考える上では確かに重要である。もっとも宇野氏のように経済のあり方の構造的な変化(「がんばれば、豊かになれる」世の中から「がんばっても豊かになれない」世の中への移行である」)とは考えていない。08年の現在でさえも潜在成長率は80年代にくらべてさほど低下していないし、マクロ経済状況さえ好転すれば80年代とさほど変わらない成長率を実現できるだろう。

 では、なぜ95年は重要なのか? それは日本の経済論壇のみならず、現在のアメリカの金融政策の動向さらには世界経済の行方にも大げさにいえば影響したある論文を読んでいれば明瞭である。その論文は、アメリカのFRBのスタッフたちが書いた論文「デフレ防止について:一九九〇年代の日本の経験からの教訓」(2002年)である。

 この論文は日本の長期停滞の原因を明記し、そこからデフレの危険に直面したときの中央銀行の望ましい政策について提起がなされていた。実際に02年当時のITバブル崩壊後のFRBの政策に大きく影響を与えた。いまのバーナンキFRBもこの論文が示した教訓に忠実である。

 さてその論文に95年のもつ重要な意味が書かれている。

「重要な知見は、かりに日銀が95年初めまでのどの時点においてもシミュレーションでモデルとされた程度の緩和策を取っていたら、物価上昇率は、プラスになって00年を越えていただろうということである。その意味においては、91年から95年までの間の日銀の政策スタンスが引き締めすぎだったことは明らかだ。しかも、この時期を過ぎると、政策金利はすでにゼロ近くまで下がってしまっていたから、金利を下げるだけでデフレを回避する機会は失われた」(邦訳、『エコノミスト』2002年8月20日号、91頁)。

 これぐらいは構造問題主義であってもおさえておくべきである。宇野氏のような構造的な変化を経済問題で語るのは正直マンネリであり(マンネリの度合いは実に半世紀以上のスパンのマンネリ度である。参照:『経済政策形成の研究』など)、むしろリフレ的な経済認識で「ゼロ年代の想像力」を語っていれば非常に僕個人は驚きまた新しい人がでてきたなあ~と思っただろう。

 たぶんこの種の論者は気がつきもしていない鈍感さを併せもっているのだろうが、リフレ的経済・社会の見立ては実は(日本を抜かす)経済学の世界では凡庸で一般的なものである。それに対して宇野氏のような解釈は日本では凡庸で一般的であるが、経済学の世界では特殊な見かたである。その凡庸さと特殊さの安易な地に多くの論者と同じように安住しているだけではないだろうか? その意味では「好きなもの擁護」であることは疑いない。

 さて本書を購入した理由は、そこに稲葉振一郎・山形浩生の新教養主義の評価と限界が書かれていたからだ。

1 評価:決断主義的に価値を選び取るしかない現代の子供に、大人(稲葉、山形ら)がその選択を柔軟に行えるような環境を提供することであった。

2 限界:性愛や死を語れない

 評価はそんなものかなあ、と思うが、ただ山形氏にせよ稲葉氏にせよ、彼らのマクロ経済に対する態度は、宇野氏流にいえば、子供たちに「特定の価値を選択すること」を求めているのではないだろうか? それはリフレという「特定の価値の選択」を意味しているのだ。

宇野氏のように、

:つまり「がんばれば、豊かになれる」世の中から「がんばっても豊かになれない」世の中への移行である:

とこの長期不況を考えず、彼らは日本銀行の失敗が解消されれば、かなり日本の経済は「がんばれば、豊かになれる」状態に復すると思っている。彼らの提供する環境には、反リフレや構造問題主義は選択肢としてはない。そして僕もそのような彼らの「環境」は「いい」と思っているわけである。だが思わない人は彼らの「環境」にはのれないであろう。ここには著者の言い方を真似れば、重要な価値の選択がすでに存在している。

2の山形、稲葉両氏の新教養主義は性愛や死を語れないだが、確かに山形氏はセックスが行為として苦手であるといっている(はずだ)。しかしチンコはたぎらせている(参照http://www.sbcr.jp/bisista/mail/art.asp?newsid=3300)。稲葉氏はやることはやっているのだが、確かに性愛に関する記述はないなあ。

 しかし宇野さん(いきなりここでさんづけかw)、僕も新教養主義の隊員といっていいでしょう。そうなればもう少し待っててつか~さい。予告を書いているmixi日記をお見せできないのが残念ですが、性愛と死が僕の次回作のどれかのテーマになっているでしょう。その意味では宇野氏の新教養主義の限界は、あくまで現段階で語れてない、という限定にしかすぎません。

(付記)考えてみたら、すでに性愛ネタ満載の『不謹慎な経済学』を僕は出してました 笑。(『不謹慎』を読んでないだろうかとというわけではなく)しかし宇野さんは山形・稲葉両氏の背後に膨大にあるリフレ派の文献をまったく参照しないで「新教養主義」を語ってるんですね。
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9 コメント

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Unknown (Fellow Traveler)
2008-08-27 10:31:07
私は、宇野氏は(1)人々の社会認識の変化をサブカル作品群を追っているわけで、(2)長期不況の原因や政治経済社会の変化要因そのものについては問題にしていないと読みました。「この「一九九五年前後」の変化はふたつの意味において性格づけられる。それは「政治」の問題(平成不況の長期化)と、「文学」の問題(地下鉄サリン事件に象徴される社会の流動化)だ。前者は、この時期がバブル経済崩壊を発端とする「平成不況」の長期化が決定的になり、戦後日本という空間を下支えしてきた経済成長という神話が崩壊したことを意味する。つまり「がんばれば、豊かになれる」世の中から「がんばっても豊かになれない」世の中への移行である」(本書14頁)というくだりも、人々がそう思っている、という次元の話だとおもいます。(1)については宇野氏はなかなかの仕事をしたと思います。田中さんの批判は(2)を気にするあまり、やや批判的にすぎないでしょうか。
Unknown (韓リフ)
2008-08-27 11:15:16
 「人々がそう思っている、という次元の話」は、例えばサヴァイヴ感の由来として本書の前提条件(環境制約)として採用されてます。そのような前提条件が誤っているという指摘は少なくとも著者は自覚的であるべきではないでしょうか?

 しかし本書では「人々がそう思っている、という次元の話」が未検証のまま安易に、想像力の変化の由来として前提されているだけです。そのためか本書では浅羽通明と稲葉・山形が(環境制約への認識が異なる=前者は昭和30年代主義、もう成長しないとみんな思う派、後者はそういうみんなの思いは誤りだと指摘する派)並列に語られてしまうことにもなるんでしょう。

 確かに(1)はいいんでしょうかれども正直にいって知ってる話題(素材)ばかりで新鮮味がないのです。個人的には関心のなかった宮藤の章が目新しいかな? という感じですね。手法的にもこれは伊藤剛さんのマンガ表現論の社会版だな、という感じでしょうか。この(1)はいろんな人に誉められるでしょうから、それは任せたいと思いますが、僕には著者の(2)に関わるよくある怠惰な態度の採用こそ見逃せないんですよね。
Unknown (カラス)
2009-06-08 22:52:47
http://www.shinshokan.co.jp/daikokai/index_daikokai.html

栗原氏が田中先生の議論を参考にゼロ年代の想像力の論評を書いています。かなりおもしろかったです。
Unknown (韓リフ)
2009-06-08 23:22:48
カラスさん、お久しぶりです。元気?

栗原さんの情報ありがとうございます。早速読んでみたいと思います。しかし『大航海」の他の寄稿者がなんとなく 苦笑
Unknown (カラス)
2009-09-18 01:36:19
http://mainichi.jp/enta/book/economist/

とりあえず生きているという感じです。

エコノミストで安達誠司氏の論説が目を引きますが宮台真司氏の対談で経済成長を捨てて貧しくても楽しい我が家、というすさまじいご意見が出ています。

神門氏の偽装農家に関するインタビューと『危機の真相』という大和総研のエコノミストが持ち回りで記事を書く連載がおもしろいです。
Unknown (韓リフ)
2009-09-18 05:20:48
いつも貴重なというか、いい話題をどうもありがとうございます。卒業生たちと同じくらいカラスさんのことも気にしているんですよ。BUNTENさんも(といわないと中高年見捨てるのか、と怒るので 笑)。

宮台氏の経済理解はよくは知らないのですが、『日本の難点』をいまぱらぱらみたら、彼の頭の中では、すでに「本来の」経済成長が「できない」という、いわゆる長期停滞論が前提に採用されているようです。成長するとすべて政府が支えてて将来財政赤字で超インフレになるか、あるいはバブルで支えるか、という選択肢しかない、と考えているのでしょう。思想系の人が好きな議論に、凡庸にも宮台氏も陥っているのでしょうね。
Unknown (カラス)
2009-09-21 00:13:30
気にしていただけてありがたいです。

東谷氏ネタ絡みで今週分のエコノミストでの斎藤精一郎氏の民主党への政策提言が財政一辺倒でかわらさなさに一貫性を感じてしまいました(笑)危機の深層で児玉孝が日本以外での各国の出口戦略を絡めて話を書いていました。
安達氏もそうですがインフレ懸念への過剰反応にどう対応するかが主要なテーマになりつつあるようですね。

東谷氏は西部氏が作った発言者編集長を務めて松原氏や師・西部とは関わりが深すぎて(考えも近いですが)論評ができないのではないかと思います。

宇野常寛『ゼロ年代の想像力』と山形・稲葉の新教養主義 (カラス)
2009-09-23 22:50:27
気にしていただけるだけでありがたいです。

エコノミスト今週分の斎藤精一郎氏が民主党への提言で財政政策のみで相変わらず変わってないようです。
危機の深層で児玉孝氏が欧米諸国が財政・金融政策をフル稼働して効き目が出てインフレ懸念が出て出口戦略のアナウンスを出している話はおもしろかったです。

東谷氏は師・西部が作った発言者で松原氏と関わりが深いためできないのかもしれないです。
諸君!で東谷・松原・宮崎哲弥(リフレ転向前)でエコノミスト批判をしていました。

宇野氏が新教養に挙げるべき進化心理学や行動分析学などの心理学(デヴィビッド・M・バス『女と男のだましあい』や『殺してやる』など性愛の話がけっこうあります)を完全に見落としているのもなんだかな、という気がします。
Unknown (カラス)
2009-09-25 17:04:52
http://www.gakusan.com/home/info.php?code=0000001855791


http://www.shinchosha.co.jp/book/603648/

参考文献に飯田先生・稲葉先生・岩田先生・田中先生・野口先生・原田氏、若田部先生、クルーグマンとリフレ派が多くいて驚きました。

原田氏の本はNIIKEINETのコラムやエコノミスト
のコラムをまとめたものですが新潮選書と目立たないところから出ています。

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