(有)妄想心霊屋敷

ここは小説(?)サイトです
心霊と銘打っていますが、
お気楽な内容ばかりなので気軽にどうぞ
ほぼ一日一更新中

新転地はお化け屋敷 第十一章 伸ばさない髪 二

2008-02-08 21:03:14 | 新転地はお化け屋敷
 すると庄子ちゃん、手をへらへらと振りながら、それまでの気さくな口調を手の動きと同じくへらへらしたものに変更。
「近くだから兄ちゃんもここに住んでるですよぉ。あの面倒臭がりがわざわざ遠くに引っ越すなんて考えられませんからねぇ」
 面倒臭がり……うーん、毎日ちゃんとジョン達の散歩に出てる辺り、そういうイメージはないけどなあ。口では「仕方なくやってんだよぉー」とか、たまにホザいてるけど。
「なるほどねー」
 まあ、でも。庄子ちゃんの大吾の扱いを考えれば。昨日初めて会ったばかりだけど、なまじ相手の大吾を知ってるから理解しやすいと言うか、ね。
「……兄ちゃんがあまくに荘に住んでるって気付くまでは、あたしもあそこを正直気味悪いと思ってたんですよ。近付いたら、誰もいないのに声が聞こえてくるし」
「――庄子ちゃん?」
 あまりに突然のトーンダウンだった。それが周りにいるかもしれない人達の耳に声を届かせないための配慮なのか、それとも……いや、それはまあいい。
 なんにせよ、話の内容は分かる。声だけが聞こえるって事は深く考えるまでもなくそういった事態が起こるだろうって事も、容易に想像できる。――が、その話をする意図が分からない。どう考えても重いその話を、何故今? 何故僕に?
「変、なんでしょうか? 自分の知ってる人が『そうなった』って分かった途端に、手の平返してそこに入り込むようになるのって」
「………………」
 相談されてて情けないけど、即答はできなかった。その話があまりに唐突だった驚きもあるし、ただ単純に返答が見つからなかったってのもあるし。
 うーん、そういった相談事は僕よりも家守さんとか清さんとかのほうが適任では……って、そりゃあ言える話題じゃないか。幽霊さん達本人にはもちろんあそこの管理人さんにだって、「自分がこのアパートを良く思ってなかった」だなんて。という事は、つまり――
「今まで誰にも、言えなかった?」
 庄子ちゃん、こくりと頷く。それによって僅かに揺れる二つの髪の束は、庄子ちゃんの息苦しさを表しているかのようだった。
 そうか、それで僕か。それで、僕しかいない今なのか。
「すいません。昨日初めて会ったばかりなのに、こんな」
「いやいや、それはもう全然構わないよ」
 力無く俯く庄子ちゃんになんとか顔を上げてもらおうと、せめて自分はどうとも思っていない振りをしてみせる。でもそれはやっぱり振りだけで、内心は相当焦っていた。それは、訊かれた事への返答が思いつかないから。
 僕なんかは元々あまくに荘の評判は知らなかったわけだし、幸運な事に――そう、幸運な事に幽霊が見える体質だったから、そして幽霊は普通の人達となんら変わりない姿だったから、庄子ちゃんのように悩む事もなく、のほほんと今まで過ごしてきた。
 でも、だからってそれが正しいかどうかと言われれば……むしろ、真剣に悩んでいる庄子ちゃんのほうが正しいのかもしれない。僕が庄子ちゃんのように悩まないのは性格云々じゃなくて、ただ感覚が麻痺しているだけなのだから。あまくに荘のみんながどんなに普通の姿で普通の生活をしていても、みんなが一度死んでしまっているという事実は動かないのだから。
 ……正直な話。栞さんが生前の話をしてくれるまでは、みんなが幽霊だという実感すらなかったと思う。
「庄子ちゃんは、変なんかじゃないよ。そう思わないほうが変なんだ」
 例えば、栞さんと怒鳴り合うまでの僕とかね。
「そう、なんでしょうか?」
「だと思うよ。みんなだって――」
 一応、辺りを見回す。交差点に立っているが故に見通しは良く、そして周囲に人影は無し。
「みんなだって自分が幽霊だって事を軽く捉われてるよりは、そっちのほうが嬉しいと思う。――だけど、その度に悲しい顔されたら困っちゃうかもね」
 家はすぐそこなのに、来たばっかりの庄子ちゃんがこの表情のままだったらみんなはそれこそ困るだろう。だからなんとか、どうにかして元に戻せないだろうか、と分不相応ながら頑張ってみる。
「それは確かに……そうかもしれませんね。あたしだって、兄ちゃんから――」
「ん?」
 実例がありそうな気配に首を傾げてみせると、はっとしたように「あっ」と声と顔を上げる庄子ちゃん。そして何かを誤魔化したいのが見え見えな早口で、
「あああの馬鹿兄ちゃん、こっちが真剣に悩んでるのすら口で説明しないと分かってくれないんですよ。それで昨日帰り際にちょっと怒鳴っちゃって、だから」
 帰り際……ああ。昨日栞さんの部屋にいた時、外から聞こえてきたのはそれか。
「あはは、いいよいいよ。――そろそろ行こうか?」
 全部言わせるのも野暮なので、適度なところで止めておく。と、若干顔を赤らめながら、再び俯く庄子ちゃん。漫画的な表現なら、頭から湯気が上がっている場面だろうか?
「……はい……」
 大吾の事、よっぽど好きなんだろうなあ。


 それじゃあ行きましょうかと進行方向に目を向けると、先程近くに人がいないかと辺りを見回した時から、ちょっとした変化があった。
「日向さん、あの人……」
 庄子ちゃんもあまくに荘正面のその変化に気付き、こちらに声を掛けてくる。人が立っているのだ。
 あまくに荘の前に人が立っていて、何やら文句でもありそうに複数で語らっているのは、見た事がある。今回もそういった類なんだろうか、とも一瞬思ったけど、
「中にボールが入ったとかかな?」
 若い。と言うか、どう見ても子どもだ。庄子ちゃんよりもまだ少し年下っぽく見える。そして複数ではなく、一人だけ。やや離れた所から一方的に眺めるその男の子の横顔は、庄子ちゃんの逆とでも言えばいいだろうか? 困ったように眉毛を八の字にしていた。
 容姿意外にもう一つ気になった事がある。それは、その立ち位置。あまくに荘がそんなに怖いのか、中を眺めながらも、その男の子が立っているのは道路を挟んだ反対側だった。
 奥様方が語らう時はもっと堂々と門前で、だったぞ少年。見習えとは言わないけど。
 いろいろと状況を確認している間にも僕達の足はあまくに荘へ向けて動いていた。なのでついにその少年の視界にも入り、
「あ……」
 そんな声とともに、少年のおどおどした顔がこちらを向いた。
 ……そんな反応されちゃあ、無視して中に入っちゃうのもなんだかなあ。
「えーと、ここに住んでる者だけど、何か用かな?」
 自分を「者」と称するのはなんだか無駄にご大層な気もしたけど、とにかくその少年の立っている道路の反対側へ歩み寄って、話し掛けてみた。
「い、いえ。何でもないですごめんなさい」
 すると少年。表情通りのおっかなびっくりな震えた声で平謝りすると、その場からすたすた歩き去ってしまった。
「『ごめんなさい』って事は、やっぱり良からぬ考えを巡らせてたんですかね?」
 その背中を見送りながら、庄子ちゃんが言った。
「さあ……?」
 僕にもさっぱりだよ。どっちかって言うと、良からぬ事があって困ってたふうに見えたよう……な、そうでないような。まあ、本人が何も言わずに行っちゃったからどうしようもないけどね。
 さて、じゃあ入りましょうか。


 掃除は終わってるんだろう。いつも「お帰り」と出迎えてくれる人の姿は庭になく、なので立ち止まらずに二階へ直行。「それじゃあ――『また後で』になるかもしれませんが、ひとまずさようなら」「あはは、そうだね。さようなら」
 という事で、大吾の部屋の前で立ち止まった庄子ちゃんとの一旦なのかもしれない別れを経た僕は今、自室の床に寝転がっています。
 あー、本当疲れるなあ講義受けるのって。運動量で言ったら適当な散歩にも及ばないだろうに、なんでなんだろう?


「お邪魔するよ~」
「邪魔すんなら帰れ」
「黙れ」
「……………」
「んな事よりさ、すぐそこで日向さんに会ってね」
「ああ、じゃあなんだ、アイツも帰ってきたのか。――どうする? みんな呼ぶか?」
「まあまあ。日向さんは学業が終わったばっかで疲れてるだろうし。それに、変な話しちゃったからちょっと顔向けし辛いかも」
「変な話ってなんだよ?」
「優しい人だよね、日向さん」
「いや、だから何の話だよ?」
「あれなら栞さんが好きになるのも分かるよ」
「おい、聞いてるか?」
「…………誤魔化そうとしてるのに気付けよ馬鹿兄貴。しんみりさせろよぉしんみりしたいんだよぉ」
「んだそりゃ。誤魔化すくれーなら最初っから言うなよな面倒臭え」
「分かってないなぁ。深くは踏み込まれたくないけど報告はしたいって思うこの気持ち、自分の経験を振り返って心当たりはない? あるっしょ?」
「全然。つーか言ってる意味がイマイチ分からねえ」
「はぁ。だぁよねー、思った事すっぱすっぱ言っちゃう考え無しだもんねー。深いところなんて自分から曝け出しちゃうもんねー」
「……来て早々からウザいなおい」
「でも成美さんは、兄ちゃんのそういう分かりやすいところが好きなんだったりしてね」
「なっ!? きゅ、急に何言ってんだよオマエ」
「言い方を変えれば、扱いやすいって事かな? しっかり者の成美さんにはピッタリだね」
「……あー、もういいもういい。オレ、誰か呼んでくるわ。一人でオマエの相手すんのは無理だ」
「へへ、行ってらっしゃい」
「ちっ」
「……いつも来る度に思うんだけどさ」
「ああ? まだなんかあんのかよ?」
「あたしが――いや、あたしに限らずお客さんが来る度にみんなが集合するって、ここってちょっと変わってるよね」
「そうか? ……まあ、みんな暇なんだからしゃーねえだろ」
「あたしはここのそういうところ、大好きだよ」
「今更なんだよ? もうここに来るようになって随分になるだろうが」
「深い所には踏み込まないで、気にせず行ってらっしゃい」
「じゃあ最初から言うなっつってんだろ」


 十中八九、大吾と庄子ちゃんのどちらかが僕を含めたみんなを誘いに来ることだろう。なんせ庄子ちゃん本人が「また後でになるかもしれませんが」って言ってたんだから。
 つまり、今こうして部屋でのんびりしていられる時間はあと少し。
 ――いや、それが嫌だってわけじゃないんだけどね。ただ中途半端に残された時間をどう過ごせばいいのやら、と。いつ呼びに来るのかも正確には分からないんだし、実行途中で中断されても特に問題の無い作業をするべきだよね、こういった場合は。
 で、じゃあそれって一体なんなんだって事になるけど……
 ヒントはないかと適当に部屋を見渡してみると、目についたのは床に放り投げっ放しのカバン。中身は当然、手を痛めて毎日様々な事を書き留めているノート群と、教科書数冊(本当に買う必要があったのかどうか疑わしくなるくらいに先生が「これは使いません」と断言していた物を含む)。それらのヒントから何を思いつくかと言えば――
 復習でもしとこうかな。ぶっちゃけ講義中は手を動かしてるのにいっぱいいっぱいで、聞かされた情報が頭に殆ど残ってないし。
 というわけでカバンからノートと、ついでに講義中に全然使わないらしい教科書を取り出してみる。講義が始まったのが今週からなのに講義で使わなかったので、この教科書はまだ一度も開いた事がない。ではどんな事が書いてあるのかと最初のほうをパラパラめくってみれば、聞いた事のあるようなないような、な話がつらつらと書き連ねてある。そのぼんやりした記憶をはっきりさせるために同じ講義のノートを開いてみれば、まさに今教科書で確認した内容が纏めたような形でずらずらと。当たり前だけどね。
 ぱっと見て「ああこれはここの話か」とすんなり分かるものもあれば、何度も見比べてようやく「これ、もしかしてここの話かな……?」とぼんやり分かってくるものもある。パズルのピースを探しているようで、意外と楽しいかもしれない。身に付くかどうかは別として。
 しかしそんな勉強法も、講義一回分のノート量では長続きしないのは当然の話。講義中は「どれだけ書くんですか」とか思ってたくらいなのに、随分あっけない。
 これ以上やると予習になってしまうので、当初の目的が復習であった僕はさっさと次のノートを取り出した。が、
 ピンポーン。
 ……との事。乗ってきたところだったけど、暇潰し目的だったし別にいいか。とか言ってこれ以降進んで勉強なんかしないんだろうけど、チャイムが鳴った以上は仕方ないよね。
「はーい」


「二十分ぶりくらいですかね? 日向さん」
「うーん、それくらいなのかなあ」
 久しぶりに自発的な勉強をした身としては、もう少し長かったのだと思いたいよ。
「なんだ日向。先に会っていたのか?」
「じゃあ二十分くらい遅れて、になるのかな? お帰りなさい、孝一くん」
「ワンッ!」
 この部屋から順々に人を呼べば、一番奥の僕の部屋が最後になるのは自明な事。なのでチャイムを鳴らした大吾に通された202号室の居間には、既に赤カチューシャさんと猫耳さんと犬耳くんのお三方がぺたんと座り込んでいた。
 猫耳さんは庄子ちゃんが来てるから耳出し状態って事なんだろうけど、昨日買った帽子は着用してないそうで。まあ室内だしね。
「見落とされているかもしれないが、私もいるんだよ? 孝一君」
 ただいま、と冷静になってみればやや恥ずかしい返事をしそうになったその時、テーブルから声がした。……いや、正確にはテーブル上の非常に小さいおじさんがそう喋った。
「見落としてましたよフライデーさん。こんにちは」
「そこは否定してくれたまへよ孝一君……よよよ」
 相変わらず顔から何から一切合切微動だにしないけど、それでも口調にはしっかりとショックを受けた事が表れる。金曜日担当のフライデーさんは、そんなお茶目なセミの抜け殻さんです。
「それはそれとして、昨日はサーズデイがお世話になったね庄子君。君が帰った後も随分とご機嫌だったよ」
 自分の真横に座っている庄子ちゃんへ低空ホバリングで向き直りながらそう言うと、「……いや、今もそうなんだとさ」と付け加えるフライデーさん。どうやらサーズデイさんに異議を申し立てられたらしい。
 すると隣にお座りしているジョンの背中を気持ちよさそうに撫でていた庄子ちゃん。その手を引っ込め姿勢を正す。
「あ、そんな、こっちこそ。あたしも昨日はたっぷり楽しませてもらいましたし」
 おもむろに栞さんの隣へ腰を降ろしながらそんな応酬を耳にして思ったのは、「フライデーさんには敬語なんだ」という事。僕にもそうなんだけど、それはまあ庄子ちゃんからすれば会ったばっかりの年上だからって事もあるんだろう。思い出す限りでは、栞さんやサーズデイさんにはそうでもなかったし。
 となるとフライデーさん、あと成美さんも、だったっけ? 僕と違って付き合いも長い筈なこのお二人に庄子ちゃんが敬語なのは――人柄かな、やっぱり。
「清一郎君が出かけてしまって暇だったのだよ。こんなセミの抜け殻風情に声を掛けてくれてありがとうね、大吾君」
「明るい口調で卑屈になんなよ」
 言いながら、僕を連れてきてから立ちっ放しだった大吾もようやく腰を降ろす。
 せっかくの感謝の言葉だったのに言葉尻を捉えて無下にするのはどうだろう? まあ、その意見が間違ってるとも言わないけどさ。
「照れんなよ兄ちゃん。褒めてもらえる事なんて滅多にないんだからさぁ」
「誰のせいで『滅多にない』なんだよ。褒められねえ比率上げてんのはオマエだろ」
「そのおかげで、たまに褒めてもらえたら嬉しいでしょ? 素直になりなよ」
「ワンワン!」
「……………」
 ジョンにまで加勢されて不利だと判断したのか、大吾は無視を決め込んだようだ。そして自分が吠えた途端に相手が機嫌を損ねてしまったジョンは、「クゥ……」と寂しそうな顔をする。
「ジョンが落ち込む事はないよ~」
 庄子ちゃんはそんな丸められてしまったジョンの背中を元気付けるように撫で、それからぎゅっと抱き付いた。なんせジョンは結構な体格を持つ犬でして、懐に収めると言うよりは本当に「抱き付ける」大きさなのです。それでもって大吾が毎日きちんとブラシ掛けをしているその薄茶色い体毛は、毎度毎度見るからにふさふさ且つさらさら。
 つまり、僕もやってみたいなあ、と。
 ――年を考えたら気が引けるんですけどね。自分がジョンに頬擦りしてるの想像したら居た堪れなくなりますし。
 そんなジョンと庄子ちゃんを目にしたフライデーさんは、
「ああ、羨ましいねえジョン君は。私も体が大きければそういう大胆なスキンシップも図れるというのに」
 瞬間。部屋、凍り付く。何故なのかは誰も言わないけれど。
「おやおや、みんなして固まっちゃって。……いいさいいさ、どうせ私が大きくなっても気味悪いだけさ」
 ジョンに抱き付いていた庄子ちゃんは身を離し、僕を含めた他のみんなは縮こまり、凍りついた部屋は更に硬度を増した。
「でも安心したまへ。そんな事はあり得ないからね」
 そう言えばなんで時々「したまえ」じゃなくて「したまへ」なんだろうとかいう疑問はすっ飛ばして、あっと言う間に陽気なおじさん口調へ戻ったフライデーさんに、一同揃って強張った身がほぐれる。
「やだねえみんな。いい年してそんな事で落ち込む筈ないじゃないか」
 もちろんその、フライデーさんに失礼を働いたんじゃないかってのもあるんですけど――いや、羽化した抜け殻の年齢云々は実のところどうなのか分かりませんけども――大きくなったフライデーさんのリアルな節々が与えてくる精神的ダメージのほうが……
 はい、ごめんなさい。失礼千万でした。
「程度に差こそあれ、規格外に大きくなったら何でも気味が悪くて当然なのだようん。そして私は――と言うか、セミの抜け殻はこのサイズが適当なのだね。だから……さあ! このサイズの私を可愛がってくれたまえ! どうだね庄子君!?」
「ワフッ」
 興奮する小さなおじさんに興味を惹かれたのか、ジョンがフライデーさんの目の前へと自分の前足を差し出した。それはまるで、「お手」そのもの。
「……え、えーと、ジョン君?」
 まるで自分の言葉に応えたかのようなその完璧なタイミングにフライデーさんが驚き、ふわりふわりとゆっくりゆっくりジョンへ体全体を振り返らせた。
「お望み通り、可愛がってくれるそうだぞフライデー。甘えてみたらどうだ?」
「ジョンは優しいねー」
 成美さんと栞さんに後押しされてしまい、自分から言い出した以上は引けなくなったフライデーさん。「むむぅ……」と苦々しく唸ると、ゆるゆるとした超低空飛行でジョンの前足の上に着地。さあどうなる。
 部屋中の視線が集まる中、ジョンはフライデーさんに顔を近づけていく。特に急ぐでもなく、かと言って遅いわけでもなく。そうしてなんでもなさそうに鼻先と前足でフライデーさんを挟む寸前になったところで――
 ぱく。
「あっ」
 なんとも間の抜けた声を上げるフライデーさんはその瞬間、見事にジョンの上顎と下顎の間に収まっていたのでした。
「おお、おいおい。本気で噛むなよジョン」
 これはさすがに焦りを感じたか、大吾がテーブルの向かい側からやや身を乗り出す。
「ははは、心配はいらないと思うよ?」
 しかし咥えられている本人さんはそう笑い飛ばして涼しい顔。……いや、顔は変わってないんですけどね。
「え? 今、どうなってんの?」
 フライデーさんを視認できない庄子ちゃんがうろたえている間に、ジョンはフライデーさんをどこかへ運ぼうとする。しかしその動きはお座りの姿勢のままで行われ、つまり運ぶ先はすぐ近く。
 その行き先は、向かい側に座る僕にはテーブルの縁に隠れて直接見る事はできなかったけど、位置関係からすれば庄子ちゃんの膝元。ここへ来た直後に見渡した時の記憶を辿れば、両足を横に流すといういかにも女の子らしい座り方をしていたその膝元へ――
 とかいう情報はまあいいとして、お辞儀をするように下げられたジョンの頭が再び上がってみれば、その口は既に閉じられている。それを見て「フライデーさんが食べられた!」とは、もちろん思わず。
「一応申告しておくが、私は今、君の膝の上にいるよ」
「あ、え? それじゃあもしかして、ジョンの口で?」
 謎の行動(庄子ちゃんからすれば)をしたジョンをぽかんと見ていた庄子ちゃんは、言われてやっと気付いたのか、声がした方向へ顔を下げる。どうやらセミの抜け殻というのは、膝に乗せられても気付かないくらい軽いらしい。そりゃそうか。
「涎でベトベト、というわけではないから安心してくれていいよ」
「ワンッ!」
 フライデーさんの言葉に同意するようなタイミングで吠えたジョンは、舌をぶらぶら尻尾をふりふり。それを見て静かに微笑んだ庄子ちゃんは、ジョンの頭に手を伸ばす。そうして頭を撫でられている間、ジョンはとても気持ちよさそうに目を細めるのでした。
 もしかして、庄子ちゃんも大吾と同じように動物に好かれたりするのかな?
「で、これはつまり『庄子がフライデーを可愛がれ』という事なのか?」
「あはは。そうなのかもね」
 栞さんと成美さんはそう言って顔を見合わせるけど、それはもちろん軽口なのだろう。
 ジョンは犬だから当然、日本語は分からない。ただフライデーさんが庄子ちゃんの名前を呼んだ事に反応して、その膝元に送り届けたってところだろうか? それがたまたま、話の流れに沿ったような行動だっただけで――と考えるのは、少々現実的に過ぎるね。
「えーと、膝の上……なんですよね」
「そうそう、ちょうど足の間くらい。――ああ、もうちょっと前」
 フライデーさんを潰してしまわないよう慎重に探っているのか、範囲を考えればすぐ分かりそうなものなのになかなか見つけられない庄子ちゃん。フライデーさんからまるで夏場のスイカ割りのような指示を受けつつ、ようやく摘み上げたら今度は、
「で、どうしましょうか?」
 だよねー。
「まあ、適当に頭の上でも服の上でも自由に乗せてくれたらいいよ。……踏まれたりすると危ないから、できるだけ高い位置が望ましいがね」
 ジョンの厚意の手前、テーブルの上に戻るという選択肢は浮かばないそうで。
「じゃあ……えっと、この辺りでどうでしょう?」
 頭の上は避けるべきと判断したのか、庄子ちゃんはそう言いながら胸の辺りへフライデーさんを押し当てた。結果、ワッペンのようにぺたりと頭を上にして張り付くフライデーさん。
「おお、これは……清一郎君の時より楽だね、やはり」
「へ? 何の話ですか?」
 やっぱり微動だにせず何かに感心し始めたフライデーさんを、庄子ちゃんが至近距離からきょとんとした表情で見下ろす。
 確かに、清さんの胸に同じようにしてしがみ付いてた事はあったけど……?
「いやあ、こうやってしがみ付くのがね。男性はやはり垂直になってしまうからねえ」
「フライデー!」
 言われた瞬間に硬直した庄子ちゃんに変わって、怒声を上げたのは成美さんだった。
「え? あ、ありゃ? 私は何か変な事を……?」
 変じゃないです。変じゃないですよフライデーさん。女性の胸が垂直でなくなってくるのは極々自然な事で、そこにもたれ掛かればそりゃあ男性の絶壁にぶら下がるよりは楽な事でしょう。
 ただ、人間はあまりそこを意識したがらないと言うか――と言っても人や状況によるんですが、まあ、そういったややこしい事柄に分類される話なわけですよはい。


コメントを投稿