大吾の妹さんとの初対面を経て、本日はその翌日にあたる金曜日。そして今は大学の三限が終了した直後。
こんにちは。203号室住人、日向孝一です。
「んじゃお先にー」
「うん。お疲れ様、明くん」
先日と同じく四限まで講義がある僕は、つい最近知り合ったばかりの友人に別れを告げて告げられて、「自分はここにあと九十分残るのだ」という自覚が強まった挙句にうんざりさせられます。
と言っても大学全体の講義開始が今週の火曜からなんで、もちろん次の講義も受けるのは今日が始めて。そんなわけで、あまり悪い方に考えるのも止めておこう。もしかしたらあんまり手を使わない講義かもしれないし。
このまま校舎から出て自転車置き場へ向かうのであろう友人の背中を、廊下の分岐路から眺めながら、一人そんな事を考える。栞さんも掃除があるからって言って帰っちゃったし、会話相手がいないのはちょっと寂しいかな。
……まあ、講義を受けるんだから会話も何もないのが普通だけどさ。
階を変えて次の講義が行われる教室に到着し、その数種類ある部屋の作りの中で最も狭い作りであり、かつ校内に最も数が多いパターンの作りでもある教室のドアを開く。
と、
「あっ。二、三日ぶりねえ! ええっと」
「日向さんですよ由依さん……。あと……前に会ったのが火曜でしたから、三日ぶりです……」
開いたドアのすぐ傍に、見覚えのある顔が二つ。ちなみに、声にも聞き覚えがある。
僕の名前を忘れてしまったらしいほうの、前髪を後ろに流したおでこが印象的な女性が、確か――異原さん。下の名前はもう一方の女性が今言った通り。
そしてその「もう一方の女性」。すなわち口元以外、上から下まで真っ黒なこの女性の名前は、不確かになりよう筈もない。なんと言っても高校時代のクラスメートであり、時間的にも栞さんの存在的にも今更ではあるが、密かに心を寄せていた人物なのだから。
……まあ、そちらからすればなんでもない、ただの「男子の一人」だったんでしょうけどね。
「三日ぶりです。異原さん、音無さん」
「復唱しないでよー。いいじゃないの一日くらい」
返す返事に掴み程度のトゲを忍ばせてみると、見事に乗っていただけた。
繰り返した通り、三日前。「自分でもなんだかよく分からない感覚」について相談されるというなんとも奇妙な、普通の感覚からしたら「この人、危ないんじゃ?」とさえ思ってしまいそうなファーストコンタクトではあったけど、それでも――なまじその感覚の正体を知っているから――この人達には、なんら不信感が沸いてこない。少なくとも、軽いジョークを吹っ掛けてみようと思える程度には。
そんな事を考えながら、二人が座る席の一つ前に腰を落ち着けた。三人掛けの横長な机に一人というのは、やっぱり横方向がちょっと寂しい。
「ん? 今日はあの感じがしないわね。んー、本っ当、あれって何なのかしら」
「ここ最近……気にしっ放しですよね……日向さんに会ってから……」
「そりゃもうそうよ当たり前よ。生まれてこの方ずーっと分かんなかった疑問の答えが目の前にあるんですもの」
という会話が後ろの席でなされると、「今回は横でなく後ろが賑やかだなあ」というゆったりのんびりな実感と一緒に、「本当の事を教えられなくて申し訳無い」というひっそりじんわりな後ろめたさが滲み出してくる。
まあ教えられないって言うか、正直に言ったらわざと教えてないだけなんだけどね。それなりに理由があるとはいえ、口は自由に開くんだから。
「――まあ、その答えが解読できないわけだけどもね」
意地悪い口調でそう言いながら、体を横の席に、顔を後ろの席に向けている僕へ、異原さんがじろりと視線を纏わりつかせる。
「あはは……。すいません、お役に立てなくて」
「いえいえ。普段はそれほど気にしてる事でもないしね」
知っている答えの代わりに、僕が言えるのはこれくらい。
そんな苦し紛れに近いような返事ににこりと微笑む異原さんに続いて、
「さすがに……慣れちゃいますよね……」
音無さんが同じく口元を緩ませる。
音無さんの顔は、その半分以上が前髪に隠れて口しか見えない。なので、普通ならあまり目立たない程度の控えめな変化でしかなさそうなその口元の変化も、見た瞬間に「ああ、今これ笑ってるな」と判断ができた。
もっとも、それがなくても若干弾んでるその声で判断は付いただろうけど。
「そりゃあそうだわよ。物心ついた時からずっとなんだもの、適当に落とし所作っとかないと悩み過ぎで禿げるわよ胃に穴が開くわよ」
からからと笑いながら頬杖をつく異原さん。こうして笑えるようになるまでは大変だったんだろうなあ、と思ったところで――
もしも幽霊が人と少しでも違う姿をしていたのなら、僕も異原さんと同じように小さい頃から気にしたんだろうか? 自分が見ているものは何なのだろうか、と。それを考えると、今までなんとも思わずにやり過ごしてきた赤の他人さん達の中にどれだけ幽霊がいたのかなあ、なんて。
……でも。それを気にしたところで、幽霊はやっぱり生きてる人となんら変わりない人達なんだよね。姿だけじゃなくて、その中身も。だから少なくとも姿を見る事ができる僕や僕と同じような人達は、幽霊を特別視するほうがおかしいのかもしれない。事実、みんな特別視なんかさせてくれる暇もくれないくらいに普通だし。
そんな事を考えている間に講義開始のチャイムが鳴り、そして相も変わらず右手をさっさか動かしてる間に、九十分が経過。
と言ってしまえばあっと言う間っぽいけど、そんな筈もなく。こりゃあ持つ所が硬いシャーペンとか使ってたら、ペンだこができるのも早いんだろうなあ。
「やー、終わった終わった」
「お疲れ様、でした……」
持つ所が柔らかな我がシャープペンシル(他より数十円高かった気がする)を筆入れに仕舞っていると、後ろから開放感たっぷりの伸びやかな声と、それに応じる抱擁感たっぷりのゆったりした声。そしてそれに続いて呼びかけが。
「ねえねえ日向くん。あたし等はこれで終わりなんだけど、日向くんは?」
「あ、僕もこれで終わりです」
「ふーん。そんじゃあ校門までご一緒しましょう」
「喜んで」
その返事と同時に帰り支度も済み、三人揃って立ち上がる。
――ん? 「校門まで」って事は、異原さん、僕がどこに住んでるか知ってるのかな? でも、前に会ったのは公園でだし…………ああ、そうか。あの日は大学出た所から公園まで、ずっと尾けられてたんだっけ。
そう考えを進めていくと、頭に浮かぶのはその尾けてきた人達の顔。途中からは音無さんが自転車で、だったんだけど。
「あの、口宮さんと同森さん――でしたっけ? 今日は一緒じゃないんですか?」
僕は気付かなかったけど、音無さんが自転車で駆けつけるまで、足を使って追ってきていた人達がいる。男性二人、プリン頭さんとジャージさんだ。そしてそのお二人は、今いない。
「同森さんは……この時間、違う講義を取ってるんです……」
歩く場所が室内から廊下へと移り変わり、三人分の足音が若干その音を変えると、音無さんが変わらぬ口調で答え始める。今関係無いけど、子守歌とか上手そうな声だなあ。
そんな本当に関係の無い感想は置いといて、答えの続き。
「口宮さんは……今の講義を取ってはいるんですけど……」
「サボりやがったわね。まあ、出席取らない講義だったからそれでもいいんだろうけど」
音無さんが核心に入ろうとしたところで、それを異原さんが見事にかっさらってしまった。音無さんのゆったりした進行に辛抱できなくなったのか、それとも口宮さんのサボり行為に言及したかったのか、どっちなんだろう。どっちでもいいね。
「あんまりこういうのを参考にしちゃ駄目だわよ? 一回生諸君」
これまではっきりとは意識してなかったけどそう言えば上級生な異原さんのその助言に、一回生二人組、ここは素直に頷いておく。例え本心は「あ、それいいな」と思っていても。
「出席点が無いならサボっても問題無さそうだけど、出席点が無いって事は試験の点だけで単位が貰えるかどうかが全部決まっちゃうって事だからね。試験当日だけ現れて、試験開始から十五分後、退室許可が出た途端に速攻教室を出る羽目になる馬鹿は、見てて面白いわよ滑稽だわよ」
あ、それよくないな。
「由依さん……つまりそれは、去年の試験で口宮さんが……」
先輩の助言から間を置かず、音無さんが出てもいない個人名をおずおずと切り出した。対する異原さん、丸出しのおでこにやれやれと手の平を押し付ける。
「反省しないわね、あの馬鹿は」
異原さん達の中で、馬鹿というのはどうやら個人名と同義らしい。……まあ、うちもそんな感じのがいるんですけどね。うーん、集団っていうのはどこでも似たようなものなんだなあ。
さて、そんな事を考えたりしていると、後者の出入り口に到達するわけですよ。それ自体はまあ取り立てて解説するほどの事じゃないんですけど、その出入り口のすぐ傍に見覚えのあるプリン頭さんとジャージさんが。
「あっ、テメエ! じゃねえ、お前!」
どっちもあんまり変わってないような気がしますが、
「どっちも変わらんじゃろが。人を指差すな口宮」
ああ、冷静な突っ込みありがとうございます。それで僕、この人に突然指差されるような事しましたっけ? えーと、同森さん。
「また会ったの。日向君じゃったか? あの日は本当、追い掛け回してすまんかったの。特にこの勢い任せの短絡思考が」
同森さん、人を指差すなと言った割に自分も人に指を差す。指された人はもちろん――もちろんと言うのも失礼っぽいけど――口宮さん。
「何だと哲郎テメエ! 追っかけてた奴を追っかけて何がおかしいっつんだよ!」
「結果を考えればおかしいのは自明じゃろが。引き止めるだけなら普通に話し掛ければいいものを、全速力で追いかけてすっ転んで鼻血噴いたのはお前さんじゃろ?」
「だからあれは足が急に――!」
栞さんが大声で謝りながら足払いを掛けていた場面を連想させる会話に、この場をどうしたもんかと思案してみる。が、十秒あるかないかの短い時間では大した案は出てこない。
――が、そう思った途端に二人の言い争いはストップした。と言うか、ストップさせられた。口宮さんの顎を上下纏めて鷲掴みにする、異原さんの手によって。
「サボり魔は静かにしなさい黙りなさい。――あんたねえ、また単位落とすつもり?」
手をそのままに話し掛ける異原さんは、あからさまに呆れた――と言うより最早軽蔑していると言ってもいい程に歪められた顔を、ぐぐいと口宮さんに近付ける。おでこがおでこなので、そのまま頭突きに持っていったりしたら痛そうだなあ、なんて思ったのはまあ置いといて。
それに口宮さんは表情を変えずに反論するが、口が塞がったままなので何を言ってるのか全く分からない。むうむうむむむー、みたいな。
「黙りなさいって言ってるでしょ」
自分から尋ねといてそりゃ酷いんじゃないでしょうか? と思ったら当然口宮さんもそう思ったらしく、「ぐむ……!」と声を荒げる。
が、それも一瞬だけ。高圧的な異原さんに何を思ったか、嫌そうな顔をしつつもそれきり本当に黙ってしまった。
近付けた顔を離してその様子を数秒窺うと、ぱっと表情を明るくした異原さんが手を放す。その表情が意味するのは、勝ち誇りなのだろうか?
「さて、静かになったところで行きましょうか」
ううむ、この力関係は大吾と成美さんを連想させるなあ。
せっかく一緒に帰る事になったと言っても、校門は目と鼻の先。「校門までご一緒しましょう」との事なので、恐らくそこでお別れって事なんだろう。
「おい、日向くんよ」
「あ、何ですか?」
と思っていると、それまで黙ったままでいた口宮さんから声を掛けられた。ちょっと怖い。
「前公園で会った時に言ってたらしいけど、確か音無と同じ高校出身なんだよな?」
「ええ」
と言われれば、どうしてもその高校当時の状況が頭に浮かんでしまうわけでして。ええ、もちろん隣の席にはまだ顔を出している頃の音無さんが静かに座っていて、僕は時折そっちをちらちら見ていたりするんですよ。……我ながら気味悪いですね。
「それなら哲郎もそうな筈だぞ。こいつ、音無と同じ高校だし」
「え、そうなんですか?」
哲郎ってつまり、同森さんですよね? まあ、僕と口宮さん以外では男がもう同森さんしかいませんから確定ですけど。
という事でその哲郎さんを振り向いてみると、
「うむ。まあ、学年が違うし会った事も無かったからの。あまり意味も無さそうな接点じゃが」
とのお返事。
なんとなんとこれはこれは。確かに上級生故か全く顔知りませんでしたけど、珍しい出来事は続くものですねえ。
「それで……私、もともと哲郎さんとは知り合いだったので……ここで会った時は驚きました……」
「それで同森くんから紹介されて、あたし等と知り合ったってわけだわね。いやあこんな堅苦しくて暑苦しそうな男にこんな可愛くて面白そうな女友達がいたなんて、意外だったわよびっくりしたわよ」
珍しい、なんて思ったところ、音無さんと異原さんによって、その珍しい出来事は更に広がりを見せる。
「意外とはなんじゃ失礼な。家が近所だったってだけなんじゃから、わしがどういう男かなんて関係ありゃせんわい」
同森さんは憮然とした態度でそのたくましい両の腕を胸の前で組ませ、
「あ、あ……あの……由依さん……そんな、事は……」
音無さんは口をあわあわさせながら、その元からか細い声を更にか細くさせた。どうも「可愛くて面白い」という評価が受け止めきれないようで。
可愛い――というのはまあ、以前憧れていたという実体験を基にすれば否定しようも無い。では、面白いうというのは? ……やっぱり、格好なのかな。栞さんが気に入ってたみたいだから自分の感性にちょっと自信が持てなかったりとかもしたけど。
「家が近くって事は、二人は幼馴染だったりするんですか?」
自信が回復した事に釣られて、口の滑りが良くなったらしい。頭で思いついたとほぼ同時に、その思いついた疑問が口から飛び出した。
「む? ――うむ。言ってしまえばそうなるの」
「今住んでる所は……離れてますけどね……私、こっちで部屋借りましたから……」
お互いに相手の顔を見遣り、確認し合う。ちょっとした事だったけど、その仕草は確かに「二人が気心知れた仲である」という事を表していた。
へえ。
――なんて、何か思うところがあったりなかったりな気配もしないではないですが、では残る異原さんと口宮さんは?
「とか言ってる間に着いちゃったわね。それじゃあ哲郎くん、日向くん、また今度」
思った事を口に出すより早く、異原さんがお別れを告げてきた。そうして立ち止まった場所は正門前。残念ながらここでタイムオーバーで――
って、ん? 同森さんも「また今度」ですか?
「また今度と言っても、明日の事なんじゃがな」
「面倒くせーよなあ? ゲーセンでも行ってるほうがまだマシだっつの」
「なんですってぇ!? だったらあんた一人で行ってなさいよそのゲーセンに!」
「ああん?」
「ま、まあまあ由依さん……三人より四人のほうがいいでしょうし……」
明日の予定を話しているのだろうか、「同森さんは他のお三方と帰り道が違うんですか?」と訊こうにも入り込む隙間が中々訪れない。せっかくさっき口を塞がれて大人しくなってた口宮さんも、また食って掛かりそうな雰囲気醸し出してるし。……怖いですって、そのガン付ける表情。
「ふん、鈴音に免じてこのくらいにしてやるわ。――ところで日向くん。あなたは明日、来るの?」
へ? 僕ですか?
「来るって……どこへですか? もしかして、明日この辺りで祭りのようなものでも?」
突然僕が呼ばれるという事は、つまり誰でも知ってるような公然のイベントがあるという事――なのかもしれない。まだこの地域のそういった情報には疎いし、そうだとするなら栞さんと一緒に……
「あら? あー、駄目よ日向くん。学生たるもの、掲示物はちゃんと目を通しとかないと」
なんて思ってたら、注意されてしまった。
学生たるもの? って事は、大学の行事なんですか?
「明日と明後日は……新入生歓迎って事で、学園祭があるらしいんです……ほら」
やんわりと教えてくれた音無さんが指差すのは、「若葉祭」の文字がでかでかと、あとは小さい字で詳細らしきものがこまごまと書かれた横断幕。いつから掛けてあったのか、それは開いた門の内側にまるで巨大な布団を干すかのように垂れ下がっていた。
「全然、知りませんでした」
我ながらよくもまあこんな大きいものに気付かなかったもんだ、とその横断幕に目を遣っていると、視界の外から嫌味ったらしさ満点の声が。
「祭りっつっても実際はサークルが新入生集めする為の場だけどなー。サークルに入ってもねえ二回生が行くもんじゃねえっつの」
表面上は僕に言ってるみたいだけど、本当は誰に言ってるかは自ずと分かるだろう。
「文句あるなら来なくていいって言ってるでしょ!? 独りで行ってなさいよゲーセンでも不良の溜まり場でも!」
「んだあ!?」
ほら。
「不良の溜まり場とはこれまた、古いイメージじゃの」
「あ、あの、あの……」
同森さんが冷静な意見を述べ、音無さんが冷静になれない。さっき頑張って同じような言い争いを止めたばかりなのに、苦労が報われなくてお可哀想に。
「ほれ、ここからお前ら三人になるんじゃから、あまり音無を困らせるんじゃないわい」
さすが幼馴染だけあって、同森さんが音無さんの肩にぽんと手を置きながら、見ているだけでギリギリと音がしそうな異原さんと口宮さんの睨み合いをなだめる。……いや、この惨状を見てれば幼馴染とか関係無いかもしれないけどね。
『けっ』
……口宮さんはイメージ的に分かるとして、女性がその吐き捨て方はどうでしょう異原さん。
「すまんかったの。最後までやかましくて」
「い、いえ。それより一つ、訊いてもいいですか?」
「なんじゃ?」
音無さん達三人と別れると、どうやら暫らく同じ道らしく、同森さんが隣を歩く事になった。
この状態ならさっきまでみたいな騒ぎになることもないし、訊きたかった事がこれでようやく訊けるよ。……まあ、そんなに拘るような質問でもないけど。
「えーと、異原さんと口宮さんってずっとあんな感じなんですか?」
「む? ――かははは、そうじゃな。少なくともわしがあいつ等と知り合ってからはずっとあんな調子じゃの」
同森さんは少し考え、そして笑った。次いで楽しげな口調で答えるその様相は、あちらの二人の間柄を考えると、まるで保護者のようだった。
「そんなじゃから、なだめ役になってしもうた音無は大変じゃの。元々静かなやつじゃし」
みたいですねえ。あの人が大人しい(あ、音無さんに掛けた駄洒落とかでなく)性格だったのは僕も知ってますし。――と言っても殆ど見た目だけの印象で、ですが。……あれ? でもその割には……
頭にある疑問が浮かび、同森さんの言う「大変な音無さん」に同意するか、それとも今浮かんだ疑問をぶつけるかで、僕の頭は判断を迷う。
「あの、音無さんとそのお二人って、大学で初めて知り合ったんですよね?」
と言って本当に迷っていてもしょうがないので、特に深く考慮する事も無く言いたいほうを言う事にした。
「ん、そうじゃが?」
「その割に、随分親しいと言うか……まだ入学から全然経ってないのに」
お二人のなだめ役についてもそうだし、異原さんの「霊感」についてもそうだし。もっと前から知り合ってたって感じなんですけど……?
「ああ、それはな。大学で知り合ったと言っても、入学してからじゃないんじゃよ。オープンキャンパスってあるじゃろ? あの時にたまたま音無がわしを見つけてきて、その時わしはあの二人と一緒にいてな。じゃから、音無があいつらと知り合ったのは入学より随分前になるの」
オープンキャンパス。簡単に言えば、「進学先として興味がある大学を実際に観に行こう」という企画の事だ。もちろん僕も、今の大学のそれには参加した。
「へえ、そういう事だったんですか」
何日か続けて開かれてたから音無さんと同じ日かどうかは分からないけど、僕が行った時も学生さん達が普通に活動してたしなあ。つくづく大学っていうのは自由な所だ。そのおかげで栞さんや霧原さんも出入りできるし。
「うむ。幸か不幸かは知らんがの」
そう言って、同森さんは再び「かははは」と笑った。普段の口調に加えてその笑い方すら年寄りじみてるなあ、と思うのは多分失礼にあたるのだろう。思っちゃったけど。
「それじゃあわしはここで。またの、日向君」
適当に語らいつつ、もうそろそろあまくに荘に到着しようかという頃。同森さんが軽く片手を掲げ、曲がり角へと体を向けながらそう言ってきた。
「あ、はい。また今度」
と答えてから、明日のお祭りを思い出す。――明日、どうしようかな?
そんな事を考えている間に、同森さんはガッチリな体格の割に小柄なその背をこちらに向け、すたすたと歩き始める。それを見て、また頭に一つ浮かんだ。
「同森さん」
「ん?」
「同森さんも、今はこの辺りに住んでるんですか?」
頭に浮かぶのは、校門前で「こっちに部屋を借りた」と言っていた音無さん。その彼女と家が近所だったって事は――
「いやいや、わしは自宅からじゃよ。じゃから毎日通学に一時間掛かっとるわい」
――そうでもなかったらしい。
「デパート前じゃなくて、大学前に駅があったら便利なんじゃがの」
そう言って口の端を緩く持ち上げた同森さんは、さっきと同じように軽く片手を掲げる。つまりは電車通学なんだろう。
僕も同森さんにならって片手を掲げ返し、視界から同森さんを外した。
……同森さんって、なんでジャージなんだろう。
さて、それからほんの少しばかり独りでてくてく歩みを進め、片道五分の道のりは今日もあっさり終わり間近。住宅地故にいたる所で見受けられる交差点も、越えるべきはあと一つ。それを曲がらずに真っ直ぐ通過すれば、そこはもう我が家。
というところで数メートル前方、その越えるべき交差点の右手から、見覚えのあるツインテールの女の子が踊り出る。その女の子は、こちらが声を掛けるより早く、こちらに気付いた。
「あっ、こんにちは日向さん」
そうだそうだ、今日も来るって言ってたんだっけ。
という事でどちらからともなくその交差点で足を止め、お喋りモードに入る。別に歩きながらでもいいじゃない、とかいう無駄に急いた意見は切り捨て。のんびりまったり大歓迎っスよ。
「こんにちは庄子ちゃん」
怒ってるわけでもないのにどうしてか眉毛が常に吊り上がってるこの女の子は、怒橋庄子ちゃん中学三年生。怒橋という姓が示す通り、あの大吾の妹さんだ。人当たりの良さとか、あんまり似てないけど。
「今大学から帰ってきたとこですか?」
その気さくな口調にやっぱり似てないなーと……いや、いくらなんでもこれくらいはあの大吾でも? なんて考えてみるが、いざそういう状況があったかどうか思い出そうとしてもなかなか上手くいかない。ので、保留。
「うん。そっちも、今来たところ?」
「はい」
って事は、歩きだし……
「庄子ちゃんの家って、もしかしてこの近く?」
「すぐ近くです」
ほほう。
こんにちは。203号室住人、日向孝一です。
「んじゃお先にー」
「うん。お疲れ様、明くん」
先日と同じく四限まで講義がある僕は、つい最近知り合ったばかりの友人に別れを告げて告げられて、「自分はここにあと九十分残るのだ」という自覚が強まった挙句にうんざりさせられます。
と言っても大学全体の講義開始が今週の火曜からなんで、もちろん次の講義も受けるのは今日が始めて。そんなわけで、あまり悪い方に考えるのも止めておこう。もしかしたらあんまり手を使わない講義かもしれないし。
このまま校舎から出て自転車置き場へ向かうのであろう友人の背中を、廊下の分岐路から眺めながら、一人そんな事を考える。栞さんも掃除があるからって言って帰っちゃったし、会話相手がいないのはちょっと寂しいかな。
……まあ、講義を受けるんだから会話も何もないのが普通だけどさ。
階を変えて次の講義が行われる教室に到着し、その数種類ある部屋の作りの中で最も狭い作りであり、かつ校内に最も数が多いパターンの作りでもある教室のドアを開く。
と、
「あっ。二、三日ぶりねえ! ええっと」
「日向さんですよ由依さん……。あと……前に会ったのが火曜でしたから、三日ぶりです……」
開いたドアのすぐ傍に、見覚えのある顔が二つ。ちなみに、声にも聞き覚えがある。
僕の名前を忘れてしまったらしいほうの、前髪を後ろに流したおでこが印象的な女性が、確か――異原さん。下の名前はもう一方の女性が今言った通り。
そしてその「もう一方の女性」。すなわち口元以外、上から下まで真っ黒なこの女性の名前は、不確かになりよう筈もない。なんと言っても高校時代のクラスメートであり、時間的にも栞さんの存在的にも今更ではあるが、密かに心を寄せていた人物なのだから。
……まあ、そちらからすればなんでもない、ただの「男子の一人」だったんでしょうけどね。
「三日ぶりです。異原さん、音無さん」
「復唱しないでよー。いいじゃないの一日くらい」
返す返事に掴み程度のトゲを忍ばせてみると、見事に乗っていただけた。
繰り返した通り、三日前。「自分でもなんだかよく分からない感覚」について相談されるというなんとも奇妙な、普通の感覚からしたら「この人、危ないんじゃ?」とさえ思ってしまいそうなファーストコンタクトではあったけど、それでも――なまじその感覚の正体を知っているから――この人達には、なんら不信感が沸いてこない。少なくとも、軽いジョークを吹っ掛けてみようと思える程度には。
そんな事を考えながら、二人が座る席の一つ前に腰を落ち着けた。三人掛けの横長な机に一人というのは、やっぱり横方向がちょっと寂しい。
「ん? 今日はあの感じがしないわね。んー、本っ当、あれって何なのかしら」
「ここ最近……気にしっ放しですよね……日向さんに会ってから……」
「そりゃもうそうよ当たり前よ。生まれてこの方ずーっと分かんなかった疑問の答えが目の前にあるんですもの」
という会話が後ろの席でなされると、「今回は横でなく後ろが賑やかだなあ」というゆったりのんびりな実感と一緒に、「本当の事を教えられなくて申し訳無い」というひっそりじんわりな後ろめたさが滲み出してくる。
まあ教えられないって言うか、正直に言ったらわざと教えてないだけなんだけどね。それなりに理由があるとはいえ、口は自由に開くんだから。
「――まあ、その答えが解読できないわけだけどもね」
意地悪い口調でそう言いながら、体を横の席に、顔を後ろの席に向けている僕へ、異原さんがじろりと視線を纏わりつかせる。
「あはは……。すいません、お役に立てなくて」
「いえいえ。普段はそれほど気にしてる事でもないしね」
知っている答えの代わりに、僕が言えるのはこれくらい。
そんな苦し紛れに近いような返事ににこりと微笑む異原さんに続いて、
「さすがに……慣れちゃいますよね……」
音無さんが同じく口元を緩ませる。
音無さんの顔は、その半分以上が前髪に隠れて口しか見えない。なので、普通ならあまり目立たない程度の控えめな変化でしかなさそうなその口元の変化も、見た瞬間に「ああ、今これ笑ってるな」と判断ができた。
もっとも、それがなくても若干弾んでるその声で判断は付いただろうけど。
「そりゃあそうだわよ。物心ついた時からずっとなんだもの、適当に落とし所作っとかないと悩み過ぎで禿げるわよ胃に穴が開くわよ」
からからと笑いながら頬杖をつく異原さん。こうして笑えるようになるまでは大変だったんだろうなあ、と思ったところで――
もしも幽霊が人と少しでも違う姿をしていたのなら、僕も異原さんと同じように小さい頃から気にしたんだろうか? 自分が見ているものは何なのだろうか、と。それを考えると、今までなんとも思わずにやり過ごしてきた赤の他人さん達の中にどれだけ幽霊がいたのかなあ、なんて。
……でも。それを気にしたところで、幽霊はやっぱり生きてる人となんら変わりない人達なんだよね。姿だけじゃなくて、その中身も。だから少なくとも姿を見る事ができる僕や僕と同じような人達は、幽霊を特別視するほうがおかしいのかもしれない。事実、みんな特別視なんかさせてくれる暇もくれないくらいに普通だし。
そんな事を考えている間に講義開始のチャイムが鳴り、そして相も変わらず右手をさっさか動かしてる間に、九十分が経過。
と言ってしまえばあっと言う間っぽいけど、そんな筈もなく。こりゃあ持つ所が硬いシャーペンとか使ってたら、ペンだこができるのも早いんだろうなあ。
「やー、終わった終わった」
「お疲れ様、でした……」
持つ所が柔らかな我がシャープペンシル(他より数十円高かった気がする)を筆入れに仕舞っていると、後ろから開放感たっぷりの伸びやかな声と、それに応じる抱擁感たっぷりのゆったりした声。そしてそれに続いて呼びかけが。
「ねえねえ日向くん。あたし等はこれで終わりなんだけど、日向くんは?」
「あ、僕もこれで終わりです」
「ふーん。そんじゃあ校門までご一緒しましょう」
「喜んで」
その返事と同時に帰り支度も済み、三人揃って立ち上がる。
――ん? 「校門まで」って事は、異原さん、僕がどこに住んでるか知ってるのかな? でも、前に会ったのは公園でだし…………ああ、そうか。あの日は大学出た所から公園まで、ずっと尾けられてたんだっけ。
そう考えを進めていくと、頭に浮かぶのはその尾けてきた人達の顔。途中からは音無さんが自転車で、だったんだけど。
「あの、口宮さんと同森さん――でしたっけ? 今日は一緒じゃないんですか?」
僕は気付かなかったけど、音無さんが自転車で駆けつけるまで、足を使って追ってきていた人達がいる。男性二人、プリン頭さんとジャージさんだ。そしてそのお二人は、今いない。
「同森さんは……この時間、違う講義を取ってるんです……」
歩く場所が室内から廊下へと移り変わり、三人分の足音が若干その音を変えると、音無さんが変わらぬ口調で答え始める。今関係無いけど、子守歌とか上手そうな声だなあ。
そんな本当に関係の無い感想は置いといて、答えの続き。
「口宮さんは……今の講義を取ってはいるんですけど……」
「サボりやがったわね。まあ、出席取らない講義だったからそれでもいいんだろうけど」
音無さんが核心に入ろうとしたところで、それを異原さんが見事にかっさらってしまった。音無さんのゆったりした進行に辛抱できなくなったのか、それとも口宮さんのサボり行為に言及したかったのか、どっちなんだろう。どっちでもいいね。
「あんまりこういうのを参考にしちゃ駄目だわよ? 一回生諸君」
これまではっきりとは意識してなかったけどそう言えば上級生な異原さんのその助言に、一回生二人組、ここは素直に頷いておく。例え本心は「あ、それいいな」と思っていても。
「出席点が無いならサボっても問題無さそうだけど、出席点が無いって事は試験の点だけで単位が貰えるかどうかが全部決まっちゃうって事だからね。試験当日だけ現れて、試験開始から十五分後、退室許可が出た途端に速攻教室を出る羽目になる馬鹿は、見てて面白いわよ滑稽だわよ」
あ、それよくないな。
「由依さん……つまりそれは、去年の試験で口宮さんが……」
先輩の助言から間を置かず、音無さんが出てもいない個人名をおずおずと切り出した。対する異原さん、丸出しのおでこにやれやれと手の平を押し付ける。
「反省しないわね、あの馬鹿は」
異原さん達の中で、馬鹿というのはどうやら個人名と同義らしい。……まあ、うちもそんな感じのがいるんですけどね。うーん、集団っていうのはどこでも似たようなものなんだなあ。
さて、そんな事を考えたりしていると、後者の出入り口に到達するわけですよ。それ自体はまあ取り立てて解説するほどの事じゃないんですけど、その出入り口のすぐ傍に見覚えのあるプリン頭さんとジャージさんが。
「あっ、テメエ! じゃねえ、お前!」
どっちもあんまり変わってないような気がしますが、
「どっちも変わらんじゃろが。人を指差すな口宮」
ああ、冷静な突っ込みありがとうございます。それで僕、この人に突然指差されるような事しましたっけ? えーと、同森さん。
「また会ったの。日向君じゃったか? あの日は本当、追い掛け回してすまんかったの。特にこの勢い任せの短絡思考が」
同森さん、人を指差すなと言った割に自分も人に指を差す。指された人はもちろん――もちろんと言うのも失礼っぽいけど――口宮さん。
「何だと哲郎テメエ! 追っかけてた奴を追っかけて何がおかしいっつんだよ!」
「結果を考えればおかしいのは自明じゃろが。引き止めるだけなら普通に話し掛ければいいものを、全速力で追いかけてすっ転んで鼻血噴いたのはお前さんじゃろ?」
「だからあれは足が急に――!」
栞さんが大声で謝りながら足払いを掛けていた場面を連想させる会話に、この場をどうしたもんかと思案してみる。が、十秒あるかないかの短い時間では大した案は出てこない。
――が、そう思った途端に二人の言い争いはストップした。と言うか、ストップさせられた。口宮さんの顎を上下纏めて鷲掴みにする、異原さんの手によって。
「サボり魔は静かにしなさい黙りなさい。――あんたねえ、また単位落とすつもり?」
手をそのままに話し掛ける異原さんは、あからさまに呆れた――と言うより最早軽蔑していると言ってもいい程に歪められた顔を、ぐぐいと口宮さんに近付ける。おでこがおでこなので、そのまま頭突きに持っていったりしたら痛そうだなあ、なんて思ったのはまあ置いといて。
それに口宮さんは表情を変えずに反論するが、口が塞がったままなので何を言ってるのか全く分からない。むうむうむむむー、みたいな。
「黙りなさいって言ってるでしょ」
自分から尋ねといてそりゃ酷いんじゃないでしょうか? と思ったら当然口宮さんもそう思ったらしく、「ぐむ……!」と声を荒げる。
が、それも一瞬だけ。高圧的な異原さんに何を思ったか、嫌そうな顔をしつつもそれきり本当に黙ってしまった。
近付けた顔を離してその様子を数秒窺うと、ぱっと表情を明るくした異原さんが手を放す。その表情が意味するのは、勝ち誇りなのだろうか?
「さて、静かになったところで行きましょうか」
ううむ、この力関係は大吾と成美さんを連想させるなあ。
せっかく一緒に帰る事になったと言っても、校門は目と鼻の先。「校門までご一緒しましょう」との事なので、恐らくそこでお別れって事なんだろう。
「おい、日向くんよ」
「あ、何ですか?」
と思っていると、それまで黙ったままでいた口宮さんから声を掛けられた。ちょっと怖い。
「前公園で会った時に言ってたらしいけど、確か音無と同じ高校出身なんだよな?」
「ええ」
と言われれば、どうしてもその高校当時の状況が頭に浮かんでしまうわけでして。ええ、もちろん隣の席にはまだ顔を出している頃の音無さんが静かに座っていて、僕は時折そっちをちらちら見ていたりするんですよ。……我ながら気味悪いですね。
「それなら哲郎もそうな筈だぞ。こいつ、音無と同じ高校だし」
「え、そうなんですか?」
哲郎ってつまり、同森さんですよね? まあ、僕と口宮さん以外では男がもう同森さんしかいませんから確定ですけど。
という事でその哲郎さんを振り向いてみると、
「うむ。まあ、学年が違うし会った事も無かったからの。あまり意味も無さそうな接点じゃが」
とのお返事。
なんとなんとこれはこれは。確かに上級生故か全く顔知りませんでしたけど、珍しい出来事は続くものですねえ。
「それで……私、もともと哲郎さんとは知り合いだったので……ここで会った時は驚きました……」
「それで同森くんから紹介されて、あたし等と知り合ったってわけだわね。いやあこんな堅苦しくて暑苦しそうな男にこんな可愛くて面白そうな女友達がいたなんて、意外だったわよびっくりしたわよ」
珍しい、なんて思ったところ、音無さんと異原さんによって、その珍しい出来事は更に広がりを見せる。
「意外とはなんじゃ失礼な。家が近所だったってだけなんじゃから、わしがどういう男かなんて関係ありゃせんわい」
同森さんは憮然とした態度でそのたくましい両の腕を胸の前で組ませ、
「あ、あ……あの……由依さん……そんな、事は……」
音無さんは口をあわあわさせながら、その元からか細い声を更にか細くさせた。どうも「可愛くて面白い」という評価が受け止めきれないようで。
可愛い――というのはまあ、以前憧れていたという実体験を基にすれば否定しようも無い。では、面白いうというのは? ……やっぱり、格好なのかな。栞さんが気に入ってたみたいだから自分の感性にちょっと自信が持てなかったりとかもしたけど。
「家が近くって事は、二人は幼馴染だったりするんですか?」
自信が回復した事に釣られて、口の滑りが良くなったらしい。頭で思いついたとほぼ同時に、その思いついた疑問が口から飛び出した。
「む? ――うむ。言ってしまえばそうなるの」
「今住んでる所は……離れてますけどね……私、こっちで部屋借りましたから……」
お互いに相手の顔を見遣り、確認し合う。ちょっとした事だったけど、その仕草は確かに「二人が気心知れた仲である」という事を表していた。
へえ。
――なんて、何か思うところがあったりなかったりな気配もしないではないですが、では残る異原さんと口宮さんは?
「とか言ってる間に着いちゃったわね。それじゃあ哲郎くん、日向くん、また今度」
思った事を口に出すより早く、異原さんがお別れを告げてきた。そうして立ち止まった場所は正門前。残念ながらここでタイムオーバーで――
って、ん? 同森さんも「また今度」ですか?
「また今度と言っても、明日の事なんじゃがな」
「面倒くせーよなあ? ゲーセンでも行ってるほうがまだマシだっつの」
「なんですってぇ!? だったらあんた一人で行ってなさいよそのゲーセンに!」
「ああん?」
「ま、まあまあ由依さん……三人より四人のほうがいいでしょうし……」
明日の予定を話しているのだろうか、「同森さんは他のお三方と帰り道が違うんですか?」と訊こうにも入り込む隙間が中々訪れない。せっかくさっき口を塞がれて大人しくなってた口宮さんも、また食って掛かりそうな雰囲気醸し出してるし。……怖いですって、そのガン付ける表情。
「ふん、鈴音に免じてこのくらいにしてやるわ。――ところで日向くん。あなたは明日、来るの?」
へ? 僕ですか?
「来るって……どこへですか? もしかして、明日この辺りで祭りのようなものでも?」
突然僕が呼ばれるという事は、つまり誰でも知ってるような公然のイベントがあるという事――なのかもしれない。まだこの地域のそういった情報には疎いし、そうだとするなら栞さんと一緒に……
「あら? あー、駄目よ日向くん。学生たるもの、掲示物はちゃんと目を通しとかないと」
なんて思ってたら、注意されてしまった。
学生たるもの? って事は、大学の行事なんですか?
「明日と明後日は……新入生歓迎って事で、学園祭があるらしいんです……ほら」
やんわりと教えてくれた音無さんが指差すのは、「若葉祭」の文字がでかでかと、あとは小さい字で詳細らしきものがこまごまと書かれた横断幕。いつから掛けてあったのか、それは開いた門の内側にまるで巨大な布団を干すかのように垂れ下がっていた。
「全然、知りませんでした」
我ながらよくもまあこんな大きいものに気付かなかったもんだ、とその横断幕に目を遣っていると、視界の外から嫌味ったらしさ満点の声が。
「祭りっつっても実際はサークルが新入生集めする為の場だけどなー。サークルに入ってもねえ二回生が行くもんじゃねえっつの」
表面上は僕に言ってるみたいだけど、本当は誰に言ってるかは自ずと分かるだろう。
「文句あるなら来なくていいって言ってるでしょ!? 独りで行ってなさいよゲーセンでも不良の溜まり場でも!」
「んだあ!?」
ほら。
「不良の溜まり場とはこれまた、古いイメージじゃの」
「あ、あの、あの……」
同森さんが冷静な意見を述べ、音無さんが冷静になれない。さっき頑張って同じような言い争いを止めたばかりなのに、苦労が報われなくてお可哀想に。
「ほれ、ここからお前ら三人になるんじゃから、あまり音無を困らせるんじゃないわい」
さすが幼馴染だけあって、同森さんが音無さんの肩にぽんと手を置きながら、見ているだけでギリギリと音がしそうな異原さんと口宮さんの睨み合いをなだめる。……いや、この惨状を見てれば幼馴染とか関係無いかもしれないけどね。
『けっ』
……口宮さんはイメージ的に分かるとして、女性がその吐き捨て方はどうでしょう異原さん。
「すまんかったの。最後までやかましくて」
「い、いえ。それより一つ、訊いてもいいですか?」
「なんじゃ?」
音無さん達三人と別れると、どうやら暫らく同じ道らしく、同森さんが隣を歩く事になった。
この状態ならさっきまでみたいな騒ぎになることもないし、訊きたかった事がこれでようやく訊けるよ。……まあ、そんなに拘るような質問でもないけど。
「えーと、異原さんと口宮さんってずっとあんな感じなんですか?」
「む? ――かははは、そうじゃな。少なくともわしがあいつ等と知り合ってからはずっとあんな調子じゃの」
同森さんは少し考え、そして笑った。次いで楽しげな口調で答えるその様相は、あちらの二人の間柄を考えると、まるで保護者のようだった。
「そんなじゃから、なだめ役になってしもうた音無は大変じゃの。元々静かなやつじゃし」
みたいですねえ。あの人が大人しい(あ、音無さんに掛けた駄洒落とかでなく)性格だったのは僕も知ってますし。――と言っても殆ど見た目だけの印象で、ですが。……あれ? でもその割には……
頭にある疑問が浮かび、同森さんの言う「大変な音無さん」に同意するか、それとも今浮かんだ疑問をぶつけるかで、僕の頭は判断を迷う。
「あの、音無さんとそのお二人って、大学で初めて知り合ったんですよね?」
と言って本当に迷っていてもしょうがないので、特に深く考慮する事も無く言いたいほうを言う事にした。
「ん、そうじゃが?」
「その割に、随分親しいと言うか……まだ入学から全然経ってないのに」
お二人のなだめ役についてもそうだし、異原さんの「霊感」についてもそうだし。もっと前から知り合ってたって感じなんですけど……?
「ああ、それはな。大学で知り合ったと言っても、入学してからじゃないんじゃよ。オープンキャンパスってあるじゃろ? あの時にたまたま音無がわしを見つけてきて、その時わしはあの二人と一緒にいてな。じゃから、音無があいつらと知り合ったのは入学より随分前になるの」
オープンキャンパス。簡単に言えば、「進学先として興味がある大学を実際に観に行こう」という企画の事だ。もちろん僕も、今の大学のそれには参加した。
「へえ、そういう事だったんですか」
何日か続けて開かれてたから音無さんと同じ日かどうかは分からないけど、僕が行った時も学生さん達が普通に活動してたしなあ。つくづく大学っていうのは自由な所だ。そのおかげで栞さんや霧原さんも出入りできるし。
「うむ。幸か不幸かは知らんがの」
そう言って、同森さんは再び「かははは」と笑った。普段の口調に加えてその笑い方すら年寄りじみてるなあ、と思うのは多分失礼にあたるのだろう。思っちゃったけど。
「それじゃあわしはここで。またの、日向君」
適当に語らいつつ、もうそろそろあまくに荘に到着しようかという頃。同森さんが軽く片手を掲げ、曲がり角へと体を向けながらそう言ってきた。
「あ、はい。また今度」
と答えてから、明日のお祭りを思い出す。――明日、どうしようかな?
そんな事を考えている間に、同森さんはガッチリな体格の割に小柄なその背をこちらに向け、すたすたと歩き始める。それを見て、また頭に一つ浮かんだ。
「同森さん」
「ん?」
「同森さんも、今はこの辺りに住んでるんですか?」
頭に浮かぶのは、校門前で「こっちに部屋を借りた」と言っていた音無さん。その彼女と家が近所だったって事は――
「いやいや、わしは自宅からじゃよ。じゃから毎日通学に一時間掛かっとるわい」
――そうでもなかったらしい。
「デパート前じゃなくて、大学前に駅があったら便利なんじゃがの」
そう言って口の端を緩く持ち上げた同森さんは、さっきと同じように軽く片手を掲げる。つまりは電車通学なんだろう。
僕も同森さんにならって片手を掲げ返し、視界から同森さんを外した。
……同森さんって、なんでジャージなんだろう。
さて、それからほんの少しばかり独りでてくてく歩みを進め、片道五分の道のりは今日もあっさり終わり間近。住宅地故にいたる所で見受けられる交差点も、越えるべきはあと一つ。それを曲がらずに真っ直ぐ通過すれば、そこはもう我が家。
というところで数メートル前方、その越えるべき交差点の右手から、見覚えのあるツインテールの女の子が踊り出る。その女の子は、こちらが声を掛けるより早く、こちらに気付いた。
「あっ、こんにちは日向さん」
そうだそうだ、今日も来るって言ってたんだっけ。
という事でどちらからともなくその交差点で足を止め、お喋りモードに入る。別に歩きながらでもいいじゃない、とかいう無駄に急いた意見は切り捨て。のんびりまったり大歓迎っスよ。
「こんにちは庄子ちゃん」
怒ってるわけでもないのにどうしてか眉毛が常に吊り上がってるこの女の子は、怒橋庄子ちゃん中学三年生。怒橋という姓が示す通り、あの大吾の妹さんだ。人当たりの良さとか、あんまり似てないけど。
「今大学から帰ってきたとこですか?」
その気さくな口調にやっぱり似てないなーと……いや、いくらなんでもこれくらいはあの大吾でも? なんて考えてみるが、いざそういう状況があったかどうか思い出そうとしてもなかなか上手くいかない。ので、保留。
「うん。そっちも、今来たところ?」
「はい」
って事は、歩きだし……
「庄子ちゃんの家って、もしかしてこの近く?」
「すぐ近くです」
ほほう。
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