「終わってない?」
「そうとも。お前が庄子のためを思ってああいう行動に出たのも、庄子に押し切られる形でそれを取り下げることになってしまったのも間違いないが、しかしそれでもまだ終わってなどいないのだ」
取り下げることになってしまったのに、終わっていない。まさか「取り下げる」と「終わる」で言い回しが違うから、なんて屁理屈ではないだろうし、じゃあそれは一体どういうことなんだろうか。
と成美の言いたいことがさっぱり分からないのは、隠したつもりがあるわけでもなし、はっきり顔に出ていたことだろう。成美は、険しい表情を崩さないまま更に話を進めてきた。
「いいか大吾。全ては一続きなのだ、『庄子のためを思って』という限りはな。他に目的があって、そしてそれを主としていたのなら、その目的によってはそうではなかったかもしれんが」
「…………」
オレは何も言えなかった。というのは、成美の言葉に感銘を受けたから――だったらまだ格好も付いたんだろうけど、残念なことにここまで来てもまだ成美の言わんとしていることがよく分からなかったからだ。
さすがに恥ずかしかった。よく分からない、と口に出せない程度には。
「では訊くが大吾、実際庄子のためになっているのはどこからどこまでだ?」
「どこから?――っていうのはまあ、オレがそういうことやり始めた時からだよな。ためになってるってことを前提とすれば、だけど」
「そうだな。そして、どこまで、については今この瞬間はもちろん、これから先もずっとだ。……臆面もなく『妹を愛している』なんて言えてしまうのが何を起因としているのか、考えてみれば分かるだろう」
どうしてそこでさっきオレが言ったことが、とは思ったけど、考えてみれば分かると言われたのなら考える。というのは、確かにさらっと口にするような言葉ではなかったなと、自分でもそう思ったからだ。
で、答えを思い付くまでそう時間は掛からなかった。話の流れからしてこれだろうなと当たりを付けられたのもあるし、そうして思い付いたものが答えとしてしっくりきたから、というのももちろんあって。
「オレが会う回数に制限掛けたりしようとしたからか」
「その通り。それがなければ庄子は何の躊躇いも迷いもなくただ遊びに来る感覚でここへ来続けていただろうし、ならばお前だって庄子がここへ来ることはもちろん庄子自身のことだって、普通の兄妹がそうであるように『愛している』などと口にできるほど強く想ってはいなかっただろうさ。たとえ、実際には行動に移さなかっただけで今と同じく『ためを思う』気持ちがあったとしてもな」
全ては一続き。ようやく、成美の言っていたことが分かった。
「だから、お前と庄子のどちらが正しくどちらが間違っていたという話ではないのだ。今の状況が庄子のためになっているというのなら、それはお前達兄妹が兄妹だったからこそ、兄がお前で妹が庄子だったからこそ辿り着けたものなのだ。どちらか一人でも別人だったのなら、こうはなっていないだろう」
言って、「もちろんそうだった場合の良し悪しはまた別の話だがな」とも。
正解は一つではない。だけど、オレと庄子はいくつもある正解のうちの一つに辿り着くことができた。オレが会う回数に制限を掛けようとしたことも、庄子がそれに反発したことも、そこへ辿り着くために必要な道筋だった。
成美の表情が和らいだ。
「そんなふうに考えれば、何も終わっていないというのも分かるだろう?」
「まあ、これまでが一続きだってことならこれから先だって一続きなんだろうしな」
そういうことだけを指した話でないことは分かってるけど、これから先は何もなしに平和なまま、というわけにもいかないんだろうし。
「うむ、理解が早くてこちらとしても気持ちがいいぞ」
早くはなかったと思うけどな。せっかく褒めてもらってなんだけど。
「そして大吾、もう一つ」
「ん?」
オレが理解したところでめでたしめでたし、というわけではなさそうだった。
「もちろんのこと、今の話はお前と庄子に限ったことではない。となると?」
「ああ、分かったよ」
「ふふっ」
これからも末長く宜しくお願いします。
「どうだった? 私が思ってたより随分早かったけど」
遅くても庄子が来るまでには、なんて言っていたりもする以上、それはこっちとしても同じ感想だった。が、そこはまあ、嬉しい誤算ということにしておいて問題はないだろう。その誤算の原因が何であるかを考えれば。
質問に対する返事より先にそんなことを考えていたところ――するとその誤算の原因が栞サンの傍へ寄り(その際、膝の上に座らせていた旦那サンはきっちりオレの膝の上に移動させてからだったが)、そのまま思いっ切り抱き付いた。
「あの場を作ってくれたお前にこんなことをしてやりたくなるような感じだな」
それちょっと分かり易いようで分かり難くないかな成美。
「ありがとう日向。大好きだぞ」
「えへへ、どう致しまして」
抱き付くことへの遠慮のなさが高じて胸に顔をうずめすらしている成美を、栞サンはこれまた遠慮なく受け入れていた。うーん、オレも成美と同じ気持ちではあるんだけど、だからってあの真似するのは無理だよなあやっぱり。
「あー、ふわっふわだなあ」
というわけで、成美はもちろんその成美と同じくご満悦な様子の栞サンへオレからも。
「ありがとうございました」
「成美ちゃん、頑張ってくれた?」
「はい」
オレと成美、どちらが話す側でどちらが聞く側だったのかはまだ説明していなかったけど、まあそこは聞くまでもなく分かるってものだろう。なんたって話をすることになった原因が、オレが今日自分の家に帰ったから、なんだし。
「待て待て日向、大吾にそれを尋ねたらそう返されるに決まっているだろう」
「ん? 成美ちゃん自身としては違う感想?」
「もちろんだ。普段から思っていることを口にするだけで頑張ったなどと、それでは今こうしてお前と話しているのも同じく頑張っていることになってしまうではないか」
「あはは、そっか」
オレ達が部屋で話していた内容を栞サンは当然知らないわけで、だったら成美のその言い分は「それだけ言われても」ってなもんなんだろうけど、でも栞サンの返事は適当に話を合わせているだけでもないようで、つまりはそれだけで納得できるところがあったらしかった。
……自分の経験からってことなのかな、やっぱり。孝一との。
「だってさ、大吾くん」
「あー、ええ、まあ、迷うどころか考える間すらなしに言い返してきてたんで、じゃあそういうことになるんでしょうけど」
自分から話すならともかく促されてそれを言わされるというのは結構恥ずかしかったけど、でもそこは認めざるを得ないだろう。成美の迷いのなさは、そうなるくらいにけちの付けようも誤魔化しようもなかった。
「そっか。ふふっ、じゃあ水を差すのはこれくらいにしようかな」
「水を差すだなんてそんな――むおっ!?」
「成美ちゃんもふもふに水を差すのもここまでだ!」
「もっふぃふぁー!」
それまで自分から栞サンの胸に顔を突っ込んでいた成美、今度は栞サンから埋められることになったのだった。うーん、家守サンほど極端にデカくなくてもできるんだなああいうことって。
というわけで、後のことはわざわざオレから語るようなことでもないだろう。というか語らなきゃならなかったら凄く困る。その場合、栞サンの胸の動きでも実況すればいいんだろうか? いくら胸に対するどうのこうのが解消されたとはいえ、それはさすがに成美が激怒すると思うんだけど。
「あれ、ここは? 同じ場所にいるようなそうでないような」
「同じなの部屋の形だけだろうが」
と言ってみてから、それって要素としてはかなりデカいんじゃないだろうかとも。
それはともかく、204号室から移動した後の202号室。ジョンとナタリーが起きた後も一人だけ眠り続けていたフライデーは、試しに押し付けてみたところ寝たままでも見事オレの服にひっついたので、そのままここへ連れてこられたのだった。凄いぞ蝉の抜け殻の足。
「ふうむ、寝ている間にいろいろ片付いてしまったということか……残念だなあ、せめて栞君にお別れの挨拶くらいはしたかったものだけど」
「したけりゃ今からでもしてこいよ」
すぐ隣なんだし――と、いや、今の発言ちょっと待て。
「オマエ、なんで寝てる間にいろいろあったって知ってるんだよ」
「あっ」
狸寝入りだったかこの野郎。
「……ちなみに、ナタリーとジョンは?」
「え、私ですか? というか今の話、つまりどういうことなんでしょうか?」
「ワフ?」
ああ、こっちは大丈夫そうだなこりゃ。
「オマエら三人とも寝てるのかと思ってたら、フライデーだけ寝たふりだったんだよ」
「弁解の余地はないのかい?」
ねえよ。
「そうだったんですか。でもフライデーさん、どうして寝たふりなんか?」
ん? 言われてみればそれもそうだ、こいつがそんなことする理由ってなんだろうか? 別に成美ほど耳がいいってわけでもなし、じゃあ寝たふりなんかしたところで、202号室に戻ってオレと成美が話していた内容を盗み聞き出来るわけでもない。というか、もしそうだったとしても気にせず話はしてるだろうし。気にしてたらそれこそ成美が大変だし。
「そこはほら、空気を読んだというやつだよ。これでも一応自分の立ち位置くらいは把握してるつもりだからね、お邪魔虫が元気にしてると何かしようにも躊躇っちゃうんじゃないかなあ、なんて」
虫であるだけに。
なんてことを思い付いてしまったものの、でも本物の虫がそれを言うとそれはそれで違和感がないでもない。邪魔な奴へ揶揄として虫という単語を持ち出しているのであって、本当に虫だから虫呼ばわりする、じゃあ揶揄にも何にもなってないわけで。
となると、お邪魔人間、とか言うんだろうか? いや、蝉にとって人間が邪魔かどうかなんて知らないけど。そもそも一生の大半を土の中で暮らすわけだから人間がどうとかでもないだろうし。
まあいいや。
「んなこと今更気にしねえよ。つうかそっちが気にするんだったら普段からしとけよ」
「それじゃあ面白くないじゃないか。なんたって私、抜け殻だよ? 積極的に存在をアピールしていかないと儚くて儚くて」
自分自身を儚いなんて表現する奴初めて見たぞオレ。
まあでも、それが真面目な話だってことなら考慮しないでもないけど。
「スキあり!」
「あぼぶっ!?」
いきなり顔にへばりつかれた。
……本当にスキを突かれたにしても変な声を出してしまったものだけど、それというのはへばりつかれた場所というのが顔、もっと言えば口だったからだ。驚いたというよりは、中にまで入られないよう咄嗟に口を閉じたが故の変な声だった。
剥がす。
「いきなり何すんだよ、食っちまうところだっただろが」
蝉の抜け殻に口付けたって時点で世間では悲鳴を上げるレベルなのかもしれないけど、そこはまあまあ今更というか何と言うか。
オレの指に摘まれているフライデーは、しかしそのまま「ふっふっふ」となんかムカツク感じに笑ってみせた。
「覚えておきたまえ成美君」
「お、わたしか? 何をだ?」
「次に大吾くんとキスをする時、それはつまり私と間接キッスをするということになるのだよ」
なんで間接のほうだけキスじゃなくてキッスなんだよ。
「よく分からんが、して欲しいのならしてやるぞ? 別に間接でなくとも」
「あ、ノーダメージだこれ。どうしよう大吾君」
「そら成美は嫌がったりしねえだろ。口に触れるどころか食ってたんだぞ虫」
「あー」
というのはもちろん身体も猫だった頃の話、なんてのは言うまでもないとして、
「それに、大吾とキスをする時にお前のことを思い出している余裕なぞ間違いなくないしな」
それは今言わなくて良かっただろ成美。――まあ、オレも多分ないけどさ。逆に言って、余裕がないくらいだからキスなんかしようと思うんだろうし。
「おやおや、お熱いことで」
「んで、なんだよ急に。お邪魔虫にしたって普段より一層じゃねえか」
と話題を切る目的もあってそう文句を付けてみたところ、するとフライデー、ほんの僅かな間だけながら、考え込むように黙り込んでしまった。
が、ほんのわずかな間だけと言う以上は、再度口を開き始めるまでにそう時間は掛からない。
「ちょっと寂しいなあって」
「何が」
「物凄い勢いで大人になっていってるからね、大吾君」
今度はオレが黙り込まされてしまった。とは言ってもそれは言われた内容について思うところがあったというわけではなく――いや、考え始めればあれこれ出てはくるんだろうけど、反射的に出てくるようなことはなくて――急にそんな真面目っぽい話になったことに、意表を突かれただけのことだった。
「あ、別に今までの大吾君は子どもっぽくて駄目だったとか、そういうことじゃなくてね?」
「駄目じゃなくなって寂しいとか言われたら凹むわ。ただの嫌味じゃねえかそれ」
いろいろちょっかい出してくる奴ではあるけどそういう方向性ではない、くらいは言っておいてやろう。そりゃオレだって、好意あってのものだってことくらいは分かってるわけだし。
「私としても、というか私達としても喜ばしいことではあるんだよ。大好きな大吾君が成長するっていうのはね。ただまあ、今みたいな構い方をしてもらえるのが今だけってなると、じゃあ今の内にってさ」
成長する。オレが。
そんなことはない、なんて謙遜したようなことを言うつもりはない。――というか、そうなった理由を考えたらとてもそんな恩知らずなことは。そんなふうに考えてしまうと自然、視線が今は膝の上に座っていないその恩人の方へ。もちろんソイツ一人だけが理由の全てってことではないんだろうけど、でも理由の中で最大のものは何かと言われたら、それはもう迷う必要はないだろう。
人生経験、なんて言葉で一つに纏めてしまうのが勿体無いくらい、コイツはオレにいろんなものをくれた。そしてさっき旦那サンも含めた三人だけでした話を考えるに、それはこれから先もずっと続いていく。
「そういう言われ方したら構い難くなるぞそれ」
思ったことをそのまま話してしまうと三人だけで話をした意味がなくなってしまうので、それについては引っ込めておいた。もちろん、こっちはこっちで真面目な話というのもあるし。
「あはは、まあそうやって構い方が変わっていくのかもしれないねえ」
「……正直よく分かんねえから聞いてみるけど、オマエとしては変わって欲しいのか? それとも、変わって欲しくねえのか?」
変わらない、とは言わない。成長することを否定しないというのなら、そりゃあこっちだってそれと同様ではあるんだろうし。
「うーん、どっちもそう思うというか、どっちもそうは思わないというか」
「なんだそりゃ」
「どっちもいいんだよ。どっちでもいい、ではなくてねくれぐれも。だからまあ、なるようになってくれたらそれが一番いい、みたいな?」
「そうなるしかないんだけどな。ならねえようにはならねえんだから」
と言いつつ、でもフライデーが言いたいことはしっかり分かってもいた。今回はオレの話だけど、これがもしオレ以外の誰かの話だったりしたら、オレだってそんなふうに思うんだろうし。……まあ、オレ以外の誰か、とか言ってもそこで一番に出てくるのは今のところやっぱり成美なんだけど。
「確かにそれはそうだね」なんて笑いながら言い返してきたフライデーは、けれどその笑いを意図してそうしたようにすっと引っ込めると続けて、いや、多分続けずにこう言ってきた。
「なるようになるっていうのは、何に影響されてのことだと思う? 大吾君の場合」
いきなりだったので頭が質問を飲み込むのに多少時間が掛かったけど、飲み込んでみたところで、そんなもん一つに絞れるようなもんじゃないだろと言いたくなるようなものではあった。
けど、求められている返答がそんなものでないことぐらいは分かる。いろいろある中でも敢えて一つに絞るとしたら、
「成美」
一つ――
「と、庄子かなやっぱ」
には、絞り切れなかった。成美だけを挙げたかったところではある。ただ、今考えるとなると庄子を切り捨てることはできないのだった。朝書いた手紙のことはもちろん、さっき成美とした、というか成美がしてくれた話もあるし。
「ということだそうだけど、成美君はどう思う?」
そこで成美かよ。いやそりゃ名前出したのオレなんだから文句は言えねえんだろうけど、でもちょっと恥ずかしかったり申し訳なかったりで中々キツいぞそれ。
「そうだなあ。大人になっていく、という話だったが、もう立派に大人なのではないか?」
「ほほう。そのこころは?」
落語家かよオマエ。……いや、落語家がそういうのやってるところを見たことがあるってだけで、その言い回し自体が落語のうちなのかどうかは知らないけど。
「自分で言うのもなんだが、新妻だぞ? 普通なら浮かれていろいろとわたしばかりになってもいいだろうに、そこで今日のようなことができるのだからな」
それはさっきオレが思ったことと意味としてはほぼ同じなんだろうけど、なんだろうか、新妻って単語を持ってこられると急にただやらしいだけの話に聞こえてしまうような。もちろんそんなつもりで言ったんじゃないだろうけど。
「ふふーん? それってつまり、もうちょっと構って欲しいってことかな?」
「そうは言わんさ。お前と同じだよ、なるようになってくれたらそれが一番だ。――ただまあ、なるようになっていけたら、と言ったほうが正しいのかもな。わたしの場合は」
まあ夫婦ってそういうもんだろうしな、と当たり前のように納得しかけたオレは、でもちょっと待てよと。
でもそう思ってみたところでフライデー達が一緒にいるこの状況で尋ねてみていいもんかな、なんて心配も浮かびはした。したんだけど、
「なあ成美」
興味が勝ってしまった。褒められるようなことじゃないと頭では分かっていたんだけど、情けないことに興味が勝つというのはそういうことなわけで。
「なんだ?」
「そういう『二人で一緒に』みたいなのってさ、オマエ以外の猫もそうなのか?」
猫は――いや、猫に限定するほど特別な話でもないんだけど、ここでは猫としておいて――基本的に、複数の異性と関係を持つ。過去には旦那サンだけを、そして今はオレだけを夫として迎えている成美というのは、その中では変わり者ということになる。
「そうだなあ」
成美は腕を組み、同時に思案顔になる。どうして今そんなことを尋ねたかについては、疑問にすらなっていないらしい。
「そんなことを誰かに尋ねた試しがあるわけでもなし、推測するしかないわけだが……まあ、お前が思った通りだと思うぞ。相手が沢山いるのに『二人で一緒に』ってことにはならんだろう、普通に考えて」
「そっか」
これが成美の話ならともかく成美以外の猫の話である以上、当たったからどうだというわけでもない。それは逆に言って、当たらなかったらどうだというわけでもない、という話にもなるわけだけど、でもなんとなく当たって欲しくなかったなと、どうやらオレはそんなふうに思っているらしかった。
もちろん、どちらが正しいとか正しくないとか、そういう話ではないわけだけど。
成美は続ける。
「逆に言って、わたしが一人だけを選ぼうとするのは、もしかしたらそこが原点なのかもな。『相手のために』や『自分のために』はあっても『自分達のために』がないのでは心細い、と、今想像する分にはそんなふうに感じなくもないし」
そんな話にひょいと頭を持ち上げたのは、フライデーがはしゃいでいたせいかここまで静かにしていたナタリー。
「あ、私もそうかもしれないです」
「ははは、そういえばお前も普段の言動がそれらしいな。庄子の恋路にもいろいろ口を出しているわけだし」
あとオレら、というのはオレと成美だけでなく孝一と栞サンや楓サンと高次サンなんかも含めてだけど、オレらがちょっといちゃついたらすぐ褒めたり羨ましがったりするしな。そういやそうか、そういう考え方じゃなかったら褒めるところでも羨ましがるところでもないわけだし。
「ただまあ、経験が皆無なのが成美さんとの決定的な差なんですけどね」
「なに、案ずることはないさ。こういう言い方をするとこずるい感じだが、他と違うものの考え方をする奴というのは目立つだからな。それを気に入ってくれる男がいれば、すぐに見付けてくれるさ」
男の目を引くためにそうしているというわけではない以上、そういうことにはならないんだろうけど……うん、確かにこずるいな聞こえだけは。
「で、成美君の場合はそれが彼だったわけだね?」
旦那サンのほうを向いてフライデーが言う。向いて、と気楽に言ってもフライデーの場合首があるわけじゃいなしそもそも身体が固まってるしで、いちいち浮かんで向きを変え、全身でそっちを指し示さなきゃならないわけだけど。
「そういうことになるな」
「ということは大吾さんも?」
旦那サンの背中を撫で始めた成美を見て、ナタリーはそんな質問を。
「大吾、というか人間の場合はわたしの考え方のほうが通常のそれに近いからな。そういう意味で目立つということはなかったと思うぞ?」
なんだろうか、オレの名前が出て不自然な場面でもなければそれほど恥ずかしい話ってこともない筈なんだけど、妙に居心地が悪い……いや、悪いってことはないけどなんかフワフワするぞ尻の辺りが。
「ああ、そっか」
「本人としてはどうだ、そこのところ」
「まあ、うん、そうだな。なかったかな、そういうことは」
「はは、なんだ照れているのか?」
調子を崩したオレを成美は笑った。今更こんな話で照れるなんて、というのはオレとしても同意できるところではあるので、笑われて気分を害するようなことはないというか、むしろ一緒になって笑えそうですらあった。
――んだけど、そもそも本当に照れからこうなっているかというのは、よく分かっていなかった。何なんだろうか、このフワフワした感じは。
なんてことを考え始めるにあたってそのフワフワにモヤモヤが混ざり始めていたところ、するとナタリーが今度はこんなことを。
「だとしたら凄いですね。大吾さん、目立ってないのに見付けちゃったんですよね? こんなに仲好くなれる人のこと」
あ。
分かった、優越感だこれ。ナタリーが今言った通りのことをオレ、旦那サンに対して。
「いやあ、そこが目立たなかったにしても隣の部屋に住んでいたわけだし、しかも人の姿をした猫だなんてどう考えてもそれ以上に目立つ要因もあったわけだし――ん? どうした大吾、今度は泣きそうな顔して」
いやそれは言い過ぎだろオマエ。そこまでのことはないぞ多分。
「思ったより自分がしょうもない奴だったとか、それがあっという間にぶっ壊されたとか、まあいろいろあってなこの一瞬で」
「ほう、詳しく聞かせてもらおうか」
というわけで、聞かせた。
ら、また笑われた。今度はもうまさしく馬鹿にする方向の笑い方だった。
「そうとも。お前が庄子のためを思ってああいう行動に出たのも、庄子に押し切られる形でそれを取り下げることになってしまったのも間違いないが、しかしそれでもまだ終わってなどいないのだ」
取り下げることになってしまったのに、終わっていない。まさか「取り下げる」と「終わる」で言い回しが違うから、なんて屁理屈ではないだろうし、じゃあそれは一体どういうことなんだろうか。
と成美の言いたいことがさっぱり分からないのは、隠したつもりがあるわけでもなし、はっきり顔に出ていたことだろう。成美は、険しい表情を崩さないまま更に話を進めてきた。
「いいか大吾。全ては一続きなのだ、『庄子のためを思って』という限りはな。他に目的があって、そしてそれを主としていたのなら、その目的によってはそうではなかったかもしれんが」
「…………」
オレは何も言えなかった。というのは、成美の言葉に感銘を受けたから――だったらまだ格好も付いたんだろうけど、残念なことにここまで来てもまだ成美の言わんとしていることがよく分からなかったからだ。
さすがに恥ずかしかった。よく分からない、と口に出せない程度には。
「では訊くが大吾、実際庄子のためになっているのはどこからどこまでだ?」
「どこから?――っていうのはまあ、オレがそういうことやり始めた時からだよな。ためになってるってことを前提とすれば、だけど」
「そうだな。そして、どこまで、については今この瞬間はもちろん、これから先もずっとだ。……臆面もなく『妹を愛している』なんて言えてしまうのが何を起因としているのか、考えてみれば分かるだろう」
どうしてそこでさっきオレが言ったことが、とは思ったけど、考えてみれば分かると言われたのなら考える。というのは、確かにさらっと口にするような言葉ではなかったなと、自分でもそう思ったからだ。
で、答えを思い付くまでそう時間は掛からなかった。話の流れからしてこれだろうなと当たりを付けられたのもあるし、そうして思い付いたものが答えとしてしっくりきたから、というのももちろんあって。
「オレが会う回数に制限掛けたりしようとしたからか」
「その通り。それがなければ庄子は何の躊躇いも迷いもなくただ遊びに来る感覚でここへ来続けていただろうし、ならばお前だって庄子がここへ来ることはもちろん庄子自身のことだって、普通の兄妹がそうであるように『愛している』などと口にできるほど強く想ってはいなかっただろうさ。たとえ、実際には行動に移さなかっただけで今と同じく『ためを思う』気持ちがあったとしてもな」
全ては一続き。ようやく、成美の言っていたことが分かった。
「だから、お前と庄子のどちらが正しくどちらが間違っていたという話ではないのだ。今の状況が庄子のためになっているというのなら、それはお前達兄妹が兄妹だったからこそ、兄がお前で妹が庄子だったからこそ辿り着けたものなのだ。どちらか一人でも別人だったのなら、こうはなっていないだろう」
言って、「もちろんそうだった場合の良し悪しはまた別の話だがな」とも。
正解は一つではない。だけど、オレと庄子はいくつもある正解のうちの一つに辿り着くことができた。オレが会う回数に制限を掛けようとしたことも、庄子がそれに反発したことも、そこへ辿り着くために必要な道筋だった。
成美の表情が和らいだ。
「そんなふうに考えれば、何も終わっていないというのも分かるだろう?」
「まあ、これまでが一続きだってことならこれから先だって一続きなんだろうしな」
そういうことだけを指した話でないことは分かってるけど、これから先は何もなしに平和なまま、というわけにもいかないんだろうし。
「うむ、理解が早くてこちらとしても気持ちがいいぞ」
早くはなかったと思うけどな。せっかく褒めてもらってなんだけど。
「そして大吾、もう一つ」
「ん?」
オレが理解したところでめでたしめでたし、というわけではなさそうだった。
「もちろんのこと、今の話はお前と庄子に限ったことではない。となると?」
「ああ、分かったよ」
「ふふっ」
これからも末長く宜しくお願いします。
「どうだった? 私が思ってたより随分早かったけど」
遅くても庄子が来るまでには、なんて言っていたりもする以上、それはこっちとしても同じ感想だった。が、そこはまあ、嬉しい誤算ということにしておいて問題はないだろう。その誤算の原因が何であるかを考えれば。
質問に対する返事より先にそんなことを考えていたところ――するとその誤算の原因が栞サンの傍へ寄り(その際、膝の上に座らせていた旦那サンはきっちりオレの膝の上に移動させてからだったが)、そのまま思いっ切り抱き付いた。
「あの場を作ってくれたお前にこんなことをしてやりたくなるような感じだな」
それちょっと分かり易いようで分かり難くないかな成美。
「ありがとう日向。大好きだぞ」
「えへへ、どう致しまして」
抱き付くことへの遠慮のなさが高じて胸に顔をうずめすらしている成美を、栞サンはこれまた遠慮なく受け入れていた。うーん、オレも成美と同じ気持ちではあるんだけど、だからってあの真似するのは無理だよなあやっぱり。
「あー、ふわっふわだなあ」
というわけで、成美はもちろんその成美と同じくご満悦な様子の栞サンへオレからも。
「ありがとうございました」
「成美ちゃん、頑張ってくれた?」
「はい」
オレと成美、どちらが話す側でどちらが聞く側だったのかはまだ説明していなかったけど、まあそこは聞くまでもなく分かるってものだろう。なんたって話をすることになった原因が、オレが今日自分の家に帰ったから、なんだし。
「待て待て日向、大吾にそれを尋ねたらそう返されるに決まっているだろう」
「ん? 成美ちゃん自身としては違う感想?」
「もちろんだ。普段から思っていることを口にするだけで頑張ったなどと、それでは今こうしてお前と話しているのも同じく頑張っていることになってしまうではないか」
「あはは、そっか」
オレ達が部屋で話していた内容を栞サンは当然知らないわけで、だったら成美のその言い分は「それだけ言われても」ってなもんなんだろうけど、でも栞サンの返事は適当に話を合わせているだけでもないようで、つまりはそれだけで納得できるところがあったらしかった。
……自分の経験からってことなのかな、やっぱり。孝一との。
「だってさ、大吾くん」
「あー、ええ、まあ、迷うどころか考える間すらなしに言い返してきてたんで、じゃあそういうことになるんでしょうけど」
自分から話すならともかく促されてそれを言わされるというのは結構恥ずかしかったけど、でもそこは認めざるを得ないだろう。成美の迷いのなさは、そうなるくらいにけちの付けようも誤魔化しようもなかった。
「そっか。ふふっ、じゃあ水を差すのはこれくらいにしようかな」
「水を差すだなんてそんな――むおっ!?」
「成美ちゃんもふもふに水を差すのもここまでだ!」
「もっふぃふぁー!」
それまで自分から栞サンの胸に顔を突っ込んでいた成美、今度は栞サンから埋められることになったのだった。うーん、家守サンほど極端にデカくなくてもできるんだなああいうことって。
というわけで、後のことはわざわざオレから語るようなことでもないだろう。というか語らなきゃならなかったら凄く困る。その場合、栞サンの胸の動きでも実況すればいいんだろうか? いくら胸に対するどうのこうのが解消されたとはいえ、それはさすがに成美が激怒すると思うんだけど。
「あれ、ここは? 同じ場所にいるようなそうでないような」
「同じなの部屋の形だけだろうが」
と言ってみてから、それって要素としてはかなりデカいんじゃないだろうかとも。
それはともかく、204号室から移動した後の202号室。ジョンとナタリーが起きた後も一人だけ眠り続けていたフライデーは、試しに押し付けてみたところ寝たままでも見事オレの服にひっついたので、そのままここへ連れてこられたのだった。凄いぞ蝉の抜け殻の足。
「ふうむ、寝ている間にいろいろ片付いてしまったということか……残念だなあ、せめて栞君にお別れの挨拶くらいはしたかったものだけど」
「したけりゃ今からでもしてこいよ」
すぐ隣なんだし――と、いや、今の発言ちょっと待て。
「オマエ、なんで寝てる間にいろいろあったって知ってるんだよ」
「あっ」
狸寝入りだったかこの野郎。
「……ちなみに、ナタリーとジョンは?」
「え、私ですか? というか今の話、つまりどういうことなんでしょうか?」
「ワフ?」
ああ、こっちは大丈夫そうだなこりゃ。
「オマエら三人とも寝てるのかと思ってたら、フライデーだけ寝たふりだったんだよ」
「弁解の余地はないのかい?」
ねえよ。
「そうだったんですか。でもフライデーさん、どうして寝たふりなんか?」
ん? 言われてみればそれもそうだ、こいつがそんなことする理由ってなんだろうか? 別に成美ほど耳がいいってわけでもなし、じゃあ寝たふりなんかしたところで、202号室に戻ってオレと成美が話していた内容を盗み聞き出来るわけでもない。というか、もしそうだったとしても気にせず話はしてるだろうし。気にしてたらそれこそ成美が大変だし。
「そこはほら、空気を読んだというやつだよ。これでも一応自分の立ち位置くらいは把握してるつもりだからね、お邪魔虫が元気にしてると何かしようにも躊躇っちゃうんじゃないかなあ、なんて」
虫であるだけに。
なんてことを思い付いてしまったものの、でも本物の虫がそれを言うとそれはそれで違和感がないでもない。邪魔な奴へ揶揄として虫という単語を持ち出しているのであって、本当に虫だから虫呼ばわりする、じゃあ揶揄にも何にもなってないわけで。
となると、お邪魔人間、とか言うんだろうか? いや、蝉にとって人間が邪魔かどうかなんて知らないけど。そもそも一生の大半を土の中で暮らすわけだから人間がどうとかでもないだろうし。
まあいいや。
「んなこと今更気にしねえよ。つうかそっちが気にするんだったら普段からしとけよ」
「それじゃあ面白くないじゃないか。なんたって私、抜け殻だよ? 積極的に存在をアピールしていかないと儚くて儚くて」
自分自身を儚いなんて表現する奴初めて見たぞオレ。
まあでも、それが真面目な話だってことなら考慮しないでもないけど。
「スキあり!」
「あぼぶっ!?」
いきなり顔にへばりつかれた。
……本当にスキを突かれたにしても変な声を出してしまったものだけど、それというのはへばりつかれた場所というのが顔、もっと言えば口だったからだ。驚いたというよりは、中にまで入られないよう咄嗟に口を閉じたが故の変な声だった。
剥がす。
「いきなり何すんだよ、食っちまうところだっただろが」
蝉の抜け殻に口付けたって時点で世間では悲鳴を上げるレベルなのかもしれないけど、そこはまあまあ今更というか何と言うか。
オレの指に摘まれているフライデーは、しかしそのまま「ふっふっふ」となんかムカツク感じに笑ってみせた。
「覚えておきたまえ成美君」
「お、わたしか? 何をだ?」
「次に大吾くんとキスをする時、それはつまり私と間接キッスをするということになるのだよ」
なんで間接のほうだけキスじゃなくてキッスなんだよ。
「よく分からんが、して欲しいのならしてやるぞ? 別に間接でなくとも」
「あ、ノーダメージだこれ。どうしよう大吾君」
「そら成美は嫌がったりしねえだろ。口に触れるどころか食ってたんだぞ虫」
「あー」
というのはもちろん身体も猫だった頃の話、なんてのは言うまでもないとして、
「それに、大吾とキスをする時にお前のことを思い出している余裕なぞ間違いなくないしな」
それは今言わなくて良かっただろ成美。――まあ、オレも多分ないけどさ。逆に言って、余裕がないくらいだからキスなんかしようと思うんだろうし。
「おやおや、お熱いことで」
「んで、なんだよ急に。お邪魔虫にしたって普段より一層じゃねえか」
と話題を切る目的もあってそう文句を付けてみたところ、するとフライデー、ほんの僅かな間だけながら、考え込むように黙り込んでしまった。
が、ほんのわずかな間だけと言う以上は、再度口を開き始めるまでにそう時間は掛からない。
「ちょっと寂しいなあって」
「何が」
「物凄い勢いで大人になっていってるからね、大吾君」
今度はオレが黙り込まされてしまった。とは言ってもそれは言われた内容について思うところがあったというわけではなく――いや、考え始めればあれこれ出てはくるんだろうけど、反射的に出てくるようなことはなくて――急にそんな真面目っぽい話になったことに、意表を突かれただけのことだった。
「あ、別に今までの大吾君は子どもっぽくて駄目だったとか、そういうことじゃなくてね?」
「駄目じゃなくなって寂しいとか言われたら凹むわ。ただの嫌味じゃねえかそれ」
いろいろちょっかい出してくる奴ではあるけどそういう方向性ではない、くらいは言っておいてやろう。そりゃオレだって、好意あってのものだってことくらいは分かってるわけだし。
「私としても、というか私達としても喜ばしいことではあるんだよ。大好きな大吾君が成長するっていうのはね。ただまあ、今みたいな構い方をしてもらえるのが今だけってなると、じゃあ今の内にってさ」
成長する。オレが。
そんなことはない、なんて謙遜したようなことを言うつもりはない。――というか、そうなった理由を考えたらとてもそんな恩知らずなことは。そんなふうに考えてしまうと自然、視線が今は膝の上に座っていないその恩人の方へ。もちろんソイツ一人だけが理由の全てってことではないんだろうけど、でも理由の中で最大のものは何かと言われたら、それはもう迷う必要はないだろう。
人生経験、なんて言葉で一つに纏めてしまうのが勿体無いくらい、コイツはオレにいろんなものをくれた。そしてさっき旦那サンも含めた三人だけでした話を考えるに、それはこれから先もずっと続いていく。
「そういう言われ方したら構い難くなるぞそれ」
思ったことをそのまま話してしまうと三人だけで話をした意味がなくなってしまうので、それについては引っ込めておいた。もちろん、こっちはこっちで真面目な話というのもあるし。
「あはは、まあそうやって構い方が変わっていくのかもしれないねえ」
「……正直よく分かんねえから聞いてみるけど、オマエとしては変わって欲しいのか? それとも、変わって欲しくねえのか?」
変わらない、とは言わない。成長することを否定しないというのなら、そりゃあこっちだってそれと同様ではあるんだろうし。
「うーん、どっちもそう思うというか、どっちもそうは思わないというか」
「なんだそりゃ」
「どっちもいいんだよ。どっちでもいい、ではなくてねくれぐれも。だからまあ、なるようになってくれたらそれが一番いい、みたいな?」
「そうなるしかないんだけどな。ならねえようにはならねえんだから」
と言いつつ、でもフライデーが言いたいことはしっかり分かってもいた。今回はオレの話だけど、これがもしオレ以外の誰かの話だったりしたら、オレだってそんなふうに思うんだろうし。……まあ、オレ以外の誰か、とか言ってもそこで一番に出てくるのは今のところやっぱり成美なんだけど。
「確かにそれはそうだね」なんて笑いながら言い返してきたフライデーは、けれどその笑いを意図してそうしたようにすっと引っ込めると続けて、いや、多分続けずにこう言ってきた。
「なるようになるっていうのは、何に影響されてのことだと思う? 大吾君の場合」
いきなりだったので頭が質問を飲み込むのに多少時間が掛かったけど、飲み込んでみたところで、そんなもん一つに絞れるようなもんじゃないだろと言いたくなるようなものではあった。
けど、求められている返答がそんなものでないことぐらいは分かる。いろいろある中でも敢えて一つに絞るとしたら、
「成美」
一つ――
「と、庄子かなやっぱ」
には、絞り切れなかった。成美だけを挙げたかったところではある。ただ、今考えるとなると庄子を切り捨てることはできないのだった。朝書いた手紙のことはもちろん、さっき成美とした、というか成美がしてくれた話もあるし。
「ということだそうだけど、成美君はどう思う?」
そこで成美かよ。いやそりゃ名前出したのオレなんだから文句は言えねえんだろうけど、でもちょっと恥ずかしかったり申し訳なかったりで中々キツいぞそれ。
「そうだなあ。大人になっていく、という話だったが、もう立派に大人なのではないか?」
「ほほう。そのこころは?」
落語家かよオマエ。……いや、落語家がそういうのやってるところを見たことがあるってだけで、その言い回し自体が落語のうちなのかどうかは知らないけど。
「自分で言うのもなんだが、新妻だぞ? 普通なら浮かれていろいろとわたしばかりになってもいいだろうに、そこで今日のようなことができるのだからな」
それはさっきオレが思ったことと意味としてはほぼ同じなんだろうけど、なんだろうか、新妻って単語を持ってこられると急にただやらしいだけの話に聞こえてしまうような。もちろんそんなつもりで言ったんじゃないだろうけど。
「ふふーん? それってつまり、もうちょっと構って欲しいってことかな?」
「そうは言わんさ。お前と同じだよ、なるようになってくれたらそれが一番だ。――ただまあ、なるようになっていけたら、と言ったほうが正しいのかもな。わたしの場合は」
まあ夫婦ってそういうもんだろうしな、と当たり前のように納得しかけたオレは、でもちょっと待てよと。
でもそう思ってみたところでフライデー達が一緒にいるこの状況で尋ねてみていいもんかな、なんて心配も浮かびはした。したんだけど、
「なあ成美」
興味が勝ってしまった。褒められるようなことじゃないと頭では分かっていたんだけど、情けないことに興味が勝つというのはそういうことなわけで。
「なんだ?」
「そういう『二人で一緒に』みたいなのってさ、オマエ以外の猫もそうなのか?」
猫は――いや、猫に限定するほど特別な話でもないんだけど、ここでは猫としておいて――基本的に、複数の異性と関係を持つ。過去には旦那サンだけを、そして今はオレだけを夫として迎えている成美というのは、その中では変わり者ということになる。
「そうだなあ」
成美は腕を組み、同時に思案顔になる。どうして今そんなことを尋ねたかについては、疑問にすらなっていないらしい。
「そんなことを誰かに尋ねた試しがあるわけでもなし、推測するしかないわけだが……まあ、お前が思った通りだと思うぞ。相手が沢山いるのに『二人で一緒に』ってことにはならんだろう、普通に考えて」
「そっか」
これが成美の話ならともかく成美以外の猫の話である以上、当たったからどうだというわけでもない。それは逆に言って、当たらなかったらどうだというわけでもない、という話にもなるわけだけど、でもなんとなく当たって欲しくなかったなと、どうやらオレはそんなふうに思っているらしかった。
もちろん、どちらが正しいとか正しくないとか、そういう話ではないわけだけど。
成美は続ける。
「逆に言って、わたしが一人だけを選ぼうとするのは、もしかしたらそこが原点なのかもな。『相手のために』や『自分のために』はあっても『自分達のために』がないのでは心細い、と、今想像する分にはそんなふうに感じなくもないし」
そんな話にひょいと頭を持ち上げたのは、フライデーがはしゃいでいたせいかここまで静かにしていたナタリー。
「あ、私もそうかもしれないです」
「ははは、そういえばお前も普段の言動がそれらしいな。庄子の恋路にもいろいろ口を出しているわけだし」
あとオレら、というのはオレと成美だけでなく孝一と栞サンや楓サンと高次サンなんかも含めてだけど、オレらがちょっといちゃついたらすぐ褒めたり羨ましがったりするしな。そういやそうか、そういう考え方じゃなかったら褒めるところでも羨ましがるところでもないわけだし。
「ただまあ、経験が皆無なのが成美さんとの決定的な差なんですけどね」
「なに、案ずることはないさ。こういう言い方をするとこずるい感じだが、他と違うものの考え方をする奴というのは目立つだからな。それを気に入ってくれる男がいれば、すぐに見付けてくれるさ」
男の目を引くためにそうしているというわけではない以上、そういうことにはならないんだろうけど……うん、確かにこずるいな聞こえだけは。
「で、成美君の場合はそれが彼だったわけだね?」
旦那サンのほうを向いてフライデーが言う。向いて、と気楽に言ってもフライデーの場合首があるわけじゃいなしそもそも身体が固まってるしで、いちいち浮かんで向きを変え、全身でそっちを指し示さなきゃならないわけだけど。
「そういうことになるな」
「ということは大吾さんも?」
旦那サンの背中を撫で始めた成美を見て、ナタリーはそんな質問を。
「大吾、というか人間の場合はわたしの考え方のほうが通常のそれに近いからな。そういう意味で目立つということはなかったと思うぞ?」
なんだろうか、オレの名前が出て不自然な場面でもなければそれほど恥ずかしい話ってこともない筈なんだけど、妙に居心地が悪い……いや、悪いってことはないけどなんかフワフワするぞ尻の辺りが。
「ああ、そっか」
「本人としてはどうだ、そこのところ」
「まあ、うん、そうだな。なかったかな、そういうことは」
「はは、なんだ照れているのか?」
調子を崩したオレを成美は笑った。今更こんな話で照れるなんて、というのはオレとしても同意できるところではあるので、笑われて気分を害するようなことはないというか、むしろ一緒になって笑えそうですらあった。
――んだけど、そもそも本当に照れからこうなっているかというのは、よく分かっていなかった。何なんだろうか、このフワフワした感じは。
なんてことを考え始めるにあたってそのフワフワにモヤモヤが混ざり始めていたところ、するとナタリーが今度はこんなことを。
「だとしたら凄いですね。大吾さん、目立ってないのに見付けちゃったんですよね? こんなに仲好くなれる人のこと」
あ。
分かった、優越感だこれ。ナタリーが今言った通りのことをオレ、旦那サンに対して。
「いやあ、そこが目立たなかったにしても隣の部屋に住んでいたわけだし、しかも人の姿をした猫だなんてどう考えてもそれ以上に目立つ要因もあったわけだし――ん? どうした大吾、今度は泣きそうな顔して」
いやそれは言い過ぎだろオマエ。そこまでのことはないぞ多分。
「思ったより自分がしょうもない奴だったとか、それがあっという間にぶっ壊されたとか、まあいろいろあってなこの一瞬で」
「ほう、詳しく聞かせてもらおうか」
というわけで、聞かせた。
ら、また笑われた。今度はもうまさしく馬鹿にする方向の笑い方だった。
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