(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第十八章 先輩 四

2008-09-24 21:01:30 | 新転地はお化け屋敷
 しかしナタリーさん、やっぱり不動のまま「いえ、そういう事ではなくて」と。
「え? じゃあ、どういう事ですか?」
 きょとんとした表情で庄子ちゃんがそう言い、するとその膝の上に位置するナタリーさんは、最小限の動きで体をそちらへ向けてこう言った。
「人間が生殖可能になるのは、生後何年目からですか?」
 静寂。
 ……なるほど。大人、ね。
 静寂の意味をどう捉えたのか、「あ、あの、おおよそで構いませんよ? 個人差はやっぱりあるでしょうから」と付け加えるナタリーさんへ、庄子ちゃんは目をぱちくりさせているのでした。


 居間の出口で一旦立ち止まった庄子ちゃんが、振り返る。
「ばいばい、ナタリー」
「はい。……じゃなくて、うん。ばいばい、庄子さ……じゃなくて、庄子ちゃん」
 時刻は六時半。慣れない言葉遣いなのか照れがあるのか、詰まってしまいながらもナタリーさんがお別れの挨拶を返す。協議の結果、二人の関係という問題は「そういう感じ」に落ち着いていた。
 するとその会話に合わせるかのように、ジョンがぺたぺたと庄子ちゃんの足元へ。尻尾は垂れ、やや元気がなさそうな様子。
「クウゥ……」
「今日はお昼寝しっ放しだったもんねえ。今度来る時には、起きててね?」
 しゃがみ込んだ庄子ちゃんに頭を撫でられると、垂れたままではあるものの、尻尾をふりふり。どうやら庄子ちゃんがいる時間の殆どを寝て過ごしてしまった事が、寂しかったりするらしい。まあ、庄子ちゃんが言うには、だけど。
「それじゃあまた。……なんだけど、その前に日向さん、ちょっと来てもらっていいですか?」
「僕? 何?」
「ちょっとその、相談と言うかなんと言うか」
 どうして僕なのかは分からないけど、断わる理由があるわけでもなければ嫌だと感じているわけでもない。なんとなく大学で深道さんに相談を持ちかけた時の事を思い出したりしながら、庄子ちゃんと一緒に外へ出る事に。
「じゃあ、お邪魔しました」
「行ってきます」
 ドアを抜ければ、外は薄暗くなり始めている。まだまだ明るいと言えるとは言え、ここから日が落ちて暗くなるまでは早いだろう。
「それで、話なんですけど」
「あ、うん」
 こころなしか空気もひんやりしてきている中、102号室玄関から少しだけ歩いて、あまくに荘正面玄関前。振り向いた庄子ちゃんが話を始める。
「率直なところ、異性と付き合うっていうのはどんな感じなんですか?」
「え? えー、えーと……」
 何の前振りも無しに率直に答えるのは無理だよ庄子ちゃん。その手の質問は。
「まず、なんでそれを僕に? 大吾とか、同じ女の人って事で成美さんとか栞さんとか……」
「からかうとかならともかく、兄妹で真面目にその話するのは照れ臭いですよ、やっぱり。だから兄ちゃんと、それにどう考えても兄ちゃんの話になる成美さんは、ちょっと厳しいです」
 ――まあ、分かるような気もする。
「栞さんはちょっと考えたんですけど、どうせなら異性側からの話のほうが参考になるかなーと。話を聞ける機会も少ないだろうし」
 これも、分からないではない。
 しかしそもそも、どうしてこういう話をしようと思ったんだろうか?
「あ、もしかして庄子ちゃん、好きな人が出来たとか?」
「いやいや、そんなんじゃないですよお。むしろ逆って言うか」
「逆? って言うと?」
「あたしじゃなくて、学校の友達に彼氏ができたんです」
 ほほう、知らない人とは言え喜ばしい事じゃないですか。
 と思ったら庄子ちゃん、ふっと浮かない顔に。
「……それ自体は別にいいんですけど、もう毎日毎日ノロケ話ばっかり聞かされるんですよこれが。その彼氏の一挙手一投足まで全部報告してくるみたいな」
 それは辛い。実体験はないけど、確実に辛い。
「で、男の人と付き合うのってそういうものなのかなーって、ちょっと疑問になったんです。本人はそれこそもう幸せ過ぎて死んじゃいそうなくらい幸せそうなんですけど、ここの――兄ちゃんと成美さんとか、日向さんと栞さんとかって、そんな感じじゃないですし」
「あー、まあ、ね。その辺は個人差と言うか、年齢差と言うか」
 と控えめに大人ぶってはみるものの、そもそも年齢の問題なんだろうか? とは言え、そういうスタンスで付き合うというのもそれはそれで楽しそうだ。自分が中学生だったらそうするかと言われたら、疑問符が付くけど。
「ですよねえ。日向さん大学生だし、栞さんもあれで大人だし――いや、ナタリーが言ってた意味でじゃなくて」
「まあ、そっちの意味でも大人なのは事実なんだけどね……」
 と言うより、そういう意味でなら庄子ちゃんだって既に大人だ。もちろんそんな事、口に出しては言えないけど。ちなみに、年齢がどうあれ幽霊である時点で「それ」が不可能なのも、今ここで口にすべきではないだろう。
「そ、それで、最初の質問なんですけど」
 この辺りの話題には踏み込みたくないのか、慌てた様子で切り替えられる。友人の妹(しかも随分と年下)に面と向かって語り合う話題でもないので、僕もその誘導に身を任せた。
「ああ、そうだった。異性と付き合うか……うーん」
「例えば栞さんと付き合う前と今だったら、何か違ったりしますか? 態度とか、話の内容とか」
「態度は……そんなに変わらないかな。でも、話す内容は確かに変わったと思う」
「や、やっぱりラブラブとかアツアツとか、そんな方面ですか?」
 何故か頬が赤くなる庄子ちゃん。「会話」以上の行為を想像されてるんじゃないだろうかと勘繰ってみたりしてしまうものの、まあ、それは捨て置く。
「と言うよりは、相手の事を探ってるって感じかな? まだ付き合い始めたばっかりだし、それに……大きな声で言いたくないけど、栞さん、幽霊だし」
「幽霊」という単語を出した途端、庄子ちゃんの顔から、浮付いた色がスッと抜ける。
「理解を深めると言うかなんと言うか、その辺をちゃんと知っておかないと駄目かなあって」
 さっき出そうになった「幽霊は子どもを作れない」という話がそうだ。大学で深道さんに尋ねた「愛って何?」という漠然とし過ぎた質問だって、幽霊が年を取る条件というものに関連しての話だ。栞さん個人の話を持ってくるなら、生前ずっと病院にいたという話もこれに含まれるだろう。
 それに加えて、幽霊だという要素を抜きにした喜坂栞という人物そのものについての理解。なんせまだまだ付き合いが短く、今日だって初めて、コレクションである陶器の置物を見せてもらった。栞さんについて知らない事なんて、まだまだ沢山ある事だろう。
「だからラブラブとかアツアツとかは、もうちょっと先になるかな? ……いや、もしかしたら自分でそう思ってるだけで、今の時点でもそんな感じだったりするのかもしれないけど。それこそ、庄子ちゃんの友達みたいに」
「さすがにそこまではないと思いますよ?」
 言いながら、くすくすと笑う。どうやら自覚の無いうちにラブラブだったりはしないようで、一安心。無自覚っていうのは怖いもんね、何事においても。
 すると庄子ちゃん、やおらに腕を組む。
「でも、そっか。一口に付き合うって言っても、やっぱり段階とかあるんですね。――って、あれ? 口にしてみたら極当たり前な事なような? うーん、難しい」
 質問に答える、と言うよりは一緒になって考えただけという形になってしまった。
「あんまり参考には、ならなかったかもね」
 むしろ僕自身、この程度とは言え、まともに喋れた事に驚いていた。答えるほうがこんなんじゃあ、参考にするほど内容が伴った返答でないのは当然というものだろう。
 しかし庄子ちゃんは健気にも、
「い、いや。そんな事はないです」
 と首を左右へふるふる。それに合わせてトレードマークである(と勝手に決め付けている)ツインテールもふわんふわんと宙に揺られ、庄子ちゃんという女の子のイメージを強調する。
 ――これは、ちょっとした軽口だ。本心ではあるものの、あくまで軽口。
「庄子ちゃんくらい可愛かったら、僕に相談するまでもなく男が寄ってきそうなもんだと思うけどなあ」
「ぅえっ!?」
 びしり、と電気が走ったように硬直する庄子ちゃん。そしてじわじわと、その頬が赤く染まっていく。ついさっきも同じように赤くなっていたものの、今回はこちらが意図したうえでの展開だ。悪いなあとは思いつつも、込み上げる薄ら笑いが抑え切れない。
「ひ、酷いですよ日向さん。彼氏の一人もいない女の子を捕まえて、可愛いとか男が寄ってくるとか、挙句に笑うなんて……。泣いちゃいますよ?」
 とは言うものの顔の赤みは抜ける気配を見せず、どう見ても泣き出す直前だとは思えない。実際、こちらの冗談に冗談で返しているだけなのだろう。
 素直で愛嬌があり、ノリもいい。これであの素直じゃなく愛嬌もなく、話にノるどころか突然頓珍漢な事を言い出す大吾の妹だと言うんだから、兄妹というのは分からないものだ。――いや、
「だからこそ、かな?」
「何か言いました?」
「あ、ううん独り言」
 つい口から出てしまった言葉を取り繕うと、やや傾けられた首から怪訝な顔を向けられる。しかし庄子ちゃん、気を取り直して首の角度と表情を戻すと、
「お話、ありがとうございました。活かす機会があるかどうかは未定ですが……その時は、参考にさせていただきます、先輩」
 なんともうやうやしいお礼の言葉だった。しかも、先輩って。
「そんな大層な事じゃないよ。実際に役に立つかどうかだって、全然自信ないし」
「大丈夫ですよお。なんせ、栞さんとはそれで上手くいってるんでしょ?」
「ま、まあ……」
 これは、褒め殺しという類の精神攻撃なのだろうか。いや、僕が庄子ちゃんに攻められる謂れなんてまるでないわけだし、気のせいなんだろうけど。
「それじゃあ、そろそろ。また何かあったら相談させてもらいますね、先輩」
 だから先輩って……いや。
「何かあったらって、近々何かありそうなの?」
「いえ、今のところは全く」
 勘繰る気すら失せてしまうくらい、キッパリはっきりな物言いだった。という事はまあ、本当なんだろう。
「それじゃあ、また来ます」
「うん。帰り道、気をつけてね」
「すぐそこなんですけどね、あたしん家」
 そう言えば、そうなんだっけ。


「それで、こーちゃんがしょーちゃんに恋愛指南を?」
「らしいですよ? 栞達はみんな清さんの部屋にいたから、内容までは聞いてないですけど」
 庄子ちゃんが帰った後、夕食をどうしようかと立ち寄った近所の魚屋さん。そこで見かけたやや小振りなイサキを三尾纏め買いし、一人一尾という事で、それぞれ解体中。
 今日のメニューは、魚のあんかけです。頭を残すかどうかは個人の自由、唐揚げにしていただきます。――でも、それはまあいいです。
「そんな大したものじゃないですってば。ちょっと話をしただけですって」
「『ちょっと』ねえ。……ふんぬっ!」
 突然怒り出したわけではありません。
 鱗と内臓を取り除かれたイサキ。その胴体を骨ごと、力み声とともに真っ二つにすると、いつものニヤニヤ顔になる家守さん。もちろん、これまでもそんな顔だったんですけどね。
「例えばこーちゃん、料理の大先生たるこーちゃんの言葉は、アタシ達門下生からすれば一々重大だったりするんだよ? 例え本人が『ちょっと』のつもりでも」
「はあ」
「この魚の切り方だってそう。『じゃあ鱗と内臓取ったら真っ二つにしてくださーい』とか軽々言ってたけど、それがなかったらアタシ達、丁寧に骨から身を剥がして切り身にしてたかもしれないよ?」
 と言っても、切り身であんかけというのは別段おかしな事でもなかったりするんですが――
 なんて言い訳がましい事を思い浮かべた折、栞さんが「あ、頭取っちゃっても良かったんだよね?」なんて尋ねてくる。その手に持った包丁は、まな板の上で横たわったイサキ(まだ鱗と内臓を取り払っただけ)の上でおろおろとしていて、かなり頼りない。
「……そうみたいですね」
 ついつい頬が緩んでしまうのは、抑えるべきか曝け出すべきか。
「でしょ? だから、大した事なんだよこーちゃん」
「……そうなんですかね」
 和んでいるところに褒められた事で照れが加わり、頬の緩みが抑えられなくなる。そうしてだらしなくなってしまった僕の顔を見て、家守さんはにっこりと微笑んだ。
 いつものニヤニヤ笑いと今みたいな自然な笑み。二種類の笑顔を使い分けるのは、反則だと思います。ついさっきまで大した事じゃないと思ってたのに、本気で嬉しいですから。褒められた事が。
「ねえ、頭は……」
「あ、はい。取っちゃっても大丈夫ですよ」


『いただきます』
「……しぃちゃんの、やっぱり随分と小さく見えちゃうねえ。頭取っちゃったし」
「あはは。まあ、残してたって食べる所がないですから。だから他の――ほら、やっぱり、魚の唐揚げって尻尾のパリパリが楽しみの一つですよね?」
「だねえ。身のほうだってぷりぷりのほくほくで美味しいし。……ところでさ、こーちゃん」
「何ですか?」
「あそこの熊の置物、しぃちゃんのじゃない? それとも、お揃いのを買ったとか?」
「いえ、あれは今日――」
「栞のをあげたんですよ、楓さん。部屋に来てもらったら孝一くん、あの熊が気に入ったみたいだったから」
「へへえ、さすがは男の子。可愛いのも他に沢山あっただろうに」
「いや、インパクトに惹かれたと言うか、ついつい目を惹かれたと言うか」
「はは、そりゃ仕方ない。……にしても、自分の宝物の一つをプレゼントかあ。これは随分とポイント高いんじゃないの? どっちにとっても」
「えっ? でも、あの、僕が引っ越してきた直後にもあげようか? って言われましたし」
「あれ、そうなの?」
「はい。その時は遠慮されちゃったんですけどね。やっぱり、いきなりだったし」
「ふーん。でもさ、同じ『プレゼントをあげる』にしたって、今とその時じゃ状況が違うでしょ? その辺、意味合いとか変わってこない?」
「うーん……まあ、無いとは言えませんけど。孝一くんが貰ってくれた時、嬉しかったし」
「でしょ? ふふん、引っ越した直後って言っても実際はまだそんなに時間経ってないのに、目覚ましい進展ぶりだね。やるじゃないのこーちゃん」
「な、なんで僕なんですか。栞さんだって……って言うか、大袈裟ですよいくら何でも。そりゃ僕だって、大事な物を貰えたのは嬉しいですけど」
「料理してる時も言ったでしょ? 本人からすれば小事でも、意外と大事だったりする事ってあるものなのだよ」
「あの時と微妙に話の内容が違うような気がしますけど……」
「気にしない気にしない。ね、しぃちゃん」
「そうですね。小事よりは大事なほうが、こっちも嬉しいですし」


『ごちそうさまでした』
 外はパリパリ、中はふわふわ、それに加えてあんのとろとろ感まで味わえる、今回の夕食。味のほうも上々の出来だったようで、栞さんも家守さんも満ち足りた顔に。そして満ち足りているものだから、自然と会話も弾む。
「そろそろ本格的に、自分の料理に自信が付いてきたかなあ」
「栞はまだ、一人でやるとなるとちょっと不安ですけど……」
「ん? 大丈夫だよ、先生がいつも傍にいるんだし」
「その先生に作ってあげたいんです、お弁当とか」
「ああ、なるほどねえ。それはあるわ。なまじそのお相手が、料理上手だしねえ?」
 そうして嫌な方向へ盛り上がった会話の矛先は、のんびり耳を傾ける暇もなく僕のほうへ向いてしまう。
 話の矛先と同時に話者お二人の顔もこちらに向き、一方はにっこり。もう一方はにんやりしてます。どっちがどっちかなんて、今更説明する必要もないでしょうね。ないでしょうよ。
「……あの、別に僕は美食家とかじゃないんで。作ってもらえたらそれだけで、頭が下がりますよ?」
「そうは言っても、ねえ? しぃちゃん?」
「絶対緊張しますよね、いざとなったら」
 こういう時、栞さんはいつも家守さんと話を合わせてしまう。つまるところ僕の味方はしてくれないわけだ。まあ、それはそれで楽しかったりするんですけど。
 しかし栞さんと笑みを交わした家守さんは、それ以上こちらを攻めてはきませんでした。
「んでさ、明日の話なんだけど」
 話題変更です。僕と栞さんの『はい』という相槌が被ってしまって小さな笑いがこぼれたりもしつつ、
「朝の十時くらいに出ようと思ってるんだよね。高速道路使っても三時間ぐらい掛かっちゃうんだけど、まあ急ぐ必要もないし。で、お昼ご飯は途中のパーキングエリアとかで済まそうと思ってるんだけど、それでいいかな?」
 三時間。当然移動手段が車である事を考えると、結構遠い。でもそれはともかくとして、家守さんの提案を断わる理由は特に見当たらない。という事で、「はい」と簡潔な返事を。
 しかし一方、
「んー……」
 栞さんは何やらお悩みの様子。手元の皿を見下ろしているのか、それともただ視線を落としているだけなのか、とにかく下を向いて唸っていた。
「何かご意見がおありで?」
 家守さんが声を掛けると、落とした視線がゆっくりとそちらへ移る。
「えっと、さっきの話――お弁当、できるならやってみようかなって。でも材料とか……」
 言うと栞さん、こちらをちらり。なんとも気弱なその目元から、言いたい事は読み取れた。さっきの話で思い付いたんだから、前もって自分で用意してたって事はないだろうし。
「あー、すいません。いま冷蔵庫、殆ど空に近いです」
 そういう挑戦心を持ってもらえるのは非常に喜ばしいんですけど、先立つものがないのです。だから今日、庄子ちゃんが帰った後に慌てて魚屋さんに駆け込んだんだし。
「十時出発じゃあ、買いに行く時間もないねえ。どうする? なんなら、もうちょっと遅らせても別に構わないと思うけど」
「『思うけど』って事は、みんなにももうその時間で伝えてあるんですよね? だったらあの、諦めます。悪いですし」
「そっか。じゃあ、初めてのお弁当はこーちゃんのために取っとくって事で」
 実に前向きだなあ、この人は。
「あはは、そうします」
 それでこうして周囲の雰囲気が良くなるんだから、悪い事ではないんだけどね。

 その後もちょっとだけ明日についての話が続き、それによると、「お風呂に期待しておくように」とのこと。ちなみに、「特別、荷物はいらないよ。必要な物は大概あっちで出してもらえるし」とも。
「やっぱり、大きかったりするのかな? お風呂」
「という事なんでしょうね。もう一つ気になるのは……」
「あれだよね、やっぱり」
 言わんとする事は、言うまでもなく察してもらえたらしい。
 それら明日についての説明が終わって、帰り際。家守さんは「後もう一つ――いや、これは明日のお楽しみにしとこうかな。他のみんなにも言ってないし」と何やら気になる事を言い残していったのです。もしかしたら最初から言うつもりなんてなく、ただこちらをやきもきさせるためにそう言っただけ、なのかもしれませんけどね。
「ヒントが全く無いから考えてもほぼ無駄っていうのが、またね」
「ですねえ。明日の車の中での三時間、それが気になって悶々としっ放しになりそうです」
「ああそっか。車の中、長いんだよね。トランプとか持っていこうか?」
 等々、更にもう少しだけ明日についての話が続く。
 気分は学校行事においての遠足、その前夜。はやる気持ちが抑えられずに中々寝付けないだとか、あんな感じ。この話題を最後にして本日の語らいが終わったりしていたら、布団の中までこの話題を持ち込んでいたりしたら、本当に寝付けなかったりしたのかもしれない。
 だけどそうはならず、話が途切れた辺りで「ねえねえ、そう言えば、庄子ちゃんにどんな事言ったの?」と栞さん。ううむ、やっぱり気になる部分だったりしちゃいますか。
「説明するの、とんでもなく恥ずかしいんですけど」
「みんなには言わないよ?」
 いや、相手が栞さんだからこそなんですけどね。現在お付き合い中の女性に対して恋愛理論をぶちまけるという……まあ、いいや。ものすっごい期待に満ちた目がこっち向いてるし。
「えーとですね、『栞さんと付き合うようになってどう変わった?』って訊かれたんですよ。態度とか話の内容とか」
「ふんふん」
「で、態度はそうでもないけど話す内容は変わったかな、と。栞さんがどういう人だとか、今はそういうのを探ってる段階だって答えましたけど……そう言ってる男と実際に付き合ってる立場から見て、どうですか?」
 自分でそう考えているからと言って、相手にもそう捉えられているとは限らない。独りよがりな考えだったりしたらどうしようか、なんて不安になったりしつつ、でもそれって完璧に自分の思い通りになってる事のほうが珍しいんじゃないだろうか? だとかも思ったり。
 栞さん、顎に指先を当てて「うーん、そうだなあ」と首を傾ける。こういった細かい仕草を眺めている間というのは、普段なら割と和めたりする時間。だけど今は、緊張しかない。さあ、栞さんの判断やいかに。
「探ってる、とはちょっと違うかな?」
 おおう。
 栞さんは「あくまで栞がそう思うってだけだけどね?」と続けるものの――ごめんね、庄子ちゃん。やっぱりただ自意識過剰だっただけみたいだよ。
「お、落ち込んだような顔しないでよお。別に文句言ってるわけじゃないんだよ?」
「と言うと?」
 半ば投げ遣りな口調で尋ね返すと、栞さんは「おほん」と咳払い。
「えー、探ってるとかそういうの抜きにして、ただ普通に接してるっていうのがまず初めにあるの。……あ、普通って言っても、もちろん恋人同士としての普通だよ? ほら、その、キスしてみたりとか。あと今みたいに、二人だけで会える時間を作ってるのとかも。――それで、その結果として少しずつ相手の事が分かってくるって言うか」
 説明の最中、栞さんの声はどこか不安げだった。同じくその目もなんとなく、僕の顔色を窺っているような。やっぱり、自分の論が僕の意見を半分ほど否定したところから成っている事に気後れを感じているんだろうか。
 とは言え、栞さんの話は僕にも分かる。普段の会話や触れ合いが「相手を探る」という目的を念頭に置いたものではなく、あくまでその副産物として相手の情報を得ている、という事なんだろう。言われてみれば、毎日「よし、今日も栞さんの事をもっと知ろう」なんて意気込んでから会ってるわけでもない。毎度毎度そんな事をしてたら、疲れてしまいそうだ。
「でもまあつまりは捉え方の話ってだけで、やってる事はどっちでも同じなんだけどね」
 そう締め括りながらはにかむ栞さん。しかし僕からすれば、胸を張って堂々と言われても何ら違和感の無い話だった。
「庄子ちゃん、やっぱり僕じゃなくて栞さんを呼べば良かったのに」
「そ、そんな。こんなのただの思い付きだよ」
 僕だってそうだったんですよ、と心の中で溜息をつく。しかし直後、「恋愛経験なんてこっちに引っ越してきてからの短い期間だけ。つまりほぼ無いに等しいんだから、満足のいく結果なんて期待するほうが間違ってるのさ」と殆ど言い訳のような理屈で気を取り直す。栞さん相手にこんな事愚痴ってもしょうがないのは明らかだしね。


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