――オレがここに住み始めて、二年になる。十七で……まあ、死んじまって、それからそう経たないうちにあの大人げねー管理人に声掛けられて、ここに引っ張り込まれたって寸法だ。
正直、初めてアイツに会った時は胡散臭さ満タンだった。自分が幽霊になっちまっても、それでも幽霊がどうたら笑いながら話すヤツなんざ信用できるわけねー。……でもまあ、結局オレは首を縦に振ったんだけどな。思うところもあったし。
二年前。その管理人の誘いを承諾していざこのあまくに荘に到着してみれば、出てきたのはやけに嬉しそうな女と眼鏡の人。どっちもオレと同じ幽霊だった。あと犬もいた。コイツは生きてたけど。
その犬が随分とオレに纏わりつくもんだから、その犬の――ジョンの世話を、仕事として与えられた。まあ仕事っつっても要は犬を一匹飼うのと同じだし、仕事っつうほど大層なもんでもなかったんだけどな。この時点では。
暫らくすると、眼鏡の人――清サンが、妙なモンを山から引っ張ってきた。一見ただの犬だったんだが、次の日、清サンの部屋にいたのは黒猫だった。清サンがいつもみたいに笑いながら、みんなを集めてその事を報告した。その場にはその猫も連れて来ていた。
そしたら管理人――ヤモリのヤツが、いきなりその猫と会話し始めた。もちろん猫はニャアニャアしか言わねーから、オレは正直ヤモリの頭を疑った。が、暫らく話して、ヤモリが自分の部屋にその猫を連れ込んで――出てきた時には、その猫が日本語喋りだしやがった。「ここに住まわせてもらう事になった。よろしく頼むよ」だそうだった。
当然のようにソイツの世話はオレの仕事になった。だけどソイツ、日毎にがんがん姿も中身も変わりやがって、結局七匹めまで姿が変わって、八日目には最初の犬に戻った。つー事で、まだ決定してなかったソイツ等の名前は現れる曜日そのまんまの名前にした。決めたのはオレだ。分かりやすかったからな。
もう暫らくして――オレがここに住み始めて一年くらいか? また猫が来た。また幽霊だった。毛がボロボロの、白猫だった。
黒猫と――火曜日に出てくるから、チューズデーだな。アイツん時と同じようにヤモリが自分の部屋に連れ込んで「また日本語喋るようになるのか?」とか思ってたら、なんか人間の女になって出てきやがった。しかもガキ。そんでもってうるせー。やたら突っかかってくる上に、外歩く時はしょっちゅう「おぶれ」って命令口調で言ってきやがる。正直ウザかったが、無視したらなんか火の玉が出てきて気が付いたら二階から飛び降りてたもんで、言う事聞かざるを得なくなった。
そんで、このガキのお守もオレの仕事になった。誰にも言われてねーけど、そうするしかなかった。
このガキ、何がどーなってんだか幽霊のくせに実体化できるらしくて、それの有効活用って事でコイツの仕事は買い物になった。つってもまあ、元が猫だ。初めのうちは勝手がよく分からなかったみてーで、危うく万引きしかけた事もあったっけか。そん時はいつものお返しって事で嫌味たっぷりに説明してやったな。やり過ぎると自殺しかけるから程々に、だけど。
そのうち買い物も一人でできるようになったんだが、それでもオレは乗り物代わりだった。でもオレも、この頃になるとそれにいちいち腹立てたりはしなかった。慣れちまったんだな。自分でもどーかと思うけどよ。
ある日。いつもみてーにソイツを背負って買い物に行ったら、背中が急に重くなった。寝てやがったんだな、ソイツが。人を歩かせといていい気なもんだってさすがにちょっとムカついて、起こそうとした――んだけど、ソイツがあんまり気持ち良さそうだったから止めといた。寝てるとこ起こされたら普通は腹立つからな。そしたらまた火の玉だろーし。
……とは思ったけど、思ってたんだけど、どっかに多分それ以外の理由もあったと思う。それが何かまでは知らねーけど、とにかくいろいろあって、オレはソイツを寝かしたままにしておいた。
結局店に着いてもソイツは寝っぱなしで、ここまで来たらしゃーねえかって事で、背中揺らして起こしてみた。怒るかと思ってたら、なんでかソイツは急に無口になった。普段はちょっとした事でうるせーくせに。
買い物が終わって店を出て、いつもの事だからと言われる前に、しゃがんで背中を差し出した。もう習慣だったからな。
……けどソイツは、乗らなかった。「いや、いい」とか言いやがった。そっからウチまで、また無言だった。もとからチビのくせに下向いてたもんだから、顔は全く見えなかった。
ウチに着いてから何がどーなってんだか考えた。オレ、アイツに何かしたかなーとか、もう背中に乗らなくなったりすんのかなーとか。まあ、結果としてその日だけの事だったんだけどな。
そんな事考えてたら、なんか寒かった。幽霊になってから、冬でもそんなに寒いなんて思った事なかったのに。しかも鳥肌まで出てきやがった。
――気付いたのは、その日だった。
気付いたのはいいけど、それから暫らく、そのせいで頭ん中がグルグルしだした。うるせーガキでしかないあいつのどこが「そう」なのか、オレ自身全然分からなかった。しかもそれが分かったとして、アイツは人間じゃない。猫だ。人間の言葉を喋ろうが、人間の姿をしてようが、アイツは猫だ。だから――
でも、いや、やっぱり、しかし、だからって、そうは言っても、じゃあ、待て、なあ、おい、成美――
「どうした? ぼやっとして」
ふと気が付けば、目の前には麦茶の入ったコップ。それは丁度、差し出されたとこだった。
「いや、なんでもねえ」
そのコップをオレの顔のまん前に配置した本人に、軽く首を横に振りながら応える。
幽霊は毎日が休日みてーなもんだ。だからオレは、朝っぱらから遊びに来ていた。隣の部屋の、201号室に。
「そうか。ならいいのだが」
言って、ソイツがテーブルの向かいに座る。
「しかし間の悪い事だな。買い物の予定ができた途端にこれだ」
ソイツがオレの後ろにある窓へと目をやる。そこからはずっと、一定の間隔なのかどうかも判別しづれーくらいに連続で音が聞こえていた。オレは、この天気があまり好きじゃなかった。
「しかも二日続けて」
さらにそう続けて、ソイツが小さく溜息をつく。両肘をテーブルにつき、両手で顔を支えた。頬の肉がやや押し上げられて、顔が若干ブサイクになる。
「そこまで言うなら雨降ってよーが別に行きゃいいじゃねえか」
壁とかみてーに雨もすり抜けられりゃいいんだけどな。脳味噌と目の数が倍あってもキツそうだけど。多過ぎんだよ、雨粒。
「風呂以外で身体が濡れるのはあまり好きじゃない」
んなこた知ってるっての。――と言おうとして、止めた。思った事をパッと言っちまうのはオレの悪い癖だ。だから、少し考えてから話を切り出した。
「買いもん行く時ってよ、ヤモリと喜坂のどっちから服借りるつもりなんだ?」
するとソイツは、驚いたような顔をした。そしてすぐに、ややムカつく顔になった。
「気になるのか? わたしがどんな服を着るのか」
話題に困っただけだっつの。
――コイツは一昨日、急にでかくなった。つってもそれはただ単に身長が伸びたとかじゃなくて、なんつーか、限定的にっつーか、耳が生えてる時だけでかくなるんだよな。
そして今は、耳を生やす必要がねーから小っせえまんまだ。じゃねーと、服がねえからな。
「わたしは別に着れさえすればどちらでもいいがな。怒橋はどっちがいい?」
「さーな。そもそも、アイツ等が持ってる服を全部知ってるわけでもねーし」
とは言っても大体想像はつくけどな。ヤモリも喜坂も、ついでにオレとコイツも、ほぼ毎日同じよーな服ばっか着てるし。
コロコロ服装が変わるのって、考えてみりゃ清サンと孝一だけか。清サンは出かける先に合わせてるし、孝一は……生きてるしな。寒いのにも暑いのにもオレらよりゃ敏感だし、見られる人の数が段違いだし。
それを考えるとヤモリ、オメー生きてるうえに一応は女だろうに。つくづくオッサンだよな。毎日毎日シャツとあの短っけえズボンだしよ。
「む。それもそうだが……じゃあ」
オレの返事にバツの悪そうな顔をすると、ソイツは一旦仕切りなおした。
「あの二人がよく着ている服で考えるなら、どっちがいい? 喜坂の薄ピンク服か、家守の肌出しか」
「肌出しって、もーちょいマシな紹介できねーのか?」
「服については……よく分からんからな」
あ。またやっちまった。
体全体を縮こめるソイツに、オレはまたしても悪い癖が出た事に気付く。
毎回口から出る前に気付けたらいいんだけどな。――そう思い続けて、もうそろそろ一年か。コイツがここに住むようになって暫らく経つまで、直そうなんて思わなかったしな。……我ながら、ムカつくヤツだなオイ。
出された茶を、今になって初めて一口飲んだ。。
「つってもまあ、オレだって服は詳しくねーけどな」
「なんだ、そうなのか。その割には言ってくれるじゃないか?」
フォローのつもりでそう付け加えたけど、実際のとこもそうだった。興味ねーからな、服なんて。
でもそれはオレが自分で着る服についてであって、コイツが着る服となると……ちょっとくれーはまあ、感心もあるわな。そりゃ。
「家守のアレか、喜坂のアレか……どーだろなあ」
「無視か?」
反省してっからほっとけ。返事したらまた口滑らしそうだしな。
それはいいとして、頭の中にイメージを浮かべる。喜坂の「薄ピンク服」の格好になったコイツと、ヤモリの「肌出し」の格好になったコイツ。
するとなぜか、表情までソイツ等と同じになった。薄ピンク服のコイツは無駄にニコニコしてて、肌出しのコイツは無駄にニヤニヤしてやがった。なので、
「どっちも似合わねーな」
「なんだと!?」
……怒鳴られた。が、意味が分からなかった。こればっかりは悪い癖にも含まれねーと思ったんだが。
「え、おい、キレるとこじゃねーだろ。普段着ねー服が似合うって言われたってよ、どーせ着ねーんだぞ? 買いもんに行く時だけなんだぞ?」
「独創的な考え過ぎて理解できんわ! この阿呆が!」
続けて怒鳴り、腕を組んで、その小っせえ体全体でそっぽを向く。決してそんなつもりじゃなかったんだが、どうやら完全に機嫌を損ねてしまったみてーだった。つってもまあ、火の玉出てねーし大丈夫だろ。
取り敢えず、茶を一口。
「……で」
飲み込んだ茶が、胃を冷やす。それを感じ取れるまでの間を置いて、ソイツは腕を組んだまま横目をこっちに向けた。つーか、睨んできた。
「だったら、どういう服が似合うというのだ?」
「今のソレ」
返事に時間は掛からなかった。頭に浮かべて似合わねーと思う服があるんなら、似合うと思う服も当然ある。だから、思ったそのままを言った。
するとソイツは、自分の胸辺りを見下ろして困ったような顔をする。
「これ……か? 確かにわたしも気に入っているが、毎日同じようなのでは飽きるのでは?」
見下ろした先にあるのは、いつも通りの白い服。ワンピー……ス、っつーんだよな? まあ、それは今はいい。
「飽きる? オレがか?」
またよく分かんねー事を言ってきたので、訊くまでもなくオレの事だろーけど、念の為に訊いてみた。分かんねー話の解読には自信が無い。なんせ、分かったつもりの話でもさっきみてーに怒らせちまうくらいだからな。
するとソイツは、黙ったままこくりと頷いた。やっぱりオレらしい。
「なんでだよ? 似合ってるんだし、それでいいだろ別に」
オレの感性がどこまで頼れるものなのかって言われたら全然自信なんかねーけど、オレ自身が飽きるかどうかと言われりゃあ、そりゃ飽きねーわな。オレが似合ってると思ってるんだし。
するとソイツは横を向いたまま、服を見下ろしていた顔の角度をもっと下げる。
「じゃあ……じゃあな、怒橋」
「ん?」
「大きい方の体用の服も、これと同じようなものでいいか? 大きい方の体でも、似合うと思うか? この服」
言い終わると、ゆっくりこっちを向いた。正面を向いたソイツの前面を、一昨日見たあの大きい体に置き換えてみる。
「似合うんじゃねーか?」
これまた、あっさりと答えが出た。白めの肌も、真っ白な髪も、大きくなったところで変わらねーからな。白けりゃ白は似合うだろ、そりゃ。
その返事を聞いたソイツは笑うように小さく息を吐いてから、
「早く雨が上がるといいな」
今度は本当に笑った。
「話飛んでるぞ。つーか、オレの判断だけで服決めちまっていいのかよ?」
「いいんだよ」
いいらしかった。
「あ、そうだ。覚えてるかどうか知らねーけど、オマエが一年前にヤモリにその姿にしてもらった時、なんか部屋ん中でバタバタしてたよな? あれって何騒いでたんだ?」
「な、なぜ今その話が?」
「いや、さっきボーっとしてた時にその辺の事思い出しててな。ちょっと気になったからよ」
「ああ、そうだったのか」
反応からして、覚えているらしかった。
――人になったコイツがヤモリと一緒に出てくるちょっと前、ヤモリの悲鳴が聞こえた。わーとかぎゃーとか。そんでドタバタ音がして、ちょっとあって、それからやっと二人が出てきたんだよな。例のヤモリの服で出てきたんだっけか。ぶかぶかなあの短いズボンを、落ちないように手で押さえながら。
するとソイツは怒ってるような恥ずかしがってるような表情で、
「……わたしが、裸のままで外に出ようとしたのだ」
「は?」
思わず口から呆れたような声が出た。ら、ソイツは起こってるのと恥ずかしがってるののうち、怒ってるほうの比率をデカくした。
「……あー、そうだったのか」
それ以上怒らせないよう、力を抜いて、呟くように言った。
特に何があるというわけでもなく、何もないというわけでもなく。よーするにただ二人で適当に話をしていた。そんなこんなで時間は過ぎ、あっと言う間っつーか長かったつーか、ふと時計を見れば昼頃。雨はまだ上がる気配を見せなかった。なげーないい加減。
「なあ怒橋、そろそろ仕事の時間じゃないのか?」
同じく時計を見上げていたソイツは、こっちを見るなりそう言った。なんとなくだけど、困ったような顔に見えた。
「そーだな。んじゃそろそろ」
お日さん出てねーし、元気ねーだろーなあアイツ。コイツもそのせいか? ――なわけねーわな。
「行ってらっしゃい。頑張ってこいよ」
「ま、できる範囲でな」
水替えだけで何頑張れっつんだよ。
「じゃ、行ってくるわ」
「行ってらっしゃい」
二回言ったぞ。――とは、言わなかった。悪い癖のような気がしたからだ。
だからそれ以上何も言わず、仕事場に向かった。
廊下に出てみると、201号室にいた間に風向きが変わったらしい。雨が降り込んで廊下がずぶ濡れだった。
「大変だな、アイツも」
住宅街の向こうに見える、一際大きな建物に目をやった。ここから徒歩五分、最近引っ越してきたヤツが通ってる大学だ。喜坂は今日もついて行ってんだろうか?
ヤモリとジョン以外で初の、生きてる住人。それがその大学生、孝一だ。料理が上手くて、(実際オレも何度か食わしてもらった。マジで美味かった)ヤモリと喜坂に料理を教えてるそーだ。
それもあってかすんなりここに溶け込んで、いつの間にやら喜坂と良い仲になっちまった。越してきてから一月も経ってねーのに。……これはちょっと愚痴っぽいな。
たまにヤモリと同じような事言ってきてムカつく時があるとはいえ、まあいいヤツだと思う。最初はオレ等が幽霊だって知って気絶してたってのに、今じゃあ――っつーか、最初っからか? 変な気遣いも無く普通にここのヤツ等と付き合ってるしな。
……つっても、見えるヤツからしたら案外そんなモンなのかもしれねーけど。オレ等、死んじまってるとはいえそこまでバケモンしてねーからな。
「にゅうぅ~……」
清サンに出迎えられて仕事場に到着すると、木曜日の――マリモのサーズデイが、体に似合わねーでかい水槽の中で体を九十度横に傾けていた。まあ、体っつっても全部顔みてーなもんだけど。
マリモは植物だから、光合成をする。まあ常識だな。で、雨が降ってるから、お日さんは出てない。当たり前だな。光合成自体は室内灯でも問題無く可能なんだが、そこはやっぱり差があるらしい。サーズデイも、土曜日の――花のサタデーも、雨とか曇りの日は機嫌が悪い。まあ、光合成とか関係無しに気分的な問題なのかもしれねーけど。
「よっす。もう起きてたのか」
左右を上下に、上下を左右にしてダルっそーな顔してるサーズデイに声を掛ける。コイツは大概寝てばっかで、オレがここに着くより早くに目を覚ましてるのは珍しい事だった。
「ぷくぅ~……」
返事は、これまたダルそうだった。
「んっふっふっふ。結局止んでくれませんでしたねえ、雨。折角早くに目が覚めたのにこれじゃあ、気も滅入りますよねえ」
言ってる内容とは食い違ったいつもの表情で、清サンが水槽を除き込みながらそう言った。
もしかしたら清サンもこの雨で予定が潰れたりしてるのかもしれねーけど、実際のとこどうなのかは読み取れない。常にこの顔だからな、この人。
――オレにもちょっとくれー、こういう余裕があったらいいんだけどなぁ。落ち着きがあるっつーか、思った事がぱっと外に出ちまわねーっつーか。そうすりゃ、今になってすらもアイツと時たま喧嘩になっちまうよーな事は……
「ぷい」
清サンの言葉へ、愚痴でも溢すかのような発音と一緒にサーズデイは横倒しのまま頷いた。その返事を聞いた清サンは、いつもの笑い声を出してから、水槽を除き込む体を持ち上げて今度はオレのほうを向く。
「怒橋君はどうですか? こういう天気」
言われて、窓の外を見てみる。
見るまでもなく、ダルい。
「オレも雨はあんまり好きじゃないですね。気だるいって言うか、なんにもやる気がしなくなるって言うか」
「こくこく」
ころりと九十度回転して通常の角度に戻ったサーズデイが、言葉通りに頷いてオレに同意した。まあ、やる気がなくなるっつっても最初っからやる事なんてないんだけどな。
「なるほど、よく分かりますねえ。しかし気だるさもそう悪いものではありませんよ? 例えば――」
「おや、また来てくれたのか」
来て「くれた」っつーのはなんともコイツらしくなかったが、まあこんな天気だしな。
ってわけで、サーズデイの世話とジョンの毛繕いを済ませたオレは、また201号室に立ち寄る事にした。「例えば、哀沢さんとその気だるさを共有するのも楽しそうですねえ」という清サンの提案通りに。
……言う通りにしたっつーよりは、やろうとしてた事を言い当てられたっつー感じだけどな。
予想外だったのは、
「今度は賑やかだな。お前達も一緒とは」
「ぷくぷく」
「ワンッ!」
これだろうか。清サンの部屋出ようとしたら、サーズデイもジョンもゴネやがったんだよな。吼えられ声上げられ、尻尾振られ体揺すられ、「一緒に連れてけ」ってな具合に。
「ふふ、よく来てくれた。こんな天気だ、歓迎するぞ。どうぞ上がってくれ」
ま、コイツが嬉しそうならそれもアリか。サーズデイをわざわざ小ビンに移して連れて来たのは、結局オレだしな。
遠慮なく上がり込んで、その直後。オレとサーズデイに続いてジョンが上がり込もうとすると、この部屋の主がそれを制した。
「体が濡れてしまっているな。よし、そこで待っていろ。タオルを持ってくる」
と言ってソイツが開けた手の平を差し出すと、やや水を吸ってぺったりしたジョンがその場に座り込む。雨はもう諦めるとしても、風はどーにかならねーかな。もう横殴りじゃねーかあれじゃ。オレはどうにか濡れなかったけど。
ジョンはもともとからして結構デカイので、座り込んでしまえば玄関口はそれだけで窮屈そうに見えた。まあ、本人――つーか本犬は、気にしてなさそーだけど。
「先に上がらせてもらっとくぞー」
台所の奥、風呂場にタオルを取りに向かったソイツへ、声を掛ける。訊くまでもない上にもう上がってるけど、一応客だからな。
「ああ、どうぞどうぞー」
その予想していた返事に、
「にこっ」
手元のビンの中からサーズデイが声を上げた。
廊下からジョンとアイツのじゃれ合うような声が聞こえてくる中、いつものように何もない居間に腰を落ち着け、サーズデイ入りのビンをテーブルに置いて、くつろぐ。
オレの部屋だってそれほど物のあるほうじゃないが、ここはそれ以上だ。左右対称な事以外は同じ構造の部屋なのに広さが違う。寝転ぶ時に周りを確認する必要がない。
って事で、後ろに倒れるようにして寝転んだ。そして白い蛍光灯を見上げながら、ぼんやりと考える。
清サンがここへ行くように言ったのは、(行けって言われたわけじゃねーけど、まあ似たようなモンだろ)訊き返すまでもなくオレとアイツが付き合ってるからだろう。
初めて気付いたあの買い物の日から半年とちょっと……四分の三年くらいか? そんくらい経って、このあいだの月曜日。オレはやっと、四分の三年前に気付いた事をアイツに伝える事ができた。孝一に騙されたような感じだったのはシャクだが、そりゃあ、やっぱり嬉しい。言いたくて言えなかった期間が随分とあったから、そのせいもあるのかもな。
あれは正直、卑怯な告白だったような気もする。アイツがなんて返事を返してくるか分かっていたからだ。いくらオレが馬鹿だとはいえ、自分が気付いてから四分の三年も一緒にいりゃあ気付かねーほうが変だ。アイツがオレを、どう思ってるのかなんて。
「ぷくぷく」
声がして、仰向けに寝転んだまま視線を無理にテーブルへ向ける。テーブルの縁に置いたビンの中から、サーズデイがこっちを見下ろしていた。
「どうした?」
体を起こして見下ろし返してみれば、「くいくい」と体をビンの前面に押し付けだした。コイツがそう言う時は、体を動かしている方向を指し示している時だ。なので背後を振り返る。するとそこには、
「来てくれた途端に寝てしまったのかと思ったぞ。――おはよう、怒橋」
「ワウ」
馬鹿にするような、それでもどこか楽しそうな顔の、アイツが立っていた。サッパリしたジョンを引き連れて。
「寝てねーよ」
とは言ったけど、足音に気付かなかった事を考えれば本当に寝ていたのかもしれねーな。雨音で聞こえなかっただけって線もあるけど。
「にこにこ」
正直、初めてアイツに会った時は胡散臭さ満タンだった。自分が幽霊になっちまっても、それでも幽霊がどうたら笑いながら話すヤツなんざ信用できるわけねー。……でもまあ、結局オレは首を縦に振ったんだけどな。思うところもあったし。
二年前。その管理人の誘いを承諾していざこのあまくに荘に到着してみれば、出てきたのはやけに嬉しそうな女と眼鏡の人。どっちもオレと同じ幽霊だった。あと犬もいた。コイツは生きてたけど。
その犬が随分とオレに纏わりつくもんだから、その犬の――ジョンの世話を、仕事として与えられた。まあ仕事っつっても要は犬を一匹飼うのと同じだし、仕事っつうほど大層なもんでもなかったんだけどな。この時点では。
暫らくすると、眼鏡の人――清サンが、妙なモンを山から引っ張ってきた。一見ただの犬だったんだが、次の日、清サンの部屋にいたのは黒猫だった。清サンがいつもみたいに笑いながら、みんなを集めてその事を報告した。その場にはその猫も連れて来ていた。
そしたら管理人――ヤモリのヤツが、いきなりその猫と会話し始めた。もちろん猫はニャアニャアしか言わねーから、オレは正直ヤモリの頭を疑った。が、暫らく話して、ヤモリが自分の部屋にその猫を連れ込んで――出てきた時には、その猫が日本語喋りだしやがった。「ここに住まわせてもらう事になった。よろしく頼むよ」だそうだった。
当然のようにソイツの世話はオレの仕事になった。だけどソイツ、日毎にがんがん姿も中身も変わりやがって、結局七匹めまで姿が変わって、八日目には最初の犬に戻った。つー事で、まだ決定してなかったソイツ等の名前は現れる曜日そのまんまの名前にした。決めたのはオレだ。分かりやすかったからな。
もう暫らくして――オレがここに住み始めて一年くらいか? また猫が来た。また幽霊だった。毛がボロボロの、白猫だった。
黒猫と――火曜日に出てくるから、チューズデーだな。アイツん時と同じようにヤモリが自分の部屋に連れ込んで「また日本語喋るようになるのか?」とか思ってたら、なんか人間の女になって出てきやがった。しかもガキ。そんでもってうるせー。やたら突っかかってくる上に、外歩く時はしょっちゅう「おぶれ」って命令口調で言ってきやがる。正直ウザかったが、無視したらなんか火の玉が出てきて気が付いたら二階から飛び降りてたもんで、言う事聞かざるを得なくなった。
そんで、このガキのお守もオレの仕事になった。誰にも言われてねーけど、そうするしかなかった。
このガキ、何がどーなってんだか幽霊のくせに実体化できるらしくて、それの有効活用って事でコイツの仕事は買い物になった。つってもまあ、元が猫だ。初めのうちは勝手がよく分からなかったみてーで、危うく万引きしかけた事もあったっけか。そん時はいつものお返しって事で嫌味たっぷりに説明してやったな。やり過ぎると自殺しかけるから程々に、だけど。
そのうち買い物も一人でできるようになったんだが、それでもオレは乗り物代わりだった。でもオレも、この頃になるとそれにいちいち腹立てたりはしなかった。慣れちまったんだな。自分でもどーかと思うけどよ。
ある日。いつもみてーにソイツを背負って買い物に行ったら、背中が急に重くなった。寝てやがったんだな、ソイツが。人を歩かせといていい気なもんだってさすがにちょっとムカついて、起こそうとした――んだけど、ソイツがあんまり気持ち良さそうだったから止めといた。寝てるとこ起こされたら普通は腹立つからな。そしたらまた火の玉だろーし。
……とは思ったけど、思ってたんだけど、どっかに多分それ以外の理由もあったと思う。それが何かまでは知らねーけど、とにかくいろいろあって、オレはソイツを寝かしたままにしておいた。
結局店に着いてもソイツは寝っぱなしで、ここまで来たらしゃーねえかって事で、背中揺らして起こしてみた。怒るかと思ってたら、なんでかソイツは急に無口になった。普段はちょっとした事でうるせーくせに。
買い物が終わって店を出て、いつもの事だからと言われる前に、しゃがんで背中を差し出した。もう習慣だったからな。
……けどソイツは、乗らなかった。「いや、いい」とか言いやがった。そっからウチまで、また無言だった。もとからチビのくせに下向いてたもんだから、顔は全く見えなかった。
ウチに着いてから何がどーなってんだか考えた。オレ、アイツに何かしたかなーとか、もう背中に乗らなくなったりすんのかなーとか。まあ、結果としてその日だけの事だったんだけどな。
そんな事考えてたら、なんか寒かった。幽霊になってから、冬でもそんなに寒いなんて思った事なかったのに。しかも鳥肌まで出てきやがった。
――気付いたのは、その日だった。
気付いたのはいいけど、それから暫らく、そのせいで頭ん中がグルグルしだした。うるせーガキでしかないあいつのどこが「そう」なのか、オレ自身全然分からなかった。しかもそれが分かったとして、アイツは人間じゃない。猫だ。人間の言葉を喋ろうが、人間の姿をしてようが、アイツは猫だ。だから――
でも、いや、やっぱり、しかし、だからって、そうは言っても、じゃあ、待て、なあ、おい、成美――
「どうした? ぼやっとして」
ふと気が付けば、目の前には麦茶の入ったコップ。それは丁度、差し出されたとこだった。
「いや、なんでもねえ」
そのコップをオレの顔のまん前に配置した本人に、軽く首を横に振りながら応える。
幽霊は毎日が休日みてーなもんだ。だからオレは、朝っぱらから遊びに来ていた。隣の部屋の、201号室に。
「そうか。ならいいのだが」
言って、ソイツがテーブルの向かいに座る。
「しかし間の悪い事だな。買い物の予定ができた途端にこれだ」
ソイツがオレの後ろにある窓へと目をやる。そこからはずっと、一定の間隔なのかどうかも判別しづれーくらいに連続で音が聞こえていた。オレは、この天気があまり好きじゃなかった。
「しかも二日続けて」
さらにそう続けて、ソイツが小さく溜息をつく。両肘をテーブルにつき、両手で顔を支えた。頬の肉がやや押し上げられて、顔が若干ブサイクになる。
「そこまで言うなら雨降ってよーが別に行きゃいいじゃねえか」
壁とかみてーに雨もすり抜けられりゃいいんだけどな。脳味噌と目の数が倍あってもキツそうだけど。多過ぎんだよ、雨粒。
「風呂以外で身体が濡れるのはあまり好きじゃない」
んなこた知ってるっての。――と言おうとして、止めた。思った事をパッと言っちまうのはオレの悪い癖だ。だから、少し考えてから話を切り出した。
「買いもん行く時ってよ、ヤモリと喜坂のどっちから服借りるつもりなんだ?」
するとソイツは、驚いたような顔をした。そしてすぐに、ややムカつく顔になった。
「気になるのか? わたしがどんな服を着るのか」
話題に困っただけだっつの。
――コイツは一昨日、急にでかくなった。つってもそれはただ単に身長が伸びたとかじゃなくて、なんつーか、限定的にっつーか、耳が生えてる時だけでかくなるんだよな。
そして今は、耳を生やす必要がねーから小っせえまんまだ。じゃねーと、服がねえからな。
「わたしは別に着れさえすればどちらでもいいがな。怒橋はどっちがいい?」
「さーな。そもそも、アイツ等が持ってる服を全部知ってるわけでもねーし」
とは言っても大体想像はつくけどな。ヤモリも喜坂も、ついでにオレとコイツも、ほぼ毎日同じよーな服ばっか着てるし。
コロコロ服装が変わるのって、考えてみりゃ清サンと孝一だけか。清サンは出かける先に合わせてるし、孝一は……生きてるしな。寒いのにも暑いのにもオレらよりゃ敏感だし、見られる人の数が段違いだし。
それを考えるとヤモリ、オメー生きてるうえに一応は女だろうに。つくづくオッサンだよな。毎日毎日シャツとあの短っけえズボンだしよ。
「む。それもそうだが……じゃあ」
オレの返事にバツの悪そうな顔をすると、ソイツは一旦仕切りなおした。
「あの二人がよく着ている服で考えるなら、どっちがいい? 喜坂の薄ピンク服か、家守の肌出しか」
「肌出しって、もーちょいマシな紹介できねーのか?」
「服については……よく分からんからな」
あ。またやっちまった。
体全体を縮こめるソイツに、オレはまたしても悪い癖が出た事に気付く。
毎回口から出る前に気付けたらいいんだけどな。――そう思い続けて、もうそろそろ一年か。コイツがここに住むようになって暫らく経つまで、直そうなんて思わなかったしな。……我ながら、ムカつくヤツだなオイ。
出された茶を、今になって初めて一口飲んだ。。
「つってもまあ、オレだって服は詳しくねーけどな」
「なんだ、そうなのか。その割には言ってくれるじゃないか?」
フォローのつもりでそう付け加えたけど、実際のとこもそうだった。興味ねーからな、服なんて。
でもそれはオレが自分で着る服についてであって、コイツが着る服となると……ちょっとくれーはまあ、感心もあるわな。そりゃ。
「家守のアレか、喜坂のアレか……どーだろなあ」
「無視か?」
反省してっからほっとけ。返事したらまた口滑らしそうだしな。
それはいいとして、頭の中にイメージを浮かべる。喜坂の「薄ピンク服」の格好になったコイツと、ヤモリの「肌出し」の格好になったコイツ。
するとなぜか、表情までソイツ等と同じになった。薄ピンク服のコイツは無駄にニコニコしてて、肌出しのコイツは無駄にニヤニヤしてやがった。なので、
「どっちも似合わねーな」
「なんだと!?」
……怒鳴られた。が、意味が分からなかった。こればっかりは悪い癖にも含まれねーと思ったんだが。
「え、おい、キレるとこじゃねーだろ。普段着ねー服が似合うって言われたってよ、どーせ着ねーんだぞ? 買いもんに行く時だけなんだぞ?」
「独創的な考え過ぎて理解できんわ! この阿呆が!」
続けて怒鳴り、腕を組んで、その小っせえ体全体でそっぽを向く。決してそんなつもりじゃなかったんだが、どうやら完全に機嫌を損ねてしまったみてーだった。つってもまあ、火の玉出てねーし大丈夫だろ。
取り敢えず、茶を一口。
「……で」
飲み込んだ茶が、胃を冷やす。それを感じ取れるまでの間を置いて、ソイツは腕を組んだまま横目をこっちに向けた。つーか、睨んできた。
「だったら、どういう服が似合うというのだ?」
「今のソレ」
返事に時間は掛からなかった。頭に浮かべて似合わねーと思う服があるんなら、似合うと思う服も当然ある。だから、思ったそのままを言った。
するとソイツは、自分の胸辺りを見下ろして困ったような顔をする。
「これ……か? 確かにわたしも気に入っているが、毎日同じようなのでは飽きるのでは?」
見下ろした先にあるのは、いつも通りの白い服。ワンピー……ス、っつーんだよな? まあ、それは今はいい。
「飽きる? オレがか?」
またよく分かんねー事を言ってきたので、訊くまでもなくオレの事だろーけど、念の為に訊いてみた。分かんねー話の解読には自信が無い。なんせ、分かったつもりの話でもさっきみてーに怒らせちまうくらいだからな。
するとソイツは、黙ったままこくりと頷いた。やっぱりオレらしい。
「なんでだよ? 似合ってるんだし、それでいいだろ別に」
オレの感性がどこまで頼れるものなのかって言われたら全然自信なんかねーけど、オレ自身が飽きるかどうかと言われりゃあ、そりゃ飽きねーわな。オレが似合ってると思ってるんだし。
するとソイツは横を向いたまま、服を見下ろしていた顔の角度をもっと下げる。
「じゃあ……じゃあな、怒橋」
「ん?」
「大きい方の体用の服も、これと同じようなものでいいか? 大きい方の体でも、似合うと思うか? この服」
言い終わると、ゆっくりこっちを向いた。正面を向いたソイツの前面を、一昨日見たあの大きい体に置き換えてみる。
「似合うんじゃねーか?」
これまた、あっさりと答えが出た。白めの肌も、真っ白な髪も、大きくなったところで変わらねーからな。白けりゃ白は似合うだろ、そりゃ。
その返事を聞いたソイツは笑うように小さく息を吐いてから、
「早く雨が上がるといいな」
今度は本当に笑った。
「話飛んでるぞ。つーか、オレの判断だけで服決めちまっていいのかよ?」
「いいんだよ」
いいらしかった。
「あ、そうだ。覚えてるかどうか知らねーけど、オマエが一年前にヤモリにその姿にしてもらった時、なんか部屋ん中でバタバタしてたよな? あれって何騒いでたんだ?」
「な、なぜ今その話が?」
「いや、さっきボーっとしてた時にその辺の事思い出しててな。ちょっと気になったからよ」
「ああ、そうだったのか」
反応からして、覚えているらしかった。
――人になったコイツがヤモリと一緒に出てくるちょっと前、ヤモリの悲鳴が聞こえた。わーとかぎゃーとか。そんでドタバタ音がして、ちょっとあって、それからやっと二人が出てきたんだよな。例のヤモリの服で出てきたんだっけか。ぶかぶかなあの短いズボンを、落ちないように手で押さえながら。
するとソイツは怒ってるような恥ずかしがってるような表情で、
「……わたしが、裸のままで外に出ようとしたのだ」
「は?」
思わず口から呆れたような声が出た。ら、ソイツは起こってるのと恥ずかしがってるののうち、怒ってるほうの比率をデカくした。
「……あー、そうだったのか」
それ以上怒らせないよう、力を抜いて、呟くように言った。
特に何があるというわけでもなく、何もないというわけでもなく。よーするにただ二人で適当に話をしていた。そんなこんなで時間は過ぎ、あっと言う間っつーか長かったつーか、ふと時計を見れば昼頃。雨はまだ上がる気配を見せなかった。なげーないい加減。
「なあ怒橋、そろそろ仕事の時間じゃないのか?」
同じく時計を見上げていたソイツは、こっちを見るなりそう言った。なんとなくだけど、困ったような顔に見えた。
「そーだな。んじゃそろそろ」
お日さん出てねーし、元気ねーだろーなあアイツ。コイツもそのせいか? ――なわけねーわな。
「行ってらっしゃい。頑張ってこいよ」
「ま、できる範囲でな」
水替えだけで何頑張れっつんだよ。
「じゃ、行ってくるわ」
「行ってらっしゃい」
二回言ったぞ。――とは、言わなかった。悪い癖のような気がしたからだ。
だからそれ以上何も言わず、仕事場に向かった。
廊下に出てみると、201号室にいた間に風向きが変わったらしい。雨が降り込んで廊下がずぶ濡れだった。
「大変だな、アイツも」
住宅街の向こうに見える、一際大きな建物に目をやった。ここから徒歩五分、最近引っ越してきたヤツが通ってる大学だ。喜坂は今日もついて行ってんだろうか?
ヤモリとジョン以外で初の、生きてる住人。それがその大学生、孝一だ。料理が上手くて、(実際オレも何度か食わしてもらった。マジで美味かった)ヤモリと喜坂に料理を教えてるそーだ。
それもあってかすんなりここに溶け込んで、いつの間にやら喜坂と良い仲になっちまった。越してきてから一月も経ってねーのに。……これはちょっと愚痴っぽいな。
たまにヤモリと同じような事言ってきてムカつく時があるとはいえ、まあいいヤツだと思う。最初はオレ等が幽霊だって知って気絶してたってのに、今じゃあ――っつーか、最初っからか? 変な気遣いも無く普通にここのヤツ等と付き合ってるしな。
……つっても、見えるヤツからしたら案外そんなモンなのかもしれねーけど。オレ等、死んじまってるとはいえそこまでバケモンしてねーからな。
「にゅうぅ~……」
清サンに出迎えられて仕事場に到着すると、木曜日の――マリモのサーズデイが、体に似合わねーでかい水槽の中で体を九十度横に傾けていた。まあ、体っつっても全部顔みてーなもんだけど。
マリモは植物だから、光合成をする。まあ常識だな。で、雨が降ってるから、お日さんは出てない。当たり前だな。光合成自体は室内灯でも問題無く可能なんだが、そこはやっぱり差があるらしい。サーズデイも、土曜日の――花のサタデーも、雨とか曇りの日は機嫌が悪い。まあ、光合成とか関係無しに気分的な問題なのかもしれねーけど。
「よっす。もう起きてたのか」
左右を上下に、上下を左右にしてダルっそーな顔してるサーズデイに声を掛ける。コイツは大概寝てばっかで、オレがここに着くより早くに目を覚ましてるのは珍しい事だった。
「ぷくぅ~……」
返事は、これまたダルそうだった。
「んっふっふっふ。結局止んでくれませんでしたねえ、雨。折角早くに目が覚めたのにこれじゃあ、気も滅入りますよねえ」
言ってる内容とは食い違ったいつもの表情で、清サンが水槽を除き込みながらそう言った。
もしかしたら清サンもこの雨で予定が潰れたりしてるのかもしれねーけど、実際のとこどうなのかは読み取れない。常にこの顔だからな、この人。
――オレにもちょっとくれー、こういう余裕があったらいいんだけどなぁ。落ち着きがあるっつーか、思った事がぱっと外に出ちまわねーっつーか。そうすりゃ、今になってすらもアイツと時たま喧嘩になっちまうよーな事は……
「ぷい」
清サンの言葉へ、愚痴でも溢すかのような発音と一緒にサーズデイは横倒しのまま頷いた。その返事を聞いた清サンは、いつもの笑い声を出してから、水槽を除き込む体を持ち上げて今度はオレのほうを向く。
「怒橋君はどうですか? こういう天気」
言われて、窓の外を見てみる。
見るまでもなく、ダルい。
「オレも雨はあんまり好きじゃないですね。気だるいって言うか、なんにもやる気がしなくなるって言うか」
「こくこく」
ころりと九十度回転して通常の角度に戻ったサーズデイが、言葉通りに頷いてオレに同意した。まあ、やる気がなくなるっつっても最初っからやる事なんてないんだけどな。
「なるほど、よく分かりますねえ。しかし気だるさもそう悪いものではありませんよ? 例えば――」
「おや、また来てくれたのか」
来て「くれた」っつーのはなんともコイツらしくなかったが、まあこんな天気だしな。
ってわけで、サーズデイの世話とジョンの毛繕いを済ませたオレは、また201号室に立ち寄る事にした。「例えば、哀沢さんとその気だるさを共有するのも楽しそうですねえ」という清サンの提案通りに。
……言う通りにしたっつーよりは、やろうとしてた事を言い当てられたっつー感じだけどな。
予想外だったのは、
「今度は賑やかだな。お前達も一緒とは」
「ぷくぷく」
「ワンッ!」
これだろうか。清サンの部屋出ようとしたら、サーズデイもジョンもゴネやがったんだよな。吼えられ声上げられ、尻尾振られ体揺すられ、「一緒に連れてけ」ってな具合に。
「ふふ、よく来てくれた。こんな天気だ、歓迎するぞ。どうぞ上がってくれ」
ま、コイツが嬉しそうならそれもアリか。サーズデイをわざわざ小ビンに移して連れて来たのは、結局オレだしな。
遠慮なく上がり込んで、その直後。オレとサーズデイに続いてジョンが上がり込もうとすると、この部屋の主がそれを制した。
「体が濡れてしまっているな。よし、そこで待っていろ。タオルを持ってくる」
と言ってソイツが開けた手の平を差し出すと、やや水を吸ってぺったりしたジョンがその場に座り込む。雨はもう諦めるとしても、風はどーにかならねーかな。もう横殴りじゃねーかあれじゃ。オレはどうにか濡れなかったけど。
ジョンはもともとからして結構デカイので、座り込んでしまえば玄関口はそれだけで窮屈そうに見えた。まあ、本人――つーか本犬は、気にしてなさそーだけど。
「先に上がらせてもらっとくぞー」
台所の奥、風呂場にタオルを取りに向かったソイツへ、声を掛ける。訊くまでもない上にもう上がってるけど、一応客だからな。
「ああ、どうぞどうぞー」
その予想していた返事に、
「にこっ」
手元のビンの中からサーズデイが声を上げた。
廊下からジョンとアイツのじゃれ合うような声が聞こえてくる中、いつものように何もない居間に腰を落ち着け、サーズデイ入りのビンをテーブルに置いて、くつろぐ。
オレの部屋だってそれほど物のあるほうじゃないが、ここはそれ以上だ。左右対称な事以外は同じ構造の部屋なのに広さが違う。寝転ぶ時に周りを確認する必要がない。
って事で、後ろに倒れるようにして寝転んだ。そして白い蛍光灯を見上げながら、ぼんやりと考える。
清サンがここへ行くように言ったのは、(行けって言われたわけじゃねーけど、まあ似たようなモンだろ)訊き返すまでもなくオレとアイツが付き合ってるからだろう。
初めて気付いたあの買い物の日から半年とちょっと……四分の三年くらいか? そんくらい経って、このあいだの月曜日。オレはやっと、四分の三年前に気付いた事をアイツに伝える事ができた。孝一に騙されたような感じだったのはシャクだが、そりゃあ、やっぱり嬉しい。言いたくて言えなかった期間が随分とあったから、そのせいもあるのかもな。
あれは正直、卑怯な告白だったような気もする。アイツがなんて返事を返してくるか分かっていたからだ。いくらオレが馬鹿だとはいえ、自分が気付いてから四分の三年も一緒にいりゃあ気付かねーほうが変だ。アイツがオレを、どう思ってるのかなんて。
「ぷくぷく」
声がして、仰向けに寝転んだまま視線を無理にテーブルへ向ける。テーブルの縁に置いたビンの中から、サーズデイがこっちを見下ろしていた。
「どうした?」
体を起こして見下ろし返してみれば、「くいくい」と体をビンの前面に押し付けだした。コイツがそう言う時は、体を動かしている方向を指し示している時だ。なので背後を振り返る。するとそこには、
「来てくれた途端に寝てしまったのかと思ったぞ。――おはよう、怒橋」
「ワウ」
馬鹿にするような、それでもどこか楽しそうな顔の、アイツが立っていた。サッパリしたジョンを引き連れて。
「寝てねーよ」
とは言ったけど、足音に気付かなかった事を考えれば本当に寝ていたのかもしれねーな。雨音で聞こえなかっただけって線もあるけど。
「にこにこ」
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