四人も集まりゃ賑やかにもなる。生憎の天気で本調子じゃなかったサーズデイも、ぷかぷかにこにこ言いながら楽しそうだ。
――オレは昔っから、なんでか知らねーけど動物によく懐かれた。ガキの頃、動物園に行ってゴリラが突進してきた時はマジ泣きしたっけか。もちろん柵はあるけど……ありゃ多分、今でもビビる。
餌持ってるわけでもねーのに公園で鳩にたかられたりもした。あん時ゃ、餌持ってた知らねーガキが泣き出したんだっけか。どうしようもなかったとはいえ、悪かった。
泣かされたり笑かされたりして結局のところ、オレは動物がそこそこ好きだ。チューズデーが喋りだした時はいくら何でも驚いたが、それでも……いや、そのおかげで余計に、か? 今でもそれは変わらねえ。言葉が通じようが通じまいが、仲良くしてくれるってんなら悪い気はしねーからな。
「ジョンとサーズデイが来てくれて良かったよ」
そんな事を思っていると、ジョンの下顎を撫でながら元白猫が礼でも言うかのように呟いた。
「こいつのこんな楽しそうな顔、『仕事中』じゃないと拝めんしな」
「なっ!? な、何馬鹿な事――! ……オレ、どんな顔してた?」
両の手を顔に当ててみる。表情を作る筋肉が硬くなってる事はすぐに分かった。
「言わなくても分かっているだろう自分の顔の形くらい。全く、とんだ頑固者だ」
…………
「ワンッ!」
「にこっ」
……うっせーよ。
「ん? もしかして、雨止んだか?」
それからまた暫らくオレの表情に表れてるような時間が過ぎていくと、いつからか雨音がしなくなっている事に気が付いた。すると、
「きゃー」
サーズデイが晴れた事を喜んで、ビンの中で飛び跳ねる。と言っても水中だから上昇も下降もゆっくりだけどな。
「おお、本当だな。やっと止んでくれたか……これでやっと買い物に行ける」
同じく今まで気付いてなかったらしいソイツは、窓の向こうで雲の間から指すお日さんを眺めて、待ちに待ったと言わんばかりだった。
「ん? 今から行くのか?」
「む? 都合が悪いか? 無理を言うつもりはないが」
「あ、オレも一緒に行く事になってるのか」
やや、ムスッとした顔をされた。……なんだ、今のもなんかマズかったのか?
「そうじゃなければ、誰の服を借りるかであそこまで悩んだりしないさ」
あ、ああ。いやその――悪い。
「ワフッ」
「ひゅーひゅー」
……だからうっせーよオマエ等。
「でも今じゃヤモリも喜坂もいねーんじゃねーか? ヤモリは仕事だし、喜坂は多分孝一と一緒に大学だろ?」
どっちも見たわけじゃねーけど、まあそうだろう。ヤモリが仕事サボったら遅くても午前中には遊びに行く話が誰かしらに伝わってる筈だし、喜坂のほうは昨日も一昨日もそうだったしな。
「あ、そうだな確かに」
そう返事をして、ソイツは残念そうな顔をする。そして大きな溜息を一つ吐き、
「つくづく間が悪いな。家守は仕方ないにしても、喜坂までいないとは」
そう言ってただでさえ小さくて低いその肩を更に低くすると、そこへジョンが顔をすり寄せた。
「ワフッ」
「……ん?」
若干体を揺すられ、ソイツがジョンを振り返る。するとジョンは玄関口のほうへ歩き出し、その手前で座り込んだ。何かを期待しているように尻尾を左右に降り、舌をだらんと垂らしながら。
「ああ、散歩行きてーってか」
「わたしも一緒に行くぞ」
まだ何も言ってねーよ。
「ぷっくぷく~」
右手にビンを。左手にリードを。そして背中に、
「買い物もこの姿でできればいいのだがな」
コイツを。両手が塞がってて支えられねーのに、よくもまあ落ちずにしがみ付いてられるもんだ。まあ、オレが前傾気味になってるってのもあるが。こーしねーと首が絞まるんだよな。背負ってるヤツの腕で。
コイツ等以外で持ち物と言えば、ビニール袋(できるだけ透明でない)がポケットに一つだけ。用途は言わずもがなだろう。袋越しとはいえ、アレを素手で掴むのにももう慣れたもんだ。つってもまあ、ジョンはあんまり外でしねーけどな。
「鍵持ったか?」
出発前の最後の確認に、この部屋の主に尋ねる。
「ああ、持ってるぞ」
よし、じゃあ行くか。
階段はジョンに先を行かせ、そのまま引っ張られるようにあまくに荘玄関口へ。
そしたらそこへ声が掛かる。
「あ、みんなただいま。今からお散歩?」
閉じた傘を片手に大学側から現れたソイツは、喜坂だった。
「ん? 喜坂、日向と一緒ではないのか? 一緒に大学に行っていたのだろう?」
状況を見れば答えるまでもない質問には答えず、背中の上のヤツが尋ね返す。
「ああ、うん。そうだったんだけど、雨が止んだから。またいつ降り出すかも分からないから、一回帰ってお掃除しといたほうがいいかなって」
何が楽しいのかは全く分かんねーけど、こいつは掃除が好きなんだそうだ。オレがここに住むようになるずっと前から毎日毎日、ゴミもねえ庭を竹箒でせっせと掃いてるらしい。今日みてーに雨降って地面べちゃべちゃでも、よっぽどじゃなけりゃあやり通すくれーだしな。いや、二日降り続けたんだからもうとっくに「よっぽど」か?
それから――こっちは数日に一回だが、空き部屋に入り込んでそこの掃除もしてるな。この時は例外的に壁抜けをしてもいいって事になってる。まあ、ドアの鍵が開いてねーからしゃーねえんだけど。
……それについて一つ。あまくに荘には、あるルールがある。オレ等幽霊は物を自由にすり抜けられるんだが、それで壁を抜けるのは緊急時や仕方が無い場合以外駄目って事になってる。それは他人の部屋がどうとかじゃなくて、全ての壁がって事だ。だから、自分の部屋に入るのだってみんなわざわざドアを開けて入ってる。鍵だって掛ける。
最初は「意味あんのかこれ?」とか思ってたけど、今ではもう気にもならなくなってきてるな。普通にしてりゃあ気にするまでもねえルールだし。そんで、意味も……上手く言えねーけどある気がする。上手く言えねーけど。
「良かったら一緒に来ないか?」
「え、でもあの、お邪魔じゃないかな?」
「は―――ふふ、気にするなそんな事。二人で出かける予定ならもうあるからな」
「あ、そうなんだ? じゃあお言葉に甘えちゃおうかな」
長々と考えてる間に女二人の話は進み、気が付けば散歩の人数が一つ増えていた。
「お邪魔します、大吾くん」
邪魔じゃねーってのに。
「ん」
「ぷくーっ」
「ワンッ!」
って事で。いったん部屋に傘を置きに戻る喜坂をそのまま待ち、急いでるわけでもねーのに駆け足で戻ってきたソイツを隣に、本日の散歩を開始した。
暫らく適当に歩くと、(この散歩に決まったルートってもんは無い。適当に住宅街を歩き回るだけだ)喜坂が「ジョンかサーズデイか、栞が持とうか?」と苦笑いしながら言ってきた。オレにとっちゃあ毎度の事なんだが、両手と背中が塞がってるのはあっちからすりゃ辛そうに見えるんだろう。それだって毎度の事だが。
「じゃ、サーズデイ頼む」
「うん」
水とマリモ入りのビンを突き出すと、それをさも大事そうに両手で受け取る喜坂。いちいち物を両手で持つってのは、女々しいっつーかなんつーか。まあコイツは女なんだけどな。
すると、
「じゃあジョンのリードはわたしが持とう」
背中のほうから続けて提案された。特に断る理由も無いので、何も言わずに胸元で組まれている両手にリードを近付ける。そしたらこれまた両手で大事そうに掴んだ。……まあ、コイツだって女だし。
「お前の支え無しにしがみ付いているのは、結構疲れるからな」
空いた両手をソイツの膝裏に通すと、体全体からやや力を抜いたソイツが休憩にでも入ったみてーに、ほっとそう呟いた。
降りりゃいいのによ。……とは、言わないでおく。
「ねえ成美ちゃん」
「なんだ?」
家と家の間を縫う道を適当に曲がりくねっていると、喜坂がオレの背中側へ声を掛けた。
「二人で出かける予定って何?」
「買い物だよ。大きくなった時用の服を買いにな」
「ああ、そっか。……あれ、でもじゃあ、その時の服はどうするの?」
「それなんだが……」
喜坂への返事はそこでいったん区切られ、背中からもぞりと感触が。その感触からするに、オレの背中へ体を完璧にもたれ掛からせていたソイツが上体を起こしたらしい。
「服を――あと、靴か何か貸してもらえないだろうか、喜坂」
恐縮しつつも期待しているような、妙な声色だった。
そりゃそーだ。ヤモリも喜坂もいねーってんで買い物行くの諦めてたところに、丁度喜坂が帰ってきたんだからな。
「え……」
しかし喜坂は渋い顔。もしかして、駄目なのか?
そしてその顔のまま「あー」とか「うー」とか首の角度を変えまくりながら悩んだ後、何か決心がついたよーなついてないよーな、そんなゆっくりした動きで質問者へ向き直った。
「成美ちゃん、ちょっとこっち来て」
そして手招き。なんだ一体?
「ん? あ、ああ。分かった」
呼ばれたソイツは掴んでいたリードをオレの顔のまん前に持ってきて、暗に「持て」と言ってきた。オレがそれを受け取ると、ソイツはもそもそと背中から降りる。そして今度は喜坂がサーズデイを差し出す。これまたそれを受け取って、
……何なんだ?
「ぷい?」
「ワウ?」
オレ達三人は、道の反対側でこそこそ話し始める女二人組をわけも分かんねーまま眺めている事しかできなかった。
「どうしたのだ喜坂? 何か、言いにくい話か?」
「うん、あのね――その、服と履く物は大丈夫なんだけど……パンツ、大丈夫なのかなって」
「あ、いや、それは大丈夫だ。意外と伸びる。そうじゃなかったら一昨日、とんでもない事になってただろう?」
「あっ、だ、だよね。あの時破れてたりしたら」
「皆まで言わないでくれ想像したくない。そんな事になったら、ヒトダマ三つどうこう以前にトラウマものだ」
「あ、ごめん。――服は大丈夫だよ。好きなの着てくれていいから」
「ありがとう。お前も家守もいなくて、困っていたところだったのだ」
「えへへ、いいタイミングで帰ってきたみたいだね。……あ、そうだ。もう一つ」
「なんだ?」
「えーと、下着繋がりで思ったんだけど、ブラのほうは……?」
「……無しで大丈夫だ」
「そ、そう」
「……………」
帰ってくる頃にはなんでか申し訳無さそうな顔になっていた喜坂が横に付き、なんでかしょぼくれた顔になっていたもう一方を背中に背負い、微妙にヤな空気で散歩再開。
二人で話して何がどうなったのかなんてサッパリ分かんねーし、女同士でもいろいろあるんだろーなって事にしとこう。
「支えなんか必要無いさ。わたしは、支えが必要な程大きくなどないからな」
何の話だよ? いやに大層な……なんつーかこう、あっちで人生でも語ってたのか? 喜坂相手に?
「ワウ……?」
人の上で暗いトーンの独り言を言い放つソイツに、ジョンが心配そうな顔を向ける。
おいジョン。今回ばっかりは百パーセント、オレがドジってコイツの機嫌悪くさせたんじゃねーからな? オレ、何も喋ってねーし。
「ウウゥ」
だからこっち見んな。唸り声上げんな。
「ぷむぅ~?」
オマエも。凝視すんな。
……あと喜坂。なんで黙ったままポーズだけで謝ってくんだ? 意味分かんねー上にサーズデイ挟んでて手ぇ合わせきれてねーし。
「なあ喜坂」
「ん?」
暫らく進んで、未定だった目的地がウチに変わり始めた頃。わけ分かんねーヘコみ具合が治まったのか、いつもの偉っそーな口調が視界の外から隣の喜坂に向けられた。
すると、その喜坂もいつも通りの人畜無害そーな薄笑い顔をオレの背中へ向ける。
「何かな?」
「日向とはどうなのだ? 上手くいっているのか?」
「なななっ、きゅきゅ急になんでそんな事!?」
オレからしてもあんまりな質問に、訊かれた本人は伸ばしたゴムみてーに体全体をビクつかせながらまっすぐにする。
まあ驚くのは仕方ねえにしても、ビン抱き潰すなよ。
「いや、わたしは――あと怒橋も、『そういう事』が苦手だからな。普通はどんな按配で事を進めていくのかな、と」
苦手だと断定されるのはヤな感じだが、否定はできないので黙っておく。考えてみりゃ散歩始めてから殆ど黙りっぱなしなような気もするが、まあ仕方ない。口挟めねーんだし。
「そんな、栞だって得意じゃないよぉ」
喜坂はそう言いながら片手を振ってみせた。
「上手くいくも何もまだ始まったばっかりだし、『普通はどうするか』なんてそんな事……考える余裕なんて全然無いし」
苦笑いを浮かべながらゆるゆるとその手を降ろす喜坂に、背中から意外そうな声が飛ぶ。
「そうなのか? いやだが、喜坂がそうじゃなくても日向がいるだろう。こいつと違って優しいやつだし、気も利くし」
なんだとテメエ! ――と久しぶりに口が開きかけたが、その言葉はやっぱり口から出なかった。今回は自分で抑えたのではなく、それより前に喜坂が言葉を重ねてきたからだ。
「いやいや成美ちゃん、『そういう事』の話する時の孝一くんって凄いんだよ? 怒るし、怒鳴るし、無茶言うし。――聞こえちゃってたでしょ? 前に大声で怒鳴り合ってたの」
ああ、ありゃああまくに荘の全員が聞いてただろーな。夜にあんだけデカイ声張り上げて、しかもその内容があんなんじゃあ、よっぽど耳悪くねー限りは聞き逃すほうがおかしいだろ。ましてやコイツなんかは、地獄耳だし。
「もちろん聞いていたしあの時は何事かと驚きもしたが、その割には――嬉しそうに話すんだな、喜坂」
「え、そう?」
全くその通りで、言ってる内容がそんなだってのに、喜坂はまるでいい思い出を語るってな感じの楽しそうな表情をしている。慌てて口元を隠してみても、それはてんで隠し切れてなかった。あの日は喜坂だって同じように怒鳴り返してたってのに。
「にこっ」
手元のサーズデイに笑い掛けられると、喜坂は口を抑える手を下ろす。そして現れるその口は、サーズデイの表情を真似してるみてーに笑っていた。ほらやっぱり。
「あーあ、悔しいなあ」
その嬉しそうな顔のまま喜坂が言う。すると、背中のヤツも言う。
「ん? 何がだ?」
それに対して喜坂は口の前に人差し指を立て、
「内緒」
とだけ短く返した。背中から「むう」と残念そうな声がして、喜坂は指を下ろす。
「多分ね、孝一くんがこの中で一番苦手だと思うよ? 今みたいな話。孝一くん本人がどう思ってるかは分からないけど、あれを得意な人の行動とはいくらなんでも思えないなあ」
「じゃあ喜坂、その時の日向はちょっと受け付けない感じだったりするのか?」
変わらずに楽しげな表情で言う喜坂に、背中の上から更に疑問が。だけど楽しげに言ってるんだからもちろん、
「そんな事ないよ」
返事はこうだった。
「それじゃあ、お邪魔しました。栞はこれからお仕事に移りまーす」
家に着くと同時に、喜坂がビンをオレに差し出して集団から離れる。庭の地面はまだまだ乾いちゃいないがやっぱりやる気らしい。
「おう、お疲れさん」
「ご苦労様」
「ワンッ!」
「ぷいぷい~」
今更地面がどうとかツッコむヤツもおらず、みんなそれぞれいつも通りの反応。喜坂もいつも通りの顔でこっちを一度振り返り、それから掃除用具を取りに101号室側、階段隣の倉庫へ。
その背中を見送って、さてこの後どうすっかね? ――そう思ったとほぼ同時に、背中から声が。
「あ、しまった。服を借りないと」
おお、そうだったな。買い物か。
言うが早いか、ソイツはオレの背中から飛び降りて喜坂の後を追う。
その背中も見送って、残るはオレとジョンとサーズデイの三人。この後の買い物も考えてこのメンバーでどうするかと言われれば、まあまずは裏庭に向かうのがいいだろうか。普通のヤツから見えないサーズデイはいいとして、ジョンは店に連れてけねーしな。
つーわけで、見送った背中二つと逆方向、104号室側から裏庭へ向かう。
……まあ大した事じゃねーんだけど、入り口から近い方に階段付けねーかな普通は。今更いいけどよ。
表と違って草っ原になってる裏庭に、ちょこんと建ってる赤い屋根の小さな一軒家。それがジョンの家だ。もともとデカくなる事を想定して大きめに作られた物らしいが、想定以上にジョンがデカく育ったらしくややキツそうなそれは、そんなでもジョンのお気に入りだ。裏庭で昼寝する時は絶対にここの中でだしな。
なのでジョンは誰かの部屋で一緒に暮らすんじゃなく、基本はここに繋がれている。大人しいヤツだから(犬のマンデー曰く、清サン並の大人っぷりなんだそーだ)繋ぐ必要もあんまりねーんだけどな。
それでも、ただでさえこの辺のヤツ等から嫌われてるアパートだ。その辺だけでもきっちりしとかねーと何言われるか分かったもんじゃねーって事で、いつもと同じく首輪のリードと鎖を繋ぎ変えた――
その時だった。何かを聞きつけたかのようにジョンの耳がぴくりと動き、そして体全体でその音がしたらしい方向を向く。
「ん?」
「ぷく?」
釣られてそっちを見てみれば、そこは清サンの部屋。裏庭側は窓が大きく、カーテンを閉めなけりゃ殆ど部屋全体が見渡せる。そんでもってカーテンは閉まってねーんだけど……
「うおーい兄ちゃーん! どぉこ行ってたんだよー!」
その窓をバンバン叩きながら、窓越しにこもった声を響かせる半ズボンが一人。そこは清サンの部屋なのだがソイツはもちろん清サンではなく、清サンはと言えば窓に張り付くソイツの後ろで、座ってこちらに手を振っている。
「ワンッ! ワンッ!」
ソイツを確認したジョンが嬉しそうに吠え出したので、付けたばかりの鎖を外す。するとジョンは、ソイツの下へ一目散。
「ぷー! ぷー!」
手元のビンの中身も同じような感じだったので、オレは清サンの部屋へ向かう事にした。
ソイツによってガラリと開けられた窓から、サーズデイともども102号室にお邪魔する。その際、窓の傍に仁王立ちしていたソイツに声を掛けた。
「なんでオマエ勝手に上がり込んでるんだよ……」
「勝手にじゃないぞー。兄ちゃんが部屋にいなくて困ってたら、お呼ばれしたんだぞー」
生意気な返事が返ってくると、清サンがそれに続く。
「んっふっふっふ、ですねえ。上からチャイムが聞こえて、もしやと思いましてねえ」
外からオレ達を訪ねてくるヤツなんてそうそういるもんじゃねえ。なんせオレ等の部屋は、一応誰も住んでねー事になってるからな。新聞の勧誘すら来ねえ。
ってわけで、ここでは呼び鈴の音がイコールで誰かの知り合いの到着って意味になる。そんでもって、誰かの知り合いってのはまず間違いなく自分の知り合いでもある。ここはそういう所だから、今みてーな展開もちょくちょくあったりする。
「喜べ兄ちゃん。一ヶ月ぶりにこの庄子さまが訪ねて来てやったけどそしたら留守ってどーゆー事だこの野郎!」
「言いたい事は一つの文章で一つまでにしろ」
頭から二本の尻尾が生えたよーな髪型してるコイツは、何を隠すまでもなくオレの妹の庄子(しょうこ)だ。久しぶりに会って早々兄貴を指で差すんじゃねーよこの野郎。
「ジョンとサーズデイも久しぶり! 会いたかったよ~!」
ジョンの首に腕を回し、テーブルに置いたサーズデイのビンを乱暴に引っ掴んで頬擦り。理不尽ないちゃもん付けられた上に無視された形になったオレは、やや腹を据えかねる。
「そのビン、空だぞ」
「なんとぉっ!?」
腹いせ半分冗談半分に言ってみれば、庄子はビンから勢い良く顔を離す。そして眉間に皺寄せてそのビンをまじまじと睨み付けるが、そうしたところで何が変わるわけでもない。
そう、こいつは幽霊の声が聞こえるだけで姿までは見えていない。この前会った――椛サンの旦那さんの、孝治サンと同じだな。孝一にそっくりなあの。
つまり、今ここにいる中でコイツに見えてるのはジョンと自分自身と、ついでに言うならサーズデイのビンだけだ。
……コイツはまだ、生きている。
「ぷぷー!」
サーズデイがビンの中から口をとんがらせてオレに抗議の声を上げると、庄子も同じく口をとんがらせた。
「やっぱいるんじゃん。何考えてんだウソツキ馬ぁ鹿」
「……オマエ、今度で中三だろ? もうちょっとそのガキっぽいの何とかしろよ……」
「兄ちゃんにそんな事言われたくないね。どーせまだ成美さんに馬鹿馬鹿言われてんでしょ?」
ぬぐっ。
「んっふっふっふ」「あや? 変な顔しちゃってどうしたの? 兄ちゃん。今更図星だったからって驚く事でもないじゃんよ。いつもならここはムキになって怒るとこだよ?」
確かにまだ言われてるし、いつもならそういう反応するんだろうけどな。でも、状況が変わったというか……
「どんな服がいい? いろいろある……って言うほどは無いけどさ、好きなの選んでよ。まずはやっぱり、いつも着てるこれかな? どう?」
「うむぅ……しかしな……」
「あんまり好きじゃない?」
「いや、そうではないのだが、怒橋が似合わ――」
「ん? 大吾くん? がなんて?」
「いや、なんでもない気にするな。普段がこの服ばかりだから、どれを着るのも怖いと言うか――ん? これは、随分と地味な……」
「あ、それ? えへへ、いくらなんでももう着てないけど、捨てるに捨てれなくてね」
「寝巻きにも見えるが、これは一体何の服なのだ?」
「患者服。栞が入院してた時のね。死んじゃった後、最初に着てたのがそれだったの」
「ああ、これがその時の……病院の中というのは、ずっとこれで過ごすものなのか?」
「まあ、そうだね」
「ほおー……。そういえば喜坂、この間日向と怒鳴り合ってた時の事なのだが」
「あはは、長引くねこの話。で、何かな?」
「どうも今のような話をしていたようだが、日向の反応はどうだったのだ?」
「あー、そうだなあ。詳しくは言えないけど、言って良かったと思えるような反応だったよ。……えーと、こんなのでいい?」
「ああ」
「それでそれで、服どうしよっか」
「この患者服とやら」
「はさすがに無理があると思うよ」
「だよな」
「成美さんが大人になった? ……なに? 兄ちゃん、成美さんの事好き過ぎてそんな妄想見るまでになっちゃったの? それってエロ方面の話?」
変わった状況について話すのはキツかったので、それ以外の話で場を乗り切ろうと試みた。ら、この言われようだ。
「いくら反抗期っつっても相手は親だけにしろってんだクソチビ」
「なんだとー!」
「ぬおおっ!?」
なんでいちいち突っかかって来やがるんだと毒づいてみれば、目の端を吊り上げて飛び掛ってきやがった。結果、押し倒されてマウントを取られる。見えてねーくせになんでそんな正確にタックルできんだよ畜生。
「あたしがチビなんじゃなくて兄ちゃんがデカ過ぎるだけだっての! 五つも年下の女の子捕まえてチビとは何事だこん畜生!」
「精神年齢も含めてだっつの! っていだだだだ!」
見えてねーくせに、伸ばした手は正確にオレの鼻を掴みやがった。それも思いっきり全力で。間違って目ぇ突いたらどうするつもりだってのいてててて!
「自分としましては反抗期なんかとっくに克服してる所存でございますってのー!」
だったら余計にガキっぽい事すんなっての! ……とは鼻の痛みのせいで言えず、不覚にもオレはうめき声を上げ続けるだけだった。恐らくはこの様子をにこやかに見物していた清サンが、止めに入るまでは。
――オレは昔っから、なんでか知らねーけど動物によく懐かれた。ガキの頃、動物園に行ってゴリラが突進してきた時はマジ泣きしたっけか。もちろん柵はあるけど……ありゃ多分、今でもビビる。
餌持ってるわけでもねーのに公園で鳩にたかられたりもした。あん時ゃ、餌持ってた知らねーガキが泣き出したんだっけか。どうしようもなかったとはいえ、悪かった。
泣かされたり笑かされたりして結局のところ、オレは動物がそこそこ好きだ。チューズデーが喋りだした時はいくら何でも驚いたが、それでも……いや、そのおかげで余計に、か? 今でもそれは変わらねえ。言葉が通じようが通じまいが、仲良くしてくれるってんなら悪い気はしねーからな。
「ジョンとサーズデイが来てくれて良かったよ」
そんな事を思っていると、ジョンの下顎を撫でながら元白猫が礼でも言うかのように呟いた。
「こいつのこんな楽しそうな顔、『仕事中』じゃないと拝めんしな」
「なっ!? な、何馬鹿な事――! ……オレ、どんな顔してた?」
両の手を顔に当ててみる。表情を作る筋肉が硬くなってる事はすぐに分かった。
「言わなくても分かっているだろう自分の顔の形くらい。全く、とんだ頑固者だ」
…………
「ワンッ!」
「にこっ」
……うっせーよ。
「ん? もしかして、雨止んだか?」
それからまた暫らくオレの表情に表れてるような時間が過ぎていくと、いつからか雨音がしなくなっている事に気が付いた。すると、
「きゃー」
サーズデイが晴れた事を喜んで、ビンの中で飛び跳ねる。と言っても水中だから上昇も下降もゆっくりだけどな。
「おお、本当だな。やっと止んでくれたか……これでやっと買い物に行ける」
同じく今まで気付いてなかったらしいソイツは、窓の向こうで雲の間から指すお日さんを眺めて、待ちに待ったと言わんばかりだった。
「ん? 今から行くのか?」
「む? 都合が悪いか? 無理を言うつもりはないが」
「あ、オレも一緒に行く事になってるのか」
やや、ムスッとした顔をされた。……なんだ、今のもなんかマズかったのか?
「そうじゃなければ、誰の服を借りるかであそこまで悩んだりしないさ」
あ、ああ。いやその――悪い。
「ワフッ」
「ひゅーひゅー」
……だからうっせーよオマエ等。
「でも今じゃヤモリも喜坂もいねーんじゃねーか? ヤモリは仕事だし、喜坂は多分孝一と一緒に大学だろ?」
どっちも見たわけじゃねーけど、まあそうだろう。ヤモリが仕事サボったら遅くても午前中には遊びに行く話が誰かしらに伝わってる筈だし、喜坂のほうは昨日も一昨日もそうだったしな。
「あ、そうだな確かに」
そう返事をして、ソイツは残念そうな顔をする。そして大きな溜息を一つ吐き、
「つくづく間が悪いな。家守は仕方ないにしても、喜坂までいないとは」
そう言ってただでさえ小さくて低いその肩を更に低くすると、そこへジョンが顔をすり寄せた。
「ワフッ」
「……ん?」
若干体を揺すられ、ソイツがジョンを振り返る。するとジョンは玄関口のほうへ歩き出し、その手前で座り込んだ。何かを期待しているように尻尾を左右に降り、舌をだらんと垂らしながら。
「ああ、散歩行きてーってか」
「わたしも一緒に行くぞ」
まだ何も言ってねーよ。
「ぷっくぷく~」
右手にビンを。左手にリードを。そして背中に、
「買い物もこの姿でできればいいのだがな」
コイツを。両手が塞がってて支えられねーのに、よくもまあ落ちずにしがみ付いてられるもんだ。まあ、オレが前傾気味になってるってのもあるが。こーしねーと首が絞まるんだよな。背負ってるヤツの腕で。
コイツ等以外で持ち物と言えば、ビニール袋(できるだけ透明でない)がポケットに一つだけ。用途は言わずもがなだろう。袋越しとはいえ、アレを素手で掴むのにももう慣れたもんだ。つってもまあ、ジョンはあんまり外でしねーけどな。
「鍵持ったか?」
出発前の最後の確認に、この部屋の主に尋ねる。
「ああ、持ってるぞ」
よし、じゃあ行くか。
階段はジョンに先を行かせ、そのまま引っ張られるようにあまくに荘玄関口へ。
そしたらそこへ声が掛かる。
「あ、みんなただいま。今からお散歩?」
閉じた傘を片手に大学側から現れたソイツは、喜坂だった。
「ん? 喜坂、日向と一緒ではないのか? 一緒に大学に行っていたのだろう?」
状況を見れば答えるまでもない質問には答えず、背中の上のヤツが尋ね返す。
「ああ、うん。そうだったんだけど、雨が止んだから。またいつ降り出すかも分からないから、一回帰ってお掃除しといたほうがいいかなって」
何が楽しいのかは全く分かんねーけど、こいつは掃除が好きなんだそうだ。オレがここに住むようになるずっと前から毎日毎日、ゴミもねえ庭を竹箒でせっせと掃いてるらしい。今日みてーに雨降って地面べちゃべちゃでも、よっぽどじゃなけりゃあやり通すくれーだしな。いや、二日降り続けたんだからもうとっくに「よっぽど」か?
それから――こっちは数日に一回だが、空き部屋に入り込んでそこの掃除もしてるな。この時は例外的に壁抜けをしてもいいって事になってる。まあ、ドアの鍵が開いてねーからしゃーねえんだけど。
……それについて一つ。あまくに荘には、あるルールがある。オレ等幽霊は物を自由にすり抜けられるんだが、それで壁を抜けるのは緊急時や仕方が無い場合以外駄目って事になってる。それは他人の部屋がどうとかじゃなくて、全ての壁がって事だ。だから、自分の部屋に入るのだってみんなわざわざドアを開けて入ってる。鍵だって掛ける。
最初は「意味あんのかこれ?」とか思ってたけど、今ではもう気にもならなくなってきてるな。普通にしてりゃあ気にするまでもねえルールだし。そんで、意味も……上手く言えねーけどある気がする。上手く言えねーけど。
「良かったら一緒に来ないか?」
「え、でもあの、お邪魔じゃないかな?」
「は―――ふふ、気にするなそんな事。二人で出かける予定ならもうあるからな」
「あ、そうなんだ? じゃあお言葉に甘えちゃおうかな」
長々と考えてる間に女二人の話は進み、気が付けば散歩の人数が一つ増えていた。
「お邪魔します、大吾くん」
邪魔じゃねーってのに。
「ん」
「ぷくーっ」
「ワンッ!」
って事で。いったん部屋に傘を置きに戻る喜坂をそのまま待ち、急いでるわけでもねーのに駆け足で戻ってきたソイツを隣に、本日の散歩を開始した。
暫らく適当に歩くと、(この散歩に決まったルートってもんは無い。適当に住宅街を歩き回るだけだ)喜坂が「ジョンかサーズデイか、栞が持とうか?」と苦笑いしながら言ってきた。オレにとっちゃあ毎度の事なんだが、両手と背中が塞がってるのはあっちからすりゃ辛そうに見えるんだろう。それだって毎度の事だが。
「じゃ、サーズデイ頼む」
「うん」
水とマリモ入りのビンを突き出すと、それをさも大事そうに両手で受け取る喜坂。いちいち物を両手で持つってのは、女々しいっつーかなんつーか。まあコイツは女なんだけどな。
すると、
「じゃあジョンのリードはわたしが持とう」
背中のほうから続けて提案された。特に断る理由も無いので、何も言わずに胸元で組まれている両手にリードを近付ける。そしたらこれまた両手で大事そうに掴んだ。……まあ、コイツだって女だし。
「お前の支え無しにしがみ付いているのは、結構疲れるからな」
空いた両手をソイツの膝裏に通すと、体全体からやや力を抜いたソイツが休憩にでも入ったみてーに、ほっとそう呟いた。
降りりゃいいのによ。……とは、言わないでおく。
「ねえ成美ちゃん」
「なんだ?」
家と家の間を縫う道を適当に曲がりくねっていると、喜坂がオレの背中側へ声を掛けた。
「二人で出かける予定って何?」
「買い物だよ。大きくなった時用の服を買いにな」
「ああ、そっか。……あれ、でもじゃあ、その時の服はどうするの?」
「それなんだが……」
喜坂への返事はそこでいったん区切られ、背中からもぞりと感触が。その感触からするに、オレの背中へ体を完璧にもたれ掛からせていたソイツが上体を起こしたらしい。
「服を――あと、靴か何か貸してもらえないだろうか、喜坂」
恐縮しつつも期待しているような、妙な声色だった。
そりゃそーだ。ヤモリも喜坂もいねーってんで買い物行くの諦めてたところに、丁度喜坂が帰ってきたんだからな。
「え……」
しかし喜坂は渋い顔。もしかして、駄目なのか?
そしてその顔のまま「あー」とか「うー」とか首の角度を変えまくりながら悩んだ後、何か決心がついたよーなついてないよーな、そんなゆっくりした動きで質問者へ向き直った。
「成美ちゃん、ちょっとこっち来て」
そして手招き。なんだ一体?
「ん? あ、ああ。分かった」
呼ばれたソイツは掴んでいたリードをオレの顔のまん前に持ってきて、暗に「持て」と言ってきた。オレがそれを受け取ると、ソイツはもそもそと背中から降りる。そして今度は喜坂がサーズデイを差し出す。これまたそれを受け取って、
……何なんだ?
「ぷい?」
「ワウ?」
オレ達三人は、道の反対側でこそこそ話し始める女二人組をわけも分かんねーまま眺めている事しかできなかった。
「どうしたのだ喜坂? 何か、言いにくい話か?」
「うん、あのね――その、服と履く物は大丈夫なんだけど……パンツ、大丈夫なのかなって」
「あ、いや、それは大丈夫だ。意外と伸びる。そうじゃなかったら一昨日、とんでもない事になってただろう?」
「あっ、だ、だよね。あの時破れてたりしたら」
「皆まで言わないでくれ想像したくない。そんな事になったら、ヒトダマ三つどうこう以前にトラウマものだ」
「あ、ごめん。――服は大丈夫だよ。好きなの着てくれていいから」
「ありがとう。お前も家守もいなくて、困っていたところだったのだ」
「えへへ、いいタイミングで帰ってきたみたいだね。……あ、そうだ。もう一つ」
「なんだ?」
「えーと、下着繋がりで思ったんだけど、ブラのほうは……?」
「……無しで大丈夫だ」
「そ、そう」
「……………」
帰ってくる頃にはなんでか申し訳無さそうな顔になっていた喜坂が横に付き、なんでかしょぼくれた顔になっていたもう一方を背中に背負い、微妙にヤな空気で散歩再開。
二人で話して何がどうなったのかなんてサッパリ分かんねーし、女同士でもいろいろあるんだろーなって事にしとこう。
「支えなんか必要無いさ。わたしは、支えが必要な程大きくなどないからな」
何の話だよ? いやに大層な……なんつーかこう、あっちで人生でも語ってたのか? 喜坂相手に?
「ワウ……?」
人の上で暗いトーンの独り言を言い放つソイツに、ジョンが心配そうな顔を向ける。
おいジョン。今回ばっかりは百パーセント、オレがドジってコイツの機嫌悪くさせたんじゃねーからな? オレ、何も喋ってねーし。
「ウウゥ」
だからこっち見んな。唸り声上げんな。
「ぷむぅ~?」
オマエも。凝視すんな。
……あと喜坂。なんで黙ったままポーズだけで謝ってくんだ? 意味分かんねー上にサーズデイ挟んでて手ぇ合わせきれてねーし。
「なあ喜坂」
「ん?」
暫らく進んで、未定だった目的地がウチに変わり始めた頃。わけ分かんねーヘコみ具合が治まったのか、いつもの偉っそーな口調が視界の外から隣の喜坂に向けられた。
すると、その喜坂もいつも通りの人畜無害そーな薄笑い顔をオレの背中へ向ける。
「何かな?」
「日向とはどうなのだ? 上手くいっているのか?」
「なななっ、きゅきゅ急になんでそんな事!?」
オレからしてもあんまりな質問に、訊かれた本人は伸ばしたゴムみてーに体全体をビクつかせながらまっすぐにする。
まあ驚くのは仕方ねえにしても、ビン抱き潰すなよ。
「いや、わたしは――あと怒橋も、『そういう事』が苦手だからな。普通はどんな按配で事を進めていくのかな、と」
苦手だと断定されるのはヤな感じだが、否定はできないので黙っておく。考えてみりゃ散歩始めてから殆ど黙りっぱなしなような気もするが、まあ仕方ない。口挟めねーんだし。
「そんな、栞だって得意じゃないよぉ」
喜坂はそう言いながら片手を振ってみせた。
「上手くいくも何もまだ始まったばっかりだし、『普通はどうするか』なんてそんな事……考える余裕なんて全然無いし」
苦笑いを浮かべながらゆるゆるとその手を降ろす喜坂に、背中から意外そうな声が飛ぶ。
「そうなのか? いやだが、喜坂がそうじゃなくても日向がいるだろう。こいつと違って優しいやつだし、気も利くし」
なんだとテメエ! ――と久しぶりに口が開きかけたが、その言葉はやっぱり口から出なかった。今回は自分で抑えたのではなく、それより前に喜坂が言葉を重ねてきたからだ。
「いやいや成美ちゃん、『そういう事』の話する時の孝一くんって凄いんだよ? 怒るし、怒鳴るし、無茶言うし。――聞こえちゃってたでしょ? 前に大声で怒鳴り合ってたの」
ああ、ありゃああまくに荘の全員が聞いてただろーな。夜にあんだけデカイ声張り上げて、しかもその内容があんなんじゃあ、よっぽど耳悪くねー限りは聞き逃すほうがおかしいだろ。ましてやコイツなんかは、地獄耳だし。
「もちろん聞いていたしあの時は何事かと驚きもしたが、その割には――嬉しそうに話すんだな、喜坂」
「え、そう?」
全くその通りで、言ってる内容がそんなだってのに、喜坂はまるでいい思い出を語るってな感じの楽しそうな表情をしている。慌てて口元を隠してみても、それはてんで隠し切れてなかった。あの日は喜坂だって同じように怒鳴り返してたってのに。
「にこっ」
手元のサーズデイに笑い掛けられると、喜坂は口を抑える手を下ろす。そして現れるその口は、サーズデイの表情を真似してるみてーに笑っていた。ほらやっぱり。
「あーあ、悔しいなあ」
その嬉しそうな顔のまま喜坂が言う。すると、背中のヤツも言う。
「ん? 何がだ?」
それに対して喜坂は口の前に人差し指を立て、
「内緒」
とだけ短く返した。背中から「むう」と残念そうな声がして、喜坂は指を下ろす。
「多分ね、孝一くんがこの中で一番苦手だと思うよ? 今みたいな話。孝一くん本人がどう思ってるかは分からないけど、あれを得意な人の行動とはいくらなんでも思えないなあ」
「じゃあ喜坂、その時の日向はちょっと受け付けない感じだったりするのか?」
変わらずに楽しげな表情で言う喜坂に、背中の上から更に疑問が。だけど楽しげに言ってるんだからもちろん、
「そんな事ないよ」
返事はこうだった。
「それじゃあ、お邪魔しました。栞はこれからお仕事に移りまーす」
家に着くと同時に、喜坂がビンをオレに差し出して集団から離れる。庭の地面はまだまだ乾いちゃいないがやっぱりやる気らしい。
「おう、お疲れさん」
「ご苦労様」
「ワンッ!」
「ぷいぷい~」
今更地面がどうとかツッコむヤツもおらず、みんなそれぞれいつも通りの反応。喜坂もいつも通りの顔でこっちを一度振り返り、それから掃除用具を取りに101号室側、階段隣の倉庫へ。
その背中を見送って、さてこの後どうすっかね? ――そう思ったとほぼ同時に、背中から声が。
「あ、しまった。服を借りないと」
おお、そうだったな。買い物か。
言うが早いか、ソイツはオレの背中から飛び降りて喜坂の後を追う。
その背中も見送って、残るはオレとジョンとサーズデイの三人。この後の買い物も考えてこのメンバーでどうするかと言われれば、まあまずは裏庭に向かうのがいいだろうか。普通のヤツから見えないサーズデイはいいとして、ジョンは店に連れてけねーしな。
つーわけで、見送った背中二つと逆方向、104号室側から裏庭へ向かう。
……まあ大した事じゃねーんだけど、入り口から近い方に階段付けねーかな普通は。今更いいけどよ。
表と違って草っ原になってる裏庭に、ちょこんと建ってる赤い屋根の小さな一軒家。それがジョンの家だ。もともとデカくなる事を想定して大きめに作られた物らしいが、想定以上にジョンがデカく育ったらしくややキツそうなそれは、そんなでもジョンのお気に入りだ。裏庭で昼寝する時は絶対にここの中でだしな。
なのでジョンは誰かの部屋で一緒に暮らすんじゃなく、基本はここに繋がれている。大人しいヤツだから(犬のマンデー曰く、清サン並の大人っぷりなんだそーだ)繋ぐ必要もあんまりねーんだけどな。
それでも、ただでさえこの辺のヤツ等から嫌われてるアパートだ。その辺だけでもきっちりしとかねーと何言われるか分かったもんじゃねーって事で、いつもと同じく首輪のリードと鎖を繋ぎ変えた――
その時だった。何かを聞きつけたかのようにジョンの耳がぴくりと動き、そして体全体でその音がしたらしい方向を向く。
「ん?」
「ぷく?」
釣られてそっちを見てみれば、そこは清サンの部屋。裏庭側は窓が大きく、カーテンを閉めなけりゃ殆ど部屋全体が見渡せる。そんでもってカーテンは閉まってねーんだけど……
「うおーい兄ちゃーん! どぉこ行ってたんだよー!」
その窓をバンバン叩きながら、窓越しにこもった声を響かせる半ズボンが一人。そこは清サンの部屋なのだがソイツはもちろん清サンではなく、清サンはと言えば窓に張り付くソイツの後ろで、座ってこちらに手を振っている。
「ワンッ! ワンッ!」
ソイツを確認したジョンが嬉しそうに吠え出したので、付けたばかりの鎖を外す。するとジョンは、ソイツの下へ一目散。
「ぷー! ぷー!」
手元のビンの中身も同じような感じだったので、オレは清サンの部屋へ向かう事にした。
ソイツによってガラリと開けられた窓から、サーズデイともども102号室にお邪魔する。その際、窓の傍に仁王立ちしていたソイツに声を掛けた。
「なんでオマエ勝手に上がり込んでるんだよ……」
「勝手にじゃないぞー。兄ちゃんが部屋にいなくて困ってたら、お呼ばれしたんだぞー」
生意気な返事が返ってくると、清サンがそれに続く。
「んっふっふっふ、ですねえ。上からチャイムが聞こえて、もしやと思いましてねえ」
外からオレ達を訪ねてくるヤツなんてそうそういるもんじゃねえ。なんせオレ等の部屋は、一応誰も住んでねー事になってるからな。新聞の勧誘すら来ねえ。
ってわけで、ここでは呼び鈴の音がイコールで誰かの知り合いの到着って意味になる。そんでもって、誰かの知り合いってのはまず間違いなく自分の知り合いでもある。ここはそういう所だから、今みてーな展開もちょくちょくあったりする。
「喜べ兄ちゃん。一ヶ月ぶりにこの庄子さまが訪ねて来てやったけどそしたら留守ってどーゆー事だこの野郎!」
「言いたい事は一つの文章で一つまでにしろ」
頭から二本の尻尾が生えたよーな髪型してるコイツは、何を隠すまでもなくオレの妹の庄子(しょうこ)だ。久しぶりに会って早々兄貴を指で差すんじゃねーよこの野郎。
「ジョンとサーズデイも久しぶり! 会いたかったよ~!」
ジョンの首に腕を回し、テーブルに置いたサーズデイのビンを乱暴に引っ掴んで頬擦り。理不尽ないちゃもん付けられた上に無視された形になったオレは、やや腹を据えかねる。
「そのビン、空だぞ」
「なんとぉっ!?」
腹いせ半分冗談半分に言ってみれば、庄子はビンから勢い良く顔を離す。そして眉間に皺寄せてそのビンをまじまじと睨み付けるが、そうしたところで何が変わるわけでもない。
そう、こいつは幽霊の声が聞こえるだけで姿までは見えていない。この前会った――椛サンの旦那さんの、孝治サンと同じだな。孝一にそっくりなあの。
つまり、今ここにいる中でコイツに見えてるのはジョンと自分自身と、ついでに言うならサーズデイのビンだけだ。
……コイツはまだ、生きている。
「ぷぷー!」
サーズデイがビンの中から口をとんがらせてオレに抗議の声を上げると、庄子も同じく口をとんがらせた。
「やっぱいるんじゃん。何考えてんだウソツキ馬ぁ鹿」
「……オマエ、今度で中三だろ? もうちょっとそのガキっぽいの何とかしろよ……」
「兄ちゃんにそんな事言われたくないね。どーせまだ成美さんに馬鹿馬鹿言われてんでしょ?」
ぬぐっ。
「んっふっふっふ」「あや? 変な顔しちゃってどうしたの? 兄ちゃん。今更図星だったからって驚く事でもないじゃんよ。いつもならここはムキになって怒るとこだよ?」
確かにまだ言われてるし、いつもならそういう反応するんだろうけどな。でも、状況が変わったというか……
「どんな服がいい? いろいろある……って言うほどは無いけどさ、好きなの選んでよ。まずはやっぱり、いつも着てるこれかな? どう?」
「うむぅ……しかしな……」
「あんまり好きじゃない?」
「いや、そうではないのだが、怒橋が似合わ――」
「ん? 大吾くん? がなんて?」
「いや、なんでもない気にするな。普段がこの服ばかりだから、どれを着るのも怖いと言うか――ん? これは、随分と地味な……」
「あ、それ? えへへ、いくらなんでももう着てないけど、捨てるに捨てれなくてね」
「寝巻きにも見えるが、これは一体何の服なのだ?」
「患者服。栞が入院してた時のね。死んじゃった後、最初に着てたのがそれだったの」
「ああ、これがその時の……病院の中というのは、ずっとこれで過ごすものなのか?」
「まあ、そうだね」
「ほおー……。そういえば喜坂、この間日向と怒鳴り合ってた時の事なのだが」
「あはは、長引くねこの話。で、何かな?」
「どうも今のような話をしていたようだが、日向の反応はどうだったのだ?」
「あー、そうだなあ。詳しくは言えないけど、言って良かったと思えるような反応だったよ。……えーと、こんなのでいい?」
「ああ」
「それでそれで、服どうしよっか」
「この患者服とやら」
「はさすがに無理があると思うよ」
「だよな」
「成美さんが大人になった? ……なに? 兄ちゃん、成美さんの事好き過ぎてそんな妄想見るまでになっちゃったの? それってエロ方面の話?」
変わった状況について話すのはキツかったので、それ以外の話で場を乗り切ろうと試みた。ら、この言われようだ。
「いくら反抗期っつっても相手は親だけにしろってんだクソチビ」
「なんだとー!」
「ぬおおっ!?」
なんでいちいち突っかかって来やがるんだと毒づいてみれば、目の端を吊り上げて飛び掛ってきやがった。結果、押し倒されてマウントを取られる。見えてねーくせになんでそんな正確にタックルできんだよ畜生。
「あたしがチビなんじゃなくて兄ちゃんがデカ過ぎるだけだっての! 五つも年下の女の子捕まえてチビとは何事だこん畜生!」
「精神年齢も含めてだっつの! っていだだだだ!」
見えてねーくせに、伸ばした手は正確にオレの鼻を掴みやがった。それも思いっきり全力で。間違って目ぇ突いたらどうするつもりだってのいてててて!
「自分としましては反抗期なんかとっくに克服してる所存でございますってのー!」
だったら余計にガキっぽい事すんなっての! ……とは鼻の痛みのせいで言えず、不覚にもオレはうめき声を上げ続けるだけだった。恐らくはこの様子をにこやかに見物していた清サンが、止めに入るまでは。
今年もまたアップ楽しみにしていますのでよろしくです。
ひたすら続くこの話が一体いつまで続くのかは分かりませんが、今年も引き続きどうぞごひいきに。