風邪引いたかなあ?
講義が終わり、ならば早速待ち合わせの場所である正門に行くことになるのですが、僕は席を立つ前にそう首を傾げるのでした。あの出そうで出なくてでも結局出たくしゃみを皮切りに、結構な回数のくしゃみをしてしまったのです。
もし本当に風邪だったら栞に看病してもらえるなあ、なんてこともついつい。
それについて邪な想像はさておくにしても、栞が作る味噌汁とお粥。いいじゃないですか、なかなかに。
……それはともかく。
「行かないと」
誰にともなく、というか当然ながら自分に対してそう言ってからようやく、僕は席を立つのでした。
待ち合わせ場所である正門に辿り着いた僕は、多数の声に出迎えられました。声を掛けた人数が多かったというのはもちろんなのですが、この時既に、明くん以外の全員が――というか、全員より多い数が既に集合していたのです。
「いよっす、日向くん。呼ばれてないのに来ちゃったよ」
諸見谷さんでした。呼ばれてないのにどうやって来たのかというのは、もちろんながらその隣にいらっしゃるすらっとひょろっとくにゃっとした彼氏さん経由なのでしょう。
「呼ばれてないけど呼んじゃったわ。うふふ、ごめんなさいね」
彼氏さん経由なのでしょう、と思った途端に本人から知らされてしまいました。
「いえいえそんな」
初めから多人数なんだから一人増えようが特に問題にもならないですし、とそんな台詞を思い付きはするのですが、しかしそれが口から出る前に思い付いた他の事案から、その台詞が口から出ることはなくなってしまいました。
まずい、と。
「か、一貴さんちょっと」
明くんがいない状態で、つまりは知り合いが一人もいない状態で到着してしまった深道さんと霧原さんのほうにもフォローを入れなければならないのでしょうが、しかしこれは、それより何より優先されるべき事柄でした。
一貴さんを手招きし、数歩ほど集団から離れた位置で、僕は小声で問い掛けます。
「……諸見谷さんには、知らせてなかったですよね? 幽霊のことって。今回はその、モロにその話になっちゃうんですけど……」
彼女がいる、という話だけは、諸見谷さんにも伝えていました。でも伝えたのは過不足なく本当にそれだけで、その彼女が幽霊であるとまでは。というか、幽霊というものが本当に存在している、ということすら。
「あら、モロにっていうのは愛香さんの名字にかけたのかしら」
諸見谷さん。モロに。
…………。
「意図してませんでしたけど、ごめんなさい」
「あら。うふふ、別に気を悪くしたとかじゃないから気にしないでね? むしろ愛香さん、そういうの喜んで乗ってくるわよ? 軽い気持ちで言ったことをやたらと引っ張られたりするから、逆に気を付けたほうがいいかもしれないけど」
ほう。諸見谷さんとのお付き合いはまだ日が浅いですが、それはちょっと意外でした。
ではなくて。
「ああそうそう、幽霊の話よね。大丈夫……うーん、そう言い切っちゃっていいのかどうか分からないけど、でもまあ、幽霊の話は大丈夫よ。もう、してもらっても」
「え? それって、どういう」
「あたしが話しちゃったのよねえ」
一瞬、どうしたものかと頭が高速で回転しつつ混乱をきたしましたが、けれど。
よく考えるまでもなく、別にどうするようなことでもないのでした。無闇に広めないほうがいいというのはその通りで、だから諸見谷さんにも伝えてこなかったのですが、だからといって知られたからすぐに問題があるという話でもないんですしね。そうだとしたら、諸見谷さん以外のみんなについてだって問題になってる筈なんですし。
「でもまた、どういう経緯で幽霊の話なんて? やっぱり僕の話ですか?」
他にないだろうと思っていながら一応そう訊いてみたところ、けれど一貴さんは首を横に振るのでした。
「日向くんの話もしたけど、それは幽霊のことを話した後だったわねえ。経緯っていうと――」
明確に思い当たる節がありそうな一貴さんはしかし、そこで一瞬、言い淀むような間を挟みます。
が、それは一瞬だけのこと。
「身の上話ねえ。あたし自身の」
「一貴さんの?」
ということは一貴さん、僕以外でも幽霊に関わるような経験が? とそりゃまあそう思ってみたりもするわけですが、
「内緒話が長くなるのはちょっと感じ悪いだろうから、あとで折を見てってことでどう? 日向くんには聞いてもらいたいような気もするし」
「はあ……」
確かにそれもそうかということで、もやもやしつつも首を縦に振る僕なのでした。
幽霊に関する話。今のところその内容は全く分からないわけですが、けれど幽霊に関する話である以上、まず間違いなく喜ばしいような話ではないでしょう。
僕に訊いてもらいたいというのはもちろん、幽霊と関わりがあるということを指してのことなんでしょうけど、だからといって果たして期待に添えることはできるだろうか――とか、あと諸見谷さんはその話を信じたんだろうかとか、まあ、もやもやと。
「男二人で何の話してたのかね?」
内緒話から戻ったところ、腕組みをしつつかつにやにやとしつつ、諸見谷さんがそう声を掛けてきました。
「いかんぞ一貴、日向くんが可愛いからって」
「あらやだ、そんなのじゃないわよお」
どんなのですか。とは思いつつもしかし、あまり想像はしないようにしておきました。そういうんじゃないですもんね、一貴さん。ちゃんと、と言ったら変なのかもしれませんけど、女性である諸見谷さんとお付き合いしてるんですもんね。
「男も女もひっくるめて、今はもう愛香さん一筋よ、あたし」
「……はーん。なるほど、その話か。まあそりゃそうなるわね」
む? 今ので納得した? あちらでしていたのは幽霊についての話であって、今の一貴さんの言葉にはそれっぽい要素がまるで含まれていなかったような。
――しかし一貴さんから訂正の言葉が入るようなことはなく、ということは一貴さんとしても、今の言葉は幽霊についての話だということを表したものだったということなのでしょうか。でもないと、諸見谷さんが勘違いをした、としか捉えられないわけですし。
ところで、えーとその、男も女もひっくるめてっていう部分は冗談なんですよね? できたらひっくるめないで欲しいところですが……。
と。
そんな一貴さんと普段からお付き合いのある方々は平然としておられるわけですが、今回はそうでない方が二名ほどおりまして。
「すいません」
「いやいや」
何がどう「すいません」なのか明確にせずただ謝罪だけしたところ、けれど深道さんはそれだけでこちらの言いたいことを把握してくれ、そしてどうやらそれは隣の霧原さんも同じのようでした。つまりはそれだけ、不安と疑念に駆られていたということなのでしょう。
「日向くんを待ってる間も、違和感というか何というか、遠巻きに見てて首を傾げたくなってたんだけど……つまり、冗談でやってるとかじゃなくて、ああいう人ってことでいいのかな?」
「そういうことになりますね」
苦笑いを浮かべ合うほかありませんでした。
が、苦笑いだけで済ませてしまうような話でもありません。
「ただその、いい人なのは間違いないんで」
「ああうん、それはまあ後輩さん達――って言っても顔が見えない子以外は俺と同学年らしいけど、まあ、慕われてるっていうのかな。そういう感じではあるみたいだし」
という話になると、苦くない笑みを浮かべてくれた深道さん。よかったよかった、どうやら表面的なところにだけ向けた苦笑いだったようです。
そして異原さん達が同学年であるということを知っている辺り、僕を待っている間に多少の会話はあったようでした。顔が見えない子、というのが誰を指しているのかは言うまでもなく。
「慕われる先輩ねえ。アンタにゃ無理よね」
「大丈夫。俺どっちかっていうと慕う後輩の側ですから」
「ふん、年下に向かって何言ってんだか」
という遣り取り。その意味するところの詳細は今になって語るまでもないでしょうが、しかしそれに関係してというか関連してというか、思い付くことが。
「あの、霧原さんが幽霊だっていうことはもう?」
「え? あれ、あたし名乗り出る予定だった? このままこの場に居ないものとして進めるのかなって――いや、というかそもそもあの人達幽霊の話って――ああ、喜坂さんとの結婚報告をするってんだから、そりゃあそれはいいのか」
……あれ?
「いや、名乗り出るも何も異原さん――あのおでこ出てる女の人、幽霊見えてるんですけど」
「へ!?」
幽霊である霧原さんと、幽霊が見える異原さん。そのお二人が揃っているこの場に幽霊のことを知らない諸見谷さんがいる、ということで焦った部分はあったものの、一貴さんの話からしてそれについては心配ないようです。……なんてことを考えていたのですが、しかしどうやらそもそも、霧原さんが幽霊であること自体、まだ話題になっていないようなのでした。
「それ本当に!?」
「は、はい」
えらい勢いで食い付いてきた霧原さん、僕の肩を掴みさえするのですがしかし、その顔は僕でなく既に異原さんの方へ向けられているのでした。
「名前なんだっけ、異原さんだっけ」
「はい」
それだけ確認した霧原さんは、
「行ってきます!」
と、異原さんのほうへ速歩き。小走りですらあったかもしれません。
……まあ、諸見谷さんに幽霊の話が伝わっているというのであれば、こういう展開になっても問題は発生しないわけですが……。
「そっかあ、日永と日向くんの他にもいたのかあ、見える人。この大学に」
取り残された、というわけではないんでしょうけど、僕の隣に残った深道さんがしみじみとした口調で言いました。
「俺と一緒のとこばっかり見てるとキッツい人に思えるかもしれないけど、結構な寂しがり屋なんだよね、あれで」
「そうなんですか」
キッツい人、とまでは思っていませんでしたが、結構な寂しがり屋というのは確かに意外でした。まあ確かにこうして深道さんと一緒に大学に――と、それはまあ、人のことを言えた立場ではないんですけどね。今日、暫く大学に行くのは控えるという宣言をされたとはいえ。
「俺と知り合ったのもそういうところからだしねえ。可愛い人なんだよ、案外。――ああ、誰に対してもって話ね、惚気てるとかじゃなくて」
「ちなみに惚気た場合はどうなるんですか?」
「ん? んー……あはは、ごめんごめん。惚気ても殆ど同じだった」
「ですよね、やっぱり」
なんとなくそんな気はしていました。本当になんとなくですけど。
「深道さんって普段から甘えに行ってるというか……だから、勝手な想像ではあるんですけど、例えば霧原さんといい雰囲気になった時とかでも、普段とそんなに変わらないんじゃないかなって」
「んー、それはどうだろうなあ。いや、そうだなあ確かに」
半分否定したような言い回しをしておきながら、考える間を挟むことすらなく頷いてくる深道さん。これはこれでまた、甘いのでした。緩いとか柔らかいとか、そんなふうな意味で。
「でも日向くん。俺は確かにいっつもこんな感じだけど、瑠奈さんはそうでも、というか全然違うんだよ?」
「というと?」
「二人っきりだったら俺以上に甘えてくる――」
とそこへ、カツカツとペースの速い足音が。
「あいでっ!」
そして同じく速いペースで遠ざかっていく足音。もちろん、というと深道さんに悪い気もしますが、無言で近付いてきた霧原さんが深道さんの頭をひっぱたき、そして同じく無言で遠ざかっていったのでした。
ひっぱたかれ、その衝撃で俯いていた深道さんはしかし、その顔が上がってみるととても良い笑顔を浮かべているのでした。
「ね、可愛いでしょ?」
「そ、そうですね」
正直なところ分からないではないのですが、しかし遠慮なくひっぱたかれたのを前にしてしまうと、幾分か頷くことを躊躇ってしまうのでした。
喧嘩とかしなさそうだなあ、この先輩方。
「さて。その可愛い人がさっそく馴染んでるみたいだし、俺も混ぜてもらいましょうかね」
見れば、霧原さんと異原さんが何やら二人してきゃあきゃあとはしゃぎ合っているのでした。
深道さんによれば「結構な寂しがり屋」であるらしい霧原さんからすれば、自分を見ることができる人が増えたというのは、確かに喜ばしいことでしょう。
対して異原さんですが、こちらはこちらでその霊感から「栞以外にも大学に入り込む幽霊がいるらしい」くらいには思っていたのでしょう――というか、そんなふうに言われたことがあるような気もします。幽霊が見えない、どころか幽霊が存在していること自体を知らない頃、つまりは自分の霊感が霊感だということすら知らないまま正体不明の感覚に悩まされていた頃の話だったように思いますけど。
で、その「栞以外の幽霊」の正体が今判明したのです。しかもその人がああまでフレンドリーということであったなら、そりゃあやっぱり嬉しかったりもするのでしょう。幽霊の存在を知り、幽霊が見えるようになった今でこそそんなに思い悩むようなことではなくなりはしましたけど、そうは言ってもかつての悩みが最高とも言える形で解消したわけですしね。
――うん。じゃあ、あとは明くんを待つだけか。
「あれ」
「どうかしました?」
珍しく素の調子で声を上げた道端さんに、顔をそちらへ向けてみます。
「ええと」
すると道端さん、少し困ったような口調で視線を膝元へ落とします。それを確認する頃にはもう、私にも何が起こったのかは把握できていたのですが、それでも一応道端さんの説明を待ってみるには、
「……寝てらっしゃいます?」
らっしゃいます。
ということで、猫じゃらしで遊んでもらっていた成美ちゃんが寝ちゃってるのでした。疲れたのでしょう、多分。
ちなみに成美ちゃん、小柄な道端さんに合わせて今は小さい身体なのでした。着替えを下着しか持ってきていなかったのでわざわざ202号室に戻りまでして、です。
「気持ちよかったんでしょうね、道端さんに抱っこされてるのが」
「い、いえそんな」
わざわざ、なんて言い方はしましたけど、でもその甲斐はあったということになるでしょう。成美ちゃん、とても気持ちよさそうな寝顔なのでした。
「ふて寝ってのもあるかもだけどねえ。平気そうな振りしてたけど、まあ、そんな感じだったでしょ?」
「あはは……」
本人が寝ていてすら、はっきりとは言わずに済ませる楓さんなのでした。
何があったのかと言いますと、私と楓さんと成美ちゃんの三人で、見せっこしたのです。何を、というのは言うまでもないかもしれませんが、寸法取りの結果を。となるともう、する前からそういう結果になることは予測できていたわけですが――けれど一つだけ釈明させてもらうなら、その見せっこをしようと言い出したのは成美ちゃんなのです。
「いろんな数字が並んでんのに、一か所しか見てないんだもんなあ」
「ですよねえ。そこ以外は成美ちゃんのほうが上なのに。――って、そもそも上とか下とかの話じゃないですけど」
それにその一か所にしたって、別に必ずしも大きいほうがいいってことでもないわけですし。例えば……。
と、その「例えば」が指している人物の方へ目を向けたところ、すると丁度ピッタリのタイミングで、その人物が口を開き始めました。
「そんな気にしてもらわなくてもいいですよ。そろそろ、ソイツの自虐も面白半分になってきてると思いますし」
「あ、やっぱり?」
返事をしたのは私でなく楓さんでした。なんだかその時点でその人物、というか大吾くんの表情にちょっとだけ濁りのようなものが差した気がしましたが、しかしそれは気にしないでおきました。してもどうにもなりませんし。
「こんなこと言っちまうのもアレですけど……オレと二人でいる時のほうの態度が嘘ってことは、ねえんでしょうしね」
これまたいろいろぼんやりとした表現でしたが、それはつまり成美ちゃんは自分の胸について後ろ向きな感想を持ってはいないと、というか大吾くんがここまで言うってことはむしろ前向きな感想を持っていると、そういうことなのでしょう。
「あらあらー?」
「突っ込みは勘弁してくださいよ」
「キシシ、了解了解」
……まあ、そうですよね。大吾くんと二人でいて胸がどうだのこうだの考えるのなんて、「そういう時」なんでしょうしね。
「じゃあこの話はここまでってことにしといて――道端さん」
「あ、何でしょうか?」
「今の話とか、猫じゃらしで遊んでたことを踏まえて、どう思う? その膝の上で可愛らしい寝顔晒してる子のこと」
「あ、はい。それはもう」
「幽霊だよ? その子」
表情一つ変えないまま、つまりは笑顔のまま、さらっと言ってみせる楓さんなのでした。
何かを言い掛けていた道端さんは、けれど途端に黙り込んでしまいます。
「そういう話もしようかと思ってさ、そろそろ」
「思った通りだったな」
「あっ、明くん」
まさか講義中に寝ちゃってそのまま寝続けてたりするんじゃあ、なんて不安が浮かび始めた頃――具体的には深道さんが異原さん達の集団と合流して二分ほど経った頃、最後の待ち人がようやく到着しました。
で、
「思った通りっていうのは?――あ」
問い掛けへの返事が貰えるよりも前に、発見したもの、というか人がいました。
「こんにちは。お久しぶりです、孝一さん」
そこにはえらくちっこい女の子……いえいえ、同い年なんでしたよね。明くんの彼女であるところの、岩白センさんが立っていました。諸見谷さんに引き続き予定外の人物がこれで二人目ですが、とはいえこちらとしてはもちろん歓迎するところ。
「お久しぶりです、岩白さん。――で、明くん、思った通りっていうのは?」
「だってお前、見ろよこの状況」
見ろよと言われたその状況というのは、身振りからしてどうやら集まって頂いた皆さんを指しているようでした。
というわけで見ましたが、
「……ええと?」
首を捻らざるを得ませんでした。
「ん?」
ちなみに、岩白さんも捻っていました。
すると明くん、なんだかガッカリしたように肩を落としてから、気だるそうに説明してくれました。
「こんなカップル軍団の中で俺だけ独り身ってどうだよそれ。しかも本当に独り身っていうならともかく、こうして立派に彼女いるのに」
…………。
ああ、嬉しそうにしてるなあ岩白さん。というのはともかく、
「僕は?」
「主賓だから対象外」
そういうもんなんでしょうか、と腑に落ちないものを感じていたところ、「あ、栞さん、今いないんですか?」と岩白さん。
そうでした。岩白さん、見えないけど声は聞こえる人、なんでしたっけ。
「そうなんです。家の方にも別のお客が来てて、そっちのほうに」
「そうですか。うーん、ちょっと残念です」
そうだなあ、明くんはともかく滅多に会えない人だし、来ると分かってればこっちも会わせてあげたかったなあ、なんて。それを言ってしまうとなんだか明くんの不備を責めている感じになってしまうので、黙ってそう思うのみに留めておきましたけど。
で、ならばそれはそれとしておいて。
「岩白さんも面識なかったですよね? みんなとは」
「そうですね。深道さんと――瑠奈さんもいそうな感じですよね? そのお二人を除けば」
それはまた、と、深道さん達については無事解決したとはいえやっぱり少々不安にも。
けれどそこへ、明くんがこんなふうに。
「あぁあぁ、そういうの気にしなくていいぞこいつは。心配するってんなら寧ろ異原さん達だな」
まあ見たところそんな感じの人ではあるようですが、と少ない面識の中での印象からそんなふうにも思いはするわけですけど、
「心配って何がですか?」
そもそも問題だとすら思ってらっしゃらないのでした。
「な? ってことで俺がまずすべきはこいつの紹介からだな。俺だってそうしょっちゅう会ってるわけじゃなし、ちょっと照れんこともないが」
まあ問題があろうがなかろうがそれはしないとね、やっぱり。
ということで、明くんと岩白さんも集団へと。
そして、言葉の通りにちょっと照れた様子で簡単に岩白さんの紹介を。
簡単に、というのは本当に簡単で名前の紹介だけだったのですが、すると真っ先に返ってきた反応がこれ。
「犯罪じゃあねえんだよな?」
口宮さん……。
「ふっふっふ。なんとわたし、こう見えても明さんとは同い年なのです!」
岩白さん……。
「ということはつまり、孝一さんとも同い年なんですよねー」
「ね、ねー」
何となく合わせておきましたが、もしかしたら気持ち悪かったかもしれません。その高身長からちらりと視界に入った一貴さんは喜んでくれていたようでしたが、だからといって他の皆さんの表情を窺う気にはなれませんでした。むしろ見ないでください。
それはともかく。
「さすがに慣れたか、お前も」
「紹介されることになった時点で心の準備をしておきました」
すると「何させてんのよ」という声とともに衝撃音――とともに「ぐおっ」という呻き声が。それらの音声が誰が誰をどうした結果生じたものなのかは、言うまでもないでしょう。電話口の向こう側でいい雰囲気だったらしい二人とは思えませんね、ここだけ見ると。
「ごめんなさいね岩白さん、うちの馬鹿が。――あ、この馬鹿、何の間違いかあたしの彼氏だったりするんだけど」
「二回も間違ってんじゃねーよ」
「ぎゃあ! 変なこと言うな馬鹿この馬鹿! 説明が面倒になるじゃないの!」
というわけで、
「どういうことですか?」
と、岩白さんは首を傾げるのでした。そりゃそうですよね。
「――で、それはともかくあたしが言いたかったことなんだけど」
散々馬鹿にした、というか散々馬鹿呼ばわりした彼氏との馴れ初めを語るのが恥ずかしい――ということもありつつ、しかしその馴れ初めの内容からしてそれだけが理由でもないでしょう、顔を赤くしながら説明し終えた異原さんは、呼吸を整えてから話題を戻しました。
「日永くん日向くんと同い年ってことなら、この子も岩白さんと同い年よ?」
と言って異原さんが視線を向けたのは、
「あ……わ、わたし……ですよね……」
音無さんでした。他にいませんしね、というのはともかく、まあ見た目通りというか言葉通りというかなその性格から、やや及び腰なようでした。
「あ、びっくりした。一瞬そちらの方かと」
一方岩白さんはそんな反応。そちらの方、というのは、どうやら音無さんの隣にいた同森さんだったようです。
「びっくりされたのか……」
ちょっぴり傷付いたようでした。ちょっとやそっとじゃ傷付かなそうな身体付きでいらっしゃるんですけどね。
「うふふ、びっくりしないほうがびっくりしちゃわよおてっちゃん。その厳つい見た目でまだ高校卒業したばっかり、なんてことになったら」
「くう、納得できるのが腹立たしい――が、ワシゃあ高校の頃もこんなんじゃったろうが」
「ああ、あの頃の可愛らしいてっちゃんはいつからいなくなっちゃったのかしらねえ」
「そんなこと言うんじゃったら、兄貴が可愛らしくなったのはいつからじゃったかの」
というような遣り取りを経て、
「明さん」
「なんだ」
「面白い方達ですねえ」
「……いや、それ普通に失礼だぞセン」
否定はしない明くんなのでした。
その「面白い方達」に一言喋っただけの音無さんが含まれているのかどうかちょっと気になったりもしましたが、まあともかく。明くんにそう言われて岩白さんが頭を下げ、それでちょっとした笑いが起こったところで、今度はみんなのほうから自己紹介が始まるのでした。
そしてそれは岩白さんだけに向けたものではなく、深道さんと霧原さんに向けても改めて。それまでの会話内で済ませてしまった部分もあったようですが、初対面なのは同じでしたしね、そのお二人も岩白さんも。
講義が終わり、ならば早速待ち合わせの場所である正門に行くことになるのですが、僕は席を立つ前にそう首を傾げるのでした。あの出そうで出なくてでも結局出たくしゃみを皮切りに、結構な回数のくしゃみをしてしまったのです。
もし本当に風邪だったら栞に看病してもらえるなあ、なんてこともついつい。
それについて邪な想像はさておくにしても、栞が作る味噌汁とお粥。いいじゃないですか、なかなかに。
……それはともかく。
「行かないと」
誰にともなく、というか当然ながら自分に対してそう言ってからようやく、僕は席を立つのでした。
待ち合わせ場所である正門に辿り着いた僕は、多数の声に出迎えられました。声を掛けた人数が多かったというのはもちろんなのですが、この時既に、明くん以外の全員が――というか、全員より多い数が既に集合していたのです。
「いよっす、日向くん。呼ばれてないのに来ちゃったよ」
諸見谷さんでした。呼ばれてないのにどうやって来たのかというのは、もちろんながらその隣にいらっしゃるすらっとひょろっとくにゃっとした彼氏さん経由なのでしょう。
「呼ばれてないけど呼んじゃったわ。うふふ、ごめんなさいね」
彼氏さん経由なのでしょう、と思った途端に本人から知らされてしまいました。
「いえいえそんな」
初めから多人数なんだから一人増えようが特に問題にもならないですし、とそんな台詞を思い付きはするのですが、しかしそれが口から出る前に思い付いた他の事案から、その台詞が口から出ることはなくなってしまいました。
まずい、と。
「か、一貴さんちょっと」
明くんがいない状態で、つまりは知り合いが一人もいない状態で到着してしまった深道さんと霧原さんのほうにもフォローを入れなければならないのでしょうが、しかしこれは、それより何より優先されるべき事柄でした。
一貴さんを手招きし、数歩ほど集団から離れた位置で、僕は小声で問い掛けます。
「……諸見谷さんには、知らせてなかったですよね? 幽霊のことって。今回はその、モロにその話になっちゃうんですけど……」
彼女がいる、という話だけは、諸見谷さんにも伝えていました。でも伝えたのは過不足なく本当にそれだけで、その彼女が幽霊であるとまでは。というか、幽霊というものが本当に存在している、ということすら。
「あら、モロにっていうのは愛香さんの名字にかけたのかしら」
諸見谷さん。モロに。
…………。
「意図してませんでしたけど、ごめんなさい」
「あら。うふふ、別に気を悪くしたとかじゃないから気にしないでね? むしろ愛香さん、そういうの喜んで乗ってくるわよ? 軽い気持ちで言ったことをやたらと引っ張られたりするから、逆に気を付けたほうがいいかもしれないけど」
ほう。諸見谷さんとのお付き合いはまだ日が浅いですが、それはちょっと意外でした。
ではなくて。
「ああそうそう、幽霊の話よね。大丈夫……うーん、そう言い切っちゃっていいのかどうか分からないけど、でもまあ、幽霊の話は大丈夫よ。もう、してもらっても」
「え? それって、どういう」
「あたしが話しちゃったのよねえ」
一瞬、どうしたものかと頭が高速で回転しつつ混乱をきたしましたが、けれど。
よく考えるまでもなく、別にどうするようなことでもないのでした。無闇に広めないほうがいいというのはその通りで、だから諸見谷さんにも伝えてこなかったのですが、だからといって知られたからすぐに問題があるという話でもないんですしね。そうだとしたら、諸見谷さん以外のみんなについてだって問題になってる筈なんですし。
「でもまた、どういう経緯で幽霊の話なんて? やっぱり僕の話ですか?」
他にないだろうと思っていながら一応そう訊いてみたところ、けれど一貴さんは首を横に振るのでした。
「日向くんの話もしたけど、それは幽霊のことを話した後だったわねえ。経緯っていうと――」
明確に思い当たる節がありそうな一貴さんはしかし、そこで一瞬、言い淀むような間を挟みます。
が、それは一瞬だけのこと。
「身の上話ねえ。あたし自身の」
「一貴さんの?」
ということは一貴さん、僕以外でも幽霊に関わるような経験が? とそりゃまあそう思ってみたりもするわけですが、
「内緒話が長くなるのはちょっと感じ悪いだろうから、あとで折を見てってことでどう? 日向くんには聞いてもらいたいような気もするし」
「はあ……」
確かにそれもそうかということで、もやもやしつつも首を縦に振る僕なのでした。
幽霊に関する話。今のところその内容は全く分からないわけですが、けれど幽霊に関する話である以上、まず間違いなく喜ばしいような話ではないでしょう。
僕に訊いてもらいたいというのはもちろん、幽霊と関わりがあるということを指してのことなんでしょうけど、だからといって果たして期待に添えることはできるだろうか――とか、あと諸見谷さんはその話を信じたんだろうかとか、まあ、もやもやと。
「男二人で何の話してたのかね?」
内緒話から戻ったところ、腕組みをしつつかつにやにやとしつつ、諸見谷さんがそう声を掛けてきました。
「いかんぞ一貴、日向くんが可愛いからって」
「あらやだ、そんなのじゃないわよお」
どんなのですか。とは思いつつもしかし、あまり想像はしないようにしておきました。そういうんじゃないですもんね、一貴さん。ちゃんと、と言ったら変なのかもしれませんけど、女性である諸見谷さんとお付き合いしてるんですもんね。
「男も女もひっくるめて、今はもう愛香さん一筋よ、あたし」
「……はーん。なるほど、その話か。まあそりゃそうなるわね」
む? 今ので納得した? あちらでしていたのは幽霊についての話であって、今の一貴さんの言葉にはそれっぽい要素がまるで含まれていなかったような。
――しかし一貴さんから訂正の言葉が入るようなことはなく、ということは一貴さんとしても、今の言葉は幽霊についての話だということを表したものだったということなのでしょうか。でもないと、諸見谷さんが勘違いをした、としか捉えられないわけですし。
ところで、えーとその、男も女もひっくるめてっていう部分は冗談なんですよね? できたらひっくるめないで欲しいところですが……。
と。
そんな一貴さんと普段からお付き合いのある方々は平然としておられるわけですが、今回はそうでない方が二名ほどおりまして。
「すいません」
「いやいや」
何がどう「すいません」なのか明確にせずただ謝罪だけしたところ、けれど深道さんはそれだけでこちらの言いたいことを把握してくれ、そしてどうやらそれは隣の霧原さんも同じのようでした。つまりはそれだけ、不安と疑念に駆られていたということなのでしょう。
「日向くんを待ってる間も、違和感というか何というか、遠巻きに見てて首を傾げたくなってたんだけど……つまり、冗談でやってるとかじゃなくて、ああいう人ってことでいいのかな?」
「そういうことになりますね」
苦笑いを浮かべ合うほかありませんでした。
が、苦笑いだけで済ませてしまうような話でもありません。
「ただその、いい人なのは間違いないんで」
「ああうん、それはまあ後輩さん達――って言っても顔が見えない子以外は俺と同学年らしいけど、まあ、慕われてるっていうのかな。そういう感じではあるみたいだし」
という話になると、苦くない笑みを浮かべてくれた深道さん。よかったよかった、どうやら表面的なところにだけ向けた苦笑いだったようです。
そして異原さん達が同学年であるということを知っている辺り、僕を待っている間に多少の会話はあったようでした。顔が見えない子、というのが誰を指しているのかは言うまでもなく。
「慕われる先輩ねえ。アンタにゃ無理よね」
「大丈夫。俺どっちかっていうと慕う後輩の側ですから」
「ふん、年下に向かって何言ってんだか」
という遣り取り。その意味するところの詳細は今になって語るまでもないでしょうが、しかしそれに関係してというか関連してというか、思い付くことが。
「あの、霧原さんが幽霊だっていうことはもう?」
「え? あれ、あたし名乗り出る予定だった? このままこの場に居ないものとして進めるのかなって――いや、というかそもそもあの人達幽霊の話って――ああ、喜坂さんとの結婚報告をするってんだから、そりゃあそれはいいのか」
……あれ?
「いや、名乗り出るも何も異原さん――あのおでこ出てる女の人、幽霊見えてるんですけど」
「へ!?」
幽霊である霧原さんと、幽霊が見える異原さん。そのお二人が揃っているこの場に幽霊のことを知らない諸見谷さんがいる、ということで焦った部分はあったものの、一貴さんの話からしてそれについては心配ないようです。……なんてことを考えていたのですが、しかしどうやらそもそも、霧原さんが幽霊であること自体、まだ話題になっていないようなのでした。
「それ本当に!?」
「は、はい」
えらい勢いで食い付いてきた霧原さん、僕の肩を掴みさえするのですがしかし、その顔は僕でなく既に異原さんの方へ向けられているのでした。
「名前なんだっけ、異原さんだっけ」
「はい」
それだけ確認した霧原さんは、
「行ってきます!」
と、異原さんのほうへ速歩き。小走りですらあったかもしれません。
……まあ、諸見谷さんに幽霊の話が伝わっているというのであれば、こういう展開になっても問題は発生しないわけですが……。
「そっかあ、日永と日向くんの他にもいたのかあ、見える人。この大学に」
取り残された、というわけではないんでしょうけど、僕の隣に残った深道さんがしみじみとした口調で言いました。
「俺と一緒のとこばっかり見てるとキッツい人に思えるかもしれないけど、結構な寂しがり屋なんだよね、あれで」
「そうなんですか」
キッツい人、とまでは思っていませんでしたが、結構な寂しがり屋というのは確かに意外でした。まあ確かにこうして深道さんと一緒に大学に――と、それはまあ、人のことを言えた立場ではないんですけどね。今日、暫く大学に行くのは控えるという宣言をされたとはいえ。
「俺と知り合ったのもそういうところからだしねえ。可愛い人なんだよ、案外。――ああ、誰に対してもって話ね、惚気てるとかじゃなくて」
「ちなみに惚気た場合はどうなるんですか?」
「ん? んー……あはは、ごめんごめん。惚気ても殆ど同じだった」
「ですよね、やっぱり」
なんとなくそんな気はしていました。本当になんとなくですけど。
「深道さんって普段から甘えに行ってるというか……だから、勝手な想像ではあるんですけど、例えば霧原さんといい雰囲気になった時とかでも、普段とそんなに変わらないんじゃないかなって」
「んー、それはどうだろうなあ。いや、そうだなあ確かに」
半分否定したような言い回しをしておきながら、考える間を挟むことすらなく頷いてくる深道さん。これはこれでまた、甘いのでした。緩いとか柔らかいとか、そんなふうな意味で。
「でも日向くん。俺は確かにいっつもこんな感じだけど、瑠奈さんはそうでも、というか全然違うんだよ?」
「というと?」
「二人っきりだったら俺以上に甘えてくる――」
とそこへ、カツカツとペースの速い足音が。
「あいでっ!」
そして同じく速いペースで遠ざかっていく足音。もちろん、というと深道さんに悪い気もしますが、無言で近付いてきた霧原さんが深道さんの頭をひっぱたき、そして同じく無言で遠ざかっていったのでした。
ひっぱたかれ、その衝撃で俯いていた深道さんはしかし、その顔が上がってみるととても良い笑顔を浮かべているのでした。
「ね、可愛いでしょ?」
「そ、そうですね」
正直なところ分からないではないのですが、しかし遠慮なくひっぱたかれたのを前にしてしまうと、幾分か頷くことを躊躇ってしまうのでした。
喧嘩とかしなさそうだなあ、この先輩方。
「さて。その可愛い人がさっそく馴染んでるみたいだし、俺も混ぜてもらいましょうかね」
見れば、霧原さんと異原さんが何やら二人してきゃあきゃあとはしゃぎ合っているのでした。
深道さんによれば「結構な寂しがり屋」であるらしい霧原さんからすれば、自分を見ることができる人が増えたというのは、確かに喜ばしいことでしょう。
対して異原さんですが、こちらはこちらでその霊感から「栞以外にも大学に入り込む幽霊がいるらしい」くらいには思っていたのでしょう――というか、そんなふうに言われたことがあるような気もします。幽霊が見えない、どころか幽霊が存在していること自体を知らない頃、つまりは自分の霊感が霊感だということすら知らないまま正体不明の感覚に悩まされていた頃の話だったように思いますけど。
で、その「栞以外の幽霊」の正体が今判明したのです。しかもその人がああまでフレンドリーということであったなら、そりゃあやっぱり嬉しかったりもするのでしょう。幽霊の存在を知り、幽霊が見えるようになった今でこそそんなに思い悩むようなことではなくなりはしましたけど、そうは言ってもかつての悩みが最高とも言える形で解消したわけですしね。
――うん。じゃあ、あとは明くんを待つだけか。
「あれ」
「どうかしました?」
珍しく素の調子で声を上げた道端さんに、顔をそちらへ向けてみます。
「ええと」
すると道端さん、少し困ったような口調で視線を膝元へ落とします。それを確認する頃にはもう、私にも何が起こったのかは把握できていたのですが、それでも一応道端さんの説明を待ってみるには、
「……寝てらっしゃいます?」
らっしゃいます。
ということで、猫じゃらしで遊んでもらっていた成美ちゃんが寝ちゃってるのでした。疲れたのでしょう、多分。
ちなみに成美ちゃん、小柄な道端さんに合わせて今は小さい身体なのでした。着替えを下着しか持ってきていなかったのでわざわざ202号室に戻りまでして、です。
「気持ちよかったんでしょうね、道端さんに抱っこされてるのが」
「い、いえそんな」
わざわざ、なんて言い方はしましたけど、でもその甲斐はあったということになるでしょう。成美ちゃん、とても気持ちよさそうな寝顔なのでした。
「ふて寝ってのもあるかもだけどねえ。平気そうな振りしてたけど、まあ、そんな感じだったでしょ?」
「あはは……」
本人が寝ていてすら、はっきりとは言わずに済ませる楓さんなのでした。
何があったのかと言いますと、私と楓さんと成美ちゃんの三人で、見せっこしたのです。何を、というのは言うまでもないかもしれませんが、寸法取りの結果を。となるともう、する前からそういう結果になることは予測できていたわけですが――けれど一つだけ釈明させてもらうなら、その見せっこをしようと言い出したのは成美ちゃんなのです。
「いろんな数字が並んでんのに、一か所しか見てないんだもんなあ」
「ですよねえ。そこ以外は成美ちゃんのほうが上なのに。――って、そもそも上とか下とかの話じゃないですけど」
それにその一か所にしたって、別に必ずしも大きいほうがいいってことでもないわけですし。例えば……。
と、その「例えば」が指している人物の方へ目を向けたところ、すると丁度ピッタリのタイミングで、その人物が口を開き始めました。
「そんな気にしてもらわなくてもいいですよ。そろそろ、ソイツの自虐も面白半分になってきてると思いますし」
「あ、やっぱり?」
返事をしたのは私でなく楓さんでした。なんだかその時点でその人物、というか大吾くんの表情にちょっとだけ濁りのようなものが差した気がしましたが、しかしそれは気にしないでおきました。してもどうにもなりませんし。
「こんなこと言っちまうのもアレですけど……オレと二人でいる時のほうの態度が嘘ってことは、ねえんでしょうしね」
これまたいろいろぼんやりとした表現でしたが、それはつまり成美ちゃんは自分の胸について後ろ向きな感想を持ってはいないと、というか大吾くんがここまで言うってことはむしろ前向きな感想を持っていると、そういうことなのでしょう。
「あらあらー?」
「突っ込みは勘弁してくださいよ」
「キシシ、了解了解」
……まあ、そうですよね。大吾くんと二人でいて胸がどうだのこうだの考えるのなんて、「そういう時」なんでしょうしね。
「じゃあこの話はここまでってことにしといて――道端さん」
「あ、何でしょうか?」
「今の話とか、猫じゃらしで遊んでたことを踏まえて、どう思う? その膝の上で可愛らしい寝顔晒してる子のこと」
「あ、はい。それはもう」
「幽霊だよ? その子」
表情一つ変えないまま、つまりは笑顔のまま、さらっと言ってみせる楓さんなのでした。
何かを言い掛けていた道端さんは、けれど途端に黙り込んでしまいます。
「そういう話もしようかと思ってさ、そろそろ」
「思った通りだったな」
「あっ、明くん」
まさか講義中に寝ちゃってそのまま寝続けてたりするんじゃあ、なんて不安が浮かび始めた頃――具体的には深道さんが異原さん達の集団と合流して二分ほど経った頃、最後の待ち人がようやく到着しました。
で、
「思った通りっていうのは?――あ」
問い掛けへの返事が貰えるよりも前に、発見したもの、というか人がいました。
「こんにちは。お久しぶりです、孝一さん」
そこにはえらくちっこい女の子……いえいえ、同い年なんでしたよね。明くんの彼女であるところの、岩白センさんが立っていました。諸見谷さんに引き続き予定外の人物がこれで二人目ですが、とはいえこちらとしてはもちろん歓迎するところ。
「お久しぶりです、岩白さん。――で、明くん、思った通りっていうのは?」
「だってお前、見ろよこの状況」
見ろよと言われたその状況というのは、身振りからしてどうやら集まって頂いた皆さんを指しているようでした。
というわけで見ましたが、
「……ええと?」
首を捻らざるを得ませんでした。
「ん?」
ちなみに、岩白さんも捻っていました。
すると明くん、なんだかガッカリしたように肩を落としてから、気だるそうに説明してくれました。
「こんなカップル軍団の中で俺だけ独り身ってどうだよそれ。しかも本当に独り身っていうならともかく、こうして立派に彼女いるのに」
…………。
ああ、嬉しそうにしてるなあ岩白さん。というのはともかく、
「僕は?」
「主賓だから対象外」
そういうもんなんでしょうか、と腑に落ちないものを感じていたところ、「あ、栞さん、今いないんですか?」と岩白さん。
そうでした。岩白さん、見えないけど声は聞こえる人、なんでしたっけ。
「そうなんです。家の方にも別のお客が来てて、そっちのほうに」
「そうですか。うーん、ちょっと残念です」
そうだなあ、明くんはともかく滅多に会えない人だし、来ると分かってればこっちも会わせてあげたかったなあ、なんて。それを言ってしまうとなんだか明くんの不備を責めている感じになってしまうので、黙ってそう思うのみに留めておきましたけど。
で、ならばそれはそれとしておいて。
「岩白さんも面識なかったですよね? みんなとは」
「そうですね。深道さんと――瑠奈さんもいそうな感じですよね? そのお二人を除けば」
それはまた、と、深道さん達については無事解決したとはいえやっぱり少々不安にも。
けれどそこへ、明くんがこんなふうに。
「あぁあぁ、そういうの気にしなくていいぞこいつは。心配するってんなら寧ろ異原さん達だな」
まあ見たところそんな感じの人ではあるようですが、と少ない面識の中での印象からそんなふうにも思いはするわけですけど、
「心配って何がですか?」
そもそも問題だとすら思ってらっしゃらないのでした。
「な? ってことで俺がまずすべきはこいつの紹介からだな。俺だってそうしょっちゅう会ってるわけじゃなし、ちょっと照れんこともないが」
まあ問題があろうがなかろうがそれはしないとね、やっぱり。
ということで、明くんと岩白さんも集団へと。
そして、言葉の通りにちょっと照れた様子で簡単に岩白さんの紹介を。
簡単に、というのは本当に簡単で名前の紹介だけだったのですが、すると真っ先に返ってきた反応がこれ。
「犯罪じゃあねえんだよな?」
口宮さん……。
「ふっふっふ。なんとわたし、こう見えても明さんとは同い年なのです!」
岩白さん……。
「ということはつまり、孝一さんとも同い年なんですよねー」
「ね、ねー」
何となく合わせておきましたが、もしかしたら気持ち悪かったかもしれません。その高身長からちらりと視界に入った一貴さんは喜んでくれていたようでしたが、だからといって他の皆さんの表情を窺う気にはなれませんでした。むしろ見ないでください。
それはともかく。
「さすがに慣れたか、お前も」
「紹介されることになった時点で心の準備をしておきました」
すると「何させてんのよ」という声とともに衝撃音――とともに「ぐおっ」という呻き声が。それらの音声が誰が誰をどうした結果生じたものなのかは、言うまでもないでしょう。電話口の向こう側でいい雰囲気だったらしい二人とは思えませんね、ここだけ見ると。
「ごめんなさいね岩白さん、うちの馬鹿が。――あ、この馬鹿、何の間違いかあたしの彼氏だったりするんだけど」
「二回も間違ってんじゃねーよ」
「ぎゃあ! 変なこと言うな馬鹿この馬鹿! 説明が面倒になるじゃないの!」
というわけで、
「どういうことですか?」
と、岩白さんは首を傾げるのでした。そりゃそうですよね。
「――で、それはともかくあたしが言いたかったことなんだけど」
散々馬鹿にした、というか散々馬鹿呼ばわりした彼氏との馴れ初めを語るのが恥ずかしい――ということもありつつ、しかしその馴れ初めの内容からしてそれだけが理由でもないでしょう、顔を赤くしながら説明し終えた異原さんは、呼吸を整えてから話題を戻しました。
「日永くん日向くんと同い年ってことなら、この子も岩白さんと同い年よ?」
と言って異原さんが視線を向けたのは、
「あ……わ、わたし……ですよね……」
音無さんでした。他にいませんしね、というのはともかく、まあ見た目通りというか言葉通りというかなその性格から、やや及び腰なようでした。
「あ、びっくりした。一瞬そちらの方かと」
一方岩白さんはそんな反応。そちらの方、というのは、どうやら音無さんの隣にいた同森さんだったようです。
「びっくりされたのか……」
ちょっぴり傷付いたようでした。ちょっとやそっとじゃ傷付かなそうな身体付きでいらっしゃるんですけどね。
「うふふ、びっくりしないほうがびっくりしちゃわよおてっちゃん。その厳つい見た目でまだ高校卒業したばっかり、なんてことになったら」
「くう、納得できるのが腹立たしい――が、ワシゃあ高校の頃もこんなんじゃったろうが」
「ああ、あの頃の可愛らしいてっちゃんはいつからいなくなっちゃったのかしらねえ」
「そんなこと言うんじゃったら、兄貴が可愛らしくなったのはいつからじゃったかの」
というような遣り取りを経て、
「明さん」
「なんだ」
「面白い方達ですねえ」
「……いや、それ普通に失礼だぞセン」
否定はしない明くんなのでした。
その「面白い方達」に一言喋っただけの音無さんが含まれているのかどうかちょっと気になったりもしましたが、まあともかく。明くんにそう言われて岩白さんが頭を下げ、それでちょっとした笑いが起こったところで、今度はみんなのほうから自己紹介が始まるのでした。
そしてそれは岩白さんだけに向けたものではなく、深道さんと霧原さんに向けても改めて。それまでの会話内で済ませてしまった部分もあったようですが、初対面なのは同じでしたしね、そのお二人も岩白さんも。
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