『いや~こんな格好で電話出るのってどうかな~とか思ってたらいきなり癒してくれとか言われちゃうしさ~』
「あー。そりゃあエロい話すんななんて言えないねえこっちは」
つまり、そうなるのが必然だったとは言わないまでも、そういう発想に至る要素はあったわけです。だからってその発想を平然と口にできるのはやっぱりみっちゃんの人となりによるところなんでしょうけど。
『でもおかげで~服のポケットに携帯突っ込んだまま洗濯に出しちゃうのは防げたしね~。掛けてくれてありがとね~』
おお、それはそれは。
「どういたしまして。で、掛け直したほうがいいよね? 入ってる途中だったんでしょ? お風呂」
『いやいや~それには及ばんよ~。丁度上がるところだったし~、それに今もう片足通しちゃったしね~』
「そ、そう」
女同士なんだから不自然な語り口になってまで何に片足を通したのか伏せる必要もないと思うのですが、これもそういう類いの攻撃の一種なのでしょうか。飽くまで想像にお任せします的な。
ていうかさっちん、普通に上がるところだったんならなんでバスタオル巻いたの? 通話しながらでも服着ればよかったんじゃないの? 事態の説明も挟んだんだからもうそれなりに長いこと喋ってるよ? 風邪引いちゃうよ?
なんてことを考えている間に着衣は済んでしまったようで、恐らくはドライヤーであろう機械音が携帯越しに聞こえてきました。……着衣、済ませてるよね? パンツ一枚穿いただけの格好そんなことしだしたわけじゃないよね?
『んでさ~、あの子と相性悪いかもっていう話だけどね~?』
「あ、うん?」
パンツ一丁なんてことになっていたとしたらみっちゃんのことです、それを引き合いにしてあたしに何かしらの精神攻撃を仕掛けてくることでしょう。ならば逆説的に、何も仕掛けてこない以上はちゃんと服着てくれてるな、と。
とはいえ話題がこれじゃあ、ほっとばかりもしていられないわけですけど。……いやいや、そもそもそんなことであたしがほっとしているというのも考えてみれば変な話なんですけどね?
『ま~考え過ぎってやつだと思うよ~。しょー、昼休みも言ってたじゃ~ん、近所の子だけど知り合ったのは最近だとか~』
「うん、そうだけど」
『相性いい悪いなんてそんな短期間で分かるこっちゃないと思わない~? 結婚して何年十何年、下手したら何十年も経ってから離婚する夫婦だって世の中にはいるくらいなんだし~』
「…………」
言われてみればそりゃそうなのかもしれませんが、しかしなんでそこで出てくるのがネガティブな事例なのかと。
いやまあ、あたしの例がネガティブだからなんでしょうけど。
『ま~でも悪いこっちゃないとは思うけどね~』
「へ? 何が? 離婚?」
『じゃなくて~、考え過ぎるってこと~。過ぎるってほど考えちゃうのって~、やっぱその子のことが本当に好きだからってことなんだろうしね~』
「そ、そうなのかな」
本当に好き、という部分については今更疑う余地もありませんが、しかし考え過ぎた原因がそれだというのは、そもそも考え過ぎだったということからして完全に納得したわけでないあたしからすれば、これまた納得し難い話ではありました。
『あらあ~、忘れちゃった~? さっちんの話だってそうだったじゃん~。彼氏本人に確認取ったわけじゃないけど~、胸触りたいなんて思うのは相手がさっちんだったからだろうっていうさ~』
「ああ、うん、覚えてる覚えてる」
まあ、形こそ違えど(違い過ぎますけど)あれはあれで「考え過ぎ」ということにはなるのでしょうか。少なくとも、好きな人以外にはそこまで考えないという意味では。
『あれだって今のしょーの話と同じでその時点じゃあ宜しくない結果に終わっちゃったわけだけど~、じゃあしょー、さっちんとさっちんの彼氏の相性が悪いと思う~?』
「いや」
即答でした。我ながら。
「そうだね、そんなあっさり決まっちゃうようなことでもないか」
『そ~そ~、喧嘩するほど仲がいいって言葉もあるくらいだしね~。大事な人には大事な分だけ強い言葉が出ちゃうもんなんだと思うよ~』
喧嘩するほど仲がいい。そう言われて頭に浮かぶのは、もちろんというか何と言うか、兄ちゃんと成美さんです。最近こそ落ち着いた感じではあるものの、少し前までは顔を合わせれば小競り合いをしてばかりの二人でした。
それを見ていて「二人とも素直じゃないなあ」なんて微笑ましく思っていたあたしでしたが――でも、今みっちゃんが言ったようなこともあったのかもしれません。むしろ素直な気持ちをぶつけ合った結果が、あんな感じだったのかもしれません。全てが全てとまでは言いませんけど。
『な~んの衝突もなく好き合って付き合っていちゃいちゃして終わり~、みたいな話は書き難いしね~』
「やっぱそこかー」
『そこだともさ~』
そしてそこで、ドライヤーの音は途切れるのでした。
話に一区切りがついた、というわけではないのですが、多分いま風呂場から部屋に向かってるんだろうなーなんて考えると気持ち的にはそれに近いようなものが。
といったところで、
「あそうだ。ねえみっちゃん、さっきの、さっちんと話してたって時に言われたんだけどさ」
『ん~?』
「あたし達もいい女なんだってさ」
『…………あら~』
短い反応でしたが、しかしちょっと間がありました。大体のことについては即座に反応してみせるみっちゃんなので、おっ? と思う程度には、それは珍しいことだったりします。
「どうかした?」
『ん~? あ~、すまんね~。なんせ褒められるってことに慣れてないもんで~』
その反応はいつもと違った方向に予想外で、なのでこちらもまた返事をするまでちょっと言葉に詰まってしまいましたが、しかし少なくとも返事の内容自体はすぐに用意できました。
「そう? あたしとさっちんなんか、ちょくちょく褒めたりすることあったと思うけど」
『あ~、おかげさまでそういうのは慣れてきたんだけどね~。部活でも可愛い後輩達がなんやかんや持ち上げてきたりもするしさ~』
可愛い後輩達、なんて表現をさらりと口にしてしまう辺り、さすが部長といったところ。いやまあ、だからって部長と呼ばれる人がみんなこんな感じということはないんでしょうけど。むしろみっちゃんのことですから、やっぱり変わり種ということになるんでしょうけど。
――という話はともかく。
「今のも多分『そういうの』だと思うんだけど……」
『お?』
あたしとさっちんがみっちゃんを褒める時、それがみっちゃんの何を指しているかというと、その大多数は今とか今日の昼休みみたいなことなのです。なんというか、同い年とは思えないくらいしっかりものを考えている――みっちゃんの場合はものを想像している、でしょうか――というような。部活の後輩さん達であれば、例えば書いた小説の内容を褒められるなんてこともあるんでしょうけど、でもそれはあたし達とは共通しませんしね。
そうかそうか、じゃあ部活内でもこんな感じなんだなみっちゃんは。するもされるも。
なんとなく誇らしかったり、あとちょっと羨ましかったりもしましたが、それはまた別の話としておいて。
「何の話だと思ったの?」
『いや~ついつい襟元から自分のバストサイズ確認しちまったよ~』
「……ああ、いい女、ね」
男子を意識することがないって割にはすぐそういう発想に行きつくよねみっちゃん。まあ意識しないからこそ女子間だけの話で済ませられるわけですけど。
『ちなみにノーブラですぜ~』
「女同士でどういう反応を期待されとるのかねあたしは」
大小どちらにせよ極端な人と知り合いだから動じようがない……という話ではないですよねはい。
はっはっは~と馴染みがない人には本当に笑ってるかどうか不安になりそうな笑い声を発した後、みっちゃんは話題を変え……ないのでした。
『しょーももうお風呂入った後なんでしょ~? 今どうなわけ~?』
「してるよ。寝苦しかったり暑かったりしたらしない日もたまーにあるけど」
『おうふっ』
「へ? どした?」
『ベッドにダイブしただけ~。間違ってもしょーのノーブラパジャマ姿を想像して鼻血吹いたとかじゃないから安心していいよ~』
「安心っていうか脱帽っていうかね」
ノーブラパジャマ姿を想像したっていうのはまあ、その話をしてたんだからそうもなろうというものです。が、鼻血吹いたっていうのは「おうふっ」っていう自分の声から想像したんですよね? 実際に鼻血を吹く瞬間にそんな声を上げる人は間違いなく一人もいませんがそれはともかく、本当になんでそんな発想ができるんでしょうかこの人は。
『とま~こういう話がさ~』
「ん?」
『さっちんにとっては女同士の話ってだけじゃなくなるのかな~って思ってね~』
「ああ」
こちらにそんな発想は全くありませんでしたが、けれど言われた瞬間に理解が追い付きました。それは言わずもがな、彼氏に胸を触られた話に関連して、ということなのでしょう。彼氏と直接こんな話をするというわけではないにせよ(いや、もしかしたらそれだって有り得るのかもしれませんけど)、こういう話が出た時に意識しないでいられるってことはないんでしょうしね。少なくとも、ここ暫くは。
なるほど、それでみっちゃんはブラだ胸だの話を――ということだったのかどうかは、定かでないというのが実際のところでしたけども。
『ま~好きな人がいるしょーももうそっち側に片足突っ込んでるのかもしれないけどね~』
「いやいや……」
なんで照れたあたし。
「そ、そういやもういっこ言ってたよ、さっちん」
『なんて~?』
「いい女なのに好きな人いないとか彼氏欲しいと思ってないとかは勿体無い、みたいな」
という話は完全に余計なお世話でしたが、それは咄嗟に出てしまった照れ隠しなのでした。
「文芸部内で一人くらいみっちゃんのこと気にしてる男子とかいるんじゃないかーとか」
『だとしたら面白そうだけどね~』
まあみっちゃんのことです、照れたり慌てたり、なんてことはないだろうとは思っていました。しかしとはいえその反応は、意外だったというか何と言うかなものでした。
面白そう。というのは、なんかちょっと違うような。
『ま~でも仮にそういうのがあったとしても~、表立たせるのは卒業間際くらいにして欲しいかな~』
「えーと、なんで?」
『今の文芸部のあのまったり感はひじょ~に居心地がいいわけだよ~。ちょっと聞こえは悪いかもしれないけど~、部長ってことでそこらへんはある程度コントロールできちゃう立場だしねわたし~』
「はー……。いやいや、帰宅部員からすると完全に別世界というか」
というか、なんでしょうか。人心掌握ってやつですか? そこまで大袈裟な話なのかすら帰宅部員にはよく分からないわけですが、部内の雰囲気をコントロールするってなかなかとんでもない話だったりしませんかこれ?
『そこらへんはお互い様さ~。部活に入ってないのは三人の中でしょーだけだけど~、恋ってやつをしてないのはわたしだけだしね~』
「ううむ、それとこれとは同列に語っていいものなのかどうか……」
『人生経験って意味では同じだと思うよ~。大体想像で補おうとしちゃうから実践するのは苦手だけどねわたし~』
補える時点で苦手も何もないというか凄いことだとは思うのですが、それはともかく。
偶然なのかそうでないのか、さっちんとの電話に引き続いて出てきました「人生経験」という言葉。
『例えばわたしは卒業して高校に行ってもまた文芸部に入るつもりだけど~、しょーはどう考えてる~? 部活の話と違って中学とか高校とかそういう話じゃないけど~、その子とのことはこれから先どうするかとかさ~』
これから先。
という話であれば、そこはこれまでと変わりません。
「さっきも話した通りだけど、どうしようもないんだよねえ」
『あ~、なんか事情があって告白できないってやつね~』
「そうそう」
なんせその「事情」を説明できないことは心苦しかったり歯痒かったりするので、再度説明する羽目にはならなさそうでほっとしてみたあたしでした。が、するとみっちゃん。
『告白できなかったら全く見動きが取れないってわけでもないんじゃないの~?』
「へ?」
『さっちんと共同で繰り広げたらしい妄想だってなんかの足掛かりくらいにはなるかもしれないわけだし~、ま~そこらへんであれこれしようと思うのはわたしくらいだとしても~、卒業したらその子とは学校で会えなくなるわけじゃん~? じゃ~今以上に家の方に通うことになるかも~とかさ~、今後の予想とその対策くらいはできなくないわけだし~』
「ま、まあね」
学校で会えなくなる。それは確かに避けて通れない大問題なわけで、だったらまあ、頻繁に家に通うとかそこまで直接的なことではないにせよ、対策の一つくらいは講じておくべきなのかもしれません。
『告白できないんだったらあっちからさせりゃいいじゃん、とかね~』
「!!」
『あ~、そんな発想全くなかった感じ~?』
「な、ないよそりゃそんな!」
清明くんの好きな人は自分なのかも、ということですら自分では全く想像できずにさっちんの力を借りたあたしだというのに、ましてやそんな、「あっちから告白させる」だなんて。……いや、だって、させるとかそういうことじゃないでしょ? 告白って、一般的に。
『ま~こんなうふうに考えるだけならタダなわけだよ~。付き合うまでの話に限らず~、その後のことなんかもね~』
「その後――付き合い始めた後、ねえ」
『おっ、なんか引っ掛かったかな~?』
「ちょっとね」
付き合ってどうしたいか、どうなりたいか、どうされたいか。もう何度目かになりますが、思い浮かんだのはその話なのでした。
「ねえみっちゃん」
『ん~?』
「許してもらえる想像って、してもいいものなのかな。自分が悪いこと――とまでは言わないけど、相手から良く思われないことをしてるとして」
みっちゃんからすれば、いきなり何を言い出すのかという話ではあるのでしょう。
でもそこはみっちゃんです、そんなふうに思ったことはまず間違いない筈なのに、それでも平然として返事をしてくれます。
『それが許されないとしたら~、許してもらうための行動すら許されないってことだよね~。人間なんてまず頭で考えなきゃ行動できないわけだしさ~』
…………。
『なんだいなんだい~、しょーが好きな人ってのはそんな酷い男なのかい~? あんな大人しそうな顔しといてさ~』
酷い男。
清明くんが?
「そんなことないよ、絶対」
『じゃ~問題ないじゃん~?』
「そうだね。――あはは、そうだよね」
救われた気分というのはこういうことを言うんでしょうか。身体が、どころか横になっているベッドごと、ふわふわ浮いているような感覚に陥るあたしなのでした。
「ありがとうみっちゃん。明日学校で会ったらさっちんと一緒にもみくちゃにしてあげよう」
『はっは~、そりゃ楽しみだね~』
「あはは。――うん、ありがとね、本当に」
『どういたしまして~』
これだけだったらそこまでのことではないのでしょうが、しかしついついさっちんに相談の電話をした時のことまで頭をよぎってしまったあたしは、気を付けないと声が上ずってしまいそうな状態なのでした。
それはなんとか抑え切ったにせよ、でもそれはそれでどこか不自然な声になっていたりしたのかもしれません。が、どちらにせよ、みっちゃんはそれについては触れてきませんでした。
『いや~すっきりしてくれたなら良かったよ~。せっかくさっちんが立ち直ったのに今度はしょーにへこまれちゃうってのは~、そりゃちょ~っと残念な感じだしね~』
「そ、そう?」
『部活の雰囲気がひじょ~に居心地いいってのはさっきも言ったけどさ~。――って言ったら~、もう何が言いたいか分かってもらえるんじゃないかな~? 皆まで言うのはちょっと照れ臭いっていうかさ~』
「そういうところは照れるんだよね、みっちゃんって」
今回あたしがあたふたする羽目になった発端のあの言葉とかは、照れなんて全くなく口にできたりするのに。
『しょーとさっちんは想像の産物じゃないしね~』
「あはは、そりゃね」
『はっは~。で、ここらで一つ相談なんだけど~』
「ん?」
みっちゃんのほうから相談とは、これは意外な展開。……いや、相談してたのはこっちだった筈なのにという意味ではなく、そもそもみっちゃんが相談を持ち掛けてくるなんてという意味で、です。
『これまた想像の話なんだけど~、わたしってこんなだから~、もし実際に誰か好きな人ができたりしたらさっちんやしょーの比じゃなく大慌てすると思うのよ~』
――という話をされた場合、それだけに限定まではできませんが、「あ、もしかして好きな人いたりするの?」みたいなことを少なくともちらっと程度には思ったりするのではないでしょうか。
しかしあたしはそんなふうには思いません。あたしでなくとも、みっちゃんを知る人はそんなふうには思わないことでしょう。あの想像力豊かなみっちゃんが、そんな後手後手な問題処理なんてするわけがないのです。
自分のことなんて想像しないというみっちゃん。小説に自分なんか出さないし、と言ってはいましたし、それも本当のことではあるんでしょうけど、でもこういった理由もあってのことなのではないでしょうか。創造力が豊か過ぎて、自分のことを考えると将来の不安が次々に押し寄せてしまう、という。後手に回るわけがない、なんて思えてしまうくらいに、先手を取れ過ぎてしまうのです。
それはある意味、付き合ってから相手を好きになり始めたり悩み始めたりしたさっちんと真逆なのかもしれないな、なんて。
『いつの話かなんて分かんないし~、その頃には進路だってばらばらかもしんないけど~、もしよかったら~……』
「うむ、いくらでも相談してくれていいぞ」
頼れる感の演出ということで成美さんの喋り方を真似してみました。が、しかしもちろん、みっちゃんにそれが通じることはないんですけどね。
『ありがとね~。よ~し、明日はこっちからもしょーをもみくちゃにしてやるぞ~』
「三人でもみくちゃにし合うって、どんなことになっちゃうんだろうねえあたし達」
他のクラスメイトから奇異の目で見られるような光景が繰り広げられてしまうかもしれません。が、まあ、気にしないことにしておきましょう。
そうして二人して少し笑ったところ、なんとなーく訪れた雰囲気がありました。お開き、というやつです。
「それじゃあみっちゃん、そろそろ」
『癒してあげられたか~い?』
「うん、すっかり」
そういえば最初はそういう趣旨だったっけ、なんて。
『そりゃよかった~。んじゃ~また明日ね~』
「また明日」
そうして電話を切ったあたしは、明日の朝教室で会ったあたし達三人の様子を一息つく程度の時間想像してみたりした後――本題に立ち返りました。
「そっか、いいのか……」
許される想像。清明くんに、幽霊のことを。本当は兄ちゃんとずっと会ってるし、清さんがあそこに住んでることだってずっと前から知っていたということを。
もし清明くんと付き合えたら、というような想像は、これまでもしたことがないというわけではありませんでした。が、でも、許される想像をすることが許されるというのなら、もし「許されたうえで」清明くんと付き合えたら、という想像もできることになるわけです。
「…………」
ということなら想像しないわけにはいかない筈なのですが、しかしやはり、最初の一歩には躊躇や緊張が付き纏ってくるのでした。やっぱりよくないんじゃないかとか、踏み出してしまったら戻れなくなるんじゃないかとか、そんな思いが勝手に湧き上がってくるのでした。よくないというのはともかく戻れないというのは些か大袈裟ではあるのですが、でもそう思っていてすら緊張が解けないほど、それは自分に都合のいい想像だったのです。
あたしはうつ伏せになり、枕に顔をうずめ、そのうえ目を閉じまでして、視界を完全に閉ざしました。実際それで何がどうなるというわけでもないのですが少しだけ、気休め程度にだけ、気が楽になりました。
気休め程度とはいえ勢い付けくらいにはなります。なのであたしは、その気が楽になった瞬間に、一歩を踏み出してしまいました。
清明くんが許してくれたら。
そうしたら、どうなる?
「…………」
告白して付き合って、ということになるのを確定事項として扱うことについては、今更問題とはしないでおきましょう。これまでは許される過程を省いていたので、告白する場面についてもそれと同じく省かざるを得ませんでしたが。……今思うとなかなか無理があるんですけどね、告白を省いて付き合う想像をするっていうのは。
付き合う想像と「許されて」付き合う想像で何が違ってくるかといえば、それはやはり幽霊に関することになるでしょう。となるとこれはあたしと清明くんだけの話ではなく、そこに兄ちゃんと清さん、それに成美さんや明美さんや場合によってはあまくに荘のみんなも含めた話になってくるわけです。
まあ要するに、二人でいちゃいちゃするような話にはならないということです。したいというのも否定はできませんけどね、そりゃあ。
――とまあそれはともかく本題ですが、なんせ幽霊です。今ではすっかり馴染んでしまったあたしには上手く想像出来ないところがあるにはあるのですが、いきなりそう言われて納得できることではないでしょうし、納得できたからといってすっきり受け入れられるというものでもないのでしょう。例えそれに絡んだ話で、あたしを許すようなことがあったとしても、です。
そして清明くんにとってのその話は、何よりもまず自分の家族についての話ということになります。清さんの周囲に同じく幽霊である他のみんながいたとしても、そちらに構っているような余裕は多分、ないのでしょう。あたしが兄ちゃんの声を、兄ちゃんの声だけを追って、あまくに荘に辿り着いた時のように。
家族についての話。
その時あたしは清明くんの彼女ということになっているわけですが、ならば果たして、あたしはその話に加わらせてもらっていいものなのでしょうか?
いえ、もちろん、その時点ではまだ「家族の一員」ということでないことくらいは自覚しています(想像上の話で自覚っていうのも変な話ですけど)。それを名乗れるのはそれこそ……け、結婚してから、ということになるのでしょう。いやいやそれはさすがに今回の話から大きくはみ出ちゃってるんで、あまり深く掘り下げはしないでおきますけど。
ただ、家族の一員ではないにしても手助けくらいはしてあげたいと思いますし、彼女としてもそれまでついていた嘘の罪滅ぼしとしても、そうすべきだと思うのです。
大事な人が幸せだとそれは自分にも伝わってくる。
なんてことを最近、兄ちゃん成美さんの二人を通して知りました。頭の中の理屈としてならそれよりもっと前から分かってはいたんでしょうけど、実感や実体験としてとなるとそれとはまた話が違ってくる、というか。――だから、それを知ったあたしは多分、清明くんのことも幸せにしてあげたいと思う筈なのです。自分が自分のものとして欲する幸せより、もっともっと強い気持ちとして。
幽霊として目の前にいる清さんと遠慮も躊躇もなく、これまで聞かせてもらってきた思い出の中の清さんと同じように接することができるようになったら、それは絶対に清明くんにとって幸せなことだと思うのです。そしてそれが絶対であるなら、あたしは清明くんに何をしてあげたいかというこの気持ちも、絶対に絶対なのです。
「あー。そりゃあエロい話すんななんて言えないねえこっちは」
つまり、そうなるのが必然だったとは言わないまでも、そういう発想に至る要素はあったわけです。だからってその発想を平然と口にできるのはやっぱりみっちゃんの人となりによるところなんでしょうけど。
『でもおかげで~服のポケットに携帯突っ込んだまま洗濯に出しちゃうのは防げたしね~。掛けてくれてありがとね~』
おお、それはそれは。
「どういたしまして。で、掛け直したほうがいいよね? 入ってる途中だったんでしょ? お風呂」
『いやいや~それには及ばんよ~。丁度上がるところだったし~、それに今もう片足通しちゃったしね~』
「そ、そう」
女同士なんだから不自然な語り口になってまで何に片足を通したのか伏せる必要もないと思うのですが、これもそういう類いの攻撃の一種なのでしょうか。飽くまで想像にお任せします的な。
ていうかさっちん、普通に上がるところだったんならなんでバスタオル巻いたの? 通話しながらでも服着ればよかったんじゃないの? 事態の説明も挟んだんだからもうそれなりに長いこと喋ってるよ? 風邪引いちゃうよ?
なんてことを考えている間に着衣は済んでしまったようで、恐らくはドライヤーであろう機械音が携帯越しに聞こえてきました。……着衣、済ませてるよね? パンツ一枚穿いただけの格好そんなことしだしたわけじゃないよね?
『んでさ~、あの子と相性悪いかもっていう話だけどね~?』
「あ、うん?」
パンツ一丁なんてことになっていたとしたらみっちゃんのことです、それを引き合いにしてあたしに何かしらの精神攻撃を仕掛けてくることでしょう。ならば逆説的に、何も仕掛けてこない以上はちゃんと服着てくれてるな、と。
とはいえ話題がこれじゃあ、ほっとばかりもしていられないわけですけど。……いやいや、そもそもそんなことであたしがほっとしているというのも考えてみれば変な話なんですけどね?
『ま~考え過ぎってやつだと思うよ~。しょー、昼休みも言ってたじゃ~ん、近所の子だけど知り合ったのは最近だとか~』
「うん、そうだけど」
『相性いい悪いなんてそんな短期間で分かるこっちゃないと思わない~? 結婚して何年十何年、下手したら何十年も経ってから離婚する夫婦だって世の中にはいるくらいなんだし~』
「…………」
言われてみればそりゃそうなのかもしれませんが、しかしなんでそこで出てくるのがネガティブな事例なのかと。
いやまあ、あたしの例がネガティブだからなんでしょうけど。
『ま~でも悪いこっちゃないとは思うけどね~』
「へ? 何が? 離婚?」
『じゃなくて~、考え過ぎるってこと~。過ぎるってほど考えちゃうのって~、やっぱその子のことが本当に好きだからってことなんだろうしね~』
「そ、そうなのかな」
本当に好き、という部分については今更疑う余地もありませんが、しかし考え過ぎた原因がそれだというのは、そもそも考え過ぎだったということからして完全に納得したわけでないあたしからすれば、これまた納得し難い話ではありました。
『あらあ~、忘れちゃった~? さっちんの話だってそうだったじゃん~。彼氏本人に確認取ったわけじゃないけど~、胸触りたいなんて思うのは相手がさっちんだったからだろうっていうさ~』
「ああ、うん、覚えてる覚えてる」
まあ、形こそ違えど(違い過ぎますけど)あれはあれで「考え過ぎ」ということにはなるのでしょうか。少なくとも、好きな人以外にはそこまで考えないという意味では。
『あれだって今のしょーの話と同じでその時点じゃあ宜しくない結果に終わっちゃったわけだけど~、じゃあしょー、さっちんとさっちんの彼氏の相性が悪いと思う~?』
「いや」
即答でした。我ながら。
「そうだね、そんなあっさり決まっちゃうようなことでもないか」
『そ~そ~、喧嘩するほど仲がいいって言葉もあるくらいだしね~。大事な人には大事な分だけ強い言葉が出ちゃうもんなんだと思うよ~』
喧嘩するほど仲がいい。そう言われて頭に浮かぶのは、もちろんというか何と言うか、兄ちゃんと成美さんです。最近こそ落ち着いた感じではあるものの、少し前までは顔を合わせれば小競り合いをしてばかりの二人でした。
それを見ていて「二人とも素直じゃないなあ」なんて微笑ましく思っていたあたしでしたが――でも、今みっちゃんが言ったようなこともあったのかもしれません。むしろ素直な気持ちをぶつけ合った結果が、あんな感じだったのかもしれません。全てが全てとまでは言いませんけど。
『な~んの衝突もなく好き合って付き合っていちゃいちゃして終わり~、みたいな話は書き難いしね~』
「やっぱそこかー」
『そこだともさ~』
そしてそこで、ドライヤーの音は途切れるのでした。
話に一区切りがついた、というわけではないのですが、多分いま風呂場から部屋に向かってるんだろうなーなんて考えると気持ち的にはそれに近いようなものが。
といったところで、
「あそうだ。ねえみっちゃん、さっきの、さっちんと話してたって時に言われたんだけどさ」
『ん~?』
「あたし達もいい女なんだってさ」
『…………あら~』
短い反応でしたが、しかしちょっと間がありました。大体のことについては即座に反応してみせるみっちゃんなので、おっ? と思う程度には、それは珍しいことだったりします。
「どうかした?」
『ん~? あ~、すまんね~。なんせ褒められるってことに慣れてないもんで~』
その反応はいつもと違った方向に予想外で、なのでこちらもまた返事をするまでちょっと言葉に詰まってしまいましたが、しかし少なくとも返事の内容自体はすぐに用意できました。
「そう? あたしとさっちんなんか、ちょくちょく褒めたりすることあったと思うけど」
『あ~、おかげさまでそういうのは慣れてきたんだけどね~。部活でも可愛い後輩達がなんやかんや持ち上げてきたりもするしさ~』
可愛い後輩達、なんて表現をさらりと口にしてしまう辺り、さすが部長といったところ。いやまあ、だからって部長と呼ばれる人がみんなこんな感じということはないんでしょうけど。むしろみっちゃんのことですから、やっぱり変わり種ということになるんでしょうけど。
――という話はともかく。
「今のも多分『そういうの』だと思うんだけど……」
『お?』
あたしとさっちんがみっちゃんを褒める時、それがみっちゃんの何を指しているかというと、その大多数は今とか今日の昼休みみたいなことなのです。なんというか、同い年とは思えないくらいしっかりものを考えている――みっちゃんの場合はものを想像している、でしょうか――というような。部活の後輩さん達であれば、例えば書いた小説の内容を褒められるなんてこともあるんでしょうけど、でもそれはあたし達とは共通しませんしね。
そうかそうか、じゃあ部活内でもこんな感じなんだなみっちゃんは。するもされるも。
なんとなく誇らしかったり、あとちょっと羨ましかったりもしましたが、それはまた別の話としておいて。
「何の話だと思ったの?」
『いや~ついつい襟元から自分のバストサイズ確認しちまったよ~』
「……ああ、いい女、ね」
男子を意識することがないって割にはすぐそういう発想に行きつくよねみっちゃん。まあ意識しないからこそ女子間だけの話で済ませられるわけですけど。
『ちなみにノーブラですぜ~』
「女同士でどういう反応を期待されとるのかねあたしは」
大小どちらにせよ極端な人と知り合いだから動じようがない……という話ではないですよねはい。
はっはっは~と馴染みがない人には本当に笑ってるかどうか不安になりそうな笑い声を発した後、みっちゃんは話題を変え……ないのでした。
『しょーももうお風呂入った後なんでしょ~? 今どうなわけ~?』
「してるよ。寝苦しかったり暑かったりしたらしない日もたまーにあるけど」
『おうふっ』
「へ? どした?」
『ベッドにダイブしただけ~。間違ってもしょーのノーブラパジャマ姿を想像して鼻血吹いたとかじゃないから安心していいよ~』
「安心っていうか脱帽っていうかね」
ノーブラパジャマ姿を想像したっていうのはまあ、その話をしてたんだからそうもなろうというものです。が、鼻血吹いたっていうのは「おうふっ」っていう自分の声から想像したんですよね? 実際に鼻血を吹く瞬間にそんな声を上げる人は間違いなく一人もいませんがそれはともかく、本当になんでそんな発想ができるんでしょうかこの人は。
『とま~こういう話がさ~』
「ん?」
『さっちんにとっては女同士の話ってだけじゃなくなるのかな~って思ってね~』
「ああ」
こちらにそんな発想は全くありませんでしたが、けれど言われた瞬間に理解が追い付きました。それは言わずもがな、彼氏に胸を触られた話に関連して、ということなのでしょう。彼氏と直接こんな話をするというわけではないにせよ(いや、もしかしたらそれだって有り得るのかもしれませんけど)、こういう話が出た時に意識しないでいられるってことはないんでしょうしね。少なくとも、ここ暫くは。
なるほど、それでみっちゃんはブラだ胸だの話を――ということだったのかどうかは、定かでないというのが実際のところでしたけども。
『ま~好きな人がいるしょーももうそっち側に片足突っ込んでるのかもしれないけどね~』
「いやいや……」
なんで照れたあたし。
「そ、そういやもういっこ言ってたよ、さっちん」
『なんて~?』
「いい女なのに好きな人いないとか彼氏欲しいと思ってないとかは勿体無い、みたいな」
という話は完全に余計なお世話でしたが、それは咄嗟に出てしまった照れ隠しなのでした。
「文芸部内で一人くらいみっちゃんのこと気にしてる男子とかいるんじゃないかーとか」
『だとしたら面白そうだけどね~』
まあみっちゃんのことです、照れたり慌てたり、なんてことはないだろうとは思っていました。しかしとはいえその反応は、意外だったというか何と言うかなものでした。
面白そう。というのは、なんかちょっと違うような。
『ま~でも仮にそういうのがあったとしても~、表立たせるのは卒業間際くらいにして欲しいかな~』
「えーと、なんで?」
『今の文芸部のあのまったり感はひじょ~に居心地がいいわけだよ~。ちょっと聞こえは悪いかもしれないけど~、部長ってことでそこらへんはある程度コントロールできちゃう立場だしねわたし~』
「はー……。いやいや、帰宅部員からすると完全に別世界というか」
というか、なんでしょうか。人心掌握ってやつですか? そこまで大袈裟な話なのかすら帰宅部員にはよく分からないわけですが、部内の雰囲気をコントロールするってなかなかとんでもない話だったりしませんかこれ?
『そこらへんはお互い様さ~。部活に入ってないのは三人の中でしょーだけだけど~、恋ってやつをしてないのはわたしだけだしね~』
「ううむ、それとこれとは同列に語っていいものなのかどうか……」
『人生経験って意味では同じだと思うよ~。大体想像で補おうとしちゃうから実践するのは苦手だけどねわたし~』
補える時点で苦手も何もないというか凄いことだとは思うのですが、それはともかく。
偶然なのかそうでないのか、さっちんとの電話に引き続いて出てきました「人生経験」という言葉。
『例えばわたしは卒業して高校に行ってもまた文芸部に入るつもりだけど~、しょーはどう考えてる~? 部活の話と違って中学とか高校とかそういう話じゃないけど~、その子とのことはこれから先どうするかとかさ~』
これから先。
という話であれば、そこはこれまでと変わりません。
「さっきも話した通りだけど、どうしようもないんだよねえ」
『あ~、なんか事情があって告白できないってやつね~』
「そうそう」
なんせその「事情」を説明できないことは心苦しかったり歯痒かったりするので、再度説明する羽目にはならなさそうでほっとしてみたあたしでした。が、するとみっちゃん。
『告白できなかったら全く見動きが取れないってわけでもないんじゃないの~?』
「へ?」
『さっちんと共同で繰り広げたらしい妄想だってなんかの足掛かりくらいにはなるかもしれないわけだし~、ま~そこらへんであれこれしようと思うのはわたしくらいだとしても~、卒業したらその子とは学校で会えなくなるわけじゃん~? じゃ~今以上に家の方に通うことになるかも~とかさ~、今後の予想とその対策くらいはできなくないわけだし~』
「ま、まあね」
学校で会えなくなる。それは確かに避けて通れない大問題なわけで、だったらまあ、頻繁に家に通うとかそこまで直接的なことではないにせよ、対策の一つくらいは講じておくべきなのかもしれません。
『告白できないんだったらあっちからさせりゃいいじゃん、とかね~』
「!!」
『あ~、そんな発想全くなかった感じ~?』
「な、ないよそりゃそんな!」
清明くんの好きな人は自分なのかも、ということですら自分では全く想像できずにさっちんの力を借りたあたしだというのに、ましてやそんな、「あっちから告白させる」だなんて。……いや、だって、させるとかそういうことじゃないでしょ? 告白って、一般的に。
『ま~こんなうふうに考えるだけならタダなわけだよ~。付き合うまでの話に限らず~、その後のことなんかもね~』
「その後――付き合い始めた後、ねえ」
『おっ、なんか引っ掛かったかな~?』
「ちょっとね」
付き合ってどうしたいか、どうなりたいか、どうされたいか。もう何度目かになりますが、思い浮かんだのはその話なのでした。
「ねえみっちゃん」
『ん~?』
「許してもらえる想像って、してもいいものなのかな。自分が悪いこと――とまでは言わないけど、相手から良く思われないことをしてるとして」
みっちゃんからすれば、いきなり何を言い出すのかという話ではあるのでしょう。
でもそこはみっちゃんです、そんなふうに思ったことはまず間違いない筈なのに、それでも平然として返事をしてくれます。
『それが許されないとしたら~、許してもらうための行動すら許されないってことだよね~。人間なんてまず頭で考えなきゃ行動できないわけだしさ~』
…………。
『なんだいなんだい~、しょーが好きな人ってのはそんな酷い男なのかい~? あんな大人しそうな顔しといてさ~』
酷い男。
清明くんが?
「そんなことないよ、絶対」
『じゃ~問題ないじゃん~?』
「そうだね。――あはは、そうだよね」
救われた気分というのはこういうことを言うんでしょうか。身体が、どころか横になっているベッドごと、ふわふわ浮いているような感覚に陥るあたしなのでした。
「ありがとうみっちゃん。明日学校で会ったらさっちんと一緒にもみくちゃにしてあげよう」
『はっは~、そりゃ楽しみだね~』
「あはは。――うん、ありがとね、本当に」
『どういたしまして~』
これだけだったらそこまでのことではないのでしょうが、しかしついついさっちんに相談の電話をした時のことまで頭をよぎってしまったあたしは、気を付けないと声が上ずってしまいそうな状態なのでした。
それはなんとか抑え切ったにせよ、でもそれはそれでどこか不自然な声になっていたりしたのかもしれません。が、どちらにせよ、みっちゃんはそれについては触れてきませんでした。
『いや~すっきりしてくれたなら良かったよ~。せっかくさっちんが立ち直ったのに今度はしょーにへこまれちゃうってのは~、そりゃちょ~っと残念な感じだしね~』
「そ、そう?」
『部活の雰囲気がひじょ~に居心地いいってのはさっきも言ったけどさ~。――って言ったら~、もう何が言いたいか分かってもらえるんじゃないかな~? 皆まで言うのはちょっと照れ臭いっていうかさ~』
「そういうところは照れるんだよね、みっちゃんって」
今回あたしがあたふたする羽目になった発端のあの言葉とかは、照れなんて全くなく口にできたりするのに。
『しょーとさっちんは想像の産物じゃないしね~』
「あはは、そりゃね」
『はっは~。で、ここらで一つ相談なんだけど~』
「ん?」
みっちゃんのほうから相談とは、これは意外な展開。……いや、相談してたのはこっちだった筈なのにという意味ではなく、そもそもみっちゃんが相談を持ち掛けてくるなんてという意味で、です。
『これまた想像の話なんだけど~、わたしってこんなだから~、もし実際に誰か好きな人ができたりしたらさっちんやしょーの比じゃなく大慌てすると思うのよ~』
――という話をされた場合、それだけに限定まではできませんが、「あ、もしかして好きな人いたりするの?」みたいなことを少なくともちらっと程度には思ったりするのではないでしょうか。
しかしあたしはそんなふうには思いません。あたしでなくとも、みっちゃんを知る人はそんなふうには思わないことでしょう。あの想像力豊かなみっちゃんが、そんな後手後手な問題処理なんてするわけがないのです。
自分のことなんて想像しないというみっちゃん。小説に自分なんか出さないし、と言ってはいましたし、それも本当のことではあるんでしょうけど、でもこういった理由もあってのことなのではないでしょうか。創造力が豊か過ぎて、自分のことを考えると将来の不安が次々に押し寄せてしまう、という。後手に回るわけがない、なんて思えてしまうくらいに、先手を取れ過ぎてしまうのです。
それはある意味、付き合ってから相手を好きになり始めたり悩み始めたりしたさっちんと真逆なのかもしれないな、なんて。
『いつの話かなんて分かんないし~、その頃には進路だってばらばらかもしんないけど~、もしよかったら~……』
「うむ、いくらでも相談してくれていいぞ」
頼れる感の演出ということで成美さんの喋り方を真似してみました。が、しかしもちろん、みっちゃんにそれが通じることはないんですけどね。
『ありがとね~。よ~し、明日はこっちからもしょーをもみくちゃにしてやるぞ~』
「三人でもみくちゃにし合うって、どんなことになっちゃうんだろうねえあたし達」
他のクラスメイトから奇異の目で見られるような光景が繰り広げられてしまうかもしれません。が、まあ、気にしないことにしておきましょう。
そうして二人して少し笑ったところ、なんとなーく訪れた雰囲気がありました。お開き、というやつです。
「それじゃあみっちゃん、そろそろ」
『癒してあげられたか~い?』
「うん、すっかり」
そういえば最初はそういう趣旨だったっけ、なんて。
『そりゃよかった~。んじゃ~また明日ね~』
「また明日」
そうして電話を切ったあたしは、明日の朝教室で会ったあたし達三人の様子を一息つく程度の時間想像してみたりした後――本題に立ち返りました。
「そっか、いいのか……」
許される想像。清明くんに、幽霊のことを。本当は兄ちゃんとずっと会ってるし、清さんがあそこに住んでることだってずっと前から知っていたということを。
もし清明くんと付き合えたら、というような想像は、これまでもしたことがないというわけではありませんでした。が、でも、許される想像をすることが許されるというのなら、もし「許されたうえで」清明くんと付き合えたら、という想像もできることになるわけです。
「…………」
ということなら想像しないわけにはいかない筈なのですが、しかしやはり、最初の一歩には躊躇や緊張が付き纏ってくるのでした。やっぱりよくないんじゃないかとか、踏み出してしまったら戻れなくなるんじゃないかとか、そんな思いが勝手に湧き上がってくるのでした。よくないというのはともかく戻れないというのは些か大袈裟ではあるのですが、でもそう思っていてすら緊張が解けないほど、それは自分に都合のいい想像だったのです。
あたしはうつ伏せになり、枕に顔をうずめ、そのうえ目を閉じまでして、視界を完全に閉ざしました。実際それで何がどうなるというわけでもないのですが少しだけ、気休め程度にだけ、気が楽になりました。
気休め程度とはいえ勢い付けくらいにはなります。なのであたしは、その気が楽になった瞬間に、一歩を踏み出してしまいました。
清明くんが許してくれたら。
そうしたら、どうなる?
「…………」
告白して付き合って、ということになるのを確定事項として扱うことについては、今更問題とはしないでおきましょう。これまでは許される過程を省いていたので、告白する場面についてもそれと同じく省かざるを得ませんでしたが。……今思うとなかなか無理があるんですけどね、告白を省いて付き合う想像をするっていうのは。
付き合う想像と「許されて」付き合う想像で何が違ってくるかといえば、それはやはり幽霊に関することになるでしょう。となるとこれはあたしと清明くんだけの話ではなく、そこに兄ちゃんと清さん、それに成美さんや明美さんや場合によってはあまくに荘のみんなも含めた話になってくるわけです。
まあ要するに、二人でいちゃいちゃするような話にはならないということです。したいというのも否定はできませんけどね、そりゃあ。
――とまあそれはともかく本題ですが、なんせ幽霊です。今ではすっかり馴染んでしまったあたしには上手く想像出来ないところがあるにはあるのですが、いきなりそう言われて納得できることではないでしょうし、納得できたからといってすっきり受け入れられるというものでもないのでしょう。例えそれに絡んだ話で、あたしを許すようなことがあったとしても、です。
そして清明くんにとってのその話は、何よりもまず自分の家族についての話ということになります。清さんの周囲に同じく幽霊である他のみんながいたとしても、そちらに構っているような余裕は多分、ないのでしょう。あたしが兄ちゃんの声を、兄ちゃんの声だけを追って、あまくに荘に辿り着いた時のように。
家族についての話。
その時あたしは清明くんの彼女ということになっているわけですが、ならば果たして、あたしはその話に加わらせてもらっていいものなのでしょうか?
いえ、もちろん、その時点ではまだ「家族の一員」ということでないことくらいは自覚しています(想像上の話で自覚っていうのも変な話ですけど)。それを名乗れるのはそれこそ……け、結婚してから、ということになるのでしょう。いやいやそれはさすがに今回の話から大きくはみ出ちゃってるんで、あまり深く掘り下げはしないでおきますけど。
ただ、家族の一員ではないにしても手助けくらいはしてあげたいと思いますし、彼女としてもそれまでついていた嘘の罪滅ぼしとしても、そうすべきだと思うのです。
大事な人が幸せだとそれは自分にも伝わってくる。
なんてことを最近、兄ちゃん成美さんの二人を通して知りました。頭の中の理屈としてならそれよりもっと前から分かってはいたんでしょうけど、実感や実体験としてとなるとそれとはまた話が違ってくる、というか。――だから、それを知ったあたしは多分、清明くんのことも幸せにしてあげたいと思う筈なのです。自分が自分のものとして欲する幸せより、もっともっと強い気持ちとして。
幽霊として目の前にいる清さんと遠慮も躊躇もなく、これまで聞かせてもらってきた思い出の中の清さんと同じように接することができるようになったら、それは絶対に清明くんにとって幸せなことだと思うのです。そしてそれが絶対であるなら、あたしは清明くんに何をしてあげたいかというこの気持ちも、絶対に絶対なのです。
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