(有)妄想心霊屋敷

ここは小説(?)サイトです
心霊と銘打っていますが、
お気楽な内容ばかりなので気軽にどうぞ
ほぼ一日一更新中

新転地はお化け屋敷 第二十四章 お留守番の間に 三

2009-03-25 20:50:03 | 新転地はお化け屋敷
 もちろんそれは、清明くんからすればはた迷惑な話でしかない。それで霊障が治まっていると分かったところでその結果を伝えるわけにもいかず、つまり清明くんには、得るものが何一つない。
 明美さんへ向けた軽率さの償いとは言っても結局は、僕の身勝手でしかないとも言えてしまう。でも僕は、その身勝手を通したい。身勝手だけど。
「栞が行くよ、そういうことなら」
 栞さんが立ち上がってくれた。
 でもその表情は、険しいものだった。怒っている、と言い換えてもいい。
 ――覚悟の上だった。身勝手な覚悟だけど。

「今回はセーフですか?」
 カバンを持ち部屋を出て、階段を上る前に話し掛ける。相手に成り得る人物は、一人しかいない。
「セーフとかセーフじゃないとかそういう言い方にはちょっと抵抗があるけど、どっちかと言われたらセーフだね」
 何の話かというと、栞さんが険しい表情をしている理由について。
「でも、セーフってことは」
「勝手な思い込みでなく、僕が悪いんですよね」
 どういうことかというと、「自分を悪者にしてしまう」という僕の癖のこと。
「悪いってほどじゃなくて失敗かな、よく分かってない段階で明美さんに言っちゃったってことは。うん、失敗。――今、たぶん怒った顔になっちゃってると思うけど、同じ状況で他の人ならならそうはならなかった、とは言えないから」
「ありがとうございます、来てくれて」
「清明くんには謝らないといけないけどね、痛くなろうとなるまいと」
 怒った顔になってしまっているという自覚があって、それでも怒りに流されない。自分勝手な自責の念に流されてしまっては怒られてばかりの僕からすれば、見習うべき点だった。客観的なものの見方を常に備えていられる、と言うか。
「……まあ、謝っても聞こえてはもらえないんだけどね」
 常に備えていられるから、切り替えも早い。ここでくすりと笑ってくれる栞さんは、これからやることを考えた時、とても心強い同行者だった。

 結果から言って、少なくとも栞さん一人が近付いただけでは清明くんに何の変化もなかった。初めは恐る恐るだった栞さんも今では枕元に座っているというのに、その隣へ並ぶ僕が「お水、もらってもいいですか」と何を気にするふうでもなく頼まれてしまうほど。
「気分はどう?」
 水の入ったコップを渡すと同時に、尋ねてみる。
「少し落ち着きました。お水、ありがとうございます」
「良かった」
 清明くんからすれば、風邪の症状についてを尋ねた質問だったんだろう。もちろん僕自身にもその意図はあったけど、でももちろん、それ以外の意図も含まれている。
 落ち着いた、とそれだけ。つまり、やっぱり何も起こっていないらしい。風邪以外の部分も。
「でも、無理しちゃ駄目だよ。まだ少し横になってただけなんだし」
「はい。と言うか、ずっとここで寝てたいくらいです。お布団が気持ち良くって」
 弱っているところで上等な布団(と言っても自分が使っているそれに比べて、というだけの話だけど)に包まっているとなれば、そりゃあ気持ち良くもあるだろう。体を起こしてちびちびと水を飲む清明くんを見ていると、こっちも肩が軽くなる思いだった。
「汗とかかいたら、シャツの替えくらいはあるよ。下着は……さすがに、無理があるだろうけど」
「そんな、悪いです」
「気にしない気にしない、替えなかったら今度は布団が汗まみれになるんだし。シャツの替えはあっても布団の替えはもうないよ?」
 現実に即した話なのに冗談っぽくなってしまうのはどうしてだろう? と、冗談を言う気満々で言ったくせに思ってみたり。しかし清明くんが、けほけほと軽い咳交じりではあるものの笑ってくれたので、それはそれで良しということに。
「すいません。じゃあその時は、お願いします」
「洗濯はきっちりしてるから、そこは気楽に構えててね」
 またも冗談めいたふうになってしまう事実を言い残しつつ、立ち上がった僕は台所へ。明美さんへ連絡をした時のように二箇所のふすまを閉めながら。
 僕に続いて立ち上がる直前、栞さんは呟いていた。ごめんなさいと。霊障は出なかったけどそれは、出なかったというだけだから。
 そういうことがあって、台所。
「大丈夫みたいだったね。良かったぁ」
 栞さんは、胸を撫で下ろしていた。霊障の出る出ないに関わらず謝るとは言ってもやっぱり、出ないに越したことはない、ということだろう。もちろん、僕だって安心できた。
 でもそれは、今の時点では、ということでしかない。
「……じゃあ、みんなも呼んでくる?」
 栞さんのその言葉。それはどう聞いても、「もう安心だからみんなも呼ぼう」という中身のものではなかった。「みんなを呼んでもまだ大丈夫だろうか」という疑問と不安を中身とした、たった今得られた安心感を打ち崩してしまうものだった。
 そこまでするべきなのだろうか、という思考が一瞬、頭をよぎる。だけどそもそも、すべきだとかすべきでないだとかの話ではない筈だ。すると決めたから、する。
 誰を相手としていても誇れないことではあるけど、失敗を償うというのはそういうことだ。初めから誰にも賞賛される筈がない。元になる失敗がどんなに大きくてもどんなに小さくても、そこは変わらないだろう。
 だから僕は、それをする。
「お願いします」

「ジョンくん!――けほっ」
 みんなが集まると、清明くんは飛び上がるような勢いでその身を起こした。実際、額のタオルが飛び上がった。そのことに気付きもしない清明くんに代わってタオルを拾い上げると、大して時間が経っていない割にはもう、温かくなってしまっていた。
「絞り直してくるね、タオル」
「あ、お、お願いします」
 言われて初めてタオルの存在を思い出したらしい清明くん、やや恥ずかしそうなのでした。まさかそこまで喜んでもらえるとは。
 しかしまあその様子からして、心配していたことは起こっていないらしい。いきなり大きな声を出したせいなのか、ちょっと咳込んでたけど。
「大丈夫みたいであります」
「みてーだな。顔は赤いけど」
「事態に詳しいわけではないから油断はできんが……何にせよ、良かった良かった」
 清明くんにその存在を気付かれることはない新たなお客さん三名、風邪のほうはともかくとした、安堵の表情。みんな清明くんと面識が殆どないのは僕と同じだけど、それでいて心配してしまう理由もまた、僕と同じなんだろう。友人の息子、というのは中々に大きい。
 その関係があってこうして知り合ってみた後となっては、それだけで済ませられるものじゃなくなってるんですけどね。いい子だし。
 さて、みんなの一言の間にはもうジョンの頭を撫でたりしているそのいい子こと清明くんを眺めつつも、手に持ったタオルの件もあって台所へ。
 ――と、そうする直前に。
「あ、でも、あんまりジョンくんにべたべた触ったりしないほうがいいんでしょうか? 風邪うつしちゃったら大変だし」
「うーん……逆にジョンからいろいろ貰っちゃったりもするかもしれないしね、体が弱ってる真っ最中なんだし。だから、できたらそのほうがいいかも」
 犬も風邪をひいたりするんだろうか? とちょっと考えてみたものの、その結論を導けそうな知識が頭の中に存在しないことだけがはっきりと分かってしまった。ので、そのように。
 残念そうに布団の中へ潜り直す清明くんと、尻尾をぱたぱたさせているジョンが清明くんにじゃれつかないよう、その背中を撫でたりしてお座りを継続させる大吾。そしてその周囲の、薄く笑みを湛える女性二人と多分同じく微笑んでいるであろうペンギン一羽。
 いつの間にやらペンギンくんが赤いカチューシャをしているほうの女性の膝の上にいたりしてちょっと思うところもあったりするのですがそれはいいとして、平和な時間が過ごせそうだ、とちょっと嬉しくなってみたり。
 合うたびに「気の毒だなあ」と思わざるを得なかったしなあ、今までは。

「あれがあったらいいんだけどねえ、おでこに張るやつ。熱吸ってくれるシートみたいなの」
「あ、いえ、これでも充分助かってますから」
 絞り直したタオルを渡しつつ、その絞り直している間に思い付いたことを言ってみる。思った通りに遠慮されてしまいつつ、でも実は、僕の本心はそこになく。
 自分が使った経験はないんだけど、テレビのコマーシャルで見る限りはかなり気持ち良さそうなんだよねあれ。今回のこれを口実として買ってきて、余った分を自分で使ってみようかと思うくらいに。
 ……馬鹿だなあ。
 ともかく。
「お昼ご飯、どうしようか?」
 まだ十二時までには少し時間があるけど、台所を通ったもんで。
「あ、それは……」
「食欲ない?」
「いえあの……すいません、お腹空いてます」
 ストレートに「ご飯を食べさせてください」とはならないよね、そりゃ。まあ、それはそれで食べさせ甲斐がありそうだけど。男らしいというか漢らしいというか。
「よしよし、食欲があるのはいいことだ。んじゃあ何か作るとしてだけど、お粥でいいかな? 美味しいお味噌汁も付けられるよ」
「ありがとうございます。でも、お兄さんは……」
「僕もお粥とお味噌汁でいいよ。自画自賛するわけじゃないけど、美味しいしね」
 そのメニューに反応したのは、清明くんだけではなかった。
 自画自賛じゃないというのは、嘘偽りもなければ謙遜ですらないのです。だって、作るのは僕じゃないんですから。お味噌汁じゃなくて、美味しいお味噌汁なんですから。ね、栞さん。
 ――えー、ところで。
「もしかして僕、清明くんに名前、言ったことってまだなかったっけ?」
 今更かもしれませんが、ということで今更な質問。お兄さんって呼ばれ方も悪くはないんですけどね。
 さて清明くん、するりと気まずそうな顔に。やっぱりか。
「ごめんなさい」
「いやいや、これはこっちが謝るべきなんじゃないかと思うけどね」
「あの、管理人さんが『こーちゃん』って呼んでたのだけ知ってるんですけど……」
 おおう、そう来たか。――こら笑うな、笑わないでください周囲の皆さん。あなた方だってなっちゃんにだいちゃんにしぃちゃんじゃないですか。
 ――しぃちゃん。……ああ無理だ、使用難度が高過ぎる。無理して使うにしても『しぃちゃんさん』だ絶対に。
「日向孝一です。よく『ひゅうが』とか『ひなた』とか間違えられちゃうんだけど、『ひむかい』です。で、孝一だからこーちゃんです。お兄さんでもいいけど、呼びやすいように呼んでくれていいです」
「じゃあ、日向さんでいいですか?」
「いいですよー。ちょっぴり『こーちゃん』を期待してはいたけどね」
 というのは冗談だけどね。――冗談ですってば周囲の皆さん。

「ねえこーちゃん」
 と僕を呼ぶのは、もちろん家守さんではありません。家守さんでないこの人をここへ呼んだのは僕ですけど。というわけで、「勘弁してくださいよ」と苦笑い。
「あれ? 楓さんはいいのに栞は駄目なんだ?」
「家守さんだからいいんじゃなくて、栞さんだから駄目なんです。ちゃんと名前で呼んでください」
「うーん、そういうものなのかなあ」
 小首を傾げる栞さん。それを見ていると、なんだか僕も傾げたくなった。たった今、自分で口にしたことだというのに。
 栞さんだからこそちゃんと名前で呼んで欲しい、と僕の発言はそういう意味だ。だがしかし、仮に栞さんから「こーちゃん」と呼ばれたとしたら? 例えば毎晩夕食後の二人きりのあの時間に、肩へ寄り掛かった栞さんが「ねえこーちゃん」と話し掛けてきたとしたら?……非常に良いかもしれない。しかもそれが若干、甘えの入った口調だったりして――。
 いや違う、これは呼び方どうこうじゃなくてシチュエーションがベリィにベリィを重ねたグッドであるだけだ。グッドであるが故にそりゃあそうなったら嬉しいんですけど、全開の妄想であるが故に、そうして欲しいなんて言える代物じゃありゃしません。
「じゃあ逆に栞さん、僕が栞さんを『しぃちゃん』って呼んだらどう思います?」
「全然大丈夫だよ? 例えば夕食後のいつもの時間に――」
「よし、調理の準備に入りましょう」
「あれ?」
 都合の悪い意見には耳を貸さないことにして、台所へ来た目的を果たしましょう。体調を崩した上にお腹を空かせたお客さんがいるのです。のんびりなんてしてられません。
「ところで栞さん、僕の昼食を作ってくれるっていう話でしたよね?」
「う、うん。二日連続で駄目だったからね」
 急な話題転換に面食らった様子もありつつ、だけどしっかりと頷く栞さん。それだけの意気込みがあった、と受け取るべきだろう。そしてだからこそあっさりと話題は切り替わり、だからこそしょんぼりとうなだれてしまう。
「でも今回も、お味噌汁だけみたいだし……」
 そう。明言する前に読み取って頂いた通り、僕もそのつもりで栞さんをここへ誘いました。でも、そこで。
「お粥も作ってみませんか? 僕だって食べるんですし」
 全てを栞さんに任せてしまえば、つまりは栞さんの望み通りということになるのではないかと。――というのは実のところ建前だったりしまして、
「と言うかですね、僕もかなり楽しみにしてるんですよ栞さんの手料理。いや本当に。だから是非、作ってください」
 栞さんが望んでいたものと状況が随分違ってしまっているのは、分かっています。だからこれは栞さんのやりたかったことではなく、僕からの頼み事として遂行して頂きたいのです。なんたって「彼女の手料理」ですから、そこに期待が生まれないわけがないのです。自分が料理を得意としていようが、毎晩一緒に料理をしていようが。
「……お粥って、難しくないかな?」
「言ってみればまあ、普通より多めの水で炊くってだけですから。その間に味噌汁を作る時間も充分にありますよ」

 というわけで。
「お待ちどうさま。ご飯できたよ」
 得意料理である味噌汁のほうは僕が何を言う必要もなく、今日初めて作ったお粥にしたって、火加減の調節を少し告げた程度。塩加減と具を何にするかは栞さんが自分で決めたんだし、これをもってして僕が手を加えた、ということにはならないだろう。
 つまり、紛う事無き栞さんの手料理、ついに到着です。
「ありがとうございます」
 お腹が空いていたというのがよっぽどだったのか、呼び掛けただけで表情が明るくなる清明くん。そんな彼を豆腐とわかめのお味噌汁、加えて溶き卵を具としたお粥の元へ、ご招待。と言ってもまあ、私室から居間へ移るってだけなんですけどね。
『いただきます』

「おかわりもあるから、好きなだけ食べてくれていいよ。お腹空かしてたみたいだし」
「そ、そうですか? じゃあ遠慮なく。あの、ところで日向さん」
「うん、塩加減もいい感じで――ん? あ、ごめん何?」
「ああいえ、今から言うところだったんですけど。えっと、机の上にあった熊の置物がちょっと気になって」
「へえ? やっぱり、無闇にリアルだから?」
「いや、他に何もなかったから目立ってたって言うか……」
「ああ、そりゃそうだよね。思いっきり必要最低限のものしかない中で、あれだけがぽつんと置いてあったらねえ。しかも無闇にリアルだし」
「拘るんですね、そこ」
「あれねえ、実は貰い物なんだよ。まあ、他に何もない中であれだけ買ったっていうのも中々に不自然だけど」
「そうなんですか。――あ、いい塩加減。美味しいです。……それでえーと、どういう人から貰ったんですか?」
「ん? 気になる?」
「はい、ちょっとだけ。あの無闇にリアルな熊をくれるって、どういう間柄の人なのかなと思って」
「ちなみに、予想ではどう思う?」
「うーん……日向さんって、近くの大学に通うためにここに住んでるんですよね? さっき取りに戻ってたカバンとか、えっと……」
「昼間に家にいることとか?」
「は、はい。でも、間違ってたらごめんなさい」
「いやいや、ぴったりその通りだよ。お見事」
「そうですか。それじゃあ――家族から、とかですか? 大学で知り合った人がいきなりあれをくれるっていうのも、ちょっと違うような気が」
「ああ、こっちは残念。家族じゃないよ。と言って、大学で知り合った人でもないけど」
「となると、じゃあ他には……あ、管理人さんですか?」
「それも残念。実は、彼女から貰ったものです」
「え? それは……全然、予想できませんでした。だってあんな無闇にリアルな――あ、ごめんなさいなんでもないです」

『ごちそうさまでした』
 清明くんはよく食べてくれました。もしかしたらちょっと無理してるんじゃないかと思うくらいに食べてくれました。僕もお粥を一杯だけおかわりしたけど、まさか作った分全部がなくなるとは。
 そしてそのよく食べた清明くんは再び布団に入り、傍らでお座りの姿勢をしたまま尻尾を振っているジョンへ、親しみをたっぷり乗せた視線を送っているのでした。本当なら撫でたり一緒に歩いたりしたいだろうけど、でもこれでも、ただ寝ているというだけなのよりは随分とマシなのだろうとは思う。
 で。
「おい孝一、何か言ってやれよ」
 もちろん清明くんを目の前にして返事をするわけにはいかないけど、大吾が顎で指す方向へ、無言ながら顔を向ける。そこには、栞さんが正座をしていました。それだけならこれまで通りなんですけど、
「本気でへこんでるじゃねえかあれ」
 背中は若干前傾していて、更に表情はどんよりと。一応はまだ膝の上に座っているウェンズデーからも、どこかしら緊張した雰囲気が漂ってきます。動くに動けない、というやつなんでしょう。
「とは言ってもこの場で話をするわけにはいかんからな。何なら、この場をジョンとわたし達に任せてもらっても構わんぞ。まあ実際に任されるのはジョンだけだが」
 そう申し出てくれるのは成美さん。ありがたいことです。
「しかし喜坂のやつ、ああまで落ち込むほど気に入っていたのか? あの熊を」
 そうなんですよねえ、と心の中で相槌。
 ハッキリそう言われたわけじゃないけど、「彼女からの贈り物っぽくない」なんてのを聞いてしまえば、そりゃあ程度はどうあれ落ち込むでしょう。でも、膝の上に座ってるペンギンの存在をまるで気に掛けられないくらいというまでの落ち込みようとなると、これは相当なものだと思う。正直、僕も清明くんにそういう返答を期待していた節があるんですけどね。
「日向さん」
 ならば成美さんの提案を飲んで――いや、そうするとしたならばまず栞さんにこの場を動いてもらわなければならず、ということはその旨を伝えなければならず、でもやっぱり清明くんの前だからそれを僕が行うのは――ん?
「あ、なに?」
「随分ありましたね、間」
「いやあ、ちょっとさっき言ってた彼女についていろいろと」
「あっ、そ、そうだったんですか。すいません変な時に声掛けちゃって」
 変ではないつもりなんだけどなあ、とやや苦笑。でもまあ、いきなり見も知らない彼女の話なんか切り出されたら困るよね。そりゃね。すぐそこで落ち込んでる人なんだけどね。時折「あうぅ」とか呻いてるんだけどね。
「それで、本題は? シャツ替えたくなったとか?」
「あー、言われてみればそれもそろそろお願いしたいような気もするんですけど……」
 あくまでも遠慮がちながら肯定はし、しかしそうでありながら話の本筋はそうでないようで。なら、シャツの用意は話が終わってからにしよう。
 なあんて軽く考えていると、不意に清明くんがそっぽを向く。顔に代わって後頭部にこちらを向かれ、僕はもちろん、向かい合う位置にいたジョンも不思議そうに首を傾げた。尻尾のぱたぱたも、その首の角度に合わせて停止。
「変なこと、訊いてもいいですか」
 こちらを向かないまま発せられたその呼び掛けは、真剣なものだった。清さんの夢の話を、楽しい悪夢を見てしまった時のそれと、同じ声だった。
 そのたった一言だけで、部屋の空気が一変する。
「まあ、まずは言ってみてよ」
 断るつもりはない。だけど、変な話だというだけでイエスと返すことはできない。なぜならこれが真剣な話だということだけは、分かっていたからだ。
「……もしも……もしも、今言ってた日向さんの彼女さんが――」
 僕の彼女が。そう切り出してきた時点で、何を問われようとしているのかは何となく、気づけたような気がした。だって、清さんの時と同じ口調だったのだから。
「好きな人が死んじゃったら、やっぱり悲しいですか」
 予想はしていた。なのに体が震える感覚。それは、悲しいからだろう。だけど何が悲しい? 栞さんが今ここにいるから? 会えなくなったらと想像してしまったから? それとも、実際に死んでしまっていることを再認識させられたから?
 違う、そうじゃない。悲しいのは、そんな質問をしなければならない男の子の存在そのものだ。悲しいのは、そんな質問をしてしまうに足る事情を、こんなに大人しい子が持ってしまっていることだ。
「悲しいだろうね、きっと」
 どうしてそんなことを訊くのか、とは訊けない。僕は知っているからだ。
 死んでしまった人が彼女なんだ、とは言えない。清明くんは知らないからだ
 そしてきっと、何を知っていようが何を知っていまいが、それはやっぱり悲しいことなんだと思う。悲しくないはずがない。
 例え、目の前にその人がいたとしても。
「やっぱり、そうですよね。誰だって、誰にだって、そうですよね」
「だからここに来たんだもんね、清明くんは」
「……すがりついたって意味なんかないって、分かってるんですけどね」
 自分がその通りに行動した割に、大人びた言い回しとその中身。だけど清明くんはそれに反するように、子どもっぽく、布団の中でその身を丸める。たったいま自分が言ったことを、そうじゃないと批判するかのように。
 じゃあ、本当は?
「ねえ清明くん、もしかして」
「…………」
「……思いっきり泣いたことがなかったり、するんじゃないかな」
 少しだけ期待してみたけど、清明くんはこちらを向かない。
「どうしてそう思いましたか?」
「思いっきりじゃなかったからね、少なくとも僕の前では。それだけ」
 涙が流れることはある。少し前、楽しい悪夢の話を聞く時に見た。だけど、「自分から」泣くということを清明くんは良しとするだろうか? 流れる涙を拭ってあっという間に微笑んで見せたこの子が、そんなことを。
「だって、余計に辛くなるだけじゃないですか。一度そうしちゃったら、きっと止まらなくなりますよ」
「そういう時は周りの人が助けてくれるよ。泣き止むまで待ってからどうにかするにしても、泣いている間にどうにかするにしても」
「それが、僕だけを心配してくれてる人ならいいですよ? でも、お母さんなんです。お父さんのことで泣いた僕を、お母さんに任せるなんてそんなこと、できないです。できないに決まってるじゃないですか。お母さんまで泣いちゃいますよ。……表向きには、泣かないんでしょうけど」
 さて、これは困った。中々に正論だ。こういう時に家守さんや、それこそ清さんだったらどう言うか――いや、真似をしようとしたところで中途半端になるだけか。年季が違う、というやつだ。
 年季が違う。なら、違うなりの方向で。
「なるほどね、そりゃ確かに」
 語れる含蓄がないのなら、目の前の状況だけで語ってやろうじゃないですか。年季なんてものは持ち合わせてないんですから。


2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2012-11-11 12:48:22
ここまで、「ひなた」って読んでました…。
返信する
Unknown (代表取り締まられ役)
2012-11-12 23:48:40
「ひゅうが」じゃ格好良過ぎる!
「ひなた」じゃ可愛過ぎる!
というわけで「ひむかい」にしました。
まあ現実じゃあ名前はともかく名字のイメージなんて本人には殆ど関係なかったりしますけど……。
あと「ひむかい」した理由はそれだけでもなくて、初めから彼にそっくりな人物を対になるような名前で出そうと思っていた、というのもあったりします。
もちろんそれは月見さんのことなのですが、漢字が同じでも「月を見ている」に対応する「日に向かっている」という印象は弱くなっちゃいますしね、「ひなた」にしろ「ひゅうが」にしろ。
返信する

コメントを投稿