(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第十八章 先輩 二

2008-09-14 21:06:15 | 新転地はお化け屋敷
「え? あの、怒るような事がないって?」
 本当に分からないのはナタリーさんだけだろう。それはちょっと可哀想な気もしたけど、それこそ今ここで青い火の玉を出さないためにも、ね。
「今後も今の調子で頼むよ、大吾君」
「うっせえ」
「あの……?」
 相変らず微動だにしないけど、内心では首を捻りっ放しなんだろうなあ。まあ、成美さんと大吾がいない場所とかでなら教えても大丈夫だろうという事でこの場は勘弁です、ナタリーさん。今のフライデーさんの一言から気付いてくれたら、それが一番なんですけどね。
 ……今後も今の調子で、かあ。それは僕にも当て嵌まったりするだろうか? 今の調子で、栞さんの彼氏という立場は立派に果たせているんだろうか?
 それが自分で結論付ける問題なのかどうかさえあやふやなまま、賑やかな散歩は続く。
 今日もいい天気だ。


「よっす」
 教室に入ると、気配で僕達だと察したのか、こちらから声を掛ける前に振り返ってくる。
「おはよう、明くん」
「おはようございます」
 どうしてその気配が知り合いだと分かるのかは上手く説明できないけど、分かる事自体は理解できる。不思議だなあ、なんて思いながらも片手を上げる明くんに挨拶を返す。するとその明くん、
「今日はなんか起きてられそうな気がするぞ。俺」
 いつも通り栞さんを真ん中にして座り始める僕達へ上機嫌そうな笑みを浮かべながら、それに見合って弾んだ声で、そんな事を言ってきた。
「へえ、大きく出たね」
「これくらいで大きくとか言うなよ」
 嫌味にも笑顔で応対。でも普段の様子からして、とても「これくらい」とは言えない思うんだけど。だって明くんだし。
「何か良い事でもあったんですか?」
 同調して嬉しそうになる栞さんは、即座に嫌味を告げるという思考が展開した僕に比べて、かなり良い人という事になるんだろう。でも、こういうところで他人を見習ったりはしませんけどね。しませんとも。
 ところで、明くん関連で良い事と言うとどうしてもあの小さな女性が頭に浮かびますが、しかしそんな予想は、やや外れであったようです。
「明日明後日と遊びに出かける事になったんですよ。あー、前に一度会ってますよね? 関西弁の双子姉妹とごっついの。そいつらとあと、センとその姉貴で」
 センさんはもちろん、外にも多数。なるほど、それは楽しみのあまり目が覚めるのも分かる気がする。なんたって、こっちも同じような――
「そうなんですか? 実は私達も、明日明後日はみんなでお泊りに行くんですよ」
 結構上出来と言ってもいい偶然に「え?」と声を上げる明くん。そりゃまあそうだろう、ところで栞さんって相手によっては自分の事を「栞」でなく「私」って言いますよね、なんて思っていると、「そりゃちょっと残念」と明くん。
「もし良かったら喜坂さんと孝一も誘おうかな、なんて思ったりしてたんですけどね。みんな幽霊の事は知ってるし、筆談とか……いや、やっぱ無理がありますよね」
 眠気とは無縁のハキハキとした動きで、恥ずかしそうに頭を掻く。
 明くんは幽霊が見えていて、センさんは見えないまでも、その声は聞ける。それを一体どんなふうに説明したのかは分からないけど、明くんの言う「関西弁の双子の姉妹」さんと「ごっついの」さん、それにセンさんのお姉さんは幽霊を知覚できないというのに、その幽霊に対して理解を持っていた。そこにはやっぱり高校時代の先輩だったという、そしてこの大学での先輩でもある深道さん、そしてその彼女さんであり幽霊でもある霧原さんが関わっているんだろう。
「そう言えば、深道さんと霧原さんにはあんまり会わないなあ」
「ん? なんだ急だなおい。――会いたいんなら俺から声掛けてもいいぞ?」
 と返された僕は、隣で「しお……私も、あんまり会った事ないなあ」と呟く栞さんに重なるようなタイミングで、遠慮の意を示そうとした。それは元の発言がその内容以外の意味を持っていなかったからで、言い換えれば用事があったわけではないという話。
 ただ雑談を交わすという用事を設定する事もできる。でもそれは、廊下で出くわしてそうなるなら分かるけど、用もないのに呼び出してもらってまでそうする事はないだろう。そう思っての判断だった。
 だけど、
「家守さんに相談に来た人達だよね? 髪が伸び始めたって」
 栞さんのその呟きを聞いて、ちょっと考えが変わる。
「じゃあ、お願いしてもいい? あ、でも時間割がどうなってるか……」
「あの人、金曜は四限までだぞ。俺が三限までだからって先週、嫌味のメール貰った。『俺も帰りたいよ』とか」
「四限って事は、僕と同じか」
 栞さんとともに軽く笑いながら、決心。
「じゃあ四限が終わった後にって事で。場所は……正門の辺りでいいかな」
 何がそうさせたかと言うと、フライデーさんのあの一言だった。――のかもしれなかった。


「あっ、来たわね」
 四限終わり、ではなく四限開始の時間。正門の辺り、ではなく四限の講義を受ける狭い教室。狭いが故に栞さんとは別行動。という事で一人になった僕を開いたドアのすぐ傍の座席から見つけてきたのは、待ち合わせの約束を取り付けた先輩とはまた別の先輩、丸出しおでこがチャームポイントな異原さん。
「ひ、ひうう……」
 そして異原さんと同じ三人掛けの机、こちらから見てその奥側に並んで座る同輩、殆ど見えない顔がチャームポイントな音無さん。まだこちらからは何も言っていないのに体はカチコチ、かつ限界を窺わせるくらいに肩幅を狭めていた。
「……まあその、感想を言うなら小声でお願い」
 と、異原さんに小声で囁かれる。
「……………」
 そんな異原さん以下の小声すら出なかった。
 どう言えばいいか、……そりゃ、隠したくもなりますよねって言うか。
 さすがに段階を踏んで、という事なんだろう。音無さんは季節的にも人物的にもあまり似つかわしくないと言わざるを得ないもこもこのダウンジャケット(やっぱり黒)を、いつものコートの代わりに羽織っていた。しかし羽織っていた、と言うからにはそれは言葉通り羽織っているだけで、昨日までのコートがそうであったのとは違い、ジッパーやボタンは完全に解放されていた。
 で、その結果、ですよ。
 家守さん並ですよ。
 まるでレベルが違うんですよ、ダウンジャケットが似合わないなんてのとは。
 似つかわしくないんですよ、体格とか人格とかからして。
 いえ、アリかナシかって言われたら、そりゃあアリですよ? こちとら男ですから。
「うお、想像以上」
 そんな所へ、僕と同じ人間男性がもう一人。
「いやいや、こりゃあ……」
「見入るなド変体ド馬鹿男ー!」
「あがばっ!」
 除き込んでた所にアッパーは威力的に考えて不味いんじゃないでしょうか、とも思ったけど、そこは口宮さんの耐久力に期待するしかないだろう。アッパー、もう入っちゃったんだし。
「そ……そ、それで……」
 十数センチ程度横で繰り広げられる虐待劇に目もくれない、というかくれさせる事ができない僕に、弱々しい声が。十数センチ横の騒々しさにかき消されてしまいそうなそれは、しかしなんとか僕の耳に届き、起きたまま夢を見ていたような気分はここで終わる。
「は、はい?」
「そそ、その、変じゃ……ない、でしょうか……」
 止め具の類が全解放されているジャケットを左右に押し広げるように、その変かもしれない箇所が盛り上がっている。変なんだろうか。いや、変ではないと思う。
「そんな事は、ないですよ」
 途中で唾を飲み込んだのは、我ながら最悪だと思った。
「そう、ですか……」
 それでも少し安心してもらえたらしく、声の震えは治まり、口の端を僅かに持ち上げると、音無さんは正面を向く。ちょっとだけこれまでより背筋を張ったようにも見え、それを前にすると、本当にそう思っての発言だったとは言え劣情なんかもやっぱりあったりする自分の心中が、後ろめたく感じられた。
 そんな僕の隣では、荒げられてはいるもののボリューム自体は抑えられた声による、口喧嘩が。
「今の日向くんみたいな対応でいいのよ! 初っ端から鼻の下伸ばして覗き込むとか何考えてんのよ何も考えてないの!?」
「そういう目も向けられるだろうから慣れとけって話だよ! ショック療法で手加減してどうすんだ!」
「誰がショック療法なんて言ったのよこの悪魔! 女の敵!」
 小声ではある、その激しい遣り取り。でも小声とは言えやっぱり周囲には伝わり、部屋内の他の人達からチラチラと目線を向けられる。もちろんそれらは僕と音無さんに向けられたものではないけど、やっぱり放置というわけにもいかないだろう。どうにかこの言い合いを静めようと声を掛けようとしたところ、
「あの……わたしは、大丈夫ですから……」
 音無さんに先を越された。二人を止めるためとは言え、たった今まで戦々恐々だったのに「大丈夫」と言ってのけられる辺り、意外と芯の強い人なのかもしれない。……いや、そりゃあシャツ一枚で堂々としてる我が家の管理人さんと比べたらあれですけど。
「見ろ、早速ショック療法の効果が」
「黙れ」
 ぺしん、と頭を軽くはたかれると、しかしそれはあんまり気にしていないというような表情で、口宮さんが席へ向かう。異原さんと音無さんの一つ前の席。僕もそこへ腰掛け、口宮さんと並んだ。この人が隣に座るっていうのはやや窮屈な心持ちだったりするけど、
「あ、そう言えば、口宮さんと同じ講義受けるのって初めてですよね?」
「あ? まあ、そうだな。先週はこの講義、サボったし」
 この人が学業に勤しんでいる場面が、隣に座った今ですら上手く想像できない。……さすがに失礼な人物像だろうか。
「哲郎さん以外は……みんな揃うんですね、この講義……」
 本人を横目にそんな事を考えていると、後ろで音無さんがぽつり。もちろんそちらを向いていなかった僕には、果たしてそれがどんな表情で言われたのかなんて、分かりはしなかった。
「あら、もしかして寂しかったり? 哲郎くんにもこの場にいて欲しかった?」
 しかし異原さんは音無さんの表情を見て、しかもそこからそういった意向を汲み取ったのか、それともただデタラメに難癖をつけてみただけなのか。
 ……胸の話には消極的なのに、そういう話だとずいぶん積極的なんですね。
「な、なんでそんな話に……? でも、いつか見られるという意味でなら……今ここで、みんなに纏めて見られていたほうが……気は楽だったかもしれないですけど……」
「んじゃあやっぱり、いて欲しかったのね?」
「でもあの、だから、そういう意味じゃ……」
 後ろの席でそんな話をしていれば、当然前の席の僕と口宮さんは後ろを向いているわけです。しかしここで口宮さん、後ろの机に肘をつき、音無さんへ詰め寄るように上半身をそちらへ乗り出させる。
「実際のとこ、どうなんだ?」
 決してそういう人ではないんだろうけど、口宮さんがいつも放っている不良っぽい雰囲気。そのせいか、その質問は会話と言うよりは尋問に近く感じられた。もしかしたらこれでも、口宮さん本人としては友人同士の軽い会話のつもりだったのかもしれないけど。
 そして音無さんは十秒ほどたっぷりと間を溜めてから、
「……こんな所で堂々とする話じゃ、ないです……」
 という、半ば白状しているのに等しいような返答を。でもまあ、そこは指摘する事でもないだろう。それじゃあただ困らせたいだけな奴だし。――そう思うのは、相手が音無さんだからだろうか?
「じゃあ、口宮さんはどうなんですか……? それに、由依さんも」
 実に意外な事に、音無さんが反撃に出た。言い終えた口は横一文字に結ばれ、それを見る限り、むっとしているのは明白。そういう感情を表に出すようなイメージはなかったけど、まあ、結局それはイメージでしかないという事なんだろう。そりゃあ誰でも怒る時は怒る。
「え? どういう意味?」
「だって……いつも喧嘩ばっかりしてるのに、それでもいつも一緒にいるんですから」
「ははあ。つまり、あたしとこいつの仲を疑ってると。そういうわけね?」
 こくり、と頷く音無さん。しかし不機嫌を突き付けられた異原さんは、にこにこと口宮さんを見遣る。
「そんなわけないじゃない。ねえ?」
「たりめーだ」
 そして口宮さんはと言うと、この話はここまでだと言わんばかりに上体と顔を前へ向け直す。不機嫌っぽくも見えたけど、普段からこんな感じだし気のせいだろう。
「……でも……」
「ごめんごめん、気に障っちゃったなら謝るわ。そうよね、折角勇気出してこの格好で来た所に今みたいな話振られちゃあね。本当、ごめん」
 純粋な謝意なのか、それとも口宮さんの態度と同じく話をここで切りたかったのか、手を合わせまでして謝る異原さん。しかしそのどちらだったにせよ、音無さんは「いえ、謝られるほどの事じゃあ……」と面食らった様子。結果、異原さんと口宮さんについての話題は、本当にここで打ち切られたのでした。
 で、次の話題。
「となると残るは、実際に彼女様がいらっしゃる日向くんよねえ?」
「そう来ますか?」
 異原さん、こういう話が好きだったりするのかな。口宮さんに注意してるところばっかり見てるから、浮付いた話はあんまり趣味じゃなかったりするようなイメージだったんだけど……ん?
「あの……?」
 気が付くと、口宮さんがこっちを向いていた。そりゃあ話を振られたんだから話題の焦点は現在僕なわけで、そんな僕の方を見るのはなんらおかしい事じゃない。だけど、その目玉の内側を覗き込んでくるような鋭い視線は――
「や、なんでもねえ」
 ――何か、ただ注目するのとは別の意味を持っていたような。
「うーん、今の彼女とどうやって出会ったとか、どんなふうに告白したとか、そういう話が聞いてみたいわねえ」
「あ……わたしも、聞いてみたいかもです……」
「えええ」
 休み時間終了のチャイムが鳴り、先生が教室に到着するまで。興味津々といった面持ちの女性二人を相手に、なんとかして時間を稼ぐ羽目になったのでした。
 ……大半は、あーとうーとか唸ってただけですけどね。丸っきり本当の事は言えないとはいえ、嘘を付くのもなんだか、心が痛むような気がして。


「はい、じゃあ今日はここまで」
 そんな先生の宣言に「お疲れ様でした」とついつい返したくなるほどの筆記量からようやく解放され、九十分の格闘が終了。もし僕の腕が機械製だったりしたら、排熱機構から盛大に蒸気を噴いているところだろう。なんて。
 とにかく本日の講義はこれで終了。この後は、明くんに連絡をつけてもらった深道さんに会って――
「おい兄ちゃん」
「あ、はい?」
 今後の予定を反芻しながらやや痛む右手をプラプラさせていると、声が掛かった。僕を「兄ちゃん」と呼ぶのは一人だけ、という事で、もちろんそれは口宮さんです。
「ちょっと話があんだけど、時間いいか?」
「話、ですか? いや、この後、人と会うんですけど」
「二分で済むから。まあ、無理してまでとは言わねえけど」
「……それくらいなら」
 二分程度なら「講義が少し長引いた」という事で通せそうだ。こっちから呼んだうえに待たせる事になる深道さんにはそれでも悪いけど、こっちも気になる。
「あらあら。断わって行っちゃってもいいわよ日向くん? どうせ碌でもない話だろうし」
 口宮さんが行動を起こせば、異原さんが反応。どことなく予想の範疇だったような気もするそんな台詞に口宮さんは、溜息を吐いた。らしくもなく。
「まあ、碌でもねえっちゃあ碌でもねえけどな……」
「な、何よ深刻ぶっちゃって」
「何でもいいけど、お前も音無も絶対聞き耳立てんなよ。つーか、先帰れ。哲郎にもそう言っとけ」
 しっしっと手を振る口宮さんに、始めのうちは困惑した表情を向けていた異原さん。しかしふっと冷めたような顔になると、
「あ、そ。じゃあ行きましょ静音」
 言いながら席を立ち、すたすたと教室を出て行ってしまった。
「じゃあ、あの……また来週です……」
 音無さんもそう言いながら席を立ち、その後もこちらをちらちらと見返していたものの、結局はそのまま廊下へ。そして廊下と教室を繋ぐドアが閉じられると、
「へん。チチのほうはあっさり気にならなくなったみてえだな」
 そのドアへと視線を投げ掛けたまま口の端に笑みを浮かべ、いなくなった音無さんを尚もからかうかのように、口宮さんはそう言った。ただ、その微笑から厭らしさというものは感じられなかった。なんとなく。
 この人でも、こんな顔するんだなあ。
「で、話なんだけどよ」
 この後、この教室を使う講義がないんだろう。僕と口宮さん以外の人が揃って部屋から出、新しく入ってくる人がいない中、口宮さんの話が始まる。
「兄ちゃん、昨日言ってたよな。こっちに越してきてから付き合い始めた女がいるって」
「あ、はあ、まあ」
 腕を組んだ口宮さんが、背もたれに体重を預ける。ぎち、と椅子が軋み、静かな教室に響いた。「そんな話か」と気が抜けそうになったところへ、その音のおかげで――口宮さんの真っ直ぐ突き刺すような語調も影響したのかもしれないけど――僕はやや、緊張を覚えた。
「何人目くらいだ? 女と付き合うのは」
「……いや、今の人が初めてですけど」
「そっか」
 一体この人は何を言おうとしているんだろう、と思っている僕の前で、口宮さんは何故か深呼吸。運動をしていたわけでもなければもちろん整理体操をしているわけでもなく、という事は心理的な要因で為された行動なんだろう。当然、その心理的な要因の内容までは分からないけど。
 と思っていたら、口宮さんはその内容を話し出した。苦々しい顔で。
「まあ、時間ねえって話だからぱっぱと言っちまうけどよ。……講義が始まる前、言ってただろ? 俺と異原はなんでもねえって」
「嘘だったって事ですか? ですよねえ、僕もそうなんじゃないかって――」
「いや、嘘じゃねえ。なんでもなくなったんだよ、今は」
「今は? それって、前は『そうだった』って事ですか?」
「まあそういう事だ。……つっても別に、喧嘩して別れたとかじゃねえんだよ。むしろ、なんにも無さ過ぎて自然消滅っつうか。付き合う前も、付き合ってた筈の時も、そんで今も、なんにも変わらなかったんだよな」
 ――そんな事があるんだろうか、というのが率直な感想。しかし、そう思いながらも僕は言葉を返す事ができず、しかも昔を懐かしむように穏やかな顔で「まあさすがに、付き合い初めの頃くらいはそれなりだったけどな」なんて事を言い放つ口宮さんから、目が離せない。
「だから兄ちゃんはそうなんなよって話。付き合ってんなら、それ相応の事もちゃんとやっとけ。間抜けな先輩からの助言だ」
 しているつもりです、と反論が浮かぶものの、やっぱり声にはならない。突然こんな打ち明け話をされて戸惑っているのもあるだろうし、この人からこんな話をされるのが予想外だったというのもあるし、何よりその反論自体が幼稚に思えたからだ。
「しているつもり」という反論において、じゃあ何をしているんだ、と問われれば、それは二人で出掛けたりだとかキスをするだとか、その辺りの事を答える事になるんだろう。だけど口宮さんだって「付き合い初めの頃はそれなりだった」と言っていたんだから、これくらいはしていたんだろうと思う。そしてその上で、自然消滅。本当に付き合い始めたばかりの僕が反論できる余地なんて、ありはしないだろう。
「ありがとうございます。それと、ごめんなさい」
「あ? 何がだ?」
「正直、もっと怖い人だと思ってました」
「そんなだったらまだマシだったんだろうな。今の話も」


「……………」
「……あの、由依さ」
「あー、盗み聞きなんてするんじゃなかったわー。あーあー、ばれちゃったー」
「……由依さん、一つだけ質問があります」
「えぇえぇ、なんでもどうぞ」
「もしかしてですけど……口宮さんのこと、今でも?」
「あっちがどう思ってるかは知らないけどね。だって、今聞いた通りに自然消滅だもの。別れようなんて話、あたしからもあいつからも、した事ないもの。今自分達が付き合ってるかどうかなんて確認もしないし、別れたかどうかって確認もしない。好きか嫌いか、今のまま一緒にいてもいいのかだって……。臆病者なのよ、あいつは」
「……………」
「……あたしも、なんだけどさ」
「……由依さん、わたし、先に帰ります。哲郎さんにも、先に帰ってもらいます。口宮さんに盗み聞きした事を謝って、今でも好きだって事、ちゃんと話してください」
「え? でも、そう言われてもそんな、今更」
「わたしは哲郎さんが好きです」
「あ……」
「……それじゃあ由依さん、また来週……」
「……ええ。またね、静音」


 教室を出てみれば、そこにはどうしてだか先に帰った筈の異原さん。しかし一方音無さんは先に帰ったようで……どういう状況だったんだろう?
「何してんだお前?」
「何してんでしょうね。何してたんでしょうね、あたし」
 どこか自嘲しているように口の端を歪める異原さん。本人にも分かっていないという事だろうか? いやいや、まさかそんな。
「……? ま、いいか。それより兄ちゃん、人待たせてんだろ? ほれ急げ急げ」
「ああ、そうでした」
 待たせた本人に急かされるとは、とも思いはしたけど、こういう人なんだから仕方ないか、とも。
 数分前なら、こうは思わなかっただろうなあ。


「あ、来ましたよ」
 やや遠目、待ち合わせ場所である正門付近から、栞さんがこちらを指差す。指を差されたからには「来た」というのは僕の事で、ではそれを伝える相手は誰かと言うと、自分が呼んでもらったお二人の先輩です。
「今日は、日向くん」
 つい最近までロングヘアーだったのが一気にばっさりとショートヘアーになった、霧原瑠奈さん。
「暫らくぶり」
 そしてその彼氏であり、一つ上の先輩に当たる、深道悟さん。
 厳密に言えば呼んだのは深道さんだけだったけど、まあ、霧原さんが一緒にいるのも初めから想定の範囲内。むしろ予想外だったのは、
「すいません。こっちから呼び付けておいて、遅くなっちゃいまして」
 こちらの件だろう。遅くなった事自体はもちろん、遅くなってしまうに到った理由までが、まさに予想外。嫌な気分はしませんけどね。
「遅くなるって程じゃあ。あたし達、急ぎの用事があるわけでもないんだしね」
「そもそも時間にしたって、そう言うほどじゃないしなあ」
 そう言ってもらえるとありがたい。という事で、暫らく雑談を交わす。
 栞さんは今日まで霧原さんの髪形の変化を知らなかったらしく、それについての話題。
 その栞さんが「そう言えば」と驚いたような顔をしていた、さっきここを通ったらしいという音無さんの話題。何に驚いていたかは……まあ、服装と言うか、ね。
 そしてそれに次いで、話し込む僕達の傍を、さっき別れた口宮さんと異原さんが通ったりも。擦れ違い様に「また来週」と告げ合うものの、結局異原さんだけが教室の前で待っていたのには何が理由があったんだろうか、と考えてみたり。
 それからは、慣れ始めた大学生活について先輩である深道さんと話してみたりなんだりで、意外と時間は潰れてしまうのでした。
「あの、ちょっといいですか?」
「お、なんだい?」
 話の切れ目を狙ったとは言え、やや改まってしまった感じの問い掛けに、深道さんが目を丸くする。
 こうやって雑談を交わしているのも良い時間の過ごし方なんだろうけど、僕はそもそもある目的があって深道さんと会おうと思ったわけで。


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