(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第十八章 先輩 一

2008-09-09 20:58:36 | 新転地はお化け屋敷
 特に何を言うわけでもなくおはようございます、204号室住人、日向孝一です。いや、昨日の出来事を振り返ったりなんだりしてもいいんですけど、何分起き抜けなもので頭がぼーっと……。ああ、でも抵抗せずに身を任せると結構気持ちよかったりしますよね、このぐらぐら感。揺られるままに歯磨きと顔洗い済ませちゃったりして。
 ぐらぐら。
 ――さて。
 だからと言っていつまでもぐらぐらしてても何なので、取り敢えず朝ご飯にしよう。
 献立は……よし、トーストにマーガリンを塗ったものと目玉焼きに決定。で、決定したなら早速準備に取り掛か
 ピンポーン。
「はーい」
 いいタイミングだなあ、と台所の流し下段の棚からフライパンを取り出そうと屈めていた腰を持ち上げ、そのすぐ隣の玄関口へ。ドアを開けるとそこには、
「おはよう、孝一くん」
「おはようございます、栞さん」
 もう少しで寝惚けた顔のまま出迎えるところだった、とちょっと安心しつつ、栞さんです。こんな朝早く……いや、そう言えば起きてから一度も時刻確認をしていないような。
「今って何時なんでしょうか?」
「え?」
 疑問に思った事を、そのまま口にしてみた。すると栞さん、きょとんと目を丸くする。……なんだろう、僕の顔に米粒でも発見したのだろうか。いや、でもまだ今日は炊飯器に触れてないし、そもそもさっき朝食をパンにしようって決めたところだし。はて?
「あはは、手にフライパン握って『何時?』はないと思うよ? さすが、料理好きだね」
「あ、いや……はあ、まあ」
 これには、どう答えるべきなのか。
 あんまり料理好きっていうのは関係無いかもしれないけど、話の前半部分はそりゃ確かにその通り。呑気に朝食作ってて遅刻したらどうするんだって話ですよね。まあ、今日は講義が午後からだから大丈夫でしょうけど。
「今は九時ちょっと前だよ。大吾くんにお散歩の話しようと思って、でもやっぱりまだちょっと早いかなって」
 そうそう、と未だ寝惚け気味らしい頭に思い出させる。昨日の晩、大吾の散歩に混ぜてもらおうという話をしたんだった。その場合、大吾に散歩の開始をちょっと早めてもらわなければならないわけで、つまり栞さんはその相談を持ち掛けようとしたんだろう。しかし時刻を考えてそれを取り止め、今ここに。
「何かしようとしたけどやっぱり止めようって事になると、なんだか部屋でジッとしてられなくなっちゃって。それで、お邪魔かもしれないけど……」
「どうぞどうぞ、上がってください」
 お邪魔どころか最適なタイミングですよ。なんたってこれから食事ですし、食事はやっぱり誰かと一緒のほうがいいですしね。献立がいかに簡素であっても。
「トーストと目玉焼きなんですけど、よかったら栞さんの分も作りますよ?」
「えっ? でも、そんな……いいの?」
 その一度断わろうとする仕草が計算ずくのものなら、中々にしたたか。無意識にそうなってしまったというのなら、それはそれでやっぱりずるいと言うかなんと言うか。
 ――ま、どっちにせよご馳走になっていただくのは同じなんですけどね。
「毎晩ここで食べてもらってるんですから、これくらい」
「ありがとう。じゃあ、いただきます」


「朝ご飯食べさせてもらうのは、二回目だね」
「そう言えばそうでしたっけ? 前は……ああ、朝起きたら栞さんが壁から生えてた日ですか。料理で余ったワインに酔っ払って」
「そ、そこは、できるなら忘れてもらえたほうが嬉しかったりとかするかも」
「いやあ、あれはいくら何でも、インパクトがあり過ぎてちょっと無理ですねえ」
「うう、それはそうかもだけど……」
「ちなみに今は残念ながら、お酒の類は置いてません」
「残念じゃないし、そもそも訊いてません。もう、意地悪」
「代わりに麦茶ならありますけど、持ってきます?」
「それはお願いします」
「かしこまりました」


「ご馳走さまでした」
「お粗末さまでした」
 誰かと一緒に楽しむ食事と言っても、やっぱりトースト一枚と目玉焼き一つ。食べ終えるのに長々と時間を取られる筈もなく、五分と少々程度の時間でさっと完食。
 とは言え、一日の活動力の源だなんて言われる事もある朝食。量が少ないとは言え、やっぱり腹に溜まるものがあるのとないのとでは、寝起きの体に入る力が違ってくるのでした。まだ食べた直後なんで、栄養面とかの話でなら食べてないのに等しいんですけどね。
「そう言えば」
「ん? 何?」
「今は大学行くのに付き合ってもらったりしてますけど、何もない時って何時くらいまで寝てました? 朝」
 幽霊は基本的に暇だ、と何度か、特に大吾辺りからよく聞いたような気がする。となれば別に朝起きる必要はなく、ここのみんなで言うならそれぞれの仕事がある昼までは寝ていてもいいわけだ。
「あー、そうだなあ。何もなくても、取り敢えずは起きてたよ。遅くても九時くらいまでにはってところかな?」
 でも栞さんは、そういう事らしい。これは感心……いや、感心する類の事例なのかどうかも分からないですけど。
「ほら、病院って基本的にベッドで横になってる時間が多いでしょ? だから時間に関係無く寝れちゃうんだけど、そうすると寝過ぎちゃったりして体調がちょっとね。だから規則正しい睡眠時間が体に刷り込まれてるって言うか、刷り込みでもしないと逆に大変だったって言うか」
「ああ、なるほど」
 過ぎたるは及ばざるが如し。何年も病院にいた栞さんなら尚の事、というものだろう。「今は寝てても大丈夫なんだけど、刷り込んだのが抜けなくてね」と恥ずかしそうに方を狭めてはいるものの、それはさすがに仕方がないってものですよ栞さん。
「でも、やる事がないのには変わりがないんだよね。今日だって、だからここで時間を潰させてもらってるんだし」
「じゃあ二度寝でもしてみます? ……そう言えば、まだ布団敷きっぱなしだっけ」
 栞さんみたいにベッドだったら毎朝畳む必要もないんだけどな、と私室の側へ目を向ける。まあ、私室に通じるふすまが閉じたままなんで見えやしませんが。
「……あれ? どうかしましたか?」
 見えないものをいつまでも見ていてもしょうがないので、視線をふすまから栞さんへ。すると栞さん、驚いたように目を見開きつつも赤い顔。はて。
「いやその、ここ、孝一くんと一緒に、しかも孝一くんの布団で二度寝っていうのはちょっと……」
 予想外ながらも想像に難くはない、栞さんが頭に浮かべた光景。そして想像に難くないがために、栞さんの慌てっぷりがこっちにまで伝わってきてしまう。
「あ、今のはそこまでシチュエーションを限定した話じゃなくて、ただ単に話の流れと言うかですね。僕と一緒でなくてもいいし、もちろん僕の布団じゃなくたって」
 そうですね、直後に自分の布団がどうたらの話をしたら紛らわしいですね。決してそんなつもりがあったわけじゃないですけど、ごめんなさい。
 慌てた結果、言葉足らずもいいところな内容に落ち着いてしまった僕の弁明。それを聞いた栞さん、頬の赤みは消えないままながらも、しょげたように下を向いてかつ顔を手で覆ってしまう。
「冷静に考えたら、そりゃそうだよね。ああもう、恥ずかしい」
 その仕草自体は非常にナイスなんですが、なにぶんこちらも恥ずかしいもんで、そんな栞さんをまじまじと眺め続けられはしないわけです。これが夜で、話が盛り上がってるところだったりしたならまだマシなんだろうけど、まさか朝っぱらからこんな話になってしまうとは。
「……………」
「……………」
 そんなこんなで、会話がストップ。所謂「気まずい状況」ってやつです。なんと言っても僕と栞さんは付き合っている仲でして、さっきの栞さんの勘違いによって発生した話が、そうなる可能性として全く在り得ないという事もないのが一層気まずさを助長している。ような気が。
「そりゃあ恋人なんですから? そうなる事を嫌だとは言わないし、そうなって欲しいとも思いますけどそれが何か?」
 ――と開き直れたらどれだけ楽なのやら。
「えーと、それで、この暇な時間をどうやって埋めましょうか」
 暇なせいで動きが停止しているわけじゃないけど、話の上ではそういう事にしておきましょう。今はとにかく、状況を進展させないと。
「そ、そうだね。暇だもんね」
 そうそう。
「うーんと、どうしようかな」
 わざとですよと公言しているに等しいくらいわざとらしく、顎に手を当て考え始める栞さん。まあ、悩んでるのは本当なんだろうけど。
「あ、そうだ」
 これまたわざとらしく顔の前でぱちんと手を叩き、何かを思いついたポーズ。でもやっぱり悩んでたのは本当なんだから、何かしら思いついたのも本当なんだろう。
 で、その内容は。
「そう言ったら結局一回も見せた事なかったもんね、陶器の置物。というわけで、栞の部屋に来ない?」
 そう言えばそんな話も。一度見てみたいと思いつつ、今まで機会がなかったんですよね。まあこっちの部屋に来てもらってばっかりだから、そうなるのも当然なんですけど。
「はい。是非お邪魔させてもらいます」


 というわけで、
「ちょっと待っててね、入ってもらう前に部屋片付けるから」
 居間で待たされる事に。
 掃除好きな栞さんの性格からして、それほど散らかっているというわけでもないだろう。でもやっぱり、お客を招く時は気になりますよね。僕だって昨日、異原さん達が来るってんで部屋の掃除しましたし。
 ふすまの向こうから聞こえてくるカタカタコトコト音に耳を傾けながら、昨日のお客さん達四名の顔を思い浮かべてみる。するとその内の一つ、やけに黒の割合が多い顔が、どうしてだか恥ずかしそうに俯いてしまいました。
 ……そうだ、今日は。
「お待たせー」
 音無さんにとって、今日は嫌な日になるんだろうなあ。とか思いながら卑劣にも自分自身は楽しみにしてしまっていたりすると、薄く開いたふすまの間から顔だけ出してくる栞さん。その表情は掃除が済んだせいなのか随分とすっきりしたものでしたが、
「あれ、早かったですね」
「まあ、ね。置物の位置変えと、あとはちょっとした事だし」
 着替えて脱いだ寝巻がほったらかしになってたりしたのかな、なんて予想をしたりしながら、ついに初めて私室へと通してもらう。
 そこに広がるのは、さすが女性の部屋、という様相。まず、棚の数が違う。それ全部使おうとしたら入れる物がどれだけ必要なのかと計算したくなるくらいに、サイズも形も様々、とはいえ総じて小型でもある棚が、ベッドの前後やら部屋の隅やらに多数配備。しかもその棚の上には、話に出ていた陶器の置物以外にも……ポプリ、でしたっけ? 香草とかが入ってそうな小さな入れ物なんかも。それに、あくまで一人で過ごす部屋、という事なんだろう。部屋の中央には随分と小型なテーブルがあり、それに合わせたかのように小さなクッションも。
「感想は?」
「うーん、物が多い割にこぢんまりしてる印象と言うか……可愛い部屋、ですね。それになんだか、うっすらと良い香りもしてるような」
「えへへ、ありがとう」
 香りの源は今見つけたポプリなんだろう。でももしかしたら、栞さんの香りだったりするのかもしれない。……いや、何と言うかそのフェチ的な意味ではなく、単純に女性って良い香りがするじゃないですか。髪とか。「それは女性自身じゃなくてシャンプーの匂いじゃないか?」と言われたら反論できませんが。
「それでそれで、これなんだけど」
 部屋を褒められた(と言ってもこちらからすれば褒めたとかじゃなく、率直な感想を述べただけだけど)事が随分と嬉しかったようで、小さく跳ねるような動きで目的の物の前へ移動する栞さん。
 後について移動すれば、その前にあるのは当然、陶器の置物。しかも全て動物をかたどった物。部屋全体を見渡した時にもちらっと視界に入ったけど、目の前にしてじっくり見てみればまた印象も違ってくる。
「へえ、結構……って言うかかなり、実物に迫った作りなんですね」
「うん。だから可愛いのもあれば、格好良いのもあるよ」
 言い換えるならばリアルか。棚の上に並べられた陶器の置物群はどれも、兎や白鳥、亀や熊、等々本物の動物そっくり。熊なんかは威圧感すら発しているような気がします。台座を含めても指を伸ばした手の平に乗りそうなサイズとは言え。
「あ、熊、気に入った?」
 仁王立ちポーズで明らかに戦闘態勢なそれと暫し睨み合っていたところ、栞さんからお声が掛かる。……どうだろう。僕はこれを気に入ったんだろうか。気になったのは確かだけど。
「気に入ってくれたなら、あげるよ? どうかな」
 宝物自慢をする子どものような目で、そんな事を言ってくる。むしろ貰ってくれと言わんばかりの輝きっぷりです。
「そう言えば、初めてこの置物の話を聞いた時は断わったんでしたっけ」
 あれはいつだったか……初めて成美さんの買い物についていった時か。その時栞さんも一緒にいて、それで今みたいな話になったんだっけ。
「……また駄目?」
 もう随分前の話のような気もするけど、実際そんなに経ってないんだよなあ。なんて思いながら、ちょっぴり残念そうな顔になった栞さんに告げる。
「いえ、今回は貰いますよ。あの時とは色々と状況が違いますし、それにこの熊、いかしてますしね」
 とは言ったものの、いかしてるんだろうか? 迫力は疑いようがないんですが。
「うん、ありがとう。……って、あれ? あげた側なのになんでお礼言ってるんだろう」
 疑問が浮かんだ傍からくすりとさせられ、なんだかどうでも良くなってしまう。いかしてるかどうかはともかく、欲しいと思わされたのは本当だ。栞さんにお願いされたからという面はもちろんあるにしても、このリアルな熊自体にだって。
「ありがとうございます栞さん。大事にしますね、この熊」
「どういたしまして。大事にしてあげてね」
 持って帰った後どこに飾ろうか、とも考えたけど、それはまあ自分の部屋に戻ってから考えればいい。という事で一旦熊を元の位置へ戻し、
「あ、座布団一つしかないから、ベッドに座ってくれたらいいよ」
 との事なので、お言葉通りベッドの縁へ腰掛ける。
 可愛らしいと言うよりは落ち着いた感じの、白を基調とした花柄の掛け布団。そして敷き布団のシーツも白。普段の服装がピンクだったりするもんだからベッドもそれなりの色なのかな、と思っていたので、これはちょっと意外だったり。
 床に敷いた布団よりは幾分柔らかな感触を楽しみながらも、視線は未だ置物へ。
「それにしても、これだけちゃんとしたものだったら結構値段も高いんじゃないですか? 置物」
 すると、置物の前に立っている栞さんが「それはまあ、お給料をくれる楓さんに感謝だね」とにっこり。しかし何かに気付いたようにぱっと置物の方を向き、その中の兎のものを指差すと、
「あ、これだけは病院にいた頃のものなんだけど」
「へえ……。って、持ってきちゃって大丈夫だったんですか?」
 いきなり部屋の物がなくなったら、置物一個にしたってそれなりに騒ぎになるような。なんたって、その……亡くなった人の持ち物だったんだし。
「あはは。幾つかあった内の一個だけだから、気付いた人なんていないと思うよ。本当は全部持ってきたかったんだけどね」
「あ、そうなんですか」
 気付いた人がいないだろうという言葉と、栞さんがにこやかな表情をしている事に、どっと安心させられる。――でも、一々この調子じゃあ駄目かな。やっぱり。
「ああ、でもそうしたら置く場所がなくなっちゃってたかなあ」
「そうなってた時は、僕がもらってあげますよ?」
「うーん、あんまりほいほいあげちゃうのは、ちょっとなあ」
 そう言いながら、栞さんが動く。その移動先は一つしかない座布団の上。――ではなく、ベッドの縁。つまり、僕の隣。
「だって好きだから買ってるんだし、それに何度もあげちゃうと、プレゼントとしての重みがなくなるって言うか……あの、孝一くん? なんだか顔が固いよ?」
「いやその、ええと」
 言ってる事は、ごもっとも。理解できる。僕にくれるために買ってるんじゃないんだから、その扱いはやっぱり、栞さんの感覚からすればおかしいんだろう。それは問題無く把握できる。
 もう一個の件は、栞さんが尋ねてきた件は、把握し過ぎていると言うか何と言うか。要は意識し過ぎ、という事なんだろうけど――
「……ベッドに並んで腰掛けるというのは、シチュエーション的に、その」
 意識し過ぎと自分で分かっている事を説明するのは、顔から火が出そうなくらいに恥ずかしい。しかも内容が内容だ。ほんの少し前、自分の部屋でも同じような話があったとは言え。
「ふわ」
 目を見開き、口をぽかんと開き、その口から非常に間の抜けた音を発し、一瞬で顔を真っ赤に染め上げて、栞さんが硬直。自分の部屋での同じような話。僕の二度寝発言への勘違いからそれを発生させた栞さんなら、僕が言わんとしている事は容易に想像がつくだろう。恥ずかしいけど。


 それから暫らく。
「そろそろ、行ってみる? 大吾くんの所」
「そうですね」
 顔を真っ赤にした栞さんと、それほどまでではないにしても似たような心境だった僕がどうしたかと言うと、殆どどうにもしませんでした。赤みの残る顔で俯きながら「……だからってわざと離れて座るのも、変な話だよね」という栞さんの意見に、声にも動きにも表さないながら賛同し、結局はあの状態を維持したのでした。
 では「殆どどうにもしなかった」の「殆ど」の部分が何を表しているかと言うと、まあ、お互いの手を重ねていたわけです。と言ってそれは、あの状態の雰囲気に流されてそうしたわけではなく、むしろ反抗。「ベッドがどうとかじゃなくてただ並んで座ってるだけなんだぞ」という意思表示であって――ああ、具体的な文章にすると尚の事恥ずかしい。
 とにかくそんな状態で暫らく談話を楽しみ、今に到る、と。
「はいこれ。あげた傍から忘れたら怒るよ?」
「あ、どうも」
 忘れ掛けていた仁王立ちの熊を差し出され、本当に怒り出すでもない栞さんの微笑みともしかしたら忘れられて怒っているのかもしれない熊の表情を見比べて、苦笑い。でもまあこの威圧感も魅力と言えば魅力なんだろうと快く受け取り、できればまたお招き頂きたいなという念とともに、良い香りのする栞さんの私室、ひいては203号室を、後にした。

 手に持ったまま大吾の所へ行く事もないだろう、といったん自分の部屋へ戻って熊の置物を適当な棚の上に配置。時間がある時にしっくりくる置き場所を考えようと決め、部屋の前で待っていてもらった栞さんとともに向かった先は、202号室。時刻は十時を少し回った辺り。まだ寝ているという事はないだろう。
「ん、おはよう」
 呼び鈴への返事もなく開け放たれたドアからは、やや目の細い大吾が。どうやら起きた直後らしい。
「もしかして、起こしちゃった?」
「んや? 眠そうに見えるってんならまだ顔洗ってねえだけだぞ」
 声が陰る栞さんに、まるで気にしたふうもなくそう言ってのける大吾。でもそれってつまり、起きたばっかりに等しいって事なんじゃないだろうか。
「で、なんだお前ら二人揃って」
 しかし本人的にはやっぱり気になるところはないようで、さっさと本題へ。


「今日は大所帯だな。ナタリーが加わってからは初めてになるか?」
「えっと、そうなりますね。まあまだそんなに日が経ったって事でもないんですけど」
「ワウ」
 大吾の背の上から成美さんが語り掛け、ジョンの背の上からナタリーさんが返す。大吾はともかくとして、地面にペタンと伏せってナタリーさんを自分の背へと導いたジョンの行動からして、どうやらナタリーさんの集団へ馴染むスピードはかなりのものがあるらしかった。本人が言っていた通り、まだここへ来てからそれほど日も経っていないと言うのに。正確に言うなら、彼女と初めて会ってからまだ四日目だ。
「まあなんだ、自分の体で会うのは初めてだから、一応ちゃんと挨拶はしておこうかな」
 ちょっとおじさんっぽい、それでいておちゃらけたような声。発信源は、僕の胸。
「分かってるだろうけど私がフライデーです。セミの抜け殻と侮るなかれ、自分で移動だってできるんだよ?」
 そう言ってそのセミの抜け殻さんは自身の言葉を証明するように僕の胸からふわりと離れて宙を漂い、そのまま僕の胸の前で停滞。
 ……と言っても僕が前進しているんだから、実際はそれに合わせて進んでいるという事になる。あまりにも平行移動に過ぎるうえ、フライデーさん本人はぴくりとも動かないから、見た目からは分かり辛いけど。
「ど、どうしてそんな事が?」
 フライデーさんの意図を汲んで驚いてみせた、というわけではなく本気で驚いている様子のナタリーさん。こちらも微動だにしないうえに無表情なので、やっぱり見た目からは分かり辛いけど。
「むふふ、実は生前からの修行の成果」「嘘こけ」
 即座に大吾から突っ込まれ、「つれないなあ、おじさんは寂しいぞ?」と愚痴をこぼしながら僕の胸へ着陸。いや、出っ張りも何もない男の胸板であることを考えれば着壁かな? ……どうでもいいとして、
「まあ、ね。そりゃ、ね。家守君に人間の言葉を喋れるようにしてもらった時のイレギュラーってやつなんだけどね」
「イレギュラー? えーと、そう言えば、私も言葉を話せるようにしてもらった時にそんな感じの話をされたような。確か、体に予想外の変化がでてしまう、とか」
「そうそれ。それを経て、私は自分の意思で動けるようになったのでした」
「凄いですね……」
「まあ、イレギュラーっぷりで言うなら成美君には適わないけどね」
 そのフライデーさんの口調は僕の耳を通してですらいやらしく聞こえ、とするなら突然話の矛先を向けられた成美さんからすれば、よっぽどなんだろうなと。しかし実際に横を向いて確認した成美さんの顔は、どういう顔をすればいいのか判断に迷っている、といった感じの難しい表情を作っていた。
 しかし表情や思いはさておき、ナタリーさんへ向けた成美さんのイレギュラーの説明が、成美さん本人の口から開始される。
 まずは、怒った時に現れる青い火の玉の話。こちらは口にするのも気だるそうな様子で。
 次に、実体化の際、大人の体になるようになった話。こちらは嬉しそうに。
 なるほど。この二つを纏めて紹介されたら、そりゃあ難しい顔にもなりますよね。
「火の玉のほうは、なくしてはもらえないんですか?」
「無理らしいし、そうじゃなくてもどうだろうな。あれだけ念を押されて今の姿と言葉をもらったんだ。その代償だと考えれば、おいそれと手放すのは身勝手にも思える。それに今はもう……」
 どうやら理由は色々とあるらしく、しかし成美さん、そこで説明が一旦ストップ。「もう?」と先を促すナタリーさんにも、顔の下半分を大吾の肩に押し付けるばかりで言い難そうにしていた。すると、
「今はもう怒るような事がないから、かな?」
 栞さんが割り込んだ。いや、話が止まってたんだから割り込んだという表現は変なのかもしれないけど。そしてそれに対する成美さんの返答は「むむう」というもので、それが口を塞いでいるからなのか、それとも返答に詰まったからなのかは、分からない。……分からないという事にしておいた。


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