(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第十三章 侵入者くんの事情 三

2008-04-04 20:58:06 | 新転地はお化け屋敷
 部屋内の誰もが口を閉ざして、そんな清さん側のみの音声に耳を傾けていた。もちろん、そうしたところで相手方の声が聞こえるわけでもないのに、だ。栞さん、サタデー、ジョンは清さんのほうを見ながら、大吾、成美さん、家守さんはただじっと手元に視線を落とし、そして僕はそんなみんなの様子を見渡しながら。
 電話での会話通り、奥さんは清明くんの所へ向かったのだろう。清さんが受話器を耳に当てたまま押し黙り、何とも言えない間が生まれた。
 そして、暫らくの後。
「――そうか。――いや、別に悪い事じゃあないんだ。その必要はないと思うよ。――そうだな、じゃあ明日、こっちに来てくれないか。――ああ。出掛けないでおくよ。それじゃあ、お休み。――ああ」
 再び電話口に現れた相手とそんな遣り取りをし、清さんはゆっくりと受話器を降ろした。小さな溜息とともに。
「どうなった? せーさん」
 振り返る清さんに、家守さんが問う。誰が言ったわけでもないけど、清さんに質問するのは家守さんの役目、という雰囲気になっていた。誰が言ったわけでもないんだから、僕の勝手な体感だけど。
 清さんが、元いた位置に座りながら答えた。
「素直に喋ったそうですよ。ここに来たと」
「そっか。やっぱそうだよねぇ」
 段々と元に戻りつつある清さんの声色・顔色に対し、苦笑いの家守さん。
 つまり、ここに来たあの男の子は、やっぱり清さんの息子の清明くんだったというわけだ。初めからそれが前提で話を進めてた感もあったけど。
「それと話をしたいという事で明日、妻が来ることになりました。まあ、そんなに深刻な話でもないでしょうがね。んっふっふっふ」
「みたいだね。……アタシ、その話に加わったほうがいい? 仕事はいくらでも都合付けられるよ、いつも通り」
「できれば、お願いします。今になって家守さんに説明を頂くような事は無いと思いますが、やはりいてもらえたほうが妻も安心すると思いますので」
「引き受けました。アタシなんかがお役に立てるなら喜んで」
「ありがとうございます」
 家守さんほどの人が自分に「なんか」を付けると違和感すら覚えてしまうけど、それはまあ日本人的な何とやら。深々と頭を下げている清さんが何とも思わないのであれば、それはそれでいいのだろう。僕はまあ、この問題に関して、言ってみれば部外者だし。
 それはともかく、今のところ清明くんについての話はこれで一旦区切りが入るだろうか。そう思ったその時、
「清さん」
 他のみんなと一緒に沈黙していた栞さんが、不意に清さんを呼ぶ。
「何でしょうか?」
 当然、清さんがそれに答える。その頃にはもう、完全にいつもの笑みを絶やさない清さんだった。栞さんが口を開けられたのも、清さんのその表情に安心したから――なのかもしれない。
 どうしてそう思ったかと言うと、それは栞さんが自分から話し掛けたにも拘らず、若干言い辛そうにしていたからだ。
「こっちから催促するのも失礼な話なんですけど……孝一くんにも、事情を教えてあげたいなって」
「おお、そうでしたねえ。すいません日向君、もうみんなに話した気になっていましたよ」
 鍋の具材を買いに行く直前に交わした「時間ができたら僕に清さんと清明くんの事情を話す」との約束――と言うか、提案。やっぱり清さんへの相談もなしにそれを行うのは気が咎めたらしい。
「いえ、清明くんには僕も会ったわけですし、全く何も知らないってわけじゃないですから」
 本来なら、幽霊じゃない僕には関係の無い話でもある。だけどそれでも知りたいと思うのは本当だし、そして栞さんが僕に知らせようとしてくれるのは嬉しい。だから僕は清さんの話を聞きたい。どちらの意味においても。
「そうですか。ふむ、それでは……」
 清さん、ここで何故か家守さんのほうを向く。栞さんが清さんに断りを入れたように、清さんも家守さんに断りを入れるような事柄があるのだろうか? ……しかし、当の家守さんは「ん?」と不思議そうに首を傾げるばかり。
 そしてそんな家守さんに清さんは何を尋ねるでもなく、いつものように「んっふっふっふ」と一笑い。
「では、喜坂さんにお任せしましょうかね。清明と会った時、その場にいなかった私よりも適任でしょう」
「え? い、いいんですか? それで」
 意外な清さんの言葉にそう返したのは栞さんだったけど、僕も同じ心境だった。確かに栞さんから「時間があったら教える」と言われた時は栞さんの口から聞く気満々だったんだけど、清さんが居合わせているこの場でなら当然清さんの口から聞くことになると思っていたからだ。もちろん、清さんが言うことも分かるけど。
「ええ。――そんなにかしこまってもらわなくても、今日の事はもっと気楽なものと捉えてもらって構いませんよ? さすがに私も最初はちょとは驚きましたけど、清明がああなのは昔からですし」
 栞さんへの返事、と言うよりはその場の全員へ言い渡すように、清さんは両手を軽く開いてそう言った。自身がその言葉に則っているのを表すような、いつもの笑みのまま。
「ですから喜坂さん。日向君への説明、よろしくお願いします」
「は、はい。――ってあれ? 清さん、帰っちゃうんですか?」
 言いながら立ち上がって背を向ける清さんに、栞さんが当然の疑問を投げ掛けた。が、清さんは極めていつも通りに返す。
「はい。私がいると、喜坂さんが説明をするにしても私の顔色を窺いながらになってしまうでしょうから。それに、家守さんから聞いていますよ」
「んへ? アタシ、なんか言ったっけ」
 家守という名前を出されて一番驚いたのは、他でもない家守さん本人だった。清さんに目を遣りながら、「本当に何の事を言われているのか分からない」といったふうな困った表情を浮かべる。
「『毎晩夕食後は二人の語らいの時間』なんですよね?」
「ああ、それかぁ。そうそう、いっつもアタシが帰ってもしぃちゃんは残ってるみたいだから」
 何かと思えば、家守さんらしいものの捉え方と言うかなんと言うか。……まあ、当たってると言えば当たってるんですけどね。日によって長かったり短かったりはするものの、ここのところ毎回そうですし。
「なので、お邪魔しては悪いかな、と。今だってその『夕食後』ですから」
 そりゃまあ確かにそうですけど、こうしてみんなで集まった時くらいは――ああ、家守さん乗り気みたいな顔してるし。
「なるほど、そりゃそうだ。これはこれは気が効きませんで、失礼しましたお二人さん」
「いえあの、そんな事は……」
 顔も声も俯き加減な栞さんが「失礼しました」の部分を否定しようとするものの、恐らく向こうはそんな反応を想定していて、かつそれを楽しむためにわざとそういう言い回しをしている事なのだろう。だって家守さんだし。
「ふうやれやれ」と視線を外してみれば、その先には二人並んだ大吾と成美さん。何故だかこの二人まで、栞さんと同じように俯いていた。
「鍋もケーキも美味しかったですし、何より楽しかったですよ。お招き戴いて、ありがとうございました。んっふっふっふ」
 大吾と成美さんを気に掛ける暇も無く、清さんがお礼を言ってくる。
 でも、今日出した物で美味しかったというのは――
「鍋もケーキも、素材が良かったんでしょうけどね。どっちも僕がしたのは仕上げだけですし」
 鍋というのは素材の味を楽しむものだし、ケーキの味の基本はやっぱりスポンジ部分だろうし。今回は「僕の料理」という感じはあまりしないですねえ。
「いえいえ、こういう場を提供してもらっただけでも充分感謝に値しますよ。だからこれは、ささやか過ぎる恩返しです」
「じゃあなお前等! GOOD NIGHT!」
「ワンッ!」
 清さんが帰るという事でジョンとサタデーもそれに続き、手を振る代わりのように尻尾を振るジョンの背中へサタデーがよじ登り、帰宅準備は完了。
「という事で、また明日ねこーちゃんしぃちゃん。だいちゃんとなっちゃんも」
 去り際の挨拶に、僕を含めて残った四人それぞれが思い思いの返事を返す。と言っても、みんな相変わらず俯き加減な締まりのない返事だったけど。
 栞さんはまあ流れからそうなってもおかしくないとして、大吾と成美さんはどうしたんだろう?
 そんな事を気に掛けている間に、玄関のドアの締まる音が部屋に響いてくるのでした。


「せーさんがああいうお節介やくなんて、ちょっと意外だなあ」
「そうですか? 私自身は特に……ジョンとサタデーは、どう思います?」
「ワフッ」
「俺様は意外って程でもねえけど、あれは家守の役目だったんじゃねえの? 喜坂なんか照れちまって――ケケケ」
「だぁよねえ。ああやってからかうのはアタシの仕事だよせーさん」
「んっふっふ、そうですか。いえ、あの二人の仲睦まじさがよっぽどだったものでつい」
「よくよく考えてみりゃ結構GREATな事だよなあ。生きてる男と幽霊の女だゼ? 清一郎はそうなる前から夫婦だったけど、あの二人は最初っからその関係で、だもんなあ」
「ワウ」
「しかもそれがウチの中でできたカップルだってんだから、感慨もひとしおだね。……いや実際、本っ当に嬉しい事だよ。幽霊をそこまで受け入れてくれる人が現れるなんてさ」
「それはやはり、お仕事の事も踏まえて、ですか?」
「だねえ。あとは自分自身の体験とかかな? いろいろと思い知らされちゃってるから、余計にそう思うのかも」
「へえ。こう見えて、苦労してんだな家守って」
「……『こう見えて』って何かなあ? 活力剤禁止令とか出しちゃうぞサタデーくん?」
「じょ、JOKEだって。『とか』って何だよ『とか』って」
「んっふっふ。――でもまあそれを抜きにしても、あの二組のカップルにはこのままでいて欲しいものですね」
「そりゃもう。幽霊とか以前にここの仲間だもんね。いい子だよ、みんな」
「HAHAHA! 他はともかく、哀沢にいい子なんて言ったら怒らせちまいそうだけどな!」
「ワンッ」
「ふふ、難しいねえ」
「んっふっふっふ」


 それから一、二分程度の間があって、
「じゃあ、オレ等も帰るか」
「そうだな。そうしようか」
 大吾と成美さんも家守さんや清さんと同じく、そんな結論に達する。何故だか塞ぎこんでいた様子はそのままに。
「え、成美ちゃん達も帰っちゃうの?」
 それはつまり、清さんの目論見通りになるという事だ。僕は別にそれを嫌がるわけでもないけど、心細そうな声になる栞さんの気持ちも分からないではなかった。
「ん。まあ、清サンもああ言ってた事だしな」
 もしそれを言ったのが家守さんだったら反発するくせに。――ただの自然な成り行きとして二人きりになるならともかく、誰かの意思でそう差し向けられるというのは、どうにもこうにも恥ずかしいやら緊張するやら。
 二人きりという状況は何ら変わりがないのに……まあ、つまりその状況事態を意識してしまうって事なんだろうけど。
 でも、それより。
「それより、大吾も成美さんもさっきから様子が変なような……?」
 自分達の問題を棚上げにしておくためにも、そちらへ話題を移してみましょう。という事で、どうしたんですかさっきから?
「そ、そうか? ……いやまあ、大した事じゃねーんだけどよ」
「うむ。今更気にするほうが変だと言うものだが――」
 ほう?
「要は、わたし達もお前たちと同じような時間を作っていたという事だな」
 ああ、なるほど。
「じゃあ今日はこれから?」
 栞さんが軽く首を傾けながらにこやかに尋ねると、二人は顔を見合わせた。現在は座高の差が激しい状態で更に二人並んで座っているため、大吾は見下ろし成美さんは見上げる形に。
「どうすっか?」
「うむぅ。まあ、来てもらって損があるわけでもないからな。お好きにどうぞ、というところか」
「じゃあ、今日に限って行かねえ理由もねえわけだし」
「そうか」
 二人揃って「どちらでも」といった感じのなんとも曖昧な相談だったけど、一応今日も二人で会う事になったらしい。ちなみにその言い方からして、いつも大吾が伺う側らしい。
 もう一つちなみに、今の相談に関して行き当たりばったり感を伴うスタンスの二人だったけど――
「って事で、じゃあな孝一。喜坂も」
「日向への説明、よろしく頼んだぞ。と言っても実際に楽の息子に会ったのだから、伝える事もそれ程は残ってはいなさそうだが」
 多分、本当はどっちでもいいどころか、行きたかったんだろうし来て欲しかったんだろうなあ。この二人の事だし。
 そそくさと立ち上がる二人を見てそんな事を思ったけど、それはまあ野暮な話で。
「あはは、そうだね。――それじゃあ、また明日」
 一時期は妙な空気になった、と言うかそうなると分かってて妙な空気にしたって言ったほうが正しいだろうけど、とにかくこれで基本的には楽しかった晩ご飯の会はお開きです。
 この後栞さんと少しお喋りなどして、それから先は栞さんの言う通りまた明日――って、そうだそうだ。
「大学のお祭り、明日もありますけどどうします?」
 当然、「まあどうせ暇だし」とかいう理由でいつも通りみんな来てくれるだろう、と思っていた。
 んだけど、栞さんも成美さんも大吾も『うーん』と首を捻りだした。はて、そのココロは?
「なあ孝一、明日清サンの奥さんが来るって話だったよな?」
「え? あ、うん。そうだったね」
「ここってよ、誰かに客が来たら大概全員集合する事になんだよな」
「ああ、そう言えば確かに」
 家守さんの妹さんで、僕にそっくりな孝治さんを連れてきた椛さんの時とか、大吾の妹の庄子ちゃんの時とか。その時外出している人を除けば、みんな集まってたっけ。
「まあ今からではその時どうなるかは分からんがな」
「どっちにしても、みんな一緒なのは同じだけどね」
 でしょうね。四人がここに残るのと大学に行くのでバラバラになるって事はないでしょうし。
「そうだな。では、明日もよろしく」
「こちらこそよろしくね」
 二組の男女ペアの間で、女性同士が今度こそのお別れの挨拶。一方の男性二人は、声を出さないまま会釈だけで挨拶を済ませる。
 じゃあね、大吾。


「二人とも適当にって感じで言ってたけど、あれって絶対二人ともが本当にそうしたかったんだと思うなあ」
 狭い割にはな大人数はあれよあれよと言う間に二人だけ、しかもその内一人は部屋主の僕であって、つまりお客さんは一人だけという状況に。そしてそのお客さんは、僕とテーブルを挟んだ反対側にぺたんと座り込んでいます。
 で、栞さんが何の話をしているかと言うと、さっき僕も考えた事についてです。
「やっぱりそう思いますよねえ。そろそろ素直になってみても文句言う人はいないと思うんですけど」
「うーん、文句じゃないけど、楓さんはいろいろ言っちゃいそうだなあ」
 ……実際に素直になった二人を想像し、それに対する各人の反応を検討してみたところ、
「まず間違い無くそうなるでしょうね。ちょっと可哀想ですけど」
 それどころか、僕も大吾に対してだけはそれと同じような事をしてしまいそうだった。はたして栞さんはそう思わなかったのか、それとも思っていて控えただけなのかは分からないけど。
「とか言って、孝一くんも結構楽しんじゃったりしそうだよね。意外と」
「ありゃ、そうですか」
 ――見抜かれてるなあ、さすがに。
「それを悪いとは言わないけどね」
 そう言ってくすくすと微笑む栞さんへ、苦笑いを見せておいた。本当は苦くもなく普通に笑えそうなんだけど、流れ上こちらのほうが自然だという事で。
「さてと。じゃあ本題に入ってもいいかな」
「お願いします」
 テーブルの陰になってその足元は見えないながら、崩していた足を正座の形へ戻すような動きを見せた栞さんに、こちらも背筋を真っ直ぐにする。
 そう。今日はいつもの取り止めもない日常会話じゃなくて、話す内容が最初から決まってるんだよね。
「えっと……まずは、清さんがここに住み始めたのは四年前からなんだけど……孝一くん、この事は知ってたっけ?」
「え? ああいえ、栞さんが一人目で清さんが二人目だって事は前に聞いてましたが、そうなんですか?」
 でも四年前と言えば栞さんが、なんだ――死んでしまって、ここに住むようになったのも四年前だ。って事は、栞さんと清さんの入居時期はそれほど離れていない? のかな?
「そう。栞がここに住むようになって三、四ヵ月後くらいかな。それくらいにね」
 どうしてもその「時期」を話題にすれば、付随して「死」という単語が頭をよぎってしまう。これは僕が変に意識してしまっているだけなのか、それとも栞さんはもっとなのだろうか?
 どちらにせよ、口にすべきでない事だけは確かだった。今はその話ではないのだから。
「清さんはそれまで、近くの空家に住み着いてたんだって。どうして自分の家じゃないかは、分かるよね?」
「……はい」
「空家に住む」という事のインパクトもあるにはあるけどそれ以上に、僕も知っているその理由から、口が重くなった。
 住める筈がないのだ。自宅には、清明くんがいるのだから。自分の子どもを苦しませてまで自分の家に居座るなんて、あの清さんがする筈がない。いや、できる筈がないと言ったほうが正しいのだろうか。
「清さんね、最初はもう、ここから離れた所に住もうとしてたんだって。自分がその……迷惑に、なるからって」
 さすがに言い辛そうだった。
 栞さんが「孝一くんも結構楽しんじゃったりしそうだよね」と僕の事を見抜いていたように、栞さんがそういう人柄だと僕も思っている。自分に近しい人だから贔屓しようだとかそういう意図を抜きにして、今のような話を言い慣れない人だと。
「それがどうして空家なんかに? この近くの、なんですよね?」
 その言い慣れないのを圧してまで話をしてくれているんだから、こちらもそれなりの誠意を持ってしかるべきだろう。
 だからこそ余計な指摘はせず、話の内容についてのみ質問を投げ掛けた。すると栞さんの顔に、ふっと笑顔が戻る。
「清さんね、明美さん――奥さんに、凄く怒られたんだって。最初は死んじゃった筈の清さんがいきなり帰ってきて驚かれたらしいんだけど、清さんが遠くに行くって話をしてる間にそんなのすっ飛んじゃったみたいで、怒られた挙句にビンタされたって言ってたよ」
 清さんの事だから、その辺りの話はとてつもない勢いで話していたのだろう。栞さんが微笑むのはそれを思い出してなのか、それとも話自体になのか。どっちでもいいと言ってしまえばそれまでだけど、ちょっとは気になる。
 ――でも、それはこの際端から端へ。それとは別に、思い出した事がある。
 あれは……火曜日だから、四日前か。チューズデーさんを伴なった栞さんとのデートから帰ってみれば、成美さんが猫の姿に戻ってしまっていた日。
 大吾と清さんの三人で語らっていた時に、清さんがいつものあの調子でガンガン喋りだした。その内容は、「精神的にかなり参ってたけど、あのビンタが気付け薬に――」とか、そんな感じだったと思う。今栞さんが言ったビンタがこれと重なるのかどうかは、分からないけど。
 ちなみにその辺りの話で、奥さんは驚くどころか叫び声を上げて気絶していたようにも思う。蛇足だけど。
「奥さんが見える人だったのも凄い事なんだけど、それ以上に清明くんがね。……それでも、奥さんは清さんに、近くにいるように言ったんだって」
 先程微かな笑みを浮かべた栞さんの語調が、再び静まる。だけどそれは気を落とした事の表れではなく、ただ話に抑揚を付けたというような、そんな静まり方だった。
 そしてこれが抑揚の「抑」であるならば、「揚」もまた見えてくるわけで。
「清さん、『いて欲しい』じゃなくて『いなさい』って言われたらしいよ。格好良いよね、そういうの」
 その「揚」において、栞さんはとても楽しそう――いや、嬉しそうだった。まるで自分がその台詞を言われたかのように、作り物ではない自然な感情をその顔に浮かべていた。清さんもそう感じたのだろうか、とふと疑問に思ってしまうぐらいに。
「もしその場に居合わせてたらそんな悠長な事は言ってられないんでしょうけど、確かに僕もそう思います」
 言ってみれば、夫婦喧嘩。その状況を全て把握するには材料が足りなさ過ぎるけど、そして喧嘩と言うよりは清さんが一方的に怒られてるような感じだけど、端から見ればそれで間違いはないだろう。「いて欲しい」ではなく「いなさい」という言葉だったのも、場の興奮を考えれば仕方のない事なのかもしれない。
 でも、それだけじゃない。喧嘩、とはちょっと違うけど、栞さんと僕も語気を荒げて言い合った事がある。だけどその時、そんなふうな言葉を口にしただろうか? ……覚えは、ない。言った覚えも言われた覚えも。
「清さんの事をとっても信頼してるから、そういう言い方になるんだろうね」
「でしょうね」
 僕があの時点で栞さんを信頼していなかった、というわけではない。ないんだけど、まだまだ付き合い始めたばかりの僕達と結婚して子どももいる夫婦とでは、やっぱり次元が違うって事だろう。いろいろと。
 ――僕がわざわざ自分達と比べて考えている事なんて、栞さんが知り得る筈がない。だから栞さんは、にこにこしていた。こんな事で自分と他人を比べて、ほんの僅かでも「悔しい」なんて思ってしまっている自分でも恥ずかしい僕を、目の前にして。
「それで清さんは近くの空家に住み始めたんだけど、暫らくして栞がそれを見つけて、楓さんがここに住まないかって誘って、それで清さんはここに住むようになったの」
「そうだったんですか」
 栞さんが清さんを見つけて、という話は以前にも聞いた事がある。そして今回は、そのいきさつが明らかになった。
「孝一くん、なんだか嬉しそうだね」
「そ、そうですかね?」
 栞さんの生前や大吾の妹さん、それに成美さんの昔の姿や四日前に起こった変化、そして今回の清さんの話。だんだんみんなの事が分かってきたなと実感すると、何とはなしに嬉しくなってくる。それぞれの話が楽しいものであれ悲しいものであれ、だ。
 要するに、栞さんの指摘通りという事。
「そうですね。変かもしれませんけど、嬉しいです。ここのみんなについて知らなかった事を、また一つ知れましたから」
「分かる気もするよ。何て言うか、これまで以上に仲良くなれたような……話を聞いただけじゃあ、本当は何も変わってないんだけどね」
 そう言って、自嘲気味に「えへへ」と栞さんは笑った。だけど、僕は思う。それはあながち間違ってはいないのではないかと。
 少しだけ違うのは、「話を聞いて仲良くなる」ではなくて「仲良くなったから話を聞ける」という事だ。例えば今回にしても、清さんがこの話を僕に知られたくないと思うなら、栞さんが僕にこの話を伝えたいと言った時に断ればそれで済んだ。なんせ本人はあまりかしこまらなくてもいい、なんて言ってたけど、この話はどう考えてもむやみやたらに触れ回るような話じゃないからだ。
 それでも清さんは栞さんの提案に首を縦に振り、僕がこの話を知る事を了承してくれた。――だから、嬉しくなるのだろう。話の内容に関わらず、それ自体が親睦を深めた証なのだから。
 ……そこで、「ではそれについて僕はどうだろう?」と、ふと思う。
「僕は平々凡々な人生しか送ってませんから、こんなふうにみんなに話すような事はないんですけどね」


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