(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第三十五章 そういう生き物 十

2010-07-17 20:37:07 | 新転地はお化け屋敷
「楓さん、どうですか? 立ち直れそうですか?」
「はっはっは、笑顔でそんなこと訊いてくるんだねえしぃちゃん。大丈夫、その表情が語ってる通り、今回はそこまで酷くないから。――というかさ、しぃちゃんはこういうことってないの? こーちゃんとのいちゃいちゃ話を誰かに聞かれてどうのこうの、みたいな」
「うーん、今のところないですねえ。それに少なくとも、楓さんと成美ちゃんだったら聞かれても笑って済ませられるような気がしますし」
「そうなの? ちぇー、アタシももうちょっと寛容になるか器用になるかしないとなあ」
「家守さんが器用になっても意地悪さが増すだけのような気がしますけどね」
「ああ、我ながら言えてるねそりゃ。で、寛容になったら意地悪さが減るわけだ」
「高次さんはどうですか? 楓さんの意地悪さが増えるのと減るの、どっちがいいかって言われたら」
「いやいやしぃちゃん、さすがに増えて喜ぶような性癖じゃあないと思うけ――」
「どっちも勘弁だなあ。今くらいが丁度いいよ」
「どおっ――!」
「あ、家守さんが固まった」
「ええ? 今の、そこまでアレな台詞だった?」
「そんなことないと思いますけど、今の楓さん、普段以上に打たれ弱くなっちゃってるでしょうから。気持ちのバランスを崩されたっていうか」
「泣きっ面に蜂的なパターンになっちゃったわけか。まあじゃあ、これ以上は言わないでおくとして――ねえ、日向くん? さっき向こうでした話を思い出したら、安々と『変わって欲しい』なんて言えないよねえ」
「ああ、まあ、そうですねえ」

『ごちそうさまでした』
 高次さんが私室での話を持ち出した後、ならば栞さんと家守さんとしては当然、「それ何の話?」という気分になるわけです。気分どころか一度そう尋ねられもしたのですが、でもあの時「聞き耳をたてないように」とわざわざ言い含めていたこともあってか、二度目はありませんでした。聞き耳を立てるなと言われたことを正面切って尋ねるってのも可笑しな話ですしね。
 ――けれどもしかし。聞き耳をたてないようにとまで言わなければならなかった話というのは栞さんの髪についての相談であって、「変わって欲しいなんて言えないよねえ」の話はそれとは別の、単なる雑談でしかありません。
 というわけで、栞さんと家守さんのほうから遠慮してきたにもかかわらず、僕と高次さんのほうからむしろ進んで話すという展開になりました。それほど長い話というわけでもないので、もう済んでしまいましたけど。
「料理ができないこーちゃんねえ。確かにまあ、いろいろと変わってくるんだろうねそれだけでも。いや、教えてもらってる立場でそれだけってのは失礼かもしんないけど」
「ここに引っ越してこなかったかもっていうのは、なんていうかその、嫌だな、すごく。もしもの話をそこまで気にしても仕方がないんだけど」
 説明との間に「ごちそうさま」を挟んでの、女性陣の感想。
 家守さんはいろいろと考えているふうな表情ですが、しかし説明に使ったのが僕の例だっただけのことなので、その考えている内容までもが僕のことかどうかは分かりません。というかまあこんな話ですから、普通は自分はどうだろうとか考えちゃうでしょうしね。
 ではもう一方の栞さんですが、そう言って頂けるのを嬉しいとは思うものの、それ以上に釣られて嫌な気分になってしまっているのはどういうことなんでしょう。ここに引っ越してこなかったかもという話だって、僕が自分で持ち出したのに。
「自分で言うのもなんだけど、孝一くんが料理ができないってことより、私が孝一くんと知り合えなかったっていうことのほうが重大なような気がするよ。いや本当に、自分で言うようなことじゃないんだけど」
 一度の発言の中で二度同じことを言う栞さん。それほどそう思っていて、しかしそれでも言わずにはいられなかったということなのでしょう。そしてそれを聞き、僕のほうの嫌な気分もより一層強まってしまいました。考えてしまったのです、僕と知り合わなかった栞さんがどうなるか。
「案外、こーちゃん本人もそう思ってるんじゃない? 何について重大って言ってるかは――まあ、アタシは知ってるんだけどさ」
 前半は笑いながら栞さんに向けて。しかし後半は、その笑顔を多少ながら陰らせつつ、高次さんに向けて。それはつまり、
「えーと、じゃあこの中だと俺だけが知らない話ってことなのかな。日向くんが知らないってことはないんだろうし」
 ということです。
 僕は逆に高次さんが知らなかったということを知らなかったのですが、しかしまあそうだったとしたら栞さんや家守さんから聞かされていたと思うので、意外だとはそれほど思いませんでした。
「そうなるねえ。でも、悪いけど多分――」
「分かってるよ。言える話だったら今みたいな顔されないだろうし」
 言葉で聞かされるよりも前に表情を読んで、高次さんは家守さんが言いたいことを把握しました。
 そういうことだろうなと予想するのは難しいことではないでしょうが、それを確定したことであるかのように声に出して言うというのは、なかなか凄いことのような気が。そしてこれはこの場合、高次さんの性格がどうのこうのというよりは、高次さんと家守さんの関係が関わってくることなのでしょう。
 しかしところで、ちょっと引っ掛かることがありました。それは、家守さんが最後に言い掛けた、「多分」という言葉です。多分も何も、栞さんは実際に限られた相手にしかその話をしていないわけで――というか話せないからこそ、水着に着替えたりする時、家守さんにわざわざ消してもらっていたわけで。
 ……いや、何も家守さんの言いたいことが分からないというわけではないのです。なんせその「わざわざ消してもらっていたもの」は、もうずっと消えっぱなしな状態にあるわけですから。もしかしたらもう話せるようになってたりしないだろうか、という期待――とはちょっと違いますが、まあそういう思いも浮かぼうというものです。
「すいません、高次さん」
 しかし栞さんはそう言って、家守さんの言葉を後押しするのでした。
「いやいや、人に言えない話なんて誰にだってあるものだしね。日向くんが俺に相談したことだってそうだし」
 それもその通りで、だったらそれとこれとでおあいこに……と思いましたが、しかしこれだとあいこになっているのは僕と栞さんで、高次さんが関わっていません。更に僕と栞さんの話となると、僕は栞さんの話を知っているので、あいこですらありません。
 うーむ、まあ、いいか。高次さんは納得してくれたみたいだし。
「それに詳細は知らないけど、要は喜坂さんにとって日向くんが大事な人だってことでしょ? 当事者じゃない人間としては、そこだけ知れたら充分だしね。それ以上を知ってもどうなるってわけじゃないし」
 まあ確かにどうなるというわけではないですし、それ以前に当事者じゃない人からどうされたいとも思いません。これでも一応、「自分達でいろいろとどうにかした」ということについては自信やら誇りやらがあるわけですし。まあ、家守さんに頼るしかない部分はそりゃあ頼りましたけど。
 すると、その頼った相手であるところの家守さんが、半分笑いつつもう半分で困っているような顔に。
「アタシなんかはまあ、みんなに話しちゃってるんだけどね。自分の深刻な話って」
 詳細までを知る必要はないと高次さんが言った途端の、真逆な話でした。家守さんの「みんなに話した自分の深刻な話」となると、やっぱりあれでしょうか。私室で高次さんと話していた時にも出てきた、霊能者という仕事に対する清濁入り混じった感情、というあの話。
 するとそれに釣られたかのように、高次さんも困ったような笑みを浮かべます。
「何も、それが間違ってるってつもりだったわけじゃないんだけどなあ」
「ああいやいや、もちろんそこは分かってるよ。今になって間違ってるとか言われたら、落ち込むどころじゃ済まないしねアタシ」
 家守さんも慌てたように釈明しますが、しかしそれはつまり。
「どちらにせよ、みんなに話してるからって高次さんがみんなと同じ扱いってことはないんですよね?」
 落ち込むどころじゃ済まない、と言った家守さん。どうしてそこまで言い切ってしまえるのかといえば、やっぱり高次さんが特別な相手だからなのでしょう。
「そりゃまあ、良くも悪くも特別だよね。今の『深刻な話』で言うなら、みんなには『知って欲しいから』教えたわけだけど、高次さんの場合は『慰めて欲しいから』だしね。時々、実際に弱音とか吐いちゃってるし」
 そして、高次さんならその弱った心を修正――いや、先に出てきた例え話を用いるなら、柔らかいベッドのように包み込んでくれるといったところでしょうか。こういう場合、力ずくで修正しようとするのはむしろ僕のほうで……というのは、以前栞さんが家守さんとの会話の中で、僕を高次さんと対比させて言っていたことですけど。
「そういうわけで高次さん。いつも、というほどの頻度じゃないけど、時々ありがとうございます」
「時々どういたしまして。まあ慰めるったって、そんな特別なことしてるわけじゃないんだけどな。話を聞くとか酒に付き合うとか、誰でもやってそうなことだし」
「ただ単にそれをするってだけならそうだろうけど、でもそれを『アタシに』してくれるのは高次さんだけだし。となると、アタシにとってはやっぱり特別ってことになるわけさ」
 特別、というのはその大半がこういった個人的なものなのでしょう。ならば家守さんのそれだって確かに特別なのですが、しかし。
「家守さんのお酒に付き合えるっていうのは、家守さんにとってどころじゃない特別さだと思いますけど……」
 なんてことを僕が言うと、家守さんが「あらやだ、酷い言われよう」なんて言いながらくねりと身を捩じらせます。しかしそれに続き、「確かにそうなんだろうけどね」とも。
 以前にちょっと見ただけなので、酔えば常にそうなのかどうかまでは分かりませんが、家守さんはいわゆる泣き上戸というやつなのです。しかもその場の誰かの話に呼応して泣くというわけでなく、唐突に自分の話を持ってきて泣いてしまうのです。なので、お酒に付き合うといっても自分が飲む暇はあまりなさそうに思われます。
 正直、僕だったらあれを御しきれる自信はありません。普段はお酒を控えているということで、家守さんも多分それと同じように思っているのでしょう。
「うーん、そうか?」
 けれど、高次さんはそう言いつつ首を傾げます。
「一方的に喋ってるのに相槌を返すだけなんだけどなあ。もちろん適当に返してるとかそういうわけじゃないけど、少なくともこっちから長話をするようなことにはならないし、だったら今みたいに普通に話してるのとあんまり変わらんと思うんだけどなあ」
 そりゃあやってること自体をそれだけで比べればそうでしょうけど、と。しかしそれを実際に口にしたのは僕でなく、家守さんでした。
「普段から一方的に喋ってるような物言いはともかく、酔ってる時のあの付き合ってられないテンションってのがあるでしょ? いやまあ、なんでそうやって高次さんに頼ってるアタシがこんなこと言ってるんだって話なんだけどさ」
 そう、それです。いやいや後半部分でなく。
 まだまだお酒を頂けない年齢であるところの僕にはまだそういった経験がありはしませんが、酒に酔った人を見たことくらいならそりゃもちろんあるわけで、酔っている人とその話し相手でテンションに隔たりがあるというのは、見ていて辛そうなものでした。
 それでも話し相手の人は頑張って堪えるわけですが、高次さんはそうでなく、むしろ家守さんが救われた気分になるほど親身に接しているわけです。いくら相手が妻だとは言え、なかなか見上げたものなのではないでしょうか。
「うーん、じゃああれかな。その時は俺だって当然一緒に酒を飲んでるわけだから、多かれ少なかれこっちも酔ってて変になってるとか」
 なるほど、酔った相手と対等になるためには自分も酔えばいいと。あの家守さんを相手に自分も一緒になって飲む余裕があるんですねと思わされないでもないですが、まあそれはいいでしょう。僕もお酒を頂ける年になったら何か分かるのかもしれません。
 さて僕はそれなりに納得したわけですが、しかし一方で、家守さんは「えー」と不満そうな顔に。
「アタシ、変な状態の高次さんに慰められてるの? なんかやだなあ、それ」
 ううむ、それはそれで分からないでもないような。
 するとその時、栞さんがくすくすと。
「変な状態、かあ。私もそうですよ? 楓さん」
「ん? しぃちゃん、そりゃどういう……え? こーちゃんってお酒飲んでるの?」
 こちらを向いた家守さんは怪訝な表情。こういう時の反応は人それぞれなのでしょうが、少なくとも家守さん、未成年に飲酒を勧めるようなタイプではないようです。といって、ならば逆に厳禁とするような人だろうかと考えると、そうでもないような気はしますけど。
「いやいやもちろん飲んでませんよ?」
 料理に使うことはままありますけどね。
 飲んでないのならば「栞さんは突然何を言い出したのか」という話になりますが、まあ思い当たることはあります。というか、確信に近いです。家守さんが言った時点では何とも思いませんでしたが、栞さんが「変な状態」という言葉を発したその途端、ある記憶が頭をよぎったのです。
「孝一くん、お酒とは関係なく変になっちゃうことがあるんです。私が慰められる――というか、怒られる、かな? そういう時って大体、その『変な孝一くん』なんですよ」
 やっぱりその話ですよね。ということで、恥ずべきようなことでないという自覚がありはしても、やっぱりどこか恥ずかしい僕の話でした。
「俺としては、日向くんが怒るって時点でもう意外だなあ。いや、そういうことがあったってのは知ってるんだけど、見たことがないからさ。それに普段はこんな感じだし」
 と、今現在の僕へ視線を送りながら仰る高次さんでしたが、こんなってどんなですか。特に何をしているというわけでもないんですけど。
「で、そう言うからには普通に怒るってだけじゃないんだよね? どんな感じ?」
「あんまり詳しく言うのはちょっとごめんなさいなんですけど、優しいことを怒鳴りながら言うんですよ。普通に怒るのだってもちろん『相手のためを思って』ってことなんでしょうけど、そういう言葉の裏側とかじゃなくて、言葉そのものが優しいんです」
 という、栞さんの説明。しかしながら僕としては何も意識してそうしているというわけではなく、思ったことを思ったまま口にしたらそうなってしまったのです。
 ということなので、褒められているというよりは、むしろ恥を晒されているような気分に。……いや、栞さんだってそういう意味合いで言ってる部分はあるんでしょうし、そもそも内容がどうあれ彼女との言い争いの話という時点で、恥ずかしかったりはするわけですけど。
「へえ。うーん、無理だろうけど一度見てみたいなあ」
「無理です」
 高次さんが無茶な要求をしてきましたが、あまりにも無茶だったので間を置かずに即時却下。誰に何を怒れと仰るのですか。というか例え怒るような理由があったとしても、そんなことを言われたら怒るに怒れないと思います。怒ってるのに喜ばせるだけって、そんな。
「無理かあ」
 そう言われるのは分かっていたでしょうに、残念そうな顔をする高次さんなのでした。もしかしたら、僕の目にはそう見えたってだけかもしれませんけど。胸中が胸中ですし。居た堪れないというか。
 でもまあ、そんな胸中を引っ張っていてもいいことはありません。気分を変えるためにも、話を続けましょう。
「そういえば、高次さんはどうなんですか? 怒るようなことってあります?」
 怒る時点でもう意外だと言われた僕ですが、僕から見た高次さんだってそれと同じようなものなのです。と言っても、じゃあ怒っても意外じゃないのは誰だと言われたら――大吾と成美さんくらいでしょうか? 該当するのは。栞さんは……うむむ、相手が僕じゃなければ意外、といったところでしょうか。
 それはともかく自分で放った質問ですが、答えたのは高次さんでなく、家守さんでした。
「あったとしたらアタシ、しょっちゅう怒鳴られてるんじゃないかなあ」
 もちろんそれは冗談なんでしょうし、言ってる家守さん自身も半笑いなのですが、答えにはなってるようななってないような。
 でも確かに、階下の101号室からそういう声が聞こえてきたようなことはありません。まあ、高次さんがここへ来てからまだそう日にちが経ったってわけでもないんですけど。
「怒るようなことがあったとしても、高次さんの場合は怒るってより窘めるって感じかな。あんまり大きな声は出さないね、そういう時」
 家守さんが続けて言うには、そういうことだそうです。ここでついつい「ってことは家守さん、窘められたことがあるんだろうか」などと勘繰ってしまいますが、しかしそこまでは。栞さんがさっき言ってた「あんまり詳しく言うのはちょっとごめんなさいなんですけど」と同じようなことです。
 さて、自分にまつわった話が出てきたところで、高次さんがこう言いました。
「それは俺の特徴っていうより、職業病みたいなものなんじゃないのかなあ」
 職業病とは、はてまたどういったことなのでしょう。高次さんの職業といえばもちろん霊能者なわけですが、それと怒った時の行動になんの関連性があるのか、僕には思い付くことができませんでした。
「ああ、それもそうなのかもねえ」
 同じく霊能者である家守さんも、高次さんの意見に賛同のようです。となると、霊能者という職業がこの件に何らかの関連性を持っているというのは、間違いなさそうです。
 ならばその説明を求めたいところなのですが、しかしこちらから尋ねるまでもなく、「いっつもそんな感じなんだよね、俺達の仕事って」という言葉に続けて、高次さんが説明を始めてくれました。霊能者じゃない僕と栞さんには察せられようもないちうのはまあ、分かり切ってますもんね。
「霊能者が呼ばれるってことは、つまり呼んでくれたお客さんは幽霊関係のことで困ってるってことで、だったら俺達はまずその幽霊さんと会って話をしなきゃならないんだよ。で、お客さんを困らせるようなことをしてるわけだから、注意することは注意させてもらうんだけど――まさかそこで怒鳴り散らすわけにもいかないから、さっき言われたように窘めるふうになるわけだよ」
 霊能者に声が掛かるということは、どこかで幽霊が宜しくない行いをしている。幽霊に慣れ親しんでいる身としては少々胸にチクリと来るものがありはしますが、しかし霊能者なんですから、考えてみればそりゃそうです。もちろん、それが全てだというわけでもないんでしょうけど。
「けどまあこれは何も霊能者に限った話じゃなくて、お客さんのトラブルを引き受けるような職種も同じようなものなんじゃないかなあ」
「でも当然、そういう仕事をしてたらみんなこうなるってわけじゃないけどね」
 高次さんが話の対象を広げにかかったところ、家守さんがそれに歯止めを掛けました。そしてそうなると、
「えーと、それってじゃあ、結局は俺個人の話になっちゃうんじゃないか?」
 ということに。つまり、「何も自分が特別だというわけじゃなくて」という意図のもとに持ち出されたのであろう職業病の話が、殆ど無駄になってしまったわけです。
「せっかく仕事の話まで持ち出したのになあ」
「仕方ないじゃん。アタシにとっては、高次さんは何をどうやったって特別なんだし。だったら特別にしておきたいもん」
 まあ言ってることは分かりますけど家守さん、そういうことを僕達のいるこの場で平然と言っちゃいますか。その割には同じような話を知らないところで聞かれてたりしたら落ち込むような勢いで恥ずかしがったりもしますし、本当、想定内の事態に強くて想定外の事態に弱いんですねえ。
 などと本筋から逸れたことを考えはしますが、しかしまあ逸れているならそれは横に置いときまして。
「でも実際にはそこらへんにいるオッサンなわけだから、あんまり特別視し過ぎてたらどこかでがっかりすることになるぞ?」
「大丈夫、夢見てるだけだってことぐらいは自覚してるから」
「はっは、まあ俺も同じようなもんなんだろうけどな」
 妻という存在が自分にとって特別な人だというのは、殆どの人が――例え結婚した経験がなくとも、そう思うことでしょう。妻だから特別だというよりは、特別だから妻になってもらったというほうが正しいんでしょうけど。
 けれどその特別な人は実際のところ特別でも何でもなく、そこらの赤の他人と同じ普通の人であることが殆どです。もちろんこれで「自分にとって特別な人だ」ということを否定するわけではなく、自分にとっては特別でも世間からすれば特別でも何でもない、というわけです。
 さて、当たり前ですがそれはなにも「妻」という存在にだけ適用される話ではないでしょう。どころか、おおよそ全ての「特別な人」というものに当て嵌まるんじゃないだろうかとすら思いますが、しかしまあ僕がこの場で考えるべきは「恋人」、つまり栞さんについてです。妻と恋人じゃああんまり話に差がありませんけどね。
 栞さんのほうを向いてみました。
 するとそれに気付いて、栞さんもこちらを見返してきました。
 話の流れからして、僕と同じようなことを考えているのでしょうか。何を言うでもなく、栞さんはにこりと微笑みました。僕はもちろん、それを可愛いと思うわけです。特別に可愛いと。
 でもそれは特別でも何でもなく、世間からすればよくある可愛さなのでしょう。でもなければ、栞さんの笑顔を目にした男性が尽く恋に落ちる、なんてことになりかねないわけですし。恋ということでまあ対象を同年代の男性に限るとしても、まず大吾がいきなりそうじゃないですしね。大吾がここで栞さんと知り合ったのは、彼が恋に落ちることになる成美さんがここに住むよりも前の話だというのに。
 栞さんが僕にとって特別な女性であることは疑うべくもないことですが、しかし同時に、栞さんは特別でも何でもない普通の女性です。ならば僕はその特別だけど特別じゃない栞さんとどう付き合っていくべきなのか、なんてことを考えてもみるわけですが――。
「おーい、こーちゃーん?」
 そこで我に返されました。
「はっ」
 なんてわざとらしい台詞を口にしてみても、状況は変わらず。
「いきなりしぃちゃんと熱く見詰め合ってると思ったら、一方的に熱かっただけなんだねえ。何を考えてたのかな?」
 見ると栞さん、笑顔が微笑みから笑いのそれになっていました。口元に手を当て、くすくすと。
「いやその、何をというか、家守さんと高次さんが話していたことを自分に置き換えてみただけなんですけど……」
「それどころな感じじゃなかったけどねえ? でもまあ、そうじゃなかったとしたらそれはそれで傷付くけどさ。アタシらの話に全く耳を貸してなかったってことになっちゃうし」
「ちゃんと聞いてましたって。――いや、聞いててもその後が上の空なんじゃあ、何の言い訳にもなりませんけど」
 というわけで。
「ごめんなさい」


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