酷い話かもしれないけど、とのことでしたが、
「それって結局、別人も同然な仮定なんじゃないですか?」
仕事に対するスタンスの一点だけで別人とまで言ってしまうと大袈裟のような気もしますが、しかし濁だけになった家守さん、まあイメージとしては普段からどんよりしている、というところでしょうか。そんな家守さんというのは、僕からすれば「別人」なのです。これまた酷い話かもしれませんが。
「まあ、ね。何かがちょっと違うだけでも『同じ人ではない』ってことになるだろうし、じゃあ楓と楓の仕事はってことになると、ちょっとどころの話じゃないし」
霊能者という仕事が普段のあのおちゃらけた調子に繋がっているということなら、僕にも頷ける話です。家守さんを語る時に一番大事なのは、いやらしさも交えたその部分でしょうしね。
ところで、ならばと気になることが。
「僕や高次さんだったらどんなところでしょうね? 変わったらちょっとどころじゃ済まない部分って」
一つもそういうものがない、ということはないでしょう。なかったら悲しいというだけの話、つまりは願望なんですけども。
「俺と日向くん……そうだなあ」
腕を組んで考える高次さんでしたが、しかしその割に答えはすぐ出てきたのでした。
「俺はやっぱり、実家が金持ちってところかなあ」
やっぱり、と言うからには、それについては考えるまでもなく思い付いていたのでしょう。となると、ちょっとだけ考える素振りを見せたのは、僕の「ちょっとどころな」な部分を考えてくれていたということになりましょうか。
まあそれはいいとして、
「いや、自慢とかそういうことじゃなく」
高次さん、そんな一言を付け加えるのでした。
「いやいや、思いませんよそんなふうには」
普段からそういうことを言っているならまだしも、雰囲気程度にすらそういうものを持ち合わせていない高次さんですし。むしろ、うっかりしてると実家がお金持ちだということを忘れてしまいそうです。
照れたように短く笑ってから、高次さんは続けます。
「もちろんそれでいい目もたくさん見たけど、それだけじゃないしねやっぱり。もし俺が普通の家庭に生まれてたら、良くも悪くも丸っきり別の人間に育ってたと思うよ」
「家守さんの話に比べると、ストレートで分かりやすいです」
「金の話だし、まあそうなるよねえ」
一般庶民からすれば「お金持ち」というのは羨ましい存在ですが、しかし実際にそうなったとして、ならば羨まれるばかりの生活が送れるかと言えば、そうではないのでしょう。いろいろ大変なんだろうと思います。具体的にどういうことがと言われると困りますが。
「とは言っても、金以外のところでもいろいろとね。ほら、うちの生業って霊能者でしょ?」
「ですね」
「ってことは、別の家に生まれてたら俺、間違いなく霊能者ですらなかったんだよね。となるともちろん、楓とも出会えないわけで」
「おお」
と、ついつい感嘆の声を漏らしてしまいましたが、なるほど確かにその通り。霊能者じゃなかったら、あまくに荘に住むことになるくらいでしか家守さんとは関われそうにないですし。街中でえらい美人を見付けたから声を掛けた、なんてのは除外するとして。
――しかし、そこで一つ気になることが。
「間違いなくってほどのことなんですか? 霊能者としての……素質? そういうものがあったら、万が一くらいでも霊能者になってておかしくないんじゃ」
すると高次さん、こちらの言葉を遮るようなタイミングではっはと笑います。
「素質ねえ。まるでなかったよ? 俺には」
「そうなんですか?」
「そう。霊能者の一族に生まれたからって、みんなそういう素質があるってわけじゃないしね。親から子に遺伝するようなものじゃないんだよ、これ」
「じゃあ、いま霊能者をやってるのは……」
「いま日向くんが言った『素質』にあたるものを、人為的に引っ張り出してもらったのさ。我が一族の秘術ってやつでね」
冗談っぽい口調と言い回しでしたが、しかし嘘ではないのでしょう。こういう場面で嘘をつくような人じゃない、というか、場面がどうのじゃなく嘘をつくような人じゃないですし。
「家守さんと高次さんの仕事を見てると、何が秘術で何がそうじゃないのかよく分からなくなってくるんですけど。正直、全部秘術だって言われても疑問を持たないと思いますよ?」
「はっは、面妖なことばっかやってるもんなあ、俺らの仕事って」
今でこそ当たり前にここで生活してますけど、幽霊がいるのはもちろん動物が喋ったりするんですもん。外から見たらえらいことです。まあその喋る動物さん達も幽霊なんで、見える人にしか見えないんですけど。
そういえばそうだったな、と高次さんの実家である四方院さんのお宅に泊まらせてもらった時のことを思い返しますが、考えてみればそりゃそうもなりますよね。あそこは霊能者一族の家であると同時に幽霊のみを対象とした旅館でもあるんですし、となると幽霊が見えなかったら仕事に差し支えが出ちゃいますもんね。
「とはいえ、お手伝いさんであれ何であれ、うちと関わった時点でもう『幽霊関連で何かあった』人達なのはほぼ確定なんだけどね。たとえそれまで幽霊が見えてなかった人であっても」
「ああ、聞きましたその話。大門さんから」
お風呂を借りてた時だっけ――というのはまあ重要でない情報なのですが、まあともかく大吾と一緒にお風呂を借りていた時。そこへ入ってきた大門さんから、同じような話を聞かされたのです。
一例として、木崎さんの背中に彫られた虎の刺青を指し示しながら。
「そういえば日向くん、料理長と仲良くなったんだっけ」
少々気を落としてしまうような思い出だったりするのですが、しかし高次さんは逆にほっこりとした笑顔なのでした。
料理長。そう、大門さんは、四方院さん宅に勤めている料理人の中で一番偉い人なのです。
「仲良くって言っても、料理の腕を試されただけなんですけどね」
僕にだってそういう気持ちが微塵もないというわけではないのですが、しかし何も知らない他人同士として出会っていたならともかく、それは料理を介しての出会いだったのです。立派な仕事として料理をしている人と趣味として料理をしている僕とじゃあ、恐れ多いってなもんですよやっぱり。
「でも、そこでプロから合格を貰っちゃうんだからなあ。駄目だったらあの日の食卓に日向くんの料理が出てくることはなかっただろうし――ああそうだ、思い付いた」
それはその日に大門さんからも言われていたとてつもなく嬉しい事実だったのですが、しかし高次さんはそこに頓着せず、何かを思い付いたとのこと。もっと掘り下げて欲しかったというのは我儘でしょうか、やっぱり。
「思い付いたって、何がですか?」
「日向くんの『変わったらちょっとどころじゃ済まない部分』だよ。もし料理ができなかったらいろいろ違っただろうなって」
「そうですかねえ?――あ、いや、そうですね考えてみたら。怖い怖い」
料理ができなくなったら自炊ができなくなるだけだろう、なんて一瞬考えてしまいましたが、とんでもございませんでした。
「ん? あれ、具体的にどう違ったかってのまでは考えてなかったんだけど、何か思い当たっちゃった感じ?」
思い当たらせてくれた当人から意外そうな顔を向けられてしまいましたが、しかしどうであれ思い当たった事実があることに変わりはありません。
「料理教室がなかったとしたら、栞さんと今ほどの仲にはなれてなかったかも……」
「おお、大問題じゃないの」
嬉しそうに言う高次さんなのでした。
栞さんと付き合うことになったことと料理教室に直接の関係があるわけではないですけど、しかし当たり前ながら、料理教室がなくなったら栞さんと会う機会は激減です。それで果たして今と同じ状況に辿り着けるかと言われたら、悩むところが。
しかしそうして悩んでいるうち、もっと酷い可能性を思い付いてしまったりも。
「自炊ができなかったら、そもそも独り暮らしをしてなかったかもしれません」
「あー、喜坂さんがどうのの前にここに住んでないってかあ」
「となったら自宅から通える大学を重点的に探すかもしれませんし、それでもし今とは別の大学を選んでたら」
「まるで別の学生生活だねえ。良い悪いは別として」
確かに良い悪いを比べることなんてできはしませんけど、今の生活を送れないというのは、凄まじくお断りしたいところです。たとえそこで別の友人や別の彼女を得、満足な毎日を送れたとしても。
「このあとすぐ料理するんですけど、その最中に余計なこといっぱい考えちゃいそうです」
「ああ、ごめんごめん。意地悪のつもりで言ったわけじゃあ」
「――いくら家守さんでも、そこまでテクニカルな意地悪はしないと思いますよ?」
「あれ、なんで楓の名前が? いや何を意識して言ったかっていったら楓だし、だからバッチリ正解なんだけど」
当たってましたか。
「ここの住人だったら家守さんを思い浮かべないほうが変ですよ多分」
「はっは、それもそうだ」
笑い飛ばしちゃいますか。
そうして笑い飛ばしたあと、急に高次さんは真面目な顔をこちらに向けてきました。驚くようなことではないのですが、しかしそれまでとの落差もあり、やっぱりちょっとだけ驚いてしまいました。
「ところで、日向くん」
「はい」
「今更だけど、とてつもなく話が逸れちゃったね」
「あ」
そうでした、もともとは栞さんの髪が伸びた(かもしれない)という内容の相談なのでした。真面目な顔をすべきは、むしろ僕のほうなんでしたっけ。というわけで、表面上だけでも真面目な顔に。内心では恥ずかしさが一杯で、真面目どころじゃないんですけどね。
そして僕がそうしたところ、高次さんは既にそれまでの穏やかな表情に戻っていました。
「それじゃあその、すいません、話を戻します」
「うん、どうぞ」
「髪が伸びること以外で、年を取り始めたのを見分ける方法ってないんですか?」
「ないねえ」
見事なまでに即答でした。もちろん本業の方ですからこれくらいの単純な質問にああだこうだと考えるような時間は取らなくて当たり前なのですが、しかしそれだけでなく、質問までに時間が掛かり過ぎたために何を訊かれるか予想を立てることができた、というようなこともあったのかもしれません。
「強いて言うなら、髪の伸びより爪の伸びのほうが目で見て分かりやすいってところかな。幽霊が年を取り始めるっていうのは、特殊なことは何もなく本当に年を取り始めるだけのことだから、それで目印になるような妙なことが起こったりはしないんだよ」
「そうなんですか」
まあ、そうじゃなかったらその目印になるものをとっくに家守さんから教えられていたことでしょう。何度か話してますしね、幽霊が年を取り始めることについては。
「喜坂さんのあの髪が染めたものだったら、伸びた分だけ黒い毛が覗いてくるからすぐ分かりそうなんだけどねえ」
「綺麗ですよね、あの茶色」
……と言ってから、高次さんが言いたかったのは間違いなくそこじゃないと思い当たりました。しかし思い当たったところで手遅れなのには変わりなく、ならばいっそ思い当たらないまま気持ちよく惚気てたほうがマシだったんじゃないかと思ったりも。
「だよねえ」
しかし、そこは高次さん。これが家守さんだったら確実にいろいろ言われていたところですが、その家守さんのいろいろを常日頃から受け止めている側となれば、さすがの心配りなのでした。
「でもまあ、そんなこと言ったらここの女性はみんな綺麗な髪なんだけどね。その内の一人と結婚までしてる俺としてはその一人を贔屓したいし、すべきなんだろうけど」
というのはもちろん、家守さんのこと。長くて艶やかな黒髪は、その長さにもかかわらず鬱陶しさというものがまるでなく、歩くのに合わせてさらさらと揺れる様からはむしろ清涼感すら。
「大吾に言わせたら、じゃあ成美さんの髪が一番なんですかねえ」
「だろうねえ。男から見てってだけじゃなく、女性陣の中でも一番人気っぽいし」
「ああ、そういえばそんな感じですよね」
こちらも家守さんと同様に長く――むしろ小さい時の身長と比べると長過ぎるくらいで、立っていても床にすれすれで届かないというほどの、白い髪。しかし一番の特徴はその長さでも白さでもなく、ところどころからぴよんぴよんと飛び出すようなその癖っ毛なのではないでしょうか。女性陣から人気だというのも、「触るとふわふわで気持ちいい」という意見を耳にするからですし。
「でも実際のところ、見た目がどうとかじゃなくて『好きな人の髪だから他より綺麗に見える』ってことなんだろうけどね。女性陣はともかく、俺らの場合は」
「まあ、そうですよねやっぱり」
それを抜きにしても栞さんの髪は綺麗ですよ、としつこく言い張りたい気持ちがないわけではないですが、しかしその「好きな人の髪だから」という理由がまるでないかと言われれば、もちろんそんなことはありません。ならばまあ異を唱えても仕方がないですし、そもそも高次さんだって、何も「本当は別に綺麗ってほどじゃない」とかそういうことを言ってるわけじゃないんですしね。
綺麗なものは綺麗なのです。その中でどれが一番かを決めるのに「好きな人だから」が関わってくる、とそういう話なのです。
「ところで日向くん」
「はい?」
「また逸れてるね、話」
「あ」
「というか、本題のほうはもう済んじゃってるのにね」
「そうですね、そういえば」
年を取り始めたことを手っ取り早く確認するような方法はない、とのことでした。栞さんの髪が染めたものだったらという話から、逆に栞さんの髪を別の色で染めてしまえば分かり易いんじゃないだろうかとも思いましたが、不確定なものを確認するためにそこまでするつもりはありません。
というわけで、再び真面目ぶった顔に。
「さて、じゃあそろそろ戻ろうか。向こうの二人も待ってると思うよ、先生のこと」
言いながら立ち上がる高次さん。真面目ぶった顔は、無駄なものに終わってしまいました。
さてそれで、閉じていたふすまを開け放って私室から居間へ移動するわけですが、
「結構長かったねえ。何の話だったの?――とは、訊かないでおくけどさ」
とは言いつつ、訊きたそうな雰囲気をその身に纏う家守さんでした。まあ、実際には訊かないというのなら、問題視するようなことでもないでしょう。何を話していたのか気になるっていうのは、気にするなというほうが無理な相談なんでしょうし。
「いやあ、殆どは雑談だったなあ。話が逸れてばっかりで」
「あら、そうだったんだ? それで、本題のほうはしっかり片付いたの?」
「まあ、ね」
そんな報告をされると微妙に恥ずかしいような気がしないでもないのですが、しかしそれはどうやら高次さんも同じようで、照れ笑いのようなものを浮かべていました。
その照れ笑いがこちらに向いたかと思うと、こう続けます。
「ご満足頂ける結果では、なかったと思うけど」
――というのは恐らく、年を取るようになったかどうかを手っ取り早く確かめるような方法はない、という結論のことを言っているのでしょう。確かにまあ、その方法があったとしたらそれが僕としては最善だったわけですけど、
「いやそんな、しっかり満足してますよ。疑問が解けて胸がすっきりしましたし」
半ば慌てて取り繕ったような言い方になってしまいましたが、「望むものがあるかどうか分からない」というのと、「望むものはないとはっきりしている」というのとでは、誰だって気分に差が出てくるものでしょう。別に高次さんのせいでそういう結果になったというわけでなし、感謝こそすれ不満を抱くなんてとてもとても。
「ふっふーん。いいだろう、うちの旦那は」
唐突に自慢げになる家守さん。まあしかしそれは冗談なんでしょうし、そうでなくとも特に異論があるわけでもありません。なのでここは、「そうですねえ」と軽ーい受け答えをしておきました。
「楓、そういう褒められ方はむしろ辛い」
「分かってて言ってるんだと思いますよ、高次さん」
言いながら、栞さんは笑顔。そんな意地悪をした家守さんも、もちろん笑顔。それに頷いた僕も笑顔。結局高次さんだけが「まあそうなんだろうねえ」と、ほろ苦い表情になってしまうのでした。自慢の旦那さんなのに。
それは少々気の毒で、かつこういう話になったのが自分の持ち掛けた相談のせいだということもあって、話を次へ移すことにしました。
「さて、じゃあそろそろ晩ご飯の準備に取り掛かりますよ二人とも」
「はい先生」
こちらの思惑を知ってか知らずか栞さんが乗ってくれ、ならば家守さんもそれに倣うということで、それ以上家守さんによる自慢の旦那虐めが繰り広げられることはありませんでした。
ただまあ、高次さんだって楽しんでる節はあるんでしょうけどね。じゃなかったらとても家守さんの旦那さんになろうとは思わないでしょうし。……いや、そうなったら家守さんのほうが合わせるのかな? はて、どうなんだろう。
そういうわけで場所は移り、台所。今日も今日とて先生です。
が、先生役に入り込むより先に、家守さんからこんな質問が。
「実際のとこさ、どうだった? 高次さん」
その笑みからはさっきまでの冗談っぽさが抜けていて、穏やかなものになっていました。
ところでその質問、相談相手としての高次さんがどうだったかを尋ねたものなのでしょうが、
「うーん、さっき高次さんも言ってましたけど、本題と関係のない雑談が長くなっちゃって……いやもちろん、相談して良かったとは思わされましたけど、細かく見てどうだっていうのは」
相談してもらっておいて、と考えると失礼ですらありそうな返事でしたが、しかし思ってもいない綺麗事を並べ立てるわけにもいかず。いや、それだって気配りの一つではあるんでしょうけど、そもそも自分がそういうことに向いているとは思えないのです。目が泳いでしまうとか、そんなことになったらもっと酷いことになりますし。
「キシシ、それでいいんだよ。そういう人だもん、高次さん」
「え?」
失礼どころかむしろ喜ばれて気が抜けてしまい、おかげで間の抜けた声を出してしまいましたが、
「楓さん、言ってましたもんね。高次さんのことを柔らかいベッドみたいだとかこんにゃくみたいだとか」
栞さんのその言葉で、家守さんの「そういう人だもん」の意味がなんとなくながら理解できました。
「あはは、こんにゃくのほうは半分冗談なんだけどね、もちろん。――こーちゃん今、細かく見てどうだっていうのがないって言ったよね? それがズバリ正解なんだよ。相手に細かいことを気にさせなくしちゃうんだよね、高次さんって」
ベッドやこんにゃくといった例え話と同じく、その話も以前に似たようなものを聞いた覚えがあります。ただし今回は、僕が自分でそれを体感したわけです。家守さんの惚気話でなく。
「と言ってももちろん高次さんだけじゃなくて、その相手の性格なんかも関わってはくるんだろうけど。まあアタシはこんなだから、高次さんと合わない人っていうのは想像で補完するしかないわけだけどね」
「少なくとも、ここにはいなさそうですもんね。高次さんに合わなそうな人って」
栞さんの言う通り、このあまくに荘にそういった人は見受けられません。ならば家守さんに限らず僕達だって、想像で補完するしかないのでしょう。たた、「アタシはこんなだから」という言い草や想像で補わなければならないとわざわざ口に出して言った辺り、僕達と家守さんではその程度が違うんでしょうけどね。
まあつまり、家守さんは高次さんに首ったけということです。自分が高次さんと合い過ぎるがため、そうでない人を「意識的に」想像で補完しなければならないほど。
「喜ばしいことに、そうなんだよね。……あはは、高次さんに限ったことじゃないんだけどさ」
「今この部屋だけ見ても、他じゃああんまりなさそうな状況ですもんねえ。男の子の部屋で毎晩料理を教えてもらう、なんて」
「そうしてもらうように頼んだ側としては、あんまりどうのこうの言えないけどね。――というわけで、お礼だけ。いつもありがとう、こーちゃん先生」
「ありがとう、孝一くん」
「いやいやそんな。お金を貰ってやってることですし」
というかその、高次さんの話だった筈なんですけど。こうも唐突だと、お礼を言われて喜ぶ以上に照れ臭くてかないませんって。もちろん、唐突でなくたってある程度は照れ臭いんでしょうけど。
「……じゃああの、今日も始めましょうか? 始めていいですか?」
「あはは、ごめんごめん。無駄話で進行の邪魔してたね。お礼なんか言っといて」
「いや、無駄話ってわけでもないんですけど――ああまあ、とにかく始めましょう」
そうして返事をするから話が続いてしまうわけで。ということで無理矢理に話を切り上げ、今日の料理教室を開始することになりました。
「ああそれと、最後の最後に家守さん」
「ん?」
「今の話、多分また高次さんの耳に届いちゃってると思いますけど、大丈夫ですか?」
「あ」
以前にも、そんなことがありました。今と同じく料理教室の時間、家守さんとしては僕と栞さんにだけ話したつもりだった惚気話が実は高次さんの耳に届いていて、恥ずかしさのあまりに少々取り乱してしまったのです。
それがどんな惚気話だったかというと、さっき栞さんが言っていた「柔らかいベッド」云々の例え話なんですけどね。
「……いや、でも今回は大丈夫。だと思う。そこまでデロデロなことは言ってないし。むしろ真面目な話だったし」
「真面目はともかく、何ですかデロデロって」
「料理しようよこーちゃん先生。お腹空いたよ」
「ああ、じゃあもうそうしますかね。というわけで今日は豚の生姜焼きです」
『いただきます』
「……高次さん。あのさ、台所の話が聞こえてたとか、そういうことってあったりなかったり?」
「質問文になってないぞ楓、落ち着け。あったけどさ」
「落とすの早いよ高次さん! そうだろうとは思ってたけど!」
「別に問題ないだろう? 自分でも言ってたでしょ、今回はデロデロしたこと言ってないって。俺もそう思うしさ」
「いやだからデロデロって何なんですか?」
「そうだけど、そうだけどいざとなるとやっぱりさあ。……うう、取り乱すこともできないとなると、胸がモヤモヤするばっかりだよ」
「だったら目の前の美味しい料理を味わえばいいじゃない。とまあ、この中で唯一料理に関わってない俺が言うのも何なんだけどさ」
「うーん……うん……美味しい」
「さすがは『料理は団欒を楽しんでこそ』がモットーな日向くんとそのお弟子さんの料理。逆説的に、団欒を楽しめるようになる力があるよね」
「そんな摩訶不思議な料理じゃないつもりですけどね。ああいや、でも美味しかったらそんな気分にもなるでしょうけど」
「でしょうでしょう。そんな味を教えてもらっちゃって、うちの妻がいつもお世話になっております」
「いえいえこちらこそ」
「それって結局、別人も同然な仮定なんじゃないですか?」
仕事に対するスタンスの一点だけで別人とまで言ってしまうと大袈裟のような気もしますが、しかし濁だけになった家守さん、まあイメージとしては普段からどんよりしている、というところでしょうか。そんな家守さんというのは、僕からすれば「別人」なのです。これまた酷い話かもしれませんが。
「まあ、ね。何かがちょっと違うだけでも『同じ人ではない』ってことになるだろうし、じゃあ楓と楓の仕事はってことになると、ちょっとどころの話じゃないし」
霊能者という仕事が普段のあのおちゃらけた調子に繋がっているということなら、僕にも頷ける話です。家守さんを語る時に一番大事なのは、いやらしさも交えたその部分でしょうしね。
ところで、ならばと気になることが。
「僕や高次さんだったらどんなところでしょうね? 変わったらちょっとどころじゃ済まない部分って」
一つもそういうものがない、ということはないでしょう。なかったら悲しいというだけの話、つまりは願望なんですけども。
「俺と日向くん……そうだなあ」
腕を組んで考える高次さんでしたが、しかしその割に答えはすぐ出てきたのでした。
「俺はやっぱり、実家が金持ちってところかなあ」
やっぱり、と言うからには、それについては考えるまでもなく思い付いていたのでしょう。となると、ちょっとだけ考える素振りを見せたのは、僕の「ちょっとどころな」な部分を考えてくれていたということになりましょうか。
まあそれはいいとして、
「いや、自慢とかそういうことじゃなく」
高次さん、そんな一言を付け加えるのでした。
「いやいや、思いませんよそんなふうには」
普段からそういうことを言っているならまだしも、雰囲気程度にすらそういうものを持ち合わせていない高次さんですし。むしろ、うっかりしてると実家がお金持ちだということを忘れてしまいそうです。
照れたように短く笑ってから、高次さんは続けます。
「もちろんそれでいい目もたくさん見たけど、それだけじゃないしねやっぱり。もし俺が普通の家庭に生まれてたら、良くも悪くも丸っきり別の人間に育ってたと思うよ」
「家守さんの話に比べると、ストレートで分かりやすいです」
「金の話だし、まあそうなるよねえ」
一般庶民からすれば「お金持ち」というのは羨ましい存在ですが、しかし実際にそうなったとして、ならば羨まれるばかりの生活が送れるかと言えば、そうではないのでしょう。いろいろ大変なんだろうと思います。具体的にどういうことがと言われると困りますが。
「とは言っても、金以外のところでもいろいろとね。ほら、うちの生業って霊能者でしょ?」
「ですね」
「ってことは、別の家に生まれてたら俺、間違いなく霊能者ですらなかったんだよね。となるともちろん、楓とも出会えないわけで」
「おお」
と、ついつい感嘆の声を漏らしてしまいましたが、なるほど確かにその通り。霊能者じゃなかったら、あまくに荘に住むことになるくらいでしか家守さんとは関われそうにないですし。街中でえらい美人を見付けたから声を掛けた、なんてのは除外するとして。
――しかし、そこで一つ気になることが。
「間違いなくってほどのことなんですか? 霊能者としての……素質? そういうものがあったら、万が一くらいでも霊能者になってておかしくないんじゃ」
すると高次さん、こちらの言葉を遮るようなタイミングではっはと笑います。
「素質ねえ。まるでなかったよ? 俺には」
「そうなんですか?」
「そう。霊能者の一族に生まれたからって、みんなそういう素質があるってわけじゃないしね。親から子に遺伝するようなものじゃないんだよ、これ」
「じゃあ、いま霊能者をやってるのは……」
「いま日向くんが言った『素質』にあたるものを、人為的に引っ張り出してもらったのさ。我が一族の秘術ってやつでね」
冗談っぽい口調と言い回しでしたが、しかし嘘ではないのでしょう。こういう場面で嘘をつくような人じゃない、というか、場面がどうのじゃなく嘘をつくような人じゃないですし。
「家守さんと高次さんの仕事を見てると、何が秘術で何がそうじゃないのかよく分からなくなってくるんですけど。正直、全部秘術だって言われても疑問を持たないと思いますよ?」
「はっは、面妖なことばっかやってるもんなあ、俺らの仕事って」
今でこそ当たり前にここで生活してますけど、幽霊がいるのはもちろん動物が喋ったりするんですもん。外から見たらえらいことです。まあその喋る動物さん達も幽霊なんで、見える人にしか見えないんですけど。
そういえばそうだったな、と高次さんの実家である四方院さんのお宅に泊まらせてもらった時のことを思い返しますが、考えてみればそりゃそうもなりますよね。あそこは霊能者一族の家であると同時に幽霊のみを対象とした旅館でもあるんですし、となると幽霊が見えなかったら仕事に差し支えが出ちゃいますもんね。
「とはいえ、お手伝いさんであれ何であれ、うちと関わった時点でもう『幽霊関連で何かあった』人達なのはほぼ確定なんだけどね。たとえそれまで幽霊が見えてなかった人であっても」
「ああ、聞きましたその話。大門さんから」
お風呂を借りてた時だっけ――というのはまあ重要でない情報なのですが、まあともかく大吾と一緒にお風呂を借りていた時。そこへ入ってきた大門さんから、同じような話を聞かされたのです。
一例として、木崎さんの背中に彫られた虎の刺青を指し示しながら。
「そういえば日向くん、料理長と仲良くなったんだっけ」
少々気を落としてしまうような思い出だったりするのですが、しかし高次さんは逆にほっこりとした笑顔なのでした。
料理長。そう、大門さんは、四方院さん宅に勤めている料理人の中で一番偉い人なのです。
「仲良くって言っても、料理の腕を試されただけなんですけどね」
僕にだってそういう気持ちが微塵もないというわけではないのですが、しかし何も知らない他人同士として出会っていたならともかく、それは料理を介しての出会いだったのです。立派な仕事として料理をしている人と趣味として料理をしている僕とじゃあ、恐れ多いってなもんですよやっぱり。
「でも、そこでプロから合格を貰っちゃうんだからなあ。駄目だったらあの日の食卓に日向くんの料理が出てくることはなかっただろうし――ああそうだ、思い付いた」
それはその日に大門さんからも言われていたとてつもなく嬉しい事実だったのですが、しかし高次さんはそこに頓着せず、何かを思い付いたとのこと。もっと掘り下げて欲しかったというのは我儘でしょうか、やっぱり。
「思い付いたって、何がですか?」
「日向くんの『変わったらちょっとどころじゃ済まない部分』だよ。もし料理ができなかったらいろいろ違っただろうなって」
「そうですかねえ?――あ、いや、そうですね考えてみたら。怖い怖い」
料理ができなくなったら自炊ができなくなるだけだろう、なんて一瞬考えてしまいましたが、とんでもございませんでした。
「ん? あれ、具体的にどう違ったかってのまでは考えてなかったんだけど、何か思い当たっちゃった感じ?」
思い当たらせてくれた当人から意外そうな顔を向けられてしまいましたが、しかしどうであれ思い当たった事実があることに変わりはありません。
「料理教室がなかったとしたら、栞さんと今ほどの仲にはなれてなかったかも……」
「おお、大問題じゃないの」
嬉しそうに言う高次さんなのでした。
栞さんと付き合うことになったことと料理教室に直接の関係があるわけではないですけど、しかし当たり前ながら、料理教室がなくなったら栞さんと会う機会は激減です。それで果たして今と同じ状況に辿り着けるかと言われたら、悩むところが。
しかしそうして悩んでいるうち、もっと酷い可能性を思い付いてしまったりも。
「自炊ができなかったら、そもそも独り暮らしをしてなかったかもしれません」
「あー、喜坂さんがどうのの前にここに住んでないってかあ」
「となったら自宅から通える大学を重点的に探すかもしれませんし、それでもし今とは別の大学を選んでたら」
「まるで別の学生生活だねえ。良い悪いは別として」
確かに良い悪いを比べることなんてできはしませんけど、今の生活を送れないというのは、凄まじくお断りしたいところです。たとえそこで別の友人や別の彼女を得、満足な毎日を送れたとしても。
「このあとすぐ料理するんですけど、その最中に余計なこといっぱい考えちゃいそうです」
「ああ、ごめんごめん。意地悪のつもりで言ったわけじゃあ」
「――いくら家守さんでも、そこまでテクニカルな意地悪はしないと思いますよ?」
「あれ、なんで楓の名前が? いや何を意識して言ったかっていったら楓だし、だからバッチリ正解なんだけど」
当たってましたか。
「ここの住人だったら家守さんを思い浮かべないほうが変ですよ多分」
「はっは、それもそうだ」
笑い飛ばしちゃいますか。
そうして笑い飛ばしたあと、急に高次さんは真面目な顔をこちらに向けてきました。驚くようなことではないのですが、しかしそれまでとの落差もあり、やっぱりちょっとだけ驚いてしまいました。
「ところで、日向くん」
「はい」
「今更だけど、とてつもなく話が逸れちゃったね」
「あ」
そうでした、もともとは栞さんの髪が伸びた(かもしれない)という内容の相談なのでした。真面目な顔をすべきは、むしろ僕のほうなんでしたっけ。というわけで、表面上だけでも真面目な顔に。内心では恥ずかしさが一杯で、真面目どころじゃないんですけどね。
そして僕がそうしたところ、高次さんは既にそれまでの穏やかな表情に戻っていました。
「それじゃあその、すいません、話を戻します」
「うん、どうぞ」
「髪が伸びること以外で、年を取り始めたのを見分ける方法ってないんですか?」
「ないねえ」
見事なまでに即答でした。もちろん本業の方ですからこれくらいの単純な質問にああだこうだと考えるような時間は取らなくて当たり前なのですが、しかしそれだけでなく、質問までに時間が掛かり過ぎたために何を訊かれるか予想を立てることができた、というようなこともあったのかもしれません。
「強いて言うなら、髪の伸びより爪の伸びのほうが目で見て分かりやすいってところかな。幽霊が年を取り始めるっていうのは、特殊なことは何もなく本当に年を取り始めるだけのことだから、それで目印になるような妙なことが起こったりはしないんだよ」
「そうなんですか」
まあ、そうじゃなかったらその目印になるものをとっくに家守さんから教えられていたことでしょう。何度か話してますしね、幽霊が年を取り始めることについては。
「喜坂さんのあの髪が染めたものだったら、伸びた分だけ黒い毛が覗いてくるからすぐ分かりそうなんだけどねえ」
「綺麗ですよね、あの茶色」
……と言ってから、高次さんが言いたかったのは間違いなくそこじゃないと思い当たりました。しかし思い当たったところで手遅れなのには変わりなく、ならばいっそ思い当たらないまま気持ちよく惚気てたほうがマシだったんじゃないかと思ったりも。
「だよねえ」
しかし、そこは高次さん。これが家守さんだったら確実にいろいろ言われていたところですが、その家守さんのいろいろを常日頃から受け止めている側となれば、さすがの心配りなのでした。
「でもまあ、そんなこと言ったらここの女性はみんな綺麗な髪なんだけどね。その内の一人と結婚までしてる俺としてはその一人を贔屓したいし、すべきなんだろうけど」
というのはもちろん、家守さんのこと。長くて艶やかな黒髪は、その長さにもかかわらず鬱陶しさというものがまるでなく、歩くのに合わせてさらさらと揺れる様からはむしろ清涼感すら。
「大吾に言わせたら、じゃあ成美さんの髪が一番なんですかねえ」
「だろうねえ。男から見てってだけじゃなく、女性陣の中でも一番人気っぽいし」
「ああ、そういえばそんな感じですよね」
こちらも家守さんと同様に長く――むしろ小さい時の身長と比べると長過ぎるくらいで、立っていても床にすれすれで届かないというほどの、白い髪。しかし一番の特徴はその長さでも白さでもなく、ところどころからぴよんぴよんと飛び出すようなその癖っ毛なのではないでしょうか。女性陣から人気だというのも、「触るとふわふわで気持ちいい」という意見を耳にするからですし。
「でも実際のところ、見た目がどうとかじゃなくて『好きな人の髪だから他より綺麗に見える』ってことなんだろうけどね。女性陣はともかく、俺らの場合は」
「まあ、そうですよねやっぱり」
それを抜きにしても栞さんの髪は綺麗ですよ、としつこく言い張りたい気持ちがないわけではないですが、しかしその「好きな人の髪だから」という理由がまるでないかと言われれば、もちろんそんなことはありません。ならばまあ異を唱えても仕方がないですし、そもそも高次さんだって、何も「本当は別に綺麗ってほどじゃない」とかそういうことを言ってるわけじゃないんですしね。
綺麗なものは綺麗なのです。その中でどれが一番かを決めるのに「好きな人だから」が関わってくる、とそういう話なのです。
「ところで日向くん」
「はい?」
「また逸れてるね、話」
「あ」
「というか、本題のほうはもう済んじゃってるのにね」
「そうですね、そういえば」
年を取り始めたことを手っ取り早く確認するような方法はない、とのことでした。栞さんの髪が染めたものだったらという話から、逆に栞さんの髪を別の色で染めてしまえば分かり易いんじゃないだろうかとも思いましたが、不確定なものを確認するためにそこまでするつもりはありません。
というわけで、再び真面目ぶった顔に。
「さて、じゃあそろそろ戻ろうか。向こうの二人も待ってると思うよ、先生のこと」
言いながら立ち上がる高次さん。真面目ぶった顔は、無駄なものに終わってしまいました。
さてそれで、閉じていたふすまを開け放って私室から居間へ移動するわけですが、
「結構長かったねえ。何の話だったの?――とは、訊かないでおくけどさ」
とは言いつつ、訊きたそうな雰囲気をその身に纏う家守さんでした。まあ、実際には訊かないというのなら、問題視するようなことでもないでしょう。何を話していたのか気になるっていうのは、気にするなというほうが無理な相談なんでしょうし。
「いやあ、殆どは雑談だったなあ。話が逸れてばっかりで」
「あら、そうだったんだ? それで、本題のほうはしっかり片付いたの?」
「まあ、ね」
そんな報告をされると微妙に恥ずかしいような気がしないでもないのですが、しかしそれはどうやら高次さんも同じようで、照れ笑いのようなものを浮かべていました。
その照れ笑いがこちらに向いたかと思うと、こう続けます。
「ご満足頂ける結果では、なかったと思うけど」
――というのは恐らく、年を取るようになったかどうかを手っ取り早く確かめるような方法はない、という結論のことを言っているのでしょう。確かにまあ、その方法があったとしたらそれが僕としては最善だったわけですけど、
「いやそんな、しっかり満足してますよ。疑問が解けて胸がすっきりしましたし」
半ば慌てて取り繕ったような言い方になってしまいましたが、「望むものがあるかどうか分からない」というのと、「望むものはないとはっきりしている」というのとでは、誰だって気分に差が出てくるものでしょう。別に高次さんのせいでそういう結果になったというわけでなし、感謝こそすれ不満を抱くなんてとてもとても。
「ふっふーん。いいだろう、うちの旦那は」
唐突に自慢げになる家守さん。まあしかしそれは冗談なんでしょうし、そうでなくとも特に異論があるわけでもありません。なのでここは、「そうですねえ」と軽ーい受け答えをしておきました。
「楓、そういう褒められ方はむしろ辛い」
「分かってて言ってるんだと思いますよ、高次さん」
言いながら、栞さんは笑顔。そんな意地悪をした家守さんも、もちろん笑顔。それに頷いた僕も笑顔。結局高次さんだけが「まあそうなんだろうねえ」と、ほろ苦い表情になってしまうのでした。自慢の旦那さんなのに。
それは少々気の毒で、かつこういう話になったのが自分の持ち掛けた相談のせいだということもあって、話を次へ移すことにしました。
「さて、じゃあそろそろ晩ご飯の準備に取り掛かりますよ二人とも」
「はい先生」
こちらの思惑を知ってか知らずか栞さんが乗ってくれ、ならば家守さんもそれに倣うということで、それ以上家守さんによる自慢の旦那虐めが繰り広げられることはありませんでした。
ただまあ、高次さんだって楽しんでる節はあるんでしょうけどね。じゃなかったらとても家守さんの旦那さんになろうとは思わないでしょうし。……いや、そうなったら家守さんのほうが合わせるのかな? はて、どうなんだろう。
そういうわけで場所は移り、台所。今日も今日とて先生です。
が、先生役に入り込むより先に、家守さんからこんな質問が。
「実際のとこさ、どうだった? 高次さん」
その笑みからはさっきまでの冗談っぽさが抜けていて、穏やかなものになっていました。
ところでその質問、相談相手としての高次さんがどうだったかを尋ねたものなのでしょうが、
「うーん、さっき高次さんも言ってましたけど、本題と関係のない雑談が長くなっちゃって……いやもちろん、相談して良かったとは思わされましたけど、細かく見てどうだっていうのは」
相談してもらっておいて、と考えると失礼ですらありそうな返事でしたが、しかし思ってもいない綺麗事を並べ立てるわけにもいかず。いや、それだって気配りの一つではあるんでしょうけど、そもそも自分がそういうことに向いているとは思えないのです。目が泳いでしまうとか、そんなことになったらもっと酷いことになりますし。
「キシシ、それでいいんだよ。そういう人だもん、高次さん」
「え?」
失礼どころかむしろ喜ばれて気が抜けてしまい、おかげで間の抜けた声を出してしまいましたが、
「楓さん、言ってましたもんね。高次さんのことを柔らかいベッドみたいだとかこんにゃくみたいだとか」
栞さんのその言葉で、家守さんの「そういう人だもん」の意味がなんとなくながら理解できました。
「あはは、こんにゃくのほうは半分冗談なんだけどね、もちろん。――こーちゃん今、細かく見てどうだっていうのがないって言ったよね? それがズバリ正解なんだよ。相手に細かいことを気にさせなくしちゃうんだよね、高次さんって」
ベッドやこんにゃくといった例え話と同じく、その話も以前に似たようなものを聞いた覚えがあります。ただし今回は、僕が自分でそれを体感したわけです。家守さんの惚気話でなく。
「と言ってももちろん高次さんだけじゃなくて、その相手の性格なんかも関わってはくるんだろうけど。まあアタシはこんなだから、高次さんと合わない人っていうのは想像で補完するしかないわけだけどね」
「少なくとも、ここにはいなさそうですもんね。高次さんに合わなそうな人って」
栞さんの言う通り、このあまくに荘にそういった人は見受けられません。ならば家守さんに限らず僕達だって、想像で補完するしかないのでしょう。たた、「アタシはこんなだから」という言い草や想像で補わなければならないとわざわざ口に出して言った辺り、僕達と家守さんではその程度が違うんでしょうけどね。
まあつまり、家守さんは高次さんに首ったけということです。自分が高次さんと合い過ぎるがため、そうでない人を「意識的に」想像で補完しなければならないほど。
「喜ばしいことに、そうなんだよね。……あはは、高次さんに限ったことじゃないんだけどさ」
「今この部屋だけ見ても、他じゃああんまりなさそうな状況ですもんねえ。男の子の部屋で毎晩料理を教えてもらう、なんて」
「そうしてもらうように頼んだ側としては、あんまりどうのこうの言えないけどね。――というわけで、お礼だけ。いつもありがとう、こーちゃん先生」
「ありがとう、孝一くん」
「いやいやそんな。お金を貰ってやってることですし」
というかその、高次さんの話だった筈なんですけど。こうも唐突だと、お礼を言われて喜ぶ以上に照れ臭くてかないませんって。もちろん、唐突でなくたってある程度は照れ臭いんでしょうけど。
「……じゃああの、今日も始めましょうか? 始めていいですか?」
「あはは、ごめんごめん。無駄話で進行の邪魔してたね。お礼なんか言っといて」
「いや、無駄話ってわけでもないんですけど――ああまあ、とにかく始めましょう」
そうして返事をするから話が続いてしまうわけで。ということで無理矢理に話を切り上げ、今日の料理教室を開始することになりました。
「ああそれと、最後の最後に家守さん」
「ん?」
「今の話、多分また高次さんの耳に届いちゃってると思いますけど、大丈夫ですか?」
「あ」
以前にも、そんなことがありました。今と同じく料理教室の時間、家守さんとしては僕と栞さんにだけ話したつもりだった惚気話が実は高次さんの耳に届いていて、恥ずかしさのあまりに少々取り乱してしまったのです。
それがどんな惚気話だったかというと、さっき栞さんが言っていた「柔らかいベッド」云々の例え話なんですけどね。
「……いや、でも今回は大丈夫。だと思う。そこまでデロデロなことは言ってないし。むしろ真面目な話だったし」
「真面目はともかく、何ですかデロデロって」
「料理しようよこーちゃん先生。お腹空いたよ」
「ああ、じゃあもうそうしますかね。というわけで今日は豚の生姜焼きです」
『いただきます』
「……高次さん。あのさ、台所の話が聞こえてたとか、そういうことってあったりなかったり?」
「質問文になってないぞ楓、落ち着け。あったけどさ」
「落とすの早いよ高次さん! そうだろうとは思ってたけど!」
「別に問題ないだろう? 自分でも言ってたでしょ、今回はデロデロしたこと言ってないって。俺もそう思うしさ」
「いやだからデロデロって何なんですか?」
「そうだけど、そうだけどいざとなるとやっぱりさあ。……うう、取り乱すこともできないとなると、胸がモヤモヤするばっかりだよ」
「だったら目の前の美味しい料理を味わえばいいじゃない。とまあ、この中で唯一料理に関わってない俺が言うのも何なんだけどさ」
「うーん……うん……美味しい」
「さすがは『料理は団欒を楽しんでこそ』がモットーな日向くんとそのお弟子さんの料理。逆説的に、団欒を楽しめるようになる力があるよね」
「そんな摩訶不思議な料理じゃないつもりですけどね。ああいや、でも美味しかったらそんな気分にもなるでしょうけど」
「でしょうでしょう。そんな味を教えてもらっちゃって、うちの妻がいつもお世話になっております」
「いえいえこちらこそ」
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