(有)妄想心霊屋敷

ここは小説(?)サイトです
心霊と銘打っていますが、
お気楽な内容ばかりなので気軽にどうぞ
ほぼ一日一更新中

新転地はお化け屋敷 第十六章 ちょっとそこまで 七

2008-07-21 21:09:37 | 新転地はお化け屋敷
「嬉しい事じゃな。のう婆さん?」
「ええ」
 表現としては短く、簡素。しかしそれは言葉だけを捉えた場合の感想で、
「あ、あの、婆殿?」
「……婆さん、何も泣かんでも」
「いいじゃないですか、嬉しい時くらいは」
 少なくとも僕からの距離では涙そのものが見えたわけじゃないけど、お婆さんは指で目元を拭っているのでした。
「今になって、誰かに親だと思ってもらえていたなんて。こんなに嬉しい事があった時くらいは泣いておかないと、勿体無いですよ」
「は。事ある毎に泣いとったくせに」
「誰かさんのおかげで、ね。これだけ年を取ってれば、一緒にいた時間も長いんですから」
 言われて、お爺さんは明らかに動揺し、そして気まずそうに沈黙。お婆さんの言い分に心当たりがあるって事なんだろうけど、でも微笑んだまま涙を流すというお婆さんの様子からして、良くない意味での「泣き」ではないんだろう。
 それを見て少しだけ、良くない意味で時々泣いてしまう、隣の赤いカチューシャの女性が気に掛かったりもしたけれど――今は、ね。そういう話をする場じゃないし。
「あの、爺殿婆殿」
 自分の話は置いといて、引き続き場に沿った話題に耳を傾ける。すると、ウェンズデーがそう呼び掛けながらソファからぺたんと飛び降り(と言って、自分の身長と同じくらいの高さがあるんだけど)、お爺さんお婆さんの前へ。テーブルの陰になって、僕の位置からだとちょっと見え辛い。
「何かしら、ペンギンさん」
 目にあてがう手を降ろし、視線も足元に降ろすお婆さん。
「その……だ、抱っこして欲しいであります。どちらにも、一度ずつ」
「ええ、喜んで」
 テーブルの陰から聞こえてきたのはためらいがちな声。まあ、恥ずかしいんだろう。だけど、そう思ったのは本人だけだと思う。
 ありがとうと頭を下げる。楽しいから笑う。照れて苦笑いをする。嬉しいから泣く。それらと同じで、これも「向かい合った人物に対して言葉以外でも感情を表現する」という行動に分類されるんだろう。
 この場合は「何々だから触れ合う」という事になるんだろうけど、「何々」に何が当て嵌まるかは、具体的には思い付かなかった。ただ、纏めて一つと言うなら、案が無いわけでもない。「好きだから」。――分解していけば様々な感情が込められているんだろうけど、それを一つ一つ挙げていくのはなんだか野暮なような気がしたので、「好き」の時点で止めておく。
「……くちばし、痛くないでありますか?」
「大丈夫ですよ」
 テーブルの陰からウェンズデーを抱え上げたお婆さんは、親が子を抱えたいわゆる抱っこの形ではなく、向かい合って抱き合う抱擁の形をとった。お婆さんの懐に顔をうずめ、くぐもった声で口の心配を口にするウェンズデーも、背中までは回らないものの精一杯に両の羽を横に伸ばしてお婆さんにしがみ付いていた。
「大好きであります婆殿。自分だけでなく、みんな」
「ありがとうペンギンさん。それに、他のみなさんも」
 見ているだけの僕からしてもはっきり分かるくらい、お婆さんの両腕がウェンズデーを抱き寄せる力はゆるゆるとしたものだった。それでもウェンズデーは思い切り抱き締められているかのように身体全体をしっかりとお婆さんに押し付け、その様子は、いつものちょっとだけ恥ずかしがり屋な面からすると意外な感じもしないではない。だけど僕が意外だと思おうがなんだろうがウェンズデーがそうしているのは事実で、だったらそれは、そういう事なんだろう。
 大好きという言葉が表すように、――いや、その言葉だけでは表し切れないくらいに、表し切れなくてそれを補うために抱き締めてもらうという選択をするくらいに、お爺さんお婆さんの事が。
「……それじゃ、そろそろお爺さんにも」
「はいであります」
「うーむ、こういうのはなんと言うか、気恥ずかしいのう」
 人形のように両脇を抱えられ、お婆さんの手からお爺さんの手へ受け渡されるウェンズデー。そしてさっきと同じように。
「……爺殿、ちょっと、苦しいかもであります」
 いや、そうでもなかったようで。
「すまんがペンギンさん、このままでいいじゃろうか。力加減が効かんわい」
「……はい、であります。でもあの、くちばしは」
 力加減以外は、ウェンズデーが気に掛けるところまで、さっきと同じ。
「……………」
 お爺さんは、返事をしなかった。ただ黙って、力強く、ウェンズデーを抱き締めていた。腕に込める力が強い分――ウェンズデーが喋れてるんだから深々と突き刺さるって程ではないだろうけど、くちばしの刺さり具合も強いんだろう。それでもお爺さんは腕を緩める仕草を見せず、ただ黙ってウェンズデーを抱き続けた。そして返事をもらえなかったウェンズデーも、同じ事を二度は言わなかった。
「大好きであります、爺殿」
「ああ、ありがとう」
 その短い遣り取りから少しの間を置いて、お爺さんの腕が緩み、ウェンズデーが身体を離す。お爺さんの膝の上に立っている形になるウェンズデーはその位置からお爺さん、そして隣のお婆さんに目を遣る。そしてお婆さんからにっこり首を傾げられると、それを見届けてから百八十度方向転換。ひょいと床へ飛び降りる。
 こちからからすればまたテーブルの陰に隠れてしまったウェンズデーは次に、
「ナタリー殿、お待たせしましたであります」
 隣の席、お爺さんから見て斜め前の席に、腰を……えー、まあいいか。腰を落ち着けるナタリーさんへ声を掛ける。――しかし当の本人は、
「え、あの」
 と、どうにも困惑気味。
 うーん。今ウェンズデーがした事を見た後だと、気後れしてしまう部分があったりするだろうか。そういう事だとしたら、分からないでもないような。
「それじゃあ……お爺さん、お婆さん」
 首の向きを上座の二人へ固定したナタリーさんは、それでもなんとか話し始める。
「私も大好きです。それに、動物園に行ったみんなも。これからもずっと」
 自分の席へ歩み寄ったウェンズデーが大吾に抱えられてぽすんと腰を降ろすとほぼ同時に、ナタリーさんはそう言った。これまで通り、真っ直ぐに相手を見詰めて。
 お爺さんとお婆さんは「ああ」「ええ」とそれぞれ頷き、その顔が上がると、お婆さんはまた目に指をあてがう。それに対してお爺さん、今度は何も言わなかった。
 ――子どもの代わり。
 僕達だってウェンズデーと仲が良いと言っていいだろうし、ナタリーさんも来たばかりとは言えそれなりに溶け込めている様子だ。だけど僕達は、今ここでウェンズデーやナタリーさんにたった今お爺さんお婆さんに言ったのと同じ事を言われても、嬉しいとは思うだろうけど泣き出しまではしないだろう。それどころか、照れ隠しで笑い出したりするのかもしれない。
 その辺りの差は、お爺さんお婆さんがもう「あっち」の人だという事だとか、やっぱり無い事はないであろう親愛感情の深さの差だとか、子ども代わり親代わりだといった事が表面に表れたという事なんだろう。言うまでもない事なんだけど。
 でも、その「言うまでもないくらいに自明である差」のうちの一つは。
「親代わり子代わり」という話は、言うまでもあろうがなかろうが、意識せざるを得ない。
 なぜなら、幽霊は子どもを。
 そして僕は、隣に座る幽霊さんの事を。
 ――以前に話し合った事があるとは言え、今の時点でこんな事を考えてしまうのはやっぱり間違っているだろうか。……と、こう考える時点で間違ってるんだろう。
 隣の女性に目を遣る。この状況なので当然お爺さんお婆さんとナタリーさんのほうへ意識が集中していて、隣とは言えその逆方向に位置する僕の事は、見ていないどころか視線にすら気付かない。
 でも、それで良かった。見られたからって頭の中を覗かれるわけじゃない。だけど、それでもこんな事を考えているところへ目を向けられたりしたら、恥ずかしさと申し訳無さで縮こまってしまうのが目に見えていたからだ。
 それならぐだぐだ考えるのは止めにしよう、と栞さんから奥の二人へ視線を移すと、その時丁度お婆さんが涙を拭う手を下ろしているところだった。
「えー、霊能者のお嬢さん」
「あ、はい。何ですか?」
 お婆さんが落ち着いた(と言っても取り乱して泣いてたわけじゃないけど)のを確認し、お爺さんが家守さんへ声を掛けた。
 家守さんは確か、「四捨五入で二十と言えない年齢」。お嬢さん。――まあ、いいんだけどね。今更でもあるし。
「あとどれくらいですかな、時間のほうは」
「……ああ、えーと」
 思っていたよりもあっさりとした口調で、その質問は出てきた。そりゃあ時間制限付きでここにいる以上、その時間が迫ってくればこんなふうな応答が出てくるのは容易に想像できる。そしてさっきウェンズデーとナタリーさんがしたみたいな話になれば、クライマックスと言うかなんと言うか、残った時間が気になってしまうのもなんとなく分かる。
 だけど僕の中でのその遣り取りは、もうちょっと名残惜しそうと言うかなんと言うか、とにかくアンニュイさが漂う感じに仕立て上げられていたわけなんだけども。
 でもまあ、とにかく話の内容自体は同じ。時間を訊かれた家守さんは、さっき見たばかりの腕時計をもう一度見る。今度はちらりとではなく、はっきりとした動きで。
「あと二十二分です」
 ……どうやらもう、あまくに荘に戻る時間は無いようだった。いや、元々そのつもりだったんだろうか? どちらにしても、あと二十二分。
「時間を過ぎるとお嬢さんが怒られてしまうんでしたか。なら、もう少しだけゆっくりしたら帰るとしましょうかな。それでええじゃろ? 婆さん」
「そうですね。時間に追われて慌ただしく帰るよりは、そっちのほうがいいかもしれませんね」
「格好がつかんからのう。かっはっは」
 お爺さんは咳き込むように笑い、お婆さんがそれに続いてくすくすと。
 お爺さんの言いたい事は、まあ分かる。だけどここは釣られて微笑む場面なのかそれとも自重しておく場面なのか、判断が難しかった。
「……はて、じゃあどうするかな」
 周りのみんなも同じような心境なのか、清さん以外はやや緊張を帯びたような表情でいる。まあ、清さんも笑ってるってわけじゃあないんだろうけど。しかしとにかくそんな中、お爺さんがぽつりとそう漏らし、顎へ手を当てて考え込む。
 暫しの間そのまま顎を撫で続け、ある瞬間にふとその手を放すと、
「こんなぼろぼろの家ですが、一通り案内でもしてみましょうか?」
 僕達「お客さん」を見渡しながら、そんな提案を持ち掛けてきた。
「あ、それ、自分は行きたいであります」
 真っ先に返事をするのはウェンズデー。
「そんじゃあ決定だね。という事なので、宜しくお願いします山村さん」
 二番手ながら早くも決を取るのは家守さん。と言って反対する人もまずいないだろうし、それでいいんだけどね。
「こちらこそ、宜しくお願いします」
 頭を下げる家守さんにお爺さんが頭を下げ返し、それに対して更に僕達が頭を下げる。そんなお辞儀の往復が済むと、お爺さんがゆっくりと膝に手をつきながら立ち上がる。
「さ、皆さん。今日一日のお礼――になるとは思いませんが、よければどうぞ、ご一緒に」
 当然のように、それに応じて立ち上がるのは部屋内の全員なのでした。


 もう残った時間が少ない。そしてだからこその、お爺さんの提案。
 お爺さんお婆さんはどんな心境なんだろうとか、ウェンズデーとその中にいる他のみんな、そしてナタリーさんはどうだろうかとか、あとこういう場面に何度も立ち会っているであろう家守さんについても。一階部分の案内で風呂場だとか、前に入った書斎だとか、一部屋丸々使ったキッチンだとか、お爺さんお婆さんの寝室だとか、他にもなんだかよく分からない倉庫のような部屋(お婆さんによると、済んでいた頃に比べて随分と物が減っていたらしい。お爺さんは「そうか?」なんて言いながらとぼけた表情だったけど)なんかを見せ回ってもらいながら、僕はそんな事を考えていた。
 本人でない以上はいくら考えたって正解に辿り着く事はないんだろうけど、自分だったらどうか、と想像する事ぐらいはできる。
 もし僕がお爺さんお婆さんなら、もうすぐここを離れなければならないという事で寂しくなるだろう。でも、当のお爺さんお婆さんは涼しい顔。
 もし僕がウェンズデーやナタリーさんなら、大好きとまで言ってのけられるような人ともうすぐお別れしなきゃならないんだから、心苦しくなるだろう。でも、相変わらず読み難いナタリーさんはともかく、ウェンズデーはやっぱり涼しい顔。
 もし僕が家守さんなら。……これにいたっては、そもそも霊能者という立場に自分を置く事ができない。
 ――というわけで、僕の想像と現実の人物の反応はまるで食い違っていた。だから余計に考え込んでしまうんだけど、そろそろ止めておく事に。
 その「そろそろ」というのがどれくらいなのかと言うと、客間のあった側である玄関から見て右側に当たる部分を見て回り、そして次に玄関正面の階段を遣り過ごして左側。そちらも回ったらまた玄関まで戻ってきて―――――と。つまり一階全部を回り終わり、行き先が明らかに二階に向かうまでの間。
 我ながら、結構な間無駄に悩んでたなあ。と言ってその間ずっとうんうん唸ってたわけじゃなくて、キッチンに入った時はかなり興味をそそられたけど。あれだけ広いって事は、何人か掛かりで食事の準備したりしてたのかなあ。住み込みのお手伝いさんの分も作らなきゃならないだろうし。
「じゃあ、二階に行ってみますかな。庭も一通り見渡せますし」
 思い返してぶり返して。またも無駄な時間を使いそうになったところへ、お爺さんが片足を階段の一段目に掛けながら振り返る。
「と言っても、草ぼうぼうでただの原っぱでしょうがな。はっはっは」
 若いなあ、お爺さん。お婆さんは……階段、大丈夫なんでしょうか? 荒れ放題とは言え、階段自体は大丈夫そうですけど。
「ご機嫌なのは結構ですけど、少しゆっくり歩いてくれませんかねえ。自分の年に自覚を持ってくださいな」
 ああ、残念な事に予想通り。上れないというわけではなさそうだけど、手擦りへ掛けた手に力が入ってそうなところを見るに辛そうな感じ。
 でも、それにしてはこの階段って結構急だよねえ。こう言っちゃなんだけど、お年寄り二人で住んでた家なんだし……。
「なんじゃ、手でも牽いてやろうか?」
「結構です。ゆっくりでいいのなら、まだまだこのくらいは」
「かっ。年の自覚がないのはどっちなんじゃろうな」
 ……なんとなーく階段がただの階段のままである理由が分かったような、はてその時。
「あ、オレでよければ、背中貸しますけど」
 いつも背中に彼女を背負っている赤タンクトップのツンツン頭が、どことなーく気まずい空気になってしまいそうな気がしないでもない申し出を。
 良い行いって言ったらまあ良い行いなんだけどさ、そういう扱いを嫌ってるっていうのが今の話なんじゃあ。
「あ、え、でも、重いですよ?」
「人をおぶるのには慣れてるんで、大丈夫です」
 困惑を隠せない、と言うよりは突然の事に隠すという発想に至れなかったというような慌てぶりのお婆さん。しかし大吾はそれすら構わず、あくまで好青年モードなのでした。まあ、基本的にはそういうやつなんだろうけどさあ。
「じゃあ……お願いします」
「はい」
 何かを諦めたような口ぶりのお婆さんと、それでもやっぱり構わない大吾。お婆さんの思考が僕の想像通りならちょっと気の毒な気もするけど、階段を上るのが辛そうなのは確かだし、どうなんだろう。
「じゃ、どうぞ」
 階段の三段目くらいから一段目まで降りてきたお婆さんへ、大吾が背を向ける。そこが成美さんのお気に入りであることを考えれば、乗り心地はかなり良いんだろう。体格いいし。
「どうもすいませんねえ、お手数掛けちゃって。それじゃあ」
「悪いのう、お兄ちゃん」
「いえ、これくらいはなんて事ないです」
 それでも人一人担いで階段と言うと、やっぱりそれなりにキツそうな――と思ったら、すいすいと上っていくお爺さんのすぐ後ろをぴったりとついていく。どうやら「なんて事ない」というのは気遣いでも強がりでもなんでもなく、本当の事らしい。うーむ、僕が貧弱なだけなのかな?
「あの、すいません」
 ちょっとだけ大吾の体格が羨ましくなったりなんだりしていると、足元から声。足元という事は、その声が誰のものなのかは言うまでもなく。
「その、私もどなたかに上まで送ってもらいたいんですけど……」
「あ、自分もであります」
 そりゃそうなるよね。
「じゃあ僕が。多分、両方いっぺんでも大丈夫だと思うけど」
 体格はどうにもならないけどせめて行動だけでも模倣させてもらおうと、進んで名乗り出てみる。我ながら浅ましい感情ですけどね。否定できませんけどね。
「あ、ありがとうございます。じゃあ、私は首にもたれ掛からせてもらって」
「となると、自分は抱っこかおんぶになるでありますか?」
 首から蛇をぶら下げてペンギンを抱きかかえるか背負うかしている僕。思い描いた絵はなんとも異様な様になっていたけど、まあ自分で言い出した以上は。
「抱っこのほうが楽そうかな、僕としては」
「じゃあそっちでお願いしますであります」
 という事で、マフラーでもするみたいな格好でナタリーさんには首を預け、ウェンズデーを抱きかかえる。うん、やっぱりそんなには重くないね。
 というわけで、いざ階段。

「テレビで蛇を首に掛けたりして『おおっ』ってなってるのって良くあるけど、こうして見ると大した事でもなさそうだねえ」
「え、そんなのがあるんですか? その人と仲が良いなら、別に不思議な事でもなんでもないじゃないですか」
「あはは、まあそうなんだけどね。人間って臆病だねえ」
「じゃあ家守殿、ペンギンを抱っこした場合も『おおっ』ってなるでありますか?」
「いや、ならないと思うよ」
「そうでありますか……」

 上っている途中でそんな遣り取りがあったりしつつ、そして何故だかしぼんだ様子のウェンズデーもまあいいとしつつ、二階に到着。一階に比べればましなような気もするけど、やっぱりここも荒れていた。そりゃまあ、そうなんだろうけどね。
 首と腕を貸していた二人を床に降ろして周囲の様子を窺ってみると、
「まあ、構造は一階と同じですわい」
 そんなお爺さんの説明どおり、またも左右に廊下が続いていた。まあ、屋敷の外観から考えればそりゃそうなんですけどね。
 強いて一階と違う所を挙げるとすれば、玄関があった所には部屋も何もなく、代わりに大きな窓がある事だろうか。逆に言えば窓しかないので、随分と広いスペースがぽっかり存在している事になる。そのおかげか、一階よりはかなり明るかった。
 ……にしても、ここのスペースだけでもあまくに荘一部屋の半分以上は……いや、止めとこう。
「二階は住み込みのお手伝いさん達に使ってもらっていた部屋が主ですねえ。あと空いた部屋には、部屋内でも大丈夫な動物をおいていました」
「というわけで、二階は今回ってももう何もないでしょうな。時間の事もありますし、紹介だけにさせていただきますわい」
 確かに人であれ動物であれ、誰かがいただけの部屋となると今はもう何もかも取り払われているんだろう。まさかお手伝いさん達だって荷物を置いたまま引っ越したわけじゃないだろうしね。
 そういうわけで、お爺さんの案に意見する人は誰もいない。じゃあその節約した時間を利用して何をするかと言うと、
「そこの窓から表の庭は見渡せますが――そちらはもう、ここに来た時にご覧になられましたかな。裏庭の方を見てみましょうか」
 この見学会はどちらかと言うと僕達が見て回るためではなく、お爺さんお婆さんが懐かしむためにやっている事だ。と思う。あくまで「どちらかと言うと」だけど。
 だから僕達がもう見たとかじゃなくてお爺さんお婆さんのしたいようにしてもらっても全然構わないんだけど……まあ、気を掛けてもらって悪い気がするわけでもないしね。
 と思ったら、
「私達が今日、まだ裏庭を見てないだけなんですけどね。うふふ」
 そういう事らしい。そっか、ここに来て真っ直ぐ屋敷内に入ったんならそりゃあね。
「はは、まあ、そういう事ですな。それではこちらへどうぞ」
 少しだけ照れ臭そうに小さく笑い、お爺さんが階段から見て左手の廊下へ進む。どこへ進むのかと思いきや、一つめの部屋のドアに手を掛けた。つまりどこでもいいから部屋の窓から裏庭を見てみよう、という事だろうか。階段の途中にも窓はあったけど、床から随分離れた高い位置にあったから外を眺めるにはちょっと辛そうだったし。
 そうして通された「誰かがいた部屋」は、ものの見事に何も無かった。
「わたしの部屋以上だな……」
 という声が後ろから聞こえてくるほど、圧倒的に何も無かった。自分の部屋を空き家の一室と比べられるってのも凄い話なんですけどね。
「立つ鳥後を濁さず、か。良い事じゃわい」
「その割には、下の部屋の物は随分残ってましたけどねえ?」
「その辺は気遣いなんじゃないかのう」
「ですかねえ、やっぱり」
「まあ、何かしら持っていって使ってもらっても全く構わんかったんじゃがな」
「と言っても年寄りの趣味ですからねえ。若い人にはどうなのかしら」
「かはは、それもそうじゃな」
 何も無い部屋の割に、お爺さんとお婆さんの感慨は結構ある模様。その会話からしてここはどうやらお手伝いさんの部屋だったらしく、そしてどうやらお爺さんお婆さんはお手伝いさんに対して、仕事の関係というだけではない種類の信頼もあるようだった。
 そう言えば、お手伝いさんもみんな良い人だった、とか誰かから聞いた気がするなあ。誰だっけ? ……フライデーさん? まあ、みんなの総意なんだろうから誰から聞いたとしても同じ事なんだけどね。
 とここで、「大吾殿、抱っこして欲しいであります」との声。
「あん? なんでだよ?」
「……自分の身長では窓から外が見えないであります」
 あ、そうそう。一瞬忘れかけたけど、元々そのためにこの部屋に入ったんでした。
「あの、じゃあ、私もお願いできますか?」
「まあいいけど」
 というわけでさっき僕から降りたばかりのお二方は、それと同じ格好で今度は大吾にしがみ付く。そして全員並ぶは、窓の前。
「うーむ、外を眺める機会があるなら屋上に行けるようにでもすれば良かったかのう?」
「後から付け足せるものじゃないでしょう、それは」
 草の伸び具合がとてつもないとは言え、見慣れているからだろう。お爺さんとお婆さんはそんなふうに笑い合っていた。だけど以前来た事があるみんなはともかく、僕はじっくり裏庭を眺めるのは初めてだったので、
「広っ」
 思わずそんな実直に過ぎる感想が口から漏れたのでした。
 初めてここへ来た時、表庭から辺りをちょっと眺めただけで今と同じような印象を持ったけど、それどころじゃない。ぱっと見た感じその表庭があと二つくらい収まりそうなスペースが、そこには悠然と広がっていた。――いや、草の自己主張が激し過ぎて、悠然っていう佇まいでもないかもしれないけど。
「部屋と同じですよ」
 窓の外から声がしたほうへ顔を向けてみると、その声は僕の幼稚な発言に対する返事だったらしく、お婆さんがこちらを向いてにこにことしていた。
 ちなみに、お婆さん以外のみんなも、大吾以外はこっちを向いていた。注目の素になった発言が発言なので、やや居た堪れなくなる。あう。


コメントを投稿