(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第十六章 ちょっとそこまで 八

2008-07-26 20:56:43 | 新転地はお化け屋敷
「無駄に沢山作って使い道に困った部屋と同じで、この広過ぎる庭も使い道に困ったものだったんですよ。この人、この家を建てる時に何の考えも無しだったんですから。注文を受けた建築家の人も変に思ったんじゃないかしらねえ?」
「今更愚痴る事でもないじゃろうが……」
 僕の反対側に立っているお爺さんの方を見ずにやれやれと頬に手を当てるお婆さん。そしてその向こう側から渋い顔のお爺さん。無計画っていうのはさすがにちょっとアレだけど、でもなんて言うか、自分にそれができるならやっぱりやってみたいですよね。大きい家とか庭とか。
 できないからこその憧れ補正なんてものもあるのかもしれないけど、なんとなくお爺さんには共感を覚える。さてそれは僕だけだったのかと言うと、
「アタシも昔は憧れましたよ、こういう立派なお屋敷に広い庭って。……まあ、現実はご覧になった通りの有様ですけどね」
 我等が管理人さんも同じ意見なようで。でも、どことなく悲しい気分になるのは気のせいでしょうか。家守さん、僕達その「有様」に住ませてもらってるんですけど。
「うーん、でもこのお屋敷とあまくに荘って、似てると思いますよ?」
 とそこへ、栞さんが物申す。ただし、それだけでは首を捻らざるを得ない内容だった。当然家守さんも「似てる?」と返しながら怪訝な表情。はて?
「一つ一つの部屋はちょっと小さいかもしれないですけど建物全体で見たら普通の家より大きいですし、二階建てだし、表庭と裏庭もあるし、人と動物がたくさん住んでるのもそうだし、あと部屋が余っちゃってるのも」
 なるほど言われてみれば共通点は多い。だけど栞さん、
「と言っても、まあ、規模が全然違うんですけどね」
 そうは言いますが、実はそこが一番の問題だったりするんじゃないでしょうか。
「あのー、ちょっといいですか?」
 そこへ割り込む大吾の声。しかし普段とは違うその口調からして、栞さんに突っ込みを入れるつもりじゃあないんだろう。
「おお、なんですかな」
 話し掛けられたお爺さんも、少々虚を突かれたような面持ち。そりゃそうだ。
「あれ、あの建物って何なんですかね」
 栞さんに突っ込みを入れるどころか、まるで話題そのものを無視しているかのように窓の外を指差す。なんとまあこの男は。
 でもまあそれは置いといて、確かにその建物はあるわけです。裏庭の端――に、なるのかな? 地面から生えているものが草から木に変わる境目の辺りに、それほど大きいというわけでもない立方体に近いような建造物が。
「ああ、あれは――」
「あれは、自分がお世話になっていた場所であります。あの中はとても涼しかったであります」
「あ、そうなのか」
 お爺さんが答える上から、大吾に抱きかかえられたウェンズデーが覆い被さる。その口調は、話せる事自体が嬉しいとでも言わんばかりに高揚していた。そして更に両羽をぱたぱたと上下させながら言うには、
「自分以外のペンギンも少しだけいて、あそこにみんなで暮らしていたのは、とても楽しかったであります。滑り台なんかもあったであります」
 今は当然あの建物の中は涼しくも何ともないし、他のペンギン達もとっくにいない。だけどあの建物があそこにあるだけで、ウェンズデーは嬉しそうにしている。そういうのっていいよね、やっぱり。
 と、何の捻りもない極々一般的な論を頭に浮かべたところで、ふと思う。まだまだ先の話とは言え僕だって大学を卒業すればあまくに荘を出る事になるわけで、ならその時、僕はウェンズデーのように思い出に浸れるだろうか? と。
「ん? どうしたの孝一くん、急に無表情になってるよ?」
「あ、いえいえ」
 ――多分、大丈夫だろう。
「んじゃ、ナタリーはどの辺にいたんだ?」
「え、あ、私ですか?」
  大吾の首からだらんとぶら下がっていたナタリーさんが、頭付近だけをくいと持ち上げ、下から大吾の顔を覗き込む。なかなか真似できないアングルだなあなんて思ったりもしますが、もしかしたら成美さんだったら可能だったりするのかもしれない。まあどうでもいい――いや興味はあるんですけど、どうでもいい事にしておかないと成美さんにどやされそうで。
「私は……この部屋かどうかは分からないですけど、多分ここと同じ形の部屋だと思います。――で、合ってるでしょうか? お婆さん」
 ナタリーさんが再び首の向きを変えると、それに向き合うお婆さんの表情が緩む。
「ええ、そうだったですねえ。この部屋はお手伝いさんに使ってもらってた部屋だけど、蛇の部屋も二階でしたよ、確かに」
「まあ、動物園から帰ってきてからは一通り全部の部屋を使わせてもらったんですけど」
 ウェンズデーほどはっきりとではないけど、やっぱりナタリーさんも嬉しそうだった。そしてお婆さんも。
 そのお互いに機嫌を良くしている様子を見て、さっきの「極々一般的な意見」をもうちょっと進展させてみる。僕があまくに荘の思い出に浸るというなら、逆にあまくに荘のみんなも僕の事を思い出してくれたらいいなあ――なんて、文にするとちょっと気恥ずかしいポエムみたいになっちゃうけどね。
 なんて考えているところへ、お爺さんが動いた。それまで窓の側へ向けていた身体を反転させて大吾のほうへ身体を向けると、
「いやいや、ペンギンさんに蛇さん。こんなボロ屋で楽しんでいただけたようで何よりですわい。……それで、霊能者のお嬢さん」
 始めはウェンズデーとナタリーさん、それにお婆さんと同じく嬉しそうに。そして後にはちょっとだけトーンを落として。家守さんに何の用があるのかは、皆まで言わなくたってだれにでも分かっただろう。
「そうですね。そろそろ……」
 一人が嬉しそうにすれば続く人達も嬉しそうにし、一人が寂しそうにすれば続く人も寂しそうになる。そしてそれらは話している人だけに限らず部屋内の全員、ひいては部屋そのものの空気にも伝播して、つまりなんと言うか、こっちまで寂しくなってきますね。
「大吾殿」
「ん?」
「降ろして欲しいであります」
「……おう」
 ウェンズデーは不自然なくらいに冷静な声だった。いや、それは正しく不自然なんだろう。僕達にとっても、ウェンズデー本人にとっても。
 大吾が腰を降ろしてウェンズデーを床に降ろすと、同時にナタリーさんもするりと首から流れ降りた。それを見届け、更にもう少しだけ時間を置いてから、大吾がゆっくり立ち上がる。すると、
「……あの、ありがとうございました」
「ん? おう」
 随分と目線の高さに差がついた大吾を見上げてお礼を言うナタリーさん。その声からは、平静だったウェンズデーと違ってどこか消沈したような印象を受けた。こちらのほうが自然と言えば自然なんだけど、それでもどこか間と言うか、含むようなところがある様子。……気のせいかも、しれないけどね。
「婆殿」「お爺さん」
 ウェンズデーとナタリーさんの声が重なる。二人同時にお爺さんとお婆さんを呼び、
「あ」「あ」
 二人同時にお互いを見遣って動きが止まる。
「えっと、お先にどうぞ、ウェンズデーさん」
「ああ、ありがとうでありますナタリー殿」
 こういう時は先に動いた者勝ち。という事で、先に動いたナタリーさんが主導権を得、ウェンズデーに先を譲る。……勝ち? まあ、主導権をどう使うかは本人の自由だしね。だって主導する権利なんだし。
 というわけで、窓際の集団から抜け出し、改めてお爺さんお婆さんを正面に捉えたウェンズデーは、両羽を一度だけゆっくりと上下させる。深呼吸をしたのかもしれない。
「え、ええぇえと、……んんっ! ……爺殿、婆殿」
 震え過ぎる声を咳払いでなんとか正し、お爺さんお婆さんに呼び掛ける。もちろんそれ以前からお爺さんお婆さんはウェンズデーに優しい目を向けているわけで、そしてただその目をもってのみ、ウェンズデーへの返事としていた。
「短い時間では、短い時間ではありましたが、今日はとても楽しかったし、嬉しかったであります。もちろん自分以外のみんなも、自分の中で同じ気持ちであります。子どもの代わりだと思ってもらえていた事なんて、もうあの、その、とにかくたくさん嬉しかったであります」
 とここで、話に一拍間が入る。今言った台詞が恥ずかしかったのか、それともこれから言う台詞にためらいがあるのか、はたまた緊張で息が苦しくなっただけなのかは分からないけど、とにかく何らかの意味を込めて一拍。
 その間にふとナタリーさんへ目を向けてみると、やっぱりいつものようにじっとお爺さんお婆さんを見上げているのでした。
「これでまたお別れだと思うとやっぱり寂しいでありますが……わがままを言うなら行って欲しくないとも思うでありますが、でもやっぱりわがままなので止めておくであります」
 僕がナタリーさんの側へ向いている間に、話が再開。するとその時、再びウェンズデーの側へ向けかけた視界の隅で、ナタリーさんが首の向きを変え始めた。ような気がした。
「爺殿、婆殿、今日はこっちに来てくれて、本当にありがとうございましたであります」
「いえいえ」
「こっちこそ、呼んでもらった礼を言わなくてはのう。ペンギンさんも蛇さんも、ありがとう」
 話が終わる。本当に最後の、触れ合いが終わる。
 一度あっちに戻ってしまえば、確か次にまたここへ来られるのは最低でも一年後。その一年間、どうあっても思い出す機会があるであろう別れの挨拶が、これで終わってしまった。それはやっぱり寂しい事なはずで、ウェンズデー自身もそう言っていた。だけど、それでもウェンズデーはしっかりと胸を張り、しっかりと通る真っ直ぐな声で、お爺さんお婆さんに最後の挨拶をした。それは多分、褒められて然るべき態度なんだろう。
 話が終わる。本当に最後の、触れ合いが終わる。
 一度あっちに戻ってしまえば、確か次にまたここへ来られるのは最低でも一年後。その一年間、どうあっても思い出す機会があるであろう別れの挨拶が、これで終わってしまった。それはやっぱり寂しい事なはずで、ウェンズデー自身もそう言っていた。だけど、それでもウェンズデーはしっかりと胸を張り、しっかりと通る真っ直ぐな声で、お爺さんお婆さんに最後の挨拶をした。それは多分、褒められて然るべき態度なんだろう。
 口調はともかく普段の仕草なんかから子どもっぽいと思ってるところがあったのは否定できないけど、これはちょっと認識を改めるべきなのかもしれない。
「ナタリー殿、お待たせしましたであります」
 ぺたんぺたんと窓際に戻るウェンズデーからは、いつもの可愛らしさに加えて勇ましさすら感じられるのでした。
 ――しかし、そんなところへ。
「ナタリー殿?」
 困惑したようなウェンズデーの声に、ナタリーさんへ目を移してみる。
「……………」
 ナタリーさんは、いつにも増して動きを見せなかった。返事すらをもしなかった。さっきウェンズデーが立っていた、しかし今は誰もいない方向に首を向けたまま、まるで立ったまま意識を失っているかのようにぴくりともしない。いやまさか、そんな事はないと思うけど。
「蛇さん、どうかしましたか?」
 さすがに心配になったらしく――と言って、それは部屋の全員なんだろうけど――お婆さんが声を掛ける。するとナタリーさんはほんの少しだけ動きを見せた。しかしそれは返事を返すだとか言った具体的なものではなく、僅かに頭を下げただけ。しかもお婆さんの言葉に頷くという感じではなく、言ってみれば、怒られている最中の子どもの視線がだんだん下がっていくというような、そんな感じ。
「ナタリー殿?」
 もう一度ウェンズデーが呼び掛ける。と、
「私……」
 ようやく口を開いてくれた。
「私、どうしたら……」
 でもそれは、うわ言たわ言の様相。誰に言ったのでもなく、ただ口が開いて言葉が無意味に漏れただけ、と言ったところだろうか。もちろん、それがちゃんと文章になっている以上は何かしらあるんだろうけど。
「ナタリー殿、どうしたでありますか?」
 言いながらウェンズデーが歩み寄り、ナタリーさんの肩の辺り(そんなものはないんだけど、まあ頭の位置から考えてその辺かと)に手を掛ける(これまた手じゃなくて正確には翼なんだけど)。そんな動作としては簡単な割に説明が難しい動きがあり、そしてナタリーさんは――
「――っ!」
 短い、しかし短過ぎて果たしてそれが本当にあったかどうか疑わしくなるような悲鳴らしきものを上げて、びくりとウェンズデーに顔を向けた。その動きはまるで、暗い所で背後から急に声を掛けられたかのような。
 そんな反応をされては、驚くのはむしろウェンズデーだった。
「あ、え、あのその」
 触れた翼を慌てて引っ込め、しどろもどろ。そしてナタリーさんは、そんな彼から目を逸らさない。
「……ウェンズデーさん」
 そしてやはり目を逸らさないまま、ほんの少しの間を置いて呼び掛ける。緩やかでか細い、自分に自信が持てていないような、そんな声で。
「はは、はいであります」
「あなたが、羨ましいです」
「え? あの、それはどういう」
 困惑するウェンズデー。だけどナタリーさんはその困惑の素を明らかにする事無く、向けられた言葉と眼差しを無視する形で、前へ進み出た。さっきウェンズデーがお爺さんお婆さんに話をした時と、同じ位置へ。
「お爺さん、お婆さん」
「おう」
「ええ」
「また機会があったら、会いに来てもらってもいいですか?」
 どういう返事が返ってくるかは、分かっていたと思う。分からなくて「どう答えるだろうか」と冷や汗を流したような人は、ナタリーさん以外でも恐らく一人としていなかっただろう。
「その日を楽しみにしてますね。――あっちでも、お元気で」
「次に会えるまでの期間が長いとは言え、距離的には大した事ないからのう。それを考えればまあ、少しは寂しさも紛れるかも、じゃな」
「そうですね。――蛇さん、ペンギンさん、それにみなさん。どうぞお元気で」
 距離的に大した事がないというのは、家守さんの送り迎えがあっと言う間に終わるという事を指しているんだろう。基本的には「あっち」と「こっち」で行き来できない事を考えれば、距離どうこうが全く関係無いのは疑う余地もない。
 だけど、それでも今においては、そんなお爺さんの言い分を受け入れるほうが正解なんだろう。「ちょっとそこまで」程度の距離を帰っていくお爺さんとお婆さんを、その程度に応じた気軽さで見送るほうが。

 来た時とまったく逆の流れで家守さんの身体の中へ、まるで家守さん自身が「あっち」へのトンネルであるように進み入ったお爺さんお婆さん。そして最後に家守さんがまた気を失って、暫らくしたら戻ってきて。
 ――こうして、実際の距離からは想像もつかないくらいにあっさりかつ短時間で、お爺さんお婆さんはあちらへ帰った。そして屋敷は再び主を失い、同時に客である僕達も、ここにいる理由はなくなった。


 それから時間が経って、204号室。つまり僕の部屋。
 外はもう暗く、今行ってるのは夕食の準備――と言っても今回のは出来合いのものと言って差し支えないので、そんなにする事もないんですけどね。
「いい匂いだね」
「まだもうちょっと掛かりますよ?」
 出汁に醤油をプラスした食欲をそそる香りに釣られて、栞さんが台所へやって来た。いや、もしかしたらいつもの如く「こーちゃんが台所に独りでどうこう」などと家守さんに焚き付けられたのかもしれないけど――しかしまあそれはともかく、いつもなら家守さんも含めて最初から栞さんには台所に立って頂くんだけど、本日はいつものお料理教室は休業なのです。
 やる事が少ないとは言え煮込む時間は変わらず、この部屋にある中で最大の大きさと要領を誇る文化鍋の中には、ぐらぐらと煮える出汁から様々な具が顔を出している。お爺さんとお婆さん――山村夫妻の屋敷からの帰り、家守さんに頼んでいつも行っているデパートに寄ってもらった僕は、この具一式と出汁がセットになったお徳パックを買ったのでした。
 というわけで、本日の夕食はおでんです。
「あっちは盛り上がってるみたいですね」
「そりゃ、ねえ? やっぱり嬉しいんだよみんな。孝一くんもそうでしょ?」
「そりゃもう」
 おでんな上に、ただおでんなだけでなくおでんパーティです。全員集合です。なので、お徳パックも一袋じゃ済みませんでした。
「でも、ナタリーさん自身は複雑だったりするのかもしれませんね」
「うーん、今はそうかもしれないけど、これからは栞達次第だよ」
「……そうですよね」
 僕がそうだった時も、みんなはそんなふうに頑張ってくれたのかな?

 という事で、温まった鍋を居間へ運んでテーブルの中央にセットすると、
「ナタリーが! 正式に! ここに住むと決断してくれました! 本日はそれを祝って歓迎して! みんなで盛り上がっておでん食おうじゃないですか!」
 というハイテンションな宣言に乗ってナタリーさんの歓迎パーティが開会されました。
 家守さん、鍋の中に唾飛ばしたりしないでくださいよ?
「わー」
 そしてこういう時に合いの手の拍手を送るのは、いつもの事ながら栞さんだけ。本当は僕も加わりたいんですけど、なんとなくこうなるのが習慣になちゃったんですよねえ。
「こ、これからもよろしくお願いします」
 そして今回の主役のナタリーさんは、テーブルの上から全体に挨拶。こちらには家守さんのそれと違って、目を向けるだけにせよ頷いて見せるにせよ、みんながそれぞれ何かしらの反応を見せるのでした。ジョンも、尻尾をふりふりして嬉しそうです。
「こちらこそよろしくであります、ナタリー殿」
「はい」
 大吾の隣のウェンズデーただ一人だけが言葉でもってナタリーさんに返事をし、そしてナタリーさんがただそれだけで、嬉しそうに相槌を打つ。
 そもそも今回こうなったのはウェンズデーがナタリーさんに与えた影響によるところが大きく、このおでんパーティの主役がナタリーさんであるとするなら、ウェンズデーは会全体の仕掛け人という立場にでもなるのだろうか。

 あの後。
 主を失った屋敷を後にして、青い軽乗用車に乗り込んだあの後。行きとは違って助手席に乗り込み、車がそれほど長くもない下り坂を抜けた辺りで、後ろの席から声が上がった。
「私、あの時」
 ナタリーさんだった。
 バックミラーで後部座席の様子を確認しようとしても、当然向きが運転席の家守さんに合わせられていて上手く見えなくて、でも後ろを振り返るにはシートベルトの抵抗がなんとなく億劫で、結局僕はその話を、前を向いたまま聞いていた。
「お爺さんとお婆さんにした最後の話の時、本当は一緒に連れて行ってもらおうと思ってたんです」
 隣でハンドルを握る家守さんの顔色を窺ってみる。煙の出ないタバコを咥えている家守さんは、ただ前だけを見ていた。そしてその「前」には、薄暗いトンネルがぽっかりと口を開けている。明かりと言えば、両サイド高めの位置に設置された、切れている物のほうが多いんじゃないかという電灯。それに、遠くに見える出口の向こうの日差しだけだった。
「でも、ウェンズデーさんが『行って欲しくない』って言った時。それが羨ましかったんです。私はあの二人について行こうとしていました。でも、ウェンズデーさんはそうはならなかった。それは多分、ウェンズデーさんは自分が今の――皆さんが住んでいるあの場所を離れるなんていう考えが、まるで浮かばなかったからだと思うんです。私はそれが、凄く凄く、羨ましかったんです」
 車は薄暗いトンネルの中。その薄暗さの中に入ったばかりでまだ目が慣れていないその時の僕には、もし後ろを向いたところで誰の表情もはっきりとは見えなかったと思う。
「お爺さんお婆さんがまだ生きていて、その頃の屋敷にいた私なら、ウェンズデーさんにとってのあまくに荘があの屋敷だったと思うんです。でも今は、そうじゃない。もう一度欲しくなったんです、私にとっての『そういう場所』が。だから皆さん――」

 と、トンネルを抜けるまでのそんな会話を経て、現在の入居者歓迎会に到ったわけです。
 当然ながらあまくに荘の全員が集合で、メンツに変更は――強いて言うなら成美さんが小さいバージョンに戻ったという事以外には、ありませんです。
「よろしくお願いします、ウェンズデーさん」
「よろしくであります、ナタリー殿」
「お前ら何回よろしくって言い合うつもりだよ」
『あっ』
「いいではないか。こういう祝い事の時くらい無粋な突っ込みは控えろ馬鹿者」
「んっふっふ。それも含めて、賑やかなのはいい事ですねえ」
「ワンッ!」
「それそれ食え食えー! 飲め飲めー!」
「飲めって……え? もしかして家守さん、栞さんが手に取っているそれはまさかジュースじゃなくて」
「当然!」
「っぷはー! お―いしーい! 美味しいから美味しい料理人さんはこうしてやるー!」
「うわわーっ! ちょ、栞さん、意味分かりませんってぇー!」
「……前に酔った時も抱き付いてたよなコイツ。酔い癖っつっても変だよなあ」
「お酒が美味しいのは僕関係無いじゃないですかー!」
「勢いで押し倒すにしても、テーブルを蹴り上げたりはしないでくれよ。……しかし熱くて食べ辛いな、おでんというものは」
「ワウ」
「だいちゃんにふーふーしてもらえばいいと思うよー」
「ふざけろ」
「あ、あの……皆さん……?」
「大丈夫でありますよナタリー殿。ここはいつもこんな感じなのであります」
「私以外はみんなお若いですから、騒がしくなるのも当然ですねえ。んっふっふっふ」
「そ、そうなんですか」


『ごちそうさまでしたー』
「ごひろうらまれひたぁ」
 なんだか一人だけ発音がとんでもない事になってますが、しかも初っ端から飲みっぱなしだったので何もごちそうにはなってないのですが、とにかく今晩の食事は終了。手抜きと言えなくもない「煮込むだけおでん」でしたが、結構好評でした。まあ、ナタリーさんの歓迎会っていう雰囲気の影響もあるんでしょうけどね。
「なあ、普通こんだけ水分取ったら腹ん中たっぷたぷになるんじゃねーの? なんでこんなに飲めるんだ?」
 栞さんが飲み尽くして空になった缶五本を顎で指し、大吾が怪訝な顔をする。
「えぇえ、らってぇ、お酒美味しいしぃ」
 一応はっきりと会話ができる程度に正気を保っているらしい栞さん。ただしその頭は、いつぞやがそうであったように僕の膝の上です。「ごちそうさまでした」どころか、食事中は殆どずっとこのままだったのです。
「なんでお酒なんか買ってきたんですか家守さん……」
「いやあ、こーちゃんがおでん買ってる間暇だったしさあ。ウェンズデー用の魚買った時にふと思い付いてね、魚を丸飲みするウェンズデーの絵とお酒を飲むしぃちゃんの絵がダブっちゃって」
 ダブったって、いくら何でもそんな勢いで飲んでませんよ家守さん。そりゃ、飲んでから酔うまでの勢いって言うならそれは相当なものですけど。
「少なくとも本人は楽しそうだし、いいんじゃないか? この後の介抱は大変そうだが」
「……部屋に送り届けるだけじゃ駄目ですかね?」
「そこまでは知らんな」
 駄目そうな雰囲気だなあ。あうあう。


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