「なんか事態を悪化させただけだなオレ」
「そりゃあれで好転はしないでしょうよ」
膝の上でしょげている成美さんの頭を撫でながら溜息交じりにそう漏らす大吾でしたが、ならば第三者としてはそう言わざるを得ないのでした。とはいえそれは別に大吾を責めているわけでもなく、といってもそっちのほうがまだマシなのでしょうが、面白がって言っているだけだったりします。
まあしかし悪化したとはいえ大したことではないでしょうし、成美さんが大人しく大吾の膝の上に移動したのを見るに、今後より悪化が加速するということもないでしょう。というわけで面白がるだけ面白がって心配のほうはさらさらしないでいたところ、いつの間にか栞の膝の上に移動していたウェンズデーから、こんな質問が。
「哲郎殿と静音殿はどうでありますか? こんなふうに、膝の上に座ったり座らせたりというのは」
なんともあっさり訊いてくれたものですね。とまあ、それはウェンズデー達自身はもとより、大吾と成美さんがそれこそあっさり人前でその光景を晒していたりするからなんでしょうけど。
それはともかくウェンズデーの質問を受けて音無さん、小さく首を傾けます。
「そういえば……ない、ですねえ……」
「そういえばって静音、そんな『するのが当たり前』みたいな」
「あ、いや、そういうわけじゃ……ないんだけど……」
毎度の如く前髪のおかげで分かり辛いのですがどうやら今のは失言であったらしく、口元をもにょもにょさせる音無さんなのでした。してみたいってことなんでしょうね、多分。
「自分で言うのもなんじゃが、ワシゃあ御覧の通りチビじゃからのう。誰かを抱きかかえたりというのは、どんな体勢のものであれ不格好になりそうで。そりゃあさっきまでの義春君ぐらいならまた別じゃが」
同森さんと音無さんで考えた場合、抱く側と抱かれる側がそれぞれどっちなのかというのは、考えるまでもなく自然と当て嵌まってくるものでしょう。
というわけで当の同森さんも初めから自分が抱く側である前提で話を進めるわけですが、まあ、理屈としては分からなくもない、といったところでしょうか。僕だって栞に対して似たようなことを考えた経験はあるわけですしね。
ただ、
「同森さん」
「ん?」
似たようなことを考えたりしたものの、僕は結局のところしょっちゅう栞を抱きかかえたりしているわけで。
「身長が低いって言っても音無さんよりは高いわけですし、じゃあ僕よりまだマシだと思いますよ? こっちなんかほぼ同じですもん、抱きかかえる人と」
「うわあ、隠すつもり一切無しだね孝さん」
「隠したところでそのうち僕達にも飛んできてただろうしね、この話」
「うーん、まあそうかも」
というわけで栞としてもそれほど強い抵抗があるというわけでなし、ならば話は続行されるわけです。
「そうか、言われてみれば同じくらいじゃの。日向君さんどちらとも」
日向君さん、という纏め方は初めてされました。が、それはともかく。
「栞さん、綺麗でしたよね……背も高くて……」
ここまで成美さんばかり褒めていた音無さんですが、しかしどうやら栞のことも評価してくれていたようで、うっとりとした口調でそう仰って下さいます。栞が隣で照れているのは当然の反応として、筋違いかもしれませんが、僕としても割と嬉しかったりするのでした。
自分と同じくらいの身長、という情報ばかりが先行するせいで普段は全然気にならないけど、栞って女性としては背が高い方なんだよなあ。――などと頭の中だけの独り言ながら少々自慢げにしていたところ、「あー、静音?」と同森さんが決まりの悪そうな声で。
「ん……?」
「そこで過去形というのは、なんじゃ、何を思い出してそう言ってるのか簡単に想像出来過ぎてちょいとどうかと思うんじゃが」
「……あ」
綺麗でした。
栞は今でも目の前にいるというのに、なぜわざわざ過去形なのか。
そうですよね、風呂ですよね。少し前に入ってきたばっかりですもんね。
「ご、ごめんなさい……」
「あはは、いいですよ別にそれくらい。どうせ夜にはみんなで混浴に行くことにもなってるんですし」
栞はまるで気にするふうでもなくそう言って退けるのでした。どうせ見られることになるんだから口で言われるくらいじゃあ、ということなのでしょう。
確かにその通りではあるのでしょうが、しかし一方ではこんな理屈も。
「だからこそ困るっていうのもあると思うけどね」
「あ、あれ? そう?」
同性をして「綺麗」と言わしめるほどのものを、数時間後には実際にこの目で見ることになっている。となると異性としては――なんて、詳細に語るようなことじゃあないんでしょうけどね。
とここで何やら栞がこちらに顔を寄せ、耳打ちをしてきました。
「だとしたら私なんか、具体的な比較対象まで出しちゃったりしたけど……」
なんちゅうこと思い出させてくれるんですか一体。
というわけで、その具体的な比較対象であるところの家守さんを思い出す僕なのでした。
「よく聞こえなかったでありますが、何の話でありますか?」
「いやね、聞かれたくないから小声で話したわけで」
いくら声を落としたところで内緒話をしたこと自体はそりゃあ誰の目にも明らかなわけで、しかもそれがその内緒話をした人物に膝抱っこをされている人物となれば尚のこと。というわけでウェンズデーにそんな質問を投げ掛けられた栞は、困ったような笑みを浮かべながらそう返すほかないのでした。
「ふっふっふ、分かっていて訊いているであります」
「珍しいねえ、ウェンズデーが意地悪してくるなんて」
話題逸らしなのかそれとも純粋な疑問なのか、ウェンズデーのお腹をぷにぷにしながら訊き返す栞。するとウェンズデーはふいと横を向いてみせるのですが、しかし膝抱っこをされているという位置関係上、初めからウェンズデーの視界に栞は入っていないわけで、ならばそれは都合が悪くなって目を逸らしたというようなことではなかったのでしょう。
ではどうして横を向いたのかということになるわけですが、しかしそれはまあ、その先にいたのがしょぼくれたままの成美さんだったという時点で答えは見えているようなものです。大吾の膝を譲ったことといい、機嫌を良くして欲しいってことなんでしょうね。
「ああ、そういう」
それに気付いたのは僕だけ、というようなことはそりゃまあないわけで、同じくウェンズデーの視線を追った栞は何かに気付いたような素振りを。
「な、何の話でありますか?」
とぼけようとするウェンズデーですが、それはもう手遅れというやつでしょう。後からそうするんだったら大吾の膝を譲る時からそれっぽく振る舞えばよかったのに、なんと愛らしいことでしょうか。
「ふふっ、さあねー」
最初の質問と同様に答える気を見せない栞は、より一層お腹をぷにぷにし始めるのでした。
さすがにぷにぷにし過ぎということなのか、ウェンズデーから「くすぐったいでありますー」と非難のように聞こえつつ歓迎のように聞こえなくもない声が上がったりするのですが、しかし栞は気にすることなく次の話を始めてしまいます。
「それはともかく音無さん、今更ですけど」
「あ、はい……。何ですか……?」
「浴衣は大丈夫なんですか? 着込むのは止めたにしても、普段着はともかくこれは逆にっていうか」
ええと?
と分からないふりをするまでもなく、ええ、胸の話なんでしょうね。薄いうえに胸元が開きがちですもんね、浴衣って。
明言こそしなかった、というかさすがにそれは意図して避けたということではあるんでしょうけど、それにしたってまあ相変わらず音無さんの話については遠慮しない栞なのでした。まさか本人にまでとは思っていませんでしたけど。
とはいえしかし、もうちょっと遠慮したほうがいいんじゃなかろうか、といったような批判的な感情が湧くようなことは特にないのでした。というのも、質問の内容が上手かったのです。
何をとは言いませんが、それを気にした音無さんが季節感にそぐわないくらいに服を着こんでいたという事実は同性異性に関係なく知れ渡っていたことですし、それを話題にすることが咎められるような雰囲気もありませんでした。ということであるなら、それを話の入り口にしてしまえば結局のところは「これまでしてきたような話と同じ」ということになってしまうわけです。僕にしたって同じらしいですしね、どうも。
「うーん……そうですね、特にどうってことは……」
音無さん自身にしてもそれは同じであるらしく――というかさっきの過去形の話からして、もしかしたら初めから無頓着なだけなのかもしれませんが――返事をすることに躊躇いは見られないのでした。
「今から思うと何をあんなに気にしてたんだろう、って感じなんですけど……でもまあ、急でしたしね……。結局、慣れられるまでの話でしかなかったっていうか……」
自分の身体に慣れられないなんて、そりゃあ極めて稀な体験なのでしょう。しかも稀だといっても全く有難味なんかないわけで、そうなってくるともう単なる不幸です。
というわけで話の主題の割にはむしろ同情心を煽られる、というかいっそ気が滅入りそうになってしまっていたところ、するとここで。
「痛みを伴ったとまで言っていたしなあ」
成美さんが再起動しました。果たしてそれはこの話題の中身が関係しているのかいないのか、というのはしかし、この際なので気にしないでおきましょう。よかったねウェンズデー、成美さんが元気になって。
「出来ることなら半分ほど引き受けてやりたかったくらいだ」
あれ、これ本当に元気かな?
「……こら日向、苦笑いするんじゃない。引き受けて『やりたかった』だぞ。痛みの話だ、容量じゃなくて」
あ、ああ。なるほど過去形ですもんね。
「容量とか自分から言っちまっていいのかよオマエ」
大吾からそんな突っ込みが入ってしまいますがしかし、成美さんはふふんと余裕の笑みを浮かべます。
「構わんさ。お前はもう承知していると思うが、わたしはもうその辺りへの頓着は持ち合わせていないからな。と言っても、周りの人間がわたしをそういう目で見ていることだけは今でも変わらんようだが」
すいませんでした。
「構わねえってんならまあ、じゃあそっちはいいとして」
いいとするらしい大吾なのでした。我ながら結構な失礼を働いてしまったような気がするのですが、成美さん自身が気にしてさえいなければあとは別にどうでもいい、といったところなのでしょうか。
なんてことを考えている間に大吾の次の話が始まるわけですが、その顔は音無さんの方へ向けられていて、かつその表情はたったいま僕が成美さんに向けてしまったのと似たようなものなのでした。
「なんつーか、さらっと出てくるんですね。こういう話題」
「あ……ええと……あはは、お聞き苦しかったですよね……」
そうでした。季節感にそぐわないくらいに服を着込んでいたという事実は同性異性に関係なく知れ渡っていた、なんてふうに思ってこそいましたが、けれど大吾についてはそんなことはないんですもんね。そもそも顔を合わせた機会からしてほぼないも同然だったわけですし。
前に一度、あまくに荘メンバーと大学の友人達が男女に分かれて話をした、なんてことがありましたが、ならば成美さんとの対応の差はそこから来ているのでしょう。単に胸の話だから食い付きがいいのかも、なんてのはさっき注意されたばかりなので冗談にもなりませんが。
「いやいや、オレは別に構わないんですけど」
「ワシらはもう苦労話にしか聞こえなくなっとるからのう。そうじゃな、静音が苦にしなくなったってことならワシらの認識もここいらで正したほうがいいかもしれんの」
大吾の言葉が聞こえていないかのような台詞を続けざまに並べ立てる同森さんでしたが、しかし確かにその通りなのかもしれません。着込んでいた云々を話の入り口に据えてみたところで、結局のところこれは音無さんの胸の話なのです。
音無さんが今もまだ苦労しているということであれば、それについての話が遠慮なくできるというのは大きなメリットになりましょう。しかしその苦労が解消されている今となっては、あられもない話を人目もはばからずに口にしてしまう集団でしかないわけです。僕達は。
「というわけじゃ静音。一切するなとまでは言わんが、これからその話は控えめにな」
「うん……そうだね……」
そういうことになったそうでした。
が。
「とは言っても夜には混浴じゃがな。なんというか、ワシが言うのもなんじゃが、ってことになるのかの? 誰もそれに触れないっちゅうのはそれはそれで不自然ってことになるんじゃろうが」
彼氏である同森さんがそれを言うというのは、聞き方によっては遠回しな彼女自慢に聞こえてしまうのかもしれません。「ワシが言うのもなんじゃが」というのはそれを指しての言葉だったのでしょうが、しかしもちろん、今になってそれを自慢だと思える人はいないわけです。大吾も含めて。
という話はともかく、
「難しい話ですねえ」
誰もそれに触れないのは不自然だ、という話。そりゃまあいくら混浴だからって、今みたいな話で盛り上がるというのはやはり下世話というものなのでしょう。となればやはり普段と同じくそういう話は控えるべきなのでしょうが、けれどだからといって音無さんの胸について誰も何も言わないとなると、それは「あからさまに避けている」ということにしかならないわけで、となるとそれって逆にどうなのよって話にもなるわけです。はっきり言って、目につかないわけがないですもんね。
難しい話だ、と発言した僕だけでなく、この場のほぼ全員がこの難題に眉をひそめていたところ、
「し、真剣に考え込むところなのかこれ」
大吾は引き続き面喰っているようでした。が、しかしそんな彼に言葉を掛けるようなことは敢えてしないでおきました。というのも、いま僕達が目指しているのは事情を良く知らない大吾の立場そのものであって、ならば大吾にはそのままでいてもらったほうが都合がいいからです。いいお手本として。
そしてそのいいお手本曰く、どうやらここは真剣に考え込むようなところではないようで。
なるほど軽く考えればいいのかもしれない、というふうに思ったのは恐らく僕だけではないようで、全員の視線が一気に大吾に集中。しかしだからといって具体的な打開策が出るというわけでもなく、そしてそれらの目は一様にこの問題への苦心に細められており、ならばそんな睨みつけるようですらある視線を一身に集めてしまった大吾は、それ以上声を出すこともなく小さくなるばかりなのでした。
…………。
で、どうしましょうかという話なのですが、
「お邪魔しまーす!」
その前に誰かこの部屋を訪れたようでした。四方院の人だったらノックしてくるだろうし、なんてことを考えるまでもなくその声からして、
「由依さん……!」
であるらしいのでした。その弾んだような声色からして、どうやら音無さん、今の今まで話していた自分のことより異原さんのほうがよっぽど心配だったようです。
というわけで、口宮さんを引き連れどかどかと室内に踏み込んできた異原さんへ向けて「もういいんですか……?」と尋ねる音無さん。しかし、すると異原さんは音無さんでなく僕のほうを向いてこう一言。
「ばらしちゃった?」
ひぃっ。
「ご、ごめんなさい。でもばらしたってほどじゃなくて、暫く二人だけにしてあげたほうがいいってくらいで」
言い訳がましくそう言ってみたもののしかし、これについては言い訳ではなく適切な対処だったと、一応はそう思っています。が、それにしたってやはり、本人の目の前で自信たっぷり余裕綽々とはいかないわけで。
「別にいいだろ、んなもんどっちでも。俺らが一方的に迷惑掛けてんだし」
「別に日向くんを責めたりなんかしないわよ、あたしだって。それに……まあ、あたしらじゃなくてあたし一人なんだし」
口宮さんに救われたとみるべきかそうでないのか、ともあれどうやらお咎めなしで済ませて頂けたようでした。
「そういうわけだから日向くん、とあと栞さんも、お世話になりました。静音も、もう大丈夫だから」
「そうですか……」
ということだそうなので、それについては一件落着と相成りました。
であるなら話は元に戻るわけで、
「で、何の話してたのこれ? 見た感じ、なんか話し合ってたっぽい雰囲気なんだけど」
「つまり俺らはいきなり現れて横からそれを邪魔したってことだな」
「そ、そうだけどそんな言い方することないでしょうが」
仰る通り。あ、いえいえ、邪魔したってことではなくて。
「なんとも説明し難い話なんじゃが、まあそういうわけにもいかんか」
本人に言わせることを避けるにしても成美さんか栞に任せればいいのに、とは言いますまい。同森さんから、ここまでの議題についての説明がなされるのでした。つまりは、音無さんの胸についての。
とはいえそれについてのあれやこれやは異原さんと口宮さんだって初めから承知していたわけで、ならば別にそれで無用な騒ぎが起こるようなこともなく、同森さんからの説明は何事もないまま終わりを迎えることができたのでした。
「完全に当たり前な話なんだな、これ」
大吾はやっぱり面喰らっているのでした。
で、それはともかく。
「それならいい考えがあるわ」
説明が終わったその途端、皆が待ちに待っていた一言が異原さんの口から。
「ほほう、本当か異原」
「ええ。ただし、混浴に行くまで秘密ってことにしておくけどね」
「なんにせよ有難い話なんじゃ、それくらいは」
音無さん本人すら深刻に捉えてはいない――深刻に捉えていないからこそ発生した問題ではあるのですが――以上、有難いとまで思うのは同森さんだけなのかもしれませんが、ともあれ解決の兆しが見えてきたのは喜ばしいことです。
が、しかし。
「え、混浴に行くまでって、それって異原さんも混浴に行くってことですか?」
「そりゃあ混浴に行くまで秘密なのに、そこにあたしが行かなかったら何も起こらないものね」
平然とそう言い放った異原さんに僕と栞は顔を見合わせ、そして力無い笑みを浮かべ合うのでした。問題がないに越したことはないというのはもちろんなのですが、まあそれにしたって見事な骨折り損のくたびれ儲けです。
「ええと、どうかしたの?」
「いえいえ、お気になさらず」
混浴に一緒に行くかどうか訊きはするけど、初めから断られるつもりでいる。そんな話は栞とだけでなくこの部屋のみんなの前でしてしまっていたので、あちこちからくすくすと笑い声が聞こえてきたりもするのでした。
「余計な心配させちまったってことだな」
「そうなの?」
「話の流れからしてそうだろ」
意外な敏感さを見せる口宮さんでした。が、しかし恐らく、今までは表に出さなかっただけなんでしょうけどね。自分は彼氏として立派なのか、なんてことを考えられる人なんですし。
「あのー」
口宮さんの言葉を受けて異原さんが若干ながら申し訳なさそうな表情を浮かべたところ、それに誰かしらがフォローを入れるよりも速く、ナタリーさんが動いたのでした。
「口宮さんと一緒にお風呂に入れるってことでいいんですよね?」
ええと、曲がりなりにも女性の声でそういうこと言われちゃうとかなりアレなんですけど、まあそうですね。
「あ、ナタリーさん達、次んとこも入れるんですか」
「はい」
ナタリーさんが嬉しそうにしているのは語るまでもないとして、口宮さんもまんざらではなさそうなのでした。というのはもちろん、僕が今思ったようなこととは意味を別にするところではあるんでしょうけど。
「モテモテじゃな口宮」
「うるせえ。っていうか、一人を相手に使う言葉じゃねえっつったのお前だろうが」
さっき入った風呂でのことを言っているのでしょう、こんなところで同森さんによる意趣返しが。
あの時は義春くんが同森さんにくっ付いていたのをからかって口宮さんがそう言ったわけですが、ということもあってか、ここで異原さんが思い出したようにこんなことを。
「あ、そういえばこっちに来るちょっと前、部屋に義春くんが挨拶に来たんだけど。もう戻りますって言って」
「ああ、そうだったな。こっちでなんかあったのか?」
ということをこの場で尋ねてくるということは、本人には何も訊かなかったということなのでしょう。訊ける状態になかったということなのか、それとも気を遣って訊かなかったのかというのは、しかしまあわざわざ問いただすようなことはしないでおきますが。
「何かあったのかと言われたら、何もなかったの。客のワシらとずっと遊んでるのはどうじゃろうかってことで、そろそろ戻ったほうがいいじゃろうと義春くん自身がそう判断してそうしただけじゃ」
はっきりとそう明言していたわけではありませんでしたが、しかし同森さんのその解釈に間違いはないのでしょう。というわけで誰もそれを訂正したりしないでいたところ、異原さん口宮さんともに溜息を交えさえしながら口を開き始めるのでした。
「お利口さんどころの話じゃないわねえ」
「もはや尊敬に値すんじゃねえか? 真面目な話」
その評価には、まあ、ついさっきまでの自分達の状態を鑑みて、というところもなくはないんだろうと思います。大元になった風呂場での会話だって、一部はその義春くんの立派さをきっかけとしていたわけですしね。
「明日、帰る前にもう一度会えないかお尋ねしてみることになっているであります。帰り支度なんかで忙しいかもしれないでありますが、もしよかったら、優治殿と由依殿もご一緒に」
「あら。そういうことならもちろん、あたし達も」
「まあそこで敢えて会わねえって意味分かんねえしな」
立案者であるウェンズデーがお誘いを掛けたところ、口宮さんが仰る通り断る理由なんかあるわけがなく、お二人揃ってその誘いに乗ってくださるのでした。
いや、誘いを掛けたウェンズデーならともかく僕が「乗ってくださるのでした」なんて言い方をするのはちょっと変なのかもしれませんけど、義春くんの去り際に思ったことを考えると、やっぱりそうもなってしまうわけですよ。
…………。
で。
「で、こっからどうするよ。後からまた入るったってやっぱもう風呂入っちまってるわけだし、あんまドタバタすんのもどうかと思うんだけど」
「いや大吾、そもそもドタバタって何するつもりなのさ」
「……言われてみれば。散歩とか?」
それだってドタバタはしないと思うけど、まあ、外に出るのはってことにしておきましょう。
「はいっ!」
ここで勢い良く手を上げたのは異原さんでした。はいどうぞ。
「あたしトランプ持ってきました!」
『おおー』
湧き上がる拍手。ということはつまり、異原さん以外にそういったものを準備してきた人はいなかったと、そういうことなのでしょう。
旅行先にトランプ。定番ではあるのでしょうがしかし、そういえばあまくに荘のみんなにはそういった習慣がないようにも思います。前にここに来た時もそうでしたしね。
……猫じゃらしはそこに含んでもいいんでしょうかね?
「ふ、二人ずつの部屋割りになるなんて思ってなかったから、なかなか出番がなかったっていうか」
「急にテンパられてもな」
「あうあう」
そのおかげで起こったあれやこれやを考えれば、異原さんがそうなるのもまあ分からないではないんですけどね。
「そりゃあれで好転はしないでしょうよ」
膝の上でしょげている成美さんの頭を撫でながら溜息交じりにそう漏らす大吾でしたが、ならば第三者としてはそう言わざるを得ないのでした。とはいえそれは別に大吾を責めているわけでもなく、といってもそっちのほうがまだマシなのでしょうが、面白がって言っているだけだったりします。
まあしかし悪化したとはいえ大したことではないでしょうし、成美さんが大人しく大吾の膝の上に移動したのを見るに、今後より悪化が加速するということもないでしょう。というわけで面白がるだけ面白がって心配のほうはさらさらしないでいたところ、いつの間にか栞の膝の上に移動していたウェンズデーから、こんな質問が。
「哲郎殿と静音殿はどうでありますか? こんなふうに、膝の上に座ったり座らせたりというのは」
なんともあっさり訊いてくれたものですね。とまあ、それはウェンズデー達自身はもとより、大吾と成美さんがそれこそあっさり人前でその光景を晒していたりするからなんでしょうけど。
それはともかくウェンズデーの質問を受けて音無さん、小さく首を傾けます。
「そういえば……ない、ですねえ……」
「そういえばって静音、そんな『するのが当たり前』みたいな」
「あ、いや、そういうわけじゃ……ないんだけど……」
毎度の如く前髪のおかげで分かり辛いのですがどうやら今のは失言であったらしく、口元をもにょもにょさせる音無さんなのでした。してみたいってことなんでしょうね、多分。
「自分で言うのもなんじゃが、ワシゃあ御覧の通りチビじゃからのう。誰かを抱きかかえたりというのは、どんな体勢のものであれ不格好になりそうで。そりゃあさっきまでの義春君ぐらいならまた別じゃが」
同森さんと音無さんで考えた場合、抱く側と抱かれる側がそれぞれどっちなのかというのは、考えるまでもなく自然と当て嵌まってくるものでしょう。
というわけで当の同森さんも初めから自分が抱く側である前提で話を進めるわけですが、まあ、理屈としては分からなくもない、といったところでしょうか。僕だって栞に対して似たようなことを考えた経験はあるわけですしね。
ただ、
「同森さん」
「ん?」
似たようなことを考えたりしたものの、僕は結局のところしょっちゅう栞を抱きかかえたりしているわけで。
「身長が低いって言っても音無さんよりは高いわけですし、じゃあ僕よりまだマシだと思いますよ? こっちなんかほぼ同じですもん、抱きかかえる人と」
「うわあ、隠すつもり一切無しだね孝さん」
「隠したところでそのうち僕達にも飛んできてただろうしね、この話」
「うーん、まあそうかも」
というわけで栞としてもそれほど強い抵抗があるというわけでなし、ならば話は続行されるわけです。
「そうか、言われてみれば同じくらいじゃの。日向君さんどちらとも」
日向君さん、という纏め方は初めてされました。が、それはともかく。
「栞さん、綺麗でしたよね……背も高くて……」
ここまで成美さんばかり褒めていた音無さんですが、しかしどうやら栞のことも評価してくれていたようで、うっとりとした口調でそう仰って下さいます。栞が隣で照れているのは当然の反応として、筋違いかもしれませんが、僕としても割と嬉しかったりするのでした。
自分と同じくらいの身長、という情報ばかりが先行するせいで普段は全然気にならないけど、栞って女性としては背が高い方なんだよなあ。――などと頭の中だけの独り言ながら少々自慢げにしていたところ、「あー、静音?」と同森さんが決まりの悪そうな声で。
「ん……?」
「そこで過去形というのは、なんじゃ、何を思い出してそう言ってるのか簡単に想像出来過ぎてちょいとどうかと思うんじゃが」
「……あ」
綺麗でした。
栞は今でも目の前にいるというのに、なぜわざわざ過去形なのか。
そうですよね、風呂ですよね。少し前に入ってきたばっかりですもんね。
「ご、ごめんなさい……」
「あはは、いいですよ別にそれくらい。どうせ夜にはみんなで混浴に行くことにもなってるんですし」
栞はまるで気にするふうでもなくそう言って退けるのでした。どうせ見られることになるんだから口で言われるくらいじゃあ、ということなのでしょう。
確かにその通りではあるのでしょうが、しかし一方ではこんな理屈も。
「だからこそ困るっていうのもあると思うけどね」
「あ、あれ? そう?」
同性をして「綺麗」と言わしめるほどのものを、数時間後には実際にこの目で見ることになっている。となると異性としては――なんて、詳細に語るようなことじゃあないんでしょうけどね。
とここで何やら栞がこちらに顔を寄せ、耳打ちをしてきました。
「だとしたら私なんか、具体的な比較対象まで出しちゃったりしたけど……」
なんちゅうこと思い出させてくれるんですか一体。
というわけで、その具体的な比較対象であるところの家守さんを思い出す僕なのでした。
「よく聞こえなかったでありますが、何の話でありますか?」
「いやね、聞かれたくないから小声で話したわけで」
いくら声を落としたところで内緒話をしたこと自体はそりゃあ誰の目にも明らかなわけで、しかもそれがその内緒話をした人物に膝抱っこをされている人物となれば尚のこと。というわけでウェンズデーにそんな質問を投げ掛けられた栞は、困ったような笑みを浮かべながらそう返すほかないのでした。
「ふっふっふ、分かっていて訊いているであります」
「珍しいねえ、ウェンズデーが意地悪してくるなんて」
話題逸らしなのかそれとも純粋な疑問なのか、ウェンズデーのお腹をぷにぷにしながら訊き返す栞。するとウェンズデーはふいと横を向いてみせるのですが、しかし膝抱っこをされているという位置関係上、初めからウェンズデーの視界に栞は入っていないわけで、ならばそれは都合が悪くなって目を逸らしたというようなことではなかったのでしょう。
ではどうして横を向いたのかということになるわけですが、しかしそれはまあ、その先にいたのがしょぼくれたままの成美さんだったという時点で答えは見えているようなものです。大吾の膝を譲ったことといい、機嫌を良くして欲しいってことなんでしょうね。
「ああ、そういう」
それに気付いたのは僕だけ、というようなことはそりゃまあないわけで、同じくウェンズデーの視線を追った栞は何かに気付いたような素振りを。
「な、何の話でありますか?」
とぼけようとするウェンズデーですが、それはもう手遅れというやつでしょう。後からそうするんだったら大吾の膝を譲る時からそれっぽく振る舞えばよかったのに、なんと愛らしいことでしょうか。
「ふふっ、さあねー」
最初の質問と同様に答える気を見せない栞は、より一層お腹をぷにぷにし始めるのでした。
さすがにぷにぷにし過ぎということなのか、ウェンズデーから「くすぐったいでありますー」と非難のように聞こえつつ歓迎のように聞こえなくもない声が上がったりするのですが、しかし栞は気にすることなく次の話を始めてしまいます。
「それはともかく音無さん、今更ですけど」
「あ、はい……。何ですか……?」
「浴衣は大丈夫なんですか? 着込むのは止めたにしても、普段着はともかくこれは逆にっていうか」
ええと?
と分からないふりをするまでもなく、ええ、胸の話なんでしょうね。薄いうえに胸元が開きがちですもんね、浴衣って。
明言こそしなかった、というかさすがにそれは意図して避けたということではあるんでしょうけど、それにしたってまあ相変わらず音無さんの話については遠慮しない栞なのでした。まさか本人にまでとは思っていませんでしたけど。
とはいえしかし、もうちょっと遠慮したほうがいいんじゃなかろうか、といったような批判的な感情が湧くようなことは特にないのでした。というのも、質問の内容が上手かったのです。
何をとは言いませんが、それを気にした音無さんが季節感にそぐわないくらいに服を着こんでいたという事実は同性異性に関係なく知れ渡っていたことですし、それを話題にすることが咎められるような雰囲気もありませんでした。ということであるなら、それを話の入り口にしてしまえば結局のところは「これまでしてきたような話と同じ」ということになってしまうわけです。僕にしたって同じらしいですしね、どうも。
「うーん……そうですね、特にどうってことは……」
音無さん自身にしてもそれは同じであるらしく――というかさっきの過去形の話からして、もしかしたら初めから無頓着なだけなのかもしれませんが――返事をすることに躊躇いは見られないのでした。
「今から思うと何をあんなに気にしてたんだろう、って感じなんですけど……でもまあ、急でしたしね……。結局、慣れられるまでの話でしかなかったっていうか……」
自分の身体に慣れられないなんて、そりゃあ極めて稀な体験なのでしょう。しかも稀だといっても全く有難味なんかないわけで、そうなってくるともう単なる不幸です。
というわけで話の主題の割にはむしろ同情心を煽られる、というかいっそ気が滅入りそうになってしまっていたところ、するとここで。
「痛みを伴ったとまで言っていたしなあ」
成美さんが再起動しました。果たしてそれはこの話題の中身が関係しているのかいないのか、というのはしかし、この際なので気にしないでおきましょう。よかったねウェンズデー、成美さんが元気になって。
「出来ることなら半分ほど引き受けてやりたかったくらいだ」
あれ、これ本当に元気かな?
「……こら日向、苦笑いするんじゃない。引き受けて『やりたかった』だぞ。痛みの話だ、容量じゃなくて」
あ、ああ。なるほど過去形ですもんね。
「容量とか自分から言っちまっていいのかよオマエ」
大吾からそんな突っ込みが入ってしまいますがしかし、成美さんはふふんと余裕の笑みを浮かべます。
「構わんさ。お前はもう承知していると思うが、わたしはもうその辺りへの頓着は持ち合わせていないからな。と言っても、周りの人間がわたしをそういう目で見ていることだけは今でも変わらんようだが」
すいませんでした。
「構わねえってんならまあ、じゃあそっちはいいとして」
いいとするらしい大吾なのでした。我ながら結構な失礼を働いてしまったような気がするのですが、成美さん自身が気にしてさえいなければあとは別にどうでもいい、といったところなのでしょうか。
なんてことを考えている間に大吾の次の話が始まるわけですが、その顔は音無さんの方へ向けられていて、かつその表情はたったいま僕が成美さんに向けてしまったのと似たようなものなのでした。
「なんつーか、さらっと出てくるんですね。こういう話題」
「あ……ええと……あはは、お聞き苦しかったですよね……」
そうでした。季節感にそぐわないくらいに服を着込んでいたという事実は同性異性に関係なく知れ渡っていた、なんてふうに思ってこそいましたが、けれど大吾についてはそんなことはないんですもんね。そもそも顔を合わせた機会からしてほぼないも同然だったわけですし。
前に一度、あまくに荘メンバーと大学の友人達が男女に分かれて話をした、なんてことがありましたが、ならば成美さんとの対応の差はそこから来ているのでしょう。単に胸の話だから食い付きがいいのかも、なんてのはさっき注意されたばかりなので冗談にもなりませんが。
「いやいや、オレは別に構わないんですけど」
「ワシらはもう苦労話にしか聞こえなくなっとるからのう。そうじゃな、静音が苦にしなくなったってことならワシらの認識もここいらで正したほうがいいかもしれんの」
大吾の言葉が聞こえていないかのような台詞を続けざまに並べ立てる同森さんでしたが、しかし確かにその通りなのかもしれません。着込んでいた云々を話の入り口に据えてみたところで、結局のところこれは音無さんの胸の話なのです。
音無さんが今もまだ苦労しているということであれば、それについての話が遠慮なくできるというのは大きなメリットになりましょう。しかしその苦労が解消されている今となっては、あられもない話を人目もはばからずに口にしてしまう集団でしかないわけです。僕達は。
「というわけじゃ静音。一切するなとまでは言わんが、これからその話は控えめにな」
「うん……そうだね……」
そういうことになったそうでした。
が。
「とは言っても夜には混浴じゃがな。なんというか、ワシが言うのもなんじゃが、ってことになるのかの? 誰もそれに触れないっちゅうのはそれはそれで不自然ってことになるんじゃろうが」
彼氏である同森さんがそれを言うというのは、聞き方によっては遠回しな彼女自慢に聞こえてしまうのかもしれません。「ワシが言うのもなんじゃが」というのはそれを指しての言葉だったのでしょうが、しかしもちろん、今になってそれを自慢だと思える人はいないわけです。大吾も含めて。
という話はともかく、
「難しい話ですねえ」
誰もそれに触れないのは不自然だ、という話。そりゃまあいくら混浴だからって、今みたいな話で盛り上がるというのはやはり下世話というものなのでしょう。となればやはり普段と同じくそういう話は控えるべきなのでしょうが、けれどだからといって音無さんの胸について誰も何も言わないとなると、それは「あからさまに避けている」ということにしかならないわけで、となるとそれって逆にどうなのよって話にもなるわけです。はっきり言って、目につかないわけがないですもんね。
難しい話だ、と発言した僕だけでなく、この場のほぼ全員がこの難題に眉をひそめていたところ、
「し、真剣に考え込むところなのかこれ」
大吾は引き続き面喰っているようでした。が、しかしそんな彼に言葉を掛けるようなことは敢えてしないでおきました。というのも、いま僕達が目指しているのは事情を良く知らない大吾の立場そのものであって、ならば大吾にはそのままでいてもらったほうが都合がいいからです。いいお手本として。
そしてそのいいお手本曰く、どうやらここは真剣に考え込むようなところではないようで。
なるほど軽く考えればいいのかもしれない、というふうに思ったのは恐らく僕だけではないようで、全員の視線が一気に大吾に集中。しかしだからといって具体的な打開策が出るというわけでもなく、そしてそれらの目は一様にこの問題への苦心に細められており、ならばそんな睨みつけるようですらある視線を一身に集めてしまった大吾は、それ以上声を出すこともなく小さくなるばかりなのでした。
…………。
で、どうしましょうかという話なのですが、
「お邪魔しまーす!」
その前に誰かこの部屋を訪れたようでした。四方院の人だったらノックしてくるだろうし、なんてことを考えるまでもなくその声からして、
「由依さん……!」
であるらしいのでした。その弾んだような声色からして、どうやら音無さん、今の今まで話していた自分のことより異原さんのほうがよっぽど心配だったようです。
というわけで、口宮さんを引き連れどかどかと室内に踏み込んできた異原さんへ向けて「もういいんですか……?」と尋ねる音無さん。しかし、すると異原さんは音無さんでなく僕のほうを向いてこう一言。
「ばらしちゃった?」
ひぃっ。
「ご、ごめんなさい。でもばらしたってほどじゃなくて、暫く二人だけにしてあげたほうがいいってくらいで」
言い訳がましくそう言ってみたもののしかし、これについては言い訳ではなく適切な対処だったと、一応はそう思っています。が、それにしたってやはり、本人の目の前で自信たっぷり余裕綽々とはいかないわけで。
「別にいいだろ、んなもんどっちでも。俺らが一方的に迷惑掛けてんだし」
「別に日向くんを責めたりなんかしないわよ、あたしだって。それに……まあ、あたしらじゃなくてあたし一人なんだし」
口宮さんに救われたとみるべきかそうでないのか、ともあれどうやらお咎めなしで済ませて頂けたようでした。
「そういうわけだから日向くん、とあと栞さんも、お世話になりました。静音も、もう大丈夫だから」
「そうですか……」
ということだそうなので、それについては一件落着と相成りました。
であるなら話は元に戻るわけで、
「で、何の話してたのこれ? 見た感じ、なんか話し合ってたっぽい雰囲気なんだけど」
「つまり俺らはいきなり現れて横からそれを邪魔したってことだな」
「そ、そうだけどそんな言い方することないでしょうが」
仰る通り。あ、いえいえ、邪魔したってことではなくて。
「なんとも説明し難い話なんじゃが、まあそういうわけにもいかんか」
本人に言わせることを避けるにしても成美さんか栞に任せればいいのに、とは言いますまい。同森さんから、ここまでの議題についての説明がなされるのでした。つまりは、音無さんの胸についての。
とはいえそれについてのあれやこれやは異原さんと口宮さんだって初めから承知していたわけで、ならば別にそれで無用な騒ぎが起こるようなこともなく、同森さんからの説明は何事もないまま終わりを迎えることができたのでした。
「完全に当たり前な話なんだな、これ」
大吾はやっぱり面喰らっているのでした。
で、それはともかく。
「それならいい考えがあるわ」
説明が終わったその途端、皆が待ちに待っていた一言が異原さんの口から。
「ほほう、本当か異原」
「ええ。ただし、混浴に行くまで秘密ってことにしておくけどね」
「なんにせよ有難い話なんじゃ、それくらいは」
音無さん本人すら深刻に捉えてはいない――深刻に捉えていないからこそ発生した問題ではあるのですが――以上、有難いとまで思うのは同森さんだけなのかもしれませんが、ともあれ解決の兆しが見えてきたのは喜ばしいことです。
が、しかし。
「え、混浴に行くまでって、それって異原さんも混浴に行くってことですか?」
「そりゃあ混浴に行くまで秘密なのに、そこにあたしが行かなかったら何も起こらないものね」
平然とそう言い放った異原さんに僕と栞は顔を見合わせ、そして力無い笑みを浮かべ合うのでした。問題がないに越したことはないというのはもちろんなのですが、まあそれにしたって見事な骨折り損のくたびれ儲けです。
「ええと、どうかしたの?」
「いえいえ、お気になさらず」
混浴に一緒に行くかどうか訊きはするけど、初めから断られるつもりでいる。そんな話は栞とだけでなくこの部屋のみんなの前でしてしまっていたので、あちこちからくすくすと笑い声が聞こえてきたりもするのでした。
「余計な心配させちまったってことだな」
「そうなの?」
「話の流れからしてそうだろ」
意外な敏感さを見せる口宮さんでした。が、しかし恐らく、今までは表に出さなかっただけなんでしょうけどね。自分は彼氏として立派なのか、なんてことを考えられる人なんですし。
「あのー」
口宮さんの言葉を受けて異原さんが若干ながら申し訳なさそうな表情を浮かべたところ、それに誰かしらがフォローを入れるよりも速く、ナタリーさんが動いたのでした。
「口宮さんと一緒にお風呂に入れるってことでいいんですよね?」
ええと、曲がりなりにも女性の声でそういうこと言われちゃうとかなりアレなんですけど、まあそうですね。
「あ、ナタリーさん達、次んとこも入れるんですか」
「はい」
ナタリーさんが嬉しそうにしているのは語るまでもないとして、口宮さんもまんざらではなさそうなのでした。というのはもちろん、僕が今思ったようなこととは意味を別にするところではあるんでしょうけど。
「モテモテじゃな口宮」
「うるせえ。っていうか、一人を相手に使う言葉じゃねえっつったのお前だろうが」
さっき入った風呂でのことを言っているのでしょう、こんなところで同森さんによる意趣返しが。
あの時は義春くんが同森さんにくっ付いていたのをからかって口宮さんがそう言ったわけですが、ということもあってか、ここで異原さんが思い出したようにこんなことを。
「あ、そういえばこっちに来るちょっと前、部屋に義春くんが挨拶に来たんだけど。もう戻りますって言って」
「ああ、そうだったな。こっちでなんかあったのか?」
ということをこの場で尋ねてくるということは、本人には何も訊かなかったということなのでしょう。訊ける状態になかったということなのか、それとも気を遣って訊かなかったのかというのは、しかしまあわざわざ問いただすようなことはしないでおきますが。
「何かあったのかと言われたら、何もなかったの。客のワシらとずっと遊んでるのはどうじゃろうかってことで、そろそろ戻ったほうがいいじゃろうと義春くん自身がそう判断してそうしただけじゃ」
はっきりとそう明言していたわけではありませんでしたが、しかし同森さんのその解釈に間違いはないのでしょう。というわけで誰もそれを訂正したりしないでいたところ、異原さん口宮さんともに溜息を交えさえしながら口を開き始めるのでした。
「お利口さんどころの話じゃないわねえ」
「もはや尊敬に値すんじゃねえか? 真面目な話」
その評価には、まあ、ついさっきまでの自分達の状態を鑑みて、というところもなくはないんだろうと思います。大元になった風呂場での会話だって、一部はその義春くんの立派さをきっかけとしていたわけですしね。
「明日、帰る前にもう一度会えないかお尋ねしてみることになっているであります。帰り支度なんかで忙しいかもしれないでありますが、もしよかったら、優治殿と由依殿もご一緒に」
「あら。そういうことならもちろん、あたし達も」
「まあそこで敢えて会わねえって意味分かんねえしな」
立案者であるウェンズデーがお誘いを掛けたところ、口宮さんが仰る通り断る理由なんかあるわけがなく、お二人揃ってその誘いに乗ってくださるのでした。
いや、誘いを掛けたウェンズデーならともかく僕が「乗ってくださるのでした」なんて言い方をするのはちょっと変なのかもしれませんけど、義春くんの去り際に思ったことを考えると、やっぱりそうもなってしまうわけですよ。
…………。
で。
「で、こっからどうするよ。後からまた入るったってやっぱもう風呂入っちまってるわけだし、あんまドタバタすんのもどうかと思うんだけど」
「いや大吾、そもそもドタバタって何するつもりなのさ」
「……言われてみれば。散歩とか?」
それだってドタバタはしないと思うけど、まあ、外に出るのはってことにしておきましょう。
「はいっ!」
ここで勢い良く手を上げたのは異原さんでした。はいどうぞ。
「あたしトランプ持ってきました!」
『おおー』
湧き上がる拍手。ということはつまり、異原さん以外にそういったものを準備してきた人はいなかったと、そういうことなのでしょう。
旅行先にトランプ。定番ではあるのでしょうがしかし、そういえばあまくに荘のみんなにはそういった習慣がないようにも思います。前にここに来た時もそうでしたしね。
……猫じゃらしはそこに含んでもいいんでしょうかね?
「ふ、二人ずつの部屋割りになるなんて思ってなかったから、なかなか出番がなかったっていうか」
「急にテンパられてもな」
「あうあう」
そのおかげで起こったあれやこれやを考えれば、異原さんがそうなるのもまあ分からないではないんですけどね。
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