こんにちは。204号室住人、日向孝一です。とはいえ今いるここは……あれ、そういえば何号室でしたっけね。ともかくここは四方院さん宅の旅館の一室です。
その人さまの家でお嫁さんといちゃいちゃ――というほどでもない、と自分では思っているのですが――したりなんかしていたところ、
「ところで孝さん、ずっといちゃいちゃしててもあれだし、ここら辺で気を取り直してみるけど」
「なに?」
そう言ってくる割にはいつもの「僕の足の間に腰を下ろして傷跡の跡を触らせている」状態を脱しようとはしなかったりする栞なのですが、というのはともかく、こちらの意に反してあっさりといちゃいちゃ認定をされてしまうのでした。
いやしかし甘える側甘えられる側がそれぞれどっちなのかと考えれば、こうなった経緯からして栞が甘える側で僕が甘えられる側なわけで、だったら栞からそう言ってくるというのはまだセーフ扱いでいいのかもしれません。異原さん達の話をしてたら自分も甘えたくなった、でしたもんね。こうなるに至ったことについての栞の言い分は。
などと苦し紛れに無理矢理納得しておき、そしてそれはどうでもいいとして、栞の話ですが。
「私と孝さんは混浴に入ることにしてるわけだけど、他のみんなに声掛けたりってどうする? やっぱり二人だけで行ったほうがいいのかな」
ふむ。
「ちなみにそれって、心配の対象は誰?」
「んー、いろいろ。私は多分誰がいても平気だと思うけど他の人はどうかなーとか、そういうのとは別に孝さんと二人だけっていうのも悪くないしなーとか」
いろいろ考えられそうだからと尋ねてみたところ、栞もそれと同じくいろいろ考えているようでした。
あれこれあって結論を出すのにもたついていたのは口宮さん異原さんペアだけだったのですが、その二人もこれまたあれこれあって入ることにしたそうで、ならば一応は一緒に来た全員が混浴に入るつもりではあるのです。
が、だからといって、という話でもありましょう。
「入るって言ってるからには他のみんなもたまたま鉢合わせになる可能性ぐらいは考慮に入れてるとは思うけど、でもまあどうなんだろうね。初めから一緒に入るつもりでってことになると」
「成美ちゃんと大吾くんはまあ問題なさそうだと思うけどね。音無さんと同森さんは分からないけど……あと、異原さんと口宮さん、というか異原さんはちょっと厳しいかなーと」
「そうなるよね、やっぱり」
恥ずかしくて混浴に入れなかった、という思い出を残すのは嫌だと、そう言って無理矢理入れる状態に持っていった異原さん。
……具体的に言ってしまうと、口宮さんに裸を見せたとのこと。
なんせあの異原さんですから、その光景を思い浮かべるまでもなく、とてつもない意志力を以ってようやく成し遂げられたことだったのでしょう。思い浮かべるまでもなくというか僕の中の罪悪感が思い浮かべることを拒否しているのですが、という話は横に置いておくとして。
「あんまり無理はさせたくないかな。口宮さんと二人だけでゆっくりしてもらったほうが」
「うん、私もそれがいいと思う。ただ、それでも一言声を掛けるくらいはした方がいいかなーとも思うけど」
「なんで?」
「気を遣われてる感丸出しっていうのもそれはそれで落ち着かないだろうし」
「あー」
なまじ異原さんがああでも一方の口宮さんは平気そのもの、ということもあるわけで、ならばそれは確かにそうなのかもしれません。二人の関係を考えれば誤差のようなものですが、一応形としては異原さんへの気遣いに巻き込まれる、ということになるわけですしね。
「断られるために訊く、ぐらいの低姿勢でいってみる?」
「そうだね。その低姿勢っぷりをうまく表現できるかどうかは不安だけど」
それはもう気遣いとかそういうのではなく交渉術というものの範疇になってしまうような気がしますしね。なんて言っておきながらもちろん、交渉術がどんなものかなんて全く知らないわけですけど。
「あ、孝さん、そういえば」
「ん?」
「ここまでの話って、『私達二人だけで入る』っていう選択肢をまるで考慮してない感じだったけど」
「あ、忘れてた」
…………。
「忘れるくらいだったらいっか、もう」
「みんなで入る気まんまんだったもんねえ、私も孝さんも」
これで忘れていたのがどちらか一方だけだったとしたら、かなり空気が悪くなっていたのではないでしょうか。ならばそれを危機一髪とみて冷や汗をかくか、はたまた似た者同士とみて笑い話で済ませるは――まあ、二人揃って後者になるわけですけどね。
「ところで孝さん、ついでに一つ訊いてみたいんだけど」
「なに?」
「正直なところ、男の人としてはどうなの? やっぱり多少の期待はするもの?」
「しないって言ったら信じてもらえるのかなあ、それ」
男の人としてはなんて言うからには、なんて説明をする必要がないくらい、それは気になっても仕方がないというか、気になって当然の質問ではあるのでした。だからって実際に尋ねるかと言われたら、皆が皆そうではないんでしょうけどね。
というわけでうちの栞はこんななのですが、するとこんな栞であるからこそ、続けてこんな質問も。
「信じるって言ったら、しないって言う?」
…………。
「いや、多少は。全くないって言ったら嘘になるしさ、やっぱり」
「だよね。ふふ、さすが孝さん」
何がどうさすがなのかは知りませんが、そんな決着をみてこの話題は終了するのでした。
「あ、同森さん達も来てたんですか」
「まあ二人だけでいても仕方ないしの」
異原さん口宮さんの話ばかりしてはいましたが、しかし混浴どうのの話は別にそのお二人に限った話ではないわけで、ならば僕達がお邪魔したのは大吾と成美さんの部屋なのでした。
とはいえもちろん、その用事のためだけに来たわけではなく、大吾達と一緒にいる筈の義春くんに会いに来た、というのもあってのことだったのですが――。
「この状況は?」
「ううむ、それがどういうわけか気に入られたようでなあ。あっちもこっちも」
お目当ての義春くんは、同森さんの膝の上に。
そしてその二人と対面するようにして座っているのは音無さん。と、その膝の上に座っている成美さんなのでした。
そんなことになっているからには成美さん、また猫耳を出して小さい方の身体になっているわけですが、その度に着替えなきゃならないというのに大変なことで。しかし逆に言って、それが苦にならないほど音無さんの膝の上が気に入った、ということなのかもしれませんけどね。風呂に入っている時もそうしていたらしいですし。
「静音はまあ――まあ、分かるとして、ワシの膝の上なんかゴツゴツして座り心地もそんなに良くはないと思うんじゃがなあ。自分で言うこっちゃないんじゃろうが」
何がどう分かるのか、というのは露骨に省略する同森さんなのでした。ええ、まあ、そうなりましょうともね。
「そんなことないですよ。かっこいいですし」
「はは、そうかそうか」
好き好んでそのゴツゴツした膝の上に座り込んでいる義春くんはそりゃあ反論を挟んできたりもするわけですが、しかし言わずもがな、それは反論になっていないのでした。義春くんぐらいの年頃だと、「かっこいい」が何物にも勝るというのは分かるんですけどねそりゃあ。
しかしあの同森さんの笑みの引きつり様、言われ慣れてないんでしょうねかっこいいなんて。
「成美さんは……可愛いですよね……」
「言う側と言われる側が逆ではないか?」
「あれ……? そういえばそうですね……」
「ふふ、まあそう言ってもらえるのは嬉しいがな」
こっちはこっちでそんなご様子。この余裕っぷり、こっちは言われ慣れてるんでしょう。なんて、その現場を何度も見てきているので推測に頼る必要なんかありはしないわけですけど。
「こんだけ集まっちまったら、どうする? もう一部屋の二人も呼んでくるか?」
残る一人である大吾ですが、こちらも膝の上にウェンズデーを座らせていて、しかもそれだけでなく肩にはナタリーさん脇にはジョンと、数だけで言えば一番人気なのでした。見慣れた光景ではありますけどね。
で、それはともかく提案のほうなのですが、そちらには栞からこんなお返事が。
「あ、それはちょっと待った方がいいかも。何があったとは言わないけど、少し二人だけにしてあげてくれないかな」
ですよね。
「何があったって、風呂のアレじゃなくてですか? 異原サンが口宮引っ張って帰ってた」
「アレの続きって感じかな。まあ、心配するようなことじゃないから」
当人達もこっそり移動したというようなことはなかったんでしょうけど、どうやら口宮さんと異原さんが僕達の部屋を訪れたということは、大吾だけでなくこの場の誰も知らなかったようでした。
とはいえそれは別にこだわるような話でもなく、ならば栞は、僕のほうを向きつつさらっと話を変えてきます。
「そうだなあ、ついでだしもうこのまま訊いちゃおうか」
「そうだね」
それが何の話であるかは、確認するまでもありません。栞は部屋の中央を向き、みんなへ向けてその質問を投げ掛けました。
「混浴の話なんですけど、もし大丈夫だったらみんなで一緒に入れないかなーって話になりまして。どうでしょう?」
という話になれば、それぞれのカップル同士で顔を見合わせたりすることになるわけです。それに際して成美さんが少し身体をずらした際、押されたか弾かれたかして揺れたのですが、それについては何がとは言いませんし気付かなかったことにしておきますしということで。
「ワシらは大丈夫です。ってことでいいかの? 静音」
「うん……そういうことならわたしもご一緒したいし……」
「わたし達も大丈夫だよな? 大吾」
「少なくともオレが大丈夫じゃねえってのはねえだろ」
思っていた以上にあっさりと決定したのでした。こんなものなのかもしれませんね、割と。僕達にしたって同じくあっさりしたものでしたし。
では口宮さん異原さんのことを除けばこれで解決――と、実はそういうわけでもなかったりしまして、
「自分達、今度はどうすればいいでありましょうか?」
「あー、そうだなあ。でももう、一回入れさせてもらったってのもあるっちゃあるし」
でも、なんて言うからには、大吾としては混浴のほうにもウェンズデー達を同行させたいということではあるのでしょう。が、その「一回入れさせてもらった」という立場的に、尋ね難かったりもするわけです。その尋ねる相手である義春くんが今、目の前にいるにしても。
「大丈夫だと思いますよ?」
と思ったら義春くん、尋ねるまでもなくそう言ってくれたのでした。……いやまあ、正直なところ尋ねたのと大差ない流れではあったんですけどね。
「こんなこと言っちゃったら本当は駄目なのかもしれませんけど、あのお風呂って屋根とかないですし、だからたまにお山の動物が入ってきちゃってたりしますから。ああ、もちろん気が付いたら外に連れていきますけど」
言われてみれば、と言われるまで想像しなかったのもどうかと思いますが、そりゃまあ露天なら動物が入ってくるなんてことも起こり得るのでしょう。しかしだからといって客が進んで動物を連れ込んでいいかとなると話はまた変わってくるわけですが。
果たして義春くん、まだそこまでの話には理解が及んでいないのか、はたまた僕達だから大目に見てくれているということなのか。
「ふむ。まあしかし、その前に一応の確認ぐらいはしておくが」
とここで、成美さん。その確認の相手は義春くんではないらしく、再び大吾達のほうを向くわけですが、ならばこれまた再び以下略。全く動じないんですね音無さん。
「一緒に行きたいということでいいのか? ウェンズデー達は」
「むむむ、問題ないというのであれば」
「ですね」
「ワフッ」
成美さんの確認については満場一致でそんな回答が。当人達の意見を訊く前から一緒に行く気まんまんだった大吾がその背後でやや苦い表情を浮かべていたりもしたのですが、指摘はしないでおきましょう。むしろ大吾はそれでこそです。
「それであの、異原さんと口宮さんはどうなるんでしょうか? 今この部屋に呼ぶのは待った方がいいって話でしたけど」
今度はナタリーさんからそんな質問が。こちらはこちらで出来ればその二人も一緒のほうがいいということなのでしょう。お気に入りみたいですもんね、特には口宮さんのことが。
で、その異原さんと口宮さんの話ですが、ここで回答をすべきなのはそりゃあ僕か栞ということになるわけです。今ここに呼ばないほうがいいというのも、僕達が言ったことなんですしね。
というわけでここは僕から。
「一応声は掛けるつもりですけど、無理はさせないようにしたいというか。正直なところ、断ってもらう体で行くつもりにしてます」
「そうですか……。いえ、あの、そうしたほうがいいってことならそうしてあげてください」
ううむ、見るからに残念そうな。
「まあ仕方ねえよな」
その見るからに残念そうなナタリーさんと一緒に残念そうな顔をしながら、大吾はそう言ってナタリーさんの小さな頭を指の腹で撫でるのでした。
人間は服を着るのが普通だから逆に人に裸を晒すっていうのは結構なことなんですよねえ、なんて、合ってるようで微妙に合ってないようなことをついつい考えてしまったりもするのですが――
「では義春殿はどうするでありますか?」
!!
「ああ……うーん、いや、でももうたくさんお世話になりましたから」
一瞬、邪さ溢れる心配が湧き上がったりもしたのですがしかし、義春くんはまるで気にしていないようでした。やっぱりそうですよね、女の人がどうとか気にする年でもないですよね。
「ワシらは別に気にせんが、というような話ではない感じかの」
「はい。ここまでしてもらってこんなこと言うのも変なんですけど、その、皆さんはお客様ですから」
「偉いのう、本当に」
「えへへ」
同森さんのゴツい手でわしわしと頭を撫でられて、嬉しそうに頬を緩める義春くん。どうなんでしょう、同森さんがご自身で語っていた通りに義春くんが今座っているその膝もその手同様、ゴツゴツしてそうなものなんですが、座ってみれば案外心地よかったりするものなんでしょうか。
いやまあどちらにせよ、僕が体験しにいかせてもらう、というわけにはいきませんけどね。なんか見た目に酷いことになりそうな……ああ、これはちょっと。
「分かりました。はい。――ああそれと僕、そろそろそっちに戻りますね。はい」
大丈夫だとは思うけど念のため、と前回の風呂の時同様、露天風呂へのジョン達の同行の可否を電話で確認してくれた義春くんは、最後にあちら方へそんな報告も。
こちらとしても少々残念なことではあるのですが、しかし先程の同森さんとの遣り取りを振り返る限り、引き留めるなんてことはまあできないわけで。
「一緒に行っても大丈夫だそうです、あっちのお風呂も」
「ありがとうであります、義春殿」
「ありがとうございます」
「ワウ」
そっちに戻る、という話には触れずに、ジョン達についての話だけを報告してくる義春くん。戻ることにした理由もあって、客に聞かせる話ではない、ということなんでしょう、恐らくは。
最後の最後まで、などという感想は最早くどいものとしておきましてその義春くん、「いや、でも、僕が大丈夫にしたってわけじゃないですし」と礼を言ってきたウェンズデー達に照れ交じりの笑みを返します。
いいものですね、子どもの笑顔って。
なんて感想も、今の「くどいもの」の反動から余計に強くそう思えるということではあるんでしょうけどね。別に今初めて見たというわけでもなし。
「それじゃ僕はそろそろ。……あ、そうだ、日向さん」
「ん?」
ここで僕? と思ったのですが、厳密には僕ではありませんでした。
「口宮さんと異原さんなんですけど、挨拶ってしないほうがいいですか?」
というとなんだか二人が嫌われ者みたいに聞こえてしまうわけですがもちろんそういうことではなく、今は二人にしておいた方がいい、という話なのでしょう。で、その話については僕と栞がその担当ということになっているわけで。
「それくらいなら大丈夫だと思うよ」
「そうですか。じゃあ、帰りにちょっとだけ」
「うん」
なにも外部との接触を一切合財断つべきだ、とまではもちろん言わないわけで、ならばこれはさすがに問題ないでしょう。逆に一体何をしていたら義春くんでさえ近寄ってはいけない、なんてことに……ああいえいえ、変なことは考えないでおきましょうか。
「それじゃあ皆さん、今日は本当にありがとうございました。すごく楽しかったです」
部屋の入り口近くへ移動し、みんなと向き合うようにしてから、丁寧に頭を下げつつそう告げてくる義春くん。ならばそれを受けてこちらからは思い思いの返事がされ、それに押されているのか逆に後ろ髪を引かれているのか、玄関口へ向かう義春くんの歩みはとてもゆっくりしたものなのでした。
今日、僕達がここへ来ることになったこと自体、義春くんのためを思って道端さんが誘いを掛けてきたことが発端だったりします。そのことを思うと、というか「そんなことをしなければならなかったことを思うと」ということになるのでしょうが――。
引き留めてあげたい。
なんて言い方は実に押し付けがましくはあるのですが、しかしそれが分かっていても尚、そう思わずにはいられないのでした。
「明日、ここを出るのは朝早くなんでありましたよね?」
「ん? ああ、そうだな。平日だし、じゃあ孝一達は大学があるから」
「できれば、帰る前にもう一度義春殿に会っておきたいであります。何をするというわけでもないでありますが、サーズデイもそうしたがっているでありますし」
「そっか。そうだなあ、頼むくらいはしてみるか。朝早いったって起きてもねえ時間帯ってほどじゃねえし」
義春くんを見送り、開かれ、そして閉じられたドアから視線を外さないまま、ウェンズデーと大吾はそんな遣り取りを交わすのでした。僕と同じかどうかはともかく、やはり何かしら思うところの一つくらいはあるということなのでしょう。
「サーズデイ……さん? は、ええと……?」
「あ、マリモです」
「マ、マリモですか……」
どうやら僕達がいない間にでもウェンズデー達のことをある程度説明していたらしく、今度は音無さんが大吾とそんな遣り取り。自分から尋ねておいて困惑気味ではありましたが、しかしまあそれも無理からぬことでしょう。ペンギンが喋っているだけでもかなりの事態だというのに、それが明日には別の生き物に入れ替わり、しかも今度は植物です。むしろ何をどう納得しろっていう話ですもんね、話に聞いただけってことなら。
「ははは、まあそう硬くなるな音無。実際会ってみればあれこれ考えたのが馬鹿らしくなるような奴だからな、サーズデイは」
むしろ近過ぎるからこそ硬くなったことなんてまるで伝わらなそうな位置に陣取っている成美さんは、笑いながらそんなふうに。しかしそんな硬い柔らかいの話はともかくとして、まあぷかぷかしてるかにこにこしてるかのどっちか、みたいな感じですもんね、サーズデイさんって。
すると更に、栞からも音無さんへ一言。
「成美ちゃんが気に入ったんならサーズデイも気に入ると思いますよ?」
「わたしは一体それをどう解釈すべきなんだ日向」
「ふふ、そうですか……」
「え、いや音無、今の説明で何を納得したというんだ?」
小さくて可愛らしい、マスコット的な。きっとそういうことなんでしょう、と察せてしまうからには、それが正解かどうかはともかく少なくとも僕はそんなふうに思っている、ということなのでしょう。なんとなく口にはしないでおきますけど。
「成美殿、サーズデイは喜んでいるようでありますが」
「むむむ、となるとわたしが変なだけなのか? どうももやもやするというか、素直に喜べないんだが」
腕を組み、難しい表情を浮かべる成美さんでした。しようと思えば助け舟と称して栞が言ったことの説明だってできなくはないのですがしかし、それが本当に助け舟になり得るかと言われたら素直にはいとは言えないような気もしないではないですし。
というわけで。
「大吾、どう?」
「何でもオレに振りゃいいってもんじゃねえぞオマエこの野郎」
「まあまあそう言わずに」
何でもとは言いませんが、少なくとも動物に関する話と成美さんに関する話は大吾に振ってしまって問題ないとは思いますしね。真面目な話としても、からかい目的としても。
「あー、成美?」
「ん? 結局引き受けてくれるのか?」
依然として音無さんの膝の上に座っており、ならば同じく依然として「ちょっと動かないと大吾が視界に入らない」という位置関係にある成美さんは、ちょっとだけ頬を緩ませたりしながら大吾のほうへと顔を向けるのでした。
ちなみにその動いたことで音無さんのどうのこうの。
「…………」
「ははは、済まん済まん。うむ、なんだ大吾」
出鼻を挫かれ気勢を削がれ、力なくかつ恥ずかしそうに俯いてしまった大吾はしかし、俯いたままの姿勢から横目で僕を睨んでもくるのでした。いやいや僕だってまさかこの展開を予期してたわけじゃあ、という意図を込めて首をプルプルと小さく横に振ってみたりしたのですが、果たしてどこまで伝わったことやら。
果たして大吾、ゆるゆると頭を持ち上げ、ふざけているとしか思えないような気の抜けた声で成美さんにこう告げます。
「素直に喜びたかったらオレがいくらでもー、みたいなこと言おうとしたんだけどよー」
恨みがましいことこのうえなし、ではありましたがしかし、
「…………!」
成美さん、そんなでもしっかりはっきりときめいた表情をなさるのでした。
「め、め、珍しいではないか。お前が人前でそういうことを言うなんて」
「言うなんてっつうか言ってねえつもりなんだけどなー。そりゃあ、オマエが困ってる時くらいは張りきったりもするっつうのー」
気が抜け過ぎてなんだかいわゆるコギャル口調というやつになりつつあるような気がしますが――いわゆる、なんて言っておきながら最近はあまり聞かなくなったような気もしますが――名称はどうあれとにかく気だるそうな大吾に、ならば顔を赤くしていた成美さんはしおしおと。
「そういうことなら済まなかった。本気で心配してくれていたとは」
「あ、いや別にそこまでのことでもねえんだけど」
そうなると今度は大吾がしゃっきりするのでした。ううむ、微笑ましいんだかめんどくさいんだか。
するとそんな折、しゃっきりしだした大吾の膝に座っていたウェンズデーがそこからするりと滑り降りました。
「成美殿、交代するであります」
それは一見優しいようでいて、しかしその実、なかなかにスパルタな提案でもありました。事が起こってすぐにそれは結構難しい――というのはしかし、ウェンズデーも分かっていてそうさせようとしているんでしょうけどね。というわけで成美さんはやや躊躇いを見せもしたのですが、けれど結局、ウェンズデーの提案通りに動いたのでした。
音無さんにそうするよう促されていたようにも見えましたが、でもまあ本当にそうだったとしても、どちらにせよそれだけが理由ということではなかったのでしょう。そんなところで意地を張ったり悪足掻きをしたりする人じゃないですしね、成美さん。
その人さまの家でお嫁さんといちゃいちゃ――というほどでもない、と自分では思っているのですが――したりなんかしていたところ、
「ところで孝さん、ずっといちゃいちゃしててもあれだし、ここら辺で気を取り直してみるけど」
「なに?」
そう言ってくる割にはいつもの「僕の足の間に腰を下ろして傷跡の跡を触らせている」状態を脱しようとはしなかったりする栞なのですが、というのはともかく、こちらの意に反してあっさりといちゃいちゃ認定をされてしまうのでした。
いやしかし甘える側甘えられる側がそれぞれどっちなのかと考えれば、こうなった経緯からして栞が甘える側で僕が甘えられる側なわけで、だったら栞からそう言ってくるというのはまだセーフ扱いでいいのかもしれません。異原さん達の話をしてたら自分も甘えたくなった、でしたもんね。こうなるに至ったことについての栞の言い分は。
などと苦し紛れに無理矢理納得しておき、そしてそれはどうでもいいとして、栞の話ですが。
「私と孝さんは混浴に入ることにしてるわけだけど、他のみんなに声掛けたりってどうする? やっぱり二人だけで行ったほうがいいのかな」
ふむ。
「ちなみにそれって、心配の対象は誰?」
「んー、いろいろ。私は多分誰がいても平気だと思うけど他の人はどうかなーとか、そういうのとは別に孝さんと二人だけっていうのも悪くないしなーとか」
いろいろ考えられそうだからと尋ねてみたところ、栞もそれと同じくいろいろ考えているようでした。
あれこれあって結論を出すのにもたついていたのは口宮さん異原さんペアだけだったのですが、その二人もこれまたあれこれあって入ることにしたそうで、ならば一応は一緒に来た全員が混浴に入るつもりではあるのです。
が、だからといって、という話でもありましょう。
「入るって言ってるからには他のみんなもたまたま鉢合わせになる可能性ぐらいは考慮に入れてるとは思うけど、でもまあどうなんだろうね。初めから一緒に入るつもりでってことになると」
「成美ちゃんと大吾くんはまあ問題なさそうだと思うけどね。音無さんと同森さんは分からないけど……あと、異原さんと口宮さん、というか異原さんはちょっと厳しいかなーと」
「そうなるよね、やっぱり」
恥ずかしくて混浴に入れなかった、という思い出を残すのは嫌だと、そう言って無理矢理入れる状態に持っていった異原さん。
……具体的に言ってしまうと、口宮さんに裸を見せたとのこと。
なんせあの異原さんですから、その光景を思い浮かべるまでもなく、とてつもない意志力を以ってようやく成し遂げられたことだったのでしょう。思い浮かべるまでもなくというか僕の中の罪悪感が思い浮かべることを拒否しているのですが、という話は横に置いておくとして。
「あんまり無理はさせたくないかな。口宮さんと二人だけでゆっくりしてもらったほうが」
「うん、私もそれがいいと思う。ただ、それでも一言声を掛けるくらいはした方がいいかなーとも思うけど」
「なんで?」
「気を遣われてる感丸出しっていうのもそれはそれで落ち着かないだろうし」
「あー」
なまじ異原さんがああでも一方の口宮さんは平気そのもの、ということもあるわけで、ならばそれは確かにそうなのかもしれません。二人の関係を考えれば誤差のようなものですが、一応形としては異原さんへの気遣いに巻き込まれる、ということになるわけですしね。
「断られるために訊く、ぐらいの低姿勢でいってみる?」
「そうだね。その低姿勢っぷりをうまく表現できるかどうかは不安だけど」
それはもう気遣いとかそういうのではなく交渉術というものの範疇になってしまうような気がしますしね。なんて言っておきながらもちろん、交渉術がどんなものかなんて全く知らないわけですけど。
「あ、孝さん、そういえば」
「ん?」
「ここまでの話って、『私達二人だけで入る』っていう選択肢をまるで考慮してない感じだったけど」
「あ、忘れてた」
…………。
「忘れるくらいだったらいっか、もう」
「みんなで入る気まんまんだったもんねえ、私も孝さんも」
これで忘れていたのがどちらか一方だけだったとしたら、かなり空気が悪くなっていたのではないでしょうか。ならばそれを危機一髪とみて冷や汗をかくか、はたまた似た者同士とみて笑い話で済ませるは――まあ、二人揃って後者になるわけですけどね。
「ところで孝さん、ついでに一つ訊いてみたいんだけど」
「なに?」
「正直なところ、男の人としてはどうなの? やっぱり多少の期待はするもの?」
「しないって言ったら信じてもらえるのかなあ、それ」
男の人としてはなんて言うからには、なんて説明をする必要がないくらい、それは気になっても仕方がないというか、気になって当然の質問ではあるのでした。だからって実際に尋ねるかと言われたら、皆が皆そうではないんでしょうけどね。
というわけでうちの栞はこんななのですが、するとこんな栞であるからこそ、続けてこんな質問も。
「信じるって言ったら、しないって言う?」
…………。
「いや、多少は。全くないって言ったら嘘になるしさ、やっぱり」
「だよね。ふふ、さすが孝さん」
何がどうさすがなのかは知りませんが、そんな決着をみてこの話題は終了するのでした。
「あ、同森さん達も来てたんですか」
「まあ二人だけでいても仕方ないしの」
異原さん口宮さんの話ばかりしてはいましたが、しかし混浴どうのの話は別にそのお二人に限った話ではないわけで、ならば僕達がお邪魔したのは大吾と成美さんの部屋なのでした。
とはいえもちろん、その用事のためだけに来たわけではなく、大吾達と一緒にいる筈の義春くんに会いに来た、というのもあってのことだったのですが――。
「この状況は?」
「ううむ、それがどういうわけか気に入られたようでなあ。あっちもこっちも」
お目当ての義春くんは、同森さんの膝の上に。
そしてその二人と対面するようにして座っているのは音無さん。と、その膝の上に座っている成美さんなのでした。
そんなことになっているからには成美さん、また猫耳を出して小さい方の身体になっているわけですが、その度に着替えなきゃならないというのに大変なことで。しかし逆に言って、それが苦にならないほど音無さんの膝の上が気に入った、ということなのかもしれませんけどね。風呂に入っている時もそうしていたらしいですし。
「静音はまあ――まあ、分かるとして、ワシの膝の上なんかゴツゴツして座り心地もそんなに良くはないと思うんじゃがなあ。自分で言うこっちゃないんじゃろうが」
何がどう分かるのか、というのは露骨に省略する同森さんなのでした。ええ、まあ、そうなりましょうともね。
「そんなことないですよ。かっこいいですし」
「はは、そうかそうか」
好き好んでそのゴツゴツした膝の上に座り込んでいる義春くんはそりゃあ反論を挟んできたりもするわけですが、しかし言わずもがな、それは反論になっていないのでした。義春くんぐらいの年頃だと、「かっこいい」が何物にも勝るというのは分かるんですけどねそりゃあ。
しかしあの同森さんの笑みの引きつり様、言われ慣れてないんでしょうねかっこいいなんて。
「成美さんは……可愛いですよね……」
「言う側と言われる側が逆ではないか?」
「あれ……? そういえばそうですね……」
「ふふ、まあそう言ってもらえるのは嬉しいがな」
こっちはこっちでそんなご様子。この余裕っぷり、こっちは言われ慣れてるんでしょう。なんて、その現場を何度も見てきているので推測に頼る必要なんかありはしないわけですけど。
「こんだけ集まっちまったら、どうする? もう一部屋の二人も呼んでくるか?」
残る一人である大吾ですが、こちらも膝の上にウェンズデーを座らせていて、しかもそれだけでなく肩にはナタリーさん脇にはジョンと、数だけで言えば一番人気なのでした。見慣れた光景ではありますけどね。
で、それはともかく提案のほうなのですが、そちらには栞からこんなお返事が。
「あ、それはちょっと待った方がいいかも。何があったとは言わないけど、少し二人だけにしてあげてくれないかな」
ですよね。
「何があったって、風呂のアレじゃなくてですか? 異原サンが口宮引っ張って帰ってた」
「アレの続きって感じかな。まあ、心配するようなことじゃないから」
当人達もこっそり移動したというようなことはなかったんでしょうけど、どうやら口宮さんと異原さんが僕達の部屋を訪れたということは、大吾だけでなくこの場の誰も知らなかったようでした。
とはいえそれは別にこだわるような話でもなく、ならば栞は、僕のほうを向きつつさらっと話を変えてきます。
「そうだなあ、ついでだしもうこのまま訊いちゃおうか」
「そうだね」
それが何の話であるかは、確認するまでもありません。栞は部屋の中央を向き、みんなへ向けてその質問を投げ掛けました。
「混浴の話なんですけど、もし大丈夫だったらみんなで一緒に入れないかなーって話になりまして。どうでしょう?」
という話になれば、それぞれのカップル同士で顔を見合わせたりすることになるわけです。それに際して成美さんが少し身体をずらした際、押されたか弾かれたかして揺れたのですが、それについては何がとは言いませんし気付かなかったことにしておきますしということで。
「ワシらは大丈夫です。ってことでいいかの? 静音」
「うん……そういうことならわたしもご一緒したいし……」
「わたし達も大丈夫だよな? 大吾」
「少なくともオレが大丈夫じゃねえってのはねえだろ」
思っていた以上にあっさりと決定したのでした。こんなものなのかもしれませんね、割と。僕達にしたって同じくあっさりしたものでしたし。
では口宮さん異原さんのことを除けばこれで解決――と、実はそういうわけでもなかったりしまして、
「自分達、今度はどうすればいいでありましょうか?」
「あー、そうだなあ。でももう、一回入れさせてもらったってのもあるっちゃあるし」
でも、なんて言うからには、大吾としては混浴のほうにもウェンズデー達を同行させたいということではあるのでしょう。が、その「一回入れさせてもらった」という立場的に、尋ね難かったりもするわけです。その尋ねる相手である義春くんが今、目の前にいるにしても。
「大丈夫だと思いますよ?」
と思ったら義春くん、尋ねるまでもなくそう言ってくれたのでした。……いやまあ、正直なところ尋ねたのと大差ない流れではあったんですけどね。
「こんなこと言っちゃったら本当は駄目なのかもしれませんけど、あのお風呂って屋根とかないですし、だからたまにお山の動物が入ってきちゃってたりしますから。ああ、もちろん気が付いたら外に連れていきますけど」
言われてみれば、と言われるまで想像しなかったのもどうかと思いますが、そりゃまあ露天なら動物が入ってくるなんてことも起こり得るのでしょう。しかしだからといって客が進んで動物を連れ込んでいいかとなると話はまた変わってくるわけですが。
果たして義春くん、まだそこまでの話には理解が及んでいないのか、はたまた僕達だから大目に見てくれているということなのか。
「ふむ。まあしかし、その前に一応の確認ぐらいはしておくが」
とここで、成美さん。その確認の相手は義春くんではないらしく、再び大吾達のほうを向くわけですが、ならばこれまた再び以下略。全く動じないんですね音無さん。
「一緒に行きたいということでいいのか? ウェンズデー達は」
「むむむ、問題ないというのであれば」
「ですね」
「ワフッ」
成美さんの確認については満場一致でそんな回答が。当人達の意見を訊く前から一緒に行く気まんまんだった大吾がその背後でやや苦い表情を浮かべていたりもしたのですが、指摘はしないでおきましょう。むしろ大吾はそれでこそです。
「それであの、異原さんと口宮さんはどうなるんでしょうか? 今この部屋に呼ぶのは待った方がいいって話でしたけど」
今度はナタリーさんからそんな質問が。こちらはこちらで出来ればその二人も一緒のほうがいいということなのでしょう。お気に入りみたいですもんね、特には口宮さんのことが。
で、その異原さんと口宮さんの話ですが、ここで回答をすべきなのはそりゃあ僕か栞ということになるわけです。今ここに呼ばないほうがいいというのも、僕達が言ったことなんですしね。
というわけでここは僕から。
「一応声は掛けるつもりですけど、無理はさせないようにしたいというか。正直なところ、断ってもらう体で行くつもりにしてます」
「そうですか……。いえ、あの、そうしたほうがいいってことならそうしてあげてください」
ううむ、見るからに残念そうな。
「まあ仕方ねえよな」
その見るからに残念そうなナタリーさんと一緒に残念そうな顔をしながら、大吾はそう言ってナタリーさんの小さな頭を指の腹で撫でるのでした。
人間は服を着るのが普通だから逆に人に裸を晒すっていうのは結構なことなんですよねえ、なんて、合ってるようで微妙に合ってないようなことをついつい考えてしまったりもするのですが――
「では義春殿はどうするでありますか?」
!!
「ああ……うーん、いや、でももうたくさんお世話になりましたから」
一瞬、邪さ溢れる心配が湧き上がったりもしたのですがしかし、義春くんはまるで気にしていないようでした。やっぱりそうですよね、女の人がどうとか気にする年でもないですよね。
「ワシらは別に気にせんが、というような話ではない感じかの」
「はい。ここまでしてもらってこんなこと言うのも変なんですけど、その、皆さんはお客様ですから」
「偉いのう、本当に」
「えへへ」
同森さんのゴツい手でわしわしと頭を撫でられて、嬉しそうに頬を緩める義春くん。どうなんでしょう、同森さんがご自身で語っていた通りに義春くんが今座っているその膝もその手同様、ゴツゴツしてそうなものなんですが、座ってみれば案外心地よかったりするものなんでしょうか。
いやまあどちらにせよ、僕が体験しにいかせてもらう、というわけにはいきませんけどね。なんか見た目に酷いことになりそうな……ああ、これはちょっと。
「分かりました。はい。――ああそれと僕、そろそろそっちに戻りますね。はい」
大丈夫だとは思うけど念のため、と前回の風呂の時同様、露天風呂へのジョン達の同行の可否を電話で確認してくれた義春くんは、最後にあちら方へそんな報告も。
こちらとしても少々残念なことではあるのですが、しかし先程の同森さんとの遣り取りを振り返る限り、引き留めるなんてことはまあできないわけで。
「一緒に行っても大丈夫だそうです、あっちのお風呂も」
「ありがとうであります、義春殿」
「ありがとうございます」
「ワウ」
そっちに戻る、という話には触れずに、ジョン達についての話だけを報告してくる義春くん。戻ることにした理由もあって、客に聞かせる話ではない、ということなんでしょう、恐らくは。
最後の最後まで、などという感想は最早くどいものとしておきましてその義春くん、「いや、でも、僕が大丈夫にしたってわけじゃないですし」と礼を言ってきたウェンズデー達に照れ交じりの笑みを返します。
いいものですね、子どもの笑顔って。
なんて感想も、今の「くどいもの」の反動から余計に強くそう思えるということではあるんでしょうけどね。別に今初めて見たというわけでもなし。
「それじゃ僕はそろそろ。……あ、そうだ、日向さん」
「ん?」
ここで僕? と思ったのですが、厳密には僕ではありませんでした。
「口宮さんと異原さんなんですけど、挨拶ってしないほうがいいですか?」
というとなんだか二人が嫌われ者みたいに聞こえてしまうわけですがもちろんそういうことではなく、今は二人にしておいた方がいい、という話なのでしょう。で、その話については僕と栞がその担当ということになっているわけで。
「それくらいなら大丈夫だと思うよ」
「そうですか。じゃあ、帰りにちょっとだけ」
「うん」
なにも外部との接触を一切合財断つべきだ、とまではもちろん言わないわけで、ならばこれはさすがに問題ないでしょう。逆に一体何をしていたら義春くんでさえ近寄ってはいけない、なんてことに……ああいえいえ、変なことは考えないでおきましょうか。
「それじゃあ皆さん、今日は本当にありがとうございました。すごく楽しかったです」
部屋の入り口近くへ移動し、みんなと向き合うようにしてから、丁寧に頭を下げつつそう告げてくる義春くん。ならばそれを受けてこちらからは思い思いの返事がされ、それに押されているのか逆に後ろ髪を引かれているのか、玄関口へ向かう義春くんの歩みはとてもゆっくりしたものなのでした。
今日、僕達がここへ来ることになったこと自体、義春くんのためを思って道端さんが誘いを掛けてきたことが発端だったりします。そのことを思うと、というか「そんなことをしなければならなかったことを思うと」ということになるのでしょうが――。
引き留めてあげたい。
なんて言い方は実に押し付けがましくはあるのですが、しかしそれが分かっていても尚、そう思わずにはいられないのでした。
「明日、ここを出るのは朝早くなんでありましたよね?」
「ん? ああ、そうだな。平日だし、じゃあ孝一達は大学があるから」
「できれば、帰る前にもう一度義春殿に会っておきたいであります。何をするというわけでもないでありますが、サーズデイもそうしたがっているでありますし」
「そっか。そうだなあ、頼むくらいはしてみるか。朝早いったって起きてもねえ時間帯ってほどじゃねえし」
義春くんを見送り、開かれ、そして閉じられたドアから視線を外さないまま、ウェンズデーと大吾はそんな遣り取りを交わすのでした。僕と同じかどうかはともかく、やはり何かしら思うところの一つくらいはあるということなのでしょう。
「サーズデイ……さん? は、ええと……?」
「あ、マリモです」
「マ、マリモですか……」
どうやら僕達がいない間にでもウェンズデー達のことをある程度説明していたらしく、今度は音無さんが大吾とそんな遣り取り。自分から尋ねておいて困惑気味ではありましたが、しかしまあそれも無理からぬことでしょう。ペンギンが喋っているだけでもかなりの事態だというのに、それが明日には別の生き物に入れ替わり、しかも今度は植物です。むしろ何をどう納得しろっていう話ですもんね、話に聞いただけってことなら。
「ははは、まあそう硬くなるな音無。実際会ってみればあれこれ考えたのが馬鹿らしくなるような奴だからな、サーズデイは」
むしろ近過ぎるからこそ硬くなったことなんてまるで伝わらなそうな位置に陣取っている成美さんは、笑いながらそんなふうに。しかしそんな硬い柔らかいの話はともかくとして、まあぷかぷかしてるかにこにこしてるかのどっちか、みたいな感じですもんね、サーズデイさんって。
すると更に、栞からも音無さんへ一言。
「成美ちゃんが気に入ったんならサーズデイも気に入ると思いますよ?」
「わたしは一体それをどう解釈すべきなんだ日向」
「ふふ、そうですか……」
「え、いや音無、今の説明で何を納得したというんだ?」
小さくて可愛らしい、マスコット的な。きっとそういうことなんでしょう、と察せてしまうからには、それが正解かどうかはともかく少なくとも僕はそんなふうに思っている、ということなのでしょう。なんとなく口にはしないでおきますけど。
「成美殿、サーズデイは喜んでいるようでありますが」
「むむむ、となるとわたしが変なだけなのか? どうももやもやするというか、素直に喜べないんだが」
腕を組み、難しい表情を浮かべる成美さんでした。しようと思えば助け舟と称して栞が言ったことの説明だってできなくはないのですがしかし、それが本当に助け舟になり得るかと言われたら素直にはいとは言えないような気もしないではないですし。
というわけで。
「大吾、どう?」
「何でもオレに振りゃいいってもんじゃねえぞオマエこの野郎」
「まあまあそう言わずに」
何でもとは言いませんが、少なくとも動物に関する話と成美さんに関する話は大吾に振ってしまって問題ないとは思いますしね。真面目な話としても、からかい目的としても。
「あー、成美?」
「ん? 結局引き受けてくれるのか?」
依然として音無さんの膝の上に座っており、ならば同じく依然として「ちょっと動かないと大吾が視界に入らない」という位置関係にある成美さんは、ちょっとだけ頬を緩ませたりしながら大吾のほうへと顔を向けるのでした。
ちなみにその動いたことで音無さんのどうのこうの。
「…………」
「ははは、済まん済まん。うむ、なんだ大吾」
出鼻を挫かれ気勢を削がれ、力なくかつ恥ずかしそうに俯いてしまった大吾はしかし、俯いたままの姿勢から横目で僕を睨んでもくるのでした。いやいや僕だってまさかこの展開を予期してたわけじゃあ、という意図を込めて首をプルプルと小さく横に振ってみたりしたのですが、果たしてどこまで伝わったことやら。
果たして大吾、ゆるゆると頭を持ち上げ、ふざけているとしか思えないような気の抜けた声で成美さんにこう告げます。
「素直に喜びたかったらオレがいくらでもー、みたいなこと言おうとしたんだけどよー」
恨みがましいことこのうえなし、ではありましたがしかし、
「…………!」
成美さん、そんなでもしっかりはっきりときめいた表情をなさるのでした。
「め、め、珍しいではないか。お前が人前でそういうことを言うなんて」
「言うなんてっつうか言ってねえつもりなんだけどなー。そりゃあ、オマエが困ってる時くらいは張りきったりもするっつうのー」
気が抜け過ぎてなんだかいわゆるコギャル口調というやつになりつつあるような気がしますが――いわゆる、なんて言っておきながら最近はあまり聞かなくなったような気もしますが――名称はどうあれとにかく気だるそうな大吾に、ならば顔を赤くしていた成美さんはしおしおと。
「そういうことなら済まなかった。本気で心配してくれていたとは」
「あ、いや別にそこまでのことでもねえんだけど」
そうなると今度は大吾がしゃっきりするのでした。ううむ、微笑ましいんだかめんどくさいんだか。
するとそんな折、しゃっきりしだした大吾の膝に座っていたウェンズデーがそこからするりと滑り降りました。
「成美殿、交代するであります」
それは一見優しいようでいて、しかしその実、なかなかにスパルタな提案でもありました。事が起こってすぐにそれは結構難しい――というのはしかし、ウェンズデーも分かっていてそうさせようとしているんでしょうけどね。というわけで成美さんはやや躊躇いを見せもしたのですが、けれど結局、ウェンズデーの提案通りに動いたのでした。
音無さんにそうするよう促されていたようにも見えましたが、でもまあ本当にそうだったとしても、どちらにせよそれだけが理由ということではなかったのでしょう。そんなところで意地を張ったり悪足掻きをしたりする人じゃないですしね、成美さん。
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