(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第八章 再会 七

2007-11-02 21:03:10 | 新転地はお化け屋敷
 持ち上げた本人が、その後どうしたらいいのか途方に暮れてしまう。それもその筈、結局知り合いの飼い猫だったという事を僕はまだこの人に伝えていない。なので、その辺りを説明しようと―――
「ああえっと、僕に任せてください。似てる猫を飼ってる友人に電話してみますから。もしかしたら知り合いの猫だったりするかもしれないですし」
 ―――したんだけど、正直に「実は友達の猫でしたーあははー」なんて言ったところで「へー。なんで分かったの?」と返されれば答えられない。なぜなら、今でも他の白猫とクロの違いが分かっていないからだ。だから僕は、「もしかしたら」と誤魔化した。本当は確実に知り合いの猫なんですけどね。
 そしてその誤魔化しは想定通りの効果を発揮し、
「そう? じゃあありがとうね、お兄ちゃんに猫ちゃん」
 クロを赤茶色のレンガで舗装された地面へと優しく降ろすと、
「おばちゃん達はそろそろ行くわね」
 母親さんは別れを告げてきた。しかしそれは突然の展開だったりするわけではなく、飼い主不明のこの猫をどうするか、なんて話題が出た時点で、そろそろさよならな雰囲気はありありと発散されていたのでした。
「さようなら」
「はい、さようなら」
 僕の挨拶に柔和な笑みと言葉を返し、ちょっとだけ恰幅のいい母親さんはガタガタと乳母車を揺すらせながら、ガタガタの原因であるレンガ舗装の上をさして気にする素振りもなく歩いていってしまった。
 その背中へ、栞さんが小さく手を振った。別に本人は手の振れ幅が小さい事になんら意味を持たせてはいないんだろうけど、その小ささを確認した僕としては「見てるだけなのはもどかしかっただろうなあ」と、余計なお世話を禁じえない。もう何年も幽霊やってるんだから、こういう事にも慣れてるんだろうけど。
 じゃあ人の世話抜きにして自分はどうなんだと言われれば、最後の最後でじろうくんが寝てしまったのが微笑ましくもあり残念でもあり。
 あの女の子―――かおるちゃんに向けていた「ばいばい」を、是非とも僕にも向けて欲しかったなあ。小さい事をカバーするかのように元気いっぱい開かれたあの可愛らしい手を、こっちに向けてひらひら……かおるちゃんに至っては、最初から最後まで僕には全く無関心だったし―――
 ―――と。あんまり力を込めて残念がると変態チックになってしまうのでここまで。それに変態云々抜きにしても、やらなきゃならない事ができちゃったしね。


「んっふっふっふ。さてそろそろ再会しましょうかね―――」
 ピンポーン。
「―――と思ったらお客さんですか。ふむ、誰でしょうかね? はーい」
「あ。あ、あの、清サン……」
「おや、怒橋君。チューズデーなら日向君と喜坂さんと一緒に遊びに行くと言って出て行ってしまいましたよ?」
「いえ、そうじゃなくて―――その、今ヤモリに連絡取れますか?」
「家守さんですか? ええ、あちらがメールに気付いてさえくれれば可能ですが………どうかしましたか?」
「その……成美のヤツが急に―――」


「じろうくんとかおるちゃん、またどこかで会えたらいいね。仲良さそうだったし」
「そうですね」
 人がいなくなって、ようやく幽霊のお二人が口を開ける状況になった。すると栞さん、僕の隣に腰掛けて「なら遠慮無く」とでも言うかのように快活に明朗に、口を開いた。
 正直もうあの二人が会う事はないんだろうなーとか思ってた僕に比べると、どうやら栞さんは希望を持ってそう言っているらしい。栞さんは考えがすぐ顔に出る―――と言っても、それはいい事だと思うんだけどね。けったいな事ばかり考えてるような人ならともかく、栞さんだし。
「念の為に訊いておくがね。君はここへ、飼い主と一緒に来たのかね?」
「ニャ」
 微妙にのろけ始めてしまった僕の足元で、もう一方の幽霊さんと白猫が対談。片方の言葉は僕には分からないけど、それに続く「まあそうだろうね」というお返事から、クロは肯定したのだろうなという事ぐらいは理解できた。
「ニャア」
「………そうなのかね? ふむ。それならば下手にこちらから探しに行くより、ここで待っていたほうが早いのかもしれないね」
 でもこれはちょっと分かりそうになかった。救いを求めるが如くに栞さんのほうへ顔を向けてみても、笑顔のまま首を傾げられるだけ。あちらも同意見らしい。
 なので、視線を足元に落として直接訊いてみる。
「あの、クロはなんて?」
「飼い主だけではなく、お友達も一緒に来ているのだそうだよ。総勢五人がクロ君を探して公園内をうろついているらしい」
「ニャウ」
「もしかしたら自分の事はあまり気に留められていないかもしれないが、だそうだ」
 二つめの情報が一つめの情報の価値をぶち壊しにしているような気もするけど、チューズデーさんはツッコミを入れるでも動揺を見せるでもなく冷静に翻訳者をこなす。人間の職業としての翻訳者なら、こういう私情を挟まない仕事ぶりのほうが評価が高かったりするのかなーとか思ったりしていると、
「…………ねえ。それって結局、状況は何も変わってないって事じゃないの?」
「ニャ」
「そうとしか言わないよクロ君」
 栞さんを基点に、そんなやりとりがあったり。


 あちらが探していないかもしれないのなら、こちらから探しに出向くしかないか。
 という事で四人の意見が一致し、クロの飼い主探し開始。と言っても、やってる事は赤ん坊発見前にしていた散歩とほぼ同じですけどね。飼い主という目的地があるとは言え、その目的地がどこなのか全く分かりませんから。
 目的地が未定、という事で、引き続き桜の間をゆったり進む。
 「これだけ長い距離が桜並木だと散った花びらの掃除って大変なんだろうなあ」とか、「桜が散り終わったらこの一帯って一気に寂しくなっちゃったりしないだろうか」とか、そろそろ「綺麗だなあ」以外の感想も浮かんだりし始める。
 一方で隣を歩く栞さんはまだまだ「綺麗だなあ」らしく、時折顔の向きを変えながら、それでも薄い笑みは湛えたまま、静かに歩く。
 そして僕と栞さんの前方では。
「そもそもだねクロ君、どうして飼い主から離れたのかね? わたしのように人間に言葉が通じるのなら待ち合わせなりもできただろうが、君はまだ生身だ。そんな事もないだろう?」
「ニャア」
 歩みに合わせて尻尾を左右にくねらせながら、黒猫さんと白猫さんが話し合う。白猫黒猫と言うと、白猫さんの名前のせいでどっちがどっちだか分かり辛いですけどね。なんで白猫なのにクロなんて名前にされちゃったんだろう?
「気まぐれで、ねえ………気持ちは分からんでもないが、置いて帰られでもしたらどうするね?」
 単独行動に走った理由が理由と呼べるものですらなかった事に、チューズデーさん、若干肩を落とす。と言っても四足歩行なので、実際に落ちたのは首から先だけなんだけども。
 うーむ、人間の言葉はやっぱり人間基準で作られてるんだな。……なんて、まあ当たり前なんだけどね。
「ニャア」
「ほお。しかしそれは、飼い猫としてはどうかと思うが」
 発音から何からさっきの返事と全く同じにしか聞こえないクロの鳴き声に、チューズデーさんは落とした首から上を持ち上げる。それでもクロがなんて言ったか分からない以上、その『ほお』が感心を表しているのかそれともただの相槌なのかも分からない。
「あの、クロはなんて?」
 分からないので、尋ねてみる。
「『普段から自分だけで走り回ったりしているので、体力と土地感には自信がある』――だそうだよ」
 ほお。
「孝一くん、負けちゃったねー」
 自信があると断言できるクロに感心していると、桜鑑賞に専念していた筈の栞さんが話に踏み込んできた。しかも笑顔で。
「ですね……」
 ……いや、こっちを向く以前から桜見てにこにこしてたんだから、そりゃあ顔が笑っててもおかしくはないですよ? その顔のままでこっちを向いただけなのかもしれませんし。でも―――やっぱり笑ってるんでしょうね。僕が猫に負けてしまった事を。僕がクロに感心したのだって、自分に方向感覚がまるで無い事を意識したからこそなんだから、別に文句言うつもりも無いですけどね。
 ぐすん。
「ところでクロ君。随分あのじろう君を気に入っていたようだが? 見たところ初対面のようだったが、君は人間の子どもが好きなのかね?」
「ニャウゥ……」
「ほほう」
 あんまり触れて欲しくはないけど、全く触れられないのもそれはそれで悲しかった。けどもそれはこの際どうでもいいとして、気になったのはクロの反応。言葉が分からない僕からしても戸惑っているのが読み取れるくらい、その鳴き声は締まりが悪かった。
 一方のチューズデーさんはクロの話に関心を示したのか、尻尾の先をぴくりと持ち上げる。そしてその尻尾に向けて、栞さんが首を傾げた。
「クロちゃん、なんて?」
 クロが現れてからずっと黙らざるを得なかったから仕方ないけど、ここで初めてクロの名を呼ぶ。ちゃん付けだった。
 語感がいいから付けたくなるのは分かるけど、クロ本人はどう思ってるんだろうか? それを嫌がってる(正確には嫌がってた、なのかもしれないけど)白猫さんを知ってるし、それにそもそもクロがオスなのかメスなのかすら知らないしなあ。
 という疑問はもちろん空気を読んで置いといて。
 チューズデーさんが前を向いたまま話し出す。
「初めて会った筈なのに、懐かしい感じがしたんだそうだ。クロ君にもよく分からないらしいがね。ちなみに、普段はあまり子どもを好きではないらしい。虐められたりする事があるから、だそうだ」
「ウニャ」
 その翻訳内容を肯定するかのようにクロが自身の鳴き声で締め括ると、聞き終わった栞さんは異議有りといった面持ち。口が少々、への字になった。
「そんな事ないと思うけどなあ。そりゃあたま~にはそういう悪い子もいるかもしれないけど、子どもみんなを嫌いになっちゃうほどたくさんって事はないと思うよ?」
「くくく。栞君、猫と人間では根本的に見えている世界が違うのだよ」
「どういう事?」
 クロの代わりに答えたチューズデーさんに、栞さんが首を捻る。僕も捻る。
 でも、捻ったところでチューズデーさんはこちらを見ずに前を向いたまま。そして、
「猫を見つけた人間の子どもがこちらに向けて駆け出しただけでも、猫からすれば怖いものなのさ。人間で言うなら―――そうだな、突然象が突っ込んでくるようなものだね。しかも明確に自分をめがけてだ。どうだ? 怖いだろう?」
 怖いです。……おお、なんと分かりやすい。
「なるほど」
 あまりの分かりやすさに「ぽん」と手を打つ僕。しかしその隣には、渋い顔が。
「んー、言われてみればそれはそうなんだけど………そういう事になっちゃうのかなぁ」
 納得したくはなく、それでも納得せざるを得ない栞さんはそう呟いた後、「うん、そうだね」と渋々頷く。
「だがまあ、わたし達のように人間に飼われる身な動物は、そんな事には慣れてしまうものだがね。少なくともわたし達七匹は慣れる事ができたよ。」
 栞さんの声色に何を察したのか、依然前を向いたまま、チューズデーさんがフォローと取れなくもない話をした。
 七匹と言いえばもちろん、チューズデーさんとその中にいるみんなの事だ。となれば、人間に慣れたというのは―――お爺さんお婆さんの屋敷での話、という事になる。
「ニャア?」
 クロが、チューズデーさんの話に納得する直前の僕と栞さんみたいに首を傾げた。もちろん言葉が分からないから正確には分からないけど、多分「わたし達七匹」辺りについて尋ねたんだろう。今の話で首を傾げる部分といえばそこしかないし。
「ん? ああ、わたしは生前、ある大きな屋敷で飼われていてな―――」


「お? おーおー分かった分かった任せときな。そんじゃ大船に乗ったつもりでごゆっくりどーぞー。はいはーい。………ケッケッケ。やぁっとお時間みてーだなあ」
「お時間……? と……いう事は……今の電話……」
「そろそろ到着って事じゃろの。おぉ、コソコソし過ぎて腰が痛いわい………中腰はどうも……」
「筋肉付き過ぎで重過ぎなんだよてめーは。たまには筋トレ控えてゴロゴロしてみろっつの。あーでもそしたら脂肪が付いちまうか?」
「と言うか……そこまでしてるのにどうして……運動部に入ってないんですか……?」
「筋トレはただの暇潰しじゃい。あぁ、別に鏡見てうっとりとかそういう事じゃないからの。勘違いしなさんなよ」
「しようがしまいが印象変わんねーっつの。さぁてさて、そんじゃやりますかね」
「あの……何か……嫌な予感がするんですけど……」
「ワシも同感じゃわい。また禄でもない事考えとるんじゃなかろうな?」
「おうおう、ひでえなお前ら。もうちょいダチの事信用しろよ」
「それはちょっと……人に拠ると言うか……」
「じゃの。お前なんぞ信用したら馬鹿を見るに決まっとる」
「つれねえなあ。別にお前らに迷惑掛けるつもりはねーよ。なんならほら、二人とも駐輪場であいつが来るの待っててくれりゃいいから。俺一人でやっからさぁ」
「あ……じゃあ私は……それでいいです……」
「むぬぅ……触らぬ神に崇りなしと言うしの。ワシもそうするか」


 そろそろ桜並木の終わりも近付き、もう少し歩けば薄ピンクの景色が緑へと変色しようかという頃。
「―――とまあそんな訳で、今はこの二人と同じアパートで暮らしているのだよ」
「ニャウ」
 話の締めに後ろの僕と栞さんを顎で指すと、クロもこちらを向いて一鳴き。
 同族である猫の話としてクロがどんな感想を持ったのか、非常に気になるところではある。あるけど、でもやっぱり読み取れる筈も無く。
「わたしの話はこれで終わりだ。君のほうは何かないかね? 思い出話でもなんでもいい。たまには他の猫の話も聞いてみたいのだがね」
 そんな事を気にしている間にチューズデーさんがそう続けると、クロの尻尾が力を抜いたかのようにほんの少しだけ角度を下げる。
「ニャア……」
 そして放たれたクロのそのやつれた鳴き声を聞いて、そんな急に話を振られても言う事思いつかなくて困るんじゃないかなーとか、実際困っちゃったから返事がそんな情けない感じになっちゃってるんだろうなーとか、そういったマイナス方面へと思考が働く。
 が、
「ほう、そうか。無理にとは言わないが、できれば聞かせて欲しいね」
 一応話題は出たようで。だけど、だからと言ってクロが困り気味な事に変わりは無く、頼み込むようなチューズデーさんの台詞からすると、言いにくい話題だったりするようで。
 そしてクロは下を向き、黙り込んだ。話すか話さざるかの決断が中々つかないらしい。チューズデーさんと、そして僕と、多分栞さんも、そんなクロへ期待の視線を寄せた。強要はしない、という隠れ蓑に身を隠しつつ。
 いかにクロ本人が言いにくそうにしていても、やっぱり聞きたい――――いや、言い難そうにしているからこそ聞きたいのか。人の不幸は蜜の味、とはよく言ったもので。いやまあ、まだ不幸な話だと確定したわけでもないんですけどね。
 三人揃ってじ~っとクロを見詰め続ける事、大体十秒くらい。ついに桜並木が終わり、左右の花が葉へと移り変わろうとしたその時だった。
 クロがチューズデーさんの方へと顔を向ける。
 ―――のとほぼ同時に、背後の、そして遠くのほうから、何かと何かがぶつかり合うような間隔の短い音が。そしてそれは、だんだんとこちらへ近付いてくる。
 わざわざ後ろを振り返るまでもなく、誰かが後ろから走ってきているんだろうという事は理解できた。それでもその音はやっぱり気になり、気になったからには、そちらを振り返る。
 そこで僕の目に映ったのは、こっちに向けて結構なスピードで走り込んでくる金髪のお兄さん。よほど急いでいるのか、ボタンを止めずに上から羽織っただけなパッチ柄のカジュアルシャツは、彼のそのスピードにまるでマントの如く翻ってしまっている。そんななので、もう殆どその下に着ている紺色のTシャツ一枚しか着ていないも同然の格好なんだけど………あの人、このままだと真っ直ぐこっちに突っ込むコースですか?
 僕達が歩いているこの並木道は、そんなに狭い訳でもない。むしろ広い。数字にするなら五メートル強ってくらいだろうか?
 だと言うのにあの人は、前を歩く僕達―――と言うか、僕か。僕を避けようともせず、直撃コースを順調に突っ走ってくる。なので、こちらから二歩ほど端のほうへ避けてみた。 が、走り寄る彼は僅かに進行方向をずらして―――依然結構な距離があったから、本当に僅かな距離なんだけど―――それでも、確実に、こちらへと体を向けた。つまり、あの人は僕を目掛けて走っている?
 多少の不安を感じつつ、もう一度横へ二歩ほど避ける。するとあちらももう一度こちらへ向きを変える。そしてそうしている間にも、着々と僕と彼の距離は詰まっていって―――
 彼は、思いっっっっ切りニヤける。歯どころか歯茎すら見えそうなほど口を開き、目を合わせたくないくらい不気味に目を細めて。
 それを見た僕は恐怖した。そして栞さんの手を握り、初っ端から全速力で走り出す。つまり、怖くて逃げ出したのだ。
「うわっ、ちょっ、孝一くん?」
 ―――よく考えてみれば、栞さんの手を引く必要は無かったのかもしれない。後ろの彼に幽霊が見えているのかどうかは分からないし、見えていないという可能性のほうが確率としては大きい。
 でも、そんな事を冷静に考えられるようになるのはもう暫らく後の話。
 この時点で僕が理解したのは、自分が栞さんの手を引いた理由が、栞さんを守るとかそんな格好いい事じゃなくてもっとこう―――「怖かったから掴める物を掴んだ」という、相当情けないもののような気がする事。それだけだった。
 それでも構わない、構ってる暇なんかない、と栞さんへの返事すらせずにひたすら前を目指す。すると背後の彼から、存分に怒気を含んだお言葉を頂戴しました。
「おぉいこるあぁ! ちょっと待て逃げんなそこのおおぉぉぉ!」
 何だあの人! 何だあの人! 何だあの人! 何だあの人ーーー!


 自分の足が、栞さんの足が、後ろから追いかけてきてる人の足が、地面のレンガに打ち付けられて騒々しい三重奏を奏でる。そしてそれにクロの鈴の音が重なった全く纏まりの無い騒音が、進んでも進んでも耳に付き纏ってくる。
 鈴の音って基本的にはいい音なんだろうけど、チャリチャリチャリチャリ連続で聞かされるとやっぱり耳障りだね。
 ああしんどい。
「一応確認するが、後ろの彼は知り合いではないのだね?」
 どのくらい走っただろうか? もしかしたらまだそんなに走ってないだろうか? ひたすら並木道に沿って短距離走ペースで進んでいると、並走するチューズデーさんが平然とした口調で尋ねてきた。僕はそれに、黙ったまま首を横に振って答える。口から出せるのは精々、上がった息遣いだけ。
「まあ、そうだろうね。では走り回るついでに、このままクロ君の飼い主を探してみるとしようかね」
「ニャア」
「ふ。礼には及ばんさ」
 チューズデーさんだけではなく、その隣のクロまでも余裕な表情だった。こちとら普段の運動不足が祟って、既にバテ始めてるんですけど。
 それにしても、うーん、全力で走ったのなんてどのくらいぶりだろうか? ………そう言えば、みんなでプール行った時に走ったっけ。子どもに栞さんと喋ってるのを見つかって。
 ああ、意外と最近だったね。
 それにしても、プールと言えば思い出されるのはやっぱり女性陣……と言うかずばり栞さんの水着姿でしょうか。夏になったらまた拝める機会もあったりするかなー、なんて。こんな僕は破廉恥な男でしょうか?
「ちょっと、えっと、疲れてきちゃった、かも」
 体の疲れを誤魔化すために、男であるなら速攻で気を紛らわす事ができるような(度が過ぎると余計疲労が溜まりそうだけど)ちょいとピンクめの映像を頭の中だけで上映していると、栞さんが苦しそうな声を漏らした。清さんとの五十メートルクロール争ではばっちり泳ぎ切っていたのに、やっぱり水中と陸上では勝手が違うのだろうか?
「いー加減待てってのぉ! ぬぁんで逃げんだよおおぉぉぉ!」
 ………ああ、なんという事か。後ろの不審者さんは元気いっぱいだ。
 見るからに活発そうだからなあ。普段からこんなふうに走り回ってるんだろうなあ。このままじゃそのうち―――かと言って、どこかに隠れるようにも後ろの彼との距離がそんなに離れてないし………
 だんだん追い詰められていくだけでしかない状況に、むしろ開き直って冷静になる。もちろん冷静になったところでどうする事もできず、余計に絶望感が増し、そして余計に頭が落ち着くというあってもなくても同じような無駄循環を続けていると、
「ふむ、二人ともそろそろ辛そうだね」
 未だに余裕しゃくしゃくなチューズデーさんが事も無げにそう言った。疲れていないのはもちろんの事、緊急事態であるという事すら意に介してないかのように。
「ニャア」
「まあ、そうなるだろうね。やれやれ」
 何かやり取りをしたらしいクロとチューズデーさん。しかし精神的余裕はあっても口を聞く体力的余裕が無かったので、「何の話ですか」とは訊けずに、そちらへ顔を向けるに留まる。
 するとその意向を察してくれたたのか、ふっと軽く笑うように息を漏らしてから、チューズデーさんが話し始めた。
「わたしが時間を稼ごう。君達は………そうだな、噴水の所で待っていてくれ。暫らくしたらわたしもそこへ向かうよ」
「ンニャッ!?」
 クロと放して決めた作戦の筈なのに、クロが驚きの声を上げた。
 まあ、事情は分かる。本当はクロと、もしくはクロだけが、それを実行するという話だったんだろう。言い出したのがクロである事を考えれば。
 でも。
「それっ……は、ちょっと危な過ぎ……ませんか?」
 そりゃあいくらなんでも、と無理に返した返事はまさに息も絶え絶え。
 噴水の場所は栞さんが知っているだろうからいいとして、あんな不審者さんに猫さん二人を立ち向かわせるなんてのは一友人としてどうなのって話ですよええ。いくらチューズデーさんが立派な大人で、しかも幽霊だとは言っても、体格に差があり過ぎる。子どもが近付いてきただけで「突然象が突っ込んでくるようなもの」とまで言わしめているのに、相手は成人かそうじゃないかくらい―――つまり、僕と同じくらい。
 後ろの彼からしたらチューズデーさんは見えないだろうから、明確に反撃されるような事はないだろう。けど、例えばチューズデーさんが彼に飛び掛ったとして、見えない何かに張り付かれたら、金髪の彼は気味悪がって暴れ出すかもしれない。
 もしその勢いで地面に叩き付けられでもしたら、骨が折れるくらいはしてもおかしくない。幽霊はただ死なないだけであって、怪我はするのだから。以前、大学のトイレで大吾が壁に頭を打ち付けて額から血が出た時みたいに。
 やっぱりどうあってもチューズデーさんの提案を承認する訳にはいかない、とずっしり重くなってしまった口を再び開こうとする。しかし、
「栞が行くよ」
 それより一瞬早く、栞さんがそう言った。まるで怒っているかのように目を細め、眉を吊り上げて。
 しかしそれも一瞬の事。続けて口を開く頃には眉は情けなく垂れ下がり、口は苦々しく笑いながら乱れた息を吐き出していた。
「どうせ、そろそろ、駄目みたいだし。だから孝一くん、手、放して欲しいな」
「そんな、駄目で」
 すよ。と言おうとしたのに、
「大丈夫だから。ね?」
 僕より辛そうだったのに、そう言っていつもの笑顔を見せてくる栞さん。
 …………くそ、なんて情けない。


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