(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第八章 再会 六

2007-10-28 21:03:09 | 新転地はお化け屋敷
「やっぱり、知ってる人の前だと恥ずかしいですよね」
「そうだね。―――でも、昨日大声であんな事言ってたのに何を今更って感じだよね。どこまで聞こえちゃってたんだろう?」
「あの騒ぎっぷりなら全員に聞かれてても文句言えませんけどね」
「逆にこっちが怒られそうなくらいだったもんね。夜中だったし」
「あはは、そうですね」
「ふふっ」
 そんな他愛のない会話を交わしながら、更に歩みが遅くなった僕達は亀の歩みでのろりのろりと桜並木を目指す。
 ちょくちょく人ともすれ違うけど、もちろんそれは全然知らない赤の他人なので恥ずかしさは殆ど無い。そりゃあもちろん全く無いってわけじゃないけど、手が離れてしまうほどでは―――むしろ、人が通る時は余計強く握られてるし。


 手を繋いでから最初に人とすれ違った際。強まる握力に栞さんのほうを見てみると、
「あ、あはは。人が通ると緊張しちゃうよ。見えてないんだろうって事は分かってるんだけど……」
 こちらの視線から何を言いたいのかを察し、明るい苦笑いを見せるのでした。


 堂々としてるよりもこっちのほうが可愛いと思ってしまうのは、僕の嗜好が変なのでしょうか? ……いや、変だろうが何だろうがこれでいいのか。自分の好きな人の仕草を可愛く思って何が悪い―――って、なんだか暴走気味だね。落ち着いて落ち着いて。
「今まではね」
「あっ、はい?」
 自分の制御にいっぱいいっぱいで、そんな時に丁度声を掛けられたもんだから慌ててしまった。それゆえに呼ばれてそちらを向いたと言うよりは、ビクリと勢い良く振り返る。
 すると栞さんは俯いていて、でも口の端を嬉しそうに持ち上げて、そしてそのまま話の続きを。
「今までは、どこかに遊びに行こうとしたらいつもみんなで一緒にだったの。孝一くんが引っ越してきてからだったら、プールとお花見だね。―――でも今日は、三人だけ。しかも今は、二人だけ。それでもね」
 そこで栞さんはこちらを向き、それこそ惚れ直しそうなくらいとびきりの笑顔で、
「凄く楽しいよ。今日はありがとう、孝一くん」
 ……………………
 ………………
 …………
 大好きです。
 じゃなくて。
「なな、なんだかもう解散みたいな言い方ですねそれ」
「そう? でもそんなのまだまだだよ。時間はいっぱいあるもんね」
「ですよね……」
 ななななんだかもうこの場で鼻血噴いて卒倒してもおかしくないくらい幸せなんですけどいいんですかこんなただ二人で歩いてるだけでここまで嬉しくてだって別にこれなら朝学校行く時に一緒に歩いたのと道が違うだけであとは全く同じだしあの時だって手は繋いでたしあれれれれ?
「あはは、孝一くん変な顔~」
「え? どんな顔になっちゃってますか?」
「赤くなってるのに、顔から気が抜け切っちゃってるよ」
 そう言われて、空いてるほうの手で自分の顔をぺたぺたと探ってみる。が、顔が熱いのも筋肉が緩みきってるのもそれで分かったというのに、意識しても元に戻らない。戻せない。
 いい気分ではあるんだけど、してやられた感じもして悔しいなあ。こっちにいわゆる甘いマスクとやらがあれば、気を取り直した辺りで同じ事を仕返す事もできるんだろうけど………
 しかしもちろんそんなものはなく、そしてもしあったとしても仕返しを実行する度量があるとは思えず、「もしも」に「もしも」を重ねても実現しなさそうなその計画は、即頓挫。
 そりゃあね。そんなもの持ち合わせてたら高校卒業するまでに彼女の一人くらいはいただろうしね。今からすればもちろんもう過去の話なんだけど、気になる人くらいはいたんだし。
 ―――ん? そう言えば………いやいやまさかまさか。そんな筈は―――


 なんて事を考えたり考えなかったりしてる間にも着々と目的地へ足を運び、その間にちょろちょろ人とすれ違う。その度に栞さんとの会話が一旦中断になるわけなんだけど、時間帯を考慮してそれだけ人と会うのなら結構人通りはあるようで。
 この公園って、通り道として使われてたりするのかな? 入口にあった案内図では確かあちらこちらに入口があったはずだし。


 ようやく着いた―――いや、とうとう着いてしまった? 自分の心情だとどっちの表現になるのか曖昧だったけど、ついに桜並木が見えてきた。すると、道の真ん中に嫌でも目立つ黒い色。その条件から導き出される人物はただ一人……いや、さっきのあの「見つかっちゃった」な人はもちろん別にして、だけど。
 その後姿を確認して繋いでいた手を離すと、
「む、ようやくご到着だね。どうだったね? 楽しめたかね?」
 足音で気付いたのか僕達が声を掛けるより前にこちらへ振り向き、その黒い体の持ち主であるチューズデーさんはそう声を掛けてきた。……楽しめたかと訊いてくる割に、楽しそうなのはチューズデーさん自身でしたがね。
「ま、まあ―――『ご配慮ありがとうございました』ってところですかね。それにしても凄いですね桜。何本くらいあるんでしょうかねこれ?」
「くくく、そう話を急かさなくてもいいではないかね? そうかそうか。触れられたくないという事は、上手い具合に楽しめたようだね。くくくく」
 そう言ってチューズデーさんが笑い、それに合わせて肩を震わせられると、あまりの図星さに目を合わせていられなかった。そしてこちらが目を逸らしたところで浴びせ続けられる、あの緑の瞳からの視線が痛い―――
「栞君はどうだったね?」
 ―――と思ったら、自意識過剰だったようで。
 見られてないと分かると見て欲しいものですね。自分でも意味分かりませんけども。
 それはそうと栞さん、
「えっ? それは―――もちろん栞も楽しかったよ。ああいう状況でどっちか片方だけが楽しかったら変だしね」
 はにかみつつも、先に答えた偏屈なヘタレに比べると嫉妬しそうなくらい素直なお返事で。
 でも桜が凄いって言うのは、別に嘘じゃないんですよ? どれだけお金掛かってるんでしょうかってくらい道の両端にずらりと桜が並んでますし、いやもちろん桜の木一本分の値段なんて知りやしませんけどね? それに散った桜の花びらで地面が所々薄ピンク色になってるのも綺麗ですし。だから僕だって自分の返答が間違ってるとは―――
 ……なんて言うか、これじゃあただの負け惜しみだからもう止めとこう。


 その場凌ぎだったり負け惜しみだったりで、本当に綺麗だと思ったかどうだかは自分でもはっきりしない桜並木だった。んだけど、チューズデーさんを加え、再び三人で桜の間をてくてく歩いていると、やっぱり綺麗だなあと―――
 とまあそんな感じで景色に浸っているのは僕だけではないらしく、他の二人も顔を右へ左へ向けながら。そしてその結果として、会話は殆ど無くなる。
 沈黙、と言えばなにやら穏やかでない雰囲気を醸し出す言葉ではある。でも今は、穏やかでないどころかむしろその逆。穏やかにも程がある。
 ……穏やか、かあ。三日前に神社で花見をした時はこんなにゆったりできなかったからなあ。みんなでお昼を食べてた時くらい? それまでは草引きだったし、その後は………膝枕だったし。足、痛かったなあ。


「指が痛くなってきましたねえ………まさかここまで低ランク相手に行き詰まるとは。ロック無しで高機動な相手はやはり辛いですねえ。んっふっふっふ。ともかく、少し休憩にしましょうかね」


 そんな感じで僕達静かな三人組は、のほほんと足を進める。すると、桜の木の間にベンチを発見。昼食を食べた時に座ったのと同じ丸太そのままなベンチだったけど、注目すべきはそこではなく、そのベンチに腰掛けている少々恰幅のいい中年女性とその手に掛けられた乳母車。
「あっ。赤ちゃんだ」
 その桜並木の間から道の側へと向けられた乳母車の搭乗者に栞さんが興味を惹かれ、足を止める。それに合わせて、僕とチューズデーさんも足を止める。僕はその場から少し離れたベンチのほうを眺めるに留まっていたけど、栞さんとチューズデーさんはすたすたとその乳母車のほうへ近付いていってしまった。だんだん近付く女性と黒猫に見向きもしない辺り、赤ん坊はともかく母親さんは二人が見えていないらしい。
 栞さんと、栞さんに持ち上げられて肩の上で器用にお座りをしたチューズデーさんが、口を閉じたまま楽しそうな様子で赤ん坊と対面。その様子を眺めながら、はてさて僕は考える。この状況、残った僕はどうすべきなのかと。
 今は特別動きもないけど、いい年した男に遠巻きからじろじろ見られてれば、母親さんからしたら気味が悪い筈。かと言って連れの二人を放って行く訳にもいかないし、だからと言って母親さんからしたら存在していない人達に「行きますよ」と声をかける訳にもいかないし………
 このまま突っ立ってるのもさっさと先へ進むのも駄目だと判断した僕は、それ以外の行動を取らざるを得なかった。そしてその「それ以外」とは、
「あの、隣、よろしいですか?」
 母親さんに相席を求める事だった。すると、
「あ、はいはいどうぞどうぞー」
 気さくと言うか、まるでご近所さんに応対するかのようなノリで快く承諾してくれる母親さん。
 ここまで近距離ならちょっとくらい赤ん坊に目を奪われていてもそれほど不自然じゃないだろうし、それにそもそも僕自身も赤ん坊に興味を惹かれてはいたしね。
 母親さんが少しだけ腰をベンチの端へとずらせ、それによって広くなったスペースへと座らせてもらう。
 遠くから見た時は判別できなかったけど、そうして赤ん坊との距離が近くなってみればどうやら男の子らしく、そしてお休み中らしく、すうすうと息をする度にお腹が上下していた。そしてそこで目を引いたのは、上着の右胸の辺りに為された「じろう」という青い刺繍。
 ……やっぱり、漢字に直すと「次郎」くんなのかな? という事は、一郎って名前のお兄ちゃんがいたりとか―――
 等と、ふと我に帰ってみれば「ちょっとくらい赤ん坊に目を奪われていても」どころか隣の乳母車を思いっきり覗きこんでいる僕が。いやまあ僕だけじゃなくて栞さんとチューズデーさんも未だに、特に栞さんなんかもううっとりとした様子で覗き込んでますけどそこが問題なんじゃなくてですね、
「お兄ちゃん、高校生? 学校はいいの?」
 慌てて乳母車から身を引くと、母親さんがにこやかにこちらを向いていた。どうやら覗き込んだり引っ込んだりの明らかに不自然な振る舞いが、関心を惹いてしまったらしい。もちろんどちらかと言えば宜しくない意味での関心でしょうが。
「ああいえ、大学生です。午後から暇だったでちょっと散歩にでもと………」
「へぇ~、暇潰しが公園の散歩だなんて今時の若者にしちゃあ珍しいわねえ。しかも見たところ一人だけみたいだし」
「あはは……」
 ここは珍しいというのを褒められていると捉えて喜ぶべきだろうか? それとも寂しい独り身である事を考えて悲しむべきだろうか? そう迷った僕は、迷った笑みを返すしかできなかった。
 と言ってもまあ本当は独りじゃないんだから、後者の選択肢は考えなくてもいいのか。困った様子の僕を見て、口を押さえて笑い声を漏らさないようにしている栞さんを見ていると、これまた喜ぶべきなのか悲しむべきなのか、そう思えるのでした。
「あうぅ~」
 その時、お母さんの声に反応したのか、じろうくんが目を覚まして駄々をこねるような声を上げる。すると栞さんが一瞬慌てるような顔になり、そして母親さんが乳母車を回転させて自分のほうへ向けた。
「あらあらどしたどした~? 起こしちゃったかな~?」
 そのまま泣いてしまわないように、おどけた調子でじろうくんに話し掛ける母親さん。それが伝わったのか「うぅ」と一声上げただけで、じろうくんもすぐに大人しくなった。
 さすがは母親、いいお手際。
 だけどもしかし、話し掛けられた側とはいえどもじろうくんが起きてしまったのにはこちらにも責任があるわけで。
「すいません、うるさかったみたいで」
「あらやだそんな、気にしなくてもいいわよぉ。この子もう随分お昼寝してたし、どっちみち目が覚める頃だったと思うわ」
 右手を頬に当てて左手に手招きのような動きをさせるという、典型的な「近所のおばさん」な動きを見せる母親さん。しかしもちろん実際には近所の人ではないだろうし、そもそも僕とはついさっき会ったばかりだ。随分と人当たりの良さそうな人だなあ。


 一時的に人数が三人から五人に増加したのんびりタイムはそれからも順調にのんびりし続ける。唯一の不満と言えば幽霊お二人が喋れないと言う事だけど、その二人の様子を見る限りはそんなに大きい問題でもないようだ。栞さんはもうじろうくんしか目に入ってない様子だし、チューズデーさんも栞さんほどではないにしろ、普段あんまり接する機会の無いであろう赤ん坊に興味が尽きない感じだし。
 ではそれから何事も無くただくつろいでいただけなのかと言うと、そうではなかった。だからと言って別に大きな事件が起こった訳でもないんだけど―――
「赤ちゃんだ! おかーさん! 赤ちゃんだよ!」
「ちょ、ちょっと止めなさい。……ああ、すいませんうちの子が」
 じろうくんに釣られて更に二人追加。その内訳は自身も赤ちゃんに分類されてもおかしくないような幼い女の子と、女の子の母親らしい女性。
 走ってるんだか速歩きなんだか分からないような歩幅で、それでも急いでる事だけは把握できる勢いでその女の子がじろうくんに近寄って乳母車を覗き込み、どこか舌足らずな発音で「おかーさん」を呼んだ。すると後ろから駆け寄ってきたその細身で綺麗なおかーさんは、女の子の手を取って、じろうくんの母親さんに頭を下げた。だけど、
「いえいえ~」
 それに対してじろうくんの母親さんは、短く、しかしそれだけで許容の意をはっきりと示す言葉を返す。でもその「お気遣い無く」という意向は、言葉の意味からだけではなく母親さんの柔和そうな表情からも読み取れるところなのでした。
 おかーさんからたしなめられて膨れていた女の子はその反応に頬をしぼませ目を輝かせて、自分の胸の高さまである乳母車の手擦りに乗り上げ、その中へと上半身を覗き込ませた。
 女の子の足は地面を離れて乳母車のフレーム部分に掛けられている。が、じろうくんの母親さんが乳母車を支えているおかげで、女の子が乳母車を巻き込んで転倒するという事態は起こらなかった。
 そしてしばし、女の子とじろうくんの睨めっこが展開される。女の子は相変わらずきらきらと珍しいものでも見るかのような好奇の視線を送り続け、対するじろうくんは眠気が抜けないのか不機嫌とも取れる表情。
 普通なら相手にそんな顔をされれば遠慮なり気遣いなりするところなんだろうけど、そこは小さな子ども。じろうくんのご機嫌斜めさなどお構いなしに自分の望んだ行動に移る。
「お話しても、いいの?」
 女の子がじろうくんの母親さんに向けたその言葉が、始まりの合図だった。
 尋ねた相手がにっこり微笑みながら頷くと、
「ねえねえ、お名前はー? わたしはかおるって言うんだよ。ふじさきかおる」
 嬉々としてじろうくんに話し掛ける。が、
「かお……りぃ?」
 じろうくん、間違えてしまう。それにかおるちゃんの母親さんが苦笑し、当の名乗ったばかりなのに間違えられてしまったかおるちゃんは、
「かおりじゃないよぉ、かぁ・おぉ・るぅ。もう一回ちゃんと言ってぇ」
 あからさまに不機嫌な顔をして抗議。すると至近距離でそんな顔をされた事に驚いたのか、じろうくんの顔から眠気とご機嫌斜めさが消え去り、不安―――と言うかいっそ怯えたような表情で恐る恐る復唱。
「かお………りゅ」
 ……どうやらじろうくん、まだラ行の発音が苦手らしかった。しかしそれでもかおるちゃんは満足したらしく、「うん、かおる」とにっこり頷くと、再び尋ねた。
「お名前は?」
「しらもり、じろ」
「じろ? じろくんって言うの?」
「うん」
「でもここに、じろ『う』って書いてあるよー?」
 かおるちゃん、『りゅ』は許せてもそこは許せないらしく、じろうくんの右胸の青い刺繍に細くて短い人差し指をあてがって首を傾げる。するとじろうくん、困ったような表情でしばしの間硬直し、
「……じろう」
 とまたも恐る恐る答えるのでした。


 それから暫らく子どもは子ども同士の会話を続け、それに引っ張られるかのように親は親同士の話を始めだした。
 一方の僕達三人は(僕以外の二人はそうなって当たり前なんだけど)話に加わるでもなく、ただすぐ隣で繰り広げられる「お昼時の平和な公園」を満喫する。
 いやあもうここに来てから癒されっぱなしですよ。好きな人とのんびり昼食を食べたり、遊びまわる子どもを眺めたり、好きな人と手を繋いでのんびり歩いたり、小さい子ども同士のお喋りを間近で眺めたり―――って、思い返してみたらあんまりバリエーションはないなぁ。好きな人か子どもかの二択でしかないし………ああっ、ごめんなさいチューズデーさん。すっかり忘れて………じゃなくて、えーと………とにかくごめんなさい。


「じろうくん、ばいばーい」
「ばいばい」
 お別れの時間が来てしまい、小さな二人は小さな手を目一杯に広げ、お互いに手を振り合う。かおるちゃんの手を引く細身な方の母親さんも、じろうくんの恰幅のいい母親さんへと一礼し、それが済むと、遠ざかる二人は完全にこちらへ背を向けてしまった。
 残った僕達五人がそれを見届けると、じろうくんの母親さんがじろうくんに顔を近づける。
「また会えたらいいねー」
「うん」
 とは言うものの、母親さん二人の会話から耳に入ってきた限りの情報ではじろうくんの家はこの近辺、そしてかおるちゃんの家はあの岩白神社がある田舎っぽい地域らしく、そしてこれまた母親さんお二人を発信源とする情報によれば、その二つの地域では学区が違うらしく、つまりは最低でも小・中学生の間は顔を合わせる機会も―――
 なんて、深刻に考えるような事でもないか。人の出会いは一期一会なんだよじろうくん。
「じろーちゃんもあの女の子みたいに、そろそろ自分のあんよで歩かないとねー」
 若造が人生の先輩ぶって悦に入っている間に、そんな胡散臭い説教より余程ためになる母親さんの提案。そして母親さんはじろうくんのぷっくりとした両の足を掴み、空中でバタ足でもさせるかのように上げ下げ。
「………やぁ」
 母親さんに両足を持ち上げられたじろうくんは顔をしかめ、母親さんの手から足を振りほどく。するとその時。
 ちりん。
 ……微かに、だけど確かに、鈴の音がした。しかし音が小さ過ぎてどこから聞こえてきたのかが特定できなかったので、辺りを見回してみる。すると―――
「ニャア」
 ―――薄ピンクの舞い散る桜。そのカーテンの向こうに、真っ白の体に赤い首輪。名前は確か、色の逆だったから………
「………クロ? どうしてこんな所に?」
 と、口にしてしまってから考える。
 体が白くて赤い首輪をしている猫だからって、それがあのクロなのかどうかは分からないじゃないか。確かに僕が知っている中でその特徴を兼ね備えているのはクロだけなんだけど、だからと言って今だんだんこちらに近付いてきているあの猫がクロだなんて保証はどこにも無い。
 白猫と赤の首輪の組み合わせなんて、それほど珍しいものでも無いじゃないか。例えばあの超長寿海鮮一家のアニメでだって、飼われてる猫は白の体に赤い首輪だし。
 それにそもそもあれが僕の知ってるクロなのならば、こんな所を一人でうろついてる訳が無いじゃないか。ペットに遠出をさせるなら飼い主がついて来てる筈だし、なら明日香さん今日香さんが近くにいる筈。だけどそのどちらも確認できないという事はつまり、あれはクロではないという事に―――
「にゃんにゃん?」
「あら。あの白猫ちゃん、お兄ちゃんのペットなの?」
 じろうくんとその母親さん、同時にこちらを振り向く。がしかし、僕の頭の中では既に「そうではない」という結論が出てしまっている訳でして、
「いえあの、知り合いのペットに似てたんですよ。でもこんな所に一人でいる筈が無いですし、多分違うと思います」
 と言い切るか言い切らないかのその瞬間、チューズデーさんが栞さんの肩から僕の肩へと飛び移ってきた。なんというアクロバティック。
 ―――はいいとして、チューズデーさん、そのまま僕の耳へと小声で囁く。
「失敬だね。あれは間違い無くクロ君だよ」
 ……そうですかクロ君ですか。しかしなんでまた一人で?
 と思ったら今度は母親さんが、
「『一人』ねえ。お兄ちゃん、もしかして猫好き?」
 頬に手をあてがい、おほほと上品な笑いを最後に付け足してそう微笑んだ。むう、耳聡い。よく気付きましたねそんな細かい一言に。
 でもまあ確かに、動物を一人二人と数えるねえ。妙な癖が付いてしまったもんだ。……と言っても、妙なのは「普通の人からしたら」なんだけど。
 そんなこんなと考えてる間にも、クロは着実にこちらへと近付いてくる。するとチューズデーさんが僕の肩から飛び降り、(その際、着地音は一切無かった。さすがは猫)出迎えるかのようにクロへと歩み寄った。
 出迎えるとは言っても、もちろんここでも幽霊であるチューズデーさんは口をつぐみ続け、一方のクロもそれを察しているのか、すれ違い様に黙って頭を下げるのだった。随分と礼儀正しい猫だなあ。
 そうしてチューズデーさんの横を通り過ぎ、クロが足を止めたのは乳母車の側面。その中からはじろうくんが身を乗り出してクロを見下ろし、手をクロに向けて伸ばしてぱちぱちと叩きながら「にゃんにゃん、にゃんにゃん」と好奇心いっぱいに繰り返している。
 さて、この状況で僕はどうすべきだろうか?


 他にどんな選択肢があったと言うのだろうか、僕はクロを脇から持ち上げて乳母車の中に軟着陸させた。
 その結果、じろうくんは満面の笑みでにゃんにゃんに抱き付いている。「いざ自分が触れるとなると怖がったりするかも」という不安もあったけど、どうやらじろうくんは猫好きみたいだ。クロも大人しくしてるし、良かった良かった。
「わぁっ」
 と思ったら、じろうくんが短い悲鳴を上げた。しかしやっぱり心配する事ではなく、なぜじろうくんが悲鳴を上げたかと言うと、クロがその柔らかそうなほっぺたをぺろりと舐めたのだ。よくは分からないけど、クロもじろうくんを気に入ったらしい。良かった良かった。
 栞さんと、再びその肩に上ったチューズデーさんと、僕と、母親さんの四人が、そうしてじゃれ合う二人を囲んで頬を緩ませる。
 子どもっていうのは何をしていても、いや、たとえ何もしていなくたって可愛いなあ。
「えへへ、にゃんにゃん」
「ニャウ」


 暫らくその幸せそうな様子を眺めていると、不意に糸人形の糸が切れたかのようにじろうくんの体から力が抜けた。
「あらあら、この子ったらまた寝ちゃったわ。猫ちゃん抱っこしてるのがよっぽど気持ちよかったのかしらね」
 しっかりとクロの体に腕を回したまま寝息を立てるじろうくんから、母親さんはクロを引き剥がす。その引き剥がされる直前、クロはもう一度じろうくんの頬を一舐めし、あとは抵抗もせずに母親さんの両手に体を委ねるのだった。しかし、
「それで………この猫ちゃん、どうしたらいいのかしらね? 首輪してるから野良って事もないでしょうし」


2 コメント

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Unknown (Unknown)
2007-10-29 21:53:19
ジローというと…





キカイダー





いや、失礼。

カラスだった彼はもう転生してたんですか。
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Unknown (代表取り締まられ役)
2007-10-30 21:11:43
キカイダーというと…


ハカイダー


いや、まんまですね。
そうですなんと転生してたんです。
リテイクが三年前の話で紅楼くんの転生がそれから一年後ですからね。
ただ転生のメカニズムを考える際、紅楼くんの魂が次楼くんの体にに取り込まれるのはいつになるのかという問題がありまして、それによって年齢に差異が出てくるんですよね。
一応私にも考えはあるのですが、作品内で述べてない事をここで説明するのも反則臭いのでそれは止めておきます。

それでは暫らく、赤ちゃんじろうくんの観察記録をお楽しみくださいませ。
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