(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第八章 再会 八

2007-11-07 21:07:01 | 新転地はお化け屋敷
「まだ来んのかの? あいつが来れば全部終わるんじゃがの」
「やっぱり……あっちが気になりますか……?」
「気になるの。あいつ、無茶苦茶しとらんじゃろか?」
「する気がなくてもしちゃう人ですから……望みは……薄いんじゃないでしょうか……」
「ぬむむむむ………やはり、ワシは戻る。他人とは言え、あの見るからになよなよしとる男が心配じゃしの」
「そう……ですか……。では……気を付けて……」
「まだ元の場所にいてくれればいいんじゃがの。ま、行ってくるわい」


「絶対に、無理は、しないでくださいよ」
 声を出す度に肺が潰れそうなくらい苦しくなる。だけど、言わない訳にはいきますまい。軽く血が出るまで頭を掻き毟りたくなるほど自分が情けないもんだから、せめて心配してますよって事ぐらいは伝えておかないと栞さんに申し訳無さ過ぎる。
 ああ、彼女に不審者から「助けてもらわれてしまう」なんて。しかも告白した翌日に。
「大丈夫だって。たまには格好良いところ、見せたいしね」
 僕が握っていた手を放すと、栞さんはそれを言い終えるまでの間だけ僕に並走した。そして話が終わると立ち止まり、結果栞さんは僕から離れ、不審者さんは栞さんにぐんぐん近付く。
 その光景に、ただでさえ疲労でいっぱいいっぱいな悲鳴を上げている僕の心臓は更に悲鳴を大きくする。心労も身労も極限だ。
 しかし不審者さんには栞さんが見えていないらしく、人にぐんぐん近付いていると言うのに視線は僕に向けられたまま。栞さんが僕の手を離れてから一秒そこらでその事を確認すると、心労のほうは少し収まった。それでも尚、心臓が悲鳴をあげてる事に変わりはないけど。
 そして。
 ついに金髪の不審者さんが栞さんに並ぼうとした、その時。
「ごめんなさーーーい!」
 吼えるようにして謝った栞さんが、不審者さんの足に自身の足を引っ掛けた。いや、引っ掛けたと言うよりは足払いか。サッカーのゴールキックのような完全に振り抜く蹴りが、不審者さんの、今まさに地に着こうとした片足に命中する。
「おぉっ!?」
 そりゃあ見えない相手の蹴りを警戒するなんて無理ですよね。外からの力に全く抗おうとしていなかった彼の足は、栞さんの非力そうな蹴りでもまるで突付かれたヤジロべエのように面白いくらい後ろへ弾かれる。
 しかし、尚も身体は前へ進もうとする。
「おぉ―――」
 それでも次に「前方の」地面に着くべき足は「後方」にあり、しかも歩いているならともかく疾走中だったので、一瞬、勢いに任せて体が完全に地面から離れて。
「おっぶぉ!」
 シャチホコのような姿勢で顔面から着地。そして地面はレンガ舗装。でもどうなるかは考えたくないし、そもそも考えてる場合ですらない。
 シャチホコの姿勢から持ち上がった下半身をすとんと落とし、尻を突き出す格好になった不審者さん。そんな彼に深々かつ勢い良く頭を下げてからこちらへ駆け出す栞さんを見届けると、僕は前を向く。
 後はこのまま逃げ切ればいい。これだけ広い公園なら一旦離れれば安全だろうし、なんなら駐輪場まで行って家に帰ってしまってもいい。なんにしても、彼がいるこの場所だけはさっさと離れないと。
 ちなみに、綺麗にこちらを向いていた金髪不審者さんの頭はてっぺんだけが黒かった。 プリンみたいだった。


 一度足を止めたせいか格段に走るペースが落ちてしまった栞さんに合わせてジョギングペースで進み続け、着いた先は噴水のある広場。まあ、公園全体のどの位置にあたるのかはさっぱりですがね。入口で案内図見たのになぁ。一度で地図が覚え切れないのも方向音痴の原因だったりするんだろうか? 細部はともかく、噴水なんて地図上でも目立ってただろうに。
 噴水とは言っても、細い水の柱がチョロチョロと三本ほど立ち昇っているだけの少々寂しいものだった。だけどこんなに疲れてる時にドバドバと盛大な音を立てられても気に障るだけのような気もするので、これもまた良しという事にしておこう。夏の風鈴みたいな。
「や、やぁ、やっと着いたぁ」
 足をもつれさせながらよれよれとその噴水に歩み寄り、縁に腰掛けた栞さん。後ろに両手をつき、出せるものなら背もたれを出してあげたいくらいに背中を後ろへ反らせると、
「これだけ走れば、んぐっ、はぁ、大丈夫だよね……」
 呼吸のついでとでも言うべきかすれ切った声で、そう漏らす。天を仰ぎながら。いやあそういう反り返ったポーズもなかなか………そんなのはともかく。おほん。
 これだけ走ればと言うか、もうこれ以上は走れなさそうだった。
「ありがとうございました、栞さん」
「お疲れ様、栞君」
「ニャン」
 三者三様に声を掛けると、栞さんは顔をこちらに向ける。そうしてぐっと息を飲み、呼吸を整えると、
「いえいえ、どう致しまして。……それにしても、あの人大丈夫かなあ。かなり痛そうだったけど。って、自分でやっといてこんな心配するのも変だけどね」
 正当防衛の範疇にある行為だと思いたいけど、あれは確かに心配にもなる。鼻血くらいは出ててもおかしくないし、あの勢いと着地の素晴らしさを考えれば鼻の骨くらいはもしかしたら………?
「ま、まあ大丈夫ですって。受身取るのは失敗しちゃったみたいでしたけど、言ってみれば走ってて転んだだけなんですから」
 中学か高校で習いますよね? 柔道。その中でやりますよね? 受身。やればよかったんですよあの人が。……いや、本当にやっちゃって炎の中から立ち上がるターミネーターよろしく何事も無かったかのように追跡を続行されたら困るどころか怖いんですけどね。
「だだ、だよね。きっと大丈夫だよね。走ってて転んじゃっただけだもんね。あはは」
 まるでどこかの誰かにわざと足を引っ掛け、それをうしろめたく思っているかのような苦い顔をお互いに向け合う。でも大丈夫だろうから大丈夫さ。うん。
「くくくく。手厳しいね、二人とも」
「ニャン」


「あ゛ー、まだ痛えな………何だったんだありゃあ? つまずいたっつーよりゃ俺、飛んだよな? あの兄ちゃんにも逃げられちまうし……あーもームカツク腹立つ! なんで逃げんだよぉ! 俺、そんなに凶悪な面してるか!? 髪か!? 染めてっからか!? 今時んなの珍しくもねーだろがぁ! 眉毛剃ってるわけでもピアスジャラジャラな訳でもねーだろ!? いや! それだって最早そこまで珍しくはねえ! 外見で人を判断すんなっつーの! ……っと、んな時に電話かよ間ぁ悪ぃな―――はいはーいもしもしぃー」
『うっわ、いきなりご機嫌急直下? 電話に出る時ぐらい相手に気ぃ使いなさいよ馬鹿じゃないの頭悪いの? こっちまで釣られて機嫌悪くなったらどうすんのって言うかもうなっちゃってるわよ?』
「知るかボケ。こっちゃあ怪我してんだよ。ちったあ気ぃ遣って優しい言葉でも掛けろってんだ」
『嫌よそんなの気色悪い気持ち悪い。怪我したって? そんなの電話越しで分かる訳ないでしょ? そんでどーせまた自業自得なんでしょあんたのせいなんでしょ? どーなのよそこんとこ』
「こっちが説明して欲しいくらいだっつの。走ってたらいきなり足が後ろに吹っ飛んでそのまますっ転んだんだよ。レンガに顔面から着地したっつの」
『転んだぁ? …………ぷはっ! あーはははは! ださっ! だっさっ! 何それそのちっさい事件! ぷはははははははは!』
「……………ウザ過ぎる……」
『何か言った?』
「言ったけど気にすんなウザいから。そんで、何の用なんだよ」
『ああ、公園に着いたから報告しようと思っただけ。―――ってちょっと待ってストップ。走ってて転んだって、もしかしてあの男の人追っかけててその最中にって事? それじゃあ』
「あーそーですよ逃げられましたよ。何か文句でもおありでしょうかご主人様?」
『あるに決まってんでしょうが! あーもー最低最悪! ………だいたい何で走って追いかけるのよ! あんたみたいな不良面が迫ってくりゃあ普通の人はヒクわよ逃げるわよ!』
「ああ!? ツラの事はほっとけよ! 今この場で整形でもしろってか!?」
『だから普通に声掛けりゃあ―――ああもういい! もーいい! そんであんた今どこにいんのよ!?』
「今ぁ? そーだな―――」


「買ってきましたよー」
「ありがとー」
 昼食を食べた広場に比べると、人気の少ない噴水一帯。今が夏だったら水浴びする子どもとかで賑わうんだろうけど………
 そしてそんなちょっと寂しい一帯のその片隅には、別の場所でやればいいのに移動式のソフトクリーム屋さんが。「季節を考えたらまだちょいと気が早いんじゃないですか?」なんて意見はいいとして、激しい運動の結果、口の中が寂しくなったので利用させていただく事になりました。
「どっちがいいですか?」
 噴水の縁に座ったままで待っていた栞さんへと差し出す僕の両手には、それぞれバニラとチョコ、二種類のソフトクリームが。今時味がこの二種類だけって言うのも逆に珍しいんじゃないだろうか? 大概は抹茶味だとか、なんたらフルーツ味だとか、そうじゃなくてもせめてバニラとチョコのミックスぐらいはあると思うんだけど。
「じゃあ―――チョコ、もらっていい?」
「どうぞどうぞ」
 まあ、こうして二人で分ける分には丁度良かったからいいんだけどね。別に抹茶味が好きな訳じゃないし、そもそも食べた事ないし。
 栞さんに茶色いほうのソフトクリームを渡し、その隣に腰を降ろす。小さく舌を出しながらクリームを少しずつ舐め取る栞さんを清涼剤に、まずはソフトクリームの頭をかじり取った。それによって口の中も冷やされ、見知らぬ人に突然追いかけられる恐怖と、その見知らぬ人から逃げる事によって生じた心身双方の余熱が、じんわりと消え去る。そしてその実感によって、ただのバニラソフトクリームが随分と美味しく感じられるのだった。
 ……ところで、ソフトクリームを舐めて食べる人とかぶり付いて食べる人って、どっちのほうが多いんだろう?
 舐めた部分から丸っこく平べったくなっていく栞さんのソフトクリームと、かじった部分から角張って歯の跡が付いていく僕のソフトクリームを見比べてそんな事を思っていると、
「ニャア」
「ほう」
 栞さんの向こう側で、クロとチューズデーさんがそんな短いやり取り。しつこいようだけど、クロが何を言っているかはもちろん理解不能。せめてチューズデーさんが内容のある返事をしてくれたら推理も可能なんだけどね。
 体を前に傾けて栞さん越しにそちらを見てみれば、二人はお座りの姿勢で向かい合っていた。
「ニャウ」
「ふーむ」
 何の話をしているのか訊こうかとも思ったけど、どうやらクロの話が盛り上がっているようなので控えておく。……盛り上がってるって言っても、僕が聞く分には「ニャア」かそれに順ずる一言だけでしかないんですどね。長い話なんだか短い話なんだかすら分かりゃしないんですよ全くもう。


「うーわー、何なのそれそのティッシュ? 鼻血出ちゃったわけ?」
「顔面からこんなレンガに突っ込みゃ当たり前だろ。まあ、もう止まってるかもしんねーけど」
「あの……一人なんですか……? 私てっきり……二人でいるのかと思ってたんですけど……」
「あん? そーいや一人足りねえな。あいつ、お前らと一緒にいたんじゃねーのか? お前と二人で駐輪場に行ったじゃねえか」
「いえ……あの……それが……」
「あんた探して行っちゃったんだってさ。あーあー面倒な事になっちゃったわ厄介だわ。あの男の子も捜さなくちゃなんないのに」
「うおっ。まだ止まってねえや鼻血」
「話聞けこのアホ馬鹿間抜け! 誰のせいでこんな事になったと思ってんのよあんたのせいよ!?」
「なんでそーなんだよ! 俺は何も間違った事ぁしてねえぞ!? 人を見掛けで判断するあの兄ちゃんがだな!」
「中身まで知られたら余計逃げられるでしょうがこの変人変態! どーすんのよ尋ね人増やしてくれちゃって!」
「知った事かよ! とにかく俺は何も悪くねえ! 故にどーもしねえ! お前がどんなに怒鳴ってもな!」
「あ……あの……一方は携帯で連絡すればいいんじゃ……」
『それだ!』


「ほほう。奇妙な事もあるものだね。―――いやいや、面白かったよクロ君」
 時折尻尾を振ったりピンと伸ばしたりしながらクロの話を聞いていたチューズデーさんが、その話をそう評した。クロが一鳴きの返事をすると、そこで短い鳴き声と一言相槌による会話はどうやら終了したらしい。「うむ」と返したチューズデーさんが、ふいとクロから目を逸らした。
 さて、それではそろそろ。
「ねえ。クロちゃんの話、なんだったの?」
 ―――と思ったら栞さんと同じ事を考えていたらしく、口から出そうとした文章とほぼ同じものを先に言われてしまった。自分が言おうとした事を誰かに先取りされてしまった時、肩透かしを食らったような気分になる事はないだろうか? イカリングだと思って食べてみたら衣の中身は玉ねぎだった、みたいな。
 ……ま、それはいいんだけど、
「金髪の男に追いかけられたせいでお流れになった話の続きだよ」
 何の話でしったっけ? 確かチューズデーさんがお爺さんお婆さんの話をして、それからクロに話を振って………ああ、思い出話とかないかって話だったっけ。
「聞かせてもらってもいい?」
 と、栞さんからチューズデーさんへ。
「聞かせてもいいかね? クロ君」
 と、チューズデーさんからクロへ。
「ンニャ」
 最後にクロが頷き、首の傾きと共に鈴が鳴る。それを合図にチューズデーさんがこちらを向き直し、コホンと小さな咳払い。
「えー、まずクロ君は、少なくとも二年以上前は野良猫だったらしい」
 のっけから疑問符が頭に浮かびそうな話ですね。少なくとも二年以上前ってどういう事でしょうか? 随分曖昧な期間指定ですけど。
「それでだね、まだ野良猫だった頃のある日、戯れでカエルを捕まえようとしたらしいのだよ。若気の至りというやつかね」
「ウニャ」
 チューズデーさんが冷やかすようにクロへと視線を送ると、俗に言う「顔を洗う」仕草をするクロ。だけど、顔を洗うと言うよりは恥ずかしそうに顔を掻いていると言ったほうが合っていそうな気がした。チューズデーさんのクロに対する振りを見た限りでは。
 若気の至りで二年前………クロって今幾つぐらいなんだろう? 猫の二年っていったら結構大きいような。しかもその二年って数字だって「少なくとも」だし。なんでかは知らないけど。
「しかしそこから二年前まで、記憶がすっぽり無いんだそうだよ。気が付いたら今の飼い主の家にいた、との事なのだが」
 なんと、記憶喪失ですか!? ………あ、だから野良だったのが「少なくとも二年以上前」なのか。記憶が無かった期間がどれほどのものか分からない、と。
 それにしても、記憶喪失って人間以外でもあるもんなんだなぁ。そりゃあ記憶があるのは人間も他の動物も同じだし、有り得るっちゃあ有り得るんだけど―――
 って、そこ以外にあるか。もっと先に気に掛けるべき事柄が。
「クロちゃん、その時に事故にでも遭ったの? それで頭打っちゃったとか……」
 コーンの中腹部分まで食べ終えた栞さんにまたしても先を越され、またしても肩透かし。ちなみに僕はと言うと、もう全部食べ終わりました。ごちそうさま。
 クロとチューズデーさんが栞さんの向こう側にいるので、そちらを向いた栞さんがどんな表情なのかをこちらから確認する事はできない。だけど、わざわざ見なくても困ったようにひそまった眉がありありと頭に浮かんでしまうほどの、下を向いた声。
 そう。結果があるためにはその原因が必要な訳で、その「結果」が記憶喪失なんてシロモノなら、考えられる「原因」は本人への何かしらのショックだ。ま、素人考えですが。
「いやいや。カエルを捕まえようとしたら突然………で、合ってるんだよね? クロ君」
「ニャ」
 ちりん。
 首肯に合わせた鈴の音に合わせて、クロの尻尾がしゅるりと足元の石を撫でた。いや、石なのかはたまたそれっぽい人工物なのかは知らないけど。それでも一つ確かなのは、尻がひんやりして若干気持ちいい事だ。
「それからどれくらい時間が飛んだのかはクロ君本人にも分からないが、気が付いたら双子の妹のほうに抱かれて寝ていたんだそうだ」
 妹。えーと、明日香さんになるのか。あの元気いっぱいって言うか二杯も三杯もありそうな薄茶色の髪をした関西弁の―――ああ、髪の色と言葉使いは今日香さんと同じだけど。今日香さんはなんて言うか、おしとやかそうな人だったなあ。
 そういうイメージは………ちょっとだけ、あの人に近いかな。あの人が喋ってるところって、そんなに見た事なかったけど―――ただ声を掛けるでも掛けられるでもなく、眺めてるだけだったけど―――
「へえ~、不思議だね」
 その声に引き寄せられて、僕は思い出の世界から抜け出した。
 声の主はそう言った後、ソフトクリームのコーン部分、その最後の一かけらを口に含み、さくさくと小気味いい音を立てる。
 相変わらずクロとチューズデーさんのほうを向いているその後ろ姿を見て、少し、自省の念を浮かべた。「これ」は今思い出すべき記憶じゃない。いや、いっその事、もうずっと思い出さないほうがいいのかもしれない。
 焦がして生ゴミになってしまった料理みたいに、いらない記憶が簡単に手放せたらいいのになぁ。ずっと残ってたって、不味くて苦くていい事なんかありゃしないし。
「その上だね、記憶は無いのだが、ずっと誰かと一緒にいたという感覚だけが残っていたらしいんだよ。なんとも想像しにくい話だが」
 そうして関係の無い事を考えている間にも話は進み、不思議な点が更に追加される。
「なんだか凄そうな話だね~。でもそのずっと一緒にいた誰かって、やっぱり飼い主の―――」
 栞さんが楽しげにそう言った時。
 ―――どこからか、ゆったりした音楽が流れてきた。聞き取れるギリギリくらいの小さな音量だったけど、
「あれ、何か聞こえない?」
「聞こえるね」
「ニャン」
 他のみんなにも聞こえていたので空耳ではないんだろう。
 その音楽がどこを発生源としているのか特定しようとして、おおまかにこっちだろうと思う方角を見渡してみる。だけど、その視界内には何もないし誰もいない。一緒にいる三名を除いては。
 一方チューズデーさんとクロは最初から一点に視線を固定しているようで、微動だにしていなかった。
 そうしている間に音楽はその途中で突然鳴り止み、それによって噴水の水音以外は一切の音がなくなる。
 すると、それを待っていたかのようにチューズデーさんが口を開いた。
「少し……音が不自然なように感じたが。音量からも考えるとあの茂みの向こうに誰かがいて、何かの機械で音楽を聴いていたのだと予想するが。どうだね? クロ君」
「ンニャ」
「ふむ。やはり君もそう思うか」
 猫の聴力は人間よりも凄いらしい。音源の箇所は僕にははっきり断定できなかったし、音それ自体の不自然さに至っては全く分からなかった。まあ、曲が唐突に終了した事から携帯の着信音だったのかなー、くらいは思いましたけど。
 ………僕の聴力に異常があるだけ、って事も無いだろう。無いと思いたい。栞さんはどうですか?
「そんな事まで分かるんだねー。やっぱり猫の耳って凄いよね」
 そうですか。
「む? ……ああ。人間の耳はわたし達の耳より聞こえが悪いんだったかね? 大吾にそんな話をされた事があるような無いような」
 あんまり関心指数が高くはなさそうな物言いでそう返すと、「そんな事よりもだね」と続けるチューズデーさん。その隣で少し得意そうに胸を張っていたクロがかくりと腰を丸めたのは、まあ指摘しないであげよう。
「念の為、わたしがあの茂みの向こうを見てこよう。ついさっきあんな事があったばかりだからね。もしあの金髪の男だったりすると、また栞君が疲れてしまうだろう?」
 そういう軽口を交わせるほど薄っぺらい事件でしたっけ? 少なくとも僕は本気で怖かったんですけど。あんなに怖い思いしたのって、どれくらいぶりになるんだろうか? ………そう言えば、あまくに荘で初めてみんなと会った時も相当怖かったっけ。気絶しちゃったくらいだしなあ。
 ああ、意外と最近だったね。


『あの……今どこにいるんですか……? こっちはわたしも含めて三人揃ったんですけど……』
「お? そうか、そっちで揃っとったのか。いやの、ワシも今そっちに掛けようとしとったところなんじゃが―――」
『あ、わ、ああ……』
「ん? なんじゃ? どうした?」
『ちょっと! あんた今どこにいんのよ何してんのよ! こうやってうろうろしてる間にあの男の子が帰っちゃったりしてたらどうすんの!?』
「……いやだから、今その話をしようとしたところじゃろが。せっかちじゃのう」
『せっかちになるのも当然でしょうが当たり前でしょうが! だから今どこにいるのか簡素に簡潔に言いなさい答えなさい!』
「はぁ。噴水広場の脇じゃよ。今そっちにいる阿呆が見つからなくての。適当に歩いとったら―――」
『なんでそんな遠い所にいんのよ! あーもー合流するまでの時間がもったいないじゃない無駄じゃない! やっと見つけたあたしのアレの手掛かりだってのにぃー!』
「いやの、その手掛かりが今、同じ場所にいるんじゃよ。全くの偶然なんじゃがな。それでお前さんに念の為どうするか訊こうと―――」
『先に言いなさいよ! 噴水ね!? 噴水広場ね間違いないわね!? そんじゃすぐ行くからあんたそこで待機! また後で! バイバイ!』
「分かった分かった、それじゃ後での。………ふぅ、やれやれ」


 残った僕達三人は、チューズデーさんの小さくてしなやかで黒い後ろ姿が潜り込んだ茂みをじっと眺める。
 茂みの向こうにいるのがもしプリン頭の人だったとしても、栞さんがそのプリン頭を披露させたさっきの一件で彼が幽霊を見る事ができない人だって事は分かっている。だから、そこへ一人で向かったチューズデーさんの身に危険が及ぶ事はまずないんだろうけど。
 ………やっぱり、心配だなあ。
 チューズデーさん自身のためにも自分のハラハラ解消のためにも、早く帰ってきて欲しい。―――と思えば思うほど時間の流れがゆっくりになってしまうのは、恐らく誰にでも経験のあることだと思う。例を挙げれば、早く授業終われだとかコマーシャルはもういいよだとか考える時に。
「あ、戻ってきたよ」
 視界では捉えていたのに、意識がその姿を捉えたのは声がしてからだった。ずっと同じ方向を見ていたとは言え、余計な事を考えていた分、栞さんより反応が遅れてしまったようで。
 ご無事で何よりです、チューズデーさん。
 こちらのそんな安堵感を表すかのようにゆったりゆったり身体を波打たせながら、こちらへ戻ってくるチューズデーさん。クロが尻尾を振ってそのご帰還を歓迎し、栞さんが「お帰りー」と首を若干横へ傾けると、「ただいま」と返して再びクロの横へ腰を落ち着ける。
 まあ、茂みの向こうでは何事も無かったんだろう。この緊張感の無さからすると。
 それにしてもやっぱり真っ白な猫と真っ黒な猫が並ぶと様になるな、と緊張感の無さに便乗して考えてみる。
 噴水の縁に並ぶ白猫と黒猫、かぁ。この場に清さんがいたら絵に写しちゃいそうだなあ。僕ですら絵心があったらやってみたいと思っちゃいそうだし。あ、そうだ。携帯で写して待ち受け画面にでもしてみようかな?
「さて、結果報告だがね」
 被写体に許可を申請してみようか、と考えたその矢先、あちらから先に話を始めてしまわれた。


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