(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第四十六章 日向家 十一

2012-03-27 20:43:48 | 新転地はお化け屋敷
 というわけですっかり説き伏せられてしまった僕なのですが、するとそれに際した心情が反映されてか、不意に栞の背中を「綺麗だなあ」なんて思ってしまうのでした。
 ――もしかして。
 もしかして、大吾が成美さんの背中に見惚れたというのも、これと似たようなことだったのでしょうか? 好きだとか愛してるだとかいう感情に加え、大吾は成美さんのことを、年長者として尊敬しているような節もあるみたいですし。
 ……いや、もちろん勝手な想像なんですけどね。そうでなくたって成美さんのこと、特別な心情を抜きにしたって見惚れるほど綺麗なのは変わりないんでしょうし。
「孝さん?」
「え?」
「手が止まってるけど、どうかした?」
「あっ。ああ、いやいや」
 まるで返事になっていませんが、しかし僕はそれ以上の説明をせず、意図しないうちに止まっていた手を再度動かし始めます。
 すると栞は、ふふっと笑みを溢すのでした。
 それがどこから発生したものなのかは、直前の僕と同じく、説明されることはありませんでした。

 背中だけ洗う、なんてことはもちろんなく。というわけで僕が背中を洗い終えたところで、栞はそれ以外の部分を洗い始めるのでした。
 となれば僕は暇になってしまうわけですが――。
「……栞、やっぱりなんかスースーして変な感じなんだけど」
「あはは、まあまあ我慢してよ」
 引き続いて身体を洗う栞の横で僕はちょっとした不快感、というのは言い過ぎにしても、違和感に襲われていました。
 どういうことなのかと言いますと、「じゃあ栞を待ってる間自分の身体も洗っちゃえばいいじゃない」ということでタオルをもう一つ引っ掴んだ僕なのですが、「背中は私がやるから残しといて」なんてことを言われてしまったのです。
 というわけで今の僕は、「背中を除いた」全身が泡だらけです。それってもはや半身程度でしかないような気もしますが、まあそんな話はともかくとして。
 もちろん待っている間湯船に浸かっておくという発想もありはしたのですが、でもどうせすぐに自分も背中を流してもらうことになるんだろうしなあ、ということでなんとなくそれ避けた僕は、じゃあそれを前提として身体を洗い始めるとどうなるか、というところまで頭が回らなかったのです。
 容量が悪いとか、いっそ頭が悪いとか言われてしまっても、言い返す言葉はないのでしょう。
 ただし、一つだけ言い訳を許して頂けるならば。
 自分の身体を洗っている栞の姿というものは、判断力を鈍らせるのに充分な威力があったのです。そりゃあ、背中以外の全部に手が行くわけですしね。
 ――と言ってまじまじと鈍らせ続けられるというのもどうかと思ったので、そこのところは控えめに。胸から洗い始める、という話が本当だったということを確認するに留めておきました。

「栞はどうなの?」
「ん?」
「男の背中って」
 ようやくスースーしていた背中を洗ってもらえる段になったところで、僕はそんなことを尋ねてみます。本当なら「男の背中」でなく「僕の背中」と訊いてみたかったところもなくはないのですが、まあそこは話の順序的にというか、僕が尋ねられたことと照らし合わせてというか。
「んー、そうだねえ」
 背中を向けているので顔は見せませんが、しかしその口調は楽しそうではありました。ということは僕の時と同じく、やらしい目で見るようなものではないんだなあ、と。
 いやまあ、女性はともかく男なんて割と気軽に上半身を曝け出したりしてるわけで、その背中がいちいちやらしく見えてたりしたら、それはそれで大変なんでしょうけど。
「一般的には、広いとか逞しいとか、そんなふうなこと言われるよね? 男の人の背中って」
「まあ、そうかもね」
 背中について語る場面なんてそうそう目にするものではないですが、しかしまあ、間違ってはいないでしょう。そんなもんだと思います。
「でも、私がどう思うかって話だとなあ。孝さんって、『広い』でも『逞しい』でもないし」
 ――しまった、と。
 僕の背中、を男の背中に言い直したところで、対象を栞に限定してしまえばそりゃそうなります。単純かつどうしようもない手抜かりです。
 が、そんな失敗を気にしてばかりいてもいいことはありません。僕はこのまま、話に乗ることにしました。
「まあ、それは僕自身もそう思うけどね」
「それも踏まえると――うん、私もごめんなさいだけど、特に背中に拘るとかは、ないかな」
「そっかあ」
 そりゃまあ、多少くらいのがっかりはあるにせよ。
「でも孝さん」
「ん?」
「背中の逆、というか……胸は好きだよ、孝さんの」
「胸?」
 女性の話の時とは打って変わって、その単語にパンチ力は存在しませんでした。
 繰り返しますが、男の上半身は割と簡単に曝け出されるものなのです。
 男女平等、なんて言葉が浮かんだりもしましたが、もちろんそこには深い意味も浅い意味もなく、いっそ一切の意味がありません。そういうことにしておいてください。
「包容力って言うのかな。孝さん、それはすごくあると思うし。だからまあ――その言葉の意味そのまま、ぎゅってされる時とかさ」
「それは、どうも」
 やらしい話でなく、普通に褒められました。逆に恥ずかしいです。
 恥ずかしいので、こんな言わずに済ませておけばいいようなことを言ってみたりも。
「でも包容力って、自覚はあんまり……」
「あはは、まあ自覚するようなものじゃないだろうしね。でも傷跡の跡を触ってもらってる時とかって私、大体抱き締められてるでしょ? だから、ね」
 まあ、抱き締めているか否かと言われれば確かに抱き締めてはいます。だから即座に包容力があるということでもないのでしょうが、しかし少なくとも栞は、そんなふうに感じてくれていると。
「そういえばさ」
 あちらも照れ臭く思ったのでしょう。話題を変えようとするその口調は、若干ながら慌てていたのでした。
「また大吾くんと成美ちゃんの話だけど、成美ちゃんも好きだよね、大吾くんの背中」
「あー、そういえば」
 あちらについては「広い」とか「逞しい」とか、そういうことになるのでしょう。
 そして言わずもがな、それは成美さんが大吾におんぶされている様子を指しての話です。
「背中好き二人組かあ」
「あはは、そんな言い方するとなんだか怒られちゃいそうだけどね。――でも二人とも背高いし、背中合わせで立ってたりしたら様になるだろうなあ」
「なんか随分別方向に話が飛んだ気がするけど……」
 背中が好きであることと背中合わせに立つことは必ずしもセットで扱われることではない――というか、絶対にセットでは扱わないような気がします。完全に無関係です。
「まあまあ、照れ隠しで適当なこと言ってるだけだから」
「そこまで自白しちゃわなくても」
「隠してたら悶々としちゃうもん、多分」
「…………」
 いやだからそこまで自白しちゃわなくても。とは、もう言えないのでした。

「失礼しまーす」
「失礼されまーす」
 僕の背中が洗い終わり、ならばそれは「身体を洗う」という行程が完全に終了したということであって、僕、栞という順番で湯船に浸かるのでした。
 風呂場全体もそうなのですが、二人で入ることを想定された広さではありません。ならば向かい合って入るのは結構な無理があり、なので自然、栞は僕に背を向け、足の間に座り込む格好になるのでした。
 いや、広くてもこうしてたような気はしますけどね。そりゃあ「そういうふうなこと」がナシということになっているにしたって、これくらいの触れ合いはそりゃあしたいですし。
 となるとプールならともかく、個人宅に広い風呂って必要ないんじゃなかろうか?――なんて、これはまた照れ隠しになるんでしょうけど。位置関係上そうならざるを得ないわけですが、栞が湯船に腰を下ろす際、僕の目の前をそのお尻が通過したのです。そりゃ照れます。
 で。
「男の人って……ああいや、止めとく」
「うん」
 腰を下ろし終えた栞がこちらに体重を預け、つまりは身体が密着したところで、そんな会話。何が言いたいのかはこっちだって百も承知ですし、だからこそうんとしか言えませんとも。男は辛い、とまでは言いませんけど。
「それはともかくとしてさ」
「う、うん」
「この体勢になると、どうしても傷跡の跡のほうに気が行っちゃうっていうか」
「あー」
 委縮がちだった栞ですが、傷跡の跡を話題にすれば即座に緊張がほぐれます。……いえ、別にそれを期待してこの話を振ったわけではなく、本当にそっちに気が行っちゃってるから、でしかないわけですけど。
 で、それはともかく、この反応ということは。
「やっぱり、ベッドに入るまで待った方がいい?」
「うん、できれば」
 酒に酔っていた時、「酔いが覚めてからがいい」と言われた傷跡の跡への接触。もちろん今はもうすっかり覚めているわけですが――ええ、そうなんだろうなとは思っていました。そして分かっていたからこそ、納得も即座にできてしまいます。
「分かった」
「ごめんね。じゃなくて、ありがとうね」
「そっちで正解」
 当たり前ながら謝られるために触っている傷跡の跡ではないわけで、ならばそれを先送りにするのだってそれと同様、謝られるためではないわけです。
 さて、ではこれで「傷跡の跡のほうに気が行っちゃう」という問題が解決したわけですが、ならば僕の気が次に行ってしまうのは何処なのでしょうか?
「そういえば」
「ん?」
「あれ、どうなるんだろうね。ほら、四方院の人が結婚式の衣装のサイズ測りに来るっていうの」
「あー……。いや、でも大丈夫なんじゃない? 孝さんが大学生だっていうのは多分伝わってるだろうし、そうでなくとも昼間に来るとかは、まあないんだろうし」
 特にそういった心配から思い付いた話ではなかったのですが、けれどもしかし、そんな栞の解釈も的を外しているとまでは言わないのでしょう。むしろ普通に考えればそういう話になるわけですし。
「まあそんなに遅くまで大学に残るってこともないし、じゃああんまり気にしないで大丈夫か」
「うん、大丈夫大丈夫。ところで孝さん」
「ん?」
「なんで今その話になったの?」
「…………」
 まさかこれって、と思ったその途端、「『サイズ』って?」なんて言いながら胸を押さえてみせる栞なのでした。傷跡の跡ではなく、単に胸です。
 やっぱりばれてました、ということ。
「……ごめん、どこまでも下心だらけで」
 傷跡の跡から気が逸れたところで、逸れた気が行き着いたのは結局また胸なのでした。ええ、傷跡の跡ではなく、単に胸です。
 仕方ないじゃないですか肩越しに見下げるこの視点的に。前向いて壁だけ見てるっていうのも変なんですし。と、開き直ってみたり。
「あはは、それで直接そういう話になったりしたら、まあそういうことになるんだろうけどね。意識して抑えてくれてるってことでしょ? じゃあ私は構わないというか、むしろ歓迎すべきだよね立場的に」
 栞らしい考え方、ということになるのでしょうか。何がどう、と具体的なところを訊かれると困ってしまうのですが、けれど「いつもこんな感じだよなあ」と。
 となると僕としては、下心以外のものが大きくなってしまうわけで。
「あのさ、栞」
「ん?」
「キスだけ、いい?」
 それだけとはいえ今になってこんな、堪え性が足りないというか何というか。
 けれどそれを承知していても尚そう尋ねずにはいられないほど、恋慕を募らせてしまったのです。一緒に風呂に入り、あまつさえ身体を密着させまでしているというのに、それでもまだ足りないほどに。
 栞は笑いました。
「嫌じゃないって言ってるのに、孝さんはやっぱり孝さんなんだねえ」
「ごめん。じゃ、ないんだよね、多分」
「うん。そういう人だから嫌じゃないんだしね。それに、そういう人だから――」
 頑張って後回しにし続けられるほど楽しみなんだよ。
 囁き声のような、もしくは殆ど口の動きのみと言っていいような小声でそう言ったのち、栞は僕の望み通りに唇を差し出してくれました。

 別にそういう指定があったわけではなく、また栞からそう促すような身振りをされたというわけでもないのですが、しかしなんとなくそのキスは一度きり、更に時間もそう長くは取りませんでした。
 それに対して栞は何も言ってきませんでしたが、しかし少し以外そうだったその表情は恐らく、「これだけでいいの?」といった思いの表れだったのでしょう。僕自身、物足りないと自分でも思っていたりしますし。
 ――要はまだ「後回し」は継続していると、そういうことにしたかっただけなのですが。
 こちらからも何も言わずに栞の髪を撫でるようにしたところ、すると栞、その手に押されるようにしてゆっくりと身体を湯に沈め、それは肩がすっかり浸かってもまだ止まらず、最終的にはもう少しで口も水面に届くというところまで。
 すると栞は首を、その身体ごと横向きにさせ、頭を僕の胸に預けてきました。
「……ん、やっと落ち着いたって感じ」
「今まではそうじゃなかった?」
「うん。少なくとも、『ゆっくりお風呂に入る』って感じじゃあなかったかな」
「そっか。まあ、そうだね」
 照れに関しては薄まってきていたとはいえ、けれどそれはやっぱり薄まってきていただけのことであって、はしゃいでいたことに変わりはなかったのでしょう。
「気持ちいい。のぼせる直前までこうしてたいなあ」
「そういや僕、前はのぼせちゃったんだっけね」
「あはは、そうだったね」
 というのは、四方院さん宅の混浴の話。みんなで入った中で僕ただ一人だけが、のぼせてダウンしてしまったのです。
 まあ、恥ずかしい失敗談です。ですがしかし、かなり好意的な解釈が必要になりますけど、それは恥ずかしいだけの話というわけでもなく。
「それがきっかけでもあったんだよね。おかげで二人きりになれて、だから私、傷跡のこと」
「……僕も同じこと考えてたよ」
 傷跡の跡、ではなく、傷跡。あの当時はまだ、それはそう呼ばれているものでした。
 それを見て、それを語られて、そしてそれに激怒して。
「今思うと、あそこまで怒ったのは驚いたり怖かったりを誤魔化すための――強がり、みたいなものだったんだろうけどね。急過ぎるって言えば、そうなんだろうし」
 あの激怒あってこその今の関係、というふうに考えると割と重大な告白だったのでしょうが、けれど栞は、僕の胸の上でくすくすと肩を震わせるのでした。
「別に怒る勢いはどうでもいいんだよ、怒ってくれたことが重要だったんだから。あの時言ってくれた言葉自体は、嘘じゃないんでしょ?」
「それはもう、そこだけは」
 そこが否定されるのはたまったものじゃありません。僕は少々慌てさえしながら、頷いてみせるのでした。
「うん。じゃあ、孝さんを選んだ私のこの気持ちは、やっぱり間違ってなかったよ。――あはは、選んだ後に起こったことだったんだから、どうしようもないくらい後付けなんだけどね」
 いつなのかと言われたら僕と付き合い始めた瞬間なんでしょうしね、いつ選んだのかっていうのは。そして当然ながら、それは胸の傷跡の件より前の話です。
 間違ってない。栞はそう言って、笑って、そして一息ついた後、まるでこれからひと眠りでもするかのようにゆっくりと目を閉じました。
 間違ってるとか間違ってないとか、話自体はそんな流れではありませんでした。けれど栞のその言葉は、話と少しずれた位置にあった僕の本心に、見事に突き刺さってくるのでした。
 察していた、ということなのでしょう。僕が何を思って今更、こんな告白をしたかということを。
 栞は目を閉じています。なので僕はそれ以上何も言わず、髪に触れていた手で栞の頭を抱き留めるようにだけしながら、彼女と同じく「ゆっくりお風呂に入る」ことにしました。
 間違ってなかった。
 それについては、こちらこそ、なのでした。後付けだろうが何だろうが。

 裸でいることに慣れたと思ったもののしかし、脱衣場で今度は脱ぐのでなく着ることとなってみたらばそれがまた恥ずかしかったりもしたのですが、しかしまあそれはいいとしておきましょう。照れ隠しにちょっと笑い合った程度ですしね、さすがに。
 で。
「御飯食べて!」
「うん」
「お風呂入って!」
「うん」
「さあ残すはベッドインだけだよー!」
「……いやまあ、確かにベッドにインするんだけどさ」
 無闇に厭らしく聞こえるのは何なんでしょうね、文字通りの意味なのに。
 後々になってどうなるかは知りませんけど、少なくとも今のところは、そういうつもりはまだないわけで。
 じゃあ何があるんだって言ったらそりゃああれですよ、胸の傷跡の跡です。こればっかりは強がりとか照れ隠しとかじゃなく、真面目に待ち望んでいたわけですし。
「いやっほーう!」
 歯切れが悪かったり変なことを考えたりしている僕にはまるで構わないまま、栞は子どものような無邪気さを発揮してベッドにダイブするのでした。
 ここは204号室で、ならば下は104号室です。
 ……空き部屋で良かった、なんて。うるさいなんて苦情が来ちゃったらいろいろ興醒めですしね。
「買ったばっかりなのに壊したとか勘弁してよ?」
「えへへー、気を付けまーす」
 これが本当に子どもだったらどやしつけられていることでしょう、まるで反省の色を感じさせない声色に、しかもこちらを向きすらせずごろごろと転げ回りながらの返事なのでした。
 待ちに待ったんだから気持ちは分かる。分かるけども、やれやれ。
「すごいよ孝さん、今まで使ってたベッドの倍転がれるよ」
「じゃなかったらダブルベッドじゃないしね……」
 まあ、とは言っても実際、そのまんま倍の広さってこともないんでしょうけども。それに少々足りないくらいなんでしょう、やっぱり。
「で、栞。転がれるスペースが倍じゃなくなっちゃうけど、僕は上がらせてもらってもいいのかな?」
「むしろなんで上がらないの? ずっと待ってるのに」
 まだ栞がベッドにダイブしてから一分すら経ってないわけですが、ずっと待ってるんだそうです。
 ああ、だったらこれ以上待たせるのはよくないですよねやっぱりね、ということで、僕も栞の隣へと。
 いやもちろん、ダイブなんかしませんでしたけどね? もそもそと上がり込んで地味にごろんと仰向けになりましたとも。片方は実質的にまだ未成年とはいえ、大人二人の体重です。栞に倣ったりしたらもう本当に壊れてしまいそうですし。
 ……とは思ったのですがしかし、どうなんでしょうか実際。ダブルベッドである以上は大人二人の体重が掛かる前提で設計されているわけで、そして体重に個人差がある以上、もちろんそれは大人二人が横になって尚余裕があるくらいの耐久性なわけで、だったら僕が飛び跳ねたくらいじゃあびくともしなかったりするのかもしれません。僕も栞も体重は平均的というか、いっそ平均よりやや下ぐらいなんでしょうし。まあ、栞は女性としては身長がやや高めというのもありはしますけど。
「今度は何考えてるのかなー」
 目と鼻の先に突然栞の顔。ですがなにぶん二人でベッドの上という状況です、それくらいで驚くようなことはさすがになく。
「すっごいしょうもないこと」
 敢えて内容を語らずにおいて栞の反応を窺ってみたのですが、「だと思った。そういう顔だったし」というその返事は、想定外なのでした。
「……考え事してるかどうかだけじゃなくて、内容まで分かるの?」
「ある程度はね。そりゃあ、だって、深刻な考え事をしょっちゅうさせてる張本人なんだし、それくらいは」
 そりゃまた――これは、結構嬉しくさせられるお話で。
 という感想はこれまた顔に出ていたのでしょう、栞、少し照れくさそうにしながらこう付け加えてきます。
「まあその『ある程度』っていうのは、深刻かどうかが見分けられるってだけなんだけどね」
 いやいや。
「充分だよ、それで」
 僕は栞を抱き寄せ、そのまま引き込むようにごろんと転がって、横並びになりました。
 急な行動ではあったのでしょうが、けれどそれは栞が顔を近付けてきたのと同じこと。あちらもまた、わざわざそれに驚いたりはしないのでした。
 風呂場ではあんなだったのになあ、お互いに。なんて。
「で、どうする?」
 尋ねる僕に、栞は「ん?」と。
「もう暫くベッドの感触を楽しむか、それとも」
 とまで言って、僕は自分の胸を指でとんとんと。けれどもちろん、それが示しているのは僕自身の胸ではなく。
 すると栞は表情をぱっと明るくさせるのですが、しかしその直後には、くしゃっとした半笑いに。
「あはは、楽しみにし過ぎちゃったのかな。自分でも呆れるくらいにそっちがいい」
 そっち、という栞の視線は、胸を指している僕の指へ。
「正直、ベッドの感触だってまだまだ楽しみ足りないんだけどなあ」
「まあそれは後からだって――って、それを言ったらこれだってそうなんだけど」
「あはは、まあね。でも、だから私は今したい方を選ぶよ。後に取っておくって段階じゃないもんね、もう」
 ベッドに入ってさえしまえば、とそういうことなのでしょう。
 それでもやろうと思えばまだ「後に取っておく」ことは可能なわけですが、けれど、僕もその意見に賛成なのでした。
 僕だって楽しみだったのです、ずっと。
「だから、ね」
 ね、の一言、いや一文字に一体何が秘められているのかは語られませんでした。そして僕はそれになんの反応もしなかったわけですが、けれどそれは、栞の言いたいことが分からなかったからではありません。むしろ分かっていたからこそです。
 反応をしない。つまり、抵抗をしない。
 僕の無反応を見た栞は、少しだけ笑ってから、指をさしていた僕の手を取りました。
 そしてそれはそのまま指差していた箇所、けれど僕ではなく栞のそこへと、招かれるようにして。
「……ねえ、孝さん」
「ん?」
 普段であればそこで気持ち良さそうにし、黙ってそれに浸るか言葉でそれを表すかのどちらかな栞なのですが、しかしこれもまた楽しみにし過ぎたことが影響しているのでしょうか、浸るでも表すでもなく、そのままこんなことを言ってきました。
「好きって言って欲しいな。愛してる、でもいいけど」
 …………。
「よくありそうでなかなか珍しいお願いだね」
 一般的に見てなのか栞としてはという話なのかは、自分でも特にはっきりしていませんでしたが、ともあれまずはそんな感想を持つ僕なのでした。
「キスはもう、さっきお風呂でしてもらっちゃったし」
「ああ、そういうこと」
 キスについてはちょくちょくあることなので、それの代わりであるならば、割と綺麗に腑に落ちてくるのでした。
 キスは既にしたから、という話であれば、好きと言うことだって既にしていたりもするわけですけどね。成美さんと乾杯してた時のことですから、だったらその時栞は酔っていたわけですが。さて、覚えていないのかノーカウント扱いなのか。
「栞」
「うん」
「絶対幸せにする」
「っ!――――っ!」
 絶句する栞なのでした。
 今日から同居し始めましたし、ということで。結婚初日については昨日だったわけですが、その日しか言ってはいけない、というようなことではないでしょうしね。それに昨日、言ってませんでしたし。


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