(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第四十六章 日向家 十

2012-03-22 21:04:09 | 新転地はお化け屋敷
 ――言っちゃ悪いですがこの風呂場、二人で入るように設計されてはいないわけで、ならばそんなところでシャワーを浴びようものならもう一人だって湯を浴びることになるわけです。湯船に浸かってるとかでもない限りは。
 で、だったらいっそということで。
「栞も?」
「あ、うん」
 シャワー自体を手渡しても良かったのでしょうが、うんと返事をした栞は手を出してくるでなくただ目をつぶるだけだったので、それはつまりこういうことなんだろうなと、僕は自分の手でシャワーのお湯を被らせたのでした。
 まあしかし、誰が誰の手で湯を浴びたか、などというのは指してどうという話でもないのでしょう。――いや、もしかしたらあったのかもしれませんが、
「えーっとそれで、どこから洗うかの話だけど」
「……いい」
「え?」
 シャワーを浴びせ終えたところで元の話を継続させようとした栞でしたが、僕はそれどころではないのでした。
「いや、なんか、髪が」
 水に濡れた髪。もちろんそれだって前の混浴で、なんだったらプールでだって見たことがあるわけですが、けれど、どういうわけかそれらの思い出と同じような捉え方はできないのでした。
 色っぽい――ええ、まあ、そういうことになるんでしょう。
 こういうのって髪が長い女性特有の現象みたいなイメージがあったんですけど、案外そうでもないんですね。伸びているにしたって栞の髪は今のところ「長い」ってほどの長さではないわけで、だからプールでも混浴でも特に纏めたりはしてなかったわけですし。
「あっ、やっ、ちょちょちょちょ」
「ああ、ごめん!」
 風呂場に入る前の様子を考えればさもありなんというか、結果、目に見えてというか声に聞こえて慌て始める栞。いや、見えるほうにしたって、一瞬で真っ赤になってたりするわけですが。
「よ、よーしこれはもうショック療法だ! こここ孝さん! 好きなだけ触ってい、いいいいいから私の髪を洗ってください宜しくお願いします!」
「慌てた勢いのままでそんなこと思い付けるって、なんかもう逆に感心するよ」
 という話はともかく、風呂に入ったならもちろんいずれ頭も身体も洗うことになるわけで、だったらそんな申し出もまるっきりお門違いというようなことはないのでしょう。お背中お流しします、みたいなもんですしね。
 で、ならばいざ頭を洗う配置を。
 引っ越しに際して持ち込まれた椅子(もともとうちの風呂にはこれがありませんでした)に栞が腰掛け、僕はその後ろに回って、という位置関係。まるで想定してはいなかったのですが、これはこれでちょっとした恩恵がありました。というのも、無理に肩越しに覗き込んだりしなければ栞の後頭部と背中しか見えないわけで――いやその、見ようと思えば尻も見えてるわけですが――そういう意味で、平静を保てるのです。少なくとも、正面から向かい合っていたさっきまでと比べれば。
「あー、シャンプー、どっちにする?」
「ああ、うーん、じゃあ孝さんが使ってる方で。頭がスーっとして気持ちいいよね、あれ」
 椅子と同じく栞が持ち込んだシャンプーと元々ここにあったものの二つのうち、どちらかという話。気持ちいいとは言いつつスーっとしないシャンプーを使い続けている辺り、たまに使う程度なら、という話ではあるのでしょう。
「続けて使ってたら全然感じなくなるけどね、それ」
「ああ、ふふ、そうなんだ?」
 背中と後頭部しか見えないことに落ち着きを得た僕と同様、栞もまた僕が視界内にいないことで落ち着きを得たらしく、その口調には楽しげな色が差し始めていました。
 となればこちらもより動きやすいというもの。栞の選択通りスーっとする方のシャンプーをひと押し分手に取り、それを栞の髪に押し付けて、あとはしゃかしゃかと泡立てます。
「ああー、きたきたー」
 どうやらスーっとし始めたらしい栞ですが、あちらがその感覚を楽しんでいるのなら、僕は僕で指の間を通る髪の感触を楽しんでいるわけで。
 泡だらけになったうえくしゃくしゃにまでなるともう、色っぽいということはなくなってきます。しかしそれでも普段感じているような親しみは残っているわけで、まあ、厭らしい意味でなく綺麗だなあと。こんな状態ですら触り心地は抜群ですし。
「ああ、そうだ孝さん。すっかり飛んじゃってたけど、どこから洗うかって話」
「ああ、うん」
 僕もすっかり飛んじゃってました。
「首の次ってことなら胸だね、私は」
「胸……って、今言う? それ」
 見ようと思わなければ見えない位置とはいえ、見ようと思えば見えるわけだけど。
 けれど栞は、「あはは、そうなんだから仕方ないよ。嘘吐くようなことでもないし」と引き続き楽しげにしています。ううむ。
「落差が激しいというか――いや、悪いってわけじゃないんだけど、さっきまであんなだったのに」
「うーん、なんか髪触られてたら思った以上に落ち着いちゃって。ああ、いつもの孝さんだなーって」
「髪触るところに『いつもの僕』を見出されてたとは……」
「嫌だった?」
「全然。笑い話だなあって」
 髪フェチの変態みたいな言われ方ですしね。
 ああ、そういえば掃除中の栞が好きだって話の時も言われましたっけ、変態みたいだって。
 ……いや、笑っておきましょう引き続き。
「あとさ、もう一つあって」
「もう一つ?」
 冷や汗だか涙だかが全身に浴びた湯に紛れこみそうになっていたところ、栞の話には何やらまだ続きがあるようでした。
「落ち付いた理由。触られて落ち着くってことなら――髪だけじゃなくてほら、胸だってそうでしょ?」
「……ああ」
 胸を触る。一瞬また妙な方向に想像が膨らみそうになってしまいましたが、しかし、栞はそれで落ち着くとのこと。当たり前ですが、それはその「妙な方向」には似つかわしくないものでしょう。
 では何の話か。
 傷跡の跡です。これまた当たり前というか、毎度お馴染みなのですが。
「一回頭がそっちに向いちゃったら、もうそればっかりになっちゃって。だからもう――あはは、あれだけ騒いでおいてごめんなさいなんだけどね、もう大丈夫だと思うよ」
「そんなこと言われちゃったら、僕もまあそういうことになるんだろうね」
「そうなの?」
「そうなの」
 そこらへんが一致してるからこそ、みたいなのはあるんでしょうしね、やっぱり。重要視しているのがどちらか一方だけということであれば、いずれ手でも思考でも触れなくなるものなんでしょうし。気が引けますもんね、自分だけがそれに拘り続けるって。
 傷跡。
 の、跡。
 なんせそれは既に形がないものに無理矢理名前を付け、そうして同じく無理矢理に意味を持たせただけのものなのです。忘れるとなれば、それはあっという間なのでしょう。
「ふふ、そっか」
 忘れるとなれば。
 なるわけがないんですけどね。
「ありがとう、孝さん」

「いいなあ、男の人は」
「これまたいきなりだけど、なんで?」
 栞の髪を洗い終わって、ならば今度は僕の番です。自分から頼んだわけではなく栞のほうから申し出てきたんですけどね――って、何を言い訳みたいに。
「髪短いから、洗うの楽ちんだし」
「ふーむ」
 何気なく会話をしている振りをしながら栞の指の感触を楽しんでいたりする僕ですが、なんてことを声に出すとまた変態扱いされそうなので控えておきますが、さてどうなのでしょうか、栞のその言い分は。
「男と女って話かなあ、それ。男でも髪長い人はいるし、逆に女の人でも髪短い人はいるし」
 相撲取りの人はすっごい長いとか言いますよね――なんて、それは極端かつ特殊な例にあたるんでしょうけど。仕事でそうしてるんですしね。
 ともあれ栞、「まあね」とこちらの言い分を聞き入れはしたわけですが、しかしこちらとしては更にもう一つありまして。
「それにそもそも栞自身が、短いとは言わないにせよ長くはないわけだし。羨ましく思うほどのこと?」
 なんせつい今しがたその髪を洗い終えたところの僕であるわけで、ああ、思い出すだけでも指が幸せ――ではなくて、それを洗い切るのに特別な労力が必要だった、なんてことがないのは身を以って知っています。
「ああ、私の髪の話じゃなくてね?」
「ん?」
 栞が話者なのに、栞の髪の話ではない。はて、どういうことなのでしょうか。
「ほら、今は孝さんだけど、私が『誰かの髪を洗ってあげる』なんてことになる可能性があるのって、これまでは楓さんと成美ちゃんだけだったわけじゃない?」
「……ああ、なるほど」
 長い家守さんと、ものすっごく長い成美さん。しかも成美さんなんて、それに加えてなかなか強力な癖っ毛だったりもしますし。
「実際にそうなったことがあったりとか?」
「うん。私は楽しんでたから平気だったけど、これを毎日洗うのは大変だろうなあって。――あ、孝さん駄目だよ? その時の様子を想像するとか」
「いや、そう思うならそれ言っちゃ駄目だよ栞……」
 言われたらしちゃいますって、三人の入浴シーン。
 …………しちゃいますって。
「あはは、そっか。失敗失敗」
 笑って済ませてくれるんならいいけどさ、こっちとしても。ただ栞に対してはそれで済んでも、家守さんと成美さんに対してはちくりと刺す程度の罪悪感がなくもないというか。
「ちょっと話は変わるんだけど」
 誤魔化した。というふうではなく、その言葉に言外の意図は感じられませんでした。
 はい、なんでしょうか。
「私もそれくらい伸ばしたほうが良かったりする? 孝さんとしては」
「ああ……」
 何度かした覚えのある話でしたが、これまでは「取り敢えずこのまま伸ばしてみよう」くらいの結論しか出ず、というか出さず、終着点を決めに掛かったことはありませんでした。
 だからと言って今回、ならば具体的な結論を出すべき、というわけではないんでしょうけど。
「伸びたら綺麗だろうなあとは思うけど、成美さんほどにまで伸ばして欲しいとは言い辛いなあ、やっぱり」
「それって、どういう意味で?」
「頼んでそうさせるには大変過ぎるなあって」
「だよね」
 別にそれを指して「長過ぎて嫌」だなんてことを言っているわけではありません。
 何もなければそんなふうに思っていたのかもしれませんが、今はもうその何かがあるわけです。日頃から成美さんの髪を綺麗だと思っているという、実例が。
「それに――いや、言うまでもないか」
「ん?」
 振り返って確認したわけではありませんが、背中の向こうの栞は首を傾げていることでしょう。言うまでもないことだから聞かないでくれると助かる、なんて理屈はもちろん通らないわけで、ならばまあ、仕方がないというか何というか。
「今のままでも綺麗だし」
 思い出すだけで指が――ええ、まあ、そういうことで。
「うおお、今危なかったよ孝さん」
「へ? あ、危ないって何が?」
 照れていたところへ思いがけない反応が返って来、ならば無闇に慌ててしまう僕なのですが、危ないとまで言うってことは、普通に慌てて然るべき事態が発生したのかもしれません。……いや、言葉に反してのんびりしているその口調的に、そうである確率は限りなく低そうですけど。
「抱き付きそうになった」
「それは――」
 危ないか否かで言えば、
「うん、だいぶ危なかったね」
 この状況で抱き付かれるということはつまり、背中側から抱き付かれるというわけで……いやいや、背中側だろうがお腹側だろうがそれはどうでもよくて、というかそれは眼前の危機から目を逸らした言い分であって、当たり前なことを今ここで確認してみるならば、僕と栞は今、裸なわけです。素っ裸です。水を纏ってはいますが一糸も纏ってはいません。
 となれば、背中側かお腹側かはともかく、ええ、肌と肌が触れ合うわけです。いやそりゃあ頭を洗っているわけですから頭皮とか、あと髪それ自体だって皮膚が変質したものともいいますし、ならばそれ以前から肌と肌は触れ合っているわけですが。
 胸。
 とだけ言っておけば、何が問題なのかは説明したも同然なのではないでしょうか。
「だいぶ危ないんだ? 抱き付くの」
「じゃあ抱き付いちゃおうとか、そういうのナシだからね? いやほんと、真面目に」
 楽しげな雰囲気を醸し出す栞に危機感を得た僕は、先回りをするようにそう懇願するのでした。なんせもう照れは克服してしまっている栞です、それくらいのことはしてきてもおかしくないでしょう。「そういうふうなことはしない」という話だって、それほどガチガチな決まり事ではなさそうでしたしね。――などと言いつつ、けれどその決まり事を守りたいがための危機感でもあるわけですが。
「ふふっ、はーい」
 そんなつもりはなかった、というような意味合いの言葉は出てこなかったのでした。
 ああ怖い怖い。

「お湯に浸かってゆっくりするのは、最後の最後にしときたいかなあ」
 済ませることを全部済ませてからベッドに入りたい、というのと同じ考え方になるのでしょう。そんな実に栞らしい意見もあって、髪を洗い終えたならばそのまま今度は身体の方へ移行するのでした。
「でも、どうなんだろうね?」
「ん?」
「『お背中お流しします』とは言うけど、それって本当に背中だけなのかな?」
「……また物凄いこと言い出すね」
 顔と首については、「どこから洗う?」という話に出てきた通り、もうお互い洗い終えました。ならば今から洗うのは首から下になるわけですが、背中以外のどこを洗いっこせえと仰いますか我が妻は。
「だってそういうのって、友達同士でお風呂入った時でも言うでしょ? 私が楓さんと成美ちゃんの髪を洗った時もそうだったし。じゃあ、友達どころか夫婦だっていうのに、その友達同士の時と同じなのかなあって」
「うーむ……」
 友達同士の時と差はないのか、なんて言われてしまうと、即座に否定もし難いものなのでした。が、それにしたってやっぱり――。
 と思ったところへ、栞から追い打ちが。
「それに孝さん、そりゃまあ背中以外も洗うってなったらいろんなところ触ることになっちゃうけど、それを『そういうふうなこと』に含めるっていうのもなんとなく変じゃない? 洗ってるだけだよ? どこ触っちゃうにしたって」
「うむむむ……」
 確かに、身体を洗っているだけではあります。それが「そういうふうなこと」であるならば、栞は家守さんと成美さんのお二人に「そういうふうなこと」をしたことになってしまうわけで、それは何だかいろいろとまずいような。
 もちろん女同士とそうでない場合は別とすべきではあるのでしょうが、しかし恋人というならともかく、僕達は夫婦です。それくらいのことでこう――息を荒げるようなことになってしまうというのも、考えてみれば確かにおかしい話なのではないでしょうか。
「――なんて、もちろん冗談だよ。背中だけお願いします」
「冗談だったの!?」
「え? あ、あれ?」
 …………。
 いや、ごめんなさい。
「あのその、何度も言ってるけど、孝さんがしたいんだったら私は別に」
「あーいやいいからいいから、気にしないで。気の迷いというか魔が差したというか、そんな感じのことだから」
 乗せるつもりもない口車に乗せられてしまった、といったところでしょうか。こりゃあ詐欺の被害にあったりしないように気を付けたほうがいいなあ、などと適当に誤魔化したりしつつ、僕はタオルを手にとって栞の背後に回り込みます。
 始めてしまえばこれ以上責められることはないだろうという予想の下の行動だったりもするわけですがしかし、何度も言われているように、栞はそれで僕を責めるようなつもりはないわけで、だったらこれもまた気にし過ぎというか気が小さいというか、ともかく情けない行動ということには、なるんでしょうけど。
「なんか、私より孝さんのほうがよっぽど頑張ってくれてるよね」
「前向きに捉えてくれるねえ」
 タオルを石鹸で泡立てつつ、そんな返事。
 頑張ってくれてる、なんて、まるで栞を気遣ってそうしているような言い方なのでした。もちろんそういった面がないわけではないのですが、しかしやはり、慌てて反射的にそうしている、といった面のほうが強くかつ大きいわけです。言い訳のしようもなく。
「後ろ向きだったとしても、それでも私にとっては悪いことじゃないんだしね。だったらそうしたほうがお得でしょ?」
 後ろ向きだったとしても。つまりそれは、僕が今考えた言い分のようなことを指しているのでしょう。
 照れたり慌てたり。確かにそれで、栞が気分を害するということはないのでしょう。栞が照れていた時、僕だってそういうふうにはならなかったわけですし。
 という思考を経たならば、「まあ、そうだね」と、多少引っ掛かったような言い方ながら、僕は栞に同意してみせます。
 けれど栞は、それをそのまま素直に受け取ってはくれず、「でも」と。
「こんなこと、はっきり言っちゃったら悪いんだろうけど、孝さんは後ろ向きでいてくれた方がいいかな」
「なんで?」
「そしたら孝さん、もっと頑張ってくれるもん。これまでずっとそうだったし」
「…………」
 これについては、そうだね、とは言い辛かったのですが、しかしまあその通りではあるのでしょう。なんせ自分のことです、どういう状況ならどう動くかというのは、分かっているつもりですし。
「ただし」
「ま、まだ何か?」
 でも、の次は、ただし、と来ました。
「それが過ぎて自分を悪者にしちゃうのだけは、これまで通り嫌だからね?」
「分かってる。――って言いたいところだけど、分かった、にしとくよ」
「正直で宜しい」
 ただし、と栞から言われるまで、そのことはまるで頭にありませんでした。きっと栞もそれくらいは看破しているからこそ今の、これまで何度も言ってきた言葉を口にしたんでしょうし、ならば、下手に誤魔化すなんてことはしないほうがよかったのでしょう。したくもありませんし。
「ところでさ」
「ん?」
 タオルが泡まみれになったところでいざお背中、と思ったその直前、引き続いてなのかどうかは分かりませんが、栞が声を掛けてきました。とはいえそれで手が止まるようなこともなく、僕はそのまま背中をタオルで擦り始めるわけですが。
「別に何か期待してるとか、言って欲しいことがあるとかそういうのじゃなくて、ただ単に訊いてみたいんだけど……背中ってどうなの? 男の人からして」
「どう? って?」
「胸とかお尻とか――とは、まあ、違って、見たり触ったりしてもそれほどどうともないというかさ。今だってそうして洗ってくれてるんだからそれはそうなんだろうけど、あんまりその、どう思ったりとかっていうのはないのかなあって」
「あー」
 分かり易くするために敢えてストレートな単語を使用するならば、性的に見てどうなのか、というような話なのでしょう。
 背中、ということで思い付いた話がありはしたのですが、しかしそれは――。
 いや、問題はないだろう、この状況なら。きっと彼も分かってくれるはず。
「前にさ」
「うん」
「大吾と、まあやらしい方面の話をしたことがあってね。男二人だけで」
 大吾と、と言っている時点で二人なのは確定だというのに、そこへ更に「男」という言葉を添えてみたり。もちろんそれは、察してくれという意図あってのことです。
「うん」
 特に言及することはないらしい栞。つまり、察してくれたようでした。
「成美さんの背中が綺麗過ぎてやらしい気持ちすらどっかいっちゃった、みたいなこと言ってたよ。いや、ここで他の女の人の話するのは失礼だろうけどさ、成美さんにも栞にも」
「あはは、それはまあ、私は大丈夫かな。言わせてるの私なんだし。……そっか、綺麗過ぎて、か。そんなふうに見られたりもするんだね、背中って」
「もちろん人それぞれではあるんだろうし、大吾に限っても結局、やらしいとは別の意味なんだけどね。美術館とかで裸の女の人の絵を見てるみたいな感じかな」
 もちろんこれが大吾の話である以上、その例えはどれだけ正解に近かろうとも僕の勝手な言い分でしかないわけで、更に言えば僕は芸術に対するセンスも経験も持ち合わせていないわけですが(という自覚もあって、裸婦像というそれっぽい言葉の使用を敢えて避けていたりも)、ともあれそんなふうに言ってみたところ、
「ああ、エッチなふうには見てないんだ? 男の人って、ああいうの」
 割と衝撃的な発言をさらりとしてみせる栞なのでした。
 ――というのはまあ、直後の笑いからして冗談だったのでしょうが。
「それだけを期待するってわけじゃないんだから、そう思ってもらえるんならそれで充分だよ。私の背中がどうなのかは分からないけど」
 当て付け。ではないのでしょう、もちろんながら。人柄のみを理由にそう確信できるというのは、こちらとしても喜ばしいことです。
 ……が、それでもやはり、言っておかなければならないことは言っておかなければならないわけで。
「今まで何とも言ってなかったのにいきなりここで背中を褒め出すっていうのも不自然だろうから、正直に言っちゃうけど――」
「うん」
「ごめん、背中が見える時は大体他のところ見てた」
 それはもちろん、今を除いてという話ではありますが。背中を洗う時ぐらいは背中見てますって、さすがに。
 で、その「他のところ」がどこなのかとは言わないわけですが、言わずとも分かってもらえることでしょう。なんせ少し前に話したばかりのことですし。
「だよねえ」
 と、栞は笑いながら。彼女にとっては初めから許す許さないの話ではなかったのでしょうが、しかしそれでも、僕は許して頂けたようです。
「大吾と違って下心しかないというか、お恥ずかしい限りで……」
「ん? それはないと思うよ孝さん」
「え?」
「こことここ」
 言って頭と胸、つまり髪と傷跡の跡を指差す栞。背後にいるので髪はともかく傷跡の跡のほうはそこを指している指なんてほぼ見えていないも同然なわけですが、しかしそうはいってもそりゃあ、さすがにそれくらいは見ずとも察せられるのでした。「胸の辺り」な時点でそこしかないわけですし。
「こことここに触ってくれるのも下心?」
 栞のいろいろなものが収められている胸の傷跡の跡と、つい先日から伸び始めた髪。
 に、下心。
「いやそれは――そうだね、違うかな」
「ふふ、ほらね」
 それだって「触りたい」ではあるわけですから下心に含めようと思えば含められるのでしょうが、けれど、含めようとは思いませんでした。ならばそれは、僕の中ではそういうことになるわけです。
「なんでもかんでもいいように見られてたりしたら、逆に嘘っぽいからさ。どこが特に好きだとかここを触る時は下心以外の理由だとか、そういうことをきっちり思ってくれてるんなら、そりゃあそのどっちにも含まれないところだって出てくるよ。普通でしょ? そんなの」
「……そうだね、反論のしようもないよ」
 ちなみに、「好きだ」の前に「特に」と付けていたところからして、言わずとも分かってくれているのでしょう。順位付けが低いだけであって、「どっちにも含まれないところ」だって好きか嫌いか――いや、好きかそうでないかで言えば、好きであると。


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