「ふふっ……」
まあしかしそれでにこにこし始めるのが当人ただ二人だけということもないわけで、異原さんの手札に手を伸ばす音無さんもその口元に笑みを湛えているのでした。
で。
「ふふふっ……」
異原さんと同じく手札を捨てることがなかった音無さんは、栞にその手札を差し出す際にも何故か笑ってみせるのでした。
いや、これはもう、そういうことなんじゃないでしょうか?
「お、やった」
そんな予想はどうあれ、栞が引いた札は見事に当たり。むしろここまでが当たらなさ過ぎたという感じでもありますが、ともあれこれで手札は残り二枚です。
「これで大吾殿に一枚持っていってもらって、残り一枚になるでありますから……」
「次の番で同じ数字を引けたら一抜けだね」
なのです。ただ、そのカードを引いてくる音無さんが、どうもジョーカーを持っていそうな気配を漂わせていたりもするのですが。
「むう、どうもさっきから日向達は負けそうな気配がないな」
「負けた時のこと一番心配してるくせにな」
成美さんが言う「日向達」というのは僕と栞、あとウェンズデーを含めた三人ということになるわけですが、しかし大吾が言ったのはもちろんのこと僕ただ一人だけを指した言葉なのでしょう。
とはいえその心配は「負けたらどうしよう」ではなく「罰ゲームの参加はウェンズデーと僕のどっちなの?」という話なので、ここでそんなこと言われても困る、ということではあるのですが。
「まあでも今回はオレらも心配なさそうか?」
言って、手札を捨てる大吾。これで残りは三枚になり、そして異原さんに引いてもらうことで二枚に。
「ひ、膝枕かあ」
一方で大吾から札を引いた異原さん、手札を捨てられこそしたものの、余裕を見せる大吾とは逆に心配そうな表情を。手札の枚数も現在三枚、この後音無さんに引いてもらって二枚と、大吾と全く同じ状況ではあるんですけどね。
「そんな嫌がらんでも」
「あ、いや、別に嫌とかそういう意味じゃないんだけどさ。今だって立場が逆とはいえ同じことしてるわけだし、慣れてくれば……まあ、そんな悪くないかもって感じではあるし」
これまで軽口ばかり挟んできた口宮さんがごく普通に感想を述べたところ、すると異原さん、若干慌てたような調子で取り繕うようにそう仰るのでした。
そこで取り繕うというのはきっと、さっき「可愛い」と言われたことがよっぽど嬉しかった、ということなのでしょう。普段の異原さんなら冷たくあしらってるところなんでしょうしね――とまあ、その普段の話にしたって、結局はいつも軽口ばかり言っている口宮さんが原因と言えば原因ではあるんでしょうけど。
「ふふっ……だったら見てみたいですね……由依さんが膝枕されてるところ……」
「静音が酷いことを言う!」
酷いとまでは言いませんが、大人しい音無さん――もちろん駄洒落ではなく――にしては、確かに珍しい物言いなのでした。いつもなら口喧嘩をする異原さんと口宮さんの横であわあわしてるような人なんですけどねえ。と、「いつも」なんてことにしてしまうには中々に無残な紹介の仕方ではあるんですけど。
「うーん……でもこれじゃあなあ……」
異原さんに負けて欲しいらしい音無さんはしかし、自分の手元を見下ろしてあからさまに不満げなのでした。外れを引いてしまったらしく減ることがなかったその手札の数は四枚。そこまで分かり易く落胆したということは逆に今引いたのはジョーカーではなさそうですが、しかし初めから持っているということも勿論考えられるので、それで油断はできません。
「もしこのまま負けたりしたら済まんの、とても寝心地の良い枕とは言えんじゃろうが」
異原さんに負けて欲しい、どころか自分が負けてしまいそうな音無さんに、同森さんは自身の逞しい太腿をさすりながら言うのでした。
「ああ、そこは全然心配してないんだけどね……」
が、音無さんはにこりとしながらそう返します。同森さんの言い方からしてこれまで膝枕をした経験があるようでもなく、となると、さすが彼女、ということになってくるのでしょう。口宮さんが異原さんに可愛いと言ったのと同じく、とここで引き合いに出すのはちょっと酷いような気もしないではありませんが。
で、さて。
さてさて、音無さんの次となればいよいよ栞の番なわけです。手札は残り一枚。ここで音無さんから当たりを引ければそのまま一抜けです。
対して音無さんの手札は四枚。もし当たりの札を持っているとしてもそれを引く確率は四分の一なわけで、となるとなかなか厳しい勝負ではあるのですが――。
「おっ」
「揃ったであります!」
決まってみればあっけないもので、さらりと勝ちを手にする栞なのでした。
…………。
ちょっぴり寂しい、なんて思っちゃいけないんでしょうね。
「むう、何とも思った通りな――む?」
負けそうな気配がない、と僕達を指してそう言っていた成美さんはこの結果に顔をしかめてみたりするわけですが、けれどその直後、何やら疑問に思うことがあったようで。
「どした?」
「日向のトランプがなくなってしまったが、この場合わたし達はどこから一枚貰えばいいのだ?」
栞の次の番である以上、これまでは栞の手札から一枚引いていた大吾。けれどたった今その栞はゲームを一抜けしてしまったわけで、ならば当然、引いてくるべき手札などもう残っていないわけです。
知ってさえいれば特に意識することすらないまま手順通りにゲームを進められるものなのですが、というわけで、何時になるのか分かりもしない「初めてババ抜きをした日」以降、随分と久しぶりにこうした場合のルールを振り返ってみるのでした。
「音無サンになるな」
「そうなるのか。何もしないまま二枚も捨てられるとは、羨ましい話だな」
確かにそれはそうなのですが、しかし羨ましがられている音無さんはというと、ゆったり首を傾けつつちょっと苦しい笑みを。
「それでやっと、残り二枚なんですけどね……」
手札の数だけで言えば最下位だった音無さんは、その羨ましい話を経てようやく、他二人と並ぶことができたわけです。
……と思ったら、その途端。
「あ、勝った」
大吾がつぶやくように言いました。どうやら、音無さんから引いてきた札が当たりだったようです。栞の勝ちから連続していたこともあって、なんともスピーディな展開なのでした。
「当たりはしたが、あと一枚残っているぞ?」
「これは次の異原サンに引いてもらうからな」
成美さんの疑問に、その残り一枚をぴらぴらさせながら答える大吾。それは「これ」というのが何であるかを強調する仕草ということになるわけですが、異原さんからすればなんとも嫌味ったらしく見えたことでしょう。
「おお。――おお、そうか。引いてもらったところで勝ちになることもあるのだな」
「うー、引きたくなーい」
すっきりした顔の成美さんと、もやもやした顔の異原さん。対照的でこそありはすれ、どちらも楽しんではいるのでしょう。異原さんが本気で膝枕を嫌がっているとか、そういうことでもない限りは、ですけどね。
「引いて当たれば今度はお前の勝ちじゃんか」
「残り五枚でそういう当たり方になるわけないでしょ」
「ん?――ああ、そういやそうか」
口宮さんの指摘に対し、異原さんはそんな返事を。残り五枚、というのは全員の手札の合計数なんでしょうし、口宮さんは少し考えたのちに納得したようでしたが、はて、それはどういう?
というわけでここで情報を整理してみることにしますが、異原さんは現在手札二枚。これから大吾から一枚引いて、当たって残り一枚になるか外れて三枚になるか、というところです。
一方の音無さんも同じく二枚。もし異原さんが辺りを引いて残り一枚になれば、その残り一枚を引かなければいけない以上最下位が確定してしまうわけですが、けれど異原さんによればそうはなり得ないとのことでした。
「ジョーカーを持っとるのが静音ならそうとも限らんのじゃが――まあ、残り二人じゃあ持ってる持ってないなんて話は無駄じゃしな」
「わたしが持ってないってことは……由依さんが持ってるか、いま怒橋さんから引くところってことだもんね……」
残り五枚。その内訳は、二組のペアと一枚のジョーカー。そして今の話から、異原さんはジョーカーを持ってしまっている。もしここで大吾の最後の一枚が異原さんの当たり札であるとしたら――そうか、音無さんの手札は残り一組のペアでしか有り得なくなるわけか。
そしてもちろんのこと、ペアを作って捨てていくというババ抜きのルール上、手札の中でペアが完成しているということは有り得ないわけです。したんなら捨ててろって話ですもんね。
ということで、
「このまますっきり勝つのが有り得ねえってんなら、由依と音無でジョーカー押し付け合いの泥仕合開始ってことだな」
「泥仕合って、なんか嫌な言い方ね」
運次第ではあっさり終わる、ということもあって泥仕合というのとはちょっと違ってくるような気もしないではないのですが、でもどう表現するかと言われれば僕もやっぱり泥仕合という言葉を使っていたような、そんな状況。異原さんのそれとはちょっと意味が違うかもしれませんが、確かにいやーな感じなのでした。ねばっこいというか。
「ふふ……お手柔らかにお願いしますね……」
「なんか勝てる気がしないのはどういうことなのかしらね……」
既に勝ち抜けている僕ですらそう思ってしまうのですが、本当にどういうことなんでしょうね。
とまあ、重ね重ね申し上げているように、参加しているのは僕でなく栞なわけですが。
で、その結果ですが、
「ううううう、に、二連敗だなんてえぇ」
「んでどうなのよ、寝心地のほどは」
「訊くな馬鹿! 意識しちゃうでしょうが!」
このように。
いやまあ、良い勝負ではあったんですよ? 相手の手札三枚の内、ジョーカー以外の二枚であればどちらを引いても勝ち確定という状況で、五、六回ほどジョーカーを引き合うというデッドヒートっぷりでしたしね。
「感想一つ貰えねえってのも悲しいもんだなあ、なんか」
「うぐ」
全く以って悲しそうな顔などしていない口宮さんではあるのですが、それでもやっぱりそう言われてしまうと返す言葉がないのが異原さんの立場なのでしょう。いや、立場というか横になり場というかですが。
というわけで、ぼそぼそとながら感想を口にすることになる異原さんなのでした。
「へ、変なことさえ言ってこないんだったら、そんなに悪くもないというか」
「そっか。じゃあ何も言わねえことにすっかな」
「うう……」
この状況での「悪くない」ならば、「気持ちいい」と変換しても間違いではないでしょう。もちろん、それを口にするとなると大問題なわけですが。
で、口宮さんが変なことを言わないとしたのであれば、異原さんにとっては気持ちいい状態が続くわけです。ただ、その気持ちいい状態というものそれ自体が、異原さんにとって居心地が良くないものだったりもするのかもしれませんけどね。だってそりゃあ、良ければ良いほど照れの具合も強くなってくるわけですし。
とまあしかし、当然ながら「余計なことを言わないほうがいい」というのは口宮さんだけに限る話でもないわけで、ならばささっと別の話題を。
「次のゲームはどうしましょうか?」
「あ、次もババ抜きでいいか? なんか成美がやりたがってるみたいだし」
「うむ。神経衰弱の時もそうだったが、せっかくルールを覚えたのだからな」
もちろんそんな意見に問題があるわけもなく、次のゲームはそのまますんなりとババ抜きに決定。
「ウェンズデーはどうする?」
「孝一殿がいいのであれば」
こちらももちろん問題なし。では次に罰ゲームをどうするかですが――と思ったら、ここで成美さんとウェンズデーに続いてもう一人。
「あの、良かったら私も一度……」
ナタリーさんでした。そうですよね、ここまでずっと大吾の肩の上から様子を見てたわけですし。
で、そうなると成美さんが「そうか? ならばわたしは」と辞退を申し出そうにもなるのですが、しかしそれとほぼ同時に、「あのー」と手を挙げる人が。
その手を挙げた人というのは口宮さんだったのですが、成美さんが言葉を切ったのを確認したところで、ナタリーさんへ向けてこんな提案を。
「良かったらこっち来ませんか。次の罰ゲームはまだ決まってないですけど、こいつちょっと間挟ませたほうがいいような気がするんで」
こいつ、というのはもちろん異原さんのことであるとして、ならばその異原さんは抗議でもしようとしたのか頭を持ち上げ始めるのですが、しかし口宮さん、その頭を手でふんわりと押さえ付けるのでした。ついでにそのまま頭を撫でるようにしてしまうと、異原さんはもう動けなくなってしまうわけです。ええ、そりゃもう茹で上がったような。
「いいんですか?」
「むしろ来てくださいってくらいで」
というわけでナタリーさん、大吾の肩から口宮さんの肩へ移動。その際、明らかに口宮さんでなく異原さんに向かって「お邪魔しますね」と言っていたのですが、ううむ、そういうものなんでしょうか。
ともあれ。
「罰ゲームはどうします? 膝枕はもう二回やっちゃいましたし」
「しかも二回とも俺んとこでな」
ええ、そりゃもうしっかりと。
罰ゲームという名目なのに満更でもなさそうな様子だった口宮さんには笑みを返しておいたところ、するとその肩の上からこんな指摘が。
「あの、異原さんをお休みさせるってことは、罰ゲームもするとしたら私なんですよね?」
そうなんですよね。
ううむ、ナタリーさんでもできる罰ゲームとなると?
「ハグだね」
栞でした。
「負けた人は相方さんに抱き付いちゃおう」
「あ、それなら得意です私」
得意。抱き付くというか抱き締める、というか締め上げると言ったほうが正しいような気はしますが、そうですか得意ですか。くれぐれも加減のほうはお願いしますね?
「締め落とすなよ哲郎」
「阿呆なこと言うんじゃないわい」
そっちですか口宮さん。……いやまあ、言われてみればそれもそうかもしれませんね。
で。
「締め落とすなよ哲郎」
「お前をそうしてやってもいいんじゃぞ」
敗者、同森さん。ナタリーさんになって欲しかったような気もしますが、とは言いますまい。不慣れな遊びである中、一抜けしちゃったんですもんね。
「すまんの静音、とうとうワシらの番になってしもうた」
「ふふ……いいよ、これくらい……」
膝枕は微妙なところですが、キスに比べればといったところではあるのでしょう。しかもそのキスにしたって大吾も成美さんも平気な顔で――どころかいい雰囲気すら醸し出しながら――実行していた以上、尚更に。
…………。
音無さん、謝る同森さんを腕を広げて待っているわけですが、彼女のそんな姿にどきどきさせられてしまうのは僕が男だからなのでしょうか。それとも、僕が僕だからなのでしょうか。
なんて言っている間に、そりゃあ変に時間を掛ける必要があるわけでもない以上、同森さんが広げられた音無さんの腕の中へ踏み込んでいきます。が、するとその時。
「あっ」
「あっ……」
同森さん音無さんご両名共に焦りの窺える声を上げ、そして同森さんの背中に回されていた音無さんの両腕が引っ込むのでした。
とはいえその体格差のおかげで僕達からは同森さんの背中しか見えておらず、ならば一体何が起こったのかというのは、見ているだけでは分からないのですが。
「どうかしたか?」
成美さんが声を掛けたところ、しかし同森さんが「い、いえ」と引き続き慌てた調子でそう返すばかり。となればこちらとしても動けばいいのかそうでないのか分からないわけで、結局のところ全員揃ってきょろきょろとお互いの動向を窺うに止まってしまうのでした。
そしてそんなことをしている間に、件の二人は「もういいかの?」「う、うん……」と小さくかつ短い遣り取りを。詳細はともかく、どうやら問題は解決されたようでした。
そこで初めてお互いの身体を離すお二人だったのですが、見た感じ特に異常はありません。となればここは、尋ねてみるのが道理というものでしょう。
「何だったんですか今の?」
「あー、いや」
問題が解決しても尚困り顔の同森さん、横目でちらちらと音無さんの顔色を窺うように。
で、もちろん顔のパーツは口しか見えない音無さんながら、頭全体の向きからしてそんな同森さんの視線には気付いていたらしく、ならば同森さんと入れ換わるようにして口を開き始めたのでした。
とはいえ、それはたった一言だけでしたが。
「零れちゃいまして……」
というのは、そんなものが手元どころか部屋内にすらないことから、飲み物の類いの話ではなく。
…………。
いくら今着ているのが浴衣にしても、そしてそれが音無さんであるとしても、さすがにそれは同森さんの力が強過ぎたということになるのでしょうか。でもなければ、浴衣という衣類そのものに構造的欠陥があるということになってしまいますし。
「何の話だ?」
「何の話でありますか?」
「お水じゃないですよね?」
僕も含めて分かった人達がなんとも言えない表情をしていたところ、分からなかった成美さんウェンズデーナタリーさんの三名はそんなふうに。もちろんジョンも分かってはいないでしょうが、そもそも気にしてなさそうなのでいいとしておきましょう。
「説明するからちょっとこっち来て」
元から膝の上に座っているウェンズデーはともかく、成美さんとナタリーさんをもそうして近くに呼んだ栞は、そのままババ抜きの輪をちょっと離れて部屋の隅へ。そうまでしたうえ更にぼそぼそと小声で伝えたことには、
「相変わらず大変だな」
「同森さんががっしりした方で良かったですね。しっかり隠れて何も見えませんでしたし」
「ううむ、自分も栞殿にあまり強くもたれかからないほうがいいかもしれないであります」
と、それぞれそんなふうに。
で、それらに対しては、そんな三名を膝なり肩なりに乗せていた方々からこんな反応が。
「オマエも気ぃつけたほうがいいっちゃいいんだけどな」
「いやいやナタリーさん、そもそもがっしりし過ぎてるせいでああなったんじゃないですかね」
「わ、私なんかじゃあ多分、ウェンズデーが何をどう頑張ってもそうはならないような気がするけどね……」
なんてことを言っている間に成美さん達はそれぞれの膝なり肩なりの上に戻っていくわけですが、三名ともよく分からないと言った調子で首を捻ってみせるのでした。それぞれ別の話なのにリアクションだけは被るっていうのもなかなか珍しい話ですね。
ちなみにその三つの話の中の一つ、成美さんのものについては、少々ながら続きが発生しまして。
「わたしも気を付けたほうがいいとはなんだ大吾、嫌味かそれは?」
「じゃなくて。あー、なんつーかな、小さいなら小さいで襟んとこに隙間がな」
言われて成美さん、胸元に視線を落としたのち、
「……ま、まあ問題ないだろう。この角度なら見えたとしてもお前だけだ」
と。しかしそう言いつつもしっかりと襟を手で押さえていたりもするのですが、でもまあ、それくらいが丁度いいのかもしれませんね。
「それを問題ねえとしてくれるのは、有難いっちゃ有難いんだけどな」
普段着のワンピースでも同じ問題が発生しそうな気はするのですがどうなんでしょう、などと気付かなくてもいいことがふと気になってしまったのですが、しかしまあ今初めてその問題に行き当たったということは、これまでは大丈夫だったということなのでしょう。
「ちょっといいですか」
とここで、手が挙がりました。ナタリーさんがババ抜きに参戦する時もそうでしたっけね、ということで、その手は口宮さんのものでした。
「話題の割に静かにしてると思ったらこいつ、こんななんですけど」
その視線は自身の膝元へ。そしてもちろん、口宮さん以外の視線も全て同じ所へ。
変なことさえ言ってこなければそんなに悪くない、でしたっけ。口宮さんの膝枕にそんな評価を下していた異原さんは、よっぽど心地よかったということなのでしょう、割と騒がしかったこの環境の中でしっかりぐっすりすやすやと、眠りに落ちてしまっていたのでした。
「ふふっ……。由依さん、可愛い……」
「まあ気持ちは分かるな」
「だよねえ」
音無さん、成美さん、栞さんと、女性陣それぞれが異原さんへ微笑ましそうな視線を向けながら。後半二人は特に、自分も同じ経験をしたことがあると言っているようなものなので、なんだかこっちまで照れ臭い気分にさせられてしまうのでした。普段から膝の上に座らせている大吾は平気なのかもしれませんが――いや、実際に平気そうな顔をしていますが。
というわけで僕だた一人だけが照れ臭い思いに駆られていたのですが、するとよりにもよってというか何と言うか、栞が引き続き口を開くのでした。
「膝枕ってやっぱりあったかいし、それに相手が相手だから余計に気持ちいいし落ち付いちゃうしで、だったらそりゃあ、眠くなりもするよね」
全員、とまでは言わずとも、いくつかの視線が僕の脚へ向けられることになりました。……いやいや皆さん、別に僕の膝枕が特別って話じゃないですから。
すると他方、こんな話も。
「良かったの口宮。相手が相手だからってことだそうじゃぞ」
「うっせえ」
まあそういうことになるんですよね。言葉ではやたらと突っ掛かってくる口宮さんですし、そしてそれを抜きにしても一方の異原さんは恥ずかしがってばかりだというのに、その割には膝枕で眠れてしまうほど落ち付けもする、という。
「お前はどうじゃ? 憎まれ口を叩いたりせず静かにしてれば、異原の膝枕で眠れてたと思うかの?」
「んなもん、暫く横になってりゃ床でだって寝れるっつの」
言われた途端に憎まれ口を叩いてみせる口宮さん。ですがそれを受けて同森さん、抑えめではありながらも「かはは」と声を上げて笑うのでした。
「んだよ」
「いや、変な奴じゃと思ってな。異原が起きとった時はこういう話は何でもなさそうじゃったというのに、寝てしもうたら照れ始めるなんて。逆じゃろう? 普通は」
確かにその通り。
なのですが、理屈の上ではそうであっても、僕には違和感のある話なのでした。というのも、風呂場での会話ではっきりと言われていたのです。自分を指して、「照れるとかそういうのが全くねえ」と。
「照れてるわけじゃねえんだけどな」
というわけで口宮さんはそんな返事をするわけですが、普通に聞いただけではそれもまた照れ隠しということになるのでしょう。ただ、その口調が落ち付いた――というか自嘲的な――ものだったせいか、同森さんをはじめ誰もそんなふうに言いはしませんでしたが。
「こういう反応が素なだけだよ。こいつの前ではああしたほうがいいだろってだけで」
照れているわけではなくてただ天邪鬼なだけ、なんて言ってしまうと怒られそうではあるのですが、それはともかく。つまり今は、異原さんを前にしている時のほうこそ作った反応をしている、という話。風呂場での会話を思い返す限り、そこに嘘はないのでしょう。
と、そんなことを思っている間に口宮さん、異原さんに対して思うことが行動に出たということなのか、膝の上で無防備を晒している異原さんの頭へ手をぽんと。
するとその瞬間でした。
びくんっ! と、異原さんの身体が跳ねたのでした。
「……起きてるだろ、お前」
「…………」
異原さんから返事はありませんでしたが、しかし口宮さん、最早確信しているのでしょう。乗せたばかりのその手で、そのまま異原さんの頭をわしゃわしゃと撫で回すのでした。
「ひゃー! やめてやめてごめんなさーい!」
大概は異原さんの肩を持つことになる二人のいざこざですが、今回ばかりは天罰覿面という言葉が頭をよぎるのでした。
まあしかしそれでにこにこし始めるのが当人ただ二人だけということもないわけで、異原さんの手札に手を伸ばす音無さんもその口元に笑みを湛えているのでした。
で。
「ふふふっ……」
異原さんと同じく手札を捨てることがなかった音無さんは、栞にその手札を差し出す際にも何故か笑ってみせるのでした。
いや、これはもう、そういうことなんじゃないでしょうか?
「お、やった」
そんな予想はどうあれ、栞が引いた札は見事に当たり。むしろここまでが当たらなさ過ぎたという感じでもありますが、ともあれこれで手札は残り二枚です。
「これで大吾殿に一枚持っていってもらって、残り一枚になるでありますから……」
「次の番で同じ数字を引けたら一抜けだね」
なのです。ただ、そのカードを引いてくる音無さんが、どうもジョーカーを持っていそうな気配を漂わせていたりもするのですが。
「むう、どうもさっきから日向達は負けそうな気配がないな」
「負けた時のこと一番心配してるくせにな」
成美さんが言う「日向達」というのは僕と栞、あとウェンズデーを含めた三人ということになるわけですが、しかし大吾が言ったのはもちろんのこと僕ただ一人だけを指した言葉なのでしょう。
とはいえその心配は「負けたらどうしよう」ではなく「罰ゲームの参加はウェンズデーと僕のどっちなの?」という話なので、ここでそんなこと言われても困る、ということではあるのですが。
「まあでも今回はオレらも心配なさそうか?」
言って、手札を捨てる大吾。これで残りは三枚になり、そして異原さんに引いてもらうことで二枚に。
「ひ、膝枕かあ」
一方で大吾から札を引いた異原さん、手札を捨てられこそしたものの、余裕を見せる大吾とは逆に心配そうな表情を。手札の枚数も現在三枚、この後音無さんに引いてもらって二枚と、大吾と全く同じ状況ではあるんですけどね。
「そんな嫌がらんでも」
「あ、いや、別に嫌とかそういう意味じゃないんだけどさ。今だって立場が逆とはいえ同じことしてるわけだし、慣れてくれば……まあ、そんな悪くないかもって感じではあるし」
これまで軽口ばかり挟んできた口宮さんがごく普通に感想を述べたところ、すると異原さん、若干慌てたような調子で取り繕うようにそう仰るのでした。
そこで取り繕うというのはきっと、さっき「可愛い」と言われたことがよっぽど嬉しかった、ということなのでしょう。普段の異原さんなら冷たくあしらってるところなんでしょうしね――とまあ、その普段の話にしたって、結局はいつも軽口ばかり言っている口宮さんが原因と言えば原因ではあるんでしょうけど。
「ふふっ……だったら見てみたいですね……由依さんが膝枕されてるところ……」
「静音が酷いことを言う!」
酷いとまでは言いませんが、大人しい音無さん――もちろん駄洒落ではなく――にしては、確かに珍しい物言いなのでした。いつもなら口喧嘩をする異原さんと口宮さんの横であわあわしてるような人なんですけどねえ。と、「いつも」なんてことにしてしまうには中々に無残な紹介の仕方ではあるんですけど。
「うーん……でもこれじゃあなあ……」
異原さんに負けて欲しいらしい音無さんはしかし、自分の手元を見下ろしてあからさまに不満げなのでした。外れを引いてしまったらしく減ることがなかったその手札の数は四枚。そこまで分かり易く落胆したということは逆に今引いたのはジョーカーではなさそうですが、しかし初めから持っているということも勿論考えられるので、それで油断はできません。
「もしこのまま負けたりしたら済まんの、とても寝心地の良い枕とは言えんじゃろうが」
異原さんに負けて欲しい、どころか自分が負けてしまいそうな音無さんに、同森さんは自身の逞しい太腿をさすりながら言うのでした。
「ああ、そこは全然心配してないんだけどね……」
が、音無さんはにこりとしながらそう返します。同森さんの言い方からしてこれまで膝枕をした経験があるようでもなく、となると、さすが彼女、ということになってくるのでしょう。口宮さんが異原さんに可愛いと言ったのと同じく、とここで引き合いに出すのはちょっと酷いような気もしないではありませんが。
で、さて。
さてさて、音無さんの次となればいよいよ栞の番なわけです。手札は残り一枚。ここで音無さんから当たりを引ければそのまま一抜けです。
対して音無さんの手札は四枚。もし当たりの札を持っているとしてもそれを引く確率は四分の一なわけで、となるとなかなか厳しい勝負ではあるのですが――。
「おっ」
「揃ったであります!」
決まってみればあっけないもので、さらりと勝ちを手にする栞なのでした。
…………。
ちょっぴり寂しい、なんて思っちゃいけないんでしょうね。
「むう、何とも思った通りな――む?」
負けそうな気配がない、と僕達を指してそう言っていた成美さんはこの結果に顔をしかめてみたりするわけですが、けれどその直後、何やら疑問に思うことがあったようで。
「どした?」
「日向のトランプがなくなってしまったが、この場合わたし達はどこから一枚貰えばいいのだ?」
栞の次の番である以上、これまでは栞の手札から一枚引いていた大吾。けれどたった今その栞はゲームを一抜けしてしまったわけで、ならば当然、引いてくるべき手札などもう残っていないわけです。
知ってさえいれば特に意識することすらないまま手順通りにゲームを進められるものなのですが、というわけで、何時になるのか分かりもしない「初めてババ抜きをした日」以降、随分と久しぶりにこうした場合のルールを振り返ってみるのでした。
「音無サンになるな」
「そうなるのか。何もしないまま二枚も捨てられるとは、羨ましい話だな」
確かにそれはそうなのですが、しかし羨ましがられている音無さんはというと、ゆったり首を傾けつつちょっと苦しい笑みを。
「それでやっと、残り二枚なんですけどね……」
手札の数だけで言えば最下位だった音無さんは、その羨ましい話を経てようやく、他二人と並ぶことができたわけです。
……と思ったら、その途端。
「あ、勝った」
大吾がつぶやくように言いました。どうやら、音無さんから引いてきた札が当たりだったようです。栞の勝ちから連続していたこともあって、なんともスピーディな展開なのでした。
「当たりはしたが、あと一枚残っているぞ?」
「これは次の異原サンに引いてもらうからな」
成美さんの疑問に、その残り一枚をぴらぴらさせながら答える大吾。それは「これ」というのが何であるかを強調する仕草ということになるわけですが、異原さんからすればなんとも嫌味ったらしく見えたことでしょう。
「おお。――おお、そうか。引いてもらったところで勝ちになることもあるのだな」
「うー、引きたくなーい」
すっきりした顔の成美さんと、もやもやした顔の異原さん。対照的でこそありはすれ、どちらも楽しんではいるのでしょう。異原さんが本気で膝枕を嫌がっているとか、そういうことでもない限りは、ですけどね。
「引いて当たれば今度はお前の勝ちじゃんか」
「残り五枚でそういう当たり方になるわけないでしょ」
「ん?――ああ、そういやそうか」
口宮さんの指摘に対し、異原さんはそんな返事を。残り五枚、というのは全員の手札の合計数なんでしょうし、口宮さんは少し考えたのちに納得したようでしたが、はて、それはどういう?
というわけでここで情報を整理してみることにしますが、異原さんは現在手札二枚。これから大吾から一枚引いて、当たって残り一枚になるか外れて三枚になるか、というところです。
一方の音無さんも同じく二枚。もし異原さんが辺りを引いて残り一枚になれば、その残り一枚を引かなければいけない以上最下位が確定してしまうわけですが、けれど異原さんによればそうはなり得ないとのことでした。
「ジョーカーを持っとるのが静音ならそうとも限らんのじゃが――まあ、残り二人じゃあ持ってる持ってないなんて話は無駄じゃしな」
「わたしが持ってないってことは……由依さんが持ってるか、いま怒橋さんから引くところってことだもんね……」
残り五枚。その内訳は、二組のペアと一枚のジョーカー。そして今の話から、異原さんはジョーカーを持ってしまっている。もしここで大吾の最後の一枚が異原さんの当たり札であるとしたら――そうか、音無さんの手札は残り一組のペアでしか有り得なくなるわけか。
そしてもちろんのこと、ペアを作って捨てていくというババ抜きのルール上、手札の中でペアが完成しているということは有り得ないわけです。したんなら捨ててろって話ですもんね。
ということで、
「このまますっきり勝つのが有り得ねえってんなら、由依と音無でジョーカー押し付け合いの泥仕合開始ってことだな」
「泥仕合って、なんか嫌な言い方ね」
運次第ではあっさり終わる、ということもあって泥仕合というのとはちょっと違ってくるような気もしないではないのですが、でもどう表現するかと言われれば僕もやっぱり泥仕合という言葉を使っていたような、そんな状況。異原さんのそれとはちょっと意味が違うかもしれませんが、確かにいやーな感じなのでした。ねばっこいというか。
「ふふ……お手柔らかにお願いしますね……」
「なんか勝てる気がしないのはどういうことなのかしらね……」
既に勝ち抜けている僕ですらそう思ってしまうのですが、本当にどういうことなんでしょうね。
とまあ、重ね重ね申し上げているように、参加しているのは僕でなく栞なわけですが。
で、その結果ですが、
「ううううう、に、二連敗だなんてえぇ」
「んでどうなのよ、寝心地のほどは」
「訊くな馬鹿! 意識しちゃうでしょうが!」
このように。
いやまあ、良い勝負ではあったんですよ? 相手の手札三枚の内、ジョーカー以外の二枚であればどちらを引いても勝ち確定という状況で、五、六回ほどジョーカーを引き合うというデッドヒートっぷりでしたしね。
「感想一つ貰えねえってのも悲しいもんだなあ、なんか」
「うぐ」
全く以って悲しそうな顔などしていない口宮さんではあるのですが、それでもやっぱりそう言われてしまうと返す言葉がないのが異原さんの立場なのでしょう。いや、立場というか横になり場というかですが。
というわけで、ぼそぼそとながら感想を口にすることになる異原さんなのでした。
「へ、変なことさえ言ってこないんだったら、そんなに悪くもないというか」
「そっか。じゃあ何も言わねえことにすっかな」
「うう……」
この状況での「悪くない」ならば、「気持ちいい」と変換しても間違いではないでしょう。もちろん、それを口にするとなると大問題なわけですが。
で、口宮さんが変なことを言わないとしたのであれば、異原さんにとっては気持ちいい状態が続くわけです。ただ、その気持ちいい状態というものそれ自体が、異原さんにとって居心地が良くないものだったりもするのかもしれませんけどね。だってそりゃあ、良ければ良いほど照れの具合も強くなってくるわけですし。
とまあしかし、当然ながら「余計なことを言わないほうがいい」というのは口宮さんだけに限る話でもないわけで、ならばささっと別の話題を。
「次のゲームはどうしましょうか?」
「あ、次もババ抜きでいいか? なんか成美がやりたがってるみたいだし」
「うむ。神経衰弱の時もそうだったが、せっかくルールを覚えたのだからな」
もちろんそんな意見に問題があるわけもなく、次のゲームはそのまますんなりとババ抜きに決定。
「ウェンズデーはどうする?」
「孝一殿がいいのであれば」
こちらももちろん問題なし。では次に罰ゲームをどうするかですが――と思ったら、ここで成美さんとウェンズデーに続いてもう一人。
「あの、良かったら私も一度……」
ナタリーさんでした。そうですよね、ここまでずっと大吾の肩の上から様子を見てたわけですし。
で、そうなると成美さんが「そうか? ならばわたしは」と辞退を申し出そうにもなるのですが、しかしそれとほぼ同時に、「あのー」と手を挙げる人が。
その手を挙げた人というのは口宮さんだったのですが、成美さんが言葉を切ったのを確認したところで、ナタリーさんへ向けてこんな提案を。
「良かったらこっち来ませんか。次の罰ゲームはまだ決まってないですけど、こいつちょっと間挟ませたほうがいいような気がするんで」
こいつ、というのはもちろん異原さんのことであるとして、ならばその異原さんは抗議でもしようとしたのか頭を持ち上げ始めるのですが、しかし口宮さん、その頭を手でふんわりと押さえ付けるのでした。ついでにそのまま頭を撫でるようにしてしまうと、異原さんはもう動けなくなってしまうわけです。ええ、そりゃもう茹で上がったような。
「いいんですか?」
「むしろ来てくださいってくらいで」
というわけでナタリーさん、大吾の肩から口宮さんの肩へ移動。その際、明らかに口宮さんでなく異原さんに向かって「お邪魔しますね」と言っていたのですが、ううむ、そういうものなんでしょうか。
ともあれ。
「罰ゲームはどうします? 膝枕はもう二回やっちゃいましたし」
「しかも二回とも俺んとこでな」
ええ、そりゃもうしっかりと。
罰ゲームという名目なのに満更でもなさそうな様子だった口宮さんには笑みを返しておいたところ、するとその肩の上からこんな指摘が。
「あの、異原さんをお休みさせるってことは、罰ゲームもするとしたら私なんですよね?」
そうなんですよね。
ううむ、ナタリーさんでもできる罰ゲームとなると?
「ハグだね」
栞でした。
「負けた人は相方さんに抱き付いちゃおう」
「あ、それなら得意です私」
得意。抱き付くというか抱き締める、というか締め上げると言ったほうが正しいような気はしますが、そうですか得意ですか。くれぐれも加減のほうはお願いしますね?
「締め落とすなよ哲郎」
「阿呆なこと言うんじゃないわい」
そっちですか口宮さん。……いやまあ、言われてみればそれもそうかもしれませんね。
で。
「締め落とすなよ哲郎」
「お前をそうしてやってもいいんじゃぞ」
敗者、同森さん。ナタリーさんになって欲しかったような気もしますが、とは言いますまい。不慣れな遊びである中、一抜けしちゃったんですもんね。
「すまんの静音、とうとうワシらの番になってしもうた」
「ふふ……いいよ、これくらい……」
膝枕は微妙なところですが、キスに比べればといったところではあるのでしょう。しかもそのキスにしたって大吾も成美さんも平気な顔で――どころかいい雰囲気すら醸し出しながら――実行していた以上、尚更に。
…………。
音無さん、謝る同森さんを腕を広げて待っているわけですが、彼女のそんな姿にどきどきさせられてしまうのは僕が男だからなのでしょうか。それとも、僕が僕だからなのでしょうか。
なんて言っている間に、そりゃあ変に時間を掛ける必要があるわけでもない以上、同森さんが広げられた音無さんの腕の中へ踏み込んでいきます。が、するとその時。
「あっ」
「あっ……」
同森さん音無さんご両名共に焦りの窺える声を上げ、そして同森さんの背中に回されていた音無さんの両腕が引っ込むのでした。
とはいえその体格差のおかげで僕達からは同森さんの背中しか見えておらず、ならば一体何が起こったのかというのは、見ているだけでは分からないのですが。
「どうかしたか?」
成美さんが声を掛けたところ、しかし同森さんが「い、いえ」と引き続き慌てた調子でそう返すばかり。となればこちらとしても動けばいいのかそうでないのか分からないわけで、結局のところ全員揃ってきょろきょろとお互いの動向を窺うに止まってしまうのでした。
そしてそんなことをしている間に、件の二人は「もういいかの?」「う、うん……」と小さくかつ短い遣り取りを。詳細はともかく、どうやら問題は解決されたようでした。
そこで初めてお互いの身体を離すお二人だったのですが、見た感じ特に異常はありません。となればここは、尋ねてみるのが道理というものでしょう。
「何だったんですか今の?」
「あー、いや」
問題が解決しても尚困り顔の同森さん、横目でちらちらと音無さんの顔色を窺うように。
で、もちろん顔のパーツは口しか見えない音無さんながら、頭全体の向きからしてそんな同森さんの視線には気付いていたらしく、ならば同森さんと入れ換わるようにして口を開き始めたのでした。
とはいえ、それはたった一言だけでしたが。
「零れちゃいまして……」
というのは、そんなものが手元どころか部屋内にすらないことから、飲み物の類いの話ではなく。
…………。
いくら今着ているのが浴衣にしても、そしてそれが音無さんであるとしても、さすがにそれは同森さんの力が強過ぎたということになるのでしょうか。でもなければ、浴衣という衣類そのものに構造的欠陥があるということになってしまいますし。
「何の話だ?」
「何の話でありますか?」
「お水じゃないですよね?」
僕も含めて分かった人達がなんとも言えない表情をしていたところ、分からなかった成美さんウェンズデーナタリーさんの三名はそんなふうに。もちろんジョンも分かってはいないでしょうが、そもそも気にしてなさそうなのでいいとしておきましょう。
「説明するからちょっとこっち来て」
元から膝の上に座っているウェンズデーはともかく、成美さんとナタリーさんをもそうして近くに呼んだ栞は、そのままババ抜きの輪をちょっと離れて部屋の隅へ。そうまでしたうえ更にぼそぼそと小声で伝えたことには、
「相変わらず大変だな」
「同森さんががっしりした方で良かったですね。しっかり隠れて何も見えませんでしたし」
「ううむ、自分も栞殿にあまり強くもたれかからないほうがいいかもしれないであります」
と、それぞれそんなふうに。
で、それらに対しては、そんな三名を膝なり肩なりに乗せていた方々からこんな反応が。
「オマエも気ぃつけたほうがいいっちゃいいんだけどな」
「いやいやナタリーさん、そもそもがっしりし過ぎてるせいでああなったんじゃないですかね」
「わ、私なんかじゃあ多分、ウェンズデーが何をどう頑張ってもそうはならないような気がするけどね……」
なんてことを言っている間に成美さん達はそれぞれの膝なり肩なりの上に戻っていくわけですが、三名ともよく分からないと言った調子で首を捻ってみせるのでした。それぞれ別の話なのにリアクションだけは被るっていうのもなかなか珍しい話ですね。
ちなみにその三つの話の中の一つ、成美さんのものについては、少々ながら続きが発生しまして。
「わたしも気を付けたほうがいいとはなんだ大吾、嫌味かそれは?」
「じゃなくて。あー、なんつーかな、小さいなら小さいで襟んとこに隙間がな」
言われて成美さん、胸元に視線を落としたのち、
「……ま、まあ問題ないだろう。この角度なら見えたとしてもお前だけだ」
と。しかしそう言いつつもしっかりと襟を手で押さえていたりもするのですが、でもまあ、それくらいが丁度いいのかもしれませんね。
「それを問題ねえとしてくれるのは、有難いっちゃ有難いんだけどな」
普段着のワンピースでも同じ問題が発生しそうな気はするのですがどうなんでしょう、などと気付かなくてもいいことがふと気になってしまったのですが、しかしまあ今初めてその問題に行き当たったということは、これまでは大丈夫だったということなのでしょう。
「ちょっといいですか」
とここで、手が挙がりました。ナタリーさんがババ抜きに参戦する時もそうでしたっけね、ということで、その手は口宮さんのものでした。
「話題の割に静かにしてると思ったらこいつ、こんななんですけど」
その視線は自身の膝元へ。そしてもちろん、口宮さん以外の視線も全て同じ所へ。
変なことさえ言ってこなければそんなに悪くない、でしたっけ。口宮さんの膝枕にそんな評価を下していた異原さんは、よっぽど心地よかったということなのでしょう、割と騒がしかったこの環境の中でしっかりぐっすりすやすやと、眠りに落ちてしまっていたのでした。
「ふふっ……。由依さん、可愛い……」
「まあ気持ちは分かるな」
「だよねえ」
音無さん、成美さん、栞さんと、女性陣それぞれが異原さんへ微笑ましそうな視線を向けながら。後半二人は特に、自分も同じ経験をしたことがあると言っているようなものなので、なんだかこっちまで照れ臭い気分にさせられてしまうのでした。普段から膝の上に座らせている大吾は平気なのかもしれませんが――いや、実際に平気そうな顔をしていますが。
というわけで僕だた一人だけが照れ臭い思いに駆られていたのですが、するとよりにもよってというか何と言うか、栞が引き続き口を開くのでした。
「膝枕ってやっぱりあったかいし、それに相手が相手だから余計に気持ちいいし落ち付いちゃうしで、だったらそりゃあ、眠くなりもするよね」
全員、とまでは言わずとも、いくつかの視線が僕の脚へ向けられることになりました。……いやいや皆さん、別に僕の膝枕が特別って話じゃないですから。
すると他方、こんな話も。
「良かったの口宮。相手が相手だからってことだそうじゃぞ」
「うっせえ」
まあそういうことになるんですよね。言葉ではやたらと突っ掛かってくる口宮さんですし、そしてそれを抜きにしても一方の異原さんは恥ずかしがってばかりだというのに、その割には膝枕で眠れてしまうほど落ち付けもする、という。
「お前はどうじゃ? 憎まれ口を叩いたりせず静かにしてれば、異原の膝枕で眠れてたと思うかの?」
「んなもん、暫く横になってりゃ床でだって寝れるっつの」
言われた途端に憎まれ口を叩いてみせる口宮さん。ですがそれを受けて同森さん、抑えめではありながらも「かはは」と声を上げて笑うのでした。
「んだよ」
「いや、変な奴じゃと思ってな。異原が起きとった時はこういう話は何でもなさそうじゃったというのに、寝てしもうたら照れ始めるなんて。逆じゃろう? 普通は」
確かにその通り。
なのですが、理屈の上ではそうであっても、僕には違和感のある話なのでした。というのも、風呂場での会話ではっきりと言われていたのです。自分を指して、「照れるとかそういうのが全くねえ」と。
「照れてるわけじゃねえんだけどな」
というわけで口宮さんはそんな返事をするわけですが、普通に聞いただけではそれもまた照れ隠しということになるのでしょう。ただ、その口調が落ち付いた――というか自嘲的な――ものだったせいか、同森さんをはじめ誰もそんなふうに言いはしませんでしたが。
「こういう反応が素なだけだよ。こいつの前ではああしたほうがいいだろってだけで」
照れているわけではなくてただ天邪鬼なだけ、なんて言ってしまうと怒られそうではあるのですが、それはともかく。つまり今は、異原さんを前にしている時のほうこそ作った反応をしている、という話。風呂場での会話を思い返す限り、そこに嘘はないのでしょう。
と、そんなことを思っている間に口宮さん、異原さんに対して思うことが行動に出たということなのか、膝の上で無防備を晒している異原さんの頭へ手をぽんと。
するとその瞬間でした。
びくんっ! と、異原さんの身体が跳ねたのでした。
「……起きてるだろ、お前」
「…………」
異原さんから返事はありませんでしたが、しかし口宮さん、最早確信しているのでしょう。乗せたばかりのその手で、そのまま異原さんの頭をわしゃわしゃと撫で回すのでした。
「ひゃー! やめてやめてごめんなさーい!」
大概は異原さんの肩を持つことになる二人のいざこざですが、今回ばかりは天罰覿面という言葉が頭をよぎるのでした。
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