三階。案内板によれば、「ファッションのフロア」。オレにはあんまり馴染みのねえ店がずらりと並ぶ、そんな所。
「どんな服買うかは決まってるんですか?」
オレにとってはそんな所でも庄子にとってはそうではないらしい。エスカレーターから降りると同時に、今にでも駆け出しそうなのを抑えてるみてーにきょろきょろそわそわしながらそう言った。こんなでも一応は女って事……なのか?
「えーと、いつも着ているのと同じようなものがいいのだが」
「いつもの――って事は、あの辺かな」
どこを見ても同じような品揃えにしか見えねーけど、どうやら庄子の頭では店ごとの区分けができているらしい。男物女物程度にしか分かんねーな、オレには。
「その様子だと、庄子に来てもらって正解だったみたいだな」
庄子に連れられて進んでる間に横を通り過ぎていく店の中を覗き込んでいると、同じく庄子に連れられている隣のヤツが情けなく笑いながらそう言ってきた。
「別に分かんねーでも時間掛けりゃあ見つかっただろーよ」
「あー、酷いな兄ちゃん。あたし、邪魔者扱い?」
「んな事言ってねーだろ。前見て歩け」
すかさず後ろ歩きをしながら口をとんがらせたその先頭に、すかさずそう言って前を向かせた。するとソイツは「へいへい」とゆっくりもっさりダルそうに前を向き直ろうとした――んだが、その途中。前ではなく横を向いて、庄子は立ち止まった。
『…………』
それに釣られて同じ方向を向き、そしてその結果、全員が黙った。黙った原因はその店なのだが、理由はそれぞれ違うのかもしれなかった。
その店にずらりと並ぶのは、女物の下着だった。店全体が、色合いっつーかなんつーか、薄い感じだった。
「……成美さん、こっちも買っといたほうがいいんじゃないですか? って言うか、今どうしてるんですか?」
店を指差し、庄子が問う。なるほど確かにそりゃ当然の疑問だ。それらまで喜坂に借りるってのはやっぱ無理がありそうだしな。
――そんでそれ以前に、なんだが。さっき公園で初めて大きくなったコイツを背負ってみて、なんだ、下着の内、上のほうは必要ねーんじゃねえかと思うんだけどどうなんだろうか? なんつーか、どのくらいから着けるのかとか、知らねーけど。
「今は、だな……」
訊かれたソイツは答えようとしたが、眉毛を綺麗に八の字にしてこっちを困ったような目で見てくる。言葉にはしてこなかったが、何を言いたいのかはすぐに理解できた。
「分かった分かった」
オレは集団から抜け、やや離れたところで全く関係のない方向を向く。そうしなきゃ庄子に何言われるか分かったもんじゃねーし、それにこればっかりはまあ、仕方ねーしな。
「栞さん、またちょっと思ったんですけど」
「どうしたの?」
「庄子さんが一月に一度遊びに来てるっていうのは、なんて言うか、ルールみたいになってるんですか? それともたまたま?」
「んー、訊いてみた事はないけど……多分一月に一度って決めてるんじゃないかな。庄子ちゃん、いつもきっちりそうしてるし」
「ヘー……」
「あれ。理由とか聞かないんだ」
「まあ、なんとなく想像つきますからね」
「だよね、やっぱり。ここって周りからしたら『そういう所』だもんね」
「住まわせてもらってる身としては、憤懣やる方無きですけど」
「あはは、怒るほどの事じゃないと思うけどね。――それと孝一くん、栞もちょっと思ったんだけど」
「どうしました?」
「庄子ちゃんって結構年下だからさ、庄子『さん』はちょっと変かなーって」
「え、いくつぐらいなんですか?」
「今年で中学……三年だったかな? うん、三年三年」
「ははあ、なるほど」
「もういいよ兄ちゃん」とやや離れた所から手招きされ、通路を挟んで隣り合っていた男物の服屋の前からまた下着屋の前へ戻る。服なんか見てても全く面白味がなかったからまあいいっちゃいいんだけどよ、なんでこう――普段意識なんかしねー下着屋が、恥ずかしいもんに見えてくるんだろうか。
「で、どうなったんだ? やっぱここでなんか買うのか?」
買うかもしれない当人ではなく、その相談相手に訊いてみた。本人に訊くよりも気が楽だし、コイツのほうがこういう事には詳しそうだしな。
……でもまあ、訊くまでもなく買うんだろうけど。不安そうに下着屋の中を覗くその「買うかもしれない当人」の様子からして。
「こくこく」
「うん、買う事になった。上も下も」
妹とマリモに肯定されるが、その妹の発言が耳に残る。
……なんだって? 上も?
「上、ってのはあれだよな。その……」
「はいはい、興奮しないの。兄ちゃんはここで待っててね」
分かっちゃいるのに具体名を出せないでいると、呆れたような口調で釘を刺された。「興奮なんかしてねー」とは悔しいが言い切れず、なので咄嗟に言い返せず、タイミングを逃したオレは店の中へ入ろうとする庄子を黙って見送る事になっちまった。
すると不意に、庄子が足を止める。
「サーズデイはどっちなのかな……」
「ぷく?」
「んー……」
ビンを顔の高さまで持ち上げてサーズデイと暫らく睨めっこをした後、
「兄ちゃん、サーズデイ預かってて」
とビンを差し出してきた。差し出す方向は若干ズレてたが。
「あ、ああ」
「ぷくぅ~……」
寂しそうなサーズデイが入ったビンを受け取ると、庄子はもう一人を連れて店の奥へ入ってしまった。
で、手元に残ったコイツの「どっち」についてだが。
「どっちもくそもねーよなあ。マリモなんだしよ」
「こくこく」
それ以前に人間じゃねーんだから、たとえ「どっち」があったとしても気にする事じゃねーと思うんだけどな。
なんて思っていると、店の中の庄子は店員に何か話し掛けているようだった。買うのはオマエじゃねーのに何話してんだ? と眺めていると、その店員が買うほうを連れて店の奥へ。庄子もそれについて行く。
「何やってんだろーな、あれ」
手前の棚やらなんやらよりもビンを高く持ち上げてその様子を見せ、尋ねてみる。が、「むぅ?」と体を傾げるだけで。――どうやらコイツにも分からなかったらしい。まあ、マリモがこんな所の仕組み知ってたらおかしいけどな。
「どうでした? 成美さん」
「『辛うじてAカップ』だそうだ。こんなのでも一応、ブラジャーを着けるような大きさなのだな」
「う、嬉しそうですね。まあとやかくは言いませんが。――さて、それじゃあ色とか柄とか、どんなのがいいですか?」
「それなのだが、あまり濃い色だと透けてしまわないだろうか? 今のこの服なら大丈夫だろうが、わたしがこの後買う服を考えると……」
「あー、成美さん下に何も着ませんからねえ。どうだろ? その服を見てみない事にはなんとも…………ちなみに、ご希望の下着の色は?」
「あまり派手なのは勇気がいるな。やっぱり服と合わせて白か? 白がいいのか?」
「あたしに訊かれても困りますって」
「では庄子は今、何色なのだ?」
「だからあたしに聞かれても困りますって。どこの変態さんの質問ですか」
「ちなみに庄子は、何カップなのだ?」
「余裕のBですが何か?」
「…………」
「ふふん」
ここまで時間が掛かるものなのか、もうアイツ等が店に入ってから二十分は経ったんじゃねーだろうか? 時計が無いから分かんねーけど、まあそんなとこだろう。
「暇だなサーズデイ」
「くう……くう……」
唯一の話し相手すらダウン――っつーか下に九十度回転しちまって、更に暇になっちまった。あーもう、アイツ等さっさと戻ってこねーかな。
――なんて思っていると、ようやくあの二人が店から出てきた。
「遅かったじゃねーかよ」
不満を隠さずにそう言うと、
「測定までしてきたしねー。サイズ分かんなかったし。しかも成美さん、何色にするかで凄い迷うんだもん」
庄子も同じく不満そうだった。そりゃお疲れさん。にしても、色で迷うってなあ。オレに言っていいのか? そんな事。
「しょ、庄子! あまりこいつの前でそういう話は……!」
思ったとほぼ同時に、店に入るまで持っていなかった小さめの袋を片手に下げたソイツが喚く。
ああ、やっぱり。
「にゅう……」
「ん?」
するとその喚き声にせっかく昼寝中だったサーズデイが目を覚ましたので、顔の高さまで持ち上げて様子を窺う。と、ころんと転がって顔が持ち上がってきて半開きの目を数回ぱちぱちさせ、そんで結局半開きのまま、三方向から覗き込む三人の顔を見渡した。
「にこぉ」
すんげえダルそうな挨拶だった。
「おはよう。悪かったなサーズデイ、待たせた上に起こしてしまって」
「ふぅるふぅる」
ゆったりもっさり体を横に振るサーズデイを見て、ビン越しに見えるそいつの顔が苦笑する。まあ、苦笑以前に屈折してひん曲がった顔になってるけど。
「そいじゃあ今度こそ洋服屋ですよ成美さん!」
「今度は時間は掛からんだろう。買う物は決まっているのだからな」
だといいんだけどな。
という心配はキユウに終わり、本当に今度の買い物は短かった。まあ、さっきのが長すぎたせいでそう感じるだけかもしれねーけど。
今回も体のサイズが分からなかったのはそうなんだが、一回試着してみりゃ分かるしな。元々ユルい服だし、そこまでキッチリ測ってって程のもんでもねえからだろうけど。
――下着はそうはいかねーもんなんだろうか? まあ、今更いいけどよ。
「一着だけでいいんですか?」
「これを着るのは買い物に行く時だけだからな。一着あれば充分だよ」
店から出てすぐ庄子に尋ねられたソイツは、増えた手荷物を掲げて上機嫌そうだった。その手荷物の中身はもちろん、いつもと同じでサイズが違うだけの、なんの飾りつけもねえ白のワンピース。
「兄ちゃん、試着した成美さん見てからずっとにやにやしてるよねえ?」
「なんでオマエにんな事分かんだよ」
「カンだよカン。なんだよ~、否定しないのかよ~」
少し、考える。あれを見てからずっとかどうかはともかくとして、見たその瞬間、オレはどうだっただろうかと。
「……んな気持ちわりい事、あってたまるかっての。それ以上なんか言ったら殴る」
「おお怖い怖い」とオレからやや距離を取る庄子は、もちろんニヤニヤしてやがった。なんなら追いかけてでも殴ってやろうかと思ったが、もう一方がこれまたニヤニヤ……っつーかニコニコしながら近付いてきたので断念。で、なんだよ?
「わたしには見えているのだがな。お前の顔が」
離れた庄子に聞こえないようにか小さな声でそう言われ、オレは自分の顔にサーズデイを持っていないほうの手を当てた。
……まさか、あの瞬間だけじゃなくて今もなのかこれ? 確かに、そりゃ確かに、「やっぱりこっちのほうが」みたいには思ったけどよ。
「庄子、次は帽子を買うぞ」
「あ、了解しましたー」
言い終わったソイツはさっさと庄子を呼び寄せ、まるで何もなかったように次の店へ向かい始めた。
「にこにこ」
「もっぺん寝てろ」
まっすぐに見詰められるのをバツが悪く感じたオレは手首を捻ってビンを回転させ、その中身に強制的にそっぽを向かせて、二人の後ろへついて行った。
「くすくす」
緑色の後頭部から聞こえるそんな声は、無視した。
「つまり、要は耳を隠せればいいんですね?」
「ああ。ただまあ、服と一緒でできればこう、しっくりくるというか……」
どうやらこのデパートに帽子専門店ってのはねえらしく、いろいろな服屋を回りながらあれでもないこれでもない、これはアリかもしれないけど今は保留、てな感じでなかなか決まらず、こりゃ下手したら下着ん時以上に時間が掛かるんじゃねえかと不安になる。
「あたしも帽子は守備範囲外ですからねえ……ワンピースに合うのって、どんなだろ?」
ちなみに、ここまでの間に帽子決めのヒントは見つかった。
あの猫耳の立ち上がる力は想像以上で、帽子と頭の間に余裕がねえもんだと喜坂の頭のアレを試した時と同じく、すぽんと抜けちまうんだよな。だから帽子は頭に余裕があるか、伸びるもんかでないと無理なんだそうだ。
「やっぱこれですかね? 伸びるし」
って事で、似合うかどうかは二の次にして伸びるという理由だけで庄子が手に取ったのは、
「帽子と言うより、袋みたいだな」
目と口に穴あけりゃあ銀行強盗とかが頭にすっぽり被ってそうなアレ。えー、ニット帽か。それを「袋みたい」と表現したソイツは、手元にあった別のニット帽を手に取って珍しそうに引っ張り伸ばしたり別の角度から眺めてみたり。形的にどっから見ても同じだと思うけどな。
で、そうやって一通り調べ終わると、それをひょいと頭に被せる。
「どうだ?」
薄いっつーか、白に近いっつーか。そんなぼやけた灰色のそれを被ったソイツが、無駄に緊張した顔をこっちに向けた。
「どうって言われるとだな」
ここは庄子に言わせりゃどーせ褒めるところになるんだろうし、それがなくても悪くないような気もするし。……けど、この帽子を買う目的はそこじゃねーんだよな。
「耳。先っぽ見えてるぞ」
自分の頭に人差し指を向けて、問題の箇所を指摘してやった。ら、ソイツは両手を頭に被せた帽子にあてがった。そしてそのまま軽く撫でると、緊張した顔からしかめっ面に。
「むう……やはり形が出てしまうか」
帽子の範囲に収まり切らねえ耳の先端部分がその帽子を押し上げて、そんでもってその素材が柔らけえもんだから、短い角が生えてるみてーになってるその頭。まあ、ぱっと見ただけで耳だって思うほどはっきり形が出てるわけじゃねーけどな。
「でも大丈夫だと思いますよ成美さん。そのくらいなら気にする人もいませんって」
横から分け入ってきたソイツは、なんでか自分が手に取っていた黒のニット帽を被っていた。なんかそれだけで生意気さが増したような気が。
「そうか? ふむ、ならこれにしよう。被り心地も気に入った」
庄子の一言で一気に表情が晴れたソイツは、結局「耳が隠れるか否か」だけでさっさと購入決定。まあ、いいんだけどな。
「あたしも買おうかなと思ったんですけど、今の髪型じゃあ無理があるんですよねやっぱり。――って事で、今回は遠慮しとこーっと」
そう言ってもともと帽子がかけてあった棚を振り向いたソイツの後頭部は、二本の尻尾に押し上げられた帽子のせいで腫れ上がってるみてえに膨らんでいた。あれじゃあ帽子が伸びちまいそうだな。
「ぷくぷく」
「ん?」
手元からの声に視線を落としてみると、
「……何やってんだオマエ」
「にこっ」
サーズデイがデコ部分の糸状体(緑色の糸くずみてーなヤツの事だな。実はこれ一本一本がマリモの本体だ)をどう組み直したのか、今アイツ等が被ってたニット帽と同じ形にしていた。
どんだけ器用なんだよ。
「無茶やって崩れんなよ」
「ぷい……」
何を言って欲しかったのか、目線を落としてヘコみ始めるサーズデイ。何を――って、やっぱアレか? アレなのか? ……コイツも?
「に、似合うんじゃねーかな……」
ああもう、どこの誰が自分の体を帽子の形に組み替えたマリモにこんな言葉かけるってんだよ。いやまあ、そもそもそんな事できるマリモ自体がコイツしかいねーんだろうけど。
「どしたの兄ちゃん? 成美さんに声掛ける練習?」
違うっての。今のはサーズデイが――
と商品を棚に戻した庄子に言い返そうとしたが、そのサーズデイがまた動く。
「くいくい」
帽子を作るのとはまた別にひょろ長い糸状体を一本伸ばし、それを現在レジ前に立ってるヤツに向けた。つまりは、庄子と同じ事を言いたいってか。
「……テメエ、さてはこうなんの計算してたな?」
「にこっ」
「えー、なになに? どうしたんだよ兄ちゃ~ん。あたしも混ぜろよぉ~」
やなこった。
買い物が終了すれば、付いたままのタグは帽子の中へ押し込んで買ったばっかの帽子を被ったアイツが意気揚揚と戻ってくる。ソイツがサーズデイを見て「何だその頭は?」と言ったもんだから、庄子にも今サーズデイがそういう状態なのかが伝わって、
「サーズデイ、そのままだよ? あまくに荘に着くまで元に戻らないでよ?」
「こくこく」
その結果、コレだ。どうにもサーズデイのニット帽姿が見たくて仕方ねえらしい。
――庄子が幽霊の姿を確認しようとするなら、家に帰らねーと駄目なんだよな。そんで清サンに似顔絵なり描いてもらうか、ヤモリに写真撮ってもらうかしねーと。
……本当、幽霊の事に関しちゃデタラメだよなヤモリのヤツ。はっきり移りすぎて心霊写真に見えねえ心霊写真が撮れるとか、なんだよそれ。まあ、殆ど写真みてーな絵ぇ描く清サンもデタラメっちゃあデタラメだけど。
「じゃあ最後にサンダルだな。靴屋も確か、この階だったよな?」
そりゃなんたって「ファッションのフロア」だしな。
――そっか、サンダルにしたのか。靴下代がそんなに効いたのか?
「あ、はい。隅っこのほうだったと思います」
オレの手からサーズデイをビンごと奪い取り、庄子が小走りで集団の先頭へ。
今回の買いもんを一番楽しんでんのってもう、コイツなんじゃねーかなあ。
なんせ店自体が広いもんだから、同じ階とは言え隅っこまで行くとなると距離がある。しかもさっき帽子を買った店が殆どその対角線上だし。
「そうだ、耳の事と被り心地に気をとられてすっかり忘れていたが」
そうして三人のこのこ歩いてると、そのうちの一人が口を開いた。
「この帽子の色、どう思う? 怒橋」
白が強めな灰色のソレを指差し、そう言う。
オレと庄子のどっちももちろん「怒橋」なんだが、コイツが「怒橋」って呼ぶのはオレだけなんだよな。別になんだってわけじゃねーけど。
「そういうの、オレに訊くよりコイツに訊いたほうがいいと思うぞ。これでも一応女だし」
隣のチビに親指を突き出してそう返すと、
「一応ってなんだボケ兄貴! あたしゃ真っ当に女だっての!」
「あてっ!」
ケツに蹴りを入れられた。それはまあよくある事なんだが――これがよくある事だから「一応」なんだよボケ妹。外でくれー大人しくしてみろってんだ。
するとそんな考えが通じたのか、ふっと息を吐き出し大人しくなる庄子。……もちろん、考えが通じたとかじゃなくてケリ入れて気が幾らか収まっただけなのは分かってるけど。
とか思ってる間にオレは庄子に引っ張られてやや離れた場所へ。もちろんもう一人は置いてけぼりだ。この展開はつまり――
ああ、またややこしい話か。
「大体ね、なんでそこであたしに振るのさ? 兄ちゃんが訊かれたんだから兄ちゃんが答えるべきでしょ? そもそも成美さんが下着……おほん。帽子の色気にしてたのは兄ちゃんのせいなんだよ?」
とんでもねえ話が混ざりそうになったのはいっそスルーで、
「えぇ……そう言われてもよ……」
気が進まねえ。いや、別に評価が低いから気ぃ遣ってるとかそういうわけじゃねえんだ。さっき店の中で訊かれた時と同じで、なかなかいいとは思うし。でもなんか、気が進まねえ。
なんでだ? 服について訊かれた時は「いつものほうがいい」って普通に答えられたのに。……いつもと違うからか? なんか、褒めるのが恥ずいんだよな。
なんて思ったところで庄子が待ってくれるわけもなく、再び引っ張られて元の位置へ。
「もしかして、外れだったか……?」
帽子に目をやりつつ、それでもなかなか言い出せないでいると、どうやら勘違いさせちまったみてーでその帽子の下の顔が縮こまるような感じになった。それを見ちまったオレは、
「いや、そういうわけじゃ」
と、つい慌てて口を滑らしちまう。そんで、ここまで言っちまったら流れ的に先を言わなきゃならなくなるのは当たり前で。
「――まあ、いいんじゃねーのか?」
照れ臭いので適当に答えたふうを装って、その頭に軽く、ぽんと手を乗せた。帽子の向こうにある耳が初めはふわりと、そして潰れていくにつれてだんだんと強く、オレの手を押し上げようとする。
「そうか」
返ってきた返事はそれだけだったが、嬉しそうだったので良しとしておいて、オレは手をその頭から降ろした。
――この耳を触ったのは随分久しぶりになるか? まあ、今までは耳出してりゃ大概背中の上にいたからそりゃそうなるだろうけどな。なんて思っていると、
「あ。今兄ちゃん、成美さんの頭撫でたね?」
潰れた帽子を見て気付いたのか、また横槍が飛んで来やがった。持つだの身に着けるだの思って触ったんじゃねーもんは消えねーからな。今の帽子とか。
「撫でてまではねえよ。ちょっと触っただけだっつの」
「大して変わんないって。見えないからって見せ付けないでよ全くぅ~」
文章として成り立ってない茶々に付き合うのも馬鹿らしかったので、無視して先に進む事にした。
が、その背後から。
「成美さんも嬉しそうですねー」
「にこー」
「そ、そんな事はない――というのも失礼か? ……ああおい、何とかしてくれ怒橋。ほったらかしにしようとするな」
知るか。
「成美ちゃん達、まだかなー」
「服と帽子と履く物でしたっけ? それだけ買うとなるとさすがに時間が掛かりそうですねえ」
「うーん、やっぱりそうだよね。あーあ、空いた時間がもったいないなあ。掃除も終わっちゃったし」
「僕としては、そんなに落ち着けませんけどね」
「え? どうして?」
「いや、この場所……栞さんの部屋にいると、あの夜の事を思い出しちゃいまして」
「……あ」
「ん? どうしました?」
「そ、そっか。今って孝一くんと二人っきり――なんだよね。庄子ちゃん待つ事ばっかり考えてたら頭からすっぽ抜けちゃってたよ。あはは」
「……気付かないくらい二人きりでいる事に慣れてもらえたと取るか、存在感が薄いと思われたと取るか……」
「ごめんごめん、もちろん前者だよ。孝一くんを部屋に誘った時だって、なんとも思ってなかったんだし」
「なら、いいんですけどね。僕の現在の目標はそれなんですから」
「……恐れ入ります」
「いえいえなんのなんの」
手に残った耳の感触がどうにも抜けないまま、靴屋に到着。これでやっと最後の買いもんだ。あ、早く終われってつもりじゃねーけどな。
「サンダルでいいんですよね?」
「ああ。買い物に行く時だけのために高い物を買うのはちょっとな」
まあ言いたい事は理解できるけど、要するに金がもったいねえって事か。
「で、また色で悩むのか?」
「いや、これは別にそこまでは……き、気にしたほうがいいのだろうか?」
何か買うたび繰り返してきた毎度の展開に釘を刺してみたら、逆効果。
なんでオレの発言はこうしょっちゅう裏目になっちまうんだ? 別に意識してそうなるのを狙ってるんじゃねえってのに。
「おしゃれは足元からって言いますよ成美さん。まあ、見せる相手がこの木偶の坊じゃあおしゃれの効果も薄そうですけどねー」
「こくこく」
コイツはいちいちこうだしな。サーズデイまで味方につけやがるし。
「どんな服買うかは決まってるんですか?」
オレにとってはそんな所でも庄子にとってはそうではないらしい。エスカレーターから降りると同時に、今にでも駆け出しそうなのを抑えてるみてーにきょろきょろそわそわしながらそう言った。こんなでも一応は女って事……なのか?
「えーと、いつも着ているのと同じようなものがいいのだが」
「いつもの――って事は、あの辺かな」
どこを見ても同じような品揃えにしか見えねーけど、どうやら庄子の頭では店ごとの区分けができているらしい。男物女物程度にしか分かんねーな、オレには。
「その様子だと、庄子に来てもらって正解だったみたいだな」
庄子に連れられて進んでる間に横を通り過ぎていく店の中を覗き込んでいると、同じく庄子に連れられている隣のヤツが情けなく笑いながらそう言ってきた。
「別に分かんねーでも時間掛けりゃあ見つかっただろーよ」
「あー、酷いな兄ちゃん。あたし、邪魔者扱い?」
「んな事言ってねーだろ。前見て歩け」
すかさず後ろ歩きをしながら口をとんがらせたその先頭に、すかさずそう言って前を向かせた。するとソイツは「へいへい」とゆっくりもっさりダルそうに前を向き直ろうとした――んだが、その途中。前ではなく横を向いて、庄子は立ち止まった。
『…………』
それに釣られて同じ方向を向き、そしてその結果、全員が黙った。黙った原因はその店なのだが、理由はそれぞれ違うのかもしれなかった。
その店にずらりと並ぶのは、女物の下着だった。店全体が、色合いっつーかなんつーか、薄い感じだった。
「……成美さん、こっちも買っといたほうがいいんじゃないですか? って言うか、今どうしてるんですか?」
店を指差し、庄子が問う。なるほど確かにそりゃ当然の疑問だ。それらまで喜坂に借りるってのはやっぱ無理がありそうだしな。
――そんでそれ以前に、なんだが。さっき公園で初めて大きくなったコイツを背負ってみて、なんだ、下着の内、上のほうは必要ねーんじゃねえかと思うんだけどどうなんだろうか? なんつーか、どのくらいから着けるのかとか、知らねーけど。
「今は、だな……」
訊かれたソイツは答えようとしたが、眉毛を綺麗に八の字にしてこっちを困ったような目で見てくる。言葉にはしてこなかったが、何を言いたいのかはすぐに理解できた。
「分かった分かった」
オレは集団から抜け、やや離れたところで全く関係のない方向を向く。そうしなきゃ庄子に何言われるか分かったもんじゃねーし、それにこればっかりはまあ、仕方ねーしな。
「栞さん、またちょっと思ったんですけど」
「どうしたの?」
「庄子さんが一月に一度遊びに来てるっていうのは、なんて言うか、ルールみたいになってるんですか? それともたまたま?」
「んー、訊いてみた事はないけど……多分一月に一度って決めてるんじゃないかな。庄子ちゃん、いつもきっちりそうしてるし」
「ヘー……」
「あれ。理由とか聞かないんだ」
「まあ、なんとなく想像つきますからね」
「だよね、やっぱり。ここって周りからしたら『そういう所』だもんね」
「住まわせてもらってる身としては、憤懣やる方無きですけど」
「あはは、怒るほどの事じゃないと思うけどね。――それと孝一くん、栞もちょっと思ったんだけど」
「どうしました?」
「庄子ちゃんって結構年下だからさ、庄子『さん』はちょっと変かなーって」
「え、いくつぐらいなんですか?」
「今年で中学……三年だったかな? うん、三年三年」
「ははあ、なるほど」
「もういいよ兄ちゃん」とやや離れた所から手招きされ、通路を挟んで隣り合っていた男物の服屋の前からまた下着屋の前へ戻る。服なんか見てても全く面白味がなかったからまあいいっちゃいいんだけどよ、なんでこう――普段意識なんかしねー下着屋が、恥ずかしいもんに見えてくるんだろうか。
「で、どうなったんだ? やっぱここでなんか買うのか?」
買うかもしれない当人ではなく、その相談相手に訊いてみた。本人に訊くよりも気が楽だし、コイツのほうがこういう事には詳しそうだしな。
……でもまあ、訊くまでもなく買うんだろうけど。不安そうに下着屋の中を覗くその「買うかもしれない当人」の様子からして。
「こくこく」
「うん、買う事になった。上も下も」
妹とマリモに肯定されるが、その妹の発言が耳に残る。
……なんだって? 上も?
「上、ってのはあれだよな。その……」
「はいはい、興奮しないの。兄ちゃんはここで待っててね」
分かっちゃいるのに具体名を出せないでいると、呆れたような口調で釘を刺された。「興奮なんかしてねー」とは悔しいが言い切れず、なので咄嗟に言い返せず、タイミングを逃したオレは店の中へ入ろうとする庄子を黙って見送る事になっちまった。
すると不意に、庄子が足を止める。
「サーズデイはどっちなのかな……」
「ぷく?」
「んー……」
ビンを顔の高さまで持ち上げてサーズデイと暫らく睨めっこをした後、
「兄ちゃん、サーズデイ預かってて」
とビンを差し出してきた。差し出す方向は若干ズレてたが。
「あ、ああ」
「ぷくぅ~……」
寂しそうなサーズデイが入ったビンを受け取ると、庄子はもう一人を連れて店の奥へ入ってしまった。
で、手元に残ったコイツの「どっち」についてだが。
「どっちもくそもねーよなあ。マリモなんだしよ」
「こくこく」
それ以前に人間じゃねーんだから、たとえ「どっち」があったとしても気にする事じゃねーと思うんだけどな。
なんて思っていると、店の中の庄子は店員に何か話し掛けているようだった。買うのはオマエじゃねーのに何話してんだ? と眺めていると、その店員が買うほうを連れて店の奥へ。庄子もそれについて行く。
「何やってんだろーな、あれ」
手前の棚やらなんやらよりもビンを高く持ち上げてその様子を見せ、尋ねてみる。が、「むぅ?」と体を傾げるだけで。――どうやらコイツにも分からなかったらしい。まあ、マリモがこんな所の仕組み知ってたらおかしいけどな。
「どうでした? 成美さん」
「『辛うじてAカップ』だそうだ。こんなのでも一応、ブラジャーを着けるような大きさなのだな」
「う、嬉しそうですね。まあとやかくは言いませんが。――さて、それじゃあ色とか柄とか、どんなのがいいですか?」
「それなのだが、あまり濃い色だと透けてしまわないだろうか? 今のこの服なら大丈夫だろうが、わたしがこの後買う服を考えると……」
「あー、成美さん下に何も着ませんからねえ。どうだろ? その服を見てみない事にはなんとも…………ちなみに、ご希望の下着の色は?」
「あまり派手なのは勇気がいるな。やっぱり服と合わせて白か? 白がいいのか?」
「あたしに訊かれても困りますって」
「では庄子は今、何色なのだ?」
「だからあたしに聞かれても困りますって。どこの変態さんの質問ですか」
「ちなみに庄子は、何カップなのだ?」
「余裕のBですが何か?」
「…………」
「ふふん」
ここまで時間が掛かるものなのか、もうアイツ等が店に入ってから二十分は経ったんじゃねーだろうか? 時計が無いから分かんねーけど、まあそんなとこだろう。
「暇だなサーズデイ」
「くう……くう……」
唯一の話し相手すらダウン――っつーか下に九十度回転しちまって、更に暇になっちまった。あーもう、アイツ等さっさと戻ってこねーかな。
――なんて思っていると、ようやくあの二人が店から出てきた。
「遅かったじゃねーかよ」
不満を隠さずにそう言うと、
「測定までしてきたしねー。サイズ分かんなかったし。しかも成美さん、何色にするかで凄い迷うんだもん」
庄子も同じく不満そうだった。そりゃお疲れさん。にしても、色で迷うってなあ。オレに言っていいのか? そんな事。
「しょ、庄子! あまりこいつの前でそういう話は……!」
思ったとほぼ同時に、店に入るまで持っていなかった小さめの袋を片手に下げたソイツが喚く。
ああ、やっぱり。
「にゅう……」
「ん?」
するとその喚き声にせっかく昼寝中だったサーズデイが目を覚ましたので、顔の高さまで持ち上げて様子を窺う。と、ころんと転がって顔が持ち上がってきて半開きの目を数回ぱちぱちさせ、そんで結局半開きのまま、三方向から覗き込む三人の顔を見渡した。
「にこぉ」
すんげえダルそうな挨拶だった。
「おはよう。悪かったなサーズデイ、待たせた上に起こしてしまって」
「ふぅるふぅる」
ゆったりもっさり体を横に振るサーズデイを見て、ビン越しに見えるそいつの顔が苦笑する。まあ、苦笑以前に屈折してひん曲がった顔になってるけど。
「そいじゃあ今度こそ洋服屋ですよ成美さん!」
「今度は時間は掛からんだろう。買う物は決まっているのだからな」
だといいんだけどな。
という心配はキユウに終わり、本当に今度の買い物は短かった。まあ、さっきのが長すぎたせいでそう感じるだけかもしれねーけど。
今回も体のサイズが分からなかったのはそうなんだが、一回試着してみりゃ分かるしな。元々ユルい服だし、そこまでキッチリ測ってって程のもんでもねえからだろうけど。
――下着はそうはいかねーもんなんだろうか? まあ、今更いいけどよ。
「一着だけでいいんですか?」
「これを着るのは買い物に行く時だけだからな。一着あれば充分だよ」
店から出てすぐ庄子に尋ねられたソイツは、増えた手荷物を掲げて上機嫌そうだった。その手荷物の中身はもちろん、いつもと同じでサイズが違うだけの、なんの飾りつけもねえ白のワンピース。
「兄ちゃん、試着した成美さん見てからずっとにやにやしてるよねえ?」
「なんでオマエにんな事分かんだよ」
「カンだよカン。なんだよ~、否定しないのかよ~」
少し、考える。あれを見てからずっとかどうかはともかくとして、見たその瞬間、オレはどうだっただろうかと。
「……んな気持ちわりい事、あってたまるかっての。それ以上なんか言ったら殴る」
「おお怖い怖い」とオレからやや距離を取る庄子は、もちろんニヤニヤしてやがった。なんなら追いかけてでも殴ってやろうかと思ったが、もう一方がこれまたニヤニヤ……っつーかニコニコしながら近付いてきたので断念。で、なんだよ?
「わたしには見えているのだがな。お前の顔が」
離れた庄子に聞こえないようにか小さな声でそう言われ、オレは自分の顔にサーズデイを持っていないほうの手を当てた。
……まさか、あの瞬間だけじゃなくて今もなのかこれ? 確かに、そりゃ確かに、「やっぱりこっちのほうが」みたいには思ったけどよ。
「庄子、次は帽子を買うぞ」
「あ、了解しましたー」
言い終わったソイツはさっさと庄子を呼び寄せ、まるで何もなかったように次の店へ向かい始めた。
「にこにこ」
「もっぺん寝てろ」
まっすぐに見詰められるのをバツが悪く感じたオレは手首を捻ってビンを回転させ、その中身に強制的にそっぽを向かせて、二人の後ろへついて行った。
「くすくす」
緑色の後頭部から聞こえるそんな声は、無視した。
「つまり、要は耳を隠せればいいんですね?」
「ああ。ただまあ、服と一緒でできればこう、しっくりくるというか……」
どうやらこのデパートに帽子専門店ってのはねえらしく、いろいろな服屋を回りながらあれでもないこれでもない、これはアリかもしれないけど今は保留、てな感じでなかなか決まらず、こりゃ下手したら下着ん時以上に時間が掛かるんじゃねえかと不安になる。
「あたしも帽子は守備範囲外ですからねえ……ワンピースに合うのって、どんなだろ?」
ちなみに、ここまでの間に帽子決めのヒントは見つかった。
あの猫耳の立ち上がる力は想像以上で、帽子と頭の間に余裕がねえもんだと喜坂の頭のアレを試した時と同じく、すぽんと抜けちまうんだよな。だから帽子は頭に余裕があるか、伸びるもんかでないと無理なんだそうだ。
「やっぱこれですかね? 伸びるし」
って事で、似合うかどうかは二の次にして伸びるという理由だけで庄子が手に取ったのは、
「帽子と言うより、袋みたいだな」
目と口に穴あけりゃあ銀行強盗とかが頭にすっぽり被ってそうなアレ。えー、ニット帽か。それを「袋みたい」と表現したソイツは、手元にあった別のニット帽を手に取って珍しそうに引っ張り伸ばしたり別の角度から眺めてみたり。形的にどっから見ても同じだと思うけどな。
で、そうやって一通り調べ終わると、それをひょいと頭に被せる。
「どうだ?」
薄いっつーか、白に近いっつーか。そんなぼやけた灰色のそれを被ったソイツが、無駄に緊張した顔をこっちに向けた。
「どうって言われるとだな」
ここは庄子に言わせりゃどーせ褒めるところになるんだろうし、それがなくても悪くないような気もするし。……けど、この帽子を買う目的はそこじゃねーんだよな。
「耳。先っぽ見えてるぞ」
自分の頭に人差し指を向けて、問題の箇所を指摘してやった。ら、ソイツは両手を頭に被せた帽子にあてがった。そしてそのまま軽く撫でると、緊張した顔からしかめっ面に。
「むう……やはり形が出てしまうか」
帽子の範囲に収まり切らねえ耳の先端部分がその帽子を押し上げて、そんでもってその素材が柔らけえもんだから、短い角が生えてるみてーになってるその頭。まあ、ぱっと見ただけで耳だって思うほどはっきり形が出てるわけじゃねーけどな。
「でも大丈夫だと思いますよ成美さん。そのくらいなら気にする人もいませんって」
横から分け入ってきたソイツは、なんでか自分が手に取っていた黒のニット帽を被っていた。なんかそれだけで生意気さが増したような気が。
「そうか? ふむ、ならこれにしよう。被り心地も気に入った」
庄子の一言で一気に表情が晴れたソイツは、結局「耳が隠れるか否か」だけでさっさと購入決定。まあ、いいんだけどな。
「あたしも買おうかなと思ったんですけど、今の髪型じゃあ無理があるんですよねやっぱり。――って事で、今回は遠慮しとこーっと」
そう言ってもともと帽子がかけてあった棚を振り向いたソイツの後頭部は、二本の尻尾に押し上げられた帽子のせいで腫れ上がってるみてえに膨らんでいた。あれじゃあ帽子が伸びちまいそうだな。
「ぷくぷく」
「ん?」
手元からの声に視線を落としてみると、
「……何やってんだオマエ」
「にこっ」
サーズデイがデコ部分の糸状体(緑色の糸くずみてーなヤツの事だな。実はこれ一本一本がマリモの本体だ)をどう組み直したのか、今アイツ等が被ってたニット帽と同じ形にしていた。
どんだけ器用なんだよ。
「無茶やって崩れんなよ」
「ぷい……」
何を言って欲しかったのか、目線を落としてヘコみ始めるサーズデイ。何を――って、やっぱアレか? アレなのか? ……コイツも?
「に、似合うんじゃねーかな……」
ああもう、どこの誰が自分の体を帽子の形に組み替えたマリモにこんな言葉かけるってんだよ。いやまあ、そもそもそんな事できるマリモ自体がコイツしかいねーんだろうけど。
「どしたの兄ちゃん? 成美さんに声掛ける練習?」
違うっての。今のはサーズデイが――
と商品を棚に戻した庄子に言い返そうとしたが、そのサーズデイがまた動く。
「くいくい」
帽子を作るのとはまた別にひょろ長い糸状体を一本伸ばし、それを現在レジ前に立ってるヤツに向けた。つまりは、庄子と同じ事を言いたいってか。
「……テメエ、さてはこうなんの計算してたな?」
「にこっ」
「えー、なになに? どうしたんだよ兄ちゃ~ん。あたしも混ぜろよぉ~」
やなこった。
買い物が終了すれば、付いたままのタグは帽子の中へ押し込んで買ったばっかの帽子を被ったアイツが意気揚揚と戻ってくる。ソイツがサーズデイを見て「何だその頭は?」と言ったもんだから、庄子にも今サーズデイがそういう状態なのかが伝わって、
「サーズデイ、そのままだよ? あまくに荘に着くまで元に戻らないでよ?」
「こくこく」
その結果、コレだ。どうにもサーズデイのニット帽姿が見たくて仕方ねえらしい。
――庄子が幽霊の姿を確認しようとするなら、家に帰らねーと駄目なんだよな。そんで清サンに似顔絵なり描いてもらうか、ヤモリに写真撮ってもらうかしねーと。
……本当、幽霊の事に関しちゃデタラメだよなヤモリのヤツ。はっきり移りすぎて心霊写真に見えねえ心霊写真が撮れるとか、なんだよそれ。まあ、殆ど写真みてーな絵ぇ描く清サンもデタラメっちゃあデタラメだけど。
「じゃあ最後にサンダルだな。靴屋も確か、この階だったよな?」
そりゃなんたって「ファッションのフロア」だしな。
――そっか、サンダルにしたのか。靴下代がそんなに効いたのか?
「あ、はい。隅っこのほうだったと思います」
オレの手からサーズデイをビンごと奪い取り、庄子が小走りで集団の先頭へ。
今回の買いもんを一番楽しんでんのってもう、コイツなんじゃねーかなあ。
なんせ店自体が広いもんだから、同じ階とは言え隅っこまで行くとなると距離がある。しかもさっき帽子を買った店が殆どその対角線上だし。
「そうだ、耳の事と被り心地に気をとられてすっかり忘れていたが」
そうして三人のこのこ歩いてると、そのうちの一人が口を開いた。
「この帽子の色、どう思う? 怒橋」
白が強めな灰色のソレを指差し、そう言う。
オレと庄子のどっちももちろん「怒橋」なんだが、コイツが「怒橋」って呼ぶのはオレだけなんだよな。別になんだってわけじゃねーけど。
「そういうの、オレに訊くよりコイツに訊いたほうがいいと思うぞ。これでも一応女だし」
隣のチビに親指を突き出してそう返すと、
「一応ってなんだボケ兄貴! あたしゃ真っ当に女だっての!」
「あてっ!」
ケツに蹴りを入れられた。それはまあよくある事なんだが――これがよくある事だから「一応」なんだよボケ妹。外でくれー大人しくしてみろってんだ。
するとそんな考えが通じたのか、ふっと息を吐き出し大人しくなる庄子。……もちろん、考えが通じたとかじゃなくてケリ入れて気が幾らか収まっただけなのは分かってるけど。
とか思ってる間にオレは庄子に引っ張られてやや離れた場所へ。もちろんもう一人は置いてけぼりだ。この展開はつまり――
ああ、またややこしい話か。
「大体ね、なんでそこであたしに振るのさ? 兄ちゃんが訊かれたんだから兄ちゃんが答えるべきでしょ? そもそも成美さんが下着……おほん。帽子の色気にしてたのは兄ちゃんのせいなんだよ?」
とんでもねえ話が混ざりそうになったのはいっそスルーで、
「えぇ……そう言われてもよ……」
気が進まねえ。いや、別に評価が低いから気ぃ遣ってるとかそういうわけじゃねえんだ。さっき店の中で訊かれた時と同じで、なかなかいいとは思うし。でもなんか、気が進まねえ。
なんでだ? 服について訊かれた時は「いつものほうがいい」って普通に答えられたのに。……いつもと違うからか? なんか、褒めるのが恥ずいんだよな。
なんて思ったところで庄子が待ってくれるわけもなく、再び引っ張られて元の位置へ。
「もしかして、外れだったか……?」
帽子に目をやりつつ、それでもなかなか言い出せないでいると、どうやら勘違いさせちまったみてーでその帽子の下の顔が縮こまるような感じになった。それを見ちまったオレは、
「いや、そういうわけじゃ」
と、つい慌てて口を滑らしちまう。そんで、ここまで言っちまったら流れ的に先を言わなきゃならなくなるのは当たり前で。
「――まあ、いいんじゃねーのか?」
照れ臭いので適当に答えたふうを装って、その頭に軽く、ぽんと手を乗せた。帽子の向こうにある耳が初めはふわりと、そして潰れていくにつれてだんだんと強く、オレの手を押し上げようとする。
「そうか」
返ってきた返事はそれだけだったが、嬉しそうだったので良しとしておいて、オレは手をその頭から降ろした。
――この耳を触ったのは随分久しぶりになるか? まあ、今までは耳出してりゃ大概背中の上にいたからそりゃそうなるだろうけどな。なんて思っていると、
「あ。今兄ちゃん、成美さんの頭撫でたね?」
潰れた帽子を見て気付いたのか、また横槍が飛んで来やがった。持つだの身に着けるだの思って触ったんじゃねーもんは消えねーからな。今の帽子とか。
「撫でてまではねえよ。ちょっと触っただけだっつの」
「大して変わんないって。見えないからって見せ付けないでよ全くぅ~」
文章として成り立ってない茶々に付き合うのも馬鹿らしかったので、無視して先に進む事にした。
が、その背後から。
「成美さんも嬉しそうですねー」
「にこー」
「そ、そんな事はない――というのも失礼か? ……ああおい、何とかしてくれ怒橋。ほったらかしにしようとするな」
知るか。
「成美ちゃん達、まだかなー」
「服と帽子と履く物でしたっけ? それだけ買うとなるとさすがに時間が掛かりそうですねえ」
「うーん、やっぱりそうだよね。あーあ、空いた時間がもったいないなあ。掃除も終わっちゃったし」
「僕としては、そんなに落ち着けませんけどね」
「え? どうして?」
「いや、この場所……栞さんの部屋にいると、あの夜の事を思い出しちゃいまして」
「……あ」
「ん? どうしました?」
「そ、そっか。今って孝一くんと二人っきり――なんだよね。庄子ちゃん待つ事ばっかり考えてたら頭からすっぽ抜けちゃってたよ。あはは」
「……気付かないくらい二人きりでいる事に慣れてもらえたと取るか、存在感が薄いと思われたと取るか……」
「ごめんごめん、もちろん前者だよ。孝一くんを部屋に誘った時だって、なんとも思ってなかったんだし」
「なら、いいんですけどね。僕の現在の目標はそれなんですから」
「……恐れ入ります」
「いえいえなんのなんの」
手に残った耳の感触がどうにも抜けないまま、靴屋に到着。これでやっと最後の買いもんだ。あ、早く終われってつもりじゃねーけどな。
「サンダルでいいんですよね?」
「ああ。買い物に行く時だけのために高い物を買うのはちょっとな」
まあ言いたい事は理解できるけど、要するに金がもったいねえって事か。
「で、また色で悩むのか?」
「いや、これは別にそこまでは……き、気にしたほうがいいのだろうか?」
何か買うたび繰り返してきた毎度の展開に釘を刺してみたら、逆効果。
なんでオレの発言はこうしょっちゅう裏目になっちまうんだ? 別に意識してそうなるのを狙ってるんじゃねえってのに。
「おしゃれは足元からって言いますよ成美さん。まあ、見せる相手がこの木偶の坊じゃあおしゃれの効果も薄そうですけどねー」
「こくこく」
コイツはいちいちこうだしな。サーズデイまで味方につけやがるし。
成美さんが洗濯板なのかどうか、それはあなたの感性一つって事で。
というか、たったこれだけ書くために本気で女性下着についてググったりヤフッたりウィキったりしてた姿は、今から考えると気味悪いです我ながら。
しかも得られた知識はあんまり作中に反映されてないという……
まあ、いいや。得た知識なんかもう忘れましたし。
んな知識より期末レポートが……筆記試験がぁ……