(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第五章 桜の季節・出会いの季節 三

2007-08-13 21:00:05 | 新転地はお化け屋敷
「今晩は。悪いねこんな夜中に」
「ごめんねー」
「あっ、いえいえ」
 自転車を降りた二人と軽く挨拶を交わすと、普段使われていない駐輪スペースへ自転車を止めてもらい、そのまま僕の部屋へご案内。階段を上っていると、霧原さんからご質問が。
「管理人さん、部屋二階なの?」
 そう思うのもごもっともでしょう。例外はあるのかもしれませんが、通例こういう小さいアパートの管理人と言えば一階に住んでいるか、もしくは近くに一軒家を構えているというイメージがありますからね。実際ここもそうですし。
「いえ一階なんですけど、今ちょうど僕の部屋に来てるんです」
「え~と、それはどういう……」
 僕が答えてから階段を二段ほど上る程度の間を置いて、今度は深道さんが尋ねてきた。
 考えてみれば「管理人が部屋を訪れてきている」というのは、そこだけ取り出してみるとあまりよろしくない出来事なのかもしれない。アパート管理人という役職を考慮すれば、なにか部屋に問題が発生したとか。
 でもまあ、毎夜の事なんで。
「大丈夫です。恒例行事みたいなものなんで」
「へ、へえ」
 微妙に伝えきってない返事に、深道さんの不安は拭いきれなかったようだ。かと言って「料理教室やってまして」ってのは少々恥ずかしかったので、伏せておく。部屋に入ってしまえば不安も何もないでしょうしね。
 という事で。
「ただいまー」
『おかえり~』
 僕の挨拶に対する返事が二重で、しかもそのどちらも女性の声だった事に安心したのか驚いたのか、お客の二人は揃って声がしたほうを向く。と言っても玄関から奥は見えないので何はともあれ、
「どうぞ、上がってください」
『お邪魔します』


「いらっしゃーい。こんな格好であれだけど、一応アタシがお探しの霊能者です。そんで名前は家守です」
 こんな格好―――いつもの上も下も袖の短い若々しさ全開の格好であぐらをかき、偽タバコを口から離して我等が管理人さんは二人を出迎えた。
 続けて栞さんも。
「しお……こほん。えっと、わたしは隣の部屋に住んでる喜坂です。初めまして」
 こほん。
『初めまして』
 居間に入った所で立ち止まり、うやうやしく頭を下げる霧原さんと深道さん。その様子に、部屋全体の空気がちょっと普段より重苦しくなったように感じられた。
 それはそれとして、このまま立っていても話が進まないのでまずは移動しましょう。
「じゃああの、適当に座ってください。あー……座布団とかなくてすいませんけど」
 という事が気になってしまうのも重苦しい雰囲気のせいだろうか。
 いつもみたいに仲間内で集まるのとは違うからなあ。相談があると言ってわざわざ家守さんを訪ねて来たって事は、相談の内容は聞いてないけど少なくとも真剣な内容なんだろうし。
「あ、いいよいいよ。ごめんね変な気遣わせちゃって」
 と手を振る霧原さんの少し緊張したような愛想笑いを見て、僕はそう思った。
 霧原さんと深道さんが家守さんと向かい合うように座り込むのを見届けてから僕も空いてる場所へ座ろうと足を踏み出す。が、ほぼ同時に立ち上がった栞さんが僕のすぐ傍に立ち、小声で話し掛けてきた。
「あのさ、栞達外に出といたほうがいいんじゃないかな。話し辛い相談だったりしたら悪いし」
 なるほど、それはごもっとも。
「そうですね」
 気が利くなあと感心しつつ、こちらも小声で返事をする。
「それじゃああの、わたし達外に出てますんで」
 栞さんが家守さんに向かってそう言うと、霧原さんが申し訳無さそうな目をこちらに向けた。そして隣の深道さんは「あ~、っと」と僕達と霧原さんの間で視線を往復させると、
「俺も出といたほうがいいですかね」
 疑問形ではなく自分がそうすることを説明するかのように霧原さんにそう言うと、ゆっくり立ち上がり始めた。が、その持ち上がりつつあった腰は、
「ここにいて」
 という霧原さんの一言でぴたりと停止。そして返事をする事もなくするすると降下。
 その時の深道さんの表情は、言われた瞬間は霧原さんを見下ろして驚いていたようだったけど、再び座り始めた時に少しだけ微笑んだように見えた。
 一方の霧原さんは深道さんに返事をする時、下を向いたままだっので表情はよく見えなかった。でもその様子と深道さんを呼び止めた事から察するに、今回の相談事は不安になってしまうような真剣な内容なのかもしれない。
 だとすれば尚更、栞さんの判断は的確だったという事になる。


「えっと、女の人が霧原さんで男の人が深道さん……だったっけ?」
「はい、そうです」
 居間から薄い壁一つ隔てただけの台所で待っていても話が聞こえてしまうかもしれないので、二人揃って外へ出た。そして二人揃って手すりに肘を突き、特に人通りも無い道路の様子を見下ろし、深道さん達を待っていた時と同じ快適な気温を堪能する。
 それにしてもそろそろお腹が空いたなぁ―――なんて愚痴れる状況じゃないのは、言うまでも無く。自分から外に出たんだからね。とにかく今その事に関しては、腹の虫が鳴かないように祈るだけに留めよう。
「さっきみたいなのってちょっと格好良いよね。深道さんが霧原さんを気遣って外に出ようとしたら『ここにいて』って」
「そうですねぇ」
 大学で会った時とは随分印象が違うなあ。馬鹿呼ばわりとか肘撃ちとかしてたし。喧嘩するほど仲がいい、なんて言うけどあれは一方的だったし………まあ、ちょろっと話をしただけで判断できる事でもないか。
 人間関係とは、得てして他人からは理解しがたいものなのだ。……多分。
 その時、不意に栞さんが部屋のドアを振り返る。その向こうではもちろん、話し合いが行われているのだろう。
「やっぱり気になります?」
 と尋ねてみると、振り向いた事を恥じるように困った笑みを浮かべる栞さん。
「まあ、ちょっとはね」
「ですよねやっぱり」
 それに合わせたかのように、僕の顔も困った笑みを浮かべる。
 「人の不幸は蜜の味」とまではいかないものの、やっぱりこういう話には興味をそそられてしまいますよね。不本意ながら。
「やっぱりほら、家守さんに相談するって事はそっち方面の話なんだろうし、もしかしたら自分にも関係ある事なのかなって考えたら……ね」
「あぁ、なるほど」
 単なる野次馬根性とはまた違った理由があるようで。それは確かに気になっても仕方ないですよね。同じ境遇の人なんだし。
「栞さんも何か……」
「ん?」
「あ、やっぱりいいです」
 するりと口が滑り、首を傾げた栞さんから顔を逸らしつつ慌てて訂正。
 そういう話を聞かないために部屋から出てきたのに、ここでまたそういう話に持ってってどうするのよ全くもう。
 それでも反応が気になって、ついつい栞さんのほうを横目でちらりと確認してしまう。無論、目が合う。自爆ですねはい。
 すると栞さん、クスッと笑って手すりに掛けた腕に顔を預ける。
「気になる?」
「いやその、え~と……」
 苦し紛れに頬をぽりぽり。「やっぱりいいです」と言ってしまった以上、首を縦に振るのはチンケなプライドが許してくれない。かと言って気になってるのはバレバレなんだし、首を横に振るのもなんだかなぁ。
「何もないよ」
「え?」
 どう答えたものかと考えてる間に栞さんが一言。その一言が意外だったので「あ、そうですか」とでも返せばいいのに、反射的に訊き返してしまった。さっきから何やってるんだろうか僕は?
「もうこうなってから随分経つし、分からない事とか困った事はみんなが助けてくれたから。だから誰かに相談するような事はもう殆どないと思う」
 そこで再び笑って見せると、「孝一くんにお料理教えてもらうのが最後の相談かもね」と。
「でもそれ、幽霊だとかって関係ないじゃないですか」
「あ、本当だ。んー、あ、いやいや関係あるよ? 実は栞、幽霊になると同時にお料理の仕方を忘れちゃったの。本当はちゃんとできてたんだよ?」
「嘘ですよねそれ」
「あはは、やっぱりばれた? 昔から出されたもの食べるだけだったからなぁ。元々器用なほうでもないし。うーん、それどころかもう不器用に入っちゃうかな?」
「ふふ、そんなことないですよ。一昨日のお味噌汁、美味しかったですし」
 楽しげに話す栞さんについつい乗せられて、こっちも口が回りだす。ついさっき答え辛くて困ってたのは何だったのやらと思ってしまうほどに。
 これは僕が乗せられやすいのか、それとも栞さんが乗せ上手なんだろうか?
「本当に? よかったぁ」
 多分後者なんだろうけど、本人にその自覚はないんだろうな。先の事を計算して動くような人じゃないし。
 もちろんそれは馬鹿にしてる訳ではなくて、褒めてる―――いやいっそ、感心してると言っても過言ではないと思う。隣でこうしてにこにこされているだけでもこっちまで自然に笑顔になれるのは、やっぱり人柄あってのものだろうし。
 例えば大吾が隣でいきなりにこにこしだしたら、僕は不気味に思うだろう。知らない間に顔に落書きでもされてやしないかと心配になるだろう。まあそれは以前自分がやったからという後ろめたさからも来てるんだけど。……変な例に使っちゃってごめんね大吾。
 まあそんな例が示す通り、にこにこしてれば誰でも楽しくなれるという訳ではないようだ。うん。で、そこからどういう結論が導き出されるかと言うと、
「栞の顔、何か付いてる?」
「いや、そうじゃなくてですね」
 そういう結論ではなくて……ってなに普通にダメ出ししてるんだろうか?
「え? えと、じゃあなんだろ」
 栞さんの笑顔についての考察についダメ出ししてしまうほど気を奪われるあまり、ニヤついたままじっと顔を眺めてしまっていたらしい。これは恥ずかしいと顔を正面の道路に向けるも、栞さんはじりじりと擦り寄ってきて背けた顔を覗き込んでくる。
「何か変かなぁ?」
「ああえっとその、いや全然変じゃないです」
 そんな感じで近距離睨めっこな体勢になったその時、
「お待たせー。終わったよ二人とも……あ、ごめんごめん邪魔しちゃった」
 ドアが開き、家守さんの声がして、ドアが閉まる。
「違いますって! そうじゃなくて!」
「え? えー、何がどうなってるのかな」
 何もどうにもなってませんよ。
 ……それにしても、意外と早く終わったなぁ。まだ外に出てから十分も経ってないんじゃないだろうか?


「しっしっし」
 嫌な笑い声を発する家守さんに連れられてドアをくぐり、靴を脱ぎ、居間へと舞い戻る。そこにはもちろん深道さんと霧原さんがまだおられる訳ですが、「悩みが解決してスッキリ!」という空気ではない様でした。二人とも下を向いて塞ぎこんじゃってますし。
 それぞれ適当に座りなおした後、さて経緯は当然分かりゃしませんが部屋の主として僕はどうしましょうかね?
「お茶でも汲んできましょうか?」
 特に面白みも無い妥当な選択だと思う。だけど、
『あっ!』
 と二人は揃って多少大袈裟な反応を示す。付け加えるなら、遠慮しようとしてこちらに向けられた手の平もぴったり揃っていた。
 そのまるで事前に示し合わせたかのような反応をお互いに目と耳で確認すると、これまたぴったり手がするすると引っ込む。その後、霧原さんが返答。
「あの、あたし達もうそろそろ帰ろうかなって。だからえっと、お気遣い無く」
「そうですか? まだ来たばっかりなのに」
 実際、この二人は八時半頃に来たというのにまだ九時にもなっていない。どうせこれからみんなで晩ご飯作るんだし、こちらとしてはまだまだいてもらっても全然大丈夫なんですけどねえ。
 だからと言ってしつこいセールスの人みたいに追いすがるのも何なので、本人がそう希望するのならこれ以上は何も言いますまい。相談の結果を受けて何か思うところもあるのかもしれませんし。
「それじゃあ、忙しそうなところごめんね日向くん。家守さんもありがとうございました」
「お邪魔しました」
 霧原さんと深道さんが立ち上がると、
「あ、ちょっと待って!」
 家守さんが呼び止めた。呼び止められた二人がそのほうを向くと、
「えっと、岩白――センさんだったっけ? こーちゃんその人と連絡って取れるの?」
「あ、いえ」
「霧原さん達は?」
「取れますよ」
「大丈夫ですけど……」
 何だろう? と家守さん以外の全員が怪訝な顔になると新品のタバコもどきを取り出して口に咥えつつ、
「いやね、今度神社のほうにお花見で伺わせてもらうって話になってるんだけど、一応いつになるか連絡しといてもらおうと思って。いいかな?」
『はい』
 そういや僕達すらまだ知らないんですが。
「ごめんね。えっと、明日か明後日にしようと思うんだけどしぃちゃんこーちゃん何か用事とかある?」
 片手を持ち上げ何かを拝むような形で二人に謝った後、その手でタバコっぽいものを摘み上げてこちらを向く家守さん。未定だったんですね。
「いえ、何もないですよ」
「わたしもないです」
 大学と買い物以外で僕がここから出る事なんて、ジョンの散歩とかみんなで遊びに行くとかの団体行動でしかないですからね。明日明後日もその例に漏れず外出予定なんかありはしません。
 すると家守さん、立ち上がったまま待機している霧原さんと深道さんに向き直す。
「じゃあ明日の昼頃って事で」
 決定早っ。明日はいいとして、昼頃というのはどこから出てきたんでしょうか。というか、都合訊くの僕と栞さんだけでいいんでしょうか?
 しかしそんな疑問は、今ここで話を聞いただけの深道さん方には生じないらしかった。
「分かりました。伝えときます」
「よろしくねー」
 連絡事項が伝わると、二人揃って家守さんに軽く頭を下げた後せこせこと玄関へ。僕も見送りでそれについて行く。
『お邪魔しました』
「またいつでもどうぞ」
 そして二人がドアをくぐると、閉まったドアの向こうから階段へと進む足音が僅かに聞こえてきた。
 大したお構いもできませんですいませんでした。また月曜日、大学で。まあ学年が違うから会えるかどうかは分かりませんけどね。
 居間へと向き直り、くつろぐ二人の下へ。さあさあ夜はこれからですよ。


「今日はスパゲッティです。やる事がそんなにないので、ミートソースは手作りとします」
「おお、今日は難しそうだねぇ」
「何をどうすればいいのかサッパリだよ~」
「という事も考えられたので、今回はメモを作っておきました。それで材料の所に赤ワインとあるんですけど」
「なんか豪華な感じがするよねワイン使うのって」
「料理の素人としてはねー」
「それでまあ買っておいたんですけど、ソース三人前作っても余っちゃう訳ですよ。で、僕は一応未成年なので飲めない訳ですよ」
「そーだね。ってかよく買えたね。最近そういうのうるさくなってきてるのに」
「でも料理に使うんなら仕方ないですよね。それで、余ったのはどうするの?」
「どちらか貰ってくれませんかという話でして」
「じゃあしぃちゃんだね。アタシお酒はダメだから」
「いいの? でも高かったんじゃあ」
「いえいえ安物ですから。遠慮なくどうぞ」
「ありがとう孝一くん。寝る前にゆっくり飲むよ」
「ソースだけのためにこんなの買っちゃうなんて、さすがは料理人だねぇ」
「作るからにはちゃんとしたもの作りたいですしね。……ところで家守さん。結局霧原さんの相談事って何だったんですか?」
「あー、やっぱり気になっちゃうよね」
「聞きたい? 実はね」


「あーもう恥ずかしいったらないわよ。体が何か変になっちゃったんじゃないかって不安だったのが馬鹿みたい」
「最近髪が伸びたかなーとは思ってましたけど、まさかそれで霧原さんが悩んでるとか、ましてや伸び始めた理由があんな事だったなんて思いもしませんでしたよ」
「『愛し合ってる人がいる』だなんてねぇ」
「…………」
「…………」
「家の人じゃ……ないんですよね」
「見える人じゃないと駄目だって家守さんが言ってたじゃない」


「あの様子だと条件満たしたのは深道くんなんだろうねー」
「素敵な話ですね」
「やっぱりあの二人、付き合ってたんだ」
「単に付き合ってるだけじゃ駄目だよ。恋と愛は似てるようで違うんだから」
「なんとなく分かるような気もしますが」
「楓さんとダンナさんはそこのところ、どうなんですか?」
「どっちも幽霊じゃないから本当のところは分からないけど、自信はあるよ。なんたってダンナだし」


「ねえ」
「なんですか?」
「一回でいいから言ってみてよ」
「何をですか?」
「はぁ……流れで分かりなさいよ相変わらず馬鹿なんだから」
「分かってるつもりですけど、言ってから違うなんて言われたら恥ずかしいだけじゃないですか。だから確認してるんですよ」
「しなくていいわよ。思った事を素直に言えばいいの」
「夜道で自転車漕ぎながら言う事じゃないので嫌です。あまつさえ端から見たら独り言なのに」
「気が利かないわねぇ。いいじゃないのもう三年も一緒にいるんだし」
「三年ですか………確かにそれだけ付き合ってればこうなっちゃうのも分からないでも無いですが」
「何よ。不満なの?」
「もしそうなら霧原さんは年を取ってませんよ」
「じゃあ言いなさいよ」
「嫌です。そんなに言うなら霧原さんが先に言ってくださいよ。俺と違って他人には聞かれないんですし」
「な、なんでそう………別にいいけど……あーでもちょっと待って。ちゃんと台詞考えるから」
「そこまでしなくても」
「聞く側はおとなしく聞いてなさい」
「はいはい」
「うぅ~ん…………………………ん、できたわ」
「では張り切ってどうぞ」
「そ、そうやって茶化すんじゃないわよ! 恥ずかしいんだから! ……えー、初めて会ってから今までの三年間、あんたと一緒にいて凄く楽しかったし、これからも一緒にいたいと思う。家守さんにああ言われた時も、恥ずかしかったけど凄く嬉しかったんだからね? だから、普段はあんまりこういう事言えないけど…………愛してるわ悟。これからもずっと」
「………はい。こちらこそ、これからも宜しくお願いします」
「それだけ? 今度はそっちが言う番じゃないの?」
「か、勘弁してくださいよ」
「……ま、いいわ。ねえ、それよりもこれからどうする? 飛び出してきちゃったから予定より随分早く終わっちゃったけど」
「どうしましょうかねぇ」
「じゃあ十二時くらいまでデートの時間にしましょうか。久々にあんたといても気分悪くないし」
「どういう理由ですかそれ。今さっき『愛してる』とか言ったばっかなのに」
「冗談よ。でも今日中にあんたにもそれ言わせてやるから覚悟しなさい」
「今のじゃ駄目ですか?」
「当たり前でしょ馬鹿」
「『好きです』なんてのはもう何度も言ったり言わされたりしてますが、そっちはちょっと……事実がそうなんだとしても、言葉にすると大袈裟と言うか」
「それこそ大袈裟よ。気にせずさらっと言っちゃえばいいじゃない」
「努力します」


「ワイン美味しい~!」


 翌日。顔に何かが激しくぶつかって、痛みとともに目が覚める。
 特に痛む鼻を押さえて呻き声を上げながら暫く布団の上でもんどりうったのち、鼻血が出ていないことを確認してから何にぶつかったのかを確かめてみ
「わ゛ー!」
 その異様な光景に後ずさりしつつ状況を冷静に把握しようと努めてみると、僕はいつも布団を壁際に敷いているのですがその壁のそうですね膝くらいの高さでしょうかとにかくそのくらいの高さの所から人の上半身が生えてそのまま苦しそうな体制で僕の布団の上に垂れていらっしゃいました! ぜえぜえ。
 多分あの頭にぶつかったんだろうなー、と反対側の壁まで後ずさってから鼻をさすりさすり考える。が、あの髪の色は見覚えがあるような。
「栞さん、栞さん起きてください」
 可愛らしいピンクのパジャマに鮮やかな茶色い髪。いつもの赤いカチューシャはしてないみたいだけど、これはどう見てもお隣さんですよね。
 声をかけながらゆすってみると、首が持ち上がって顔がこちらを向く。
「ん……んん? あ、おはよぉ孝一くん……」
 思った通りに栞さんでしたが、おはようじゃなくてですねぇ。
「はれ? なんで孝一くんが栞の部屋に?」
「ここは僕の部屋です」
 残念なお知らせを伝えてみると、栞さんは寝惚けまなこで部屋を見渡してみる。そして見渡す事三~四回、やっと事実確認ができたらしく寝惚けた目はじわじわと次第に大きく広がっていき、顔はみるみる赤くなっていった。
「ご、ごごごごめんなさい!」
 すっかり目が覚めたようで、猫車みたいに腕を伸ばして体を持ち上げるとそのままバックして壁の向こうに引っこんでしまった。
 僕もすっかり目が覚めてしまったので顔を洗って服を着替え、朝ごはんどうするかなと冷蔵庫を開けた時、チャイムが鳴った。
 展開的に誰が来たのかは予想ができる。
「ごめんね……」
 ドアを開けると予想通りの人物が沈んだ様子で立っていたので、取り敢えず上がってもらう事にする。


 とぼとぼとついてくる栞さんに苦々しい愛想笑いを向けつつ、テーブルに向かい合う。
「そんなわざわざ謝りに来てもらうほどの事じゃあ。たまたま寝相が悪かっただけでしょう?」
「うん……」
 確かにここのルールとしてそういう事は禁止されているけど、こればっかりは仕方がない。それにまあ、栞さんはともかく僕は寝起きを見られてどうこうなんて繊細さは持ち合わせていませんので。
「昨日貰ったワイン飲んでたら止まらなくなっちゃって結局全部飲んじゃったんだけど」
 おや?
「それでちょっと気持ち良くなっちゃって。寝る直前の事あんまり覚えてなくて……」
 おやおや。
「それでその、失礼な事とかしちゃってない? いつからこっちの部屋に飛び出しちゃってたのかも全然覚えてなくて」
 実害と致しましては、鼻が痛いです。寝てたもんで詳しくは分かりませんけど、いつの間にか垂れ下がってた栞さんの頭に寝返り打ったか体勢を変えたかした僕が上手い事顔をぶつけたんでしょうね。しかも相当な勢いで。
「大丈夫ですよ。少なくとも僕が寝る前には来てなかったですし」
 来たら起こしますからね。
「孝一くん、鼻が赤いけど」
「鼻炎です」
 もちろん嘘だが、念の為鼻をグズグズさせるという小芝居を打ってみる。まあその度にズキズキするんですがね。あいてて。
 さてそれはいいかげんいいとして、
「これから僕朝ご飯なんですけど、栞さんも一緒に食べますか? せっかくですし」
 お腹が空きました。
「え、や、でもそんな悪いよ」
「安心してください僕が作りますから。って言っても食パン焼くだけですけどね」
「あ……うん、じゃあいただきます」
 断ろうとする栞さんを無理やりかつ強引な話法で引き止めておいて台所に向かい、オーブンに食パン二枚をセット。そして居間へ戻るついでに麦茶とコップを二つ、お盆に乗せて持って行く。
「お茶どうぞ」
「ありがとう」
 二つのコップに同じくらいお茶を注ぎ、二人揃ってこくこくと小さな音をたてながら頂く朝の一杯は、寝起きで渇いた喉にひんやりと染み渡ってとても美味しい。やっぱりお茶は冷やすに限るね。
 注いだお茶の半分ほどを飲み、「ふう」と小さく一息ついてコップをカタンと置き直す栞さんに、
「あんまりお酒は強くないんですか?」
 と質問を投げかけてみる。
 僕はもちろん酒に酔ったことはないんですが、寝る前の記憶がないって事はそういう事なんじゃないでしょうか。あくまで僕は酒に酔ったことはないんですが。


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