(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第三十九章 希望と予定 十二

2011-02-23 20:42:21 | 新転地はお化け屋敷
「落ち着いたついでにちょっと話しておきたいことがあるんだけど、いい?」
 その提案に、僕は黙ったまま首を縦に振りました。栞さんの首筋から肩にかけて顔を押し付けたところだったので、視界に入っていなくとも伝わったことでしょう。そんなことをしたから、わざわざ提案という形で前置きを入れられたのかもしれませんが。
「妥協点、っていうのかな。そういうのを、決めておこうかなって。今度の土曜日、こうくんのご両親に会った時のことで」
「妥協、ですか?」
「もちろん今の時点から妥協するつもりがあるってわけじゃないけどね。でも、決められることは決めておいて、それをこうくんにも分かっていて貰えたら、話もしやすいだろうし」
 あまり耳触りのいい話ではありませんでしたが、しかしそれは栞さん本人にとっても同じことでしょう。それを圧してでもこう言ってくるというのなら、聞かないわけにはいきません。
「具体的には、どういう?」
「こうくんと付き合ってるっていうことは、絶対に譲らない。でも、一緒に暮らすのがどうしても――こっちが頑張れるだけ頑張っても駄目だってことなら、そこは諦めようかなって」
 耳触りがよくない話は、具体的に聞かせられてもやっぱり耳触りがよくない話でした。
「……怒ってる? いきなりこんなこと言いだして」
「いえ、そうじゃないですけど」
 怒っていることを否定した僕の声は、しかしはっきりと固くなっていました。後ろから抱き付いている以上、栞さんに僕の表情は見えないわけで、だったら声色だけで判断するしかないというのに。
「ごめんね。でも」
「大丈夫です。だから話、続けてください」
 僕の機嫌を察してか、それともこちらを振り向いたりしようとしたのか、栞さんの体に僕から離れるような力が加わりました。けれど僕はそれを拒否し、いっそう強く栞さんを抱き留めました。
 僕の機嫌を察してというのであれば、別に機嫌を損ねたというわけではありません。
 こちらを振り向くというのなら、今はあまり顔を見られたくありません。
 どちらの理由にしても、栞さんを離したくはなかったのです。
 抱き締める僕の腕にそっと触れて、栞さんは小さく息を吐きました。それが溜息なのか微笑なのかは、小さ過ぎて判断が付きませんでした。
「……私はほら、もう子どもを作るってことが出来ない身体ではあるけどさ。それでも、ご両親の立場になって考えてみたら、自分の子どもが幽霊なんかと一緒になるって、物凄い抵抗――抵抗どころじゃないよね。上手い言葉が見付からないけど、そんなふうに思うんだろうし」
「幽霊なんか、ですか」
「うん。幽霊を知らない人からしたらそんなものだと思うよ、実際」
 噛み付いてはみましたが、しかし栞さんのその言い分を否定はできませんでした。僕はすぐにここのみんなと親しくなれましたが、しかしそれは隣人としてだったからで、突然に息子の恋人として、もっと言えば息子の嫁として現れたら、親しむ暇なんて全くないんでしょうし。しかも隣人として知り合った僕ですら、初めはみんなが幽霊だと知って気絶したりもしたんですし。
「それに、いろんなことを受け入れてくれてるこうくんにこんなこと言っちゃうのもどうかと思うけど、私達だって別に、幽霊になりたかったわけじゃないんだし」
「それは……そりゃ、そうですよね」
 幽霊である栞さんを愛している僕だって、幽霊だから栞さんを愛しているというわけではなく、つまりは結局、幽霊であることに良い点なんて無いのです。「それでも」愛している、という言い方になってしまうようなことなのです。
 でも、それを頭で重々承知していても、心のほうが納得してくれませんでした。
 だからといって何の理屈もないまま「嫌だ」なんて言ってしまうのは、とてつもなく情けないことであるように思えました。なので僕はあれこれと考えを巡らせ、屁理屈でしかないかもしれませんが、一応の理屈を捻り出しました。
「栞さんは妥協して、僕もそれは認めるけど、僕自身は妥協しない。そういうことでいいですか?」
 そんな僕の理屈に対する栞さんの返答には、こちらも多少の時間を要しました。
「うん。ちょっといろいろ考えてみたけど、やっぱり全然抵抗がないからそれでいいよ。――それでいいよっていうより、是非そうして欲しい、かな」
 それでいいよ、ならまだすんなりと収まっていたのでしょうが、しかし是非そうして欲しいなんて言われてしまうと、それはそれでしっくりこないような気が。
「僕自身は妥協しないってところについてもですか?」
「そうだね。一緒に妥協するって言われてたら、多分いい気はしなかったと思う。自分が妥協するって言ったのに、こんなふうに思っちゃ駄目なんだろうけど」
 そう言って、栞さんは項垂れるように首を垂らしました。けれどそれは、さっきも話したことの繰り返しです。
「駄目だなんて言いませんよ、僕は」
「……あはは、またやっちゃったね」
 軽く笑い、そして栞さんは再度、僕から離れるように体へ力を加えました。今度は僕もそれを許し、抱き留めたりはしないでおくと、栞さんは体を反転させてこちらを向き直りました。
「『大好き』も『愛してる』も、今日はもう、言っちゃったけど」
「一日に一回しか言っちゃ駄目だ、なんてことも言いませんけどね」
「ふふ、そっか。じゃあ――ああ、でも、今は『ありがとう』だけにしておくよ。ありがとう、こうくん」
「そういうことなら、どういたしましてとだけ」
 大好きも愛してるも、今日はもう言ってしまった。そんなことを気にし始めた栞さんとキスをするのは、これで今日何度目になるでしょうか?
 けれど今日はこんなふうにあろうと朝からずっと思っていたわけですし、そうでなくとも恋人同士なのですから、これがおかしいということもないのでしょう。

「そりゃあ、一緒に暮らしたいと思ってるって話じゃなくて、実際にそうするって決めたわけですしね。だったら全部が全部自分の都合のいいように、なんてのは無理な話だとは思いますよ? やっぱり」
 何度かに渡る長いキスがどちらからともなく自然に終わりを迎え、なので僕は話し始めました。キスのせいで中断されていた時間を考えると、いきなり続きを話し始めるのは少々不自然のような気もしましたが。
「さっきの、妥協するかしないかが分かれたことの話?」
「はい」
 案の定、さっきの話の続きなのかどうかを疑問に思われてしまったようでしたが、こちらから口を出すまでもなく分かってはもらえていたので、それについては問題ないようでした。
「だからって別に、さっきの栞さんの話は僕にとって都合が悪いってわけでもないんですけどね。自分の意見と違ってるっていう、その一点だけでちょっと声がイラついた感じになっちゃってましたけど」
「嫌だと思ったら、そう言ってくれてよかったんだよ? そういうのも含めて、こうくんの意見が聞きたかったんだし」
「親と話をする時のことを考えたら、それとは全く関係のないところでの『嫌』でしたから。だから、そんなふうに思ったっていうのは、今のこんな感じで伝えるだけでいいと思ったんです。余計な情報ですしね。……まあそれも、僕が勝手にそう判断しただけのことですけど」
 すると栞さん、ふっと息を漏らしました。向かい合っている今はその表情も確認でき、栞さんは、見ているこちらこそが嘆息してしまいそうな、優しい微笑を浮かべていました。
「そこまで考えてくれてのことだったら、それを悪いだなんて言わないよ。私」
「ああ、今度は僕がやっちゃいましたか」
 やっぱり僕は、栞さんに言われて初めて気が付くのでした。
 そのことを気にはしますが、しかしこうも優しい栞さんの表情を前にすると、とても後ろ向きな気分になんかなれそうもありません。
「こうくんの場合、それがちょっと目立つから口うるさく言ってはいるけど、でも誰だってちょっとくらいならあるだろうしね、こういうこと。私だってさっき、そうだったし」
「不安はあるでしょうしね、お互い」
 不安があるから、自分に問題はないだろうかと思ってしまう。自分に問題はないだろうかと思ってしまうから、自分を悪者にしてしまう。全てということはないにしても、大多数はそれが理由なのでしょう。
 という理屈は、目立つくらい自分を悪者にしてしまうらしい僕なりにしっくりくるものだったのですが、しかしそれを聞いた栞さんは、何やら考え始めました。
 異論反論はもちろん歓迎するつもりでした――が、しかしそうではなかったようで。
「私の場合、不安は全部ここにあるからさ」
 そう言って栞さんが自分の手で触れたのは、胸の傷跡の跡。栞さんが持つ不安は「自分が幽霊であること」でしょうから、その表現はなにも誇張というわけではないでしょう。
 そんなふうに納得していると、栞さんは膝立ちになりました。ならばその傷跡の跡があるはちょうど、僕の顔の高さぐらいの位置に。
「だから、こうくん。安心させてもらってもいい?」
 その言葉を言い終えるか言い終えないかというところで、栞さんは僕を抱き締めてきました。僕の頭が、今の今まで手で触れていた位置に来るようにして。
 いきなりのことで驚いたというのもありますし、女性の胸に抱かれるということで、そりゃあ「そんなふう」に思わないわけでもありません。しかし今はそれらを無視して、栞さんの要望に応えることにしました。
「落ち着くまで、いくらでも」
「ありがとう」
 これくらいのことは出来ておかなければならないのでしょう。そういう不安を抱えている人だと分かったうえで付き合っているわけですし、そうでなくたって、恋人に優しくするのは当然でしょうしね。
 ……ただまあ、それはそれとしましても。
「座椅子か何か、とにかく背もたれが欲しくはありますね、この姿勢」
「ん? あはは、ごめんね。辛いよねこれ」
 例えに出すには極端な例ですが、同森さんのようにムッキムキであればこれくらい、屁でもないのでしょう。ですがそこは軟弱な僕のこと、栞さんの体重が軽く掛かっているだけで、背中の骨と筋肉が「あと数分も保たない」という警告を発してくるのでした。
 まかり間違っても栞さんが重いと言いたいわけではありませんよ? もちろん。
「横になるか壁にもたれるか、させてもらってもいいですか?」
「もちろん構わないけど……ああでも、こうくんが壁にもたれたら私、壁に顔押し付けることになっちゃうね。この姿勢だし」
 軽くとはいえ栞さんは僕に体重を掛けていて、ならば僕にもたれ掛かる格好になっています。となれば栞さんの頭は僕の頭と同じくらい、もしくは僕の頭より若干後方にまで来ているわけで、その僕が壁にもたれるとなれば、まあ、そういうことになってしまうのでしょう。
 栞さんが僕にもたれ掛からなければ問題ないように思えますが、しかし「もたれ掛かる」こと自体にもそれはそれで意味があるのです、やっぱり。安心を得るために僕に身体を預けている、ということなんですし。
 まあそうでなくとも、そこまでして壁にもたれかからなければならないというわけでなく、だったら横になるほうを選べばいいんですけどね。というわけで僕は、自分の背筋の情けなさを噛みしめつつ、「じゃあ横になるほうで」と栞さんに告げました。
 僕の頭の中では栞さんが横に寝転がることになっていたのですが、しかし僕が言葉通りに床に横になったところ、栞さんは膝と腕を立て、僕に覆い被さるような格好になるのでした。
 予想と違っていたという意外性もあってか、変に胸が高鳴ります。けれど下から見上げた栞さんに窺えるものは、僕のそんな感情とはまるで別種のものでした。
「ここまでしなきゃならないほどなんだね、私」
 自分を笑いつつ、悲しんでもいる顔。栞さんはそんな表情で、僕を見下ろしていました。
「優しい言葉でも、手で触ってもらうのでも、自分から抱き付くのでも足りなくて――」
「栞さん」
「怖いよ、こうくん」
 栞さんは強い人です。だから今までは、その強い心が不安をせき止めていたのでしょう。恐らくは、自分ですら気付いていないところで。
 それが今、僕に頼ることで一気に溢れだしたのでしょう。僕に頼るのであれば自分の心でせき止める必要はないと、無意識にそう判断して。
 自嘲の笑みすら消え、巨大な不安でくしゃくしゃになる栞さんの顔。それを見た僕は、自分でも不自然だと思うくらい、胸がすうっと落ち着きました。
「だったら全部、僕が引き受けます。僕を頼ってください、栞さん」
 頼ってくれと言いながら、自分にできることは今から抱き付いてくる栞さんを抱き返すだけ。全部引き受けると言いながら、実際には一緒に抱えるという程度。それは分かっているのに、それだけで栞さんを救えると、どうしてか僕は確信していました。
「…………」
 返事はなく、表情もくしゃくしゃなものから変わることはなく、何もかもをそのままに、栞さんは僕に抱き付いてきました。僕がそれを抱き返し、胸に顔をうずめた何も見えない状態になると、栞さんの震えた声が聞こえてきました。
「今から、ちょっとだけ泣く。あと、聞きたくないようなことも言っちゃうと思う。……それでもいい? こうくん」
「頼るっていうのはそういうことですからね」
「ありがとう」
 声だけでなく体まで震え始めている栞さん。こんな確認を取っている余裕なんてあるようには思えず、そのうえ「ありがとう」なんて。――でも僕は、そんな栞さんだからこそ。
「死にたくなんて、なかったよ」
 栞さんが前置きした「聞きたくないこと」は、その一言から始まりました。
「幽霊になんて、なりたくなかったよ……! こうくんと一緒になるのに、こんな不安なんて持ちたくなかった! 大好きな人と愛し合って、一緒になるって時に、なんでこんなもの抱えなきゃならないの? この気持ちとは全然関係ないことなのに、なのにどうしても切り離せないって、こんなの、酷過ぎるよぉ……」
 言葉になっていたのはそこまでで、あとは嗚咽が聞こえてくるばかりでした。
 正直、思っていたほど長くはなかった「聞きたくないこと」。けれどその分、憤りの濃さは他と比較のしようもないほどだったことでしょう。死んでしまったことも、その死んでしまったことが今度の土曜日に大きく関わってしまうことも、栞さんからすれば理不尽なまでに不可避のことなのですから。
 引き受けさせてくれと頼んだこともありますが、それ以前に深い仲にある人間として、栞さんの不安は僕の不安でもあります。その不安はどうしようもないことであり、それを栞さんも分かっている以上、無理な慰めの言葉を口にはできませんでしたが、せめてこれぐらいはと栞さんを強く抱きしめました。
 すると、そうしたおかげかどうかは分かりませんが、栞さんの震えが少しだけ緩和されたような気がしました。
「ごめんねこうくん。私、こんなので」
「こういう時にこんなふうになってもらえないって、そのほうがショックですけどね」
 頼られない。不安を共有させてもらえない。そんな状態で同じ部屋に住み始めても、それは本当にただ「同じ部屋に住んでいる」というだけなのではないでしょうか? そこから更に得るであろうものを求めて、そうしようと思うものなのではないでしょうか。
 僕はそう思いますし、そう思うからこそ栞さんと一緒に暮らしたいと思っています。
「栞さんのいいところだけを見ていたいってわけじゃないですから、僕は」
「……そうだよね。一緒になるって、そういうことだもんね」
 栞さんの声、それと同時に体からも、震えがなくなりました。そして再度膝と腕を立て、僕を見下ろす格好に。
 開けた視界に映った栞さんは、さっきの「聞きたくないこと」からか目を潤ませていて、しかしそうでありながら、優しくて穏やかな笑みを湛えてもいました。
「私もそうだよ。いいところもそうじゃないところも全部合わせて、こうくんの傍にいたい。……こうくんの、お嫁さんになりたい」
 僕のほうから振りたい話ではありましたが、しかしまあ「どちらが先に言ったか」なんてことを気にしたところで、そこに意味はないのでしょう。
 結婚してください、と心の中では自分から先に言い出したような台詞を思い浮かべつつ、口からは状況に合わせた返事を贈りました。
「僕でよければ、喜んで」
 こういう言葉を交わしたのは、実のところ初めてではありません。
 けれど、希望ではなく予定として「一緒になる」と決めてからは初めてで、ならば栞さんをお嫁さん――つまりは妻として迎えるということについても、希望でなく予定として話したのは、今回が初めてなのです。
 僕は恐らく、その時の栞さんの笑顔をずっと忘れないことでしょう。
「愛してます、栞さん」
 土曜日のことについて不安があるかと問われれば、それには「もちろん」と答えます。でもこの人の、この笑顔のためならば。
「私も愛してます、こうくんのこと。心から」


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