(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第十六章 ちょっとそこまで 五

2008-07-11 21:00:15 | 新転地はお化け屋敷
「猫耳の大人っつうのが恥ずかしくてそれを隠すために帽子買ったってのに、いざ客が来た時に被るの忘れてたら意味ねーわな。つーかそもそも、さっきみんなで外に出たのだって帽子無しだったろ」
 成美さんを困らせたいのか、えらく説明的に言い切る大吾。要するに当て付けってやつなんだろう。そしてそれは効果抜群らしく、ただでさえ前屈みな成美さんが更に頭を垂れさせ、その上プルプルと震え始める。どうやら恥ずかしさに悔しさが重なって、色々とギリギリらしい。
「……お、久々だな」
 そうして現れたのは、お久しぶりです青い火の玉。三つ並ぶととんでもない事になるとは言え、一個の時点ではみんなまだまだ余裕――
「あ、あああの、何か火みたいなのが出てきてるんですけど」
 ――と思ったらそうでもなかったらしく、ナタリーさんが恐々とした声を上げてしまう。
 そっか、まだ説明してなかったんだっけ。猫だった事とか猫耳の事だとかはきっちり説明したけど。
「ぐぬぬ……せ、説明は誰か頼む。わたしは帽子を取りに部屋に戻るぞ」
 怒り心頭なのか他の何かの心頭なのか、声を震わせながらそう言った成美さんはすっと立ち上がってどかどかと部屋を出て行ってしまう。しかし現在、玄関にはお爺さんお婆さんがいるわけで、心頭した何かの勢いもすぐに消沈し、ついでに消火も行ったうえで再び猫耳を押さえ、その足取りは忍ぶ者のようにこそこそとしたものへ。そうしたところで気付かれないわけはないんですけどね。
 ……ところでお爺さんとお婆さん、草履を置きに行っただけにしては遅いなあ?


「もう、嫌ですよ。せっかくお招き頂いた家で説教始めるだなんて」
「悪かった悪かった。そのお招き頂いた事で気分が良くなって、つい、な」
「その説教の中身だって、『時間は放っといても流れる』だなんて、私達が年寄りだからそう思うだけです。若い方はそんなふうに考えませんよ」
「私達っちゅう事は、お前さんもワシに同意なんじゃろうに」
「みっともないから止めてくださいって言ってるんです。こういう事は、誰にとっても正しい答えなんてありはしないんですから」
「……分かった分かった、そうカッカするな。それこそみっともないわい」
「ふん」
「じゃからそれはそれとして――のう婆さん、時間っちゅう事でちょっと思ったんじゃが」
「なんですか?」
「ワシ等がこっちにいられる時間は二時間ほど、じゃったな?」
「ええ、あのお嬢さんがそう言ってましたね。……それが、どうかしましたか?」
「履き物見て思ったんじゃが、どうじゃろう。外に出てみんか? 行きたい所もあるしな」
「え? と言うと、どこですか?」
「そりゃもちろん――って、おや。白い髪のお嬢さん。難しい顔をして、どうかなされましたかな?」
「あら。すいませんねえ、こんな所で話し込んじゃって。すぐに戻りますから」
「あ……いや、ちょっと、部屋に戻る用事ができてな。少し、道を開けてくれると助かる」
「どうなされました? 頭でも痛めたんですかな」
「あらあら、それは大変だわねえ」
「いやその、心配は無用だ。そういうわけではないので……」


 出くわした成美さんとお爺さんお婆さんの間に二言三言の会話があったようで、ドアが開く音がするまでにぼそぼそと話し声。でもそれはやっぱり二言三言でしかないので、成美さんが部屋を出て行くのに大した時間は掛からなかった。
 あそこ通るの、恥ずかしかっただろうなあ。
 でもまあそれはいいとして、その後すぐにお爺さんお婆さんが部屋に戻ってくる。
「白い髪のお嬢さんが通ったのですが……どうにかなされたんですかな」
「ああ、アイツ帽子取りに戻っただけなんで」
 いそいそと部屋を後にする成美さんを見てどう思ったのかどことなく心配そうなお爺さんお婆さんに言葉を返したのは、大吾だった。
「帽子を。はあ、そうだったんですか。頭を押さえてらしたんで、てっきり痛くなったりしたのかと思ってしまいました」
 ほっと気が抜けたように息を吐くのはお婆さん。成美さん、やっぱり押さえっ放しで玄関を通過したらしい。そしてどうやら、猫耳に気付かれずに通過するのは成功したようで。
「すんません、変な心配掛けたみたいで」
「ほう? お兄ちゃんが謝るって事は、あのお嬢さんと兄妹だったりするんですかな」
 家守さん以外の目上の人に対する礼儀はきっちりしている大吾くん。成美さんの代わりに頭を下げると、お爺さんにそのような誤解を受けてしまう。親密だ、という点ではバッチリ正解なんですけどね。
「いや、そういうわけじゃないんですけど」
 掠ってはいるお答えに、大吾は語調をやや強くする。そんな取り乱しちゃったら「じゃあ何なんだ」って事になっちゃうだろうに、つくづく素直な男だなあ。
 しかしお爺さんがそれ以上を詮索する事はなく、「おや、違いましたか」と頬を緩ませるのみ。……むう、見てる側としてはもうちょっと楽しみたかったものですが。
「ところで、霊能者さん」
「あ、はい?」
 僕の少々意地悪な希望なんてものはどうでもいいとして、お爺さんの後ろからお婆さんが家守さんに呼び掛ける。
「ちょっと頼みたい事があるんですが……」
「はいはい、何でも言ってください」
 家守さんの正面に腰を下ろしながらなんとも言い出し辛そうなお婆さんに対して、早く言ってくれと言わんばかりの食い付きをみせる家守さん。こういうのも仕事の内という事なんだろうけど、単に仕事だというだけでもなさそうだ。なんて言うかこう、それに喜びを見出してるって言うか。……家守さん、意外とお手伝いさんとかが向いてたりするんだろうか? いや、意外とってのは失礼かもしれないけど。
「私達がこっちで住んでいた家、この近くなんでしたよね?」
「ええ、はい。車なら三十分掛かりませんよ」
 この部屋でそんな話があった覚えはないので、家守さんが「あっち」に行った時に色々と説明したんだろう。それはいいんだけど、昨日片道一時間掛けて自転車漕いでそこへ行った身としてはなんとも無情観溢れると言いますか。ああ、早く車の免許取りたい。
「行きます?」
「お願いできるんでしたら……」
 言いたい事を家守さんが先に言って安心したのか、尚も声は控えめなままだけど、顔はにっこりなお婆さん。そして「それじゃあ早速、車出してきますね」と立ち上がる家守さんは、これまたにっこり。それが営業スマイルという類の物でないのは、家守さんの演技力がプロ並でない限りは言い切れると思う。とするならつまり、今、家守さんは何かが嬉しかったという事になる。じゃあそれは何かと言われたら、そりゃあお婆さんの反応くらいしか候補がないでしょう。
 つまり、そういう事。僕が料理を作って誰かに食べてもらう時と似たような、そんな理由で家守さんは今、嬉しそうにしている。
「んじゃ、みんなも一緒に行くよね? 外出といてねー」
 僕にとって、家守さんの仕事風景を目にしたのは今回が初めてだ。
 ――見れて良かった。
「これだけの人数全員って、あの軽に乗れんのか? スペースはいいけど、重さ的に」
 ――おおう。


「どうだ、これなら文句は無いのだろう?」
「いや、文句も何もオマエの気分の問題だろうが。オレ関係ねーよ。どっちでもいいし」
「なんだと!?」
「なんだよ?」
 薄灰色のニット帽を被って戻ってきた成美さんと大吾の言い合いは――まあ、いいか。
 少しだけ離れた場所にある、車が一台しか止まっていないあまくに荘住人専用駐車場。そこからそのたった一台である青い軽乗用車を移動させ、あまくに荘玄関前に駐車させた家守さんに大吾から提起された重大っぽい問題を伝えてみたところ、
「ああ、大丈夫大丈夫。坂道は無理かもしれないけど、トンネル通るからずっと平坦だし」
 窓越しにお気楽な家守さんなのでした。
 ちなみに、道路交通法違反になるのは確実なような気がします。まあ一般の方からすれば、乗員は二名プラス大きめの犬が一匹になるんですけどね。全然オッケーですね。
 と「ばれなきゃ大丈夫」の理論を全開にしていると、
「いっつもは助手席だけど、今回はこーちゃん後ろねー」
 えーと……ああ、そうか。寿司詰め必死な後ろの席にお客さんを押し込むわけにはいかないか。まあ、一人のスペースに二人だからあんまり変わらないのかもしれないけど。
「分かりました」
 車に乗せてもらう度に後部座席のごちゃ混ぜっぷりが気になってたから、やっぱりちょっとだけ不安はある。
「実際は狭くもなんともないから、安心してくれていいよ」
「見た目はちょっと窮屈になると思うでありますがね」
「ワンッ!」
 よろしくお願いします、先輩方。
 という事で先人を切って後部座席に乗り込むと、続いて栞さん、ウェンズデー、ジョンが入ってくる。この時点で既に栞さんは席を詰めた結果として僕の体と重なっているわけですが、なんて言うかこう、不思議な気分です。感触とかそういったものは当然ながらまるでないんですが(強いて言うなら微かに体温が伝わってくるくらい?)、まあぶっちゃけて言うと、手を繋いだりだとか抱き合ったりだとかキスしたりだとか、もうしてるわけですよ。僕と栞さん。でも今は、それら以上に栞さんが近くにいるんですよ。なんたって同じ場所に重なってるんですから。でもそれに感触が伴わないっていうのは、あー、どう言ったらいいんだろう? とにかく妙な感じ。
 そんな意味不明な事をぐだぐだ考えている間に車の外では、
「えーと、その、私も後ろの席でいいんでしょうか?」
 今回が初乗車になるナタリーさんが大吾へ質問をし、
「ああ、それでいいと……いや、ナタリー一人くらいなら前でも?」
 対して大吾は、同じくまだ車に乗っていないお爺さんお婆さんの顔色を窺いながらそんな返答。今の今まで大吾と何やらわあわあ言い合っていた成美さんは、口調が変わる大吾に「ふん」と鼻息を粗くする。――まあ、ともかく。
 その話に気付き、大吾の視線にも気付いたお爺さんお婆さんは、
「ワシらぁ全然構わんですよ」
「こんな爺婆の膝元でよければ、ねえ?」
 むしろナタリーさんを呼び込みたいのだろう。ナタリーさん自身が前に行きたいと申し出たわけでもないのに、断然乗り気だった。では申し出ていないナタリーさんは? と言うと、窺うまでもなく乗り気なんだと思う。じゃあその乗り気な気分をそのまま口に表してくるのかと言うと、
「あの……でも、私だけというわけには。その、ウェンズデーさんも一緒に……」
「えぇえぇ、ペンギンさんも是非来てくださいな」
 ナタリーさんの恐る恐るな言い分にあっさり頷くお婆さん。そして現在僕の隣に座っているそのペンギンさんは、黄色い嘴をぽかんと開け放っていた。
「い、いいのでありますか?」
 車の外で話してるんだから顔を出すくらいすればいいのに、そんな事すら思いつかないようで、後部座席から動かないまま誰に言ってるか分からない返事をその嘴から搾り出す。
「いいんじゃないかな?」
 発言場所が車内という事で、返事をしたのは家守さんだった。でももし家守さんでなくとも、誰が返事をしたところで返した言葉は「それ」だっただろう。
 いいのか、と言うより、よくない理由があるのなら是非聞いてみたい。少なくとも僕には思い付かなかったし。
 腰を落ち着ける場所としてはこっちのほうがいいんだろうけど、歩く場所としてはあまり相応しくない後部座席のふわふわシート。その上を若干よたつきながらもふもふざくざくと軍人の行進のように進んだウェンズデーは、開いたままのドアから外を覗く。
 そして、同じ質問をもう一度。
「いいのでありますか?」
「えぇえぇ、いらっしゃいいらっしゃい」
 帰って来た返答も、意味は家守さんのそれと同じだった。そしてお婆さんは、座席の端に立っているウェンズデーを人形のように抱きかかえる。
「ささ、お爺さん。あんまりお待たせするのも悪いでしょう」
「そうじゃな。じゃあ、失礼させてもらいますわい」
 まだ全員乗り込んではいないのでお待たせされているわけではないんだけど、まあとにかくそういう事で、お爺さんお婆さんとウェンズデー、それに続いてナタリーさんの四名が助手席へ。当然お爺さんとお婆さんはすり抜け合い、完全に重なって座るんだけど、ウェンズデーとナタリーさんはそうではなく、二人の膝の上に座っていた。
「それじゃあ私達も乗りましょうか。お先にどうぞ、哀沢さんに怒橋君」
「あ、はい」
「うむ」
 そうしてついに全員が乗り込み、えーと、全部で何人だこれ。……八人と三匹? 総勢十一名を乗せた青い軽乗用車がついに発進。
 その加速は、とんでもなく遅かった。


 車のスピードが曲がり角で緩んだり赤信号で完全にゼロになる度、一般的な軽乗用車よりも低くなってしまった走行性能を遺憾無く発揮してしまう家守さんカーに揺られる事暫らく。
「あの、お爺さんお婆さん」
 ここまで意外にも静かだった車内に、ナタリーさんの声が。
「あの、屋敷はその、今はもう……」
「ん? と言うと、もうなくなってたりするんかのう?」
 なんとも言い辛そうなナタリーさんに比べ、あっけらかんと言い放つお爺さん。お婆さんも、「あら、そうなの?」とは言うもののその口調は例えば夕食の献立を知らされた時のようなもの。つまり、軽い。
 ナタリーさんは動きがないから思っている事を読み取り辛い、とはこれまで何度か思ったものの、今回は助手席と後部座席という位置関係上、動きどころか姿が見えない。しかしそうなってみればいっそ、心情を想像しやすいような気がした。と言って、大した推察ができるわけじゃないけどね。
 というわけで、その推察。お爺さんお婆さんとの温度差に困惑したのか、二人に対するナタリーさんの言葉が続かないのでした。
「いえ、いえ、そこまでは。……でも、荒れてるって言うか、いっそボロボロって言うか」
「かっはっは、そりゃそうじゃな。誰も住んでない所を掃除してくれるような人はそうそうおらんわい。それとも、誰か住んどったかな?」
「私は、動物園から帰ってきて暫らくの間だけ……」
「動物園? という事は蛇さん、私達があっちへ行く時の――」
 お婆さんの「あっちへ行く時」という台詞だけは、なんとも危うそうな風体。だけどとにかくそんな流れによって、車内の一隅が賑やかになる。もちろんそれには後にウェンズデ―も加わって、屋敷は昔どうだっただとか動物園に送られた他のみんなはどうだとか、思い出話に花が咲くのでした。
 そんな中でそれ以外、運転席と後部座席のメンバーは、誰も何も言わなかった。これまではただ単に喋ってなかっただけだけど、恐らくはみんな助手席での会談に聞き耳を立てていたんだろう。僕がそうだったし。


「はてさて、ここからどうしましょうかね」
 昨日僕と栞さんが自転車で通ったのとほぼ同じ(だと思う。あんまり自信は無い)道筋を通り、最後に山を抜けるトンネルを通って、昨日訪れたあの場所に再び。
「どうしましょう、とは?」
 運転席からぐぐいと身を乗り出して後部座席の面々に問い掛ける家守さんへ、ごちゃ混ぜ後部座席から成美さんの問い返し。すると家守さん、どことなく申し訳無さそうに「にへら」と顔を崩す。
「いやほら、重量過多プラス坂道って言う、ねえ? お屋敷まで行ければ車停める場所くらいはあるんだけど……」
「ああ、要するに下りろってか」
 ううむ、身も蓋もない。――そりゃまあ正しいんだろうけどさあ、大吾。
「ん? ああいえいえ、年寄りとは言えこの程度の坂道、ワシらでも歩きで平気ですわい」
「なんと言っても、自分の家への道ですしねえ」
 正しいんだろうけど、ここは察しても不言実行で良かったんじゃないだろうか。こうなっちゃうし。
「出かける事になった場合にお客さんを目的地までお送りするのも、サービスの内ですから。料金が発生してないとは言えやる事はきっちりやらせていただきますよー」
 と思ったらこういう時の対応に慣れているのかそれとも経験から導き出されたアドリブか、強気な感じの応対をしてみせる家守さん。どちらにしても、さすがはほぼ毎日働く社会人だ、と賞賛の言葉を送りたくなるのでした。臨時休業もかなり自由に振りまいちゃう人だけど。
「でも――」
「まあまあ婆さん、お言葉に甘えさせてもらおうじゃないか。仕事に対する拘りっちゅうもんは無理して曲げてもらうもんじゃないわい」
 いかにも食い下がりそうな雰囲気のお婆さんを、お爺さんが素早く諌めに入る。「でも」の一言しか言わせなかったその判断の俊敏さはお婆さんが口を開く前からこう言うだろうと予測を立てていたとしか思えず、さすが長年連れ添ってるんだなあと感心させられるのでした。まあ結婚したのが何時からだとかは当たり前ながら知らないし、こんな小さな事取り上げて何言ってるんだとも思わないではないですけどね。
「で、誰々が降りるんだ?」
「後ろ全員でいいだろう。そのほうが手っ取り早い」
「ですね」
 大吾が提起し、成美さんがさっさと答え、清さんが頷く。無駄に時間を取られる事を嫌ったんだろうけど、そう言えばお爺さんお婆さんがこっちにいられる時間は二時間だけ、なんて話があるんだったっけ。成美さんがそれを意識したかどうかは分からないけど、どちらにせよ無駄を省くのはいい事だ。
 というわけで、あっさり決定。後部座席全員降ります。
「ワウ?」
「あ、大吾くん、ジョンは……」
「好きにさせりゃいいんじゃねーの? オレ等について来るかどうか見て」
 見た目かなり窮屈そうにみんなの足元で丸くなっていたジョンがにわかに顔を上げると、それに気付いた栞さんがこういう場合の責任者に声を掛け、責任者は迷いも無くあっけらかんと言い放つ。とは言え、ウェンズデーやナタリーさんと違って言葉が通じない以上はそれが適切なんだろう。それだってジョンがお利口さんだっていう前提があっての判断だけどね。
「んでウェンズデーとナタリーは……えーと、そっちでお願いしてもいいですかね?」
「勿論ですとも」
 最後に助手席への確認をし、お爺さんから了承を得て、大吾の短いお仕事は完了。それでは早速とドアに近い順からぞろぞろ車外に出始めた時、
「優しい方なんですな、あのお兄ちゃん」
「ええもう。見てくれはちょっとあれですけど、おかげでこの子達のお世話も安心して任せられますし」
 ちらっとだけ、そんな会話が聞こえてきた。真っ先に外へ出た大吾の耳にこの話が届いていたかどうかは分からないけど、伝えたら多分「照れる大吾を虐める」ような構図になってしまうので、聞こえたかどうかを確かめるのは思い止まっておく。
 そうして降りると決定していた全員プラス自己選択で降り始めたジョンが車から降り切り、随分と積載量が浮いた軽乗用車は、明らかにこれまでとは差がある加速性能で颯爽と走り去るのでした。
 ――さ、山登り山登り。


「大吾殿は本当に良くしてくれるであります。自分達みんな、それにジョン殿にも」
「じゃろうなあ。いやいや、感心感心」
「蛇さんは皆さんのアパート……あまくに荘、でしたかね? あそこにはまだ来たばかりなんでしょう? 頼りになる人がいて良かったわねえ」
「あ、はあ、まあ……」
「あら私、変な事言っちゃったかしら?」
「えーと、ナタリーはまだ『お客さん』の段階なんですよ。誘ってはいるんですけど、その返事待ちでして。――ああ、急かすつもりはないよ? 無理強いもしないしさ」
「は、はい。でも私は――あ、いえ、……何でもないです」
「ナタリー殿……」


「二日連続だねー」
 その通り、二日連続。ただし、僕と栞さんだけは。
 てなわけで、今回は昨日来た時に随分と目を奪われた小川を眺める暇がないまま、山道を登り始める。ちょっと残念だけど、まあ悔やむほどの事でもないか。
「にしても本当、車だとここまであっと言う間でしたね。なんて言うか、ちょっとそこまでって感じで。昨日一時間掛けて自転車漕いで来た事を考えたら、早く免許が欲しいですよ」
 あまくに荘を出る前にもちょっと思った事だけど、やっぱり便利だなあ車ってものは。
「でもオマエ、免許取ったところで車買う金なんてあんのかよ。つーか免許取るのだって結構掛かるだろ?」
「……まあ、そうなんだけどね」
 そこは親に工面してもらうとか、あとは料理の先生業でどれだけ貯められるかという世知辛い話になっちゃうんだけどね。
「んっふっふ、それでしたら私が家守さんに掛け合ってみましょうか? お給料をはずんで頂けるように」
「あ、いえ、別にそんな」
 そう言えば清さん、そういうところの管理がお仕事なんだっけ。ところがところだけに、普段あんまり――と言うか全く、お目に掛からないけど。
「そうですか? んふふ、まあそれがなくても期待して頂いて結構だと思いますけどね。日向君の仕事ぶりはかなり好印象のようですし」
「それは……えー、お褒め頂いて、ありがとうございます」
 アルバイトが出来高払いっていうのもかなり特殊なような気がするけど、期待できると言ってもらえるのなら期待させてもらっておこう。ちょっと恥ずかしいけど。
「まあ、車どうこうがなくとも日向はまだ生きているんだ。わたし達より金が必要な機会は格段に多いだろうからな」
「ご飯も食べなきゃだもんねえ。……しょっちゅう食べさせてもらってる立場でこんな事言うのも、ちょっとアレだけど」
「ぶっちゃけオレ等、金余ってるもんな」
 それほど急とも言えない坂道をすたすた登りながら、倹約っぷりに感心すればいいのか立場の違いに唸ればいいのか反応に困る、そんな話。食費以外で最近使った費用と言えば――大学の教科書と、自転車買ったの? あと細かいところで言うと、栞さんと遊びに出かけた時の飲み物とか。……うーん、僕もあんまり使ってないなあ。使えばいいってもんでもないけど、そもそも趣味が食費に含まれちゃってるし。
 あ、そうだ。趣味と言えば。
「清さんはどうなんですか? 色んな事してるんですし、やっぱりちょくちょく何か買ったり?」
 正直僕よりもよっぽど遊びを知ってそうなこの人なら、さすがにお金も使うだろう。と半ば訊く前から確信して質問してみたものの、清さんは「うーん」と腕組み。はて?
「それはもちろんなのですが、それよりも自宅への仕送り、という形での使い道が主ですかねえ。一応これでもまだ大黒柱のつもりですので」
 あ。
「す、すいません。変な事訊いちゃったみたいで」
「ああいえいえ、こっちこそそんなつもりで言ったわけではないですから」
「ワウゥ?」
 あうぅ。


「おぉおぉ、こりゃ見事にぼうぼうじゃな」
「数年でここまでになるなんて、お手伝いさん達の仕事ぶりに改めて感謝しなくちゃですねえ。庭どころか、これじゃあ草原ですよ」
「私、これはこれで結構気に入ってたりするんですけど……」
「前来た時もこんな感じでありましたが、やっぱり自分より背の大きな草というのは不思議な感じであります」
「おや、サタデーからしたら面白くなさそうな意見だねえ」
「…………仰る通りのようであります」
「えーと、霊能者さん。サタデーというのは? 名前からして、ペンギンさんの中の?」
「ええ、そうです。サタデーは花ですね。と言っても、ベラベラ喋りますけど」
「へええ。それはそれは、一度お会いしてみたいですねえ」
「まあそう無茶を言うな婆さん。ワシらぁあと一時間と少しなんじゃ」
「……あ、あら、ごめんなさいね」
「だい……自分は、大丈夫であります。家守殿がちゃんと説明してくれていたでありますので、そういう話も覚悟の上であります」


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