(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第十六章 ちょっとそこまで 九

2008-07-31 21:01:25 | 新転地はお化け屋敷
「あ、そうだ。全然別の話になるんだけどよ」
 もう話変えてくれるならそれでいいよ。気が紛れる分まだマシだよ。というわけで、大吾くんどうぞ。
「ナタリーって何食うんだ? こういう時、一人だけ何も無しってわけにはいかねえだろ」
 そう言えばそうでした――と今更になって気付くのはかなり失礼なような気もするけど、膝枕が気になってそれどころじゃなかったのです。というのは果たして言い訳になっているのでしょうか? いや、それ以前におでんを買ってる時に気付くべきだったのか……。
 まあ、ともかく。ナタリーさんに視線が集まる。
「あ、食べ物は凍らせた鼠を解凍して、丸ごととかの形で頂いてましたけど……」
 集まった視線、一部以外凍る。
「うぷ」
 膝元から嫌な声が。
「んぐっ――ああ、らいじょうぶらいじょうぶ」
 だといいんですけどね。でも今の感じだと、喉元まで来てたんじゃないでしょうか? こういう時は背中を撫でて――とも思って手を出してみたけど、それだと喉元まで来たものを促進させるだけだと気付き、だからと言って中途半端に挙げた手を引っ込めるのもなんなので、そのまま頭を撫でておいた。
「んへへ」
 酔いが混じっていつもほど可愛げのある声じゃなかったけど、それでもさらさらと指の間を抜ける栗色の髪の感触は、たまにそうした時と同じように心地良かった。なんだかいっそ悔しいのは何なんだろう。
「凍らせてあったっていうのは幽霊になっていろいろ動き回ってた時に知ったんですけど、という事は、人間が手を加えたんだと思います。……皆さん、どうしたんですか?」
「ワウ?」
「どうも人間は鼠が嫌いらしいな。わたしも今のこの体では食べられんが」
 うおおう。ジョンはともかく成美さんまで。
「まあ気にするな。買い物はわたしの担当だし、わたしは何とも思ってないしな」
 小さい体で腕を組み、ちょっと偉そうに語る成美さん。いや、この場合は偉いって事になるんでしょうからいいんですけど。
「しかし冷凍の鼠か。いつものデパートに置いてあったか? そんなもの」
「いや、ねえと思うぞ……」
 成美さんに尋ねられ、俯き加減ながらも答える大吾。買うのが自分じゃないにしても、やっぱり品揃えには目を通していたりしたんだろう。さすがは動物のお世話担当。
「でも、もうちょっと遠くなるけどペット用品の専門店なんてのがあんだよ。そこならもしかしたら」
「おお、そうか。日向に自転車も借りられる事だし、暇があったら覗きに行ってみよう」
 組んだ腕を解きながら、ぱっと表情を明るくする成美さん。ナタリーさんの食べ物が確保できるかもしれないという事への達成感とかそういうのもあったりするんだろうけど、でももしかしたら単に自転車を使える事が嬉しいだけなのかもしれない。わざわざ名前を挙げたところからして。
 一応自転車を貸す側である僕に気を揉んだりしたのか、成美さんがこちらを向く。それに対してどうぞどうぞと片手を差し出すと、成美さんも無言で(無言だからこそ強調気味になったんだろうけど)にこりと、可愛げのある微笑みを返してきた。それがまた小さいバージョンだったりするもんだから余計に――
「あいてっ」
 その瞬間、視界外から顎へ攻撃。かつんという音とそれに伴う痛みに何だ何だと顔を下方へ向けてみれば、
「そんな顔してるとやきもち妬いちゃうぞお」
 そこには明らかにデコピンをした後の形をしている右手を掲げる栞さんの、むすっとした表情が。
「すいません」
 でも普通やきもちって、自分からそれだとは明かさないものなんじゃないでしょうか?
 しかしまあ、本人がそう言ってる以上はそうなんだろうし、そのうえ酔ってて対応し辛いというのもあるので、ここは素直に謝っておいた。
「なあんちゃってねえ」
 ……こっちが謝ってから言いますか、それ。
 言い終わって再びこちらの膝に顔をうずめ、もぞもぞと体を丸め始めてあまつさえ腰に手を回してきた栞さんに、一体僕はどういう反応を返せばいいのでしょうか?
 取り敢えず、頭を撫でておきました。
「うーむ、楽しそうですねえ。私もたまには飲んでみましょうかねえ? んっふっふ」
「せーさんはこんなふうにならないでしょ」
「なってみたい気もしますけどねえ」
「あ、それはちょと同感。アタシすぐ吐いちゃうからそれどころじゃないけど」
 そうでしょうか? その被害を受けてる身としてはとてもそうは思えませんけど。まあ、そもそもまだお酒飲んじゃ駄目なんですけどね。年齢的に。
 さて、そんなこんなでどんなこんなになっちゃってる間にもう一方のお二人さんはどうなったかと言うと。
「鼠が駄目だとは言うが、わたしもナタリーと同じく鼠を食べた事があるぞ? どうだ怒橋、わたしが気持ち悪いか? ん?」
「ワウ?」
「いや……そこまでは、言わねえけど……」
 大吾が虐められていました。
 成美さんが自虐に見せ掛けた攻撃を勝ち誇ったような顔で放っていました。四つん這いになって大吾の顔を覗き込み、苦し紛れに目を逸らす事すら許していませんでした。その体勢は恐らく、身体が大人バージョンだったらセクシーポーズなんてものに分類されそうな気がしました。正面に位置する大吾視点で考えると胸元がかなり危なかったりするんじゃないでしょうか? こんな事考えてたらまた顎ピンでしょうか?
「ふ。そうか、それは良かった」
 そう言って体を引き、意外とあっさり攻撃の手を休める成美さん。
「……何なんだよ」
 完全に敗北した大吾は、弱々しく呟くばかりなのでした。
「あの、ウェンズデーさん」
「何でありますか? ナタリー殿」
「今みたいなのも、やっぱり――」
「当然、仲良しだからであります」
 ウェンズデーは腰に手を当てて、誇らしげでした。


「ごめんなさい」
 栞さんは頭を下げて、申し訳無さそうでした。
「いやまあ、そんな謝られるほどの事じゃ」
 みんなが帰って二人きり。毎度ながらのこの時間、今回はお相手が正気を取り戻したところからスタートです。
「はあ……。ナタリーの歓迎会だったのに何やってたんだろう。しかもおでん、一口も食べられなかったし」
「あ、おでんならちょっとだけですけど残してありますよ。食べます?」
 ナタリーさんの歓迎会どうこうは今更どうしようもないけど、食事のほうなら何とか手は打ってある。障害なんて、大吾がちょっと渋った程度のものだったし。
「ありがとう、御馳走になるよ」
 ちょと無理のある笑みを作る栞さん。やっぱり、一人よりはみんなで食べたほうがいいですもんねえ。

 というわけで、
「いただきます」
 温め直した一皿分のおでん種と茶碗一杯の白いご飯、それにお箸を並べて渡し、目の前で始まる栞さんの一人夕食。僕はもう食べませんしね。
「気分は大丈夫ですか?」
「あ、うん。それは大丈夫みたい。……少なくとも、今は」
 と言うからには明日の朝とか辛くなりそうだったりするのかな、なんて思ったりしながらもそれはまあいいとして。たとえ「少なくとも」であれ現状が大丈夫なのならなら食事は気持ち良くとれるわけで、僕としては願ったりです。との考えでぱくぱくと箸を進める栞さんを眺めていると、
「……………」
「…………?」
 なんだか居心地の悪そうな視線を、上目遣いに乗せて向けられてしまう。栞さん、食べてる様子をまじまじと見られるのは駄目だったりするんだろうか?
 すると栞さん、くしゃりと顔を綻ばせ、気まずそうに「へへへ」と声を口に含ませる。
「なんて言うかその、自分一人だけで食べてると、会話がし辛いね」
 だ、そうだ。僕は別に眺めてるだけで充分だとか思ってたんですけど、その沈黙が気になったようで。
 話をするのがお望みだと言うならこちらとしてもやぶさかではないのですが、
「じゃあ、何の話しましょうか」
 改まって話をしようと言われると話題が浮かばないのって、何なんでしょうね一体。
「うー……」
 そんな事を尋ねてみれば栞さんは余計に困ってしまい、苦笑いどころか俯いて真剣に悩み始めてしまう。そしてその様子を眺めている僕の頬は、自然と緩んでくる。……意地悪いですかね?
 さて、俯いた先にある食べ掛けのご飯と同じく食べ掛けのおでんを前にして、栞さんが導き出した話題とは。
「ご飯……」
 見たままですね。
「そうだ、お昼ご飯」
 お?
「孝一くん、お昼ご飯の時に楓さんに呼ばれてたでしょ? どうだった? 美味しかった?」
 おお、そう言えば。昼の散歩から帰ってきた栞さん達を出迎えて「楓さんに焼きうどんを作ってもらった」って話をした時、なんとなく言い出し辛い空気になって結局言わないままだったんだっけ。
「美味しかったですよ。今度真似させてもらおうかな? なんて」
「そっか。じゃあ、栞も頑張らないとね。孝一くんに美味しいって言ってもらえるように」
「お味噌汁は美味しいですよ? それに他の料理だって最近は――」
「あはは、そういうのとはちょっと違うんだけどね」
 ……どういう事でしょうか?
 なんともよく分からないのでそれを表現するために首をやや傾けてみる。すると栞さん、少しだけ視線をうろうろさせてから、
「いつものお料理教室じゃなくて、その、孝一くんに食べてもらうための料理がしてみたいなって。て……手作りのお弁当とか、やってみたいなって」
「あ。……すいません。察せられなくて」
 と言うか、二人で食事をした経験はそこそこあるのに「そういう前置き」で料理した事ってあんまりないような。いや、もしかして全く無かったり?
「し、仕方ないよ。孝一くんは普段から料理してるんだし」
 普段からしているが故に、常に「普段通り」にしかできていなかったと。
 なんとも自分が悲しくなってくる展開に、浮かんでくるのは表情的にも心情的にも苦笑いばかり。そしてこちらがそうしている間に、栞さんは大根を頬張り、そして飲み込むと、
「それでね、って言うかそれはこの際別にしてね、ちょっと気になる事があるんだけど……訊いてもいい?」
 そうやってこちらの情勢を汲み取ってくれるのがありがたいのはもちろん、その一方で余計に心苦しかったりもする。できれば苦笑いに気付かずスルーしてもらえると……いやまあ、さすがにそんな事までは言いませんし望みもしませんけどね。
「どうぞどうぞ」
「お昼ご飯の時、楓さんとどんなお話したかなって」
 という質問に対し、
「え? いえあの、栞さんがどうだこうだとかいう話は」
 と、今さっきの自省の流れを汲んだ返答をする。口調が明らかに動揺しているのもあって、尚の事体裁が悪い。
 しかし栞さん、「あ、違うの違うの」と片手を振る。もう片方の手は、現在使用中の道具である箸を以って、玉子を掴んでいた。おでんの玉子はいつも箸に突き刺して持ち運んでいる僕からすると、一方の手を振りながら掴み上げたまま、というのは結構器用な行いに見えるのでした。
「呼ばれたの孝一くんだけだったし、そのすぐ後にほら、お爺さんお婆さんの事もあったでしょ? そっちのほうで何かあっただろうなって」
 ああ、なるほど。
「ありましたよ。……凄いですね、それだけの事から推理できるなんて」
「楓さんって、そういう話とか結構する人だしね」
 さすがはあまくに荘第一住人さん、と言ったところなんだろう。
 ちなみに言葉だけで捉えるとそれについて肯定的なんだか否定的なんだか分かり辛い返事だったけど、何て言うかもう、それこそ恋人の話でもするかのように嬉しそうなその表情からして、どうしようもないくらいに肯定なのでした。
「僕も家守さんのああいうところ、好きですよ」
「うん。……って、あれ? 今、好きとも嫌いとも言ってないよね?」
「言ってませんけどね」
 言わなくても分かる、というのはそれこそ言わなくても分かるので、そこまで。
「あはは。――それで、どんな事話したの?」
 栞さんが訊きたいのはこっちだろうしね。
 ……しかし、それはそれでちょっと困った。果たして栞さんに伝えていいものなのかどうか。
「あ、その、幽霊がどうとかいう話だったら栞は大丈夫だよ。――うん、聞いちゃっても大丈夫」
 それが自分に言い聞かせているように見えるのは、多分僕の不安の表れなんだろう。実際、確かに栞さんはその辺りの話でショックを受けるというようなイメージが無い(まあ、栞さんに限った話でもないけど)。栞さんが取り乱してしまうのは「幽霊云々」ではなく「僕云々」の話だしね。まあそれも、最近は段々と、だけど。
「――ああ、でもあんまり強くは言わないよ。困らせたいわけじゃないんだし」
 それはもう卑怯ってレベルの返しですよ栞さん。困った顔で「困らせたいわけじゃない」なんて言われたら、「こっちだって困らせたいわけじゃない」ってなもんですよ。
「いやいや、大丈夫ですよ。おでん食べながらのんびり聞いててください」
「あはは、そうだね。冷めちゃうしね」

 それから暫らくは僕の一方的なお喋りの時間となった。こちらの話に合わせて「うん、うん」と頷きながら夕食を口へ運ぶ栞さんへ、本日の昼食時に家守さんから言われた話を可能な限り聞いた通りに伝えた。
 話している最中、僕の話と栞さんの食事のどちらが先に終わるかと気にしたりもしたけど、
「ごちそうさまでした」
 話し始める前からある程度食べていた事もあってか、食事のほうが先でした。
 しかしそれはどうでもいいと言えばどうでもいい話。

 そして、今夜もまたお別れの時間。
「じゃあ、お邪魔しました。また明日ね」
「はい。すぐ隣ですけど、お気をつけてお帰りください」
「ふふ、うん。それじゃあ明日から頑張ってね、先輩さん」
「はい」
 この先輩というのは、今日から正式にここの住人となったナタリーさん、に対する最近ここの住人になった僕、という対比の下に付けられた愛称です。初めの話題である「昼食時に家守さんから言われた事」からなんやかんやあって、そんな話題になったわけで。まあ、この呼び名が使われるのは今日限りなんでしょうね。
 ちなみにその先輩が一体何を頑張るのかと言うと、後輩さんに可能な限り素早くここに馴染んでもらう、という点を頑張るんだそうです。具体的に何をするのかなんてのは一切会話内に出てきませんでした。
「それじゃあ、お休みなさい」
「お休みなさい、栞さん」
 先輩って言うと別に僕だけじゃないような気もするんだけど、別に言うまでもなく他のみんなだって自覚のあるなし関係無くナタリーさんの事は気にかかるだろうし、まあいいや。なんだかちょっと嬉しい響きだし。先輩。


「さて、それじゃ寝ますかね」
 栞さんが帰ってから更に暫らくの後。本日行うべき活動を全て終了させた僕は、自分以外誰もいない部屋の中央に立ち、腰に手を当ててこれから寝ますと宣言した。当然、意味なんかない。
 腰に当てた両手のうち右手だけを持ち上げてカコンカコンと室内灯を消し、消した直後であるが故その暗さに目が慣れていないので殆ど何も見えない中、いつも通りの場所に敷いてある布団へもそもそと潜り込む。
 ――寝ようとは言ったものの、だからと言って常に睡魔に襲われてるわけでも、横になると瞬時に眠れるという特技を持っているわけでもないので、当然目は瞑っていても意識はまだある。そして意識があるからにはやっぱり何か考えるわけで、じゃあ何を考えていたのかと言うと、焼きうどんを御馳走になっている時の家守さんの話なのでした。
『えー、おほん。それでは話させていただきます』
 そんなゆるーい切り出しから始まった今回の話。とてつもなく簡潔かつ簡素に纏めると、その内容は「今回お爺さんとお婆さんを呼んだように、幽霊さんとは会おうと思えば会える。だけど、それを気軽なものだとは思わないように」というものだった。もちろんこの話をされた時点ではまだお爺さんお婆さんは呼んでいなかったので、もうちょっと違う言い方ではあったけど。
 それを聞いた時は正直、「それくらいは言われなくても分かってます」と頭に浮かべたりもした。あの世から呼び出すなどという、ぶっ飛んでいると言っても差し支えのない話を前にしているんだから、そのくらいの自覚はありますよと。強がりでも何でもなく自然にそう思ったという事は、少なくとも僕の中では「そのくらいの自覚があるという自覚」がはっきりと存在していたんだろう。
 ――だけど今考えると、本当にそう言い切れただろうかとも思う。正確には今じゃなくてほんのちょっと前、さっき栞さんとしていた話の中で出てきた会話がきっかけでそう思ったんだけど。
『し、仕方ないよ。孝一くんは普段から料理してるんだし』
 僕は普段から料理をしている。それも必要だからしているというものではなく、料理が好きだから料理をしている。作っている時は楽しいし、自分で食べている時も楽しい。他の人と一緒に食べて、その人が喜んでくれたら尚更だ。――でも、僕はそればっかりになってしまった。
『そっか。じゃあ、栞も頑張らないとね。孝一くんに美味しいって言ってもらえるように』
『いつものお料理教室じゃなくて、その、孝一くんに食べてもらうための料理がしてみたいなって。て……手作りのお弁当とか、やってみたいなって』
 そればっかりになって、栞さんの気持ちに気付けなかった。
 家守さんの話は、これと似たようなものだ。僕が料理をしているように、家守さんは霊能者をやっている。霊能者と言うからにはもちろん、ただ幽霊が見えるだけの僕とは違って色々と不思議な力を持っている。
 でも家守さんは、僕が栞さんの気持ちに気付けなかったような失敗をしない。自分が持っている能力を中心に物事を考えたりしない。家守さんはいつも、こっちの「言われなくても分かってる」に合わせてくれる。でなければ、こっちが言われなくても分かってる事を――つまり霊能者でない人達が当然だと思っているような事を、言える筈がないのだ。僕が栞さんに言えなかったように。
 そのうえ、当たり前ながらただの料理好きと霊能者じゃあ話の規模が違う。「そうである人」と「そうでない人」の差が比較するのも申し訳無いくらいに大きく、という事は自分と周りの「当然」の差も、また大きくなる。だったら余計に難しい筈なのだ。「そうである」家守さんが、「そうでない」周りの人に合わせるのは。
 しかもそのうえ、「今回お爺さんとお婆さんを呼んだように、幽霊さんとは会おうと思えば会える。だけど、それを気軽なものだとは思わないように」。つまり、説教。霊能者の為す事を目の当たりにした僕が、そちら側の「当然」に踏み込んでしまわないように気を回してくれたという事になる。自分が間違ってしまわないようにするどころか他の人にまでその注意を促せるというのは、間違ってしまった僕からすれば凄い事だと言わざるを得ないだろう。
『つい最近まで孝一くんは幽霊がいるって事自体知らなかったんだもん。楓さんに影響されちゃうのも仕方ないし、楓さんからしたってその事は気になると思うよ。だからよくそういう話をするんだと思う』
 栞さんは、僕のこの意見に対してそう答えた。恐らくは間違えた間違えたと後ろ向き真っ盛りだった僕をフォローしようとしてくれたんだと思うし、事実、仕方ないと言ってもらえて、僕はいくらか気が安らいだ。
 しかし、今考えてみると。
 仕方ないと言い切れるという事は、もし栞さんが家守さんの立場だったら同じようにするという事だろうか。もちろん、頭で考え口で言うだけの話と実際に行動するという話とでは大きな差があるだろう。だけどもしそうだとしたなら――。
「……………」
 いったん目を開け、すぐ隣の壁へと目を遣る。このすぐ向こう側には、栞さんが寝ている。いや、もしかしたらまだ起きてるかもしれないけど。
「……いや、やっぱり止めとこう」
 言おうとした。だけど、あんまり恥ずかしい台詞だったので言えなかった。誰の目があるわけでもなし、誰の耳があるわけでもないのは分かっていたけど。
 そしてそれを誤魔化すために、別の話を持ち出してみる。


「あの、これは一体?」
「何がでありますか? ナタリー殿」
「いや、水槽……」
「ああ、これでありますか。自分達が日毎に体を交代するのはもう知ってると思うでありますが、木曜日はマリモなのであります。知ってるでありますか? マリモ」
「いえあの、――ごめんなさい」
「藻であります。植物の。水に浮いてたり沈んでたりするでありますので、体が入れ替わる前からこうして水に浸かっておくのであります」
「へえ、そうなんですか」
「――ところで、ちょっとナタリー殿に聞いておきたい事があるであります。できれば日付が変わる前に、自分の口で訊いておきたいであります」
「私……ですか? 何でしょう?」
「……もし気分を悪くするようならごめんなさいであります。先に謝っておくであります」
「は、はい。多分大丈夫だと思いますけど」
「ありがとうであります。えーと、それでは。――あの時ナタリー殿は、ここに住む事に決めた理由を『そういう場所が欲しいから』と言ったであります。そういう場所っていうのがどういう場所かは……まあ、気に入った場所だとか、好きな所だとか、簡単に言えばそういう意味なんだと思うでありますが」
「はい、そうです。ウェンズデーさんが羨ましかったから――って、二度言う事でもないですね。ごめんなさい、続けてください」
「ああいえ、見当違いの事を言っているわけではないようで良かったであります。それでその、ここから質問なのでありますが」
「はい」
「それなら爺殿婆殿に……あの、本当に、嫌だと思ったら答えてもらわなくてもいいでありますので」
「……大丈夫です。今のでなんとなく何を訊かれるのか分かった気もしますし、それでも全然嫌だとは思ってないですし」
「そ、そうでありますか。それじゃあ……えー、『そういう場所』が欲しいのなら、それこそ爺殿婆殿について行っても良かったと思うであります。爺殿婆殿なら、絶対に『そういう場所』になってくれるであります。と言うか、自分は今でも『そういう場所』だと思うであります。なのに、どうしてここへ?」
「お爺さんとお婆さんにはまた会えますから。あの時にも言った通り、私はウェンズデーさんが羨ましいんです。お爺さんお婆さんとこのあまくに荘、二つも居場所があるウェンズデーさんが。……欲張り、なんですかね?」
「ああ、いや、そんな事はないと思うであります。誰かと仲良くなったり誰かを好きになったりするのは、欲張りだとかそういう事じゃないと思うであります」
「そうですか。……ありがとうございますウェンズデーさん、来たばっかりの私の事をそんなに気に掛けてくれて」
「え? え、えっと……いや、お礼を言われるとは思っていなかったので、どう反応したらいいのか……」
「ふふ、それは失礼しました」


 ――今日から、ナタリーさんもここの住人になった。食べ物の話を聞いた限りじゃ僕の特技は役立てそうも無いけど、僕がここへ引っ越してきた時にみんながそうしてくれたように僕も頑張ってナタリーさんに良くしてあげようと思う。だってそれがあったから僕は今、口には出せなかったけど、遠慮も無しにあんな事を頭に浮かべられるまでになったんだから。

『あなたを好きになれて、良かった』

 ……さあ、そろそろ本格的に寝よう。


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