(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第三十一章 戸惑い 一

2009-11-18 20:51:37 | 新転地はお化け屋敷
 おはようございます。204号室住人、日向孝一です。
 本日は火曜日です。火曜日は、大学の講義が午前中だけで終わります。必要な単位数の中で講義の割り振りをしたんだからこうなってもそれは普通であって、なので僕だけが得をしているというわけではないのですが、しかしそれでも気分が軽やかです。気分だけでなく体まで軽やかな気がするのは、昨晩ぐっすりと眠れたからでしょうけど。
 というわけで、着替えやら朝食やらといった朝一連の工程を経て。
「はーい」
 こんな朝っぱらから部屋を訪れる人物がいれば、それは僕だということになるんでしょう。というわけで鳴らされた呼び鈴への返事の後、台所の窓に顔を覗かせた栞さんは、
「ちょっと待っててね、すぐ出るよ」
 呼び鈴を押したのが初めから僕だと分かっている様子で応対するでした。そりゃあ、僕だけでしょうしね。
 で、僕が来ると知っているわけですから、そのための準備も予め成されているわけです。「ちょっと待っててね」と言われはしても、全く待たされないのでした。

「まあ準備も何も、荷物なんてないんだしねー」
 道路を歩きながら今日もにこにこと上機嫌そうな栞さんは、両手をひらひらさせながらそう言います。
「こうくんが呼びに来るのを待ってるだけだよ、朝することなんて」
「着替えたり顔を洗ったりは……」
「え、それはわざわざ数に入れないでしょ? どこにも行かなくたってすることだし」
「ですよね」
 なんて、意味がないと言ってしまえばそれまでな会話をしつつ、しかしそれでもなんとなくいい気分になってしまえたりするのですが――だからこそ、これまたなんとなく。
「手、繋いでもいいですか?」
「あはは、何も言わずに繋いでくれたって構わないのに。こうくんだってそうでしょ?」
「ですね」
 栞さんと違って荷物があるとは言ってもそれはカバンが一つだけ。やっぱり片方の手は空いているので、そう言ってもらった以上は遠慮なく、差し出された手へ自分の手を重ねます。
 僕だって今更、栞さんと手を繋ぐことに躊躇があるわけではないのですが、しかしそれでもなんとなく尋ねてしまいました。尋ねてしまったと表現するくらいなので、自分でも以降はできるだけ控えようと思います。
 ――こうやってだんだんと二人での会話や行いが簡略化されていくんだろうな、なんて思ったりしないでもないのですが、しかしそれは特に宜しくないというようなものでもないのでしょう。なんせ僕、むしろ嬉しくらいですし。
 では、嬉しいついでにもう一つ。
「それで栞さん、今日も別の講義に行くんですか?」
「うん、そのつもり」
 少し前までは、それが広い教室であれば僕と同じ講義に紛れ込んでいた栞さん。本日火曜日でならば一限目がその広い教室にあたるのですがしかし、最近では取り決めによってその際も別の講義に出るようになったのです。
「……あれ? 流れ的にもしかして、そうじゃないって言ったほうが良かった?」
「いえそんな」
 繋がった手を軽く持ち上げながら首を傾げた栞さんに対し、即座にそう答えてはみましたが。
「――あー、そりゃあ、一緒にいてくれるっていうなら嬉しくもありますけどね。でも基本的には栞さんの好きな所へ行ってもらったほうが」
「基本的じゃなくなった時は、遠慮せずにそう言ってね?」
「はい、そりゃもう本当に遠慮なく」
 こっちのほうだけ自信たっぷりな自分にちょっとだけ笑いそうになったりもしましたが、そして栞さんは笑いましたが、しかしまあ実際、こんなものなんでしょう。
 自分の都合を通したいと思うのは当然ですが、相手の都合を通すかどうかとなると、最低でもその頭に「最大限」と付くんでしょうし。わざわざそう言うからには、やっぱりちょっと不安な部分だってあるわけですよ、そりゃ。
 しかしまあ何にせよ、そのうえで僕と栞さんは上手くいってるんだと思います。自分で言うのもなんですけど。

「おっす、おはようさん」
「おはよう、明くん」
 起きていなければならない時だけ起きていられない男こと、日永明くん。火曜日は一、二限ともに同じ講義ということで、今日もその隣の席に並ばせていただきます。
「あれ、喜坂さんは?」
 いつもなら三人並ぶところに二人だけということで、まだ起きていなければならない時ではない以上しっかり起きている明くんは、即座にそのことに気が付くのでした。
「別の講義に混ざりに行ったよ。ちょっと、そういった取り決めがあってね」
「取り決め?」
 どことなくしかめっ面っぽくなる明くん。わざわざ別行動をとる取り決めとなると、やっぱり初めはそういうふうに聞こえてしまうのかもしれません。
 ならば、説明です。
「――ふーん。でもそれってわざわざ意識的にやらなくても、勝手にそうなっていくもんだと思うぞ? どんだけ相手のことを好きだっつっても、やっぱ付き合い始めた頃と同じままってわけにはいかんだろうし」
 恋人だからといってあんまりベッタリし過ぎるのもどうか、ということである程度それを抑えているという話。明くんはそんな反応なのでした。
「そうなんだろうけどね。でも僕と栞さん、部屋が隣同士ってことで、一緒にいられる機会が多い――多過ぎるくらいだからさ。下手したら本当に一日中一緒にいたりするし」
「へえ、そこまでだっつうならまあ分からんでもないか。……俺も似たようなこと考えたしな、前に」
「そうなの? ってことはやっぱり、岩白さんとのことで?」
 訊いてはみますが、訊くまでもなくそうなのでしょう。明くんの恋人であるところの岩白センさん。先端を赤いリボンで括った非常に長い黒髪と、とても同い年とは思えない非常に低い身長を併せ持つ、なんとも元気なお嬢さんです。とは言え、あまり会う機会というものはないんですけども。
「ああ。ぶっちゃけ、一時期あいつが俺の家に住んでたんだよ。その家ってのは今はもう引き払った後だし、あいつもちゃんと自分の家――岩白神社に住んでるけどな」
「……それはまた」
 何をどうすればそういう状況になるのか、と思ったのはもちろん明くんの家に岩白さんが住んでいたという部分についてですが、その家をもう引き払っただとか実家が神社だとかいうのも、注目してみれば割と話題性がありそうな感じです。まあ、神社が実家だというのは以前に知る機会があったわけですけど。
「訊きたいことはあるだろうけど、いろいろあったんだよこれが」
「つまりは訊いてくれるなと?」
「そこまでは言わんけど、まあそんな感じではあるな。そっちだって何もないわけじゃないだろ? 馴れ初めとかその辺りはやっぱ」
「まあ、ね」
 今ではむしろ気にかけることが可笑しいというまでのレベルになりつつありますが、それでもやっぱり僕の恋人は幽霊です。何もなかったかと言われれば、そんなわけがないのです。
「何にせよ、喜坂さんと上手くいっててのことなら問題ないな。ちょいと寂しいけど」
「あらやだ明くん」
「いや、別にそんな色気づいたアレじゃなくてだな。いっつも三人きっちり座ってたのに一人分空きがあると、なんかな。だからっつって男とくっ付きたいとは思わんし」
 微妙に失礼を働かれたような気がしないでもないですが、しかし同意でもあります。
 三人掛けのこの机、いつもは僕と明くんで栞さんを挟むという座り方だったのですが、栞さんがいないからといって僕がその代わりをしたとなると、なんとも不自然な席の取り方になってしまうわけです。席が混んでるとかならいざ知らず、そんなに詰めなくてもいいじゃない、という。
 だもんで今もこうして真ん中の席を空けて座っているのですが、そんなところへ。
「おはよう、日向くんに日永くん」
「おはようございます……」
 二人の女性が声を掛けてきたのでした。
「ん? ああそっか、同じ教室でしたよね」
「おはようございます、異原さんに音無さん」
 明くんがこの二人と知り合ったのは、ぴったり一週間前の火曜日。なので講義開始前から知り合いとして顔を合わせるのは、これが初めてだったりします。
「前の席、構わないかしら」
「ああどうぞどうぞ。俺ら二人だけなんで」
 知り合って間もないということでやや気が張っているのかもしれません。明くん、返事が素早いのでした。
「じゃあ、お邪魔します」
 というわけで、栞さんが抜けて男二人になったと思ったら女子が二名追加されました。もちろん僕と明くんの間に座ってもらえまではしませんが、それはどうこう言うようなことでもないでしょう。
 これはこれで賑やかそうでいいことだ、と多少なりともほくほくしていたところ、座ったばかりの音無さんが不安そうな声。
「……あの……二人だけって、喜坂さんは……一緒じゃないんですか……?」
「ああ、ここにはいないけど――それもそうね、先週は確か一緒だったわよね?」
 この四人の中で幽霊を見ることができないのは音無さん一人だけという、あまくに荘以外ではかなり珍しいであろう状況。だからこその音無さんの不安そうな声だったんでしょうけど、実際にその通りで、この場に栞さんはいらっしゃいません。
 そして、明くんにしたものと同じ説明をまたしても、です。
「――はー、そういうこともあるわけなのねえ。あたしも気を付けないと」
「由依さん……気にするほどベッタリできてるんですか……?」
「何気に痛いとこ突くわね静音」
 今回はこんな反応でした。
 できてるのかできてないのかを考えると、失礼ながらできてないんだろうなと。考えるまでもなく今の反応で丸分かりですけど。――ですけども、そういえば。
「異原さんも音無さんも、昨日はあの後どうなったんですか?」
「あ、あの後?」
「え……えーっと……」
 尋ねるや否や面白そうな展開を予感させる反応が返ってきましたが、まあその前に。
「昨日って、なんかあったのか?」
 昨日の事情など知る筈もない明くんへ、これまた説明です。
「――それで今の反応なら、まあ、何かあったんだろうな。異原さんも音無さんも」
 そろそろ講義も始まるということであんまり詳しく説明する暇もなさそうなので、昨日あまくに荘に集まってそれぞれの恋路を語った、とそれだけを伝えました。
 説明を終えてみれば明くんも僕と同じ感想を持ったようなのですが、
「甘く見てもらっちゃ困るわね日永くん。何もなくてもテンパるわよあたしは」
「そういうことならむしろ、辛く見てもらってるんじゃあ……」
 確かにそうなのかもしれませんが、という音無さんの突っ込みはさておき、何もなかったというのはちょっと考えにくいような気がします。例えばその時の異原さんに何をする気が無かったとしても、話題を持ち出しただけで動揺するくらいなら、その動揺に合わせてちょっとした出来事の一つや二つはありそうなものですし。……まあ、実際には何もないことのほうが多いってことは分かってますけどね、そりゃ。
「んで、実際はどうだったんですか?」
 寄り道なしにズバリと問い質す明くん。楽しそうです。一方で少なくとも楽しそうには見えない異原さんですが、
「……う」
 う。
「腕組んだ……」
「おめでとうございます」
「ありがとうございます……」
 頬どころかおでこまで真っ赤にしながら言うことですか、なんて思ってしまうのは、僕がそういったものにある程度の慣れを獲得したからなのでしょう。そしてにこやかに賛辞を送る明くんは、そんな僕よりもうちょっと先にいるのでしょう。
「手を繋いだことはあったのよ? 手くらいは、そりゃ。その時だって繋いでたし。でもほら、もうちょっと何かできないかなーなんて思っちゃったわけだわよ話してるうちに。分かるでしょ? それで、思い切って腕を」
 誰が責め立てたわけでもないのに、いきなり弁解のようなものを始める異原さん。よっぽどだったようです、いろいろと。
「ああ、いいですねえそういうの」
 ここで明くん、何やら羨むような嘆息とともに。
「俺にも彼女いるんですけど、全くないんですよ、今の異原さんが言ったような躊躇いとか。そういうところが好きでもあるんですけど、でもやっぱり憧れますねえ」
 なんだかさらりと流すようにお惚気が混じったような気もしますが、そこは言及しますまい。なんせ話の主題がそこにないのは明白で、つまり明くんからすれば惚気なんかじゃなくただの説明だったんでしょうし。
 というわけで、
「あ、憧れられても、困っちゃうっていうか……うう、あたしも好きでこんななんじゃないんだけど……」
「それじゃあ音無さん、良かったらそっちの話も」
 言わせるだけ言わせておいてスルーとは明くん、割かし意地悪なほうなのかもしれません。となれば異原さんもそれなりにむくれてみせるのですが、どうやらそのおかげで落ち着きを取り戻したようではありました。
 むくれているとは言っても本気で腹を立てたというほどでもないようで、つまりは上手いさじ加減だったんでしょう。明くんにそういう調節をしたという意識があるかどうかはともかくとして、ですが。
「わ、私はあの後……その、哲くんと、ご飯を食べに……」
「えええっ!?」
 という大声とともに、ここでチャイムがキンコンカンコンと。よほど生真面目な先生が担当でもないかぎりはチャイムが鳴ってすぐに講義が開始するというわけでない、というのは学生の常識ですが、しかし何にせよ一限目のお時間です。
「あ、あんた達、もうそんなに」
「そそそそんなにって何ですか……! ご飯を食べる以外には何も――!……あ、いえ、その前に哲くんには私の家に来てもらいましたけど、でもそれくらいで……」
 と言い返された異原さん、口が綺麗にぱかーんと開いたまま硬直してしまいました。そこまでのことですかと再度言いたくなりますがしかし、大声出しちゃうよりはまだこのほうがマシですよね。
「家でどうだったとかいろいろ質問してみたいけど、女の人が相手だとちょっとなあ。ってわけで、俺の質問はこのへんで。もう講義も始まるだろうし」
 引き際も見事な明くんなのでした。
 ちょっと面白かったから、ありがとう。多分このあと寝ちゃうんだろうし、そうさせないように頑張るのは僕なんだろうけど。

 教壇に立つ先生が腕時計へちらりと目を遣り、「今日はこのくらいに」とこちらに嬉しい言葉を発したその時、ふと思い付くことがあって僕は隣へ目を遣りました。
「明くん、起きて起きて」
「寝てねえっ……いや悪い、寝てたよな。何言ってんだ俺」
 今回の明くん、目を覚ましながら寝ていたことを否定するというテクニカルなお目覚めなのでした。うつらうつらとしながらもギリギリ寝ていなかった、というような事例もあるのですが、そのうつらうつらすらなく体がピタリと停止していたので間違いなくアウトだったのでしょう。
「ごめんね、ちょっと気付くのが遅れたよ」
「いや、まあ孝一が謝ることじゃねえけどさ。寝てるのは俺なんだし」
 僕の役目は明くんを起こすことですが、もうちょっと正確に言えば「明くんが寝てしまわないように注意する」であって、声を掛けるのならばそれはうつらうつらしている段階。つまり、本当に寝入ってから声を掛けたのではやや手遅れなのです。
「……でも、ノート見せてくれ」
「はい。頑張ってね」
 たった今書き終わったところなノートを手渡しながら、努めてニコリと微笑む僕。相変わらずではあるけど、なんともまあ――
「講義を聞く気はあるのに寝てしまうって、大変そうねえ」
「ですねえ……」
 一つ前の列に座るお二人、僕と全く同じ感想を口にします。口にする、というのが慣れた者とそうでない者の差なんでしょうね、きっと。
 ちなみにですが、今回僕の仕事が遅れた理由は、それが全てとまでは言わないもののこのお二人にあるのです。――いや、それだとちょっと語弊があって、結局は僕が原因なんですけど。
 えーとつまり、眺め入っちゃってたわけですね。後頭部を、と言うとなんだか妙な趣味があるように聞こえないでもないですけど、後ろに座ってた以上はそりゃあ、後頭部を、です。特に音無さんは昔想いを寄せていた相手ということもあって、その当時のときめきを僅かながら思い起こすようでした。まあ、髪型はまるで違うんですけど。
 それはともかく、明くんがノートを写す作業を開始。自分が招いたものではあっても、この状況に愚痴一つ溢さないというのは割と見上げたものなんじゃないでしょうか。
「でも日永くん、この休み時間だけで書くつもり? 大変じゃないかしら」
「ああいえ、さすがに最初から最後まで寝てたってわけでもないですし。最後のほうのちょっとだけですよ。それに、孝一とは次の教室も一緒なんで」
「あらそうなの? じゃあ、日向くんは次の時間も日永くんの目覚ましなのね?」
「いやあ、悪いとは思ってるんですけどね……」
 手は忙しそうにしながらも苦笑する明くんでしたが、異原さんは楽しそうでした。もしかしたら講義が始まるちょっと前にあった意地悪への仕返しだったりするのかもしれませんが、ならばそれはそれで良い展開なのでしょう。心配していたわけではありませんが、明くんと異原さん達は知り合ったばかりみたいなものなんですしね。

「明くん、起きて起きて」
「……今度こそ寝てねえぞ……」
 そのようですが、いっそ寝ていたほうが良かったんじゃないかというくらい重苦しい声なのでした。まあ、寝かせなかったのは僕ですけどね。今回は眺め入る対象もいなかったわけですし。
「その証拠に、一限目の書き写しもひっそり終えておいた……」
 隣の席に座っててひっそりも何もあったもんじゃありませんし、ならばもちろん僕はそれに気付いていたのですが、そんな野暮なことを言うべき場面ではないのでしょう。「お疲れ様でした」と労いの言葉を掛けるだけに止めておきました。
 そして同時に、これにて本日の学生活動は終了となります。あとは家に帰ってゆっくりまったりするなり、暇を使って栞さんと出掛けてみたりするなり、いずれにしても気楽で楽しい時間がやってくるのです。
 ぐったりな明くんの前だと嬉しそうな顔はし辛いものがあり、なので控えてはおきましたけど。

「へえ。異原さんも音無さんも、嬉しかっただろうねえ」
「でしょうねえ」
 校門で待っていた栞さんと合流し、そこからの短い家路。話題にすべきと言えばやはり、昨日の異原さんと音無さんのその後です。
「腕を組むのと、家に呼んでご飯を食べに出掛けた、かあ。栞はもうどれも――ん? そういえば、腕を組んだことってあったっけ。手は時々繋ぐけど」
「ああ、そういえばどうでしょうね?」
 程度で表すようなものではないんでしょうけど、腕を組む以上のことはいろいろとしています。毎晩のように手料理を振舞ったりとか、その他もろもろ。もろもろの比重が大き過ぎるというセルフ突っ込みは控えておきますけど。
 で、腕を組む以上のことをしているとはいえ、それが腕を組むことの代わりにはならないわけです。いえまあ今のところ、本当に組んだことが無いのかどうかはっきりしない、という段階でしかありませんけど。
「というわけでこうくん、腕を組んでみてもいいかな」
「何も言わずに組んでくれたって構いませんよ。栞さんだってそうでしょう?」
「あはは、そうだよね」
 というわけで腕を組むのですが、元から短い家路も短いが故に既に半ば。組んでいる時間は二分かそこらなのでしょう、あまくに荘に着いて以降もくっ付いたままとかでなければ。
 そんな不自然な状況をすら「それも悪くないかな」なんて思ってみたりしていたところ、
「……あの、栞さん」
「ん? どうかした?」
 腕を組み、なので必然的に距離が近くなった栞さんの顔は、単純にその言葉通りの表情。ならばまあ、意識してそうしているというわけでもないということなので、
「いや、せっかくこうして腕組んでももう目的地がすぐそこですねって」
「あはは、そういえばそうだね」
 下手なことを言って栞さんの興を削いでしまうのも勿体無いので、誤魔化しておきました。
 ――何を誤魔化したって、腕が感じ取っている柔らかい感触をです。栞さんに引き寄せられた腕はちょっとだけ引き寄せられ過ぎているようで、まあその、押し付けるというほどではないですけど、当たっているのですそういった部位に。なのですが、それを異常だと認識したのは僕だけだったようです。それはそれでちょっと恥ずかしかったりも。
 ……まさか、異原さん。
 いやまさかねえ。
「うーん、やっぱり腕を組むのはこれが初めてかな? この感じに覚えがないし」
「でしょうね。僕もそう思います」

 今更こんなに意識することでもないんでしょうけど、それでも意識してしまいます。だって男なんですもの。
 というわけで、高確率で初体験だった腕を組むという体験も済まし、あっという間の我が家への到着。その形態からして我が家と言うより我らが家と言ったほうが正しいのですが、まあなんと語呂の悪い。
「それじゃあ、お仕事行ってきます」
「お疲れ様です」
 自分の部屋へ戻るよりも前に階段横の物置へ直行する栞さん。そんな仕事熱心、というか仕事好きな彼女を横目に、僕は自分の部屋へ戻って昼食です。
「あはは、毎日やってるとお疲れって程でもないんだけど――そうだ、今日は空き部屋の掃除もしちゃおうかな。201号室も空き部屋になったし、遣り甲斐があるよ」
「重ね重ね、お疲れ様です」
 空き部屋が増えてからの空き部屋掃除はこれが初めてというわけではないのですが、しかしそんなふうに言いながら嬉しそうな栞さん。本音を言えば僕もそれを手伝ってみたいという部分があるにはあるのですが、でもそれは控えるべきなのでしょう。尊重すべきは僕の思い付きより栞さんの仕事に対するスタンスです。
「じゃあ、また後でね」
「はい」
 そして僕は自分の部屋へ足を向けます。普段なら掃除をしている栞さんの傍で話し相手になったりする場合もあるのですが、仕事の範囲が広い今回は見送りです。長引くのならあまり作業の効率を下げるのも悪いですしね。

 さて、やや時間は飛んで会話相手のいない昼食後。そんなふうに表現するからにはちょっと寂しいような気がしなかったというわけでもないのですが、それはともかく。
 ピンポーン、とチャイムが鳴ります。それが誰かと考えれば、まあ栞さんなのでしょう。空き部屋掃除に使う掃除機の音も少し前に鳴り止みましたし。
「はーい」
「ちょっとオレの部屋来ねえか?」
 大吾でした。
「……なんで目ん玉見開いてんだよ」
 そりゃあ驚いたからだとも。全く予想の範囲外だったし。
「まあまあ。それでえーと、大吾の部屋に? 散歩のお誘いじゃなくて?」
「ああ。チューズデーと食ういつもの刺身だけど、なんか魚が安かったみてえでな。多めに買ったからオマエ等も呼んで食おうってことになった」
「そういうことなら遠慮なくお呼ばれさせてもらいます。もうご飯食べた後だけどね」
「刺身だけじゃあ昼飯代わりってわけにゃいかねえだろうし、いいんじゃねえか? それに多めに買ったっつっても、食う量としてはちょっと摘む程度だぞ多分」
 それはごもっとも。まあ、そうでなくてもご馳走になる気は満々だけどね。
「で、お前等ってことは栞さんもなの?」
「清さんもな」
 ほほう、清さん今日は出掛けてなかったのか。ってことはナタリーさんとジョンだけほったらかしってこともないんだろうし、つまり家守さん夫妻以外は全員集合だね。


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