(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第十章 伸びない髪 七

2008-01-25 21:00:51 | 新転地はお化け屋敷
「言われた冗談にそのまま体当たりするから一々腹を立てるのだ。どうしてそんな冗談を言われるのか一度よく考えてみろ」
「どーせオレが馬鹿だからだってんだろ? 考えるまでもねーよどいつもこいつもワンパターンなくせに」
「順序が逆だ。考えないから馬鹿なのだよ」
 ――そこでもう、さじを投げた。この話終わり。これ以上広がらねえ。はいはい馬鹿馬鹿。


 それからも暫らくオレの話やら、なんでもない世間話やら、料理の話やら、たまに話題が逸れてやっぱりオレの話になったりやらで、孝一と庄子の初顔合せは他のヤツも交えて取り敢えずすんなり進む。その途中、庄子が携帯で家に連絡を入れようと台所に出たりしつつ、
「それじゃあ、お邪魔しました」
「いってらっしゃーい」
 すんなり進んだ顔合せはすんなり終わり、喜坂の声に見送られて庄子が帰る――のではなく、その前にいったん清サンの部屋へ行く事に。もちろん、サーズデイの絵を掻いてもらうためにだ。
 今の時刻は七時ちょい前。ほいほい上がらせてもらうのは遠慮しときたくなるような時間だけど、一月に一度だしな。……それに清サンの場合、頼んだら喜んで絵ぇ描き始めるだろうし。
「いってらっしゃい、成美さん。あとお兄ちゃんも」
「殴るぞ」
 この部屋に残るらしい孝一も、部屋を出て行くオレ等に声を掛けてくる。別れ際だしいっそ本当に殴ってやろうか?
「ほれ、行くぞお兄ちゃん」
「……………」
 全く年下を演じる気がねえ(しかも実際に年下のくせに、だ)その口調に、孝一を殴ろうかという気は一瞬で萎えさせられた。ので、
「じゃあな」
 萎えた気分を隠さず、吐き捨てるようにそう言い残して部屋を出た。するとこの部屋の主が、
「うん。またね、お兄ちゃん」
 ……テメエはこの中で最年長だろうがよ。


「さて孝一くん、どうだった? 庄子ちゃんと会ってみて」
「そうですねえ。大吾の妹とは思えないくらいゆったり話ができる人でした。説明し辛いんですけど、『茶々を入れようとさせない』って感じですかね?」
「あはは。分かるけど、分かっちゃうと大吾くんに悪い気がするなあ」
「ですよね。それと、庄子ちゃんはみんなの事が見えてない――んでしたよね? でも、とてもそうは思えないくらい普通に溶け込んでたって言うか。……まあ、その事は会う前に栞さんから聞いてたんですけど」
「だよね。栞も、そこにはいっつも感心させられるよ」
「……でも、最初からそうだったってわけじゃないですよね?」
「ん? そりゃ、まあね」
「と言うか、庄子ちゃんは始め、どうやって大吾がここにいるって気付いたんでしょうか?」
「ああ。それはね、大吾くんがジョンと――あの時は何曜日だったかな…………まあいいや。とにかくいつもの散歩に行ってて、ずっとお喋りしてたんだって。それを庄子ちゃんが聞いちゃって、後ろからジョンについて来て、で、着いた先がここだった」
「なるほど」
「それで、ここの『お化け屋敷』の噂は庄子ちゃんも知ってたから、駄目元で呼んでみたんだって。大吾くんをいつもの呼び方で」
「そしたら大吾が返事をしたと」
「うん。呼ばれるまで全然、後尾けられてるの気付かなかったんだって。ジョンは耳がいいから気付いてただろうけど、庄子ちゃんの顔は知らなかっただろうしね」
「耳がいいって言ったら、成美さんはその時いなかったんですか?」
「んー、まだ成美ちゃんがここに住んでなかった頃の話なんだよ」
「と言う事は、えっと……一年以上前、って事ですか」
「うん。もうちょっと付け足すと、大吾くんがここに住むようになって二ヵ月後くらいかな」


「私にサーズデイの似顔絵を描いて欲しいと? ふむ、構いませんが……」
 時間帯の事なんか全く気にしないようにオレ等三人を部屋に上げてくれた清サンは、居間へ向かうまでの短い廊下でされた庄子の話に、言葉の切れ目を濁らせた。
 するとそこで庄子が、後ろ手に隠していたサーズデイ入りのビンを清サンに突き付ける。
「じゃーん!」
 清サンに突き付けたっつっても方向がやや右にずれてるが、それはまあ、毎度ながら仕方がない。
「おお、これはこれは」
 やや右――つまり清サンからすりゃやや左。わざわざ突っ込む事もなくそっちを向いた清サンは、目は糸のまま眉毛だけを持ち上げる。そして次にその口が――
「ほうほうなるほどサーズデイがオシャレに興味があったとはつまりこの帽子姿を庄子さんは私の絵を通してみて見たいというわけですねんっふっふっふただの趣味でしかないわたしの絵が庄子さんのお役に立てるのなら喜んで描かせていただきましょうええそりゃあ絵の具ででも色鉛筆ででも何枚でもどんな大きさでも」
「あ、色鉛筆で小さいので一枚でお願いします。ちょっとその、あんまり遅くなると親が……」
「了解しました」
 庄子に口を挟まれても勢いは死なず、やや早口のままそう言って首を縦に振ると、居間で立ち止まらずにそのまま私室へ進んでいく清サン。開けられたふすまの隙間から覗くその私室は相変わらず薄暗くて、ただ何かがいろいろと置いてあるって事だけが分かる。
「いつも思うけど、あの奥って何があるんだろうね?」
「なんでもあるんじゃねーか?」
「納得できてしまうのが怖いな……」
「こくこく」
 清サンが入って閉じられるふすまを眺めながら、四人揃ってよくある会話。直後、電気を点ける時の「カコン」って音が短く聞こえてくる。
 ――オレはあっちの部屋に入った事がねえし、多分他の誰も入った事ねえんだろう。常にカーテンが閉まってて昼間でも暗い上に窓からも覗けないあの部屋は、そんな装いのせいか清サンが言ったわけでもねーのになんとなく進入禁止って事になってるんだよな。暗黙の了解ってヤツか?
 全員でその私室をチラ見した後、やっぱり今回も中を覗き込もうとするヤツはいなくて、結局そのままテーブルにつく。
 すると再び「カコカコカコン」と今度は電気を消す音がして、それからふすまが開く。出てくるのはもちろん清サンで、その手には小学生が持ってそうな色鉛筆セットとまっさらな紙が一枚。
 あんだけ物がある部屋でよくこんなに早く必要な物が見つけられますね清サン。
「それでは時間も無いという事なので、さっそく始めましょうか。よろしくお願いしますよ、サーズデイ」
「にこっ」
 テーブルの開いてる所に膝をつきながらサーズデイに声を掛け、その言葉通りさっそく取り掛かり始める。まず最初に色鉛筆セットから取り出されたのは、色鉛筆でなくただの鉛筆だった。白い紙にさらさらと止まる事なく描き足されていくその線を見る限り、どうやら濃さはかなり薄いらしい。
「なあ、楽」
「なんでしょうか? 哀沢さん」
 呼びかけたヤツの顔をちらりとだけ見上げ、次の瞬間にはもう目が手元に行ってる清サン。時間が無いという事を気にしているのか、それとも普段からこうなのか?
 そう言えば清サンが描いた絵は何度か見てきたけど、描いてる所を直接見る事はそんなになかったと思う。……にしても、手の動き早えな。
「ふと思ったんだが……その、今描いてるところ、黒の色鉛筆では駄目なものなのか? わざわざその鉛筆を一緒に色鉛筆の箱へ入れていたし」
 訊かれた清サン、視線を手元とサーズデイの間で行ったり来たりさせながら、そして手も休まず動かしながら、
「ええ。私が今描いている部分――全体の輪郭は、本当は有り得ない線ですだからあまり目立たない方がいいのですが色鉛筆の黒は濃いんですよつまり目立ってしまうんですよねすると出来上がりが硬い印象になってしまうんです」
 一気に答える。
「と偉そうに言ってみても私は本格的な絵の勉強をしたわけではないですし持論でしかないのですが色付けに色鉛筆を使う場合はやはりその淡さから来る柔らかさを出したいのですよんっふっふっふなので絵の具ならまだしも色鉛筆で輪郭を濃くしてしまうのはいただけないですねえせっかく付けた色を喰ってしまいますから」
 更に続いた説明はここで一旦、一呼吸。そして薄い鉛筆を色鉛筆の箱に戻しながら、
「――と、いう事です」
 最後に質問者へ顔を向ける。
「な、なるほど」
 相手が気圧され気味に首を縦に振るのを見て、いつもの一笑い。そして今度はその絵のモデルへと。
「もう動いても大丈夫ですよサーズデイ。あとは色付けだけです」
 早え。
「ぷふぃ……」
 見てる側からすりゃああっと言う間の時間だったが、モデルはやっぱり疲れるらしい。溜息に合わせて体をやや潰れさせると、そのまま前転。顔をビンの底に押し付ける格好に。
「…………これは、寝たな」
「え、寝ちゃったの?」
 パッと見息ができなさそうなその様子からサーズデイの様子を判断すると、「その様子」を見る事ができない庄子がやや残念そうに顔をしかめさせる。
「うむ。今日一日付き合わせてしまったからな。お疲れ様、サーズデイ」
「そっかぁ。今日はありがとうね、サーズデイ」
「くぅ……くぅ……」


 それからあんまり時間も経たないうちに色付けも終了。
 やっぱり凄えとしか言い様のねえ本物そっくりな絵が描かれたその紙を清サンから受け取って、ひとしきり礼と「可愛い」を繰り返し、ついでにビンとその絵を何度も見比べた庄子は今、
「じゃあ、絵、ありがとうございました」
 玄関で清サンにぺこりと頭を下げている。
「いえいえ、喜んでいただけたようで何よりです。――それでは、また今度」
「はい。お邪魔しました」


 庄子と一緒にオレ等も清サンにぺこりと頭を下げ、一緒に出てきて正門前。もうとっくに空は真っ暗だ。
「じゃあまた来月な、庄子。今日は楽しかったよ」
「あ、成美さん」
 見送るだけ見送って話も聞かずに一人離脱。庄子も庄子で、呼びかけても庭の土を踏みしめる音が止まらなかったからか、その背中に手を伸ばすが途中で諦めてゆるゆると引っ込める。アイツ、返事ぐらい聞いていけばいいのによ。
 なら代わりに呼び止めたほうがいいのかどうかと、遠くなっていく背中を眺めながら考えてみる。すると庄子が、控えめに話し掛けてきた。
「えっと……あのね、兄ちゃん。今、成美さんが言ってた事なんだけど……」
「なんだよ?」
 アイツの話って事はやっぱ呼んだほうがいいのか? とも思ったが、どうもそうではないらしい。オレを呼んだからにはオレに話があるようで、口調に合わせた控えめな表情をまっすぐこっちに向けていた。
「ここに来るのは一月に一回だけっていうルール、無しにしちゃ駄目かな?」
 ……何をモソモソ言い出すかと思ったら、急にそんな話か。
「駄目に決まってんだろが。むしろなんで今更無しにできるんだよ」
 ――このルールは、庄子が始めてここに来た日に二人で話し合って決めたもんだ。つっても、文句垂れるコイツに無理矢理押し付けたような形ではあったけどな。
 そんな事を思い出しながら、余計に沈んだ表情の庄子に付け加える。
「別にここの評判が良くなったわけでもねーだろ?」
 これが、そのルールを決めた理由。ここは周りから良くねえ評判を押し付けられちまってるんだよな。……まあ、良くねえ評判っつっても事実なんだけど。
 自分の家として住んでる孝一ならまだしも、こんな所に頻繁に来てるようなヤツはどう考えても気味悪がられる。ルールを決めようとした時のコイツは「そんなの気にしなけりゃいいじゃん」とかガキっぽい事言ってたが、オレにはもう、それで済まされるような問題じゃねえって事がなんとなく分かってた。だから、嫌がるコイツの意見は無視してこのルールを押し通した。
「そ、そうなんだけど」
 今ではコイツだって分かってるもんだと思ってたが、今になって急にどうしたんだ?
「ほら、栞さんの彼氏――日向さんがいるじゃん。幽霊じゃなくて、誰からでも見える普通の人じゃん。だからさ、日向さんと友達になったって事にすれば、ちょくちょく遊びに来ても変じゃないでしょ?」
「そりゃ、確かにそうだろうけどよ」
 けど、んなもん話の上でしかねえ。オマエを怪しんだヤツ全員にその説明すんのか? そもそも、どこの誰に怪しまれてんのかはどうやって見分ける? 人の噂が広まるのなんてあっと言う間だ。広まるのより早く治められるか? そんなの、絶対無理だ。
 ――そんくらい、オマエも分かってんじゃねーのか? オマエが馬鹿馬鹿言いまくってるオレですら分かってるんだぞ? つーか、なんで……
「……なんでそんな、ここに来たがるんだよ?」


「孝一くん、覚えてる?」
「何をですか?」
「孝一くんと庄子ちゃんにからかわれて怒った大吾くんに、どうしてからかわれるのか怒らないでちゃんと考えてみてって成美ちゃんが言ったの」
「ああ、言ってました言ってました」
「あれって結局、どうしてからかわれるんだと思う?」
「……大体見当ついてるような顔してますね。栞さんはどう思ってるんですか?」
「ズバリ、からかう人が大吾くんを好きだから。無理矢理大吾くんに責任があるような言い方にしたら、『からかってくるような人と仲良くなっちゃったから』かな?」
「まあ、そんなところでしょうね。大吾は俺が馬鹿だからだろー、みたいにふてくされてましたけど」
「庄子ちゃんも成美ちゃんも大吾くんの事、大好きだからねー」
「なんと言っても妹と彼女ですからねえ。まあ、『好き』の種類は違うでしょうけど」
「大吾くんも同じくらい成美ちゃんと庄子ちゃんの事……ってあれ。もう外真っ暗だね。そろそろ帰ってくるかな? 楓さん」
「もうそんな時間ですか。……あ、そうだ。本日のメニューはカツ丼を予定してますので」
「んー、今日は簡単そうかな?」
「おや、強気発言ですか。今回は自分の分を自分で作る方式でいきますよ? 失敗しても自分で食べてもらいますよ?」
「あっ、前言撤回」


 ――その一言で、庄子の雰囲気が一変した。伏せがちだった眉毛とまぶたは思い切り持ち上げられ、見えてない筈のオレをまっすぐ睨み付け、しかもギリギリ気付ける程度に体全体が震えてるように見える。
 その変化が何を表してるのか分からなくて、オレは一瞬、口がきけなくなる。その間に庄子の目は据わっていき、明らかに怒ってるような目に。
「なんで? なんであたしがここに来たがるかって?」
 そして、震えた声で静かにそう言う。その間も庄子の体は声と同じく震えていて、そのまま数秒、オレと庄子は、庄子の体の震えを除いて一切動かなくなる。
 やがて――と言ってもその間は殆ど一瞬だったかもしれねえが、とにかく庄子の震えが止まり、それと同時に、
「そんなの決まってるじゃんか! ここのみんなに! 兄ちゃんに! 会いたいからに決まってるじゃんか!」
「――っ!」
「馬っ鹿じゃないの!? こんくらい、言われなくても分かってよ! 家族なんだよ!? 兄妹なんだよ!? なんで、なんでそんな事――!」
「声でけえよ!」
 ……庄子の口を塞ぐのが若干遅れたのは、痛い所を突かれたって事なんだろうな。
 あー、やっぱ馬鹿だわオレ。


 辺りがシンと静まり返って暫らく、オレが口を離しても庄子はそれ以上何も喋らない。そしてオレも、何も言えなかった。
 庄子の吊り上がった両目の下まぶた辺りがチラついて見える。薄暗くてよくは見えねーけど、どうやらオレはコイツを泣かせてしまったらしい。
「……………」
 それでもやっぱり――いや、むしろそれを見て余計にどう声を掛けていいのか分からなくなって、更に静かな時間は続く。
 それがどれくらい続いたか、どこか二階のドアと窓が開く音を聞いて、オレはそっちを見上げた。すると203号室の台所の窓が開いていて、ドアが開いてるのは201号室。となると、そのドアから出てくるのはもちろんアイツだ。耳は引っ込めたみてーが。
 さっきまでより随分と小さくなったソイツは小走りで階段を駆け下りてきて、ペタペタとサンダルを鳴らしながらオレと庄子のすぐ側へやってくる。するとソイツが何かを言うより前に庄子が、
「成美さん。よくこんな馬鹿の事、好きになりましたね」
 涙を手で払いながらそう言った。もちろん耳を出してねえその相手は、庄子からすりゃ見えてねえんだが。
「はは、また随分といきなりだな」
 心配そうな顔して駆け寄ってきた割にはあっさりと笑い出し、今度はオレのほうに顔を向ける。
「で、今回は何を言ったんだ怒橋。最後くらいはとせっかく気を遣って二人だけにしてやったのに、わたしの気苦労を無駄にしてくれるな」
 笑った顔のままで呆れた溜息をつくっつうその組み合わせは、どう見ても不自然だった。


「どうでした? 外の様子」
「大丈夫、大吾くんと喋ってただけみたい。何事かと思ったけど――あ、それと、成美ちゃんが外に出て行ってたよ」
「それなら僕達まで出て行く事はなさそうですね。あーびっくりしたぁ」
「でも、いつもの口喧嘩とはちょっと様子が違ったような……」
「やっぱりそう思います? 冗談じゃなくて真剣に怒ってるみたいな声でしたもんね」
「野次馬根性なのは分かってるけど気になるなあ、やっぱり」
「まあでも、ぞろぞろ大勢来られたらあっちの二人はむしろ困るでしょうし」
「うーん……そう、だよね。成美ちゃんが行ったんだし、そこまで心配する事もないよね」


「それはお前、いくらなんでもあんまりだろう……」
 オレと庄子が所々で代わる代わるに説明をすると、それにつれて笑ったまま呆れていたその顔は、だんだん本当に呆れた顔になっていった。そしてその最後に出てきたのが、今の台詞だ。
「分かってるよ」
 分かってるところにまたオレが悪いと念押しされたもんだから、つい口調にイラつきが出てしまう。その事が余計にイラつきを強くし、それじゃ駄目だろとギリギリの崖っぷちでなんとか歯止めを利かせられ、一度大きく深呼吸。
「……オレが、悪かった。すまん庄子」
「いいよもう」
 返事は間を置かず、怖いくれーにあっさり返された。普段だったら蹴られたり殴られたりしてんのに、こっちのほうがよっぽどキツいのはなんなんだ?
「許した、という感じではないな」
 いっぱいいっぱいなところに、横からまた念押し。悪いのがオレなんだから文句は言えねーけど、分かってるから勘弁してくれ。
「うむ……こういった場合はどうすれば……?」
 怒った顔のままそっぽを向いてジッと動かない庄子に目を遣りながら、腕を組んで真剣に悩みだした。オレは口を挟む言葉すら見つからず、それを上から見下ろす。
「おっ。そうだ、このあいだの」
 何か思いついたのかただでさえ庄子を見上げていた首の角度をやや上めにしたかと思うと、今度はオレを振り返る。
 ……オレか?
 オレのほうからこれ以上何かできるんだろうか――つっても、一回謝っただけっちゃあそうなんだが――と思い、多分すっとぼけた顔をしてたんだろう。そんなオレにニヤっとした笑いを向けると、ソイツはまた庄子を向き直った。
「なあ庄子。治まりがつかないのなら、いっそ思いっきり引っぱたいてやったらどうだ?」
「へ?」
「意外とすっきりすると思うぞ?」
 それまでの様子とは打って変わってすっとぼけた声を上げる庄子に、なおもニヤつきながら自分の案を進める。その話を聞いた途端、二日前に自分から頼んでビンタされた記憶がふつふつと浮かび上がってきた。
 ……マジでか。
「ひ、引っぱたくって、ビンタって事ですか?」
「うむ」
「……………」
 庄子は力強く頷くソイツに、(とは言っても見えてねーけど)自分の手の平を呆けた顔で眺め、そして――
「ふは」
 提案してきたヤツに釣られるように、ニヤリと笑う。ついでに妙な声も出す。
「お、おいおい」
 悪いのが自分とはいえ、やや後ずさり。しかしその瞬間、白い手に手首をがっちり掴まれた。
「逃げるなよ? 自分の不始末なのだからな」
「大丈夫大丈夫。いつも蹴ったり叩いたりしてるのがビンタになっただけだよ」
 薄気味悪い微笑みが、二つ揃ってこっちににじり寄る。そりゃもう不気味だし、この後の展開考えたら今から頬が痛えし、でもだからってその不気味なヤツの片方が言う通り逃げるわけにはいかねーし。
「成美さん。兄ちゃんのほっぺ、どの辺?」
「む、そうだな。実体化してから出てくれば良かったのだが」
 そう言うと、オレの腕は離さないまま、もう一方の手で庄子の手を掴む。そしてそのままオレの顔に手を伸ばして――
「ぐ。くっ、まだ急な身長差に頭が慣れていないのか」
 伸ばした手が、こっちの頬まで届かない。と言ってもギリギリだし、掴んでいる庄子の手の平は届いてたが。
「おお、ここですね? へっへっへぇ~」
 一方の庄子は自分の真下のヤツが爪先立ちしながらプルプル震えてるのに気付いてないのか気にしてないだけか、オレの頬を軽くペシペシはたくというあからさまにムカつく確認方法を執ってきやがった。
「んじゃ行くぞ兄ちゃん! 歯ぁ食い縛れっ!」
 ぐぬっ!


「くいくい」
「ん? ああ、起きてたんですね。……んっふっふっふ、外が気になりますか? サーズデイ」
「こくこく」
「大丈夫ですよ。兄弟喧嘩というのは、下手に周りが止めるより最後までさせてしまったほうが案外早く終わるものです。もやもやしたまま引き離されてもすっきりしないでしょう?」
「ぷく……」
「まあでも、心配するのが悪い事だとは言いませんがね。――そういう周りの環境があってこそ、安心して喧嘩もできるというものです」
「むう?」


 オレ等以外に誰もいねえ暗い庭に、すぱーんといい音が響く。が、もちろんそんな呑気な感想を垂れてる場合じゃなくて、
「いってえ……!」
 はたかれた頬を抑えて、やや背を丸くする。そんな兄貴を目の前にして、妹は涼しい顔。
「あーすっきりした。いやもう、成美さんの言う通りでしたよ。もしかして成美さんもやった事あるんですか?」
 尋ねられて、その顔はやや苦しい表情に。だがそんな顔も庄子からすりゃやっぱ見えてねーわけで、
「ああ、まあ、な。今のとは少々状況が違うが」
 少々じゃねーだろ。あん時オマエ殴るの嫌々だっただろが。今コイツ、ノリノリで引っぱたいたんだぞ? 共通点なんてビンタだけじゃねーか。……訊かれて慌てるくれーだったら最初っから提案すんなっての。
「とにかくだな、オレが悪かったよ」
 それが分かってるのに頭の中が文句だらけになるのも気分が悪かったんで、唐突な気もするけど、もう一度謝っておいた。
「うん。許す」
「だとさ。よかったな、怒橋」
 笑い顔から嫌らしさが抜けたのは良かったが、素直に喜べないのは何なんだろうか。なんつーか、これはこれで腹立つような。
 なんて思ってると、
「だから……ってわけじゃないけどさ、兄ちゃんからも許して――くれないかな」
 オレの頬を張ってからのおちょくったような声から落ち着いたような、いやむしろ控えめなくらいのほっそい声で、そう言ってくる。
「許すも何も、怒るくれーなら避けるっつの。なんせ動いてもバレねーしな」
「そ、その事じゃなくて」
 若干ふざけて答えた割に、真面目な口調で返される。しかもオレの答えは見当外れだったらしい。


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