(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第四十三章 譲れぬ想いと譲る思い 二

2011-08-08 20:51:56 | 新転地はお化け屋敷
『ごちそうさまでした』
 もし大吾と成美さんも料理教室に来たりしたら、やっぱりお金を取ることになるんだろうか。そんなことが頭に浮かんだりもしたものの、まあそれはその時気にすべきことだよね、ということで朝食の終了です。
 特には成美さんに大変ご満足いただけたようで、こちらとしても大満足でございます。栞さんも味噌汁を褒められて嬉しそうでしたし。
 で、全員分の食器をカチャカチャと片付けたのならば、
「あの、成美さん。ちょっと気になってたんですけど」
「なんだ? 料理の話か?」
 食事での好感触もあってか随分と積極的になって頂けているのですが、残念ながらそちらではありません。では何の話なのかといいますと、成美さん達がここへ来た直後の話です。
「玄関で会った時、なんとなく様子がおかしかったような気がするんですけど……いやまあ、気のせいだったかもしれないんですけどね? なんだったのかなって」
 なんせ様子がおかしくなる原因がこれっぽっちも思い付かないので、その「様子がおかしかった」ということ自体に自信が持てないのでした。
 が、そこで栞さんが「あ、私もそれ思った」と同意してくれます。それが過去の事実に影響を及ぼすわけではありませんが、しかしやっぱり少々ほっとさせられまして、さあさあどうでしょうか成美さん。
 ――と思ったらば成美さん、言葉を失って硬直しておられました。無駄に背筋がピッと伸びているような気もします。
 ということは、やはり何かがあったのでしょう。けれどそれでも依然、様子がおかしくなる原因がまるで思い付かないことに変わりはないので、だったら本人に尋ねるしかないわけです。反応の大きさ的に、ちょっと訊き辛いような気もしますけど。
「うう……」
 こちらに質問を取り下げるつもりがないと見てか、硬直していた成美さん、今度はしおしおと背中を丸くしてしまうのでした。
 ううむ、一体何が成美さんをそうまでさせているのでしょうか?
「あー、成美、オレがしようか? 説明」
 どうやら大吾も事情を知っているようで、そんな提案を。
 成美さんは無言でこくんと頷きました。
「ええとな、孝一」
「うん」
「成美、今日ちょっと早く目が覚めたらしくてな」
 ?
 …………。
 !!
「すいませんでした」
 理解した瞬間、僕は頭を下げていました。気付くのが僕より少しだけ遅かったらしい栞さんも、ゆっくりゆっくりかつ静かに、同じく頭を下げるのでした。ちらりと横目で捉えたその顔は、見事なまでに真っ赤なのでした。
 成美さんは、耳がいいのです。そしてその耳がいい成美さんが「ちょっとだけ早く目が覚めた」時間、二つ隣の部屋で僕と栞さんが何をしていたかというと。
 ……言いませんけどね?
「いやその別に、咎めるつもりは全くないからな? ここに来たこととも関係はないし。ただその、顔を見てしまうと、なんというか」
「成美、そこまで話広げなくていいって。ここに来たこととは関係ないってとこまでにしとけ」
「そ、そうだな。分かった」
 大吾のナイスフォローのおかげで、話はそこで一区切りを迎えることができました。そうでなかったら成美さん、今暫く釈明らしきものを続けていたことでしょう。
 成美さんが悪いわけではないので、あくまでも「らしきもの」ですけども。
「つーわけで、気にすんなっつうのも無理あんだろうけど気にすんな。オレ等だって似たようなことはあったしな」
「あーあったなあ。起きた直後に人魂三つが起こってしまってなあ」
 落ち着いた口調の大吾と比べて成美さんの口調が急ぎがちなのは、少しでも早く話題を切り替えたいという思いからなのでしょう。といって、あまり変わっているようには思えなかったりもしますけど。
 しかしさすがに、そこでちょっとだけ間が発生。あちらとしても間を保たせられないと見るべきか、それともこちらが落ち着くのを待ってくれていると見るべきか――いや、後者だと考えるべきなのでしょう、自分の立場としては。
「……真面目な話、それくらいでいいと思うぞ?」
 するとそこへ成美さんが、今度は落ち着いた口調で。
「あまり多くは言わんが、それだけは分かっていてくれ。私のせいで妙な勘違いをされたとあっては、居心地が悪いからな」
 成美さんの耳に届いてしまったのは事故だとしても、していたこと自体を恥じる必要はない。僕の想像ではありますが、成美さんは恐らく、そういうことが言いたいのでしょう。
 痛み入ります。
「真面目に語るようなことでもねえけどな」
「はは、まあそうかもしれんな」
 語られる側としてはとてもそんなふうには思えないのですが、外から眺めた大吾としてはそんなふうな話だったようです。成美さんも納得しているようですし、だったらまあその通りなのでしょう。もちろん、それで語られる側としての姿勢が変わるわけではありませんけど。
 とはいえそれで気が楽になったのもまた事実。しかし一方、栞さんはまだ大なり小なりダメージを引きずっているようで、赤みこそ退いていましたが、顔が俯いたままなのでした。
 何か声を掛けるべきなのでしょうが、しかし果たしてどう声を掛ければいいのやら。なんせ事情が事情だし――と、ついついその事情についての記憶を蘇らせてしまったりもするのですが、するとそんな時。
「きーさかっ」
「わっ」
 栞さんの膝の上へ、成美さんがぼすんと座り込んだのでした。らしくないくらい可愛らしい発音で、というのは、失礼なのかもしれませんが。
 見た目の上では似合うんですけどね? 小さい方の身体ですし。
「そういう顔は見合わんぞ。まあ、原因はわたしなのだがな」
 そう言って、成美さんは朗らかな笑みを栞さんに向けました。成美さんだってついさっきまで動揺していたり逆に真面目な顔になってみたりだったというのに、ということで、「切り替え早いなあ」と思わされざるを得ないのでした。もちろん、いい意味でですが。
 そして自身の膝の上という至近距離からそんな笑顔を向けられてしまえば、栞さんもそれに釣られずにはいられません。今の今まで俯けられていた顔は、一瞬の驚きを挟むともう、にっこりとした笑顔に切り替わっているのでした。
「そう? こうくんと一緒にいると、割と今みたいな顔することもあると思うんだけど」
「むしろそれすら受け入れられるからこそ、じゃないのか? 目の前で落ち込ませてもくれない相手を夫にはできんだろう」
「あはは、まあそうなんだろうけどね――いや、そうなんだけどね」
 気を取り直してもらえたようで、ならばそれについてはめでたしめでたし。僕なんて「どう声を掛けたものか」なんて思ってたのに、ありがとうございます、成美さん。
 ところで。
「……なんでこっち来た?」
「なんとなく」
 栞さんと成美さんがくっ付いてしまったので、言葉の通り本当になんとなく、大吾の隣へ移動してみました。もちろんそれはただ隣に座っているというだけであって、あちらのようにくっ付いたりはしていませんが。
「まあでも、良かったな」
「ん?」
 どういうわけか大きな溜息を一つ吐いてから、大吾はそう言いました。なんせ移動したと言っても本人の目の前なので口には出しませんが、それは、栞さんが立ち直ったことを言っているのでしょうか?
「結婚するって話。まだそう決まったわけじゃねえっつっても、そういう話が出た時点で充分すげえことなんだろうし」
「うーん、まあ、そうなんだろうね。自分で言うのはちょっと気が引けるけど」
 極一般的な結婚を例に挙げてもそれは、凄いことなのでしょう。なんせ人生の分岐点です。
 それに加えて僕と栞さんの場合、一方はまだ生きていて一方はまだ幽霊、という非常に大きな事情があります。障害とまで言い表すつもりはありませんが、それを乗り越えてここまでの関係になったということは、やっぱりそれなりに凄いことなのでしょう。他人の目を介するまでもなく。
「でもそれを言ったら、大吾のほうがよっぽどじゃあ」
 大吾と成美さんの事情。今更語るまでもないそれに加え、「まだそう決まったわけじゃない」僕達に対し、二人は実際に結婚してしまってもいるのです。だったら――。
「その経験を踏まえて言ってんだけどな。オレは自分のことよくやったと思ってるし、だったらオマエ等だってそうなんだろうよってだけの話だよ」
 …………。
 なんかもう、そろそろ大吾のことは「人生の先輩」的な位置に据えておいた方がいいのかもしれません。先輩度合いはほんのちょっとですが、それをこうもポロッと表現されてしまうと。
「……んだよその気色悪い目は」
「いや、真面目に感心しちゃって」
「いいっての、そういうのは。励ましに来たって最初に言っちまってんだから、こんくらいはやっとかなきゃしゃーねえだろが」
 感心はまだ治まりませんが、どころか逆に増す一方ですが、しかし気色悪いと言われてしまったので一応は目を逸らし、今度は栞さんと成美さんのほうを向いてみました。
 その時の成美さんの笑顔ったらもう、大吾に向けられた気持ちが僕にまで伝播してきそうなほど素敵なものなのでした。
 僕も、栞さんにそういう顔をしてもらえるようにならないとなあ。
 そんなふうに思ってみたところ、するとその栞さん、膝の上の成美さんに対してこんなことを。
「成美ちゃん、ここよりあっちのほうがいいんじゃない?」
 その「あっち」というのは無論、大吾の膝の上を指しているのでしょう。うむ、僕もそう思います。
「止せ止せ。いま大吾も言っていただろう? 私達はお前達を励ましに来たのだぞ。それなのに自分達がいちゃついてどうするんだ」
 ……普段からよくやってらっしゃるので何とも思っていないのだろう。そう存じておりましたものの、しかしどうやら、いちゃついているという自覚はおありだったようです。
 いやまあ、さっきの素晴らしい微笑みからの流れでそんなふうに思ったってことなのかもしれませんけどね。
「まあしかし、お前と日向もいちゃつくというのなら釣り合いは取れるのかもな」
「ごめんなさいでした」
 即座に謝罪してしまう栞さんなのでした。それはそれでちょっとだけ寂しいような気もしないではないですが、しかし大吾と成美さんだからこそ目の前でやられても許せる絵になるということや、あとついでに早朝の件もありまして、そんな栞さんの反応も仕方ないことではあるのでしょう。
「目の前でいちゃつき合うってどんな絵面だよそれ」
「いや大吾、それ、答えられたら答えられたで辛いような」
 それともやっぱり、大吾と成美さんにとってはいつものことだからあんまり気にならないんだろうか?
「…………そうかもな」
 と思ったら結局、大吾もそんな返事。
 しかしテーブルの反対側のお二人はそうでもないようで、揃ってこちら側へ険しい表情を向けてきました。
「おい大吾。今の間、卑猥な方向に想像力を働かせただろう」
「孝一くんもそうなんじゃないかなあ? 答えられたら辛いっていうのは」
 そんな不当な言いがかりには、もちろん抗戦しなければなりません。
「いやいや何言ってんだ、んなわけねえだろなあ孝一?」
「そうそう、いくらなんでもそれは」
 あまりつぶさに語るとボロを――ではなく、むしろ不信感を煽る結果になる気がしたので、返事はぼんやり短めに。きっと大吾も同じ思いだったのではないでしょうか。
 するとそれが功を奏してか、栞さんと成美さん、黙り込んでしまうのでした。ただしそうして黙ったまま、アイコンタクトでも試みているかのように視線を交わらせているのですが。
 そして数秒後。栞さんから視線を外さないまま成美さんがこちらを顎で指し示すようにすると、同じく成美さんから視線を外さなかった栞さん、こくりと頷きました。なんせ無言なので不気味ですがしかし、こちらは潔白なのですから何を恐れる必要もないでしょう。
 さあさあお二人、何を思い付いたというのですか?
 ごくりと喉を鳴らしたかどうかは僕についても大吾についても定かにしないでおきますが、黙って様子を窺っていたところ、まずは栞さんの膝から成美さんが、そしてそれに次いで栞さんも、ゆっくりと立ち上がりました。さっき成美さんが顎でこちらを指示したことを考えると、こちらへ来るつもりなのでしょう。
 果たしてその予想通り、栞さんは僕の前、成美さんは大吾の前まで近付いてきました。僕と大吾はまだ座ったままなのでそんな彼女を見上げる格好に――いや、大吾は見上げるってほどでもないんですけど――まあとにかく、そういう状態なわけです。
「あ、あの……?」
 問い掛けてはみましたが、返事はありません。しかしその問いが切っ掛けになったかのようなタイミングで栞さんと成美さんは同時にくるりとその身を翻し、こちらへ背を向け、そしてそのまま座り込んできました。どこへって、そりゃあ位置関係上、僕達の膝の上へ、です。
 これはどういうことかと慌てて視線を送ってみると、大吾は涼しい顔でした。普段から同じことやってんだからそりゃそうでしょうとも。
 では僕は。
「――っ! っ! ――――っ!」
 栞さんそんな、人様の眼前であられもない!
 というわけで、声が出てるんだか出てないんだか自分ですら把握できない有様なのでした。どうして栞さんがこんな暴挙に出たのかはともかく、たったこれだけのことで。
 しかし声が出てるんだか出てないんだかは把握できないまま、そしてどちらにせよまともな言語を口にできる状態ではなく、なので栞さんに「何故こんな暴挙を!」とお伺いを立てることはできません。そして栞さんはこちらに背を向けて膝の上に座っているわけですから、表情を窺うこともできません。
 なので必然、他に見るべきものもない僕の視線は再度、隣の大吾へ向けられたわけですが……。
「――っ! っ! ――――っ!」
 声が出てるんだか出てないんだか。大吾も数瞬前の僕と同じような状態になっていました。
 ただしそれは飽くまでも「ような」であって、全く同じというわけではありませんでした。どういうことなのかと言いますと、大吾の場合、成美さんから物理的に口を塞がれていたのです。口で。
 だもんで大吾、声がどうのとか以前に両手をわたわたと大暴れさせています。ただ、だからといって成美さんを引き剥がそうとしているわけでもないようですが。
 しかしはてさて、一時は慌ててしまったものの、あっちに比べれば随分とマシだよなあ。いやあ栞さんが優しい人で良かった。
 気分が落ち着いたところで栞さんの後頭部を見上げてみたところ、見えたのは後頭部でなく、その横顔でした。つまり栞さんは今、大吾と成美さんの惨状をまじまじと見詰めているのでした。
 嫌な予感がしました。
 栞さんがこちらを向きました。
 その目は据わっていました。
 なのにその唇は妙に艶めかしくて――。
「意地を張られたら張り返す性格だって、分かってたくせに」
 ぬぐわああああああああああああああああぁ。あぁ。

 緊張感と危機感と羞恥心と背徳感、あとなんだかふにゃふにゃした感情とがごっちゃになって時間の概念なんてすっ飛んでおりましたが、しかし後から記憶を辿ってみる限り、強引に唇を奪われていた時間は、合意の上でのそれより随分と長かったような気がします。
 もちろん気がするだけで実際は違うのかもしれませんが、しかしそんなことはどうでもいいのです。自分が負ったこの精神的衝撃こそが問題なのです。……悲しいかな、精神的苦痛、とまでは言えないのですが。
「成美、なんでこんな……」
「酷いです、栞さん……」
 惜しむかのようにゆっくりと離されたそれぞれの唇。しかしそうして封が外れたところで、か弱い男どもに出来得る反抗は、そんなちっぽけな抗議の声を上げることのみでした。身体に力が入らないのです。マジで。
 けれどその程度のもの、逆につやつやして見えるくらい気力に満ち溢れた女性陣には効果なんてありません。
「ん? キスくらいで何を言っているんだ? これくらい、夫婦にとっては挨拶に等しいことだろうに」
「そうだよ。これが酷いなんて、むしろそう思うことのほうが酷いんじゃないかなあ?」
 余裕綽々、ほんのり赤く染まった頬に笑みすら浮かべつつそう答えた二人はその後、「なあ」「ねー」と仲睦まじく頷き合います。
 キスくらい、夫婦にとっては挨拶に等しい。確かにそれはそうなのかもしれませんし、挨拶代わりにキスをした覚えは、実際にあります。けれど、でも、だからって――。
「挨拶のキスで、し、舌まで入れるか!」
 やっぱり入ってたのか大吾! こっちもだったけど!
「し、栞さんだって!」
 こんなことをばらしてしまうのは栞さんに悪いかなと思わないでもなかったのですが、しかし大吾の勢いに乗らない手はないだろう、ということでぶっちゃけてみました。
 けれどそれも、それすらも栞さんと成美さんはくすくすと笑って流してしまいます。
「するとなんだ大吾、挨拶でないというなら、今のキスは卑猥な考えあってのものだったと?」
「そりゃそうだろ、じゃなきゃああんな――」
 息巻く大吾。そしてそれは僕も同じ。
 なのですが、成美さんがふっと鼻を鳴らしてみせると、入れ替わるようにして今度は栞さんが。
「そっかそっか、勘違いさせちゃったみたいだねー。私も成美ちゃんも、舌を入れたっていうのは単なる気まぐれだよ? まさかそんな、傍に人がいる状況でやらしいこと考えるだなんて」
「いやでも栞さん、さっきのはどう考えたってそれじゃ済まな――」
 とまで言い掛けてから、はっと思い当ったことが。
 やらしいこと考えるなんて。
 つまり、今しているこの問答は全て、キス直前の僕と大吾に対する当てつけというやつなのではないでしょうか? つまり、僕と大吾が「やらしいことを考えていた」というのを認めないのであれば、自分達も同じく認めない、という。
 この推理が正しければ、僕と大吾は栞さんと成美さんを攻めれば攻めるだけ自分の首を絞めることになってしまいます。「じゃあお前達はどうだったんだ」の一言で攻めていた分をそっくり全部返せてしまうわけですから。
「どうした孝一?」
 突然言葉を区切らせた僕に戸惑い交じりの声を上げる大吾。逆に眼前の栞さんは、まるで僕が何を考えたのかを見抜いたかのような不敵な笑みを。
 どうする僕。大吾には悪いけど、ここで先に白旗を上げてしまうべきか? それとも抗戦を続けるべき? しかしそうするにしたって、何を言っても徒労に終わるどころか自分の身を削りかねないこの戦況で、どうやって?
 ぐぬぬ――――。
「おい、孝一?」
 ――いや、しかし。
 意地を張られたら張り返す性格。
 栞さん。すいませんけど、僕だってそうなんです。充分に御存知でしょうけど。
「栞さん」
「ん?」
 恐らく、僕の推理は当たっているのでしょう。努めて落ち着かせた声色を前にしても、栞さんは怖じる気配を微塵も見せてはきませんでした。
「挨拶に等しい、なんですよね。キスって」
「うん」
「舌を入れても」
「うん。……? え?」
 さすがに違和感を覚えたか、「僕が動く前」から身じろぎをする栞さん。けれどもう手遅れです。僕の意地は、既に張られてしまっているのです。いつものように。
 夫婦間でのキスというものは、例え舌を入れたとしても、挨拶代わりである。
 ならばそれが二度目であっても、条件は同じはずなのです。
 二度目であっても。
 二度目であっても。
「ひぃ――」
 引きつった笑みを浮かべ、上ずった声を上げながら、半歩分ほど後ずさりする栞さん。でも僕が、栞さん自身も重々承知しているであろう意地っ張りのこの僕が、それしきで止まるわけがありません。
 止まらなかった僕は、栞さんの前に片膝を立てる格好で座り込み、そして。
「――っ! っ! ――――っ!」
 意地を張り切ったのでした。
「…………」
「すまん成美。どん引きしてるとこ悪いけど、なんか、そういうことらしいから」
「えっ? ちょっ、いや大吾待っ――っ! っ! ――――っ!」

 というわけで、その後。
 栞さん成美さんは各々色っぽく息を荒げてらっしゃいますが、あまり気にしないでおきましょう。いろいろと冗談じゃ済まなくなっちゃいますし。
 栞さん成美さんはああだけど、じゃあ大吾の様子はどうだろうか、と隣へ目を向けてみれば、その大吾とばっちり目が合ってしまいました。
 するとほんのり赤くなる大吾の頬。
 そしてそれは恐らく、僕も同様だったのでしょう。
「うう」
 か細く漏れ出した栞さんの声にはっと我に返った僕は、視線を再度そちらへ。
「文句が言える立場じゃ、ないんだけどさあ……」
 そう仰るからには、文句がおありなのでしょう。
 栞さんだって同じことをしたというのに――と、理屈の上ではそういうことになるのですが、しかし栞さんのそんな気持ちも、分からないではなかったりします。
「男の側からだと本気で酷いことに見えるのって何なんでしょうね」
「オレのほうなんて、事情知らねえ奴からしたら完全に犯罪だしな」
 小学生くらいの女の子から強引に唇を奪った若者。通報どころか目撃者からその場でぶん殴られそうな状況ではあるのでしょう。その女の子が妻だなんて言ったところで、信じてもらえるわけもないでしょうし。
「むむ……」
 でも実際は夫婦なわけで、目撃者はそんな事情を把握している僕と栞さん。なので問題はない筈なのですが、しかし大吾、腕を組んで唸り始めるのでした。
「おい、大吾」
 そんなところへ、息は荒いままながら声を掛けたのは成美さん。
「謝るつもりならこっちから遠慮させてもらうぞ。今更それは、卑怯というものだ」
 すると大吾は組んだ腕を解き、ふうと溜息を一つ。さすが妻というべきか、どうやら見事なまでに図星だったようです。
 で、隣がそんな様子であるならこちらも、ということで、
「孝一くんは?」
「謝るつもりなんて全くありませんが何か」
「だろうと思った」
 こっちもこっちで思考を読まれていたらしく、鼻で笑われてしまいました。さすが奥さん、と言えるようになるのはもうちょっと後のことですけど。
「二人揃って同じことをしておきながら、何なんだその差は」
 栞さんには笑って頂けましたが、成美さんからは呆れられてしまいました。確かにまあ、止められたとはいえ謝るつもりではあった大吾と僕じゃあ、真逆もいいところではあるのですが。
「そんなこと言われてもなあ」
「そんなこと言われましてもねえ」
 男どもの返事は曖昧でした。そこに特に理由はなく、強いて挙げるとしても「そういう性格だから」としか言えそうにないですしねえ。
 するとそこへ、更に呆れ具合を強めた成美さんからもう一言。
「ふん。逆だったら喧嘩に発展していたところだ」
『あー』
 僕と大吾、そして栞さんまでも、その意見にはすんなり納得させられたのでした。
 成美さんは大吾の反応を、栞さんは僕の反応を予想し、そして的中させていました。それはつまり、強引に言いかえれば、「そういう反応を期待していた」ということにもなるのです。
 ただでさえしょーもない小競り合いからキス合戦などという更にしょーもない事態に発展していたのに、そこで最後の期待すら裏切っていたら、そりゃあ機嫌を損ないましょうとも。僕と大吾がそれを受けて立ったかどうかは別として。


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