(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 最終章 今日これまでも、今日これからも 八

2014-10-16 21:06:50 | 新転地はお化け屋敷
「おっといかんいかん、せっかくのメイクが」
 家守さんの言葉に栞がどういう返事をするか、というのは容易に想像が付くところではありましたが、しかし栞がそれを口にするより先に――その様子からして、直前に、とも言えそうではあったのですが――家守さんはそう言って、目元の涙を指で軽く払ってみせるのでした。
 そして更に鼻を一啜りしたところで、「駄目だねぇ」とも。
「やっぱり涙もろくなっちゃうね、こういう日っていうのは。何処で誰と何をしても、良いことしか起こらない」
 という話には栞、言おうとした言葉を一旦飲み込んで苦笑を浮かべます。気持ちは分かる、ということなのでしょう。なんせ栞だってもう、今日だけで何度か泣いちゃってるわけですし。
 するとそこへ、「でも」と言葉を挟んだのは高次さん。
「お前の言い方を持ってくれば、それはお前が自分で勝ち取ったことなんだろう?」
「……うん。そういうことになるんだよね、やっぱり」
 良いことしか起こらない今日という日は、家守さんが自分で勝ち取ったものである。
 そのまま意味だけを取り出せばそれは家守さんにとって耳触りのいい話で、ならば褒め言葉ということにもなるのかもしれませんが、しかしそれだけというわけでもないのでしょう。
 ……いや、むしろ「その逆だけ」、つまりは褒めるどころか叱り付けた、というふうにも。
 なんせ今、自分のことを「アタシなんか」と言った家守さんです。その家守さんを褒めるというのは家守さん当人からすれば逆の意味になる――と、自分で言っていて混乱してしまいそうな話ですが。
 ともあれ、話がその点に及んだとなれば、ここで再び動き始めるのは一度言葉を引っ込めていた栞。
「楓さんはいつだって良い人でしたよ。自分なんか、なんて、そんなこと」
「しぃちゃんの気持ちは知ってるつもりだし、もちろん私としてもそれは嬉しいけど……うん、だからごめんね。そんなふうに言われちゃったら良い気分ではいられないよね、いくら自分の話だったとしても」
 というのは何も栞だけの話ではなく、僕だって同様のことはそりゃあ考えたわけですが、しかしそれくらいに分かり易く反感を覚えるような話であるからこそ、根拠になるようなものがないままそんなことを言うわけがない、ということでもあるわけで――。
「でも、それでもやっぱり過去にあったことは、してしまったことは変わらないんだよ。……もう会ってるんだよね、みんなとは」
「はい」
 家守さんからの質問に対し、栞は毅然としてそう答えました。初めからそのことを、かつて友人数名を「この世」から追放してしまったことを言っていたのは知っていたと、知っていて尚「いつだって良い人だった」と言ったのだと、その返事だけでそう伝わるほど、真っ直ぐに。
 故に、
「それでも?」
 という質問にも、
「はい」
 とだけ。
「そっか」
 家守さんはそう言うと大きく息を吐いてみせ、そしてそのまま、その身体を椅子へ深く沈み込ませていくのでした。
 その脱力感溢れる仕草というのはウェディングドレスという格好には似つかわしくなくはあったのですが、しかしそれ以上に、その崩れた体勢のままいつものようにキシシと笑ってみせる家守さんは、それこそ全く以っていつもの家守さんでしかないのでした。
「アタシの好きな人達は、大体みんなそう言うね」
「俺も言ったしな」
「やだもう、言うまでもなくその筆頭なんだからわざわざ名乗り出ないでよ恥ずかしい」
 何やら唐突に旦那さんといちゃつき始める家守さんでしたが、これにはさすがに栞もぽかんとした表情を浮かべるのでした。
 が、とはいえそれは長続きするようなものでもなく、すぐに笑顔に差し替わるわけですが。いつもの家守さんに対する、いつもの栞の笑顔に。
「好きな人達からやたらめったらそう言われるんじゃあ仕方がない、声援には応えねば女が廃る――ん? いや、この場合何が廃るんだろ? 友人? 隣人? 管理人?」
「役職名はさすがに違うと思うけど……あと別に、やたらめったらでもないし。どれだけ普段から責め立ててるんだよ俺」
「筆頭なだけで高次さんが全部とは言ってませんー」
「あー、はいはい。そういうのは後でな」
 というわけで、どうやら高次さんとも既に同じ話をしていたらしい家守さんなのでした。まあ二人の関係を考えれば当たり前といえば当たり前ですし、それにまだ同じ話というほど踏み込んだところまで進めてはいないわけですけどね。
 あともう一つ――あまり言及するのも意地の悪い話ではありますが、すぐに引っ込めたとはいえ泣いたわけですしね、家守さん。既にし終えていた話だから何ともない、なんてことは、ないと言い切ってしまっていいところではあるのでしょう。
「でもまあ、おかしな話といえばおかしな話だよねえ。助けてあげたいと思ってた人に助けられてた、なんて」
 助けてあげたいと思っていた人。それが誰の話だとは言わなかった家守さんではありましたが、しかしそれは、ぼかしたのではなく単に明らかにする必要がなかったということなのでしょう。
「あはは、ありがとうございます」
 というわけで、その当人こと栞は、まずお礼から入るのでした。
 が、もちろんそれだけで終わるような話でもなく、
「でも楓さん、それっておかしいどころか普通のことだと思いますよ?」
 とも。
「今の助ける助けられるって話に限らず、一方的な関係って想像し難いですしね。しかもそれが好きな人となったら余計に、でもありますし」
「あー、言われてみりゃあそれもそうだねえ」
 そう言いつつ栞は、そしてそれに同意しつつ家守さんも、その視線にはそれぞれの旦那を捉えているのでした。
 いやまあ、そりゃあその対象の一人には含まれるんだろうけど、今言った「好きな人」っていうのは別にそういう意味ではなかったよね?
 と、しかしこれまた二人ともが、その視線に捉えている相手については特に言及しないまま視線を元に戻します。それはそれで肩透かし、とは言いますまい。
「だから楓さんが私を助けたいと思ってくれて、しかも楓さんが優しい人だった時点で、逆に私からも助けられるっていうのは確定しちゃってたんです。今更文句は受け付けませんよ?」
「キシシ、確定しちゃってたかあ。そりゃいいね、また一つ助けられちゃったよ」
 困った時はお互い様。
 要はそれだけのことでしかない話ではあるのですが、しかし親密さはもちろん、その「困った時」というのが大きい二人ということもあり、ならば「それだけ」では済まされないのでした。無論それは、良い意味で、ということにはなってくるわけですが。
 というわけでこれは前向きな、しかも自分だけでなく他の人をも巻き込んで前を向く話ではあるのですが、けれど栞はここで、そんな話題に似つかわしくない少し困ったような笑みを浮かべるのでした。
「とは言っても、その助けた内容が釣り合ってない感じだったりもするんですけどね。私はそれこそもう、人生が……うん、人生が一変するくらい助けてもらったわけですけど、逆に私がしてあげられたことって、高次さん――だけじゃないんでしたっけ? あはは」
 本人に落ち度があるわけでもないままどこまで行ってもそういう扱いを受け続ける高次さんのその才能は、ある意味羨むに値するものなのかもしれません。
 という話は、いいとして。
「他の人達と同じことを、って話みたいですしね。私がしてあげられたことって」
 苦笑であっても笑顔は笑顔ということで、一応ながらそれは冗談混じりという体でなされた話ではあったのでしょう。なので「お互い良い気分でいたところにわざわざ自分で水を差さなくても」とまでは、まあ、言わなくてもよくはあるのでしょう。
 ということもあって、ということになるのかどうかは分かりませんが、家守さんはむしろ更に気分を良くしてみせるのでした。
「それをそんなふうに思ってくれるなんてね。いやもう、隣人冥利に尽きるというか」
 悔しい。
 そんなふうに、と家守さんは言いましたが、具体的な言葉で表すならそれはそういうことになるのでしょう。どうにも後ろ向きなイメージのある単語ですし、ならばそれを理由に家守さんもそうは言わなかった、ということのもなってくるのかもしれませんが。
 ただ、そうして良いように捉えた代わりに、こんなふうにも。
「でもしぃちゃん、それだってお互い様だったりするんだよ? 実際のところは」
「え?」
「しぃちゃんのこと、アタシがしてあげられたのは途中までだったからね。しかも敢えてそうしたとかじゃなくて、最後まで付き合ってあげたいと思ってたのに、だよ」
 思うところがあるのかないのか、栞はすぐに次の言葉が出てはこないようでした。
 そしてその間に、家守さんは視線を少しだけ横へずらします。
「ね、こーちゃん」
「ああ、つまり、僕が美味しいところだけ持っていったとかそういう話ですか?」
「キシシ、その通り」
 すぐに見当を付けられてしまう辺り、僕も中々いやらしい性格をしているのかもしれません。
「でも……」
「今更文句は受け付けません」
 もし思うところがなかったとしても、家守さんが僕を名指したとなればさすがに気付いたことでしょう。ということで異論を差し挟もうともする栞だったのですが、しかしそれは家守さんから即座に封殺されてしまうのでした。まあ何も言えなくなっちゃいますよね、それを言われてしまったら。
 というわけでこれは、家守さんが栞にしてあげたかったことと僕が栞にしてあげられたことが、実は一続きのものだったという話です。……まあ実はも何も、これまでそんなふうに思ったことがないというわけではないですし、だからこそ今あっさりその話だと気付けたわけですが。
 とはいえ、だからこのまますんなり納得してみせておく、というのはやはり気が引けるところではあります。ならば、反論しようとした栞ほどではないにしても、まあこれくらいは。
「でも家守さん、最後を僕に持っていかれたっていうよりは僕に任せてくれたって感じですよね。どっちかって言うと」
「んー? ふっふっふ、そりゃあねえ。アタシより適任だっていうのももちろんあるし、それにまあ、そういう話とはまた別としてね? アタシの好きな分野っていうかね? お年頃の男女がね?」
 とは仰っておられますが、
「っていうのはもちろん照れ隠しなんだろうけどね。『適任』以上の理由なんかあるわけないんだし」
 と、高次さんからはそんなふうに。そりゃそうですよね、やっぱり。
 しかしそれに対しては家守さんからも言い分があるようで、
「いやだから高次さん、言うまでもないことをわざわざそうやってね? ちょっとでも本気にされそうだったらそんなふうに言うわけないでしょ? 逆にね?」
 とのことなのでした。うーん、それはそれで確かにそうですかねえ。と、自分を対象に含んだ話である以上はあんまり自信満々に頷けはしないわけですが。
 いや、だからといって自信がないというわけでもないんですけどね? 勘違いはしないけどするんだったらそういう話も聞きたい――なんてことでも、もちろんなく。
 と、どういうわけか言い訳がましい感じになっている僕はともかく、高次さんは引き続き「どうだろうなあ」と挑戦的な姿勢を取ってみせます。
「他の誰かならともかくお前だし。優先順位を間違えるくらいには好きそうだしなあ、そういう分野」
「くっ……しかし、今更貞淑な妻を装うわけにも……」
「はっは、やるとしても装う止まりなんだな」
「あっ、でも大人しそうな人が裏では意外とって方が?」
「いやあ、間に合ってます」
 大人しそうな人。
 が、裏では意外と。
 うーん、家守さんがその真逆なんですし、だったらその家守さんを好いてらっしゃる旦那さんがそれを好むってことはないですよねえ。と、そういう話ではないのかもしれませんが、まあそういうことにしておきましょう。
 ――と、ここまでのこういった話はもちろん冗談ではあるのですが、しかしそれはそれで見るべきところがないでもないのかな、とも。
 というわけで、栞と同様に一通り笑い終えた後、僕はその話を振ってみることにしました。
「でもこれはこれで一部ではありますよね、さっきまでの話の」
「おっと、余計な話が長過ぎたかな」
「あ、いえ、そういうわけではないんですけど」
 さっきまでの話、というのが栞と自分の関係についてのものを指していること自体は察してくれたらしい家守さんだったのですが、しかしまず気にしたのはその点なのでした。そういうところ気にしながら話してるんですよね、やっぱり。
 で、それはそれとして。
「ちょっと前まではいいようにからかわれ続けてたわけじゃないですか、僕も栞も」
「あー、まあねえ……って、からかってた側がしんみりするところじゃないんだろうけどさ」
 すぐさま笑顔で上書きされてはしまいましたが、しかしその言葉の通り、一瞬だけしんみりとした表情を浮かべる家守さんなのでした。
 というわけで、そうなのです。ここ最近の僕と栞は、と言ってもその殆どは栞のような気もしますけど、からかわれそうになったところで反撃に出たりもしているのです。
「冗談にしか聞こえないだろうけど、そういうのも大人になった証っていうのは間違いないんだろうしね」
 しんみりとした表情を笑顔で覆い隠した家守さんではありましたが、しかし続けてそう言ってもいるうち、その笑顔がだんだんと元に戻り始めてもいるのでした。
「なんせダブルベッドですしねえ」
「……あー、栞? 婉曲表現のつもりで言ってるんだとしたらそれ、多分思ってるよりストレートな表現だと思うよ?」
「えっ。あっ、そ、そうだった?」
 ううむ、大人になったんだかなり切れてないんだか。
 というのは何も、栞だけの話ということでもないわけですけどね。ええそりゃもう。
「ええと、まあでも、それについては楓さんに鍛えてもらったおかげでってことで」
 あのダブルベッドは自発的に買ったものだった筈だけどなあ。
 と突っ込んだところでいいことなんてなさそうですし、ならばそうはしないでおきましょう。
 それに、何もそういう目的のためだけに買ったわけではない……というか買う目的の話であれば、それは含まれてなかったわけですしね。副産物的なものとして後からそういったものが発生した、というところまでを否定するつもりはありませんけど、初めからそれが狙いっていうのはさすがにちょっと、といったところではありますし。
 まあその時その場で栞とそんな話をしたわけではないんですし、ならば栞がその時どう思っていたか、確認を取ったというわけではないんですけどね。そりゃああれは衝動買いみたいなものでしたし、だったら「その場」というのはデパートの家具売り場の真っ只中なわけで、となるとそんな所でそんな話ができようわけもなく。
 で、これもまた言い訳なのか、それとも今回は真面目な話なのかというのは自分でも判断に迷うところではあったのですが、
「で、どうなのさ? 肝心の寝心地は」
 しかし僕がどちらであろうと関係なく、家守さんは厭らしい笑みを浮かべながらそんな質問を投げ掛けてくるのでした。その表情もあり、単純な寝具としての寝心地を尋ねているわけではない、というのは誰でも分かるところではあったのでしょう。
 が、しかし栞は、
「あ、それはすっごくいいですよ、やらしい話を抜きにして」
 と、単純な寝具としての寝心地をその回答としてみせるでした。
「安物だったことを考えればいい買い物だったなーって。と言っても――あはは、孝さんが隣で一緒に寝てくれるっていうのは大きいんですけどね、やっぱり。やらしい話を抜きにしても」
 言い訳なのか真面目な話なのか、なんてことを考えていた僕だったのですが、ではそれが真面目な話というのはどういうことなのかというのは、栞の言葉がその内容そのままなのでした。
「そっか」と返した家守さん、厭らしい笑みはすぐさま優しい笑みに入れ代わっていたわけですが、しかし直後には元通りにも。
「キシシ。こーちゃん、こりゃあ将来就職してもあれだね。残業とかで帰りが遅くなったりした時、ご飯食べる時間がなくてもお風呂入る時間がなくても、寝る時間だけは揃えてあげないとだね」
 …………。
 いやまあ、実際にそうなったらそりゃあいろいろ考えなきゃいけないでしょうけど、今ですか? そんな格好でいらっしゃる人にわざわざ言うのもどうかとは思いますけど、ついさっき結婚式挙げたばっかりの新婚夫婦ですよ? 僕達。
 世の中の大多数を占めるであろう就職後に結婚した人達でさえこの時期くらいは浮かれるものでしょうに、なんてことを考えている僕の横では、栞が悩ましげにこんなことを。
「あー、うーん、お風呂はともかくご飯は……」
 食事の優先順位が高いのは嬉しい話だけど、だからって風呂抜きをさらっと受け入れられるっていうのはそれはそれでどうなの栞。激務を終えた後って設定でもあるんだし、こっちが遠慮するよそんなの。汗くらい流したいよ。
 というか、そもそもの話。
「栞が寝る時間を遅らせるっていうのは考慮外なの?」
「あっ。そっか、それでいいのか」
 どうやら気付いていなかっただけのようでホッとさせられましたが――いやいやまさかまさか、心配になったなんてことはないですよ? それくらいの配慮は当然のようにしてくれる人ではありますしね、僕のお嫁さんは。今のは家守さんの設問が悪かっただけですとも。回答を僕の行動だけに絞って栞ができる配慮を初めから除外していたというか、引っ掛け問題? みたいな。
 という僕のあたふた加減を察したのかどうかは分かりませんが、まるでそれに対する返事かのように、栞は続けてこんなふうにも。
「もちろんそれくらいはするよ。一人で寝るのは寂しいって、一人じゃなくなったことで逆に思い出しちゃったからね」
 そう言って、だからダブルベッドっていうのはさすがに飛躍してるかもだけどね、とも。
 一人で寝るのは寂しい。具体的なところにまでは言及するのは、今更というものでしょう。そして、故にこれは、やはり真面目な話ということになりました。僕だけでなく栞もそういう話を持ち出してくるとなれば、間違いなく。
「思い出す、ねえ。普通なら忘れるって場面なんだろうけど」
 栞の言葉の背景に何があるのか察せられない家守さんであるわけがなく、ならばそれは「それが普通だからそうするべき」というような話ではないのでしょう。まあ、普通を語るというのであればそもそも、その背景がまず普通の範疇を逸脱しているわけですが――。
「しませんよ、そんなこと」
 家守さんの言葉を遮るように、しかしその割には焦るでもむきになるでもなくにこやかに、栞はそう言いました。
「それじゃ駄目だと思ったから、孝さんに全部抱えてもらったわけですしね」
 そう言って、胸に手を当ててもみせました。
 望んでそうした、そうしてもらったことではあるのですが、そこにあるものは今ではもう形を――形だけではあるのですが――失っています。
 そしてそれを失わせた人物こそが、家守さんその人なのです。
 ともなれば、思うところあり、どころでは済まないのでしょう。どうやらここで浮かべるべき表情を定められないようで、家守さんは目元口元を落ち付かせられないでいるのでした。
 胸の傷跡。栞がそれを消す決断を下したことについては家守さんだって喜んでくれるところではあるんでしょうし、実際それを伝えた時、良い顔をしてくれてもいました。が、今回はその栞の決断の是非が焦点なのではなく、そしてそれが、今の家守さんの迷いが窺える反応の根拠にもなっているのでしょう。
 家守さんにからかわれた時、反撃できるようになった。
 その程度のことにすら感動するというのであれば、日向栞、喜坂栞という一人の人間の根幹に関わるこの話についてはそれどころでは済まなかろう、という話です。
「……愚問だろうけど」
 やや大きめに一呼吸ついてみせ、落ち着かなかった目元口元をひとまず微笑む際の形に落ち付かせた後、家守さんは栞に尋ねました。
「後悔するようなことって、ない?『それ』のことについて」
 今更ではありますが、そういえば家守さんに仕事を頼んだ時、高次さんは席を外してたんでしたっけ。僕達が家守さんに相談を持ち掛けたのを見てからのことだったので、正確には「席を外してくれた」ということにもなるわけですが。
 で、それもあって、ということなのでしょう。何をどうしたか、といったところについての明言は避けた家守さんなのでした。……まあ、高次さんなら知られても問題ないとは思いますけどね。なんせ家守さんの旦那さん――いやこの場合は助手さんとすべきでしょうか――なんですし。
「ないです」
 断言してみせる栞。強い口調だったりはせず、むしろ世間話でもしているかのようなトーンではあったのですが、しかしそれこそが疑う余地のなさを表しているような、そんな断言の仕方なのでした。
 が、それでいてこんなふうにも続けます。
「正直、最初は『引っ込みが付かないように』っていうのもなくはなかったんですけどね。自分を追い込むっていうか……。でも孝さんが期待以上に良くしてくれて、おかげで引っ込むどころか、今のところはこうして良かったなーとしか」
 なるほど、その頃はあまり期待度が高くはなかったんだな。
 とそんな冗談はさておいて、そんな栞だからこそ期待以上に良くしてあげられた、というのが僕側の意見です。だってそりゃあ、そんなことしても余計に傷付くだけなんじゃあ、なんてハラハラさせられてたらこっちだって思うように動けなくなっちゃうわけですしね。
「そっか。うん、そうだろうね、こーちゃんなら」
「はい」
 せっかくこっちが冗談や真面目な話で誤魔化そうとしているのに、好機と見られたか栞に同調して褒め殺しに掛かってくる家守さんなのでした。と、勝手ながらそういうことにさせてもらっておきましょう。
「ふふっ。――でもまあ、それはそれで追い込まれたってことだったりもするんですけどね。今更孝さんを裏切るようなことはできないぞっていう」
「で、そうして無理矢理にでも捻り出さないと不安要素が一つもない幸せな生活を送っているうち、とうとう結婚までしちゃったと」
「しちゃいましたねえ。とうとうってほど長期間の話でもなかったですけど……あ、でも、密度的にはそれでいいかも?」
「キシシ、おうおう惚気る惚気る」
「あはは、今更じゃないですかねえ今日はもう」
 褒め殺し、なんて冗談染みたことを考えていたところ、何やら本当に冗談染みた展開になってきました。
 ――が、しかし。
「じゃ、しぃちゃん。そういうわけで」
「はい」
 それは恐らく、準備だったのでしょう。どちらが仕掛けたというわけでもなく、そしてどちらかが仕掛けるまでもなく、互いが互いの考えを察し合ってなるべくしてそうなった、という。
 終わり良ければすべて良し。
 何の準備かと言われれば、そういうことになりましょう。
「これからもお幸せにね」
「はい。楓さんも」
 相手の幸せを願う。裏を返せばそれは、自分にはもう願うくらいしかできないということでもあります。
 そしてこの二人の場合、それは裏でも何でもなく。


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