(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第四十八章 ここにいない人の話 十

2012-07-27 20:51:02 | 新転地はお化け屋敷
「家族愛か。ふふ、いいものだな――ん? いや、そういえば今はもうわたしもそこに含まれるのか」
 家族愛。家族。そうですね、夫婦だって立派な家族ですもんね。
 ただしかし、その家族愛という言葉が内包しているのはこう、熟成したというか落ち着いたというか、そんなイメージなのです。果たしてそれが今の大吾と成美さん、ひいては僕と栞に、当て嵌まるのかと言いますと。
 ……そうではないですよね。最低あと一月くらいは他の人が近寄れない、なんて言っちゃってますしね、さっき。
「む? どうした日向、何をにやついているんだ?」
「あ、いえいえ」
 にやつくだなんてそんな、笑いこそすれそんな厭らしい表情をしたつもりはありませんでしたが、恐らくは熱でふやけた分が混ざってそんな感じになってしまったのでしょう。
「分かんねえでもねえけどな」
「説明し始めないでね?」
「そりゃな」
 うむ。
「むう、言い難いようなことなら無理に訊き出しはしないが……ならばまあ話を戻そうか。とは言ってもさっきまでの話題、わたしから話すようなことはあまりなかったりもするのだが」
 僕の体調を鑑みてということなのか、それともそこは関係なくなのか。どちらにせよ有難い話でしたし、どうせ後々二人っきりになったところで大吾から説明もあることでしょう。
 という勝手な判断で事態を大吾に丸投げしつつ、本題です。
「そうなんですか?」
 つまりは、幽霊になって人が変わってしまったという話。幽霊に関わりがあるにしても自分が幽霊というわけではない僕ですら話すことはあったのに、なんて。
 しかし成美さんのその言い分には、明確な理由があったのです。
「考えてもみろ。死んだら幽霊になるということが当たり前でないのは、人間だけなのだぞ? わたし達――とひと括りにするには範囲が大き過ぎるが、人間以外の生き物にとっては、死んだ後幽霊になるなんて当然のことなのだ。ならば性格が変わるほどの苦痛なんて生まれよう筈もないだろう」
 …………。
「言われてみれば」
「そりゃあ、だからと言って死ぬことが全く辛くないというわけではないのだがな、わたし達だって」
 という追加の一言も含め、ごもっともな話なのでした。
 がしかし、成美さんの話はまだ続きます。……いや、話自体はここで一旦の区切りを迎えたのですが、口は開き続けたというか。
「大吾、膝を貸してもらっていいか?」
「おう」
 もはや一々動じたりしないというのはもちろんそうなのですが、しかしどこか、「そうなると予期していた」とでも言えばいいのか、そんな雰囲気を醸し出している大吾なのでした。
「見ての通りだし、さっきも話したことだが」
 大人の身体ですら大吾にすっぽり抱かれた成美さん、どうやら本題に戻ったようでした。
「今はもうこうして人間の男と夫婦で、家族だからな。自分が人間でないからといって、知らぬ存ぜぬではいられないのだ。悪趣味に聞こえるかもしれんが、だから、人間にとって死ぬことがどれほど、どんなふうに辛いものなのか、知っておきたいと思うのだ」
「悪趣味だなんてことは」
 成美さんが言葉を区切ったその瞬間、考えを纏める前に口が動いてしまいましたが、纏まってもやっぱり同じことを言っていただろうな、とは思いました。
 人間の男性と夫婦になったから、というだけでも充分理由になろうところ、しかもその男性が既に幽霊、つまりは死を経験した人物なのです。ならば人間にとって死がどれほど辛いものかを知るというのは、その男性のことをより深く理解することに繋がるというものでしょう。
 僕だって、今でもちょくちょく栞の傷跡の跡に触れたりしてますしね。重大性はともかく、種類としてはそれと同じことなのでしょう。
「あ、悪い。オレ泣きそうだわ今」
 ……なんとまあさらっと言ってくれるんでしょうかね。気持ちは良く分かるけども。
「はい孝さん、あっち向いて」
「おごぇっ」
 湿っぽいような温かいような気分になっていたところ、急に栞から首を捻られて変な声を上げてしまうのでした。ゴリっていわなかった? 今。
「ごめんね、孝さん動かせないからそっぽ向いとくだけになっちゃうけど」
「いや、ありがとうございます。すんません栞サン」
 ――と、いうわけで。
 そっぽを向いている間は、最初から最後まで静かなままなのでした。声を殺していたのか、それとも元々そういうふうに泣く心境だったのかは分かりませんが、静かだったということから分かることとしてもう一つ、成美さんはそれを動じることなく受け入れていたのでしょう。
 だから庄子ちゃんから逃げられた、と大吾は言っていました。
 ならばそれと同じく、だから彼は今泣けているのでしょう。

「うし、落ち着いた」
 泣きそうだという宣言と同様、泣きやんだという宣言もまたさらりと。それでも一応はそろりそろりと顔をそちらに向けてみると、泣き付いたお詫びなのかお礼なのか、大吾は成美さんの頭を撫でていたのでした。普通ならお詫びやお礼として出てくる行動ではないんでしょうけど、まあそこは、あの猫耳あってのことというか。撫でられている側も気持ち良さそうですしね。
 ……で、です。二人のそんな様子を目撃してしまったというのは、これはもしかして、そちらを向くタイミングが少々早かったということになるんでしょうか?
「悪いな。こんな時に押し掛けたうえに、変に気ぃまで遣わせて」
「いや、それは全然」
 声を掛けられたタイミングからして、大吾が気付いていない筈はありません。ということであれば、問題はなかったということなのでしょう。
「ん? もういい?」
 ほっとしている僕の隣では、未だそっぽを向いている栞はそのうえ目を閉じてまで。普通はそれくらいするものかなあ、なんてちょっと思ったりもしましたが、どうなんでしょうね。
「うむ、もういいぞ。――はは、そもそも、わたしとしては別に見られていても構わなかったのだがな」
「あはは、まあそうじゃなかったら場所変えるなりしてたんだろうしね」
 要するにはこちら側が、というか栞がそう言ったからその言葉に甘えておいた、という程度のことだったのでしょう。見られても構わないにせよ、断る理由は特にありませんもんね。
「オレはちょっとくれえ構ったかもしれねえけどな」
「当たり前だ。人前で泣くことになんの抵抗もないということはないだろう」
「なのに見られても構わねえって言っちまうって、厳しいなおい」
「さっき甘えさせてやったからな。それくらいで丁度いいというものだろう」
「そういうもんかね」
 という怒橋夫婦の遣り取りにこちらの奥さんの様子を窺ってみたところ、「なるほど」と僕にすら聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で呟いていました。どうやら、こっちもそういうことになりそうです。
 聞こえなかったことにしておきましょう。
「で、まあ一応訊いとくけど、もう大丈夫なんだよね?」
「病人から言われる台詞じゃねえけどな。――あ、そうだ。今のこと、庄子に言ったりすんなよ? 次いつ来るか知らねえけど」
 何の関連性もないところから急に思い付くことじゃないような、とは思いましたが、ならば大吾にとってはそうではないということなのでしょう。関連性のない話をしていても、常に頭の片隅で妹のことを意識しているというか。
「気苦労が絶えないね」
「うっせえ、好き好んでやってんだよこれでも」
 でしょうともね。
「ふふっ。……うむ、まあしかしだ大吾、今回はそろそろ引き揚げたほうがいいのではないか?」
「まあそうだな、孝一こんな調子なんだし」
「それに加えて、泣いてみせた後に真面目な話をするというのも気恥ずかしいところがあるだろう?」
「……なんか、ホント厳しいな今日は」
 困ったような笑みを浮かべる大吾でしたが、するとそこへ栞からこんな一言が。
「さっきの話からすると、今厳しいってことは後で甘やかしてくれるってことなんじゃないの?」
「はっはっは。こら日向、ばらしてくれるな」
「あ。あはは、ごめん」
 …………。
「なんでオマエが照れた顔してんだよ孝一」
「そっちこそ」
「この流れでオレが照れるのは別に変じゃねえだろ」
「じゃあ僕が栞と同じようなことになってるのを想像してみてよ」
「悪かった」
「早いよ」
 と、そんなあからさまにアホらしい会話で場を流そうとする男二人。むしろ女性お二方はなんでそう平然としてらっしゃるのかと、そんな疑問を持ってしまうのは果たして正しい思考と言えるのでしょうか。
「何を想像したのかは知らんが、ほれ行くぞ大吾。体調を気遣って帰ろうとしているのに興奮させてどうする」
「興奮って言うな興奮って」
 なんだかいろいろ酷い展開ですが、ともあれその会話を機に帰り支度を始める大吾と成美さんなのでした。支度と言ってもまあ手荷物があるわけでなし、その場から立ち上がっただけのことなんですけど。
「見舞いになってなかった気がするけど、じゃあ、お大事にな」
「何か要り用ならまた言ってくれ。買い物ならいつでも引き受けるからな」
「ありがとうございます」
 そう言われて初めて、少なくとも明日一日くらいは休みを取ったほうが良いんだろうなあ、と。大学の出席のこともありはしますが、こればっかりは仕方がないとしておきましょう。無理してこじらせて余計長引かせるなんて、間抜けにも程がありますしね。
 二人の見送りに立ち上がった栞に続こうと身体を起こしたところ、栞から手で制されたので起こした身体はまた寝かせておくことに。ほんのちょっとも起きれないほど辛いわけじゃない、というのはこれまでのことで栞も分かってはいるのでしょうが、病人というのは得てしてこういう扱いを受けるものなのでしょうし、それに従っておくべきでもあるのでしょう。

「ふふっ」
 見舞客のお見送りを終えて戻ってきた栞には、それから少しして笑われてしまうことになりました。何があったのかと言いますと、ここで初めて盛大に咳をしたのです。もちろんのこと、僕が。
「いやまあ、言いたいことは分かるけどね? 別に大吾達が来てくれてる間我慢してたとか、そんなんじゃないからねェッホ! ゲッホッ!」
「あはは、ごめんごめん。悪化してるってことだもんね、笑うところじゃないよね」
 そうは言いながらも笑うのを止めようとは、堪えようとしているようにすら見えない栞は、くすくすと笑いながら台所へ消え、そしてコップ一杯のスポーツドリンクを用意してくれたのでした。
「ありがとう」
 という礼の言葉もそこそこに、喉が渇いていたというわけでもないのに殆ど一気飲みです。咳で喉が痛むというのももちろんですが、汗もそれなりに掻いているので、喉の渇きがどうあれ身体全体が水分を欲していたということなのでしょう。
「ご迷惑おかけします」
 飲むもの飲んだら落ち着いたというか、落ち着き過ぎたというか。咳と同じくらい盛大に息を吐いた後、僕はそんなちょびっとばかし後ろ向きな労いの言葉を栞に掛けるのでした。もちろんのこと、栞がそんなふうに思ってないというのは、僕だって分かってはいたんですけどね。
「いえいえ、好き好んでやってるんだし――って、あはは、さっき大吾くんも言ってたねこれ」
「あっちはあっちで今大変……って、ことになるのかな?」
「大変なくらい甘やかされてるってことだけどね、それ。さっきの流れからして」
 真面目な話をするとも言っていましたが、そうなのです。そういうことなのです。
 ので、あまりあちらのことを話題にはしないほうが良かろうとそう思っていたところ、どうやらそれは栞も同じことを思っていたようで、「それはともかく」と。
「私が看病する側になるなんてねえ、今更だけど」
「どんな感じ? やってみて」
「普通。想像ではもっとこう、される側だった時のことを思い出したりしちゃうかなって思ってたんだけどね」
「そう言ってる時点で思い出してるってことには?」
「あはは、なるんだろうけどね。――うん、でも、それを含めてもやっぱり普通。辛かった記憶なのは間違いないけど、『かった』だしね。過去形だもん、もう。誰かさんのおかげで」
 …………。
 誰かさんって誰? なんて、訊くことの方こそ恥ずかしいような質問はしないでおきますけどね、そりゃ。
 でも、その代わりと言ってはなんですが。
「また手、繋いでもらっても……ああいや、その前にもう一回身体拭いてもらっていいかな」
 欲が先行してしまいそうになりましたが、そこはなんとか切り替えて看病の本分を。繋いでもらったばっかりだけど汗拭いてもらっていい? なんて、後になって言うのはちょっとばかし恥ずかしいですしね。現状顔は最初から赤いので、ならその恥ずかしがってることが露見したりはしないんでしょうけど。
「ん、分かった」
 僕からのお願いを聞いた栞は、むしろ嬉しそうに準備に取り掛かるのでした。
 普通、とは言ってましたし、それを疑うつもりはありません。けれどたとえ普通であっても、辛くなくとも、「それら」の思い出はやはり、栞の頭の中を駆け巡っていることでしょう。それであの表情ということは、ならば栞にとって誰かを看病するというのはつまり、
「されて嬉しかったことなのか、それともして欲しかったことなのか」
 わざわざ口にしてしまったのは、これまた熱の影響、ということにしておきましょう。まさかタオルの準備で洗面所にいる栞の耳にまで届いたということはないでしょうし、届いたとしても特に問題になるようなことでもないんでしょうしね。
「どっちもだよー」
 …………。
 ま、まあ、問題ではなさそうだってことで。耳いいね栞。
 そらから少々ののち、栞が戻ってきたわけですが、
「今の私は常に孝さんを気にしてるからね。独り言とか、さっきくらいの声だったら気付いちゃうよ?」
「お見逸れしました」
 すると栞、得意そうにふふんと鼻を鳴らします。ええ、それくらいして頂いてなんら不自然のないことですとも。
「それにしても孝さん」
「はい」
「熱出してる時くらい、そういう難しいこと考えてくれなくてもいいと思うよ? 咳まで出始めたんだしさ」
「……うーん」
「まあ、考えちゃう人だとは思ってるけどね」
 はて、ここは照れるべきなのでしょうか。

 毎度毎度着替えまでしていると衣服が尽きるのは目に見えているので、身体を拭いた後はまた同じ服を着直します。とはいえ最初の時ほどぐしょぐしょではないので、まあ許容範囲でしょう。多少気持ち悪いのは否めませんが。
「まだちょっと早いけど、晩ご飯どうする? 食べれそう?」
「大学で食べてきたっていうのもあるからね……。でもまあ、ちょっとくらいは食べといた方が良いだろうし」
「さすが孝さん、ご飯に関しては妥協がないね」
「いつもとは方向性が違うけどね」
 なんて言いつつ、けれど栞が言っていることも間違っているわけではないのでしょう。
 しかし、です。今回のその妥協の無さというのは、他に主目的がありまして。
「で、その、晩ご飯の準備なんだけど」
「もちろんそれはお任せあれ。ちょっとってことなら、お粥とお味噌汁でいい?」
「有難き幸せ」
 よっしゃあ!――というテンションは些かこの状況にそぐわないような気がしたので、押し殺しておきました。殺し切れたかどうかは定かではありませんし、何やら栞に笑われたりもしてしまいましたが。

 で、「まだちょっと早いけど」の「ちょっと」が過ぎた頃。
「病院だと、ベッドに備え付けられるテーブルがあったんだけどね」
「…………」
 食事の時ぐらいは起きて食卓に着く所存だった、というか逆に食卓に着かないという発想なんて全くなかったのですが、しかし栞はベッドを降りることを許してくれませんでした。
 しかしその栞が今言った通り、このベッドは食器を並べられるようには出来ていません。ならばどうやってベッドから動かないまま食事をするかと言いますと、棚代わりの衣類ケースを使った――のは、間違いないんですが。
「はい孝さん、あーん」
 栞は僕に、手を動かすことすら許してはくれませんでした。
 いやその、もちろんそこに不満があるというわけではないのですが。
「て、照れるね、これはさすがに」
「さすがにって、今日は事あるごとに照れてるような気がするけど?」
 ――――。
「……仰る通りで」
「ふふ、まあ、気持ちは分かるけどね。私だって最初の頃はそうだったし」
「そっか」
「うん」
 最初の頃は、と。ならばそれは最初の頃の話であって、最初の頃以外はそうじゃなかったということなのでしょう。
 でもそれは、過去形の話です。
 というわけで現在の僕は、あまり気にすることもなくスプーン一杯のお粥を食べさせて頂きます。
「どう? おいしい?」
「…………」
「ん?」
「あふふへはへれはい」
「あ、ごめん! まだ冷まし足りなかった?」
 なかったのでした。ふーふーしてくれてたんですけどね、ちゃんと。
 まあしかし幸いにも火傷するほどではなかったのですが――はて、それは果たして幸いと言っていいようなことなのでしょうか?
 ともあれ口の中のお粥に再冷却を施し、味を問われているので少々ピリピリしている舌でその具合を確かめたあと、こくんと胃の中に落とし込みました。
「美味しい」
「そう? よかった。塩加減とか分からなくて、味見だけで結構食べちゃったりしたんだけど」
「……残量はともかく、美味しいのは間違いないよ」
 まあいいでしょう、お腹いっぱい食べたいという状況でもありません。そんなことしたら間違いなくリバースするだけでしょうし。
「味噌汁もそうだけど、栞ってこういう素朴な料理が向いてるのかもね」
「それ、褒め言葉?」
「そのつもりだけど?」
 豪勢な料理に比べて食材に手を加える余地が少ない分、素朴な料理というのは味付けの加減一つで様変わりしてしまいます。それが向いているということはつまり、味覚センスに光るものがあるということになりましょう。
 まあ、裏を返せば技術面の方はまだ修行中の域を脱し切れていない、という話でもあるんですけどね。そこらへんは僕の担当ですけど。
「遊びに来た客とかなら手間暇かけた料理を出したりもするんだろうけど、一緒に暮らしてるってことになったら毎度そんなに頑張るわけにもいかないしね。だったら、こういう料理が美味しいっていうのは食べる側としても有難いよ」
「……えへへ。じゃあ、はい孝さん、もう一口」
「待って栞、冷ましてない冷ましてない」
 茶碗からおもむろに掬い上げられた一杯のお粥は、そのまま僕へと差し出されたのでした。無論のこと、ほっかほかを通り越してあっつあつです。今度こそ舌が焼けます。
「あっ」
 ううむ、可愛らしいやら危なっかしいやら。

 具を食べ尽くした味噌汁をずずっと啜り(さすがにこれは僕自身にさせてくれる栞でした)、今日の夕食はこれで終了。とはいえ、
「お腹減ったりしたら言ってね、また出すから」
「うん。ありがとう」
 一日三食をきっちり履行するような状態でないのは明白なので、まあ、そういうことになるのでした。大学で食べた分を含めてもまだ普段よりは食べれてないんですしね。
「よし、じゃあ私も食べるかな。ついでにその後お風呂も――」
 僕なんかは既に食べた後なのですが、今現在は日向家の夕食としてはまだ少し早い時間帯です。お風呂なんて寝る直前くらいに入っているので、少しどころではありません。つまりそれは、まだまだ僕の看病があるだろうから用事は早めに済ませてしまおう、ということなのでしょう。頭が下がります、いろんな意味で。
 しかしそれはともかく、栞、ここで「ああ」と何かを思い付いたように声を上げました。
「孝さん、お風呂は?」
 ああ。
「止めとく」
「だよねえ」
 止めといた方が良いだろう、というのはもちろんですし、入るほど体力がないというのもそうですし、あと、せっかく身体拭いたりしてもらったのに結局風呂に入るんじゃあ、というのもありまして。
「私しか入らないんだったら、もうシャワーだけにしとこうかな?」
「いや、こっちとしては、風呂に入ってる時くらいゆっくりして欲しいような」
 そもそも「自分しか入らないからシャワーだけにしておこう」という発想は、それだけ聞くと可笑しくないような気もしますが、つい先日までお互い一人暮らしだったことを考えると、やっぱりちょっと変かなと。……いや、早くも同棲生活に馴染んでくれたという見方も出来なくはないんですけどね?
「病人が変な気遣いしないの。――って言いたいところだけど、どうしよう。お言葉に甘えちゃおうかな?」
「迷うくらいだったらもう、甘えてもらわないわけにはねえ。やっぱ止めたって言われても、もやもやするだろうし」
「あはは、そっか。うん、じゃあ、そうさせてもらうね」
「ごゆっくり」
「いやいや、今からはご飯なんだけどね?」
 そうでした。いやでもそっちにしたって「ごゆっくり」だし、なんて言い訳は、もちろんながら口にしたところで後付けでしかないので、引っ込めておきました。

 食事を済ませ、風呂掃除を始め、その後風呂を沸かしている間に食器を洗ってしまい、と傍から見ていてなかなかにせわしない感じの栞なのですが、しかしよくよく考えれば普段の生活でもなんだかんだでこれくらい動いてはいるのでしょう。「傍から見る」ことしかできない状態だからこそ、せわしなく見えてしまうというか。
「じゃあ、今度こそごゆっくり」
「うん」
 風呂が湧くまでに少しだけ余った時間を僕の傍で、僕の手を握って過ごした栞は、湧き終わったことを知らせる音楽に呼ばれ改めて同じ台詞を口にする僕に見送られ、着替えを手に風呂場へと向かうのでした。
「けほっ」
 栞が視界から外れた途端、咳が出ました。大吾達が帰った直後といいどうしてこう、こういうタイミングで。
 ともあれ。
「そういえば、昨日は……」
 洗面所兼脱衣所のドアが開く音、その後そこから浴室への扉が開く音を聞いたところで、僕は昨日のことを思い出すのでした。
「いやいや、自分から体温上げにいってどうする」
 思い出したものを振り払いました。何かと言いますと、なんて言っちゃうと振り払った意味がなくなってしまうのですが、そこはともかくとしておいて、昨日の風呂のことです。
 栞と一緒に入りました。
 ……いや、それだけのことなんですけどね?

 身体が熱いのは病気のせい、なんて、薄い壁の向こうから聞こえてくるシャワーの音を耳にしながら。当然ながら病気のせいだけではなくその音のせいでもあるわけですが、けれどだからと言って耳を塞いでみるというのも、夫として悲しいというか、あるまじきというか。
 そもそもこの音は同棲生活を始める前にだって何度か耳にしているものなので(お泊まりとかしましたもん、そりゃあ)、これで照れるのは今更というもの。ならばやはりこれは、病気のせいなのでしょう。そういうことにしておきます。
 で。
「お待たせー。……ではないんだよね、あはは」
 そうだね、僕は入らないわけだし。
 ――ではなく。
「栞、その格好」
「あ、やっぱり分かる? パジャマに見えなくもないしどうかなーって思ってたんだけど」
「前に一回見せてもらってるしね」
 風呂から上がってほっかほかの栞は、いつものパジャマではなく、それより更に簡素な衣服を着用していたのでした。そして僕は、それが何なのか知っています。
「見たくなったらこっちから頼むって話だったような」
「意表を突いてみました」
 確かに突かれたけど、突くようなことかなこれ。
 というわけで栞、患者服での登場なのでした。


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