(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第四十八章 ここにいない人の話 九

2012-07-22 20:46:35 | 新転地はお化け屋敷
「……ちなみに、寝てたのはどれくらい?」
「三十分くらいかな? 成美ちゃんは――まあ、もうちょっと掛かるだろうね」
 ということは成美さんはまだ帰ってきてなくて、そして栞はその約三十分間、ずっとこうして傍についていてくれたのでしょう。タオルを濡らし直したりしながら。
「でも丁度良かった、着替えさせてあげたかったし」
「お願いします……」
 もはや一切の抵抗は、する気にすらならないのでした。ましてや恥ずかしいだなんて。
 恥ずかしがるなんて今更、と栞は言っていましたが、けれど全くそう思うことができないというのは、それはそれで辛いものなのでした。大袈裟な言い方になりますが、人間としての尊厳がすっぽ抜けてしまったようで。
 ……ともあれ栞の手による僕の着替えが始まるわけですが、その前に僕はこんな質問をしてみます。
「寝てる間、うなされたりしてた?」
「ん? そんなことなかったけど。怖い夢見てたとか?」
「いや、見てないか全く覚えてないかなんだけどね。寝てたこと自体気付いてなかったし。……寝ちゃう前に考えてたことが、ちょっとね」
「どんなこと?」
「ただ熱出しただけでこんなにしんどいんだったら、栞の傍にいてあげたかったなって」
「…………」
「ああ、病院暮らしだった頃の話なんだけどね」
「うん」
「……ごめん、変なこと言った」
「そんなことないよ。嬉しいし」
 栞はそう言いながら微笑み、びしょ濡れの上着を脱がせると、その後僕の髪をさらさらと撫でてくるのでした。とは言っても、もしかしたら「さらさら」なんて擬音が相応しくない状態かもしれないんですけどね。これだけ汗を掻いているんじゃあ。
「否定のしようがないしね。誰でもいいから傍にいて欲しかったのは確かだし、今だったらその誰かっていうのは確実に孝さんになるんだし。――あっち向いてもらっていい? 背中拭くから」
「あ、うん」
 ベッドに直接置くのは躊躇われた、ということなのかもしれませんが、栞はびしょ濡れの上着を膝の上に置いて作業を進めるのでした。手を伸ばせばベッドの反対側に棚を兼ねている収納ケースもあるわけですが、そうするほどのものでもない、ということなのでしょうか。
 ともあれ言葉通りに背中が拭かれ始めるわけですが、硬く絞られたタオルはそれでもひんやりしていて、思いのほか気持ちがいいのでした。
 だったら額に載せている方のタオルも後で絞り直してもらおうかな、なんて思っていたらばその時、背中にタオルとは違う、重くて大きな感触がありました。――いや、把握してみればそれは栞が抱き付いてきたというだけのことだったのですが、物事を瞬時に判断する、というのは現在の僕の頭には難しいようです。
「熱い」
「そりゃそうだろうね」
「世間一般でそう思われてるみたいに幽霊の身体が冷たかったら、こうしてるだけで冷やしてあげられて一石二鳥だったのになあ」
 今の僕からすると、それはなんとも夢のような話です。
 が、とはいえどもやっぱり。
「損の方が大きいと思うけどね、それ」
「ふふ、まあね。……はい、じゃあ背中終わり。お腹側――は、横になってくれた方がやり易いのかな?」
「栞はそうだった?」
「だったねー。どうしても起きられない時は、背中拭く時も横になったままだったけど」
 どうしても起きられない、か。あるんだなあ、そんなこと。

「こうしてると、あの日を思い出すなあ」
「あの日?」
 着替えが済んで幾分すっきりし、数十分ぶりに気持ちよく横になっていたところ、相変わらず僕の傍から離れない栞が、そんなふうに話を切り出しました。
「こんなふうに孝さんを介抱することになった――って、ごめん。寝なきゃいけないのに話してばっかりだね私」
「いいよ、眠たいわけじゃないし」
 むしろ多少くらい眠たかったとしても眠りたくない、なんてことはまた怒られそうなので言わないでおきましたが。こんな状態で何馬鹿なこと言ってんだってな話かもしれませんが、なかなかいいじゃないですか、介抱してもらうっていうのも。未だに手も繋いでくれてますし。
「で、それってあれかな。四方院さんの家でのぼせて倒れた」
「そう、それ。その後にあったことのほうが印象強くはあるんだけどね」
 とそう言うからには、「その後にあったこと」についての話がしたいのでしょう。そう判断した僕は、自分からその話題に持ち込むことにしました。
「のぼせて倒れてた割には元気いっぱいだったというかね」
「介抱してた筈なのにされちゃっててね、私」
 四方院さんの家でのぼせて倒れたあの日というのは、栞が初めて胸の傷跡のことを打ち明けてくれた日であり、現在のところ過去最大の大喧嘩をした日でもありました。
「だから今もあんまり心配はしてないんだよ? 私。孝さんのことだからまたすぐ元気になるんだろうなってね」
「今回はさすがに病気だし、あの日ほどすぐってわけにはいかなそうだけどね」
「ふふ、まあ急かすつもりはないからそこは安心してくれていいよ」
 そりゃそうだったら困るよ、なんて思っていたところ、ここで栞の表情に少々の陰りが差しました。
「心配はしてないよ、くれぐれも。だからこれは、有り得ない想像ってことになるんだけど」
「なに?」
「もしこのまま孝さんが死んじゃったら私、どうなるだろうかなって。どうするだろうかなって、そんなふうに考えちゃって」
 …………。
「まあ、さっきまでの話が話だしね。別に変なことでもないと思うよ、そういうこと考えるっていうのも」
 心配はしてない、という言葉に嘘はないでしょう。心配しながらこんな話をし始めるというのは、自虐にも程があるでしょうしね。ましてやそれを実際に経験している栞なんですから。
「そう? よかった、怒られなくて。……でもまあ、じゃあどうするんだっていうのは、言わないでおくね」
「なんで?」
「泣いちゃう」
「そっか」
 有り得ないと、想像の話だと分かっていても、そうなってしまうんだそうです。それはさすがに一般的ではないというか、栞だからこそということなのでしょう。誰にとっても死ぬことは恐ろしいですが、それを実体験として知っているわけですし。
「じゃあ、こっちからも訊かないでおくよ」
「ありがとう。助かります」
 実感としての死。多分それは、敢えて知ろうとするようなものではないのでしょう。いくら答えがすぐ傍にあったとしても。
「ただね、そういうふうに考えたら」
 何も訊かないでおくことにはしましたが、けれど栞の言葉はまだ続くようでした。
「さっき孝さんが言ってた『傍にいてあげたかった』っていうの、私にもちょっと分かった。……そうだよね、死ぬことっていうのは、何も私だけの特権ってわけじゃないんだもんね。いや、特権って言い方は変なんだけどさ」
 最後の補足はやや慌てた口調で。
 言われてみれば、などと考えてしまうのはこれまた変な話なのですが、言われてみればそうなのでした。幽霊という存在には死のイメージが付き纏っていて、付き纏っているが故にその幽霊以外への死のイメージが薄れるというか――極端な話、僕だっていつかは死ぬのです。そうなる原因が寿命なのか病気なのか、はたまた事故なのかは分かりようもありませんが。
「自分が死んじゃうことと一番大事な人が死んじゃうことって、どっちが辛いんだろうね」
「二人セットで考えたら立場が逆転するからどっちもどっち」
 と即答してから、いや待て今のは即答して見せる場面だったかと。というかなんか返事の内容も変に捻くれてないかと。
 なんてことを考えている間に短いながらも沈黙が生じ、そしてそののち、栞が呆気にとられた調子のまま口を開きました。
「さっと出てきた割に凝った考え方だったね?」
「……頭が正常に働いてないだろうからね、今」
 真面目な質問に妙な返事をしてしまった、ということで焦りやら恥ずかしさやらに苛まれ、その結果栞から目を逸らす僕なのでしたが、
「ごめん。ちょっとだけ我慢してね、孝さん」
「ん?」
 我慢するって何を、と質問を投げ掛けるよりも前に、栞は行動に移っていました。
 ベッドの縁に腰掛けた位置はそのまま、ぼすんと僕目掛けて倒れ込み、そしてそのまま熱い――というのはこの場合、僕の体温がそうさせているのでしょうが――抱擁を、遠慮も躊躇いもなく。
「大好き」
「……嬉しいけど、なんで今のでこうなっちゃった?」
「今の、だったからだよ」
 頭が正常に働いていないという自覚はありますが、それでも栞のその返事は返事になっていないという僕の判断は正しいのではないでしょうか。
「死んじゃうことも、死なれちゃうことも、二人の話なんだよね。自分一人だけの話じゃなくて、孝さん、傍にいてくれるんだよね」
「そうしたかったって話なんだけどね、栞の時は」
「ううん、いいよ。それでも全然構わない。そう思ってくれる人がいるってだけで、私――私、ね」
 …………。
 顔が肩越しの位置にあるので表情は確認できませんが、これは。
「泣いちゃった?」
「あはは、そうみたい」
 そうらしいので、せめてもの慰めに髪を撫でておきました。なんだかんだ言っても身体がだるくて仕方がなく、それくらいしかしてあげられそうもない、というのもなくはないんですけどね。
 ちなみに。
 栞の表情と同じく確認できはしないのですが、栞が膝の上に置いていた僕の汗まみれの上着は、この体勢じゃあきっと床に落ちてしまったことでしょう。床まで汗でじっとりしてなきゃいいけど――って、さすがにそこまでではないか。
「うーん、今回もこうなっちゃったかあ」
 泣いてしまったらしい栞は、けれど嗚咽を漏らすどころか声を震わせることすらなく、自嘲気味な笑みを浮かべてみせるのでした。とはいってもやっぱり顔は見えないままなので、声色からの判断でしかないわけですが。
 それはともかく、という扱いにするにはやや勿体無いのですが、それはともかく本題です。今回も、というのは、さっき話にも出てきた「僕がのぼせて倒れた時のこと」を言っているのでしょう。またしても、介抱される側になってしまったと。
「なっちゃったねえ。こっちとしては別にいいんだけどさ」
「そう言ってくれるのが分かってるから泣けたっていうのも、なくはないんだけどね」
 言いながら栞は少しだけ上体を持ち上げ、ならばその顔がこちらの目の前にくるわけですが、確かにまぶたが涙できらきらしているのでした。
 流れ落ちるほどではなかったのか、それとも流れ落ちた分がベッドのシーツに染み込んだだけなのかは分かりませんが、ともあれ僕はまぶたに溜まっている分を指で拭いました。今流れ落ちたら僕の顔に直撃しちゃいますしね。それも別に構わないと言えば構わないんですけど。
「孝さん」
「ん?」
「キスしていい?」
「うーん……」
 普段なら即座に首を縦に振るか、それすらないまま口を寄せ合うかするところですが、今回はなかなかそうもいかないのでした。だって僕、病人ですし。
 いやそりゃあ幽霊である栞相手にそんなこと気にしたって全くの無駄ではあるんですけど、だからといって進んで不衛生を犯すというのも、いかがなものかと――とそこへ、ピンポーン、と。
「あ、誰か来た」
「ありゃあ、残念」
 別にキス一回程度の時間なら待たせるうちにも入らないんじゃ、とは思ったのですが、それを躊躇った側から言う台詞ではないような気がするので、そこには触れないでおきました。
 ところで、誰か来た、なんて反射的に言ってしまいましたが、まあ十中八九成美さんでしょう。一緒に行っていたのであれば恐らく大吾も、といったところでしょうか。
「はーい」
 やっぱり床に落としていた僕の衣服を拾い上げつつ、栞は玄関へ。それを持ったまま応対に出られるとちょっと恥ずかしいかも、なんて思いもしたのですが、玄関を横に折れて洗面所まで行ったらしい足音からして、どうやら先にそれを洗濯籠へ放り込んでくれたようでした。ほっ。

 で。
「孝さん孝さん、これお見舞いにって」
 廊下から居間越しに呼び掛けてきた栞の手には、二リットルペットボトルのスポーツドリンクが。しかもそれが両手分で計二本。軽くとはいえ大学で食べてきたこともあって食欲がない今、食べ物でなく飲み物というのは非常に有難いのでした。
 そしてお見舞いの品があるのなら、お見舞い自体も行われるわけで。
「来てやったぞ。――なんて、むしろ邪魔かもしれんがな」
「やっといろいろ済んだってところでぶっ倒れるなんてな。ゆっくりできねえなあオマエ」
「まあまあそう言わないでゆっくりしてってよ。あと、お見舞いありがとうね」
 というわけで、成美さんと大吾がやってきました。
「なにはともあれ孝さん、まずははいこれ」
 台所からせわしなく戻ってきた栞が突き出したのは、コップ一杯の水と粉末の飲み薬。スポーツドリンクを貰ったばかりではありますが、まあ、薬は水で飲むのが基本ということでしょう。それにまだ冷えてないでしょうし。
 栞のせわしなさに釣られてこちらも急いで飲もうとしてしまいそうになりますが、よく考えるまでもなくそんな必要はないのでゆっくりと。粉末タイプとなると、吸い込んじゃって盛大にむせかえることになったりしますしね。……実際に経験のある人がどれくらいいるものなのかは、存じませんけども。
 ともあれそんなことも起こらず無事に飲み終えたところで、
「――ふう、楽になった」
「なわけねーだろ、さすがに」
「いやいや、病は気からって言うし。なんだっけ、なんとか効果とか言ったよねこういうの」
「プラ……イバシー?」
「じゃないことだけは分かるけどね」
「オレも言いながら絶対違うとは思ってた」
 プライバシー効果。なんとなくやらしく聞こえてしまうのは、きっと熱のせいなのでしょう。もしくは、さっき栞とキス直前まで行ったからとか。
 ともあれ、名前なんてどうでもいいとしておきましょう。それで効果の内容が変わるわけでもなし。
「んで、大丈夫そうなのか? いや大丈夫じゃねえのは見たまんまだろうけど、オレらここにいても?」
「ああ、それは大丈夫だよ。今までだって栞と喋ってたんだし」
 頭が痛いとか咳が酷いとかならまだしも、少々鼻水が出てるくらいですしね。
「それはそれでなんか、邪魔したな」
「そんなこと言ってたらこの部屋、最低でもあと一月ぐらい誰も近寄れなくなるけどね。こちとら新婚だよ? そっちもだけど」
「……まあ、そっか」
 何馬鹿なこと言ってんだ、という流れにはなりませんでした。最後の一言が効果的だったということなのでしょう、恐らくは。
「そこで納得するな、恥ずかしい」
「ん? なんでそうなるんだ?」
「わたし達も同じような感じだと宣言しているようなものだろうが。否定はせんが、公言することでもなかろうに」
 要するには、四六時中ラブラブであると。そりゃあ今言った通り新婚なんですからそうもなりましょう――というかいっそ、そうならないほうが可笑しいくらいなんでしょうね。もちろん、それには一日中一緒にいられる環境が必要ではありますけど。
「よし、話題変えよう」
 僕の話と同じく成美さんの話も否定しなかった大吾は、何を納得したのか頷きながらそんな提案をしてくるのでした。
「栞サンと話してたってんならもう聞いてるかもしれねえけど、道端サンと大山サンの話」
「ああうん、もう聞いた。今から思うと、聞かされたのが倒れる前で良かったよ」
 しんどい時に聞かされるにはちょっと重めな話だしね、なんて思っていたら、大吾が何やら考え中。はて、今の応答に何か悩むような点があったでしょうか?
「前だったのか?」
「前だったよ?」
 少々の間があってからそんな遣り取りをしたところ、再度悩む大吾。何なんでしょうかね、一体。
「……どんだけギリギリまで体調崩してることに気付かなかったんだよオマエ。今そんな状態の割に、そん時から大して時間経ってねえだろまだ」
「あはは、それは自分でもそう思ってたんだけどね」
 途中で寝ていた時間があるので正確には分かりませんが、あれから一時間経ったか経ってないかというところでしょうか。完全に病人の体でベッドに横になっている現状がありながら、そのたった一時間前にはピンピンしていたなんて、自分のことながら呆れるばかりです。
 というわけで呆れていたところ、今度は成美さんからこんな一言。
「はは、日向が驚くぞ。そんな突然に倒れたりしたら」
 その日向というのはもちろん栞のこととしておいて。
 それは笑みも交えた冗談半分の物言いでしたが、けれど、あとの半分は真面目な注意だったりもするのでしょう。
 天寿を全うしてとはいえ、成美さんだって死を経験しているのです――というのは、的外れな話なのかもしれませんが。
「以後気を付けます」
「うむ、宜しい。よい夫であれよ」
「はい」
「一月程度誰も近寄れないほど仲が好いのもそれはそれでいいことだが、それに甘んじることなくな」
「……はい」
 もちろんこっちだって努力はするからな、と恐らくは妻代表としての意見を最後に添えつつ、成美さんは栞と微笑み合うのでした。別に狙ってそうしたわけではないのですが、結婚が成美さん達と同時期で良かったな、と。励みになりますもんね、やっぱり。
「話戻していいかー」
「あ、ごめん」
 僕が謝るところだったかどうかは分かりませんが、呆れてるんだか照れてるんだかな大吾に取り敢えずながら謝っておきました。そうでしたね、道端さんと大山さんの話なんでしたよね。
「熱っぽい顔で横になってること以外全く以って病人じゃねえよなオマエ。……まあいいけど、で、さっきの話な。栞サンも多分そうだったんじゃねえかと思うけど、オレらってやっぱ幽霊だし、そっち側の立場に立って考えちまうわけよ。人が変わっちまったっていう」
 という話にどうだったっけかなとその時の様子を思い出そうと試みていると、うんうんと力強く頷いている栞が目に入りました。そういうことだったんだそうです。し、そうだったような気もします。
「で、だからオマエの話も聞いてみたいなってな。こんな状態だけど」
「お構いなく。喋るのすら辛いってほど重病でもないしね」
 さっきの「よい夫」の話を考えると栞の顔色を窺いたくなるところですが、実際に窺ってみたところ全く問題だとは思っていなさそうなのでした。よい妻だ、ということでいいのでしょうか? これって。
 ――というわけではてさて、望まれた通りに僕の意見を述べ始めるわけですが、そこはそりゃまあ栞と話をしていた時と同じ内容になってくるわけです。
「自分でなんとかできなかった、か。ふむ、確かにそれはそう思うかもしれんな」
 その家族なり恋人なりの人が変わってしまったことだけが辛かったのではなく、という話。僕からすれば真っ先に思い付く当然の内容なのですがしかし、立場の違いとはこうも明確に思考に現れるものなのか、成美さんは今まで全くそんなふうに考えていなかったというような反応をみせるのでした。
 そしてそれは、やはりというか何というか、大吾も同様に。
「自分で、なあ。……オレがそうなったらって考えた場合、やっぱ相手は庄子になるんだけど」
 その時点でもう自分を幽霊側の立場に固定してしまっているわけですが、それをとやかくは言いますまい。大吾にとってはやっぱりそういう話になるんでしょうし、それが間違っているわけでもないんですし。
 で、庄子ちゃんです。大吾が幽霊になった(つまりは死んでしまった)当初からその存在を把握していた身近な人、という話であるなら、そりゃあそこで上がるのはこの名前なのでしょう。その頃はまだ幽霊を見ることはできず、声が聞こえるだけだったにしても。
「アイツから離れるためにここに――あまくに荘に逃げ込んでなかったら、オレもアイツに辛く当たってたんだろうかな」
「む? ここに来たからという話なのか?」
 逃げ込んで、と大吾は言いましたが、それを復唱した筈の成美さんはしかし、意識してすらいないような自然さで、その気に留めざるを得ない言葉を当たり障りのないものに置き換えているのでした。
 さすがは、とは思ったのですがしかし、その後に妻という言葉を持ってくるべきか最年長という言葉を持ってくるべきかは、判断しかねるのでした。
「そうだと思うぞ、多分。結局アイツはここまで追っ掛けてきたけど、まあそれでも、ここに住み始めたことで余裕が持てたってのはあるしなやっぱ」
「そうか……。うーむ、わたしには、お前が庄子に辛く当たるところなんて想像できんがなあ」
 それは僕も、そして栞もそう思ったことでしょう。口喧嘩未満の軽い言い合いくらいならしょっちゅう繰り広げている怒橋兄妹ですが、基本的には仲が良い二人ですし。
「道端サンと大山サンの話に出てきた二人だってそんな感じだったと思うぞ。幽霊になるまではむしろ仲良かったっつうなら、本人だって荒れたくて荒れたわけじゃねえんだろうし」
「それは――むう。まあ、そうなるか」
 不本意そうでしたが、一応は頷いてみせる成美さん。成美さん自身も庄子ちゃんとは仲が良いので、認め難いところはあるということなのでしょう。
「でよ、孝一」
 成美さんを納得させた大吾は、こちらへ話を振ってきました。ここで僕? と思わなくもなかったのですが、思い返せば大吾達はそもそも僕の意見を聞くためにここでこんな話をしているわけで。
「なに?」
「庄子はどうしてたと思う? もしオレがここに逃げ込まなくて、今言ったみてえに辛く当たり始めたりしたら」
「…………」
 言い難いですが。
「どうにかしようとはするだろうけど、やっぱりどうにもできなかったんじゃないかな」
「だよな、やっぱ」
 あまくに荘の「お化け屋敷」としての評判を当時の庄子ちゃんがどう捉えていたのかは分かりませんが、家守さんに相談を持ち掛けるくらいはもしかしたらできたのかもしれません。けれどこの話題は、僕がさっき言った「自分でどうにもできなかった」という話を基点にしています。庄子ちゃんが自分だけでどうにかできたか否かということであれば、それはやっぱり、しようとしたってどうにもならないと言うほかないでしょう。幽霊が見えてもどうしようもなさそうなところ、当時の庄子ちゃんは声が聞こえるだけだったんですし。
「大吾……」
「はは、いや大丈夫だから。『じゃあオレがここに逃げ込んだのは正解だった』ってことになるんだしな」
 心配そうな声と視線を送る成美さんでしたが、大吾はそれを軽く笑い飛ばしてみせるのでした。
「おかげで成美ちゃんとも出会えたし?」
「そうそう――いや、そうだけどそうじゃなくねえですか栞サン?」
「ふふっ」
 というのはともかく。
「大吾、庄子ちゃんのことを考えてここに住み始めたわけだし、じゃあ冗談を抜きにしてもそういうことでいいんじゃないかな。細かく言えば別の理由だったにしても」
 辛く当たるかもしれない、というのは今日初めて出た話であって、大吾が庄子ちゃんから離れようとしたのは、幽霊が「人間社会の常識から外れた存在だから」です。関わっていれば不利益を被ることもあるんでしょうしね、やっぱり。
 関わる方は、利益の方が遥かに大きいと思っているから関わりに行くわけですけどね。
「そう言って貰えると有難えけどな。アイツ本人はアホとかバカとかしか言ってこねえし」
「見事な裏返し過ぎてむしろストレートな愛情表現だけどね、それ」
「まあ真面目な話、だから逃げようと思えたんだけどな。家族愛……って、言葉にしたら滅茶苦茶恥ずいけど」
 ここでも出てきた逃げるという言葉。しかしそれはどうやら、大吾にとって後ろ向きな意味を持つものではないようでした。なるほど、だから成美さんもあんなにさらりと流せていたんでしょうね。その辺りの事情はしっかり把握していることでしょうし。


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