それはさておき、その家から少し離れた所に岩白さん宅のものであろう普通乗用車が停めてあり、その周辺が駐車スペースっぽくなっていた(あくまでそれっぽいというだけで、明記はされていなかった。要するに敷地の隅)ので、その隣に駐車。狭い車内からわらわらと外へ這い出す僕達一行。
「へぇ、思ったより広いんですねここ」
車外へ出てみると、周りが斜面だった事から「小さな山の頭を平らにした感じだろうか」と想像していたので広さはそんなにないだろうと思っていたけど、なかなかどうして。ここから見える範囲だけでもかなり余剰スペースがあるようでした。
で、その見えない範囲を作り出しているさっきの岩白さん宅ですが、見る角度を変えてみるとお堂とそのまま繋がっているようでした。
「いやー見事なまでに変わってないねえ。こんなんだったこんなんだった」
トランクから弁当とビニールシートを担ぎ出した家守さんは五年前に来たっていうのを懐かしむように視線を行ったり来たりさせると、
「で、こーちゃん悪いけど飲み物持ってくれるかな。クーラーボックスにまとめて入ってるから」
「あ、はい」
背中に成美さんを担ぎ、右手にジョンのリードを持った大吾に頼むのはさすがに避けて僕に荷物を頼む。ちなみにサタデーはジョンの上。
という事で開いたままのトランクを覗いてみると、ご指名のクーラーボックス以外にも何やら荷物が。そのパンパンになったリュック―――と言うよりは何か大きな薄い長方形のものを詰め込んで角張った感じになってたけど、これが誰のものかは言わずもがな。まあ持ち主がトランクに詰め込むところ見てたしね。
横から顔を出した清さんがその変形したリュックを背負い、僕はクーラーボックスを持ち上げる。が、かなり重い。持ち上げても中身が揺れてる気配がしないので、多分入るだけ詰め込んであるんだろう。という事は。
「成美さんお疲れ様でした。こんなにたくさん」
中身が缶かペットボトルかは分からないけど、成美さんの体格じゃあ一度に持てる量も限度があるだろうし一体店と家を何往復したのやら。自販機かもしれないけど。
しかし当の本人は、ペット係の背中越しにクエスチョンマークを浮かべる。
「ん? わたしがその中身を買ったって事か? いや、わたしじゃないぞ? 最近の買い物は昨日の食材セットだけだ。まああれだって充分重かったがな」
あれ、そうなんですか? ああでも昨日はお疲れ様でした。確かに袋いっぱいでしたしね。
すると僕がトランクでごそごそしてる間に丸めたビニールシートは家守さんの右腕から栞さんの両腕に移っており、荷物が減った家守さんが話に参加する。
「あーそれアタシだよ。昨日仕事の帰りに買っといたの。車だし」
なるほど。
「いくらなんでもなっちゃんに頼むのは無理があるからねー」
と続けて笑い飛ばすと、その体格的に不利な人を背に大吾が嫌味を垂れだす。
「情けねえな。仕事だっつうのによ」
「仕方ないだろう。文句があるなら一日仕事を引き受けてやろうか?」
「つーかそりゃあ一番仕事に趣味入ってるヤツが言える台詞じゃねえゼ大吾。その上楽だしな」
「あんだとテメエ! 仕事される側のクセによ!」
「HAHHAAAAA! じゃあお仕事開始だ捕まえてみやがれぇぇぇぇ!」
サタデーがジョンから飛び降りて逃走を開始すると、
「待てやコラァァァァ!」
見え透いた煽りにどっかりと乗っかって後を追うペット係。楽しんでわざと釣られてるのか本気で怒ってるのかどっちなんだろう? と、遠ざかるその背を眺めていると成美さんが姿を消している事に気がつく。
「相変わらず阿呆だなあいつは」
いつの間にか背中から降りていた成美さんは置いていかれたジョンのリードを手に、既に声の届く範囲にはないその背中に薄く笑みを浮かべながら悪態をついた。そしてその背中の更に向こうには、お堂の陰からちらりと覗く桜の枝。
「でも、怒橋くんはああだからこそサタデー達やジョンに好かれているんですよ」
「……ふ、そうかもな」
同じく背中を見送る清さんのその言葉を成美さんは鼻で笑いながら、薄い笑みをほんの少しだけ濃くした。そしてその成美さんを下から見上げながら、ジョンは嬉しそうに尻尾を振りだす。まるで、控えめでしかない成美さんの表情の変化を大袈裟に周りへと伝えようとしているかのように。
そんなジョンの頭をがしがしと多少乱暴めに撫でると、成美さんは家守さんに目をやった。家守さんもその視線の意味するところはすぐに察したらしく、やれやれと肩をすくめると、
「さてさて、アタシらも突っ立ってる場合じゃないかね。そいじゃみんな、移動だよー」
「はーい」
「ワンッ!」
返事をしたのは栞さんとジョンだけだったけど、走っていった二人を除いたみんなで揃って移動開始。目指すはもちろん、岩白さん宅兼お堂の陰からちょっとだけ見えてる桜の木。
少々重めの荷物に砂をじゃりじゃりと踏む足音も大きくなりつつ進んでいると、清さんが呟いた。
「おや、誰かいますね」
建物の陰から桜がその全身を現すと、目指す桜の木の下でゴミ袋を携え、しゃがみ込んでごそごそしている人を発見。と言っても、その背中姿はどう見ても大吾ではなかった。もちろんサタデーでもない。まあ仮にサタデーだったとしたら「誰か」なんて表現にはならないだろうし。サタデーは後ろから見ようが前から見ようが上から見ようがサタデーでしかありえないしなあ。
岩白さんほどとまではいかなくても結構長めなその髪を見る限り、あの人は女の人だろうか? 一体何してるんだろう?
するとあちらも足音からこちらに気付いたようで、ごそごそとした動きを止めると、立ち上がってこっちを向いた。
「あ、えーっと、あなたが日向さん?」
「え? は、はいそうですけど」
振り向いてみれば、眼鏡と軍手を装備したちょっとキツそうな目つきの女性。明らかに初対面な人にいきなり名前を呼ばれてたじろいでいると、
「岩白神社にようこそ。私はセンの姉の春菜といいます」
早速初対面らしい挨拶を賜った。なるほど岩白さんのお姉さん――にしては身体的特徴が似通ってないような。
「あ、初めまして」
小さいどころか恐らく僕より僅かばかりだが確実に背が高そうなお姉さんは、続けて家守さんにも挨拶をする。
「初めまして」
「初めましてー」
その挨拶は他のみんなにまとめて、ではなく明らかに家守さん一人を対象としていた。つまるところお姉さんには栞さん達が見えてないんだろう。でもこういう場合、成美さんが掴んでいるジョンのリードってどう見えてるんだろう? 宙に浮いてたら不審がるだろうし、やっぱり首元まで完全に消えてるのかな。まあ大吾の散歩の時でも騒ぎにはならないから消えてるんだろうな。
目つきの割ににこやかな挨拶を済ませると続けてお姉さん、「車でお越しですか?」と小さな旅館の電話予約みたいな事を訊いてきた。それに運転手の家守さんが「そうですよ」と初めて聞く丁寧口調で答える。
それを聞いてついつい、「そう言えば岩白さんと僕が同い年なんだから、お姉さんは家守さんと同じくらいの年齢かも……いや、それはさすがに年が離れすぎか」と結構失礼な論理が頭をよぎってしまった。それはともかく、
「あぁよかったー」
と小さく安堵するお姉さん。
「どうかしましたか?」
それを聞いた家守さん、普段の様子からか違和感を禁じえない口調のままで尋ね返した。
「あ、いえ。妹が下で道案内をすると言って降りてしまっていたので。すみません道があんなので……」
「いえいえ、妹さんのおかげですぐに分かりましたから」
その岩白さんを見つけるまでにとろとろ迂回してたから本当はすぐって訳じゃないんですけど、その辺りは家守さん気を利かせたらしい。普段とはえらい違いだ。
で、挨拶も済んだところで気になるのはお姉さんの両手にはまった軍手と傍らのゴミ袋ですが。
「お姉さんは、何をしてらしたんですか?」
その質問を言い終える前から、お姉さんは僕の台詞のある箇所が気になった様子。
「お姉さん……」
そっちに反応しますか? 聞きたかったのは台詞の後半部分についてだったんですけど。と言うか、お姉さんはお姉さんですし。
特におかしなところはないと思うけど、何故かその「お姉さん」という部分について考え込んでしまうお姉さん。いやだからお姉さんがお姉さんを悩まなくても。……あーなんか文章としてスッキリしないな。
「日向さんは、確か妹と同い年なんですよね?」
「あ、はい。信じ……」
ついうっかり「信じられませんでしたけど」と続けてしまいそうになり、慌てて口を噤む。いくらなんでもご家族の前でこれは失礼にも程がある。
するとお姉さんそれに気付いてかそうでないのか、とにかく口をちょっとだけ緩ませると、
「でしたら私とも同い年ですよ」
「え? という事は、もしかしてセンさんとは双子なんですか?」
もしかしても何もそれしかないだろうと思っての発言だったけど、お姉さんは「んー……」と明らかに不正解だった時の反応を見せた。うーん、反応がことごとく予想外な人だなあ。
「誕生日が近いだけで、双子ではないんです。でもまあずっとそんなふうだったんで、『姉』扱いに慣れられないんですよね。普段そう呼ばれてる訳でもないし」
という事は………どういう事でしょうか? 家庭の事情的な?
「……ってすいません、何してたかでしたよね」
あ、そうでしたそうでした。
問い掛けた本人ですらこんな調子になってしまうくらい印象の強い話に脱線してしまったけど、ここでお姉さんが流れを修正。そして再開。
「草引きです。あの入口と同じで、あんまり手入れが行き渡ってなくて……お見苦しいところをお見せしました」
はにかみながらそう言うお姉さんの言葉に桜の木周辺の地面を見下ろしてみると、砂地と草地の境界線が草の進行によって侵されている、といった具合にぼやけてきていた。
桜が生えているのは神社の敷地の隅なので、そのぼやけた境界線に巻き込まれかけていたのだった。
「いやいやそんな事ないですよー。それより一人で作業してるんですか? 大変そうですね」
家守さんが普段とは違ったにこやかさでそう返すと、お姉さんは苦笑した。
「たまに地元のボランティアの方達が来てくださるんですけど……時期的にはもうすぐ来てもらえる頃なんですけどね」
つまり、僕達の来るタイミングが悪かったと。ボランティアさん達が来る直前の一番草ぼうぼうの時期に来ちゃったって事ですね? そいでもってその連絡を深道さん霧原さんから伝えられたから、僕等の目当ての桜周辺だけでも草を引いておこうと作業に踏み出したってところですかね? それは、意図しなかった事とはいえなんだかすいませんでした。
「ねえ孝一くん、手伝ってあげようよ。この広さじゃいくらなんでも……」
申し訳ない気分になったところで、後から栞さんが声をかけてきた。その栞さんが眺めるのと同じように敷地の隅にそってずーっと視線を逸らしていくと、ゴールは遥か向こう。もちろんそこまでずっと桜が生えてるわけじゃないけど、確かに見ただけで気が遠くなるような距離ではある。
しかしこの神社関係者と参拝者(実際は桜目当てだけど)という関係を踏まえた上で、「大変そうだなあ」から「なら手伝おう」というところまで考えが進むというのは、栞さんの掃除好きがなせる業でしょうか。それともただただ親切だという事でしょうか? とにかく僕には手伝おうというところまでは意識がいきませんでした。
「そう――ですね。たまには汗水垂らして働くのもいいかもしれませんし」
草引きで果たして汗水が垂れるものなのかどうかはやってみなきゃ分かりませんけど。
相手が見も知らないただの神社の人ならともかく知り合いのお姉さんという事もあって、半ばやけくそで了承してみた。ええかっこしいだとかいう事は……多少はあるかなやっぱり。
「地道な作業は嫌いじゃないですよ。んっふっふっふ」
「なんだ、これは賛成の流れか? ……ま、たまには社会奉仕もいいだろう」
「ワフッ」
するとお姉さん、
「ああ、やっぱり幽霊の方もご一緒でしたか」
あっ。
「霧原さんから連絡を受けた妹から聞いてたんですよ。花見に来るのはあのアパートの人達だって」
「あれ? じゃあこーちゃんそれまでは言ってなかったって事? 今日来るのがアタシらだって」
「あー……」
思い返してみれば、僕があまくに荘に住んでる事は言ったけど花見に行くのもそこの人達とって事は言ってなかった………ような気がする。あの時は花見の場所を聞き出すのに精一杯だったからなあ。訊こうとする度に次々人が出てきて。
「そうかもしれませんね。すいません大事な事なのに」
お姉さんが幽霊に理解のある人でよかったぁ。下手したら今の栞さんとの会話だけで宜しくない印象を与えてしまってたかもしれないし。
しかしお姉さんは軍手を着けた手をぱたぱたと振りながら、
「ああ、どっちにしろ私は見も聞こえもしませんから。それでさっきの話、どういう内容だったんですか? 働くとか聞こえましたけど」
すると家守さん、見も聞こえもしないという事で意思を伝えられない栞さん達に代わって、今の話を繰り返す。
「いえね、うちのお掃除好きの幽霊さんが草引き手伝いましょうかって。どうですか? 他のみんなも賛成っぽくなってますけど」
「え、でもそんな、悪いですよ」
ここですんなり「じゃあお願いします」とはいかないのは分かってたけど、だからと言ってあっさり引き下がるのなら最初からこんな事言わない訳で。
「いえいえ、是非やらせてあげてください。みんな普段する事がないので体力が有り余ってるんですよ」
それはちょっと嘘入ってますけどね。
「そ、そうですか? じゃあ……お願いします」
好意に甘えると言うよりは押し切られたという感じでお姉さんが頭を下げると、まだ誰も何も言ってないのに「みんな嬉しそうですよ」と家守さん。けどもみんなもそれに文句があるわけではなさそうだった。
「ありがとうございます」
「こちらこそ」
そんな訳で、桜の木の下にシートを敷き、その上に各自荷物を置き、荷物番にジョンを任命して草引き開始。
「勝手にお弁当食べちゃ駄目ですよ、ジョン」
「ワンッ!」
清さんの念押しに元気よく吼え返すと、シートの中心にぺたんとおすわり。怖いくらいお利口なのはいつもの事なので今更ツッコまないでおくとして、しっかりね、ジョン。
お姉さんと家守さん、栞さんと清さん、僕と成美さんの二人ずつに分かれてグループごとに多少離れた位置で草を引くことに。抜いた草を入れるゴミ袋が一つな以上、そんなに遠く離れるのもあれなんだけど。
そしてその作業開始と同時に、
「しまったな。髪留めか何か持って来ればよかった」
と成美さんがその圧倒的に長い髪を気にしながらつぶやいた。
僕がこちらに引っ越してきてから出会った女性は、栞さんを除いてみんな髪が長い。その中でも成美さんは自身の身長と髪の長さの比率で考えるならダントツだ。なんたって普通に立ってるだけでも地面すれすれまで伸びてるんですから。
そして草引きをするのなら、必然的にしゃがまなければならない。すると髪が地面に届いてしまう訳でして。
「栞さんにカチューシャ借りて、それでなんとかなりませんかね?」
本来カチューシャはそういう使い方をするものではないと思いますが、この際文句は言ってられませんね。他に何も無いんですから。
しかし成美さん、ちょっと離れた場所で清さんとともに草引きを開始した栞さんにちらっと目をやると、
「いや、自分で何とかするさ。要は髪が地面につかなければいいのだからな」
そう言って所々でぼさついた白い髪を纏め、肩越しに体の前へと持ってきながらしゃがみ込み、伸びた髪は膝の上へ。なるほどこれなら砂が付く事はないですね。
小さな膝の上で広がる白い髪の純白さを「そうめんみたいだなあ」と頭の中で褒め称えてみたものの、よくよく考えるにあんまりこれを言われても褒められたような気にはならないかな、ということで口に出すのは自重しておく。しておいて、草引き開始。
「大吾とサタデーはどこまで行ったんでしょうね?」
「さてな。強制的に付き合わされる他の六匹が可哀想だ」
しかしこちらの現状を省みるに、あまりそうとも言えないような。大好きな大吾くんと走り回ってるほうが強制的とはいえまだ楽しそうな気もしますよ。
そうしてプチプチ草を抜いていると、そのうち中々抜けない草にぶつかった。こういうのって根っこがすごい事になってると思いきや、抜けてみたら案外そうでもないって事があるんだよなあ。ああいうのってなんで抜けにくいんだろう? 引っ張る角度とか?
などと小学校での庭掃除経験を思い出しながらぐいぐい引っ張っていると、ふと現在不在な植物の笑顔が頭をかすめた。
「サタデーにとって草引きってどういうふうに見えてるんですかね? 同胞殺し?」
「嫌な事を言うな。確かに間違ってはいないのかもしれんが……」
成美さんも半分同意はするが、確証はないらしい。
「あまくに荘では草引きとかしてないんですか?」
してるんならそれをサタデーが目にする機会もあると思うんですけど。
「してないな。裏庭はあの通り伸び放題だし、表も目立つ部分は生えてこないからな」
確かにあそこの裏庭は草原みたいになってるから草引き云々どころじゃないし、表は逆に砂や土が剥き出しだ。引く草がそもそも無い。
そうして納得するのとほぼ同時に、固い感触がふっと消え去りその反動で尻餅をついてしまった。
おお、やっと抜けたよ。
「なんだなんだどんくさいな。ズボンの尻が汚れるぞ。……ん、この草びくともしないな」
その後どうなったかは言うまでもないでしょう。不機嫌そうに髪とお尻の砂を払う成美さんの様子は微笑ましいものがありました。本当に微笑んだら火の玉かもしれないので堪えましたけどもね。
「サタデーがいなくてよかったね、清さん」
「どうしてですか?」
「いやほら、草引きって……サタデーも植物だし」
「んっふっふっふ。面白い事を言いますね。ふーむ、サタデーが戻ってきたらその辺り訊いてみますか。どう思うものなのか」
「えぇ~、大丈夫かなぁ」
「んっふっふっふ。困った顔のサタデーとその後ろに桜の木、ですか。いい絵になりそうですねえ」
「ん? じゃあ今日は清さん、絵を書くんですか?」
「それと写真も、ですね。そうそう、朝遅くなったのは実は青の絵の具が見つからなかったんですよんっふっふっふ。今日は天気もいいですし是非空の色も収めたいですからねえ絵のほうはさっきの構図で行くとして写真はどうしましょうかやはり桜は入れたいですからここはむしろ草を引く前の写真がいいですかねえ後で岩白さんに相談を」
「あ、あうぁあ~……」
「今は走り回ってていないんだけどさ、実は今日連れて来た幽霊の中に花の幽霊がいてね」
「花……ですか? 人以外の幽霊というのは初めて聞きましたが」
「よく英語交じりで喋る変なヤツなんだけどね、そいつがこの作業見たらどう思うかなーって」
「じゃ、じゃあここにこられる前に止めておいたほうがいいのでは?」
「にっしっし。いいよいいよ面白そうだし」
「はあ」
「それにしてもさ、こーちゃんと同い年の割に随分大人っぽいよね岩白さん。ああいや見た目はもちろん年相応だけど、雰囲気と言うかなんと言うかね。てっきりアタシと同い年くらいなのかと思っちゃったよ」
「え? えっと、そちらはどのくらいなんですか?」
「あ、申し送れました。アタシは家守楓っていいます。それで年のほうは二十七だよ」
「そんなに……あ、ご、ごめんなさい!」
「……褒め言葉として受け取っておくよ………」
それから暫らく意識して嗅がなくても手から草の匂いが漂ってくるくらい作業を続けたが、それでもようやく桜の生えてる一帯がすっきりしたという程度だった。
六人がかりでこれなのだから、もちろん桜の生えてる一帯だけとはいえ結構な広さではある。が、神社の敷地全体で考えればまだまだ終わりそうもないのもまたもちろんな事でして。
本当広いなここ。
その草引きの間に清さんが家守さんを通してお姉さんに何か話し掛けたと思ったら、
「あっちの桜の周りだけは草を残してくださいとの事です」
そんな感じで一番隅の桜一本の周辺だけは草引き免除と相成りました。清さんは何をするつもりなんですかね?
そんな事もありつつ、よく考えたらまだ昼ご飯を食べてないので疲れとともに空腹にも襲われて、情けない事にへばってきました。
「んー、一時かぁ。そろそろお弁当食べよっかみんな」
おお、ナイスタイミングですよ家守さん。切り上げるタイミングをお姉さんでなくこっちで決めていいのかどうかはこの際不問にします。お腹空きましたから。
「さんせぇ~い……」
へろへろな状態でなんとか声を絞り出すと、同時にお腹の虫が元気よく鳴きだしました。
ぐぅおぉ、だそうです。
抜いた草をまとめてゴミ袋に放り込んでジョンが待っているビニールシートに戻ってみると、おすわりで僕等を見送ったジョンは気持ち良さそうに丸くなって寝息を立てていました。その背中には桜の花びらが斑点のように舞い落ちていて、お昼寝の心地よさを演出しているようでした。寝てる本人にとっては気付きもしない事なんでしょうけど。
これだけ天気がよければ、しかもそんなぽかぽか陽気の中でじっとしてれば眠気を誘われるのも無理もないかな。お休み、ジョン。こっちも休憩タイムに入るよ。
「あの、すごく助かりました。ありがとうございます」
お姉さんが深々と頭を下げてお礼を言うと、家守さんはいつの間にやら普段通りに戻っていた口調で答える。意外な提案を添えて。
「いやいやこっちから頼んだ事だしさ。それはそれとして、春菜ちゃんお昼もう済ませた? もしまだならお弁当一緒にどうかな?」
「あ、いえまだですけどそんな……」
そこから先は、どこからともなく聞こえてきた腹の虫の鳴き声によってストップしてしまった。そしてお姉さんはお腹を押さえてわずかに頬を赤く染める。
「で、でも」
一旦は停止したお断りの言葉だったが、他には誰も喋っていないにも関わらず「でも」という言葉で再開される。にやにや。
「家、すぐそこですから」
お姉さんが振り向いた先にはお堂が。確かに神社内にいる限りは、常に家はすぐそこという事になりますね。
にしても、そのお堂のほうから誰かがこちらに歩いてきてますね。
「春菜さーん! お昼できましたよー!」
ああ、結構近くまで来てたんですね。遠近法で小さく見えてるのかと……冗談ですけどね。
という訳でこちらに近付いていたのは妹さん、つまり岩白センさんでした。多少距離があるとはいえ大声を出すほどではないと思いますが、まあそういう人なんでしょうね。健康的と言うか元気いっぱいというか。
「あぁ、分かったー。すぐ行くわー。……えっと、それでは。誘って頂いてありがとうございました」
もしかしたら無理に誘って嫌がられてるんじゃないのかとも思ったけど、若干名残惜しそうなその様子にほっと一息。
目つきはちょっとおっかないけど実際のところは物腰丁寧で大人な人だったお姉さんともこれでお別れ、かと思ったら。
「あぁ、ちょっと待って」
「はい?」
家守さんが思いついたように、背を向けて歩き出したお姉さんを呼び止める。そして手の平を握ったり開いたりさせながら、
「手洗える所とかあるかなぁ。草の汁でベタベタになっちゃって」
「へぇ、思ったより広いんですねここ」
車外へ出てみると、周りが斜面だった事から「小さな山の頭を平らにした感じだろうか」と想像していたので広さはそんなにないだろうと思っていたけど、なかなかどうして。ここから見える範囲だけでもかなり余剰スペースがあるようでした。
で、その見えない範囲を作り出しているさっきの岩白さん宅ですが、見る角度を変えてみるとお堂とそのまま繋がっているようでした。
「いやー見事なまでに変わってないねえ。こんなんだったこんなんだった」
トランクから弁当とビニールシートを担ぎ出した家守さんは五年前に来たっていうのを懐かしむように視線を行ったり来たりさせると、
「で、こーちゃん悪いけど飲み物持ってくれるかな。クーラーボックスにまとめて入ってるから」
「あ、はい」
背中に成美さんを担ぎ、右手にジョンのリードを持った大吾に頼むのはさすがに避けて僕に荷物を頼む。ちなみにサタデーはジョンの上。
という事で開いたままのトランクを覗いてみると、ご指名のクーラーボックス以外にも何やら荷物が。そのパンパンになったリュック―――と言うよりは何か大きな薄い長方形のものを詰め込んで角張った感じになってたけど、これが誰のものかは言わずもがな。まあ持ち主がトランクに詰め込むところ見てたしね。
横から顔を出した清さんがその変形したリュックを背負い、僕はクーラーボックスを持ち上げる。が、かなり重い。持ち上げても中身が揺れてる気配がしないので、多分入るだけ詰め込んであるんだろう。という事は。
「成美さんお疲れ様でした。こんなにたくさん」
中身が缶かペットボトルかは分からないけど、成美さんの体格じゃあ一度に持てる量も限度があるだろうし一体店と家を何往復したのやら。自販機かもしれないけど。
しかし当の本人は、ペット係の背中越しにクエスチョンマークを浮かべる。
「ん? わたしがその中身を買ったって事か? いや、わたしじゃないぞ? 最近の買い物は昨日の食材セットだけだ。まああれだって充分重かったがな」
あれ、そうなんですか? ああでも昨日はお疲れ様でした。確かに袋いっぱいでしたしね。
すると僕がトランクでごそごそしてる間に丸めたビニールシートは家守さんの右腕から栞さんの両腕に移っており、荷物が減った家守さんが話に参加する。
「あーそれアタシだよ。昨日仕事の帰りに買っといたの。車だし」
なるほど。
「いくらなんでもなっちゃんに頼むのは無理があるからねー」
と続けて笑い飛ばすと、その体格的に不利な人を背に大吾が嫌味を垂れだす。
「情けねえな。仕事だっつうのによ」
「仕方ないだろう。文句があるなら一日仕事を引き受けてやろうか?」
「つーかそりゃあ一番仕事に趣味入ってるヤツが言える台詞じゃねえゼ大吾。その上楽だしな」
「あんだとテメエ! 仕事される側のクセによ!」
「HAHHAAAAA! じゃあお仕事開始だ捕まえてみやがれぇぇぇぇ!」
サタデーがジョンから飛び降りて逃走を開始すると、
「待てやコラァァァァ!」
見え透いた煽りにどっかりと乗っかって後を追うペット係。楽しんでわざと釣られてるのか本気で怒ってるのかどっちなんだろう? と、遠ざかるその背を眺めていると成美さんが姿を消している事に気がつく。
「相変わらず阿呆だなあいつは」
いつの間にか背中から降りていた成美さんは置いていかれたジョンのリードを手に、既に声の届く範囲にはないその背中に薄く笑みを浮かべながら悪態をついた。そしてその背中の更に向こうには、お堂の陰からちらりと覗く桜の枝。
「でも、怒橋くんはああだからこそサタデー達やジョンに好かれているんですよ」
「……ふ、そうかもな」
同じく背中を見送る清さんのその言葉を成美さんは鼻で笑いながら、薄い笑みをほんの少しだけ濃くした。そしてその成美さんを下から見上げながら、ジョンは嬉しそうに尻尾を振りだす。まるで、控えめでしかない成美さんの表情の変化を大袈裟に周りへと伝えようとしているかのように。
そんなジョンの頭をがしがしと多少乱暴めに撫でると、成美さんは家守さんに目をやった。家守さんもその視線の意味するところはすぐに察したらしく、やれやれと肩をすくめると、
「さてさて、アタシらも突っ立ってる場合じゃないかね。そいじゃみんな、移動だよー」
「はーい」
「ワンッ!」
返事をしたのは栞さんとジョンだけだったけど、走っていった二人を除いたみんなで揃って移動開始。目指すはもちろん、岩白さん宅兼お堂の陰からちょっとだけ見えてる桜の木。
少々重めの荷物に砂をじゃりじゃりと踏む足音も大きくなりつつ進んでいると、清さんが呟いた。
「おや、誰かいますね」
建物の陰から桜がその全身を現すと、目指す桜の木の下でゴミ袋を携え、しゃがみ込んでごそごそしている人を発見。と言っても、その背中姿はどう見ても大吾ではなかった。もちろんサタデーでもない。まあ仮にサタデーだったとしたら「誰か」なんて表現にはならないだろうし。サタデーは後ろから見ようが前から見ようが上から見ようがサタデーでしかありえないしなあ。
岩白さんほどとまではいかなくても結構長めなその髪を見る限り、あの人は女の人だろうか? 一体何してるんだろう?
するとあちらも足音からこちらに気付いたようで、ごそごそとした動きを止めると、立ち上がってこっちを向いた。
「あ、えーっと、あなたが日向さん?」
「え? は、はいそうですけど」
振り向いてみれば、眼鏡と軍手を装備したちょっとキツそうな目つきの女性。明らかに初対面な人にいきなり名前を呼ばれてたじろいでいると、
「岩白神社にようこそ。私はセンの姉の春菜といいます」
早速初対面らしい挨拶を賜った。なるほど岩白さんのお姉さん――にしては身体的特徴が似通ってないような。
「あ、初めまして」
小さいどころか恐らく僕より僅かばかりだが確実に背が高そうなお姉さんは、続けて家守さんにも挨拶をする。
「初めまして」
「初めましてー」
その挨拶は他のみんなにまとめて、ではなく明らかに家守さん一人を対象としていた。つまるところお姉さんには栞さん達が見えてないんだろう。でもこういう場合、成美さんが掴んでいるジョンのリードってどう見えてるんだろう? 宙に浮いてたら不審がるだろうし、やっぱり首元まで完全に消えてるのかな。まあ大吾の散歩の時でも騒ぎにはならないから消えてるんだろうな。
目つきの割ににこやかな挨拶を済ませると続けてお姉さん、「車でお越しですか?」と小さな旅館の電話予約みたいな事を訊いてきた。それに運転手の家守さんが「そうですよ」と初めて聞く丁寧口調で答える。
それを聞いてついつい、「そう言えば岩白さんと僕が同い年なんだから、お姉さんは家守さんと同じくらいの年齢かも……いや、それはさすがに年が離れすぎか」と結構失礼な論理が頭をよぎってしまった。それはともかく、
「あぁよかったー」
と小さく安堵するお姉さん。
「どうかしましたか?」
それを聞いた家守さん、普段の様子からか違和感を禁じえない口調のままで尋ね返した。
「あ、いえ。妹が下で道案内をすると言って降りてしまっていたので。すみません道があんなので……」
「いえいえ、妹さんのおかげですぐに分かりましたから」
その岩白さんを見つけるまでにとろとろ迂回してたから本当はすぐって訳じゃないんですけど、その辺りは家守さん気を利かせたらしい。普段とはえらい違いだ。
で、挨拶も済んだところで気になるのはお姉さんの両手にはまった軍手と傍らのゴミ袋ですが。
「お姉さんは、何をしてらしたんですか?」
その質問を言い終える前から、お姉さんは僕の台詞のある箇所が気になった様子。
「お姉さん……」
そっちに反応しますか? 聞きたかったのは台詞の後半部分についてだったんですけど。と言うか、お姉さんはお姉さんですし。
特におかしなところはないと思うけど、何故かその「お姉さん」という部分について考え込んでしまうお姉さん。いやだからお姉さんがお姉さんを悩まなくても。……あーなんか文章としてスッキリしないな。
「日向さんは、確か妹と同い年なんですよね?」
「あ、はい。信じ……」
ついうっかり「信じられませんでしたけど」と続けてしまいそうになり、慌てて口を噤む。いくらなんでもご家族の前でこれは失礼にも程がある。
するとお姉さんそれに気付いてかそうでないのか、とにかく口をちょっとだけ緩ませると、
「でしたら私とも同い年ですよ」
「え? という事は、もしかしてセンさんとは双子なんですか?」
もしかしても何もそれしかないだろうと思っての発言だったけど、お姉さんは「んー……」と明らかに不正解だった時の反応を見せた。うーん、反応がことごとく予想外な人だなあ。
「誕生日が近いだけで、双子ではないんです。でもまあずっとそんなふうだったんで、『姉』扱いに慣れられないんですよね。普段そう呼ばれてる訳でもないし」
という事は………どういう事でしょうか? 家庭の事情的な?
「……ってすいません、何してたかでしたよね」
あ、そうでしたそうでした。
問い掛けた本人ですらこんな調子になってしまうくらい印象の強い話に脱線してしまったけど、ここでお姉さんが流れを修正。そして再開。
「草引きです。あの入口と同じで、あんまり手入れが行き渡ってなくて……お見苦しいところをお見せしました」
はにかみながらそう言うお姉さんの言葉に桜の木周辺の地面を見下ろしてみると、砂地と草地の境界線が草の進行によって侵されている、といった具合にぼやけてきていた。
桜が生えているのは神社の敷地の隅なので、そのぼやけた境界線に巻き込まれかけていたのだった。
「いやいやそんな事ないですよー。それより一人で作業してるんですか? 大変そうですね」
家守さんが普段とは違ったにこやかさでそう返すと、お姉さんは苦笑した。
「たまに地元のボランティアの方達が来てくださるんですけど……時期的にはもうすぐ来てもらえる頃なんですけどね」
つまり、僕達の来るタイミングが悪かったと。ボランティアさん達が来る直前の一番草ぼうぼうの時期に来ちゃったって事ですね? そいでもってその連絡を深道さん霧原さんから伝えられたから、僕等の目当ての桜周辺だけでも草を引いておこうと作業に踏み出したってところですかね? それは、意図しなかった事とはいえなんだかすいませんでした。
「ねえ孝一くん、手伝ってあげようよ。この広さじゃいくらなんでも……」
申し訳ない気分になったところで、後から栞さんが声をかけてきた。その栞さんが眺めるのと同じように敷地の隅にそってずーっと視線を逸らしていくと、ゴールは遥か向こう。もちろんそこまでずっと桜が生えてるわけじゃないけど、確かに見ただけで気が遠くなるような距離ではある。
しかしこの神社関係者と参拝者(実際は桜目当てだけど)という関係を踏まえた上で、「大変そうだなあ」から「なら手伝おう」というところまで考えが進むというのは、栞さんの掃除好きがなせる業でしょうか。それともただただ親切だという事でしょうか? とにかく僕には手伝おうというところまでは意識がいきませんでした。
「そう――ですね。たまには汗水垂らして働くのもいいかもしれませんし」
草引きで果たして汗水が垂れるものなのかどうかはやってみなきゃ分かりませんけど。
相手が見も知らないただの神社の人ならともかく知り合いのお姉さんという事もあって、半ばやけくそで了承してみた。ええかっこしいだとかいう事は……多少はあるかなやっぱり。
「地道な作業は嫌いじゃないですよ。んっふっふっふ」
「なんだ、これは賛成の流れか? ……ま、たまには社会奉仕もいいだろう」
「ワフッ」
するとお姉さん、
「ああ、やっぱり幽霊の方もご一緒でしたか」
あっ。
「霧原さんから連絡を受けた妹から聞いてたんですよ。花見に来るのはあのアパートの人達だって」
「あれ? じゃあこーちゃんそれまでは言ってなかったって事? 今日来るのがアタシらだって」
「あー……」
思い返してみれば、僕があまくに荘に住んでる事は言ったけど花見に行くのもそこの人達とって事は言ってなかった………ような気がする。あの時は花見の場所を聞き出すのに精一杯だったからなあ。訊こうとする度に次々人が出てきて。
「そうかもしれませんね。すいません大事な事なのに」
お姉さんが幽霊に理解のある人でよかったぁ。下手したら今の栞さんとの会話だけで宜しくない印象を与えてしまってたかもしれないし。
しかしお姉さんは軍手を着けた手をぱたぱたと振りながら、
「ああ、どっちにしろ私は見も聞こえもしませんから。それでさっきの話、どういう内容だったんですか? 働くとか聞こえましたけど」
すると家守さん、見も聞こえもしないという事で意思を伝えられない栞さん達に代わって、今の話を繰り返す。
「いえね、うちのお掃除好きの幽霊さんが草引き手伝いましょうかって。どうですか? 他のみんなも賛成っぽくなってますけど」
「え、でもそんな、悪いですよ」
ここですんなり「じゃあお願いします」とはいかないのは分かってたけど、だからと言ってあっさり引き下がるのなら最初からこんな事言わない訳で。
「いえいえ、是非やらせてあげてください。みんな普段する事がないので体力が有り余ってるんですよ」
それはちょっと嘘入ってますけどね。
「そ、そうですか? じゃあ……お願いします」
好意に甘えると言うよりは押し切られたという感じでお姉さんが頭を下げると、まだ誰も何も言ってないのに「みんな嬉しそうですよ」と家守さん。けどもみんなもそれに文句があるわけではなさそうだった。
「ありがとうございます」
「こちらこそ」
そんな訳で、桜の木の下にシートを敷き、その上に各自荷物を置き、荷物番にジョンを任命して草引き開始。
「勝手にお弁当食べちゃ駄目ですよ、ジョン」
「ワンッ!」
清さんの念押しに元気よく吼え返すと、シートの中心にぺたんとおすわり。怖いくらいお利口なのはいつもの事なので今更ツッコまないでおくとして、しっかりね、ジョン。
お姉さんと家守さん、栞さんと清さん、僕と成美さんの二人ずつに分かれてグループごとに多少離れた位置で草を引くことに。抜いた草を入れるゴミ袋が一つな以上、そんなに遠く離れるのもあれなんだけど。
そしてその作業開始と同時に、
「しまったな。髪留めか何か持って来ればよかった」
と成美さんがその圧倒的に長い髪を気にしながらつぶやいた。
僕がこちらに引っ越してきてから出会った女性は、栞さんを除いてみんな髪が長い。その中でも成美さんは自身の身長と髪の長さの比率で考えるならダントツだ。なんたって普通に立ってるだけでも地面すれすれまで伸びてるんですから。
そして草引きをするのなら、必然的にしゃがまなければならない。すると髪が地面に届いてしまう訳でして。
「栞さんにカチューシャ借りて、それでなんとかなりませんかね?」
本来カチューシャはそういう使い方をするものではないと思いますが、この際文句は言ってられませんね。他に何も無いんですから。
しかし成美さん、ちょっと離れた場所で清さんとともに草引きを開始した栞さんにちらっと目をやると、
「いや、自分で何とかするさ。要は髪が地面につかなければいいのだからな」
そう言って所々でぼさついた白い髪を纏め、肩越しに体の前へと持ってきながらしゃがみ込み、伸びた髪は膝の上へ。なるほどこれなら砂が付く事はないですね。
小さな膝の上で広がる白い髪の純白さを「そうめんみたいだなあ」と頭の中で褒め称えてみたものの、よくよく考えるにあんまりこれを言われても褒められたような気にはならないかな、ということで口に出すのは自重しておく。しておいて、草引き開始。
「大吾とサタデーはどこまで行ったんでしょうね?」
「さてな。強制的に付き合わされる他の六匹が可哀想だ」
しかしこちらの現状を省みるに、あまりそうとも言えないような。大好きな大吾くんと走り回ってるほうが強制的とはいえまだ楽しそうな気もしますよ。
そうしてプチプチ草を抜いていると、そのうち中々抜けない草にぶつかった。こういうのって根っこがすごい事になってると思いきや、抜けてみたら案外そうでもないって事があるんだよなあ。ああいうのってなんで抜けにくいんだろう? 引っ張る角度とか?
などと小学校での庭掃除経験を思い出しながらぐいぐい引っ張っていると、ふと現在不在な植物の笑顔が頭をかすめた。
「サタデーにとって草引きってどういうふうに見えてるんですかね? 同胞殺し?」
「嫌な事を言うな。確かに間違ってはいないのかもしれんが……」
成美さんも半分同意はするが、確証はないらしい。
「あまくに荘では草引きとかしてないんですか?」
してるんならそれをサタデーが目にする機会もあると思うんですけど。
「してないな。裏庭はあの通り伸び放題だし、表も目立つ部分は生えてこないからな」
確かにあそこの裏庭は草原みたいになってるから草引き云々どころじゃないし、表は逆に砂や土が剥き出しだ。引く草がそもそも無い。
そうして納得するのとほぼ同時に、固い感触がふっと消え去りその反動で尻餅をついてしまった。
おお、やっと抜けたよ。
「なんだなんだどんくさいな。ズボンの尻が汚れるぞ。……ん、この草びくともしないな」
その後どうなったかは言うまでもないでしょう。不機嫌そうに髪とお尻の砂を払う成美さんの様子は微笑ましいものがありました。本当に微笑んだら火の玉かもしれないので堪えましたけどもね。
「サタデーがいなくてよかったね、清さん」
「どうしてですか?」
「いやほら、草引きって……サタデーも植物だし」
「んっふっふっふ。面白い事を言いますね。ふーむ、サタデーが戻ってきたらその辺り訊いてみますか。どう思うものなのか」
「えぇ~、大丈夫かなぁ」
「んっふっふっふ。困った顔のサタデーとその後ろに桜の木、ですか。いい絵になりそうですねえ」
「ん? じゃあ今日は清さん、絵を書くんですか?」
「それと写真も、ですね。そうそう、朝遅くなったのは実は青の絵の具が見つからなかったんですよんっふっふっふ。今日は天気もいいですし是非空の色も収めたいですからねえ絵のほうはさっきの構図で行くとして写真はどうしましょうかやはり桜は入れたいですからここはむしろ草を引く前の写真がいいですかねえ後で岩白さんに相談を」
「あ、あうぁあ~……」
「今は走り回ってていないんだけどさ、実は今日連れて来た幽霊の中に花の幽霊がいてね」
「花……ですか? 人以外の幽霊というのは初めて聞きましたが」
「よく英語交じりで喋る変なヤツなんだけどね、そいつがこの作業見たらどう思うかなーって」
「じゃ、じゃあここにこられる前に止めておいたほうがいいのでは?」
「にっしっし。いいよいいよ面白そうだし」
「はあ」
「それにしてもさ、こーちゃんと同い年の割に随分大人っぽいよね岩白さん。ああいや見た目はもちろん年相応だけど、雰囲気と言うかなんと言うかね。てっきりアタシと同い年くらいなのかと思っちゃったよ」
「え? えっと、そちらはどのくらいなんですか?」
「あ、申し送れました。アタシは家守楓っていいます。それで年のほうは二十七だよ」
「そんなに……あ、ご、ごめんなさい!」
「……褒め言葉として受け取っておくよ………」
それから暫らく意識して嗅がなくても手から草の匂いが漂ってくるくらい作業を続けたが、それでもようやく桜の生えてる一帯がすっきりしたという程度だった。
六人がかりでこれなのだから、もちろん桜の生えてる一帯だけとはいえ結構な広さではある。が、神社の敷地全体で考えればまだまだ終わりそうもないのもまたもちろんな事でして。
本当広いなここ。
その草引きの間に清さんが家守さんを通してお姉さんに何か話し掛けたと思ったら、
「あっちの桜の周りだけは草を残してくださいとの事です」
そんな感じで一番隅の桜一本の周辺だけは草引き免除と相成りました。清さんは何をするつもりなんですかね?
そんな事もありつつ、よく考えたらまだ昼ご飯を食べてないので疲れとともに空腹にも襲われて、情けない事にへばってきました。
「んー、一時かぁ。そろそろお弁当食べよっかみんな」
おお、ナイスタイミングですよ家守さん。切り上げるタイミングをお姉さんでなくこっちで決めていいのかどうかはこの際不問にします。お腹空きましたから。
「さんせぇ~い……」
へろへろな状態でなんとか声を絞り出すと、同時にお腹の虫が元気よく鳴きだしました。
ぐぅおぉ、だそうです。
抜いた草をまとめてゴミ袋に放り込んでジョンが待っているビニールシートに戻ってみると、おすわりで僕等を見送ったジョンは気持ち良さそうに丸くなって寝息を立てていました。その背中には桜の花びらが斑点のように舞い落ちていて、お昼寝の心地よさを演出しているようでした。寝てる本人にとっては気付きもしない事なんでしょうけど。
これだけ天気がよければ、しかもそんなぽかぽか陽気の中でじっとしてれば眠気を誘われるのも無理もないかな。お休み、ジョン。こっちも休憩タイムに入るよ。
「あの、すごく助かりました。ありがとうございます」
お姉さんが深々と頭を下げてお礼を言うと、家守さんはいつの間にやら普段通りに戻っていた口調で答える。意外な提案を添えて。
「いやいやこっちから頼んだ事だしさ。それはそれとして、春菜ちゃんお昼もう済ませた? もしまだならお弁当一緒にどうかな?」
「あ、いえまだですけどそんな……」
そこから先は、どこからともなく聞こえてきた腹の虫の鳴き声によってストップしてしまった。そしてお姉さんはお腹を押さえてわずかに頬を赤く染める。
「で、でも」
一旦は停止したお断りの言葉だったが、他には誰も喋っていないにも関わらず「でも」という言葉で再開される。にやにや。
「家、すぐそこですから」
お姉さんが振り向いた先にはお堂が。確かに神社内にいる限りは、常に家はすぐそこという事になりますね。
にしても、そのお堂のほうから誰かがこちらに歩いてきてますね。
「春菜さーん! お昼できましたよー!」
ああ、結構近くまで来てたんですね。遠近法で小さく見えてるのかと……冗談ですけどね。
という訳でこちらに近付いていたのは妹さん、つまり岩白センさんでした。多少距離があるとはいえ大声を出すほどではないと思いますが、まあそういう人なんでしょうね。健康的と言うか元気いっぱいというか。
「あぁ、分かったー。すぐ行くわー。……えっと、それでは。誘って頂いてありがとうございました」
もしかしたら無理に誘って嫌がられてるんじゃないのかとも思ったけど、若干名残惜しそうなその様子にほっと一息。
目つきはちょっとおっかないけど実際のところは物腰丁寧で大人な人だったお姉さんともこれでお別れ、かと思ったら。
「あぁ、ちょっと待って」
「はい?」
家守さんが思いついたように、背を向けて歩き出したお姉さんを呼び止める。そして手の平を握ったり開いたりさせながら、
「手洗える所とかあるかなぁ。草の汁でベタベタになっちゃって」
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