竹内街道と、當麻寺お練り

2017-05-18 00:32:06 | 日記
 さて、この前は歌唱ボランティアの話を書くと宣言したが、5月14日(日)ハイキングと珍しいものを見たので、当初の旅行記から始まったレダック紀行の原点にもどってその体験を書く。

話のきっかけは妻が活動している傾聴ボランティアサークルの親睦会の話を聞きこんだことに始まる。5月14日という日は、奈良県は葛城郡當麻寺で中将姫の「お練り」があるという。私は全然知らなかったが、案内を見ると仮面をつけた仏さんたちがぞろぞろ歩く、いわゆる「お練り」=練り歩くのだそうだ。見たことはない。昔の仮面ライダーごっこか?おもしろそうだ。ただ、4時からの行事であり、電車で行って近所を見学し時間をつぶすようなので、私は所属もしていない団体についていくよりも、一人でハイキングすることとした。ジムでのトレーニング代わりにもなる。ちょうど、家から當麻寺までのコースは、竹内街道を歩いていけばいい。数年前にもやはり一人で行ったことがある。しかも最近の新聞記事で竹内街道が「日本遺産」に指定されたというニュースがあったように記憶している。今日は快晴だ。コンビニで弁当でも買ってと・・心も浮き立ち、ハイキングに出かけたのでありました。

① 竹内街道ハイキング
「日本遺産」と書いたがご存じ? 世界遺産はあまりにも有名だし一大観光スポットになっているが、こちらはあまり知られていない、私もよく知らぬ。このブログを書くために調べたら、「日本遺産Japan Heritageとは、地域の文化財はじめ伝承、風習などを一体的にストーリーのもとでつなげていく文化庁の認定制度」らしい。ごく最近平成27年から認定が始まり今年で3年目、たとえば能登のキリコ祭り、鯖街道、琵琶湖、京都の宇治ほかの日本茶800年の歴史散歩など54件にのぼるという。だから、知らないほうが当たり前なのでしょう。ハハーン2020年東京オリンピックをあてこもうという魂胆か?と推察するのでありました。
 とまれ、「1400年に渡る悠久の歴史を伝える最古の国道~竹内街道・横大路~」が今年の4月28日に認定されたということらしいです。わが家族は1980年に羽曳野市に引っ越してきたのですが、竹内街道のことは早くから聞き及んでいました。我が家の400mほど北側にある「中の太子 野中寺」の前の道を堺―羽曳野線といいますが、その1本南の狭い道が竹内街道で、曲がり角には道標があります。南下して峯塚古墳―白鳥古墳のわきを通り、古市を越えて石川を渡り・・というコースなのですが、そこから先は行ったことがないので、とりあえず、古市から上ノ太子まで2駅近鉄電車を利用することとしました。ついでのことに、街道からは少し外れることになりますが「上の太子」の叡福寺・聖徳太子墓も見学したかったからです。
「太子」という言葉を何回も使っていますが、いうまでもなく聖徳太子のこと。一時は、お札の肖像だったから誰にとってもありがたい方でありました。羽曳野市の隣が太子町ということで、いたるところに古墳・御陵があり、王陵の谷と言われています。かの推古天皇陵や小野妹子の墓もあります。しかし、観光名所として有名とまでは言えないようです。だから、「太子町」にとっては、日本遺産指定は地域おこしの絶好のチャンスなのでしょう。だから、竹内街道を歩む前に「聖徳太子廟」と「叡福寺」に立ち寄りました。聖徳太子とその母・妃が眠るとされており、「上の太子」と言われているのです。そして推古天皇がこれを祀るために建立したとされるのが叡福寺です。駅からの道沿いは瀟洒な一戸建の住宅が続きます。数年前に来た時の印象とまるで違います。なだらかな登りが終わり下りに入りかけると右手にこんもりした古墳らしきものを目指していくと果たして叡福寺でした。
 これからの体力温存のため、広い境内を歩く回るのやめ、早々に竹内街道に戻る道に行く。
太子町役場の前を通り、六郷橋に着く。バス停で一休みし、サア、いよいよここからが竹内
街道本番だ。そもそも堺から奈良県葛城市の長尾神社までの26キロほどの道のりを指すが、
日本遺産認定に向けて提出されたストーリーを引用しておく。 
 「春分と秋分の日、太陽は三輪山から昇り、二上山を越えて大阪湾に沈む。このことから推古天皇21年(613年)に東西の直線で敷設された幅20mを超える大道(竹内街道・横大路)は太陽の道と言われる。古代には、大陸からの使節団が難波宮から飛鳥京を訪れ、先進技術や仏教文化を伝えた。中世には経済都市を結び、近世には伊勢参りの宿場町としての賑わいを見せ、場所ごとに様々な表情を浮かべる。1400年の歴史の移り変わりを周辺の歴史遺産を通して感じさせる日本最古の国道。それが竹内街道・横大路なのである。」

 この機会に建造されたのであろうでっかい道標をこえて街道を歩んでいく。結構登りもある。道沿いの民家が出しているプランターにも「竹内街道」の文字が描かれている。太子町あげて日本遺産認定を活用しようとしている様子が分かる。有名な民家の隣に「竹内街道交流館」なる施設ができていた。これは知らなかったので立ち寄った。この街道にまつわる文学作品などの展示がしてあるようだったが、中にいた職員が「竹内街道が日本遺産になったのをご存知ですか?」と話しかけてくる。また、「アンケートにご協力を」とも言ってくる。たしか竹内街道歴史資料館があるので、そこで休憩しようと思っていたのだが、話しかけてくるものだから、リュックをおろしここで小休止をとることにした。奥にいたお母さん二人が「暑いでしょ!」といって冷水をサービスしてくれる。ありがたい。給水器のほうを見ると「コーヒー100円」と表示してある。これはいい! 「アイスコーヒーで」と注文する。気さくそうなお母さんが「お昼は?」と問いかけてくるので「まだだが・・」と答えると「サンドイッチいかが?」とまたまた聞かれた。「いや、私らのお昼の分なんやけど、たくさん作ってきたんで」「エ、いいの?」というわけで、ラッキー、100円でツメターイ アイスコーヒーと手作りのサンドイッチにありつけたのでした。これも太子さまのご加護?でしょう。デ、ここでしばらく駄弁り、アンケートを書かぬまま、英気をやしなって再出発しました。青年は町役場の日曜出勤の吏員(日本遺産になって、日曜日に町立施設をクローズできるわけはないネ)、お母さんは地元のボランティアということでした。
 行く間もなく、「歴史資料館」200円の入場料でしたが、マ、それなりに工夫されていたと思います。そして、またそれほど行かぬうちに道の駅がありました。ここでお昼と思っていたのですが、もう済ませたモンネ。

 問題はここからです。国道166号線に沿って歩くことになるわけですが、ずーっと竹内峠まで登りで、これが結構きつい。国道は当然車が飛ばしている。好天気であるから、汗ばむ。でも、みどりの風?青い風?は絶えず応援してくれるようで、頬に心地よい。途中人との接触は3度、登りで自転車を押してる人は追い抜いた。立ち止まって多分地図を熱心に調べている若者に追いつきかけたら、顔をあげて声かける間もなく先行していった。愛想のない奴! 一人は反対側から上ってきて道を聞かれた。知るわけないだろう。
 デ、二上山登り口をやりすごし、下りに入っていくと、またもなぜか166号線のむこう側に「竹内街道」の大きな木の看板がある。国道を横切りそこに入ると昔の街道にまた出会う。杉木立で陽光も遮られたところもあり、イイ感じ。そんなに続かなかったが、林と田んぼを縫ってしばらく歩みを続ける。また国道と合流したので、どこかで左折すれば當麻寺の方向とあたりをつけたが、ここからがシンドカッタ。ちょうど正午頃に上ノ太子駅を出発し2時間以上経過して、遮るものとてない陽光はきびしい。かなり登っていたようで、遠くに見える街並みはかなり低いところにあるように見える。石光寺・當麻寺の看板が見えてからもなかなか着かぬ。思わず、ソフトクリームの看板を見つけて店に入ったら、順番待ちのようで有名な蕎麦屋と知る。ソフトクリームだけを贖い外で食べると注文して324円を払う。ソフトをなめなめ、元気を出して何とか交差点にたどり着くとそこはもうエライ人出。
 ソフトを人に触れないように気を使いながら山門にたどりついたのがちょうど午後3時でした。帰ってから地図ソフトで距離を測るとほぼ10Km、叡福寺・交流館・歴史資料館
の見学・休憩の時間が1時間としたら、昔の街道は時速5k/hくらいだったわけで、マ、十分トレーニングにもなったのでしょう。 (とりあえず今日はここまで)


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