レダック紀行 東北編 その2

2014-12-22 21:07:32 | 日記
前回、東北紀行の中途半端な終わり方で、そのままにして2ケ月近く申し訳ありませんでした。
前回の分を読んでいただければわかると思いますが、この後に陸に打ち上げられた漁船の写真が入る予定でした。しかしながら、地元は保存ではなく、撤去の方針を決め今はありません。東北の復興を!という立場からは、こんなに大変だった、ということばかり強調することが今日的には如何なものか、と私なりに悩んだわけです。一方で、この出版本を販売できる可能性のある会合への出席で忙しく(参加費と続く飲み会で大変!)、おまけに私の力でお役にたつならと、なんやかんや幹事的なことを引き受け、ブログ作成もままならぬほど忙しく・・というわけで、このブログを除きに来た方には迷惑をかけました。再開しますが、津波の影響による写真はやはり取りやめ、ボランティアにかかわる1枚だけとします。また、途中の観光も、少し省略します。気仙沼から陸前高田に入ったところから再開します。 

<陸前高田>
 当初計画を立て始めたころは、仙台―気仙沼だけ決めていたのだけれど、調べていくとあの一本松の陸前高田が近いことが分かった。気仙沼を案内してくれたタクシーの運転手も陸前高田の奥に住んでいるという。
 陸前高田ではわずかだがボランティアの真似事をすることになっている(学生時代、ワークキャンプという活動形態のボランティアに参加していたことがあるので、心理的抵抗感は無いが、身体がついていくか、チョッピリ不安。長靴や作業着持参なので荷物も大変)。行く前に調べたところでは、多くの地域では活動が停止されているところが多かったが、陸前高田市のHPから入っていくと活動中の団体が見つかった。「陸前高田カモメネット」というのがある(http://www.rikuzentakata-kamome-net.jp/)。連絡先に電話すると67歳でも歓迎、宿舎もある、持ってきてほしいのは野菜や花の種とのこと。そこで、この地に向かったのだ。
気仙沼から陸前高田への行程もまた少なからずショックなものであった。海岸沿いの道路の低い所に来ると何回も出てくる「ここから(ここまで)過去の津波浸水区間」標識。国道沿いに3階建ての廃墟となった建物がそのまま残っている、「気仙中学」とのこと、やっぱり学校と聞いた途端他の建物よりも悲しくなる。遠望するは、奇跡の1本松、下半分補強中、これは話を聞いてたし写真も見てたから・・でも、もう1本あるんだよネ、上半分無くて注目されないけれど。ナビに残っている「高田松原」は7万本の松林だったという。それで津波にさらわれなかったのは2本・・。「ここが高田駅前と繁華街」、何もない、更地・・。
 やっと活動拠点に着く。小屋・水道・テーブルと丸太の椅子、そして、たき火のそばに数人の男女。横の一画ではチューリップが開花し始めてきれいだ(下写真)、これも活動成果なのだろう。みんなに挨拶していく。熟年の恰幅の良いこの人がGさんとすぐに分かる(カモメネットの管理人ブログhttp://gocho570.blog.fc2.com/では、呼び名を「ゴッチョー」と自己紹介されており、ボランティアたちからは「ゴッチョさん」と言われていた。ここではGさんとしておく)。

まずは活動小屋で着替える。土間の端にコンロ、2畳ほどの畳敷きにはパソコンがあり事務局でもあるようだ。外に出ると、昼休みが終わったのだろう、皆は上の畑に行っており、少し遅れて作業、畝つくりのお手伝い。掘り返した土を中に積み上げ畝を作っていく。見よう見まねで、私は人より小さいスコップを使うが、すぐに息が上がる。作業量は若い子の半分もなかろう。一番年上の人が「ボチボチで無理しなくていいよ」と言ってくれる。その日は4時ころに上がりとなった。農具の水洗いや火の後始末している様を見る。別の作業場所にいた若い男女3人も上がってくる。彼らは今日1日の参加だったらしく、着替えると、自分の車で帰って行く。こういう1日ボランティアもいる。
 先ほどの畝にいた3人とともに名古屋ナンバーのワゴンに乗り、まずはコンビニに寄り、夕食と明日の朝食を勝手に見繕ってそれぞれ買う。次は風呂に行くという。街中の大衆浴場かと一瞬思ったが、街中8Kmにおよび、なーんもなくなったこの街に高い所でなければお風呂屋さんだけが残っているわけがない。少し山に入り、連れて行ってもらった温泉はその名も「霊泉玉乃湯」、観光案内にも乗っている。入湯料は500円だが、ボランティアといえば300円にしてくれるというのがウレシイ。少し熱く44℃くらいある。翌日もここに来て思わぬ骨休みができた。
そして宿舎に着く。「上長部カミオサベ」仮設住宅の集会所で、この間ボランティアの宿泊を認めてもらっているとのこと。広間の隅には折り畳み長机と布団が積み上げられている。各仮設住宅はここの広間と同じ広さだそうで、集会所は+台所、玄関・トイレとなっている。その台所で、それぞれが買ってきたゴハンをチンしたり、うどんを湯がいたりし始める。食卓用には炬燵机を用意した。一番遅れて支度はじめたが、焼きそばを買ってきたものの、鍋はあってもフライパンが・・・無い!やむなく茹でそば!とおにぎり1ケの夕食となった=休肝日。
最年長者がお茶を用意してくれ、やっとコミュニケーションが始まった。接触しえた範囲内の他のボランティアに来た人々のことを、その後の情報も併せて紹介しておこう。
一番腰が軽く率先して動く①Iさんは私より1歳下で私同様リタイア組。②Kaさんは体重100Kで陽気な人柄。二人は名古屋で消防団活動をしているが、陸前高田市と名古屋市は姉妹都市になっている関係から、早くからボランティアに参加し今回で4回目の訪問で8日間いる、ワゴンに荷物を積み込んでやって来たとのこと。次に、バイクで静岡からやってきた③Yさんは豪州赴任10年目、休暇をとり実家から私と同じようにウェッブではじめて来て、この後南相馬市に行くとのこと。④Rさんは翌朝帰ったのでよく分からないが、他の3人の飯をつくってくれていたらしい。ついでに翌日活動場所に現れた⑤Koさんは、各地のボランティア活動の経験者らしく多くの情報を知っているようだったが、すでに何か所かまわり、溜まった洗濯物と格闘しているのがおかしかった。そして、②③⑤が同学年(50代なかば)ということが判明し、3人だけで盛り上がっていた。
炬燵を取りはずし、5人分の床を敷き詰めると集会所の広間は満杯、寝袋を持ってきている人もいた。10時消灯・・・zzz
 翌13日(月)、Gさんに指示されていたのは、「朝7時半からのラジオ体操に必ず参加すること」であった。それまでに朝食と出かける準備をしておく必要がある。7:20「お早うございます」の挨拶で戸が開けられ、自治会長Mさんが、玄関に置いてあるテープレコーダーを取り出し外に向け置く。三々五々集まってくる女性―おば(あ)ちゃん、男性はいない。かけたラジオ体操第1の曲はおなじみだが、どうも声に違和感がある。「イズ、ニ、ザン、スー?」方言なんだ、おもしろい。今日の参加者13名、「昨日から来ました、よろしく」。名古屋の②(デ)ブーちゃんが「大阪です」とフォローしてくれる。M会長「でも、次から次でわがんねえもんな」。そりゃそうだ。
 いざ、活動場所へ、出発ーー。ゴミも忘れず持ち出し、名古屋号に乗せてもらった。Gさんはすでに来ている。「今日はまず薪を集めよう」とのこと。崖の斜面の数m上方に、津波に打ち上げれたままらしい倒木を集めにかかる。3/11あの日、このあたりは、津波が出口求めて渦巻いていたということだ。反対側斜面には土蔵がある。作りがしっかりしているので残ったようだ。
 次はチューリップ畑の草取り。そして、昨日の続きの畝つくり。途中でIさんができた畝に順番に苗を植える作業に誘ってくれた。20Cmほどの間隔に穴をあけ肥料・培養土を敷き苗を植えては埋め戻し、最後に水やり(水道まで40mほど、落差数mあるので水運びも結構応える)をする。とうもろこし、枝豆など。そのうち、昼。小屋に降りていくとうら若き女性2名が到着している(⑥横浜のAさん、⑦釜石のKuさん)。彼女らも含めて、今日はみんなで中華料理屋へ、3台に分乗して行く。仮設店舗が並ぶ1画が、あちこちででき始めている。繁華街に店を構えていた店だから、味も値段もリーゾナブル。食べ損ねたあんかけ焼きそばを注文した、花マル ◎。
 午後の作業に戻る。苗が無くなり、今度は種まき。Gさんは下の小屋でPCに強い女性ボランティアと事務局の作業で忙しそう。袋の説明では等間隔に1粒づつ蒔く?!これ、「万能ねぎ」だよ、ゴマ粒のようで実に細かい。1粒づつ摘まめないヨ、これを点々と蒔くの? マ、やってみよう。手のひらに乗せ生命線の窪みから落としても・・ア こぼれ過ぎた、でも拾えないヨ コレ、土にまみれて、そこらの土を延すだけ・・これでいいの?? Iさんも勤め人だったし水まきに忙しそう、ト思ううちに種も終わってしまった。後で、Gさんに叱られた。「そんな人、今までいなかったよ。左の掌においた種を、こうやって2つか3つつまんで蒔くんだよ。道理で早かったわけだ。万能ねぎだよ。固まったところの間引きは、雑草だかネギだか分かんないよ。」 シュン、「スビバセン」・・・
 畝つくり班も予定の箇所を終わったようで、少し早目の上りとなる。1週間いた名古屋組が明日帰るうえ、③Yさんも南相馬に向かう。⑤Ko洗濯マンさんは今日中に帰る予定であったが、泊まれると聞き行動をともにすることになった。だから、送別会をしようということになっているらしい。4回目の名古屋組は今までそんなことなかったというから異例なのだろう。そして今日の女性二人にも声をかけると行くと言う。男どもは、車中で「むさくるしいおっさんばかりで可哀そうだから付き合ってくれる、これもボランティア精神の現れ」と噂したものでした。結局8人の行った食堂はお酒もあり、可哀そうにGさんを含む運転手3人以外が飲み、おまけに置いてあるカラオケまで飛び出して大宴会とはなりました。特に、全体精算したのに自費でもう1曲歌われたお方もありまして、さぞかし満足されたことでしょう。
 集会所に戻るとM会長ともう一人のおばさんが、かわいい「衣文かけつきデザインタオルと洗剤不要のたわし」というべきものをたくさん持ってセールスに来ていました。M会長によれば、仮設くらしの女性たちがより集まって内職をしたもので、お金もさることながら、まさに井戸端会議の意味が大きいそうです。ラジオ体操も同じで、集まることを通じ、安否確認・コミユニケーションを図っておられるらしい。約40軒のこの仮設住宅の場所は、小・中学校から遠いため子持ちの家族は1軒しかなく「うばすて山みたいじゃ」と笑っておられましたが、根っから楽天的なお人柄のようで、こちらに気を使わさないよう配慮してくれたのかなと思ってみたりしたものです。
 翌朝(14日火曜)いつも通りのラジオ体操後、帰宅・旅たち組は活動場所にも立ち寄って去っていきました。そして私は一人でほうれん草の種まきに励んだのです。今度はレクチャーを受けたし、ほうれん草の種はネギよりはるかに大きいので、腰は痛くとも、意欲満々で黙々と取り組みました。途中で心配になったのでしょう、Gさんも見に来ましたが、今度は満足そうな顔つきだったので、私も気をよくしました。
昼食はボランティアの残していったインスタントラーメンと冷凍餃子があるので、小屋のコンロでAさんが調理してくれました。なんか中華が続きます。午後のほうれん草の種まきはAさんとの作業になりました。彼女は2回目の訪問だけれど、カモメネットやGさんのことをよく知っていました。私より多分1年先輩のGさんもネットの世界に悪戦苦闘しているようで、子どものような年齢のAさんが手伝うというか、できない部分を補完しているようです。2畝ほど種まきも終わり、水やりを始めだしたら、Gさんの声がした、指差す山の方を見るとガスってきています。雨になるので水やり作業中止、ラッキー!後片付けをして、3人で女性用に借りている別の場所の仮設住宅の近くの喫茶店で夕食をとり、車で送ってもらい、大広間に一人寂しく休みました(疲れているのかグッスリ眠れた)。 
 翌朝、7時20分、Gさんの車到着、Aさんも含めラジオ体操に参加、いったん活動小屋により仙台直行バスの時間まで小屋で待っている間に、また、新しい若い女性ボランティア二人が到着。かくて、ボランティアは回転し、Gさんがカモメネットをまわします。私は、またまたGさんに送ってもらい、途中2度のトイレ休憩のある(それがないと使えない)高速バスで仙台に向かいました。道路からは見えませんが、上長部の仮設住宅の方角と、活動場所の畑の方角とに、バス中から二度手をふり、陸前高田を去っていったのでした。(了)

<思ったこと・お願い>
 ボランティア活動は、当初の力仕事中心のニーズが減り、仮設住民との対話などに力点が移った第2期になったと言われています。他のボランティア・グループまで論を押し広げる気はありませんが、たまたま出会ったカモメネットについて私なりに考えると、主宰者の個人的負担が大きいという大問題があるように思います。私のように、ボランティアの申し込みがあれば対応し車でなければ何時であろうと送迎しなければならない、花・野菜畑は地権者と思しき人の了承がいるし逆にここを頼むといわれることもあり、その折衝も大変だろう。ボランティアがいてもいなくても植物は命あるものだし、草取り・水撒きは必要。第一収穫物をどうするの?しかも、ボランティアのバスツアーまで企画実施し、バス会社・ホテル・弁当の手配など、業者を通さず自分でやっているという。マネジメントできる人がそばにいないと、規模が大きくなるほど大変だ。2日半しか知らないが、彼が送迎したり宿舎に送っていくガソリン代一つとっても馬鹿にならぬ。
そこで、私のできる支援とは何か。私も何回も行くとは言いかねます、大阪ではいかにも遠い。ということで、「陸前高田カモメネット 支援関西グループ」を立ち上げしばらくの間僕が事務局機能をやろうと思います。
活動1 これを読んで行きたい人に情報提供します。
活動2 花・野菜の苗・種を調達します、といっても現地事情もありますから、具体的には寄付集めです。一口500円にしようかな? まずはこれを読んだあなた! 次のうちどれ?(ほとんど恐喝?!)
 A 封筒に千円札を入れる。(二口)
 B 今度会ったときに払うから立て替えておいてとメール返信する
 C 今後、僕に直にあった時、ワンコイン渡す
 D 知らねえよ!勝手にやれば。
活動3 写真の仮設住宅の内職の衣文かけ付きタオル(1100円)斡旋手配。


http://blog.goo.ne.jp/admin/newentry/#

というわけで、これまで、カンパ活動をしてきました。
今回「レダック ピースボートに乗る」に対して、カンパをしていただいた方(一口500円)で、ほぼ5万円を集めることができました。
明日は休みか、明後日にでもお名前一覧を送信し、送金することにしましょう。ご協力ありがとうございました。