LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

自己犠牲

2014-10-04 06:17:16 | サイキックの眼

     

自己犠牲

    
    
自分が我慢したらいい
自分さえ我慢すればいいんだ
私が我慢しなければ・・誰が我慢するの?
私がみんなの為にならなければいけないんだ
    
私が我慢して家族を支えているんだから
あなたも我慢しなさい!
       
私だって我慢してきたんだから
あなたも我慢して当然でしょう?
    
     
これは、自己犠牲タイプの人のカタチと連鎖です。
自己犠牲タイプの人は、基本「良い子」で、

従順で、他人に優しく、よく気を使う・・・。
しかしながら、大きなストレスを抱えて・・解消出来ないタイプでもある。
   
自己犠牲の性格タイプは、その人の個人でだけ成り立っているものではありません。
やはり、親・親族から受け続く連鎖が見てとれる。
これではまだ普通の解釈ですが、
もっと厳密に紐解くと「家庭内・家族内のポジション」となる。
     
現実だから言葉にせざるをえませんが、
「犠牲ポジション」です。
つまり、親に従順に従うポジションを担う役目。
兄弟の中で誰かが担うポジション。
(ひとりっ子でも担う)
サポーターが必要な家庭環境。
先祖代々「犠牲ポジション」が受け継がれ・・連鎖が絶えない親子。
     
□ 世間体が良い
□ 他人に優しい
□ 従順でコントロールされやすい
これらが嫌な性格の持ち主なら「犠牲連鎖」にはならないのだが、
そうでなければ「良い子」という名のもとに、
『自己犠牲』の称号を与えられた人生の誕生となるワケだ。
     
◇自己犠牲の性格
◇家庭環境内の犠牲ポジション
これは相当なストレスが溜まる人生となります。
そして、他の誰も救ってはくれません。
なので、なんらかのアレルギー症状が身体に発生します。
      
極度な頭痛、アトピー性皮膚炎、食物アレルギー。
精神疾患、統合失調症。
薬物や、あらゆる嗜好品の依存症。
これからの時代ですと、スピリチュアル系オカルト依存症なども。
これらに共通しているのは、「救いのはけ口が欲しい」というコトとなる。
   
誰も理解してくれない
誰も理解してはもらえない家庭事情
そこからどうやっても抜け出せない「犠牲ループ」
「自分さえ我慢すればいいんだ・・・」の繰り返し
「親だって我慢しているんだから良い子でいなくては」
     
あぁイライラする
誰も解ってはくれない
じ・・自由になりたい
どうしたら良いのか解らない
自由なヤツをみたら腹が立つ!
・・・・・・。
(※注意 ・ この感情を抜きには繋がらないモノなので記します)
      
そして
「自己犠牲」の性格の持ち主は、他者を「犠牲」にするのです。
     
良い子で、世間体が良く、他人思いで親思い。
他人の嫌がるコトを進んでする性格
人の為に自分が我慢
      
その我慢は、どうやって解消するのだろう?
どうやって解消出来るモノなのか?
    
いつか・・我慢の度が越える。
誰も理解してくれないし、見て見ぬフリ。
感情の我慢の度が越える。
そしてまた、その感情を抑える我慢をする。
「自分さえ我慢すれば上手くいく」
「自分さえ我慢すれば丸く収まるはず・・・」
「病気になんてなってられない」
    
なので、あらゆるカタチでストレス症状が表れる。
「自己犠牲」という良い子には、はけ口が無いのです。
      
万引き、放火、虐め、虐待、殺人、自殺。
これらの事象が連日多くあるのも、
もとは「自己犠牲」という名の良い人が関係しています。
   
親に犠牲を強いられた良い子
自ら進んで我慢をする性格の優しい子
平気で他者を犠牲にする人のコントロールに弱い人
     
「自己犠牲」の、その我慢から溜まったストレスは誰も理解してくれず。
他者から見れば、「自己犠牲」の、そんな都合の良い人は自由にはしてくれず。
    
そしていずれ、「自己犠牲」者は、他者に「自己犠牲」を強いるようになる。
     
虐待と殺人でいうならば、
「自己犠牲」性格者(思想者)が、他者にも「自己犠牲」を強いらないと気が済まない。
これが夫婦も含む他人同士なら関係の解消に踏むことができるだろうが、親子という肉親同士となるとそうはいかない。
    
親が子供を殺す事件は、まだまだ増えるでしょう。
子供が親を殺す事件も、無くなりはしないでしょう。
      
その共通の感情と真意は
『もうあんたの犠牲にはなりたくない!!』
    
こんな恐ろしいことをしてはいけないし、出来るモノではない。
だから、身体に・・精神に・・不調をきたすのです。
     
例えば
戦争に赴く兵士も結果は「自己犠牲」、
なので相手側を「犠牲」にする。
「自己犠牲」を強いる思想の宗教も、平気で他者を「犠牲」にする。
戦時中の日本兵は、捕虜になったら自害せよと命令されている。
何の?世間体が悪いのでしょうか。
んで...「自己犠牲者」は英雄となって。
キリストも?!。
      
国や宗教のコトはとりあえず横に置いといて、
一番の問題は、親子関係に絡みつく「自己犠牲」の無限ループ。
これに気付き、乗り越えるのは至難の業です。
     
「自己犠牲心」は、自分の心の中で育ってしまいます。
そして、何に対して?犠牲心を持っているのかは、各家庭環境によって全く異なるのです。
その各々異なった家庭環境内の犠牲ストレスは、他人と共有したり解り合ったりは出来ません。
     
『自分で気付き知る努力』
そして、それを
『乗り越え続ける精神力』
この2つが不可欠となります。
正直言って、もの凄く・・めんどうな作業です。
でもこれが『自立』です。
    
「自己犠牲」の無限ループ家庭は、それは共依存関係と言える。
「私が我慢して支えてあげないといけない⇒無限ループ」
そもそもが精神的に誰も自立出来てないからなのです。
      
自分のホントの心を信じ、ひとつひとつ紐解く作業が大切となる。
この「自己犠牲」という観点からは、まだまだ色んなことが解ります。
またこの続きを書いてみたいと思います。
 
       
サイキックの眼  ヤマモト・コージ