LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

精神性(と)自己(と)責任。

2014-07-21 17:18:50 | サイキックの眼

         

精神性(と)自己(と)責任。


精神が耐えられなくなると、感情が爆発する。
精神に苦痛を感じても・・感情を抑えなければならない。

表面張力いっぱいにまで膨張した、コップの中の感情。

溢れてしまって、どうしようもなくなったら大変だ。
もぅ・・我慢にも限界。

はけ口も無い。
処理方法の策も解らない。
愚痴を言いあっていても・・なんの埒(らち)も明かない。

◆◇◆◇◆

そう。
そうだ。
良いコト思いついた!。
コップの底に穴を開けとけばいいんだ!。
みんな垂れ流しでダダモレにしておけば、なんの苦痛もないやんかぃさ。
グッドアイデアやん。
これで人生の苦痛とはおさらば!楽勝!楽勝ッ!!
なんも我慢なんてしなくてもイイんよ。
黙ってたらバレない。
み~んな!やりっぱなし。
考えない。考えたくな~い。
・・・・・。
え゛っ!?子供が学校で虐められた?。
知らん知らん。
なんも考えないで、やりっぱなしでエエねん。
え゛っ!?職場で大きな問題がおこったって?。
知らん知らん。
どうでもエエわ。
・・・・・。
え゛っ!!? 仕事を解雇されたって?
そんなぁ。(焦)
気持ちが耐えられない・・・苦しい。
誰か何とかして~~!
誰か助けて~~!
あぁ・・しなければいけないことがイッパイ溜まっている。
どうしよう。身動きがとれないよぅ。
誰か教えてぇ~。
コップの中身がカラッポで、なんの手立ても残ってないわぁ。
コップの底に穴なんか開けなければ良かったんだろうか・・。
・・・・・。

◆◇◆◇◆

ここで、コップを用いているのは、精神性の容量のコトです。
自分のコップ。
つまり、自分の精神性の値。
つまり、自分のコップを大事に育て、成長させることが、「自己」ということです。

『「精神性」が在る』ということが、『「自己」が存在する』ということになる。

例えば「虐待」の問題。
親の精神性が著しい。
それは誰でも解ります。
そうではなくて、・・というより、
『「精神性」を放棄している』と言った方が良いと思えます。

『「精神性」を放棄している』
つまり。
『「自己」を放棄している』
という意味です。

よくニュースなどで虐待や体罰などを取り上げているのを目にします。
「精神が著しく・・説明がつかない状態が続いており」
なんていうのを耳にしますが。

厳密に言うと・・著しいのではなく、
『「自己」の「精神」を放棄した状態』
というのが正しいのではないか。

『精神の自己責任』です。
なにも昔の軍隊とかの・・そんな世界の精神論ではありませんよ。
違います。
「自分の本当の精神性を持ち育て、大切に頑張っていこう!」
という意味です。

そして、その精神の器であるコップを放棄せず、
強く・美しく・大きくする為のコトをやり遂げていこう!
という意味なのです。

他人にコップを傷つけられ・・ヒドイ目にあうこともあります。
社会でコップを蔑まれ・・悔しい時もあります。
自分のコップを無視されることも。
或いは自分が他者のコップをバカにして、傷つけることも。

そして一番辛いのは、親にコップを侮辱されること。

「精神性」の大切さと苦しさを知り、乗り越える努力を知っている人は、他人や我が子の「精神性」を侮辱したり傷つけたりはしません。

心身の全てが苦しい時、生きていることの全てが苦しい時。
それが「精神性」を乗り越える、「自己」を乗り越える時です。

つまり。
「責任」とは常に、
「精神性」と「自己」を乗り越えることなのだと思います。

逆に言いかえると良く解ります。

「無責任」とは、
「精神性」も無く、「自己」も無い状態のこと。

精神性も無い・・自己も無い。
これがあなたにとって他人のことなら、関係を解消すればいい。
しかし、これが肉親の場合は・・縁を切ることは出来ません。
漏れなく親の「無責任」は、子供の小さなコップに流れ込んできます。
例えば、これが「虐待」発生のシステムです。

「子育ての責任は親にある。」
と、一本調子によく言われてますが、
僕はそのようには思いません。

先ず親自身・・と言うより、
先ずみんなが、
『精神性』と『自己』と『責任』を持つことだけです。
解らない人は、それを知ることに努力してほしい。
それが、子供が大人に望んでいることではないでしょうか。

精神の内容量が足りなくなって、中身が溢れそうになりパニックにもなる。胸も心臓も苦しくなり・・呼吸も儘ならない。でも、その苦しみを乗り越えた時、コップが大きくなり、器が強く、そして美しく成長するのです。
精神のコップが大きくなった分、また新たな経験が出来るのです。

コップが傷つかない為の努力だけしていたり。
占いなどで、コップが安全に進める道だけを選んでいたり。
それでは余計に不安が増すだけです。


何に対して『精神性』を感じるか?。
家族・性・肉体・仕事・スポーツ・趣味・勉学・生命・宇宙・・・エトセトラ。
そして何に対して『自己』を考えられるか。
そして何に『責任』を持ち得たいか。

この問いにあたいするコップを持つことが出来れば、とても良いのだと思います。

「精神性」も「自己」も「責任」も、
他者から与えられるものではなく、
人に与え強制するものでもなく、
自分で体得するしか存在しないのです。


サイキックの眼  ヤマモト コージ


トップページ
ブログ・項目一覧