人格と責任の一致
人格が在り⇒そしてその責任が在る。
人格が曖昧で⇒そして責任も曖昧で。
人格はよく解らないが⇒責任だけは在る。?
人格など無く・・・⇒責任逃れが上手で・・。
レパートリーをこさえてみたが、色々とある。
親子関係。夫婦の関係。友人の関係。職場の関係。
今回のテーマ「人格と責任の一致」
或いは逆に「人格と責任の不一致」
これが答えです。
答えから話しを進めてまいります。
要は、『人格と責任が一致していれば良い!』ということです。
フッ!苦笑。それが解れば苦労はしない・・って。笑
「自分の人格とやらはいったいナンゾヤ!?ってコトが先ず必要だし、なんで解らないのか?ってコトも解らんし。
それに・・・。人格も責任も曖昧な方が上手く生きていけるような気もするし。」
でも良く考えてみてください。
僕がいつも並べ立てる屁理屈ですが。笑
『どの動物も植物も、其々その「人格(※)と責任」が一致しています。』
(※)
ヒトではないので人格とは言いませんが(笑)、
各々の生き物の立場という意味で。
なので、性格・性質・品格でもOK!。
では。話しをこうきり変えてみましょうか。
我々の目からみて、自然の動植物のすべてに「嘘」は見当たりません。
「ありのまま」が常に存在しています。
なのでその自然達に「性質(※)と責任」が一致しているコトに誰も文句は言いませんよね?。
というか・・文句が見つかりません。
ではまたこんな風に言い方を変えてみます。
「あなたの人格が解らない!!責任をとってよッ!!怒」
動物図鑑にもし「人間」の項目ページがあるとしたら、
「人間はこのような諍い(いさかい)が絶えません」
と説明が書かれているように想像します。笑
でも答えはこうです。
「人格の解らない人に、責任は問えない。」
人格が曖昧な人に対して、責任は存在しないのです。
例えば日本の政治家とか。
個人の人格を少しでも露わにするような発言をしたならば、責任を取れ!!とアチコチから返事や野次が返ってくる。
逆に人格につかみどころ無く曖昧な人に対しては・・責任を問わない。
つまり。
『人格や性質、品格と呼べるモノというのは、「嘘が無い状態のコト」なのです。』
ではね。
例えば、「どうして私は人格をしっかり持てないのだろう?、どうして自分の責任をまっとう出来ず・・解らないのだろう。」
と、このような考えや悩みをいだいていたとします。
その答えは、「嘘」が何処かに存在しているからなのです。
その「嘘」と呼べる定理は、自然の在り方に対するモノです。
動物図鑑の人間の項目ページに書かれている?だろう・・
「あなたの人格が解らない!!責任をとってよッ!!怒」
というセリフ。笑
冷静になって言い換えてみると
「あなたの人格が解らないのは嘘をついているからでしょう?、私に嘘をつき続けてきた責任はとってもらうわよ!。」
なんか昼ドラみたいな脚本になってしまいました。
よく考えてみたら、昼ドラのストーリーって、登場人物の人格がメチャクチャで、責任の落としどころもハチャメチャなんですよね。
強烈な嘘つきキャラがいてモミクチャになって・・ドロんドロんになって。きっとドラマを見ている視聴者は、「私のついてる嘘なんて小っちゃいモンよ」なんて思うのかも知れません。笑
でも実際、「人格と責任の不一致」が長く続くと、いつかは何かが破綻するでしょう。
ドラマのように最終回ですべてが破綻して、心機一転やり直すぞ!みたいなハッピーエンドなら良いですけど、それも難しい。
なぜ、人格と責任が一致しない嘘が続くと破綻を招くのか・・。
その答えは簡単です。
『誰しも「人格と責任の一致」を求めているからです。』
「人格」とは、各々が各々の「性質」から成り立っている。
「性質」は「品(ひん)」です。
「品」は、生きる自然をまっとうしている姿でしょう。
「品」は、自然と対しても?のない捉え方をしているさま。
植物や花々、動物の容姿、氷の結晶など、すべて美しいと思え、品を感じられるのは、それらに?が無いからです。
各々の生物の「性質と責任」が一致しており、そこに疑いようがないモノが在るからなのです。
もし・・
「嘘でも美しいモノがあるやんけ!ワレ」と、例えば言ってみたとして。
ここだけ関西弁にするのもどうかと思うが(笑)
どんな気持ちになります?。
・・・なんか、ホンモノには負ける・・って気になりませんか?笑。
なんで負ける気ィになるのか。
嘘の無い、無二の性質が美しいからでしょう。
それがたとえ小さな性質で小さな品格であっても。
それがたとえ小さな人格で小さな責任であっても。
大きな嘘は、小さな真実を前に怖がるモノなのです。
大事なコトなので、ここであえてキツイ言い方をしますが・・。
嘘だらけの家庭は崩壊します。
それを維持する為に、嘘を嘘で塗り固める作業を惜しみません。
家庭内で無責任のなすり合いを笑顔で行うでしょう。
性格も、性質も、感覚も感情も、みんな麻痺してくるのです。
そして・・現実になにが起こっているかも解らない状態が当たり前の日々になり、修復不可能となってしまう。
なにが修復不可能となってしまうのか?。
『人格と責任の一致』が、です。
僕は、《透視》によりおこなうカウンセリングで、『人格と責任の一致』の修復の糸口を見つけ出すことを重要視しています。
人格の修復作業に必要になる一番の要点は、
『親が子につく嘘』です。
これが根付いている子供の人生は大変なのです。
親が子供につく嘘の種類は様々です。
□■□■□
例えば、一例として。
貧乏だけで不幸になる人はいません。
↓
貧乏なのとは別に、親が嘘ばかりついていた。
貧乏なのとは別に、親が不正ばかりおこしていた。
↓
親が貧しかったから不正を行っていた?。
親が貧しかったから嘘つきだった?。
↓
だから大人になってお金持ちになって、正しく生きたいと願ってきた。
だけど、騙されたり・・トラブル続きで上手くいかない。
何故だろう・・。
↓
仮に、こんな悩みをいだいている人がいたとします。
この場合、頑張って働いてお金を稼げても上手くいかないのは、貧しかった・・という以前の親や家系の人格の問題なのです。
頑張って裕福になれたとしても、人格は後から良くなることはありえません。
貧しかったから騙されるんだ、なんてことは絶対にありません。
↓
親が子供にあらゆる嘘をついていた。
だからこの子供の場合、大人になっても周りから嘘をつかれることにウトイのです。
嘘をすぐに信じてしまうクセがビッシリと着いて(憑いて)いるのです。
↓
例えば
他人がつく都合の良い嘘に弱い人は、
親がつく都合の良い嘘を信じきってしまって来たからなのです。
↓
つまり
『親と子の間で「人格と責任」が不一致をおこしている』
ということです。
人生のあらゆる苦悩の殆どの原点がコレです。
コレを正す作業が・・宇宙レベルの数学や心理学などの習得以上に、困難な作業と言えるでしょう。
↓
なので
カウンセリングのご依頼があり、人格の修復をおこなう作業に取り組むのですが、その時点でその苦悩は自身のモノではなく、親から受け継がれてしまった無責任な人格なのだと・・理解を深める努力をお伝えするのです。
↓
親がつき続ける嘘に気付いて、強くなってほしい。
なぜ親に弱いのか?。
それは親の弱さを許してあげたくなるのです。
親の嘘に付き合ってあげないと可哀そうになるからなのです。
人格弱者~責任弱者の親を子供は守ってあげたくなるからなのです。
↓
なので仮にですが、この場合・・貧しいことが苦しみの原因ではないのです。
□■□■□
あらゆる人生の中での苦しみや困難な出来事。
僕は、ヒトの本当の人格を《透視》して、そのから表れる不一致を視ます。
不一致の原因は何か、そして一致した状態に進むにはどのような方法と考え方があるのかをアドバイスしお伝えします。
そして、身体全体で一致する自己の人格と、自己の責任が備わることが本当の意味での自立なのだと思います。
たとえ最初は小さな人格でも
たとえ最初は小さな責任でも
それが小さな一致だったとしても
それが良いんです!笑。
それが大事なんです。
子供はそれをやりたいんです。
子供の頃はみんな、それを認めて欲しかったんですよね。
それが不一致だらけの日々の大人の目にはシャクにさわるのです。
いつの世も・・ね。(悲)
でも負けないでほしいなぁと思います。
大切な人格があって!大切な責任があって!
そして、大切な自分だけの『一致』が在ることを。
サイキック 山本 浩二
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