LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

妖怪の存在

2013-03-12 17:30:00 | サイキックの眼

      
       
妖怪の存在
    
      
【妖怪】よう-かい
●人の理解を超えた不思議な現象や不気味な物体
●ばけもの
      
辞書(大辞泉)によりますと、このように記されておりますが、
今日は《サイキックの眼》から視た僕の解説を致したい。
      
カウンセリングのご依頼と、そのお応え中で、
過去世・・つまり産まれる前の前世をお伝えすることがあります。
その過去世のなかには、スグに生まれかわる人もいれば、
相当の時空の中を漂いながら、生まれかわる時を待つ魂もある。
また、宗教を信心している人は、その宗教の教えの中で生まれかわります。
様々に数えきれない人間の思想輪廻と・・、そしてその人間の物質的肉体は勿論、意思や魂でも耐えられないほどの域を越えたるスケールも存在することが事実です。
人間は、そのすべてのスケールを解明しようと日進月歩しますが、人間という肉体組織をもったこの世のスケールでは、いつか限界が出てくるでしょう。
数学者の中には、そんなスケールの解明に、精神と肉体が耐えられずに統合失調のような疾患に至ってしまう人も多いと聞きます。
      
さて・・では、ギュッとスケールのボリュームを戻して、
妖怪の世界のオハナシに入って行きたいと思います。
   
妖怪とは?。
妖怪は本当にいるのでしょうか?。
それは・・人の前世の中には
「妖怪」であったことのある人もいるのです。
妖怪と人間とは、本当は切っても切れない間柄なのです。
むしろ、切ってはならなかっただろうし、
理解を深めあう必要があった関係なのです。
    
なぜ妖怪は、妖怪として生きる必要があったのでしょう。
      
いまの現代私達は、不自由しない沢山の便利な生活道具を所有し、高度な生活水準をもって生きている。
何かしら不自由を感じても・・それを補えるモノや高度な知恵を取り入れることが出来てしまう。
では・・昔はどうだったのでしょう。
むか~しむかしです。想像してみて下さい。
農作物を作り・・食べて・・寝る。
そのほかにも想像してみてください・・・。
色んなこと・・、人間として・・動物感覚的にも。
    
あんなこと~♪ こんなこと~♪ あったべなぁ~♪
   
そうそう!、想像出来ましたか?。
では、それらはどうやって実現出来たのでしょう?。
車もない。百貨店もない。コンビニもない。
高速通信もなければ、天気予報だってない。
あるのは、村集落と農機具と着るものと・・、
あとは自分の身(みぃ)ひとつだけ。
だけど・・生きていく過酷さ。
人間同士の諍いや苦しさはある。
差別だってうまれるだろうし・・、
村八分にならない為の辛さだってあるかもしれないし。
そして何よりも天候不順による不作飢餓があったなら、
それが一番の苦しい現実となる。
さてどうやって生きていけばいいのか。
そうすると、生きることすべて万事うまくいきますようにと、
自然に対する願いの為の神様と神社を建て、
祈り想うことをする。
村集落全体の願いはそうすることで生きる術としていくが、
では家系や家族の家内安全やなんかはどうなってしまうのでしょう。
きっと今と変わらず、色んなことや問題があったことでしょう。
考え出したらキリがありませんが・・、あえて皆さんに想像してもらいやすいように書き進んでみました。
生活上・・不幸な死も多かったでしょう。
不遇な生活が殆どだった時代だって・・。
   
「あぁ・・こんな神様がいたらなぁ」
「こんな守り神がいてくれたらのぉ」
「農作物がいつも豊かだったら」
「神様が海が荒れないようにしてくんねえか」
「病気や暗いことばっかで明るいことがあれば」
   
どうしようもないことがおこる可能性がある生活。
どうしようもないことがおこってしまった苦しさ。
そんな中で・・強い想いを持って死んでいく村人や家族。
現代のような、「お金さえあったら」なんて願いがまだ必要の無い時代と土地背景の話しで、お金で何かが買えた時代ではないという意味合い。
    
そんな苦しい生活に手だてのないことが当然の時代。
そんな人間の深く苦しい想いから、自らが『妖怪』の姿となって生まれかわって来るのです。
妖怪というとオドロオドロしいバケモノか?と想像しますが、そうではなく。
「純粋な生きる願い」
「村集落を壊したくない心」
「我が家族、人を想う執念」
この強い想いの末に、自らを同胞の為に姿を進化させたのです。
なので『妖怪』とは、村や家内の守り神なのです。
自然を司るまでに進化した魂もいただろうし。
或いは、生活雑貨?!家財道具に姿を進化させた魂も。
   
ですが・・まだ話しはここで終われません。
美しい逸話ばかりではないでしょう。
迫害や何らかの村八分があったりしたとしたら・・それ相応に進化し、
恨みつらみをむき出しにした姿だってあっただろう。
または、人間扱いされない人生から・・死後、人間に認めて貰えるよう人間の為に働く霊となった姿が『妖怪』とされることも。
同じ『妖怪』でも、人間が敬うのもいれば、人間に従うのもいるわけです。
人間の魂が死後・・姿を変え、
人間をおぎなうカタチとなって役割を担おうとしたのが『妖怪』。
    
そして・・時代が進むと。(想像してくださ~い)
   
様々な技術の向上で、農作物の飢饉不作も減った。
不当な村八分も無くなってきた。
病気も心配しなくて済むように、
すべての社会基盤が平等に整備されてきた。
もう神頼みせんでもえぐなってきただ。
カネさえ出せばエエんだ。
銭(ゼニ)さえ稼げば心配ねえよ。
銭の神様だけ居れば万事ヨシ。ガッハッハッ。
そういえば『妖怪』なんていたっけかな?。
『妖怪』なんて時代遅れで、おっかねえバケモンだ。
そんなモンより、安全安心の技術を導入した方が確実だべ。
      
人と人の生きる想い。
人間と・・元人間であった『妖怪』と、
苦しく深い想いで向き合ってきた時代。
安定した生産と供給の技術向上と共に、
移り変わっていってしまい、『妖怪』は想像のおとぎばなしに。
   
最近では、キラキラネームとかドキュンネームという種類の名前がありますが、昔の名前には「ナベ」とか「カマ」とか「ウシ」など女性の名前ですが、大事な家財道具の名前をつけていた時代もあった。
その時代に一番大事なモノが何なのか?で、嗜好の優先順位は変わる。
身ひとつしかない時代には、身ひとつでなんとかしなければならないわけで、その苦肉の進化が人間の域を越えた姿にさせてきた。
それが『妖怪』なんです。
恐いのもいれば、優しいのもいた。
その時代の、近しい人間と向き合う為の姿をもっていたのです。
ある者は水や火を司る姿に。
ある者は家内の至る所を守る姿。
神様をイメージさせるような人間が好む姿の妖怪もいただろう。
或いは歌や踊りの上手い、芸能をもった妖怪もいた。
村で祀っている神物に姿を似せる魂も居ただろう。
それは近くで共に暮らしてきた、
同じ人間を想う気持ちが進化した姿なのです。
僕は、そんな『妖怪』となった人間の魂がまだどこかで生きているのなら、「もう一度また人間に生まれかわれるから・・、また人間に生まれかわってもいいんだよ」と言ってあげたい、そう思うのです。
   
併せてこちら 金田一温泉「緑風荘」 もご参照下さい。
      
もしかすると・・。
あなたも過去に『妖怪』だったことがあるかもしれませんよ。
   
おしまい。
      
      
サイキック 山本 浩二
    
    
ブログ・トップページ  ■ ブログ・項目一覧 
       
オフィシャル・ホームページ