路上書家『大西高広』のブログページ

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NYの友との再会

2006-03-24 05:39:58 | 新宿路上物語
今日は久々に新宿路上物語をひとつ。

2005年1月。
ニューヨークでお世話になったヒロシさんと、新宿の路上で再会した時のことです。

2004年の夏に、無謀にも単身NYへ路上活動で行ったわけですが、この時の経験や出逢いは、振り返ってみると路上書家として大きな分岐点になった3週間でした。
●色紙に直接書くこと。
それまでは画仙紙の風合いが気に入っていたので、画仙紙に書いて色紙を台紙代わりにしていました。でもNYで活動するにあたって“裏打ち”なんてNYでは出来ないので、買ってくれた人には色紙に直接書いた方がいいと思い、それまでの画仙紙に書くこだわりを捨てたのです。
色紙に直接書くようになって、それまでの書き方では納得のいく作品が作れなくなり、あれやこれやと創意工夫する過程で、今までの画仙紙で見つけた書き方と、色紙で表現する書き方が合わさって、新たな書き方(『大西高広書作法』と名付けよう。笑)が生まれたわけです。
●地べたじゃなくても地べたの心意気。
日本での勝手と違い、地べたに布を広げて活動する方法は、NYでは困難な状況になりました。
それは、しゃがまない文化でもあるし、活動した場所が埃やゴミが舞っていたのもあって、地べたのスタイルは断念して机の上で活動したんですね。
場所に合わせて一番いいスタイルで活動すること。
この経験が、今色んなところで活動するようになって、とても活かされています。

直接作品・活動に影響したことはこの2点でしょうか。
あとはもちろん、知らない所に飛び込んでいく心や、活動を始めた原点を見つめ、深められたこと、それからなんと言っても、活動を通して出逢える素晴らしさを実感したことです。
色んな国籍のストリートアーティストたち。
宿で知り合った仲間たち。
そして、右も左も分からない状況で僕を支えてくれたのが宿の人たちでした。

 

ここからやっと本題です(笑)
ヒロシさんにサムさん一家にカツさん。
もし出逢えてなかったらNYでの活動はありえなかった。
そう言いきれるぐらいお世話になりました。
ヒロシさんカツさんとはNYでお寺にも行きましたねぇ。
これがまた良い天気で、NYの郊外を1時間歩きながら、道端で弁当を食べたことはとても印象に残っています。

「またNYに来て活動します!」
そう言って別れ、日本に帰国しました。
それから半年後の2005年1月。日本に一時帰国したヒロシさんが新宿の路上に立ち寄ってくれたのです。
あの日は寒かった(笑)
小雨も降っていて、震えながらの活動でしたが、そんな時、缶ビール片手にええ感じに酔ったヒロシさんが「まいど」と、友達二人と現れたのです。
NYでは路上で活動しているところをお見せ出来なかったので、路上での様子を見てもらったのはこの時が初めてになります。
その時見てくれてた他の人たちと、ヒロシさんたちと、地べたに座りこんで長い間話したのを覚えています。
路上で活動する時、雨って嫌なんですね。でもその時は、雨にも感謝したくなりました。
終電の時間が迫ってきて「またな」と言って去っていく後姿を見ながら、新宿の路上がまたひとつ、僕にとって大切な場所になりました。

さよなら2005年

2005-12-31 03:52:40 | 新宿路上物語
いよいよ今日で2005年も最後の日ですね。
毎年ながらこの時期になると、月日の経つのは早いなぁと思います。

30日の夜は、何年ぶりかでカリグラファーのジョンさんと再会しました。



香港の学校で美術の先生をしているジョンさんは時たま日本に来ます。
仕事でだったり個展でだったり、今回は観光で日本に来たそうです。
出逢ったのは3年前の新宿路上。

初めて会った時も寒い冬の日でした。
日本語があまり話せないジョンさん。
英語がほとんど話せない路上書家。
ゼスチャーをメインに会話して、「書法」と書かせて頂きました。
ジョンさんもその場で「カリグラフィー」(書道)と書いてくれ、交換しあいました。
そして次の日。
昨日出逢った恰幅のいいジョンさんが、「タカヒロの絵を描いてきたよ」と僕のイラストをプレゼントしてくれた。
そして僕は「笑」の作品をプレゼント。
また会おうねと約束して硬く握手をしました。

  

僕が活動している時にたまたま通りかかり、そこから満足に言葉のキャッチボールは出来ないけど、時折メールやDMを送ってくれます。
そして今回は突然の再会になりました。
作品をプレゼントしあい、ゼスチャーメインの会話を交わし、ほんのひと時再会の喜びを分かち合った。

言葉も満足に通じない、ほとんど会うことも出来ない友人と僕は、今もそれぞれの場所でカリグラフィーを生業として生きている。

時折思い出しては空を見上げ、小さな声でこうつぶやく。
「また明日。 たとえ会えなくとも。」


新宿路上物語 スタート

2005-12-10 03:58:22 | 新宿路上物語
ふとブログを見ると、半年前、新宿の路上で作品を書かせて頂いた方からのトラックバックに気付きました。
その人のブログを拝見すると、今もその時の作品を飾って下さってるとのこと。
こんなに嬉しいことはないです

偶然通りかかった路上で、座りこんでなんかやってるヤツがいる。
僕がその日路上で活動していなければ出会わなかった出逢い。
その人がそこを通らなければ出会わなかった出逢い。

3年間同じ場所で活動して色々なことがあり、その時の出来事、出逢いは今の自分を支えてくれてるように思います。
今はその場所で活動できないけど、僕には宝物の新宿路上エピソードを時折紹介してみたくなりました。

路上活動ってなんなのか?
どういうものなのか?
「RAI・ART Production」も立ち上げたし、その想いを少しでも知ってもらえたらと思い、それから僕自身も忘れないように記録していこうと思います。



『ある僧侶との出逢い』

かれこれ1年半前。季節は確か春でした。
いつものように座りこんで作品を書いていると、めずらしい格好をした一人の男性が立っていました。
黄色い袈裟を着たひとりの僧侶。
聞くところによると、その人はタイから来たお坊さんのようです。
お互い言葉が通じないけど、「タイ」という言葉だけは聞き取れました。

新宿の路上では、色んな国の人が行き交っています。
中には日本語を話せない方、英語も話せない方、そうなると会話はお手上げです。
英語だったら、僕はあまり分からないのですが、見てくれている人に
「すみません、英語分かる人いませんか?」
と訪ねて、通訳をよくして頂いていました。

このタイから来た人は、なんとかゼスチャーで想いを伝えようとしています。
“色紙を指差して、手にもったお金をみせて、頭をさげる。”
僕は伊達に英語が話せないわけじゃなくそういう場面に遭遇してきた経験から、活動に関してのことならゼスチャーでなんとなくその想いは分かります。

「今日の托鉢でこのお金を頂きました。このお金でその色紙を譲ってもらえないでしょうか?」

…かなり予想が入っているけど…きっとそんな感じ。
手に持っていたお金は十円玉が何枚かと五円玉、五十円玉。っだったかな。
その時は色紙一枚500円で買って頂いていたわけですが、500円にも程遠い金額だったのを覚えています。

そんな時「ちょっと足りまへんなぁ。残念。」なんて言えるでしょうか?
有難いことにそう思いもしなかった。
ゼスチャーで“OKOK!どうぞ、好きなのを選んでください”
その時迷ったのは、そのお金を頂くか否か。
その人にとって日本語の文字は全く分からないのに、それでも作品に何かを感じて、ありったけのお金を差し出している。
その気持ちが嬉しいじゃないですか。
プレゼントしたい。もらってもらいたい。そう思いました。
でも、それでいいのかな?と悩みました。
その人にとって嬉しいのはどっちだろ?
僕は今だにその判断が分かりません。
でもその時は有難く頂くことにしました。

“どうぞ、どれでもいいですよ。”
“う~ん、じゃあこれを下さい。”

その作品は、色紙に書いた、
『処女詩画集「一笑を大切に MyLife」が出版されました。
  一冊1900円です。(ニコちゃんマークがふたつと芽のイラスト)』
“!”
作品と言うより看板です。
“これ?”
“そう、それ。”
“お、OKOK!”
と言うことで、看板を買って頂きました。
その時見て下さってたおじさんも、タイのお坊さんに
“Good!Good!”
そのお坊さんは深く頭を下げて、ニコッと笑って立ち去っていきました。
その人にとって、数ある作品の中からそれを選んだのにはわけがあって、何かを感じ取ったのだと思います。
後姿に合掌して「ありがとうございます。またよかったら来て下さい。」

今その人はどうしているんだろう?
元気にしているだろうか。
またお逢いしたい。