今日は久々に新宿路上物語をひとつ。
2005年1月。
ニューヨークでお世話になったヒロシさんと、新宿の路上で再会した時のことです。
2004年の夏に、無謀にも単身NYへ路上活動で行ったわけですが、この時の経験や出逢いは、振り返ってみると路上書家として大きな分岐点になった3週間でした。
●色紙に直接書くこと。
それまでは画仙紙の風合いが気に入っていたので、画仙紙に書いて色紙を台紙代わりにしていました。でもNYで活動するにあたって“裏打ち”なんてNYでは出来ないので、買ってくれた人には色紙に直接書いた方がいいと思い、それまでの画仙紙に書くこだわりを捨てたのです。
色紙に直接書くようになって、それまでの書き方では納得のいく作品が作れなくなり、あれやこれやと創意工夫する過程で、今までの画仙紙で見つけた書き方と、色紙で表現する書き方が合わさって、新たな書き方(『大西高広書作法』と名付けよう。笑)が生まれたわけです。
●地べたじゃなくても地べたの心意気。
日本での勝手と違い、地べたに布を広げて活動する方法は、NYでは困難な状況になりました。
それは、しゃがまない文化でもあるし、活動した場所が埃やゴミが舞っていたのもあって、地べたのスタイルは断念して机の上で活動したんですね。
場所に合わせて一番いいスタイルで活動すること。
この経験が、今色んなところで活動するようになって、とても活かされています。
直接作品・活動に影響したことはこの2点でしょうか。
あとはもちろん、知らない所に飛び込んでいく心や、活動を始めた原点を見つめ、深められたこと、それからなんと言っても、活動を通して出逢える素晴らしさを実感したことです。
色んな国籍のストリートアーティストたち。
宿で知り合った仲間たち。
そして、右も左も分からない状況で僕を支えてくれたのが宿の人たちでした。
ここからやっと本題です(笑)
ヒロシさんにサムさん一家にカツさん。
もし出逢えてなかったらNYでの活動はありえなかった。
そう言いきれるぐらいお世話になりました。
ヒロシさんカツさんとはNYでお寺にも行きましたねぇ。
これがまた良い天気で、NYの郊外を1時間歩きながら、道端で弁当を食べたことはとても印象に残っています。
「またNYに来て活動します!」
そう言って別れ、日本に帰国しました。
それから半年後の2005年1月。日本に一時帰国したヒロシさんが新宿の路上に立ち寄ってくれたのです。
あの日は寒かった(笑)
小雨も降っていて、震えながらの活動でしたが、そんな時、缶ビール片手にええ感じに酔ったヒロシさんが「まいど」と、友達二人と現れたのです。
NYでは路上で活動しているところをお見せ出来なかったので、路上での様子を見てもらったのはこの時が初めてになります。
その時見てくれてた他の人たちと、ヒロシさんたちと、地べたに座りこんで長い間話したのを覚えています。
路上で活動する時、雨って嫌なんですね。でもその時は、雨にも感謝したくなりました。
終電の時間が迫ってきて「またな」と言って去っていく後姿を見ながら、新宿の路上がまたひとつ、僕にとって大切な場所になりました。
2005年1月。
ニューヨークでお世話になったヒロシさんと、新宿の路上で再会した時のことです。
2004年の夏に、無謀にも単身NYへ路上活動で行ったわけですが、この時の経験や出逢いは、振り返ってみると路上書家として大きな分岐点になった3週間でした。
●色紙に直接書くこと。
それまでは画仙紙の風合いが気に入っていたので、画仙紙に書いて色紙を台紙代わりにしていました。でもNYで活動するにあたって“裏打ち”なんてNYでは出来ないので、買ってくれた人には色紙に直接書いた方がいいと思い、それまでの画仙紙に書くこだわりを捨てたのです。
色紙に直接書くようになって、それまでの書き方では納得のいく作品が作れなくなり、あれやこれやと創意工夫する過程で、今までの画仙紙で見つけた書き方と、色紙で表現する書き方が合わさって、新たな書き方(『大西高広書作法』と名付けよう。笑)が生まれたわけです。
●地べたじゃなくても地べたの心意気。
日本での勝手と違い、地べたに布を広げて活動する方法は、NYでは困難な状況になりました。
それは、しゃがまない文化でもあるし、活動した場所が埃やゴミが舞っていたのもあって、地べたのスタイルは断念して机の上で活動したんですね。
場所に合わせて一番いいスタイルで活動すること。
この経験が、今色んなところで活動するようになって、とても活かされています。
直接作品・活動に影響したことはこの2点でしょうか。
あとはもちろん、知らない所に飛び込んでいく心や、活動を始めた原点を見つめ、深められたこと、それからなんと言っても、活動を通して出逢える素晴らしさを実感したことです。
色んな国籍のストリートアーティストたち。
宿で知り合った仲間たち。
そして、右も左も分からない状況で僕を支えてくれたのが宿の人たちでした。
ここからやっと本題です(笑)
ヒロシさんにサムさん一家にカツさん。
もし出逢えてなかったらNYでの活動はありえなかった。
そう言いきれるぐらいお世話になりました。
ヒロシさんカツさんとはNYでお寺にも行きましたねぇ。
これがまた良い天気で、NYの郊外を1時間歩きながら、道端で弁当を食べたことはとても印象に残っています。
「またNYに来て活動します!」
そう言って別れ、日本に帰国しました。
それから半年後の2005年1月。日本に一時帰国したヒロシさんが新宿の路上に立ち寄ってくれたのです。
あの日は寒かった(笑)
小雨も降っていて、震えながらの活動でしたが、そんな時、缶ビール片手にええ感じに酔ったヒロシさんが「まいど」と、友達二人と現れたのです。
NYでは路上で活動しているところをお見せ出来なかったので、路上での様子を見てもらったのはこの時が初めてになります。
その時見てくれてた他の人たちと、ヒロシさんたちと、地べたに座りこんで長い間話したのを覚えています。
路上で活動する時、雨って嫌なんですね。でもその時は、雨にも感謝したくなりました。
終電の時間が迫ってきて「またな」と言って去っていく後姿を見ながら、新宿の路上がまたひとつ、僕にとって大切な場所になりました。