「受験生のための『世界史B』」 もくじ
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こんばんは!
セプテンバーです。
前回はあれですね、黄河と長江の流域で農耕文明が発達したよーってハナシでしたよね。
[邑の発生から王朝の誕生へ]
古代ギリシアで、人々の活動の拠点となったのはポリスという都市国家でしたね。
東アジアの農耕地帯でも、同じようなことが起こります。
邑の発生です。
邑は、祭祀や軍事をとりわけ重視する、まあ、「村」と考えてよいでしょう。
その邑が発達して、周りを堅固な城壁で囲むようになり、都市国家としての風貌を強めます。
邑の中には当然、突出して強い力をもつものも出てきますよね。
そういった強い邑がほかの邑を従え、ちょっとした国家組織ができてきました。
その中から発生した中国最古の王朝が、夏(か)とされます。
「されます」というのは、実はこの王朝、あくまで伝説上のものだからです。
ほんとにあったかどうかわからないんですね(笑)
このアバウトっぽさ、いかにも中国らしい←
ちなみに、王の優れた統治のようすを表す「鼓腹撃壌」という四字熟語はこのころのもの。らしい。
さて、史実上、確実にあったとされる(笑)中国最初の王朝は殷(いん)です。
紀元前16世紀ごろにできました。別名、商(しょう)。
商という邑がその他の邑を統べることによってできた連合国家だからですね。
有名な殷の遺跡、殷墟があります。
王様が亡くなった際にいっしょに殉じて埋葬された(!)人たちの存在がよく知られています。
王様が亡くなったってだけで、未来のある自分の一生を捧げるんですよ……。
誰かの後を追って死ぬ、なんてこと、みなさんできます?
おれはいやだ(キリッ
その殷墟から出土した亀の甲羅やら獣の骨に刻まれていたのが甲骨文字。
これを使って当時の人々はコミュニケーションしてたんですね。
資料集なんかで確認してください(=画像載せるのがアレなので……←)
[周と封建制の成立]
紀元前11世紀ごろ、殷の支配領域の西部に周という王朝がおこり、殷をほろぼします。
首都は、鎬京。
まあただ単に殷の力が弱まって周が強くなり王朝が交代しただけの話なんですが、
中国の人々はここに余計な屁理屈をつけます(笑)
それは、易姓革命というもの。
くわしく説明しますと、
中国を支配する王朝の統治者は、天にその資質を認められ、天の命令を受けてその王朝を統治している。
しかし、その統治者がいったん悪い政治を行ったり民を苦しめたりすると、天命が代わり、別の人間がその王朝を滅ぼし、そしてその人物が次の王朝を建て、統治者となる、という理論です。
また、王朝交代の形式にはふたつあります。
禅譲と放伐です。
天命が変化したのを理解し、自分から誰かに位を譲るのが禅譲。
天命が変化したのをわかろうとせず、誰かに無理やり位を追われるのが放伐。
もちろん、禅譲が望ましい形です。
殷→周の交代は完全に放伐ですね。
いや、実際、禅譲での王朝交代なんてこの先一度もありませんから(笑)
現代の人間もそうですが、やっぱり、戦争だとか反乱だとかで罪のない民が死んだりすれば、自分が正しいと思ってやった人たちもみんな少しくらいはうしろめたいわけです。
そういう自分たちの行為を正当化するためにこういう屁理屈を言うんですねー。
人間なんて何千年経っても変わらないもんです。
さて、周の統治の内容をお話しましょう。
封建制です。
この制度は中国だけでなく中世ヨーロッパにもみられます。
具体的に説明しますと、
周の王が、自分の親戚一族や戦いで名を挙げた家臣などの諸侯に地位と領地(封土、といいます)を与え、諸侯はその見返りとして周王のために戦う、というものです。
諸侯の下の卿・士・大夫も同様に地位と領地を与えられています。
氏族(父・息子・兄・弟・いとこ・おじさん、などなど)を大切にする考え方はこのころからです。
そういった親族関係の間での秩序やら何やらを定めたものが宗法というものでした。
「封神演義」という日本のマンガをご存知ですか?
このころを舞台にしたお話です。
なんか太公望がビーム撃ちまくるみたいな内容だった気がします。。。笑
ちなみにこのマンガの元ネタは中国四大奇書のひとつ、「封神演義」ですね。
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こんばんは!
セプテンバーです。
前回はあれですね、黄河と長江の流域で農耕文明が発達したよーってハナシでしたよね。
[邑の発生から王朝の誕生へ]
古代ギリシアで、人々の活動の拠点となったのはポリスという都市国家でしたね。
東アジアの農耕地帯でも、同じようなことが起こります。
邑の発生です。
邑は、祭祀や軍事をとりわけ重視する、まあ、「村」と考えてよいでしょう。
その邑が発達して、周りを堅固な城壁で囲むようになり、都市国家としての風貌を強めます。
邑の中には当然、突出して強い力をもつものも出てきますよね。
そういった強い邑がほかの邑を従え、ちょっとした国家組織ができてきました。
その中から発生した中国最古の王朝が、夏(か)とされます。
「されます」というのは、実はこの王朝、あくまで伝説上のものだからです。
ほんとにあったかどうかわからないんですね(笑)
このアバウトっぽさ、いかにも中国らしい←
ちなみに、王の優れた統治のようすを表す「鼓腹撃壌」という四字熟語はこのころのもの。らしい。
さて、史実上、確実にあったとされる(笑)中国最初の王朝は殷(いん)です。
紀元前16世紀ごろにできました。別名、商(しょう)。
商という邑がその他の邑を統べることによってできた連合国家だからですね。
有名な殷の遺跡、殷墟があります。
王様が亡くなった際にいっしょに殉じて埋葬された(!)人たちの存在がよく知られています。
王様が亡くなったってだけで、未来のある自分の一生を捧げるんですよ……。
誰かの後を追って死ぬ、なんてこと、みなさんできます?
おれはいやだ(キリッ
その殷墟から出土した亀の甲羅やら獣の骨に刻まれていたのが甲骨文字。
これを使って当時の人々はコミュニケーションしてたんですね。
資料集なんかで確認してください(=画像載せるのがアレなので……←)
[周と封建制の成立]
紀元前11世紀ごろ、殷の支配領域の西部に周という王朝がおこり、殷をほろぼします。
首都は、鎬京。
まあただ単に殷の力が弱まって周が強くなり王朝が交代しただけの話なんですが、
中国の人々はここに余計な屁理屈をつけます(笑)
それは、易姓革命というもの。
くわしく説明しますと、
中国を支配する王朝の統治者は、天にその資質を認められ、天の命令を受けてその王朝を統治している。
しかし、その統治者がいったん悪い政治を行ったり民を苦しめたりすると、天命が代わり、別の人間がその王朝を滅ぼし、そしてその人物が次の王朝を建て、統治者となる、という理論です。
また、王朝交代の形式にはふたつあります。
禅譲と放伐です。
天命が変化したのを理解し、自分から誰かに位を譲るのが禅譲。
天命が変化したのをわかろうとせず、誰かに無理やり位を追われるのが放伐。
もちろん、禅譲が望ましい形です。
殷→周の交代は完全に放伐ですね。
いや、実際、禅譲での王朝交代なんてこの先一度もありませんから(笑)
現代の人間もそうですが、やっぱり、戦争だとか反乱だとかで罪のない民が死んだりすれば、自分が正しいと思ってやった人たちもみんな少しくらいはうしろめたいわけです。
そういう自分たちの行為を正当化するためにこういう屁理屈を言うんですねー。
人間なんて何千年経っても変わらないもんです。
さて、周の統治の内容をお話しましょう。
封建制です。
この制度は中国だけでなく中世ヨーロッパにもみられます。
具体的に説明しますと、
周の王が、自分の親戚一族や戦いで名を挙げた家臣などの諸侯に地位と領地(封土、といいます)を与え、諸侯はその見返りとして周王のために戦う、というものです。
諸侯の下の卿・士・大夫も同様に地位と領地を与えられています。
氏族(父・息子・兄・弟・いとこ・おじさん、などなど)を大切にする考え方はこのころからです。
そういった親族関係の間での秩序やら何やらを定めたものが宗法というものでした。
「封神演義」という日本のマンガをご存知ですか?
このころを舞台にしたお話です。
なんか太公望がビーム撃ちまくるみたいな内容だった気がします。。。笑
ちなみにこのマンガの元ネタは中国四大奇書のひとつ、「封神演義」ですね。
お久しぶりです。
実は次のテストが三月始めにあるんですけど、範囲が中国で先生の説明が下手すぎて困ってます。(笑)
でもセプテンバーさんが更新し始めてくれたのでいけそうな気がします。(笑)
塾の先生になって大変だと思いますが体に気を付けて更新頑張って下さい!
よろしくお願いします。(*^^*)
確かにわかりづらい先生はいますよねー。
もちろんどの先生も自分なりにがんばってらっしゃるんだろうとは思うんですが。。。
いえいえ、おれなんか当てにしてたらだめですよ!
もちろん、ベストは尽くしますけど(笑)
大学のテストが終わったらまた更新しますので、よろしくお願いします。